♰「イエスの言葉の鍵は『時』と『回心』」「聖書を通し日々、神の言葉を聴こう」神のことばの主日正午の祈りで

(2021.1.24 Vatican News Devin Watkins)

    教皇フランシスコは24日、年間第三主日・神の言葉の主日の正午の祈りに先立つカテケーシスで、この日のミサで読まれたマルコ福音書の箇所(1章14-20節)から「私たちの人生のあらゆる瞬間が、私たちの心を神と隣人愛に向けるのにふさわしい時」という事を思い起こされた。

 また、正午の祈りの後で、今日が「神の言葉の主日」であることに信徒たちの注意を向けられ、いつも”ポケット聖書”を携行し、「日々、少なくとも3節か4節を読む(ことで、神のみ言葉を聴く)ように」と勧められた。

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 この日読まれた福音書の箇所は、洗礼者ヨハネが捕らえられた後、イエスがガリラヤで宣教を始められたことについて述べている。教皇はカテケーシスでまず、「イエスの説教は、この箇所の冒頭で語られた)この言葉ー『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい』に集約できます」と語られ、このイエスのメッセージから、「時」と「回心」という二つの重要な主題が浮かび上がる、と指摘された。

 そして、「時」について、マルコ福音書は「神が働かれる救いの歴史の期間」を意味しており、「『時は満ち』は、その救いの業が頂点に達し、完全に達成される時、を指しています。神が、御子をこの世に送られ、神の王国が、かつてなく近づいた、歴史的瞬間なのです」と語られた。

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 (バチカン放送)正午の祈りに先立つ教皇のカテケーシスの全文は以下の通り。

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん

 この日曜日のミサで朗読されたマルコによる福音書の箇所(1章14-20節参照) は、いわば、「洗礼者ヨハネ」という証人から「イエスご自身」という証人への、移行を示すものです。ヨハネは、イエスの先駆者として、イエスのための地盤と道を準備する者でした。今、イエスは、ご自分の使命を開始し、救いの到来を告げます。

 イエスの説教は、次の言葉に集約されます。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい」 (同 1章15節)。このメッセージは、二つの本質的テーマ、「時」と「回心」について改めて考えるようにわたしたちを促します。

 マルコによる福音書で、「時」とは、神の救いの御業の時、救いが「成就した」時を意味しています。それは、神が御子をこの世におくられた歴史上の「その時」、神の御国が「最も近づいた時」のことです。

 しかし、救いは、自動的なものではありません。救いは、神の愛の賜物です。自由に与えられるとともに、それに対する自由な答え、すなわち、「回心」を求めるものです。それは、「物事の見方、生活そのものを変える」ということです。「この世のやり方にこれ以上従わず、神の、イエスのやり方に従う」ということです。それは、考え方と態度の決定的な変革です。

 罪は、他者や神にも反し、目的達成のためには虚偽も暴力もいとわない、利己的なメンタリティーをこの世界に持ち込みました。イエスのメッセージは、これとはまったく反対です。イエスは、私たちに、自分には神とその恵みが必要だと自覚し、地上の善に対して調和ある態度を保ち、すべての人に謙虚に受容的に接し、他者との出会いと彼らへの奉仕において、自分自身を実現するように、と勧めておられます。

 誰にとっても、贖いを受け入れる時間は短い。私たちの地上の生命は、長く続きません。人間の一生は、「神の無限の愛の賜物」であると同時に、神への愛を「証しするための時」でもあります。ですから、私たちの一生の各瞬間は、神と隣人を愛するため、永遠の生命に入るための、貴重な準備の「時」なのです。

 私たちの生涯の歴史には、二つのリズムがあります。一つは、時間や日々、年月によって測られるもの。もう一つは、私たちの成長の過程によって刻まれるものです。誕生に始まり、幼年期、青春期、成熟期、老年期、そして、死。その各過程が、主との出会いのすばらしい瞬間となるための、貴重な価値を持っています。

 信仰は、この「時間」の霊的な意義を見出すための、大きな助けとなるものです。私たちの人生のそれぞれの瞬間は、受け入れることも、拒否することもできる「主からの特別な呼び掛け」です。今日の福音に、シモンと、アンデレ、ヤコブ、ヨハネが、どのように「主の呼び掛け」に答えたか、を見ることができます。彼らは皆、成熟した大人でした。それぞれが仕事も家庭も持っていました。それにもかかわらず、イエスがそばを通りかかり、呼び掛けられた時、「すぐに網を捨てて従った」(マルコ 福音書1章18節)のでした。

 私たちが毎日、瞬間瞬間を「救いの時」として、主が私たちのそばを通りながら、ご自分に従うよう呼び掛けておられる「時」として、生きていくことができるように、聖母マリアが助けてくださいますように。そして、私たちがこの世のメンタリティーから、愛と奉仕のメンタリティーへと、回心できるよう、お助けくださいますように。

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2021年1月24日