聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士
(2022.12.28 バチカン放送)
聖フランシスコ・サレジオの帰天から400年を迎えた28日、教皇フランシスコが記念の使徒的書簡『Totum amoris est(すべては愛のもの)』を発表された。
この表題は、聖人の著書『神愛論』中の「聖なる教会において、すべては愛に属し、愛において生き、愛のために行い、愛から来ている」という言葉からとられている。
教皇は、この使徒的書簡を通し、同聖人の生涯を振り返りつつ、その言葉や思想から霊的遺産を汲み取っている。
聖フランシスコ・サレジオは1567年8月21日、サヴォワ公国アヌシー近郊のサール城に生まれた。パリで人文科学を、パドヴァで法学と神学を学んだ。宗教戦争によって荒廃したパリでは、内的危機に陥ったが、サン・テティエンヌ・デ・グレ教会の聖母像の前で捧げた、神に完全に自らを委託する祈りが、闇に沈んだ心に灯をともした。そして、この炎は彼の心に一生灯り続け、その時の体験は神を通して自身や他者の心を読み取るための鍵となっていった。
学業を終え故郷に戻った彼は、父の反対を押し切り、1593年12月18日、司祭に叙階され、アヌシー教区管轄内にあるシャブレに派遣された。シャブレはカルヴァン派が多数を占める地域であり、そこでの活動は、波乱に富んだものだったが、その中で自身の仲介者、対話者としての素質を知ることになった。また、チラシを印刷し、いたる場所に貼り、さらには家々の扉の下に滑り込ませるなど、大胆で独創的な司牧方法を開拓した。
彼は、当時アヌシーに座を置いていたジュネーブ司教と使徒座の命を受け、複雑な政治・宗教事情を抱えるジュネーブ教区での司牧に取り組んだ。ジュネーブでの司牧活動は困難を極め、努力に値する成果をもたらさなかったが、教会のもつ人間的・文化的・宗教的豊かさを発見することができた。ジュネーブでの司牧活動のかたわら、フランス王の宮廷で説教などを行い、宗教戦争に疲弊したかつてのパリにはない「新しい世界、霊的な春、人々の神への渇き」ともいえるものを知った。
このような時代を読み取った彼は、霊的指導者として精力的な司牧を行い、『信仰生活の入門』、『神愛論』などの著作、修道者や、宮廷の人々、また一般の信徒らに宛てた無数の書簡の執筆、また聖ヨハンナ・フランシスカ・ド・シャンタルとの協力による「聖母訪問修女会」の創立など、その幅広い活動は、彼の霊的躍進を表すものとなった。
1602年、フランシスコ・サレジオは、ジュネーブの司教となった。「使徒、説教者、著者、行動と祈りの人、トレント公会議の理想の実現者、プロテスタントとの議論と対話、実りある人間関係と慈愛、ヨーロッパの外交ミッション、社会的課題の仲介と和解の推進者」(ベネディクト16世、一般謁見での講話=2011年3月2日)であった彼が、当時と後世の司教たちに与えた大きな影響を教皇は指摘している。
聖フランシスコ・サレジオは、1622年、リヨンで帰天したが、最後の日々まで、告解を聞き、対話し、説教し、多くの霊的書簡を記しながら、自身のすべてを人々への司牧に捧げた。あらゆる機会、あらゆる選択、あらゆる人生の局面において、どこにより大きな愛があるかを探し求めた。聖ヨハネ・パウロ2世が彼を「神の愛の博士」と呼んだのは、『神愛論』を著しただけでなく、まさに神の愛の証し人であったため、と教皇は述べている。
教皇は、聖フランシスコ・サレジオのこのような生涯をたどり、その人となり、言葉、霊性を紹介しながら、この機会に同聖人に対する崇敬を新たにするよう招くとともに、神がご自身の民の歩みに聖霊を豊かに注いでくださるよう、その取り次ぎを祈っておられる。
