♰「『来て、見なさい』とイエスは招かれる」-「世界広報の日」に向けて

タイ、日本訪問に向かう機内で記者らと話す教皇フランシスコ 2019年11月19日 タイ、日本訪問に向かう機内で記者らと話す教皇フランシスコ 2019年11月19日   (Vatican Media)

(2021.1.23 バチカン放送)

 教皇フランシスコは、5月の「第55回世界広報の日」に先立ち、メッセージを発表された。

 カトリック教会の「世界広報の日」は、日本では、復活節第6主日(今年は5月9日)に記念される。 今年のテーマは、「『来て、見なさい』(ヨハネ1,46)人々との出会いを通し、ありのままを伝える」(仮訳)。

 教皇はこのメッセージにおいて、既存の情報に甘んじたり、机上の情報収集のみに陥ることなく、自ら行動し、出かけ、出会い、見聞きし、現実から感じ取ると共に、福音の告知の歴史のように、人と人、心と心の出会いを大切にした広報・報道の在り方を提示している。

 教皇は特に、今日、コピーされた情報や、あらゆるメディアで流れる同一情報、前もって準備された情報が、取材やルポルタージュなど「靴をすり減らして得た情報」の占めるべき場を奪っていることを懸念された。

 ヨハネ福音書で、イエスの弟子となったフィリポは、ナタナエルと出会う。ナザレの人、イエスとの出会いを語るフィリポに、ナタナエルが「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言うと、フィリポは「来て、見なさい」と言った(ヨハネ福音書1章45-46節参照)。ナタナエルはイエスに会いに行き、その時、彼の人生は変わった、と教皇は記し、キリスト教信仰は、このような直接の出会い、経験から生まれていった、と述べている。

 教皇は、世界が新型コロナウイルスの大感染に見舞われている今、地球の各地の多くの現実が「来て、見なさい」とコミュニケーションに携わる人々を招いている、と強調。コロナ大感染をはじめ他の危機を語る時、「豊かな世界の視点だけから語ることなく、貧しい人々の現実や、また恵まれた社会の中の隠された貧困にも目を向けること」を願われた。また、インターネット上の様々なソーシャルメディアが「物事を伝え、分かち合う能力を広げる一方で、事実確認のない情報流布の危険」を指摘された。

 「2000年以上にわたって、キリスト教の魅力は、人々との出会いの中で連綿と語り継がれてきました」とされた教皇は、「人々との出会いを通し、そこで見たままを伝えていくことが、私たちのこれからの挑戦となるでしょう」と述べられた。

(編集「カトリック・あい」)

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2021年1月24日