アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の聖コルベ神父の牢で祈る教皇フランシスコ 2016年7月
(2021.1.27 バチカン放送)
ナチス・ドイツのアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所が解放された76年、「ホロコーストの犠牲者を想起する国際デー」の27日、教皇フランシスコは一般謁見で、ホロコーストの犠牲者とナチス独裁下に迫害され強制連行されたすべての人々を追悼された。
この中で、教皇は「記憶にとどめることは、文明のしるしです。記憶することは、平和と兄弟愛のより良い未来のための条件です」とされ、「思い起こすことは、このようなことが二度と起きないように、気をつけることでもあります」と語られた。
そして、「一つの民族の救済」というイデオロギー的意図から始まることが、「最後には特定の民族や人類そのものを滅ぼしてしまうことになる」と警告され、「大量虐殺と残忍性の道が、どのように始まったのか」を改めて思い起こすように、呼びかけられた。
就任式で宣誓するジョー・バイデン新大統領 2021年1月20日 米ワシントン・連邦議会議事堂で (ANSA)
(2021.1.20)
教皇フランシスコは20日、同日就任したジョー・バイデン米大統領にメッセージをおくられ、新大統領に祝意を述べると共に、「その高い任務の遂行において、神が賢明さと力を与えてくださるように」と祈られた。
そして、米国民が、大統領のリーダーシップのもとに、「建国時より同国に啓示を与えてきた政治的・倫理的・宗教的な気高い価値から、力を引き出し続けることができるように」と願われ、同時に、「私たち人類家族が直面するこの重大な危機に、先見的、かつ一貫した対応が求められる中で、真の正義と自由を基礎とする社会の構築と、貧しい人・弱い立場の人・声を上げられない人たちをはじめすべての人の権利と尊厳に配慮した決定」ができることを強く期待された。
教皇は「普遍的な共通善を推進するため、理解と和解と平和を米国内と全世界に醸成」できるよう大統領を導いてくださるように、すべての叡智と真理の源である神に祈られ、大統領とその家族、愛する米国民の上に、神の豊かな祝福を祈願された。
(編集「カトリック・あい」)
広島平和記念公園で祈る人々(2020年8月6日 )
(2021.1.20 バチカン放送)
教皇フランシスコは、20日の一般謁見で、22日に発効する核兵器禁止条約に言及し、「核兵器のない世界」を築くため、すべての国と人々に協力と努力を呼びかけられた。
教皇は、核兵器禁止条約が「一瞬にして大量の人を攻撃し、非常に長期間、環境に破壊的影響を与える核兵器を、明瞭に、法的拘束力をもって禁止する最初の国際条約」であることを強調。
「人類が心から願う核兵器のない世界に必要な環境を積極的に作り上げるために、平和を推進し、多面的に協力しながら、決意をもってこの問題に取り組む」ように、すべての国々、すべての人々に強く求められた。
教皇は、これまで様々な機会に核兵器の廃絶を訴えてこられた。
一昨年11月の日本訪問では、長崎の爆心地公園を訪れ、平和のメッセージの中で、「核兵器のない世界は可能であり、必要だ」と言う確信をもって、実現のために「真の平和の道具」となるよう、すべての人に訴えられた。広島の平和記念公園でも、「原子力の戦争目的の使用は倫理に反する… 核兵器を持つこと自体、倫理に反する」とされ、「真の平和とは、非武装の平和以外にありえないことを、歴史から学ぼう」と呼びかけられている。
(カトリック・あい)
同条約は、これを批准する国が「いかなる状況においても、核兵器またはその他の核爆発装置を開発、実験、生産、製造、その他の方法で取得、保有、または保管してはならない」と宣言している。2017年7月7日、ニューヨークでの国連会議で採択され、核軍縮に関するものとしては20年ぶりに法的拘束力を持つ多国間協定となった。
だが、これまでのところ、米国、英国、フランス、ロシア、中国など、肝心の核兵器保有国はこの条約に署名しておらず、中国や北朝鮮はむしろ増強を図っており、これらの国々が批准する見通しもない。つまり、現状を見る限り、実効性に乏しい条約と言わざるを得ない状況だ。