(編集「カトリック・あい」)
(2022.12.20 バチカン放送)
バチカン支援援助省のコンラート・クライェフスキ長官(枢機卿)が、教皇フランシスコからの派遣を受け、再びウクライナを訪問した。信仰による慰めをもたらすことはもとより、教皇の精神的寄り添いを伝え、人々の連帯によって集められた物資を必要とされる場所に確実に届けることを目的としている。
支援物資は長官自らが運転する大型ワゴンと数台のトラックで運ばれ、厳しい冬の寒さの中で電力不足に苦しむウクライナの人々のために善意の個人や企業から寄せられた多くの防寒着や40台の発電機などが中心となっている。
クライェフスキ長官がバチカン・ニュースに電話で語ったところによれば、枢機卿は18日、ウクライナ国境に近いポーランド南東の都市プシェムィシルを訪問し、ウクライナ東南部ドンバス地方から避難した多くの母子を受け入れているカリタスに必要物資を届けた。さらに19日、同枢機卿らはポーランドからウクライナに入り、西部の都市リヴィウに到着した。
長官によれば、一行はウクライナに外交使節としてスムーズに入国できたが、国境のチェックポイントでは、審査にかかる時間に加え、雪の影響で通行に支障が生じており、入国する車両は数時間から半日以上に渡り待機しなければならない。また、道路の4分の三が止まったトラックで埋まり、その列は30キロ近くに及んでいた。長官一行は今後数日、リヴィウから、ザポリージャ、オデッサ、首都キーウなど攻撃の被害が大きい都市の様々な場所を訪れ、各地に発電機等を届ける予定という。
(編集「カトリック・あい」)
(2022.12.17 Vatican News Devin Watkins)
教皇フランシスコが17日、86 歳の誕生日を迎えられ、この機会に、最も貧しい人々のために奉仕している 3 人に感謝の意を表された。
3人は Hanna Jallouf、Gian Piero、Silvano Pedrollo。Missionaries of Charityが運営するローマ市内の宿舎に3人を訪問され、「感謝の花」を贈られた。
バチカンの支援援助省の報道機関向け声明によると、教皇は3人への感謝の表明で、「私たち一人一人が、他者への奉仕に呼ばれている」ことを思い起こすことを希望されている。
3人のうち 、Jallouf 神父はフランシスコ会士で、シリアの壊滅的な内戦の間、ひたすら困窮した人々に仕えてきた。
Piero氏はホームレスだが、日々受け取る施しの一部を自分よりも貧しい人たちに分け与えている。
Pedrollo 氏は、イタリアのヴェローナ市出身のビジネスマンで、利益の大部分をアフリカやラテン アメリカのいくつかの国、インドの貧しい人々を支援、学校、井戸、および医療施設の建設に使っている。
教皇はまた3人に対して、立方体の中にはめ込まれた小さな地球儀を贈られた。これは「世界を支える愛の象徴」を表し、マザー・テレサが子供を抱きしめる窓が地球儀の上に描かれている。聖ヨハネ・パウロ二世教皇がマザー・テレサの死に際して、「マザー・テレサは、イエスがそこから外を見て微笑み、世界中の多くの貧しい人々に慰めと尊厳を与えた『開かれた窓』でした」語られたことに由来する。
支援援助省によると、教皇が3人に示された行為は、それぞれの人がその「窓」になるように召されていることを示されたもの。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
A tank in Kyiv (ANSA)
(2022.12.13 Vatican News Lisa Zengarini)
バチカン国務長官のピエトロ・パロリン枢機卿が13日、駐バチカン・イタリア大使館主催の「欧州と戦争:ヘルシンキの精神から平和の展望へ」と題する会議で講演。
