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・(お勧めしたい一冊)「炎の人・加藤マヌエル神父」-ペルー日系人初の司祭の愛と献身の人生
ペルーの日系人社会で初の司祭となり、一生を奉仕に捧げ、2017年に亡くなった「加藤マヌエル神父」の戦後の混乱の中で人々を精神的に導き、「ペルー日系人社会の至宝」とも讃えられた波乱に満ちた人生を描いた「炎の人-加藤マヌエル神父」(大塚文平著、クレアリー寛子編修・日相出版)が出版された。(Amazon.co.jp kinokuniya.co.jp/などで購入可能)
加藤マヌエル神父はペルー日系二世のフランシスコ会の神父。生涯を貧しい人々の救済に捧げ、2017年、90才で帰天された。ご自身も困窮を極めた日系移民の家庭で育ち、幾多の艱難を克服しながら、貧しい人たちのために働こうと神父の道を選ばれたが、神父の道を歩む上でも、第二次世界大戦でペルーと日本が敵国同士になったことによる日系人故の特別の壁のほか、様々な苦労を経験された。貧しい人々に愛を与える母親の教えを実践し清貧を貫いた生涯は、ペルー日系社会の至宝とも言われているという。
神父は、カナダ、日本、ローマなどへの派遣を経、50才でペルーに戻られてから、恵まれない人々の救済事業に本格的に取り組まれた。救済事業は、親に見放された子供のための施設の開設に始まり、貧しい人々のための病院、家族に見捨てられた日系一世を救う老人ホームへと広がっていき、そのための資金集めにも加藤神父は奔走された。
救済活動を進める過程では 時として周囲の冷たい仕打ちや無理解など、常人であれば挫折してしまいそうな苦境にも遭ったが、全ては神の思し召しと受け止め、「貧しい人たちのために働こう」と司祭を選んだ時の初志を生涯貫き通された。
「炎の人―加藤マヌエル神父」は、加藤神父へのインタビューのほか、ご自身の書き物や関係者へのインタビューをもとに神父の生涯をまとめた一代記だ。過剰な感情の表出を抑えた行間から、神父の人を思いやる息遣いが感じられ、キリスト教徒でない私にも、こみ上げてくるものを抑えられないこともしばしばだった。現在の混迷の時代に、一人でも多くの方に、この本を通じ、加藤神父の生きざまと心に接して頂ければと思う。
(公益財団法人中曽根康弘世界平和研究所顧問 佐藤 謙)
・菊地大司教の日記・ 無原罪の聖母の祝日にイエスのカリタス会の初誓願式、そのほかこの数日
2020年12月 8日 (火)
12月8日は無原罪の聖マリアの祝日です。東京教区ではカテドラルである聖マリア大聖堂の献堂記念日でもあります。
この日、イエスのカリタス会では初誓願式が行われ、5名の修練者が誓願を宣立して奉献生活者としての道を歩み始めました。
4名の方がベトナム出身、お一人が日本出身と、国際色豊かなグループで、誓願式ミサには日本で働いているベトナム出身の司祭も(そのうちお一人は、初誓願を宣立したシスターのお兄さん)参加してくださいました。
ミサは杉並区井草の本部修道院聖堂で行われ、現在の状況ですから、よく消毒をし、マスクを着用し、互いの距離をとり、聖歌は聖歌隊だけのミサとなりました。わたしが司式させていただきました。
誓願式は修道会にとって大きなお祝いですから、本当は多くの方に参加して いただけると良いのですが、残念な反面、誓願を宣立した方々にとっては、歴史に残るような状況の中で忘れることのない特別な時となったことと思います。
おめでとうございます。またイエスのカリタス会のシスター方には、3月から10月末まで、関口教会からの配信ミサのために毎回聖歌隊を担ってくださり、美しい典礼の配信に力を貸してくださったこと、感謝しております。
なおこの数日と言うことで、三つのことがありました。
11月29日には、山形県の新庄教会が献堂10年を迎え、この事態ですからお祝いは出来ませんでしたが、感謝ミサを捧げてまいりました。(写真右、新庄教会でのミサ)
また12月6日には、千葉県の銚子教会で、新しい信徒会館が完成したこともあり、主日のミサに合わせて信徒会館の祝福式を行いました。(写真左、信徒会館)
