(2021.1.17 Vatican News staff writer)
教皇フランシスコは17日、バチカン宮殿図書室から動画配信の形でなさった年間第二主日正午の祈りの説教で、「神の呼び掛けを受け取り、ただ愛のみをもって,それに応えるように」と信徒たちを諭された。
説教の初めに教皇は、この日のミサで読まれたヨハネ福音書の箇所-イエスがヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けられた翌日、弟子たちとの最初の出会い」(1章35‐42節)を考察された。
洗礼者ヨハネは、一緒にいた二人の弟子に、イエスを指して、「見よ、神の子羊だ」と言う。イエスは、彼らがご自分に付いて来るのに気付いて、「何を求めているのか」とお尋になる。そして、彼らが「どこに泊まっておられるのですか」と聞くと、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。
このイエスの答えは、単なる”名刺”ではなく、”出会いへの招待状”だ、と指摘された教皇は、二人はその日の午後を、イエスとともに居て、彼が話されている間、「自分たちの心がこれまで以上に燃え立ったと彼らが感じるのを想像するのは、難しいことではありません… 日暮れ時なのに、神だけが与えることのできる光が、彼らの中で炸裂するのが分かったのです」と述べられた。
彼らがイエスと別れて、兄弟たちの所に戻る時、その喜び、光が、彼らの内から洪水のようにあふれ出る。そして、弟子の一人、アンデレは、まず自分の兄弟のシモンに。「私たちはメシアに出会った」と告げる。
教皇は「私たちに、共にいるように、と呼び掛けられるイエスとの出会いの経験について、少し考えてみましょう」とされ、次のように語られた。
「神の呼び掛けの一つ一つは、神の愛のイニシアチブです… 神は命に呼び掛け、信仰に呼び掛け、人生の特定の状態に呼び掛けます。神の最初の呼び掛けは、命への呼び掛けで、それを通して、神は私たちを『人』にします。神は物事を連続する形ではなさらないので、それは個々人への呼び掛けです。 神は、私たちを信仰に招き、神の子供として神の家族の一員になるように招かれます。最後に、神は私たちを、人生における特定の状態へと招かれますー結婚の道、あるいは司祭職ないしは奉献生活の道に身をゆだねるように、招かれるのです」。
さらに、「これらの道は、神が私たち一人一人のためにお持ちの計画を実現するための異なる道、それは常に愛の設計図です… すべての信者にとって大きな喜びは、神と兄弟姉妹の奉仕に全存在を捧げる、という呼び掛けに応えることです」と強調された。
そして、説教の最後に、教皇は「一千通りもの神の呼び掛けの前に、私たちは、時として、それを拒否したり、恐れを持ったりすることがあります… だが、神の呼び掛けは愛。呼び掛けには、ただ愛によって応えるべきなのです」とされ、次のように語られた。
「初めに出会いー父について私たちに語りかけるイエスとの出会い-があります。イエスは父の愛を私たちに知らせます。そして、私たちに、それを人々に伝えたい、という自発的な欲求が起きますー『 私は愛に出会った』『私は人生の意味を見つけた』-ひと言で言えば『私は神を見つけた』と」。
そして、正午の祈りを唱える前に、聖母マリアにこう祈られた。「私たちが神の呼び掛けに応え、謙虚に、喜びをもって、神のご意思を達成する中で、神への賛歌の人生をおくるように、助けくださいますように」。