東西冷戦終結に大きな役割を果たした「ヘルシンキ会議」*からインスピレーションを得て、「ロシアの軍事侵略で引き起こされたウクライナでの戦争を終わらせるための新しい外交的手段を見つける」よう、ロシアとウクライナ、そして全欧州の指導者たちに訴えた。
この会議は、ロシアの軍事侵攻が始まって10か月を経過した今も和平交渉の見通しが立たず、外交面での努力が行き詰まり状態にある、ウクライナにおける悲惨な状況に対して、具体的な外交的解決策を話し合うために開かれた。
*(「カトリック・あい」注:ヘルシンキ会議=1975年夏、フィンランドの首都ヘルシンキで開かれた「全欧安全保障協力会議」のこと。アルバニアを除くソ連を含めた欧州33か国に米、加を合わせた35か国の首脳 が参加し、採択された最終の合意文書「ヘルシンキ宣言 」は、国家主権の尊重、武力不行使 、国境の不可侵、領土保全、紛争の平和的解決 、内政不干渉、人権と諸自由の尊重などの原則、信頼醸成措置(CBM)の促進などの安全保障の原則、経済・技術協力、人道的分野での協力(人の移動の拡大、情報の浸透の拡大、青年・スポーツ交流の拡大)などの推進を掲げ、冷戦時代の東西対話の集大成となり、冷戦終結に到る国際政治環境醸成に大きな役割を果たした。)
(写真は、宣言に署名する左から、シュミット 西独 首相 、ホーネッカー東独首相、フォード米大統領、クライスキー・オーストリア首相)
*ウクライナで起きている軍事侵略の悲惨さに慣れてはならないー教皇の”涙”の意味
講演で枢機卿はまず、ウクライナで起きている戦争に慣れてしまう危険性について再度警告。「ロシアによる軍事侵略が始まってから以来、私たちはこの戦争の『過ち』と『恐怖』を目の当たりにしてきました。しかし今、破壊的なミサイルがウクライナ全土を襲い、多くの民間人が死亡し、子供たちが瓦礫の下に取り残され、兵士が殺され、避難民となり、荒廃したというニュースに、私たちはほとんど注意を払っていません」と語った。
そして、教皇が12 月 8 日に無原罪の聖マリアの日にローマで祈りを捧げられた際に落とされた涙は、このような「“慣れ”と無関心」への強い抵抗を示されたものであり、「今、私たちは停戦と公正な平和を達成するために、すべての外交努力を動員する、という教皇のこれまでの訴えを再び繰り返す必要があります」と強調。
*核戦争の脅威にさらされている
さらに、「過去数週間で平和への希望の”かすかな光”が見えてきたにもかかわらず、攻撃はまだ続いており、それに伴って核戦争の脅威にもさらされ続けている」とし、「核兵器の使用、核戦争の可能性が言われていることは、恐ろしいことです。 軍拡競争の加速は憂慮すべきものであり、莫大な資金が飢餓との戦い、雇用の創出、一度も受けたことのない人々への適切な医療の確保ではなく、戦争に使われているのです」と指摘した。
*悲劇を終わらせる、新しい”全欧平和会議”を提唱
そして、「このような悲劇を終わらせるために可能な限りの努力を、私たちはしているのか、自問せねばなりません」と述べたうえで、「東西冷戦時代のヘルシンキ・プロセスと軍備管理交渉を、現在の状況では再現することはできないとしても、『創造的に働く』という”ヘルシンキの精神”を復活させる条件はまだあります。ウクライナで進行中の野蛮な行為と核の脅威に対して、全欧州は”ヘルシンキの精神”を取り戻し、和平への道を歩まねばなりません」と訴えた。
続けて、「私たちは、この戦争と多くの忘れ去られた戦争に、新しい手段で対処する必要があります。古い考え方に基づいて現在と未来を想像することはできません。平和と国際連帯の新しいプロジェクトを想像し、構築する必要があります。多くの国が意見を聞くことを求めていることを思い起してください。 私たちは、国際条約の新しいルール、平和に賭ける勇気を必要としています」と述べた。