Pope Francis leads the Sunday Angelus (Vatican Media)
(2021.1.17 Vatican News staff writer)
教皇フランシスコは17日、バチカン宮殿図書室から動画配信の形でなさった年間第二主日正午の祈りの説教で、「神の呼び掛けを受け取り、ただ愛のみをもって,それに応えるように」と信徒たちを諭された。
説教の初めに教皇は、この日のミサで読まれたヨハネ福音書の箇所-イエスがヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けられた翌日、弟子たちとの最初の出会い」(1章35‐42節)を考察された。
洗礼者ヨハネは、一緒にいた二人の弟子に、イエスを指して、「見よ、神の子羊だ」と言う。イエスは、彼らがご自分に付いて来るのに気付いて、「何を求めているのか」とお尋になる。そして、彼らが「どこに泊まっておられるのですか」と聞くと、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。
このイエスの答えは、単なる”名刺”ではなく、”出会いへの招待状”だ、と指摘された教皇は、二人はその日の午後を、イエスとともに居て、彼が話されている間、「自分たちの心がこれまで以上に燃え立ったと彼らが感じるのを想像するのは、難しいことではありません… 日暮れ時なのに、神だけが与えることのできる光が、彼らの中で炸裂するのが分かったのです」と述べられた。
彼らがイエスと別れて、兄弟たちの所に戻る時、その喜び、光が、彼らの内から洪水のようにあふれ出る。そして、弟子の一人、アンデレは、まず自分の兄弟のシモンに。「私たちはメシアに出会った」と告げる。
教皇は「私たちに、共にいるように、と呼び掛けられるイエスとの出会いの経験について、少し考えてみましょう」とされ、次のように語られた。
「神の呼び掛けの一つ一つは、神の愛のイニシアチブです… 神は命に呼び掛け、信仰に呼び掛け、人生の特定の状態に呼び掛けます。神の最初の呼び掛けは、命への呼び掛けで、それを通して、神は私たちを『人』にします。神は物事を連続する形ではなさらないので、それは個々人への呼び掛けです。 神は、私たちを信仰に招き、神の子供として神の家族の一員になるように招かれます。最後に、神は私たちを、人生における特定の状態へと招かれますー結婚の道、あるいは司祭職ないしは奉献生活の道に身をゆだねるように、招かれるのです」。
さらに、「これらの道は、神が私たち一人一人のためにお持ちの計画を実現するための異なる道、それは常に愛の設計図です… すべての信者にとって大きな喜びは、神と兄弟姉妹の奉仕に全存在を捧げる、という呼び掛けに応えることです」と強調された。
そして、説教の最後に、教皇は「一千通りもの神の呼び掛けの前に、私たちは、時として、それを拒否したり、恐れを持ったりすることがあります… だが、神の呼び掛けは愛。呼び掛けには、ただ愛によって応えるべきなのです」とされ、次のように語られた。
「初めに出会いー父について私たちに語りかけるイエスとの出会い-があります。イエスは父の愛を私たちに知らせます。そして、私たちに、それを人々に伝えたい、という自発的な欲求が起きますー『 私は愛に出会った』『私は人生の意味を見つけた』-ひと言で言えば『私は神を見つけた』と」。
そして、正午の祈りを唱える前に、聖母マリアにこう祈られた。「私たちが神の呼び掛けに応え、謙虚に、喜びをもって、神のご意思を達成する中で、神への賛歌の人生をおくるように、助けくださいますように」。
イタリア・ミラノ近郊の病院で 2020年3月 (ANSA)
(2021.1.12 バチカン放送)
来月2月11日の「ルルドの聖母」の日は、カトリック教会の「世界病者の日」でもあるが、教皇フランシスコは12日、この日に先立ち、「あなたがたの師は一人だけで、あとは皆、兄弟なのだ」(マタイ福音書23章8節)をテーマとするメッセージを発表された。