また主任の森神父様との共同司式ミサの中では、お二人が堅信を受けられました。これも現在の事態のため、限定された少数の方のみミサに与っていただきましたので、聖堂には20名ほどの方の参加となりました。
新しくできあがった信徒会館は木造二階建てで、壁の木材の色調がやさしく、暖かな建物となりました。(写真すぐ上が、右に聖堂、左に信徒会館)銚子駅にも近くまた海にも近い場所です。夏などには合宿などに活用していただける建物かと思います。
もう一つ、明日12月9日は東京教区の澤田和夫神父様の101歳の誕生日です。無原罪の聖マリアの祝日の午後に、澤田神父様も一緒にカテドラルで感謝ミサを捧げる予定にしていましたが、この数週間の東京における感染の状況を勘案し、急遽ミサは取りやめにしていただきました。残念ですが、神父様のお年のことや集まる方々のことを考えると、しかたのない選択かと思います。神父様は101歳ですがお元気です。わたしも今日の午後、お会いしました。明日の誕生日に、皆様のお祈りをお願いいたします。
以下、イエスのカリタス会初誓願式の説教の概要原稿です。
イエスのカリタス修道女会初誓願式ミサ 2020年12月8日
「私は主のはしためです。お言葉通り、この身になりますように」
マリアはこの言葉を持って聖母となりました。マリアにとって天使ガブリエルからのお告げは、全く理不尽な内容であったに違いありません。「どうしてそのようなことがあり得ましょうか」と言う、強い否定の言葉に、その困惑の度合いが感じられます。しかしマリアは、聖霊の働きを通じた神の不思議な働きについての天使のお告げを受け、「神に出来ないことはなに一つない」と言う天使の言葉に信頼を置き、神の計画にすべてをゆだねることを決意します。
創世記のアダムとエバの物語は、この世界を支配するのは創造主である神であって、人間の勝手な思いではないことが明確に記されています。
パウロはそれを「御心のままにすべてのことを行われる方のご計画によって前もって定められ」と形容し、神はご自分が成し遂げようとされたことを必ず成し遂げられることを示唆します。
この世界は、創造主である神によって支配され、神はその計らいを持ってわたしたちを導かれる。そう信じている私たちは、この一年、神のご計画はどこにあるのだろうかと識別を重ねています。
新型コロナウイルスの感染症は、教会の活動にも大きな影響を与えています。
いつもであれば、日曜のミサは言うに及ばず、こういった誓願式などのお祝いにも、出来るだけたくさんの人に教会や修道院に来てほしいと案内をするのですが、今年は逆に、来ないでくださいとお願いをしなくてはならない。そのこと自体が非常に象徴的ですが、私たちは何か、価値観の大転換を求められているように感じます。
教会には目に見える組織としての教会と霊的交わりで結ばれる共同体の二つの側面がありますが、この事態は、私たちに、普段は忘れがちである共同体の霊的側面に目を向けさせています。その意味で、教会の意識も転換が求められているように感じています。
実は私たちは10年ほど前、同じように価値観やライフスタイルを大きく転換させる出来事に直面しました。2011年3月11日に発生した、東日本大震災の体験です。
私たちはあの大震災を通じて、人間の力がいかに小さなものなのかを、さらにはその知恵や知識には限界があることを、巨大な地震と大きな津波の前で、また原発事故の直中で思い知らされました。厳然とそびえる限界の壁を知ったとき、私たちは、おごりを捨て、謙遜に生きる道を選択しなければならないと悟ったのではないでしょうか。
しかしそれから10年が過ぎ、強烈であった震災体験は徐々に忘れ去られ、結局のところ、社会全体の価値観の転換は起きませんでした。そこに、この新型コロナの感染症が発生しました。改めて私たちは、この世界を支配するのは人間ではない。人間の知恵と知識には限界があることを認識させられました。