そして具体的提案として、「欧州は『新しい全欧平和会議』の開催に向けて取り組むべきです。 そうすることで、平和、法、国際正義に基づいた文明の光が得られるかもしれません」とし、「このプロセスを促進するために、バチカンは可能な限りのことをする用意があります」と言明。
聖パウロ 6 世教皇が1965 年に国連に提出した歴史的な嘆願の中で使われた次の言葉を引用して、講演を締めくくったー「二度と戦争をするな! 平和が人々と全人類の運命を導くものでなければならない!」
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
Pope Francis washes the feet of prison inmates during Holy Thursday Mass (ANSA)
(2022.12.12 バチカン放送)
教皇フランシスコは、降誕祭を機に、受刑者たちへの寛容の行為を願う書簡を世界の国家元首に送られる。
バチカンのマッテオ・ブルーニ広報局長が12日発表した声明によると、教皇は、降誕祭を前に、世界の受刑者への寛容の行為を願う書簡を、国家元首たちに送っている。
声明では、教皇の書簡はすべての国の元首たちにあてて送られており、「これらの処遇を受けるにふさわしいと判断される、自由のない状況にある私たちの兄弟姉妹たちに対し、寛容の行為を果たす」ことを求める内容だ。
受刑者の減刑を求める請願は、聖ヨハネ・パウロ2世教皇が2000年の大聖年と、2002年のイタリアの国会訪問の際に、世界の国家元首に対してされており、教皇フランシスコは2016年の「慈しみの特別聖年」の一環として行われた「受刑者の聖年」で、同年11月16日に、各国政府に対して「寛容の行為」を求めておられる。
今回の寛容を願う書簡の送付の狙いについて、声明では「緊張と、不正義、紛争に世界中の多くの人が傷ついている今、主から来る恵みに心を開くようにすること」と説明している。
(編集「カトリック・あい」)
A snowfall in Kyiv, Ukraine (Reuters)
(2022.12.9 Vatican News Salvatore Cernuzio – Kyiv, Ukraine)
ロシアの理不尽極まる軍事侵攻が続く中で、発電所などエネルギー・インフラがウクライナのいたるところで破壊され、暖房も確保できずに人々が極寒の冬を迎えている。
*厳しい計画停電、でも「打ち勝てる」と希望を捨てない人々だが
首都キーウ。灰色の太陽がドニプル川の向こうに沈む午後 3 時 30 分に計画停電が始まる。
街の半分は、高層ビルの窓とガソリンスタンドの給油ポンプが明るく輝いているが、 残りの半分は、バルコニーに下げられているいくつかのクリスマス飾りがなければ、完全な暗闇に包まれてしまう。 数時間後、切り替えがあり、光があった町の半分が暗闇になり、残り半分に光がつく。
キーウに代表されるウクライナの住民は、発電所や変電所、送電線など重要なエネルギー・インフラが破壊されてから数週間、このような状態での生活を強いられている。
「それでも」とウクライナ駐在のバチカン大使、ヴィスヴァルダス・クルボカス大司教は言うー「以前のような頻繁な銃爆撃は聞こえません」。これまでロシアによる銃爆撃にさらされたが、それに屈しなかった、だから、この”新しい状況”にも打ち勝つことができる、と自分に言い聞かせるようなこの言葉は、キエフの人々によって、しばしば語られる。
*正午近くになっても零下3度…発電機が欲しい!
