♰「私たちが洗礼を受けた日、聖霊を受け、神の愛する子になった日を思い起こそう」主の洗礼の日に

Pope Francis during AngelusPope Francis during Angelus  (Vatican Media)

 10日のミサで読まれたマルコ福音書の箇所では、イエスが洗礼を受けられたのに続いて、尋常ではないことが起きるー「天が開き、三位一体の神の姿が明らかにされる」。「天が裂けて、霊が鳩のように、イエスの中に入ってくる。すると、『あなたは私の愛する子、私の心に適う者』と、言う声が、天から聞こえた」(マルコ福音書1章10‐11節参照)。

 教皇は「神は、慈しみが現れる時に、ご自身を現わされます。それが、神の”御顔”だからです」と述べ、「この箇所は、イエスがどのようにして罪人のしもべになり、御子と宣言されたのかを示しています… イエスは私たちのところに身を低くしておいでになり、聖霊がその上に降ります」と述べられた。

 さらに「愛は愛を求めます」とされ、「これは私たちに当てはまりますー私たちの奉仕のすべての行為において、慈しみのすべての業において、神は彼自身を明らかにし、この世に視線を定められる… これは、私たちが何かをする前でさえ、私たちの人生は慈しみによって特徴づけられ、それが私たちに帰せられている、ということです」。そして、「これは私たちが洗礼を受けた日に起きたこと… 私たちのために亡くなり、復活されたキリストの愛に私たちは浸され、聖霊の賜物をいただき、父である神はイエスに言われたように、私たち一人一人にこうおっしゃいましたー『あなたは私の愛する子』と」と説かれた。

 最後に教皇は「神の慈しみはとても深く、洗礼を受けていない人でもそれを受け取り、心が開かれていれば復活を信じることもできるのです… 間違ったことが多くの過ちを犯すと、私たちは考えるかもしれません。しかし私たちはいつも、神の愛する子供のままです。それが、私たちが得た最も大きな賜物なのです」と言われ、次のように祈られたー「私たちが今、祈りを捧げる聖母マリアが、私たちの信仰と生活の根底にある、洗礼の賜物を、私たちが養い育てるのを助けてくださいますように」。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2021年1月11日