暗闇の中をさまよい歩いている私たちには、希望の光が必要です。その希望の光は、互いに助け合い、支え合い、配慮をしながら連帯するところに生まれます。希望の光が持続し、社会全体に定着するためには、その希望を率先して生きる人が必要です。連帯を目に見える形で生きる人が必要です。互いに支え合い思いやることで、生きる希望と喜びが生まれるのだ、と証しする人が必要です。
教皇フランシスコがしばしば繰り返されるように、だれ一人として排除されて良い人はいない、忘れ去れて良い人はいない。すべての命は神からの賜物であり、神から愛されている。それを証しして、社会の中にあって「しるし」となる人が必要です。
教皇ベネディクト16世が回勅『神の愛』に、教会の三つの本質的な務めを記しています。それは、「神の言葉を告げ知らせることと、証し、秘跡を祝うこと、そして愛の奉仕を行うこと」であります。
「神に出来ないことはなに一つない」と言う天使の言葉を信じ、「私は主のはしためです。お言葉通り、この身になりますように」と応えることで神の計画に完全に身を投じて生きた聖母に倣い、この現実社会の中で、人生のすべてを賭けて、神の言葉を証しし、秘跡を祝い、愛の奉仕を率先して行う人が教会には必要です。自己実現ではなく神の計画の実現のために生きる人が必要です。
奉献生活を誠実に続けることで、どうかキリストを示してください。この世界は神の支配のもとにあるのだ、ということを、その謙遜な生き方を持って証ししてください。私たちは神の計画の実現のために生きているのだ、ということを、その従順な生き方によって証ししてください。私たちは、自分が褒め称えられるためではなく、神を褒め称えるためにあるのだ、ということを示してください。私たちは愛されるためではなく、愛するためにあるのだ、ということを示してください。
困難な時代にあって、奉献生活に生きる方々が、暗闇に輝く希望の光となりますように。
(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)
・ガブリエルの信仰見聞思 ⑬「視界不良」の中を歩むことは…
飛行機の飛び方には、「有視界飛行」と「計器飛行」があります。前者は、飛行の基本とされ、主にパイロットが視認できる外界の飛行環境(地面、雲、地平線など)の目視情報に基づいて、パイロットの自己判断で飛行します。後者の場合、パイロットは一切の外界の視覚情報に頼らず、航空機上の計器のみに依存して飛行します。
有視界飛行には、パイロットの目視に頼って飛行するため,十分な視界が確保される気象状態が原則ですが、雲中や暗夜など視界が不良の飛行環境では、計器飛行なしには飛べません。ただ、視界の良し悪しとは別に、パイロットは飛行中に、飛行環境の要素に突如の変化の影響によって、「空間識失調」という平衝感覚を失う状態に陥る場合があります。それに、健康体であるかどうかに関わりなく発生します。
空間識失調に陥ったパイロットは、機体の姿勢(傾き)や進行方向(昇降)の状態を把握することができなくなったり、自身に対して地面が上なのか下なのか、機体が上昇しているのか下降しているのかを分からなくなったりして、「自分の身体の感覚と計器が表示している情報はどちらが正しいのか」という葛藤が生じてしまいます。
そのような状態では、パイロットが冷静に計器飛行で対応することが求められます。そのため、計器飛行はパイロットにとってとても重要な技能の1つであり、一定の訓練および審査を経て取得できる必要な「計器飛行証明」資格です。
「空間識失調時は計器だけを信じなさい」とパイロットたちが教わっています。すべての視覚的基準を失って安全に飛行する唯一の方法は、飛行機の計器から目を離さないことです。なぜなら自分の感覚は自分に嘘をつくからです。経験豊富なパイロットの多くは、「計器飛行証明」資格を取得する上で最も難しいのは「計器を完全に疑うことなく信じるようになることだ」と言います。すべての感覚は、飛行機が旋回していることを示しているのに、計器は旋回していないことを示しているとき、感覚を無視して計器に完全な自信を持てるかどうかが肝心です。