このメッセージで、教皇は、特に、貧しい人々をはじめ、新型コロナウイルスの大感染で苦しむすべての人々に思いを向け、「兄弟愛に動かされ、弱い立場の人々を思いやることのできる社会こそが、人間的な社会」だとされ、健康を「優先すべき共通善」として、医療支援を大切にするよう呼びかけている。そして、「言葉だけで実行の伴わない偽善」に注意を促し、「誰一人、疎外され、見捨てられた、と感じることのないように、病者との絆を築くように」と希望されている。
また、今回のコロナ大感染で表面化した医療システムの不備や病者への支援の不足に触れる中で、「特に高齢者や社会的に弱い立場の人々が手当てされる手立てが、必ずしも平等な形で保証されていません」とされ、他者に隣人として寄り添った「無数の人々の沈黙の群れ」を思い起しつつ、「手当てを必要とする人々と彼らを手当てする人々との間の、心の通う関係の重要さ」を強調。「いたわりの姿勢は、苦しむ病者へに慰めを与える貴重な『香油』です」と述べられた。
さらに、「病者との絆」は、キリストの愛(カリタス)に限りない源泉を見出すことができ、「キリストの死と復活の神秘からほとばしる愛こそが、病者と彼らを世話する者の双方に深い意味を与えることができます」と語られた。
そして、教皇はメッセージの最後に、「慈しみの母」「弱っている者の癒やし」である聖母マリアに、「私たちが、兄弟愛をもって互いをいたわることができるように」と助けを祈られた。
(編集「カトリック・あい」)
Pope Francis during Angelus (Vatican Media)
(2021.1.10 Vatican News staff writer)
教皇フランシスコは10日の正午の祈りの説教で、主の洗礼を祝うこの日、「私たちが洗礼を受けた日、聖霊を受け、神の愛する子になった日」を合わせて祝うように勧められた。
この日の説教で教皇はまず、イエスの公生活について、約30年間の両親と共に生活し、学び、働いた年月の後、福音宣教の公生活をおくられたのは約3年だったことに注目され、「イエスが、地上での人生の大半を、目立つことなく、人としてごく普通に過ごされたことは、示唆的です」と指摘。
そして、「これは私たちへの素晴らしいメッセージです。日常生活の素晴らしさ、あらゆる振る舞いや人生の瞬間ー一番単純で隠れたことさえもーの神から見た重要さ、の啓示です」と強調された。
30年にわたる隠された生活をされた後、イエスの公生活はヨルダン川で洗礼を受けること始まるが、「この洗礼者ヨハネによるイエスの洗礼の本質は悔い改めにあります… 自からの罪の赦しを願い、進んで回心する意思の表明、です」とされた。
実際は、イエスにはその必要がなかったし、ヨハネは止めようとするが、それでもイエスは洗礼を受ける。「それは、イエスが私たち罪人とともにいることを望まれたからです… 私たちと同じ状態の中で生きるために、ヨルダン川に身を沈められました」「こうしてイエスは福音宣教を始められた最初の日に、私たちに“programmatic manifesto”ーご自分に与えられた権限あるいは力によって私たちを”高い所”から救おうとするのではなく、私たちのところに降りて来て、私たちの罪をご自身で背負うことによって(注:救う)ーということを示されたのです」と説かれた。
さらに、これが「神が世俗の悪を征服されるなさり方-ご自身を低くし、それを引き受けることによってーです。そして私たちも、裁くことによってではなく、どうすべきかを示唆することによってではなく、隣人になり、共感し、神の愛を分かち合うことによって、他者を引き上げることができる… ”親密であること”が、私たちと共にある神のなさり方なのです」と強調された。
10日のミサで読まれたマルコ福音書の箇所では、イエスが洗礼を受けられたのに続いて、尋常ではないことが起きるー「天が開き、三位一体の神の姿が明らかにされる」。「天が裂けて、霊が鳩のように、イエスの中に入ってくる。すると、『あなたは私の愛する子、私の心に適う者』と、言う声が、天から聞こえた」(マルコ福音書1章10‐11節参照)。
教皇は「神は、慈しみが現れる時に、ご自身を現わされます。それが、神の”御顔”だからです」と述べ、「この箇所は、イエスがどのようにして罪人のしもべになり、御子と宣言されたのかを示しています… イエスは私たちのところに身を低くしておいでになり、聖霊がその上に降ります」と述べられた。