だが、現実は… あかりと電気の欠乏が何時間も、時には何日も続き、正午近く、午前 11 時になっても氷点下 3 度の凍てつく寒さが続いているのに、部屋を暖めることができないこともある。すでに何日も雪が降き、ウクライナ正教会の黄金のドームや2014年の政変の舞台となった独立広場も雪に覆われる日がある。
教会も、会社の事務所も、一般家庭も,自家発電機を必要としている。イタリアのイェーゾロ市からは援助物資として、近日中に 40 台の発電機が提供され、インフラ破壊の影響を特に強く受けている市の郊外や新市街に届けられるという。
こうした地域に比べれば、大統領官邸や諸外国の大使館がある中心部は、まだましと言える。もっとも、ロシア軍のキエフ中心部の攻撃が激しかった5月ころまでは、バチカン大使館でも、「テーブルやマットレスをバリケードにしたりして、私たちが死傷することのないように対策をとりました」とクルボカス大司教は、記者団に語った。
そして現在は、「大使館には発電機はありますが、停電が実施されると、6時間、7時間、あるいはそれ以上も、自家発電を続ける必要がある。電流が一定せず、過電流が起きると大変なことになるので、洗濯機も、暖房器具も、インターネットも、電流が安定している決まった時間しか使えません」という。
*暖房も確保できない厳冬にさらされる高齢者や病弱者は…
暖房の確保がおぼつかない中で、これから何カ月も続く冬の厳しさの影響は特に高齢者や病弱者にとって深刻だ。キーウのビタリ・クリチコ市長は、町を離れ、ポーランドなど近隣諸国に避難するよう求めている。求めに応じて、国外に避難する高齢者もいるが、残る人もいる。彼らは、「できる限り、これまで通りの、普通の生活をおくりたい」と希望している。
「だから、私たちもキーウにとどまっていなければなりません」とクルボカス大司教は繰り返す。「5日、ウクライナ全土で空襲警報が出されましたが、私たちは仕事を続けました。 キエフの通りを歩くと、人々が食料品の買い物に出かけたり、バスを待ったり、私道で子供たちを遊ばせたり、ミサに出かけたりしているのを見かけます」。
また、ラテン典礼カトリック教会のビタリ・クリヴィツキー大司教によると、「日々のミサを7回捧げていましたが、新型コロナ感染やロシアの銃爆撃で、3回に減っています。ロシア語のミサには誰も出ないので中止し、その代わりにウクライナ語のミサを捧げている」という。
キーウに来るのにポーランドから列車に乗った。ウクライナ人の中には、国外に出た後で戻ってくる人もいる。国境に近いポーランドの都市、 プシェムィシルからキーウまでの列車は1 両だけが無料。 子供を連れの女性や、「仕事の都合」でウクライナに来た中国人男性もいる。10時間半の長旅で、迷彩服の腕に黄色と青の旗を縫い付けた兵士が乗客のパスポートのチェックするため国境に1時間以上、停車し、麻薬探知犬によるチェックもある。
*クリスマスを前に続く攻撃の恐怖、だが人々が本当に恐れるのは、ロシアによる「ウクライナ絶滅」
客車の中は暑いほど暖房がきいているが、それで、寒い外気を跳ね返しているのだ。 国境を越えて、ウクライナの田園地帯に入ると、窓からは雪に覆われた木々や廃屋が見える。沿線に次々と現れる町の標識、「ボロディアンカ」「ブチャ」「イルピン」… ロシアが軍事侵攻を始めた2月以降、世界のメディアがその惨状を報じた。そして、主の降誕を前にした今も、残虐な攻撃の恐怖にさらされ続けている…。
クルボカス大司教は、「ウクライナの人たちが家族で食卓を囲む時に、殺されたり、国を守る戦いに出て、メンバーが欠けていることも少なくない。そして、(ロシアの)ミサイルが落ちるたびに、平和が遠のく。翌朝に平和が訪れることはない。それでも私たちは平和を祈らねばなりません。心から平和を願っています」と訴え、「私たちが願うのは、再び戦争を引き起こす危険を冒す”偽りの平和”ではありません」と強調。
さらに、「ソーシャルメディアで目にする多くのビデオ放送によると、ロシアが考えている平和は、早晩、ウクライナを再編、絶滅する(時間稼ぎの)ための”停戦”にすぎません。それがウクライナの人たちが、本当に恐れていることなのです」と付け加えた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
A view from above in St Peter’s Square (Vatican Media)
(2022.11.25 Vatican News)