これは、私たちの日々の生活にも当てはまるのではないかと思います。キリスト者としての生活は、私たちが今いるところから、主が私たちに(霊的にも身体的にも)望んでおられる所への、日々の歩みから成り立っていると思います。そして、この過程は目で見るのではなく信仰によって行われます。聖パウロの教えを思い出されます。
「私たちは、直接見える姿によらず、信仰によって歩んでいるからです」(コリントの信徒への手紙②5章7節)
人間は基本的に自分の視覚や感覚で歩きます。これは、文字通りの歩き方だけでなく、人生の旅を歩むときにも当てはまります。身体的に歩く場合、私たちは主に視覚情報(音や匂いや触覚といった人間の感覚からの情報と共に)に依存しています。
私たちの日々、そして人生を歩んでいくには、キリスト者として、主イエス・キリストへの信仰に依存しなければ、正しい導きが得られず、正しい判断ができず、最終的に私たち自身のためにならない状態に陥ることになりかねないと思います。
視界が良い通常の状況では、特に問題なく順調に進むことができるかもしれませんが、予期せぬ雲、霧、嵐、暗闇が現れるとき、その結果として生じる視界の喪失が私たちを混乱の状態に陥らせるかもしれません。なお、その場合、私たちの感覚は時として、真実ではないことを信じるように私たちをだますことがあります。
「往々にして、物事は見かけ通りではない」、という事実は多く知られていると思いますが、思いがけないような状況に直面するとき、私たちが置かれた環境や周りの人々、世の中の意見や反応などに影響されがちではないでしょうか。その場合、私たちはキリスト者として、どのように進めば良いのでしょうか。
聖パウロが教えてくれているように、「私たちは、見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に存続するからです」(コリントの信徒への手紙②4章18節)。
視界不良の飛行環境の中や空間識失調時に、計器飛行を行うパイロットは計器から目を離さず、完全に計器を信じるのと同じように、私たちも日頃、とりわけ、困難な状況に直面している時、主イエス・キリストから目を離さず、主の御言葉、絶えずの祈りと聖霊による恵みの働きに頼って、信仰によって歩まねばならないと思います。
世界のとてつもない混乱、不安、苦しみや痛みが続く中、私たちは「見える姿によらず、信仰によって」歩み続けることができるよう、私たちの希望、救い主イエス・キリストが私たちを助けられ、私たちを強められ、恵みを与えてくださいますように。
(ガブリエル・ギデオン=シンガポールで生まれて育ち、現在日本に住むカトリック信徒)
・Dr.南杏子のサイレント・ブレス日記㊺ 熱烈サユリストとの別れ
拙作を刊行してくださっている幻冬舎の担当編集者から電話が入り、「南さん、大ごとになりました。落ち着いて聞いてくださいよ」と前置きされたのを、昨日のことのように思い出す。
それが、金沢を舞台にした訪問診療医と患者や家族たちの物語「いのちの停車場」の映画化の話だった。何かとんでもない事態に巻き込まれてしまったのかーと身構えたが、私の書いた小説が映画の原作に選ばれたと聞かされた瞬間、まさに大事件だと思ったのを覚えている。
映画化のオファーをくださったのは東映。さっそく東映の岡田裕介・代表取締役グループ会長にお会いする機会が設けられた。面談の場がセットされたのは、JR中央線の荻窪駅にほど近い、古くからある地元の和食屋だった。岡田会長の第一印象は、エネルギッシュな俳優さん。よく通る美声で熱く、時には厳しく映画への思いを語ってくださった。そして、あとから「めちゃくちゃ言ったこと、深く反省しています」とメールをくださるようなチャーミングなジェントルマンだった。
以来、岡田会長にお目にかかったのは、計五回。毎回、東映の重役や映画監督を引き連れるスタイルで、「映画の製作会議」というようなものがあれば、こんな雰囲気だろうかーと感じたものだ。そのうちの一度は、映画で主人公の医師を演じてくれる吉永小百合さんと一緒だった。熱烈なサユリストである岡田会長だけに、その時ばかりはやや緊張の面持ちだったことが印象に残っている。