さらに「愛は愛を求めます」とされ、「これは私たちに当てはまりますー私たちの奉仕のすべての行為において、慈しみのすべての業において、神は彼自身を明らかにし、この世に視線を定められる… これは、私たちが何かをする前でさえ、私たちの人生は慈しみによって特徴づけられ、それが私たちに帰せられている、ということです」。そして、「これは私たちが洗礼を受けた日に起きたこと… 私たちのために亡くなり、復活されたキリストの愛に私たちは浸され、聖霊の賜物をいただき、父である神はイエスに言われたように、私たち一人一人にこうおっしゃいましたー『あなたは私の愛する子』と」と説かれた。
最後に教皇は「神の慈しみはとても深く、洗礼を受けていない人でもそれを受け取り、心が開かれていれば復活を信じることもできるのです… 間違ったことが多くの過ちを犯すと、私たちは考えるかもしれません。しかし私たちはいつも、神の愛する子供のままです。それが、私たちが得た最も大きな賜物なのです」と言われ、次のように祈られたー「私たちが今、祈りを捧げる聖母マリアが、私たちの信仰と生活の根底にある、洗礼の賜物を、私たちが養い育てるのを助けてくださいますように」。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
A crowd-control fence around Capitol Hill in Washington DC (AFP or licensors)
(2021..1.10 Vatican News Linda Bordoni)
教皇フランシスコは10日、主の洗礼の主日の正午の祈りの説教の中で、6日にワシントンで発生、死傷者を出した米連邦議会議事堂襲撃事件に言及し、事件に衝撃を受けた米国の人々に心からのいたわりの言葉を述べるとともに、亡くなった5人のために祈っている、と述べられた。
そして、強い責任感を持って、民主主義を守り、対立している人々が相互に和解の努力を進めるように、米国の人々に対して、強く求められた。
さらに教皇は「暴力は常に自己破壊的な行為を繰り返します… しかし、暴力によって何も得られず、多くが失われるのです」と指摘され、「私が、米政府の責任者たちと全ての米国民に強く求めたいのは、怒りを鎮め、国民の間で和解を促進し、米国社会に根ざした民主主義の価値観を守る為に、強い責任感を堅持することです」と強調された。
最後に、米国の守護者である無原罪の聖母に、次のように祈られたー「共通善を共に構築していく方法として、『出会いの文化』『いたわりの文化』が、この国に住むすべての人々と共に、生き続けますように」。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
*教皇、「民主主義、共通善に反する暴力は無条件で非難。”治療薬”を歴史から学べ」伊テレビ・インタビューで
(2021.1.9 Vatican News staff writer)
教皇フランシスコは現地時間10日夜に放映されるイタリアのテレビ「Canale 5」のインタビューで、6日に米連邦議会議事堂乱入で多くの死傷者を出した事件に言及。この事件を含むあらゆる暴力行為を強く非難するとともに、米国民に「過去から学ぶ」よう呼びかけた。
インタビューで6日の事件について聞かれた教皇は、まず「米国の人々は民主主義の規律をとても良く守っている(注:と言われているにもかかわらず、このような事件が起きたことに)とても驚いています」と述べた。
そして、米国のような成熟した社会にも欠陥はあり、「共同体社会に反対し、民主主義に反対し、共通善に反対する道を選ぶ人たち」がしばしば見受けられる、と指摘。「暴力行為は無条件に非難されねばならない… 誰が行おうとも、常に非難されねばなりません」と言明された。
また、「暴力が一日も、あるいは一件も起きていないと誇れる社会はありません」とも語り、問題は、「暴力を繰り返さないことを理解し、歴史から学ぶこと」ができるか、できないか、であり、「理解することが”治療薬”と見つける唯一の道であり、基本です」と強調された。