バチカンにおける女性の役割拡大を進める教皇フランシスコが25日、新たに二人の女性をバチカンの考古学委員会と文化教育省、それぞれの幹部に任命された。
2人のうちバチカンの考古学委員会の事務局長にはラファエラ・ジウリアーニ博士が任命された。博士は、カタコンベの著名な研究者で、関係する多くの著作がある。9 月に教皇庁殉教者アカデミーの「Magister」に選ばれていた。
もう1人、バチカン文化教育省の次官にアントネッラ・シャローネ・アリブランディ教授が任命された。教授は、現在、ミラノに本拠を置く欧州最大の私立大学、聖心カトリック大学の副学長で、銀行法および金融市場法を教えている。イタリアの法律・経済の教授協会の会長でもある。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
(2022.11.19 Crux Senior Correspondent Elise Ann Allen)
ローマ発 –「アド リミナ訪問」でローマに滞在中のドイツ司教団が18日、 バチカンの教理、司教両省長官ら幹部と協議。論争の的となっているドイツ教会の「シノドスの道」の過程で出された諸改革をめぐってプロセスを一時停止する提案がなされたものの拒否されるとともに、さらに対話を続けることで合意した。
今回の訪問にはドイツから62 人の司教が参加。教皇やバチカンのさまざまな部署の代表者と会い、自国の教会の現状と問題について最新の説明をし意見を交換する通常の「アド リミナ訪問」と異なり、個別の会合は持たず、17日に司教団と教皇およびバチカン幹部の合同会合とすることが予定されていたが、教皇フランシスコは個別に司教団と会見したものの、合同会合には参加されなかった。
18日夜にバチカンが発表した声明によると、バチカンの幹部と司教団の会合は、「ドイツの教会が進めている”シノドスの道”について共に考える機会」として、以前から予定されていた。
*ドイツの”シノドスの道”で出てきた「女性の司祭叙階」「司祭の独身制廃止」「同性結婚を罪とせず」などの主張
ドイツでは、教皇が提唱する2021年からの世界規模の”シノドスの道”に先行する形で、教会の管理・運営などへの一般信徒の役割を高めることを主な狙いとして2019年から独自の”シノドスの道”を始めていたが、その過程で、女性の司祭叙階、同性愛カップルに司祭が祝福を与えることなどが提案され、物議を醸すようになった。 司祭の独身制の廃止、結婚を認めること、同性結婚は罪ではないと宣言すること、など支持する意見が出され、司教の選任にあたって一般信徒に発言権を与えることなどの主張もされた。
*バチカンは「教会の分裂あおりかねない」と警告
このような動きに対して、バチカンは今年の夏、ドイツの司教団に対して、教会の分裂をあおりかねない、と警告し、”シノドスの道”には「新しい統治方法や教義と道徳への新しいアプローチを採用することを、司教や信者に対して義務付ける力はない」と言明した。 これに対し、ドイツ司教団は、バチカンの発言に驚きを表明。物議を醸す可能性のある問題については正式な場で話し合うことを希望する、としていた。
18日の会合はこれを受けた形で、ピエトロ・パロリン国務長官が主宰して開かれた。
*ドイツ司教団に対し、国務長官は”シノドスの道”の特定の要素に懸念表明
会合後発表されたバチカンの声明によると、国務長官は冒頭のあいさつで、「ドイツの司教たちと我々、ペトロの後継者(である教皇)を結びつける交わりと愛の絆」をもとにした、「分かち合い、恵み、違いの中の一致の場」としての会合の重要性を強調した。
また長官は、「ドイツ教会の”シノドスの道”の特定の要素について懸念」を表明し、「教会内」ではなく「教会」の改革を実行するリスクに対して警告した。
*”シノドスの道”の基本は「神の民の痛みに耳を傾けること」と独司教協議会会長
これに対して、ドイツ司教協議会のゲオルク・ベッツィング会長は、ドイツの教会における”シノドスの道”のこれまでの歩みを概説し、その基本となる精神が「神の民の痛みに耳を傾けること」にあり、「聖職者による性的虐待がもたらしている痛み」に根ざしていることを説明。
また、これまでの”シノドスの道”での様々な会合で出されてテーマとして、今日の司祭生活のあり方、教会の活動における女性の役割、性の問題と会いに生きるカップルへの対応などを挙げた。
また、この会合に出席されなかった教皇フランシスコに、全世界司教会議総会を2023年10月に加えて2014年10月にも開くことで、”シノドスの道”を一年延長する決定を下されたことを感謝した。