いつお会いしても、皆に対して常に気を配ってくださり、楽しい失敗談で笑わせてくださった。実は東映のみならず、「映画界のドン」と呼ばれる畏れ多い方だということは、後になって知った。
映画化は、新型コロナウイルスの感染拡大という荒波に翻弄された。映画は本当に完成するのか? いや、そもそも撮影に入れるのか? スタッフや俳優さんたちの感染対策は大丈夫なのか? 岡田会長からは「映画の企画というものは、いつ中止になるかもしれない」とも聞かされていた。世の中はそんなに甘くないのだなと、妙に納得した覚えもある。
ずっと固唾を飲むような気持ちで待っていた。実際に映画製作にかかわった方々も同じ思いであったことと思う。誰よりも、岡田会長こそが無事に映画が完成するのを願っていたはずだ。
それなのに。本当に、あともう少しというところで、岡田会長は急逝された。
2020年11月18日夜、急性大動脈解離のため、東京都内の病院で亡くなられた。享年71歳ーいっしょにお祝いできなくなってしまったことが残念で仕方ない。
多くの関係者の惜しむ声が、私にもまだ聞こえてくる。映画「いのちの停車場」のエンドロールでは、「製作総指揮 岡田裕介」としてクレジットを流す検討がなされている、との報にも接した。作品をこのような形で世に出してくれた岡田会長。ただただ感謝の気持ちを胸に、安らかな眠りを願う。
(みなみきょうこ・医師、作家: NHKでドラマ化された『ディア・ペイシェント~絆のカルテ』=幻冬舎=は、多くの皆さんにご視聴いただきました。心から感謝申し上げます。『いのちの停車場』=幻冬舎=は映画化が決定し、吉永小百合さん、松坂桃李さん、広瀬すずさん、石田ゆり子さん、西田敏行さんらが出演、東映系で2021年に全国公開されます)
・Sr.阿部のバンコク通信㊿ クリスマスが近づくと思い出す…
バンコク都心のクリスマスムードは実に美しい。救い主の誕生を祝 う音楽がジャンジャン流れ、夜はイルミネーションで素敵に輝く街 並み。仏教国タイでも経済成長の波に乗ってクリスマスが祝われ、意 味を知らずとも、贈り物やケーキを用意し、家族や恵まれない人に 思いを馳せる良き日になっていて、うれしことです。
ところで、所属するセントマイケル教会のクリスマスに、十数年前、こんな出来 事がありました。クリスマスに近いある夕刻、 日ごろ親しくしているN信徒が、5歳ぐらいの男の
子を連れて「シスター、僕の子供です」と修道院にやって来ました。 体格のいい目のクリッとした子、N氏が関係を持った女性の子、 ハッとしました。でも、その子には何の罪もありません。何事も無かったように、その子を囲んで親しいひと 時を過ごしました。
その1か月後、N氏はフィリピン人の奥さんと車で移動中に突然帰 らぬ人となりました、泣き伏す奥さんと病院へ。全速力で生きた濃 密な47歳のN氏の生涯でした。
彼は、フィリピン留学中に出会った愛しの人、お姫様のような奥様と結婚 し、2人の男の子を授かりました。料理でも何でもこなし、 教会でも大活躍、いつも若者に囲まれた賑やかな家庭でした。私たちも、この界隈に来た当初から大変お世話になりました。編集の仕事を ゼロから始められたのも、N氏のお陰です。
ただ、彼にも大きな問題がありました。立派な奥さんと家族がいるのに、若いタイ人女性と関係を持ってしまい、幸せな家庭に影が差し、奥様は同郷のフィリピン人の姉 妹に苦しみを打ち明け、祈りを頼んできたことがあったのです。
そして、N氏の通夜と葬儀。奥様を支える2人の頼もしい青年の傍には、5歳 の男の子と若い母親の姿がありました。奥様は、「シスター、主人が『ごめんなさい』と謝って、この子を連れてきたの。 自分の形見を残して亡くなったのよね」と語ってくれました。その 後、男の子と母親は家族のように受け入れられている様子を目にし ました。男の子はN氏を偲ばせる青年に成長し、母子とも教会で活 躍しています。
天に旅立ったN氏の 事、毎年クリスマスが近づくと思い出します。誰にも肩身の狭い思い をさせずに受け入れられるイエス。大変な状況の中で、厩に誕生する救い主イエスを、心よりお祝 いいたしましょう。皆さん、Merry Christmas!