なお、このインタビューで教皇は、新型コロナワクチンの接種についても聞かれ、「倫理的」にかなったものであり、他者の命と健康を大事にする見地からも、皆が接種を受けることを希望している、と答え、今後何週間かの内に、バチカンでワクチン接種が行われることになるが、ご自身もその際に接種を受けられるように、同意書に署名していることを明らかにした。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
(2021.1.6 Vatican News Devin Watkins )
教皇フランシスコは6日、バチカン宮殿の図書室から動画配信された「主の公現」の祭日正午の祈りの説教で、神の愛の光を他者が知る為に輝かせることで、福音を告げ知らせるように、全世界の信徒たちに勧められた。
説教をされる教皇フランシスコ (ANSA)
(2021.1.6 バチカン放送)
教皇の説教は、以下のとおり。
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親愛なる兄弟姉妹の皆さん
今日、私たちは主のご公現の祭日を記念します。主の公現とは、すべての人々に主が現れたことを祝いします。事実、キリストによって実現された救いに、国境はありません。
主の公現は、主の降誕と異なる別の神秘ではなく、同じ神秘です。ただ、主の公現では、光の観点が強調されています。すべての人々を隈なく照らす光です。それはまた、信仰の中に捉えるべき光であり、愛徳と福音宣教において他の人々にも、もたらさるべき光です。
今日の典礼で引用されたイザヤ預言者の言葉(イザヤ書60章1-6節参照)は、今の時代に、特に現実味を帯びています。
「闇は地を覆い、暗黒が国々を包んでいる」(60章2節)。このような状況の中で、預言者は光を告げます。この光は、遠くの者も近くの者も、すべての人々を惹きつけます。そして、皆、この輝きに向かって歩み始めます(60章3節)。胸いっぱいに新鮮な空気を吸うように、希望に心を開かせる情景です。
もちろん、誰の人生にも、人類の歴史にも、常に闇と脅威は存在します。しかし、神の光は、いかなる闇よりも強いのです。問題は、すべての人々を照らすべく、この光を受け入れることです。では、この光はどこにあるのでしょうか。イザヤ預言者は、この光を遠くから垣間見ていました。しかし、それはエルサレムの人々の心を抑えがたい喜びであふれさせるのに十分でした。
福音記者マタイは、東方からの博士たちのエピソードを伝えながら、この光とはベトレヘムで誕生したあの幼子である、と言っています (マタイ福音書2章1-12節)。その幼子は王であるとすべての人が認めたわけではありません。しかし、このイエスこそが世を照らす光でした。地上に現れた星であるイエスは、待ちに待たれた救い主です。神は、イエスを通して、その愛と正義と平和の王国を実現されます。イエスは、ある人々のためではなく、すべての人、あらゆる民のために生まれました。
この光は、どのように照らすのでしょうか。キリストの光は、いかにしてあらゆる場所と時代に広がるのでしょうか。それは、常に支配を手に入れようとする、この世の権力者を通してではありません。「福音を告げ知らせること」を通してです。神がわたしたちの間においでになるために選ばれたものと、同じ「方法」によってです。
それは、ご託身、すなわち人々と同じようになることを通してでした。愛そのものである神の光は、このようにすべての人々を照らし、惹きつけるのです。星は、キリストです。救い主がすべての人に無償でくださる、無限の慈しみと善意の宝の証人として、私たちも兄弟姉妹たちのために同じように星になることができ、ならなければなりません。
必要とされるのは、この光を自分の中に受け入れ、より深く迎え入れることです。私たちも、あの博士たちのように、星に魅了され、導かれ、照らされ、キリストに向かって回心するよう招かれています。それは、私たちを喜びと新たな驚きで、絶えず満たし続ける神のみ業の観想と、祈りを通しての信仰の歩みです。
すべての人々の光であるキリストの福音が世界のすみずみに広まるように、全教会の上に聖母マリアのご保護を祈りましょう。