*バチカンの教理、司教両省長官、ドイツの”シノドスの道”の内容、提案を「留保する」
ベッツィング会長の説明が終了した後で、バチカンのルイス・ラダリア教理省長官とマルク・ウェレット司教省長官が「神学的報告書」を発表し、その中で、ドイツ教会の”シノドスの道”の方法論、内容、および提案について「留保する」ことを表明。
バチカンの声明によると、両長官は、「教会の一致と福音宣教の使命」のために、ドイツ教会の”シノドスの道”の過程で出された諸要求を、現在、世界レベルで進められている”シノドスの道”に組み込むことを提案した。
また声明では、この後に行われたドイツ司教団とバチカン幹部との「開かれた対話」では、「会合で強調されたテーマのいくつか、特に教会の仕組みに関連する、司祭職と聖職へのアクセス、キリスト教的人類学などについて議論を深めることの重要性と緊急性」が強調されるとともに、「異なる意見の対立においてさえも、聖なる”忍耐強い神の民”すべてと共に旅をしている、という認識が共有」された、とした。また、多くの意見が、”シノドスの道”において「福音宣教と使命」を中心に据えることに触れるとともに、「(ドイツ司教団が提起した)いくつかのテーマは採用できないこと」について認識がなされた、とも述べている。
*「さらに熟慮を重ね、互いに耳を傾け、対話を続ける」ことで落着
そして、このような議論から、「ドイツの”シノドスの道”にモラトリアム(一時停止)を適用する」という提案がなされたが、拒否され、「(ドイツの教会が置かれた)困難な状況に照らして、さらに熟慮を重ね、互いに耳を傾ける」ことに落ち着いた。
バチカンによると、この会合では、明確な決定はなされず、ドイツ教会が”シノドスの道”の歩みを続ける中で、「これからの何か月か互いに耳を傾け、対話を続ける」ことで合意した、という。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
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Pope Francis meeting the German Bishops on Thursday (ANSA)
(2022.11.19 Vatican news staff reporter)
「アドリミナ訪問」のためにローマ滞在中のドイツ司教団が19日、バチカン高官たちと、同国で進めている”シノドスの道”について協議した。
「アドリミナ訪問」とは、世界各国の司教団が原則として5年おきにローマを訪問し、教皇に謁見し各国・各教区の状況を報告するもの。日本の司教団は2015年3月に7年ぶりに訪問したが、その後はされていない。ドイツ司教団は今回の訪問で17日に教皇フランシスコと会見している。
世界の全教区、全司祭・信徒が参加する”シノドスの道”は教皇フランシスコの提唱により2021年秋から始まったが、ドイツの教会ではそれより2年早い2019年から、深刻化している聖職者による性的虐待問題による危機への対応を中心に教会のあり方について、全教会挙げての話し合いが進められてきた。
19日の協議後の発表された共同声明によると、この話し合いは、国務長官のピエトロ・パロリン枢機卿が主宰して行われ、 国務長官は冒頭あいさつで、この協議を「分かち合いと恩寵、そしてさまざまな相違における一致の場」となることを希望したうえで、ドイツの”シノドスの道”において提起された懸念は、「“risk of reforms of the Church(教会の改革についてのリスク)であり、 within the Church(教会内部の改革のリスク)ではない」と述べた。
*ドイツ司教団は「神の民に耳を傾けるシノドスの精神」と「聖職者の性的虐待が引き起こした痛み」を強調
これに続いて、ドイツ司教団を代表して司教協議会(DBK)会長のゲオルク・ベッツィング司教が、これまでのドイツにおける”シノドスの道”とその過程で出された諸提案を説明するとともに、「神の民に耳を傾けること基礎を置くシノドスの精神」と「聖職者による性的虐待によって引き起こされた痛み」を強調。
さらに、ドイツの”シノドスの道”で取り上げられたテーマとして、教会の権力と権力の分裂、共通の参加と福音宣教の企画立案、現代の司教生活、教会の管理運営における女性の在り方、人間関係における活気ー性とカップルの関係における生き生きした愛、などを挙げた。