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)
・Sr.岡のマリアの風 (57)「この歳」になると…
11月は、(このような表現がふさわしいなら)何か「怒涛のように」仕事をいただき、11月末の「マリア論オンライン講座」で一息つきました。先人たちの思いを継いでいく使命・責任を、いまさらですが、自覚し始め、「今、わたしに出来る小さなことから始めよう!」と日々を積み重ねています。
「 この歳」になって、もう少し早く行動していれば…と思うこともありました。でも、この頃、思います。「この歳になったからこそ、始めることにも、意味があるかもしれない」。
「この歳」になると、欲がなくなります。「自分の名声を高めたい」とか、「何か偉大なことをしたい」とか、「権力が欲しい」とか… そういう「自己欲」が、(少なくとも)減ります。
「この歳」になると、今までいただいてきたものを、先人から継いできた「宝」を、「次の世代に伝えたい」という思いの方が強くなります。批判されるかもしれない、理解されないかもしれない。でも、目的が、自分の名声や権力ではなく、次の世代のためならば、信じて続ける力が湧いてきます。
そうすると自然に「助っ人」が現れ、助けてくれます。わたしの差し出すことのできる貧しいものを、感謝して受け取ってくださる人が現れます。わたしがふさわしく答えようと「格闘している」使命のために祈ってくださる人が現れます。「現れる」というより、神さまの、わたしたち一人一人を大切にする思いが、「この歳」になって自己欲が少なくなったわたしを通して、伝わりやすくなったのかも。だから、わたしを通して、神さまの思いが、よりダイレクトに聞く人に伝わるようになってきたのかも。
「この歳」になると、恐れずに、さまざまな分野の、多様な声を聞くことが出来るようになります。カトリック教会の垣根を超え、キリスト教会の境も超え、他の宗教の方々、無神論を自称している方々の声も聞き、生けるものすべての声に耳を傾け、学ぶことが出来るようになります。
「この歳」になると、「謙虚」になる、というより、「自分たちが裸であることを知った」(創世記3章 7節)というアダムとエバの心境に近くなるのかも。天地創造の初めから、わたしたちを大切に思い、わたしたちを、一人一人、陶工のように形づくり、「交わりの神」であるご自分の霊で生きるものにしてくださった三位一体の神。
仏教では、人間はどんなにじたばたしても、いつも「お釈迦様の手のひらの中にいる」と言うそうです。(少なくとも、わたしはそう聞いたことがあります)わたしたちは、どんなに素晴らしいことを行い、「自分が」それをした、と誇ったとしても、いつも、三位一体の神さまの中にいます。
ナザレのマリアが、神のみことばを、自分の胎の中に宿したとき、主の霊に満たされて歌った(…とわたしは想像します)賛歌「私の魂は主を崇め、私の霊は救い主である神を喜びたたえます。この卑しい仕え女に 目を留めてくださったから[…]力ある方が 私に大いなることをしてくださたから[…]」(ルカ福音書1章 46~ 49節参照)。主が、わたしの貧しさに目を留めてくださった、主が、何も差し出すものをもたないわたしをいつくしみ、主ご自身で、わたしを満たしてくださった。わたしのいのちは、主の内にある…。
「この歳」になって、ようやく、ナザレの若いマリアの喜びが少しは分かるようになったかも…。今年よりも来年、来年よりも再来年、もっと深く分かるようになるのかも…。
「この歳」になって、いただく恵みの豊かさに単純に感謝したい。その恵みにふさわしく答えられるよう、三位一体の神さまのみ手の中にいる自分を見つめたい。
祈りつつ。
(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女、教皇庁立国際マリアン・アカデミー会員)
*聖書の引用は「聖書協会・共同訳」を使わせていただきました(「カトリック・あい」)。
・三輪先生の時々の思い ㉕若人よ、真剣に国家を考え、国家学を学べ
戦前から戦後にかけて日本の政治学は「国家学」に過ぎず、behavioral scienceになっていないと言われたものですが、今は逆に「国家観」が欠落した小手先の政治があるだけのようです。中国に色目を使う野心家の政治屋も目につきます。そんな気まぐれなスタイルでいいわけがありません。立ち止まって考え直してほしいと思います。
金にならないからと有為な人材は実業界に向かいます。その結果でしょうか、政界は人材払底のようです。ここで鶴見祐輔流の「英雄待望論」にそそのかされたりすると、とんだことになりかねません。ワイマール憲法下のドイツがヒトラーの弁舌に毒されていったような顛末を迎えるでしょう。
若人よ、政治のみではなく、よりもっと真剣に国家を考えよう。国家学を学べ。その先に政治のあるべき姿が浮上してくるのに気づくだろう。
(2020・12・1)
(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所長、プリンストン大博士)
*三輪先生のコラムは、今回でいったん終了します。これまでのご執筆に感謝します(「カトリック・あい」)