そして、教皇フランシスコが先に、”シノドスの道”を2023年秋の世界代表司教会議総会までとしていたこれまでの計画を、2024年秋まで一年延長する決定をされたことに、ドイツ司教団として、感謝を表明した。
最後に、ドイツの司教団の会長は、2021年から2024年のシノドスにおけるシノドリティに関する作業と、それを1年延長するという教皇フランシスコの決定に感謝の意を述べた。
*バチカンは、ドイツの”シノドスの道”から出た提案などに「懸念と留保」を表明
また声明では、バチカン側から、ルイス・ラダリア教理省長官とマルク・ウエレット司教省長官が、ドイツ司教団の説明に対して、同司教団の”シノドスの道”の進め方、内容、そこから出てきた提案について、「率直かつ明確に、教義上の懸念と留保」を表明。両長官は、「教会の一致とその福音宣教の使命」のために、これまでのドイツの”シノドスの道”で出された要望を「普遍教会のシノドスに含めること(全世界代表司教会議の議論にゆだねること?)」を提案した。
*「意見の違いはあっても、”忍耐強い神の民”と共に旅している」認識で一致
以上のようなドイツ司教団、バチカン双方の代表による意見の交換の後、数人のドイツの司教と教皇庁の代表者が参加する討論が行われ、ドイツの”シノドスの道”の歩みから出てきたいくつかのテーマを特定し、議論を深めることの重要性と緊急の必要性を確認するとともに、互いの意見に違いがあっても、「すべての聖なる”忍耐強い神の民”と共に旅をしているのだ」という認識を共有。
その意味で、これまで出された多くの主張は「進行中の”シノドスの道”の最終的な目標として福音宣教と使命を指向するとともに、特定の問題を棄却することができない、という認識を示している」との判断についても共有した。
また、ドイツ司教団は、自国教会の”シノドスの道”の”一時停止”を含むいくつかの提案を行い、いずれもバチカン側から却下されたが、「現在生じている諸困難を踏まえて、さらに考察をし、互いの意見を聞き合うことを促進する必要がある」と強調した。
協議を終えるにあたって、パロリン国務長官は、今回の協議を、「現在進行中の(”シノドスの道”の)耳を傾ける過程において、無視することができないもの」であり、「必要かつ建設的なものだった」と評価した。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
(2022.11.6 バチカン放送)
バーレーン訪問の最終日の6日、教皇フランシスコは、首都マナーマの「イエスの聖心教会」でカトリック教会関係者たちとの出会いをもたれた。
出会いには、北アラビア代牧区に属する司教、司祭、修道者、神学生、また教会の司牧に携わる信徒らが参加した。同代牧区は、バーレーン、クウェート、カタール、サウジアラビアから構成され、約60人の司祭と約1300人のカテキスタが約200万人の信徒たちの司牧に携わっている。イスラム教徒が大多数を占めるこれらの国々において、カトリック信者は少数派で、仕事などの理由で滞在している人々が多い。
教皇は教会関係者への言葉で、「多様な歴史や民族によって構成された教会が、唯一のキリストの御顔の中に調和を見出していることは素晴らしいことです」とされ、バーレーン滞在で、「行き交う様々な人々、広がる砂漠の中の緑、といった特徴的風景の中に、その多様性がまさに反映されているのを見ました」と話された。
また、「バーレーンは砂漠に覆われていますが、地下には水源があり、真水が静かに木々を潤しながら流れています」と述べ、「多くの弱さや恐れ、立ち向かうべき困難によって干上がった人類の魂の奥深くを静かに流れ、心の砂漠を潤す聖霊」を地下を流れる水と重ねられた。
そして、「すべては恵みから湧き出で、すべては聖霊からやって来ます」とされ、「聖霊が私たちに与え、それを生きるように望んでおられる恵み」として、「喜び」「一致」「預言性」の三つを示された。
最後に教皇は、「人々が聖霊に導かれ、常に愛と祈りのうちに喜びと一致を保つこと」ができるようにアラビアの聖母の取り次ぎを願いながら、お告げの祈りを唱えられた。
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この出会いの後、教皇、帰国のために、マナーマからアワリのサヒール空軍基地に向かわれた。同基地のホールで、ハリーファ国王による送別式に臨まれた後、特別機でローマに帰国された。
(編集「カトリック・あい」」)