・Sr.石野の思い出あれこれ ㉙イタリアから日本へ・”逆カルチャーショック”の中身
・Sr.石野の思い出あれこれ ㉙イタリアから日本へ・”逆カルチャーショック”の中身
イタリアの生活に比べれば修道院の中でも外でも、日本のそれは清 潔で几帳面で気持ちがよい。修道院の中では、規 則はイタリアも日本もほぼ変わらず、それほど気にもならなかったが、いったん外に出ると、度を超して、窮屈に感じられる点も多々あった。
6車線の広い道路、自動車一台通って いないので、横断していたら、どこかで笛を吹くのが聞こえた。ふと振り返ると、交通巡査が笛を口に当 てたまま、手で私に「引き返せ」と合図をしている。「なぜ?」と思ったが引き返した。「ここは横断歩道ではな い、横断歩道を渡りなさい」と仰せ。「一台の自動車も通っていないのに?」と、首をかしげながら、かなり離 れた横断歩道まで歩いてから道を渡った。イタリアにも横断歩道はある。でも、どこでも横断できたの に…。
地下鉄の中「…事故のため、3分ほど遅れて出発しました。お急 ぎのところ、大変ご迷惑をおかけして申し訳ございません」と車内放送。「誰が急いでいるの?出勤時間 でもないのに。静かにしてよ」と言いたくなってしまう。
最近は、この車内放送も大分、少なくなったよ うに思えるが、それでも続いている。イタリアでは、列車が2時間遅れても、何の放送もなかった。それがよ い、と言うのでは決してないが、困ることだってある。手を取り足を取りと、親切が過剰になると、う るさくなる。
イタリア人の「細かいことにこだわらない、おおらかな人間性と、ちょっとだらしのないところも あって、ぬるま湯につかっているような生活」から、急に「熱いお湯につかるような東京の生活」に戻った私は、い ささか目を白黒させた。
( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女)
・竹内神父の「日曜午後の散歩道」①待降節を迎えて、”いのち”を整える
・竹内神父の「日曜午後の散歩道」①待降節を迎えて、”いのち”を整える
ペトロ岐部と187人の殉教者
2008 年 11 月 24 日、長崎で催された「ペトロ岐部と 187 人の殉教者」の列福式に参加しました。朝から雨が断続的に降り続き、「大丈夫かな」と心配だったのですが、予定どおり 正午時に始まり、途中からは雨も上がって、ときどき日も差すほどとなり、約 3時間半に及んだ式は無事終わりました。
彼らは、1603 年から 1639 年にかけて、日本の各地で自らのいのちを賭して、神の愛、あるいはまた、イエス・キリストを証しました。言葉にすれば簡単ですが、その意味するところは、広くて深い。ちなみに「殉教」とは、ギリシア語の「マルティリア」(martyria)に由来し、その意味は「証」です。ですから、殉教者とは、本来、「証人」を意味しています。
待つことへの招き
「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」(ヨハネ福音書 12章24節)ー殉教者について語られるとき、しばしば耳にする言葉です。ここでは、言葉として明言されていませんが、二つのことが語られていると思います。一つは、個々のいのちは死を通してこそ、真のいのちー永遠のいのちーへと結ばれるということであり、もう一つは、その真のいのちへの道は、死を通してこそ証されるということです。
待降節を迎えて、私たちは、終末的色彩の濃い聖書朗読が与えられます。今日は待降節第二主日ですが、第一朗読では、「荒れ野に主の道を備えよ」(イザヤ書 40章3 節参照)と語られます。その意味は、主が来られるから、主の歩まれる道を整えて準備していなさい、ということでしょうか。また、待降節における大切なテーマの一つである「待つ」ということに、心が向けられます。
「待つ」という行為は、人間として美しい行為ですが、同時にまた、忍耐が求められるのも事実です。ともすれば、私たちは、忍耐を避けようしますが、実は、それによっていっそう深く神に与ることができます。なぜなら、神は、忍耐そのものだからです。「主は怒るに遅く、慈しみに富み、過ちと背きを赦す者」(民数記14章18節)。
主の道を備えた人々
殉教者は、確かに、主の道を備えた人々だったと言えるでしょう。彼らは、神を見据えて生きていました。その神が、私たちに約束されたことーそれは、「平和」です(詩編 85章9 節参照)。この平和は、しかし、ただ単に何も起こらないとか、力と力が危うい均衡を保っているとか、あるいはまた、独裁者がすべてを支配している、といったようなことではありません。そこにはもっと積極的な意味があります。
「あなたがたに平和があるように」(ヨハネ福音書 20章19、21、26節)ーこれは、私たちに対するイエスの願いであり約束です。この言葉の背後には、「神がともにおられる」(インマヌエル)という意味が含まれています。「恐れるな。私があなたを贖った… あなたは私のもの… 私はあなたと共にいる」(イザヤ書 43章1~2節参照)ーこれは昔も今も、そしてこれからも、変わることのない神の約束です。
「主の道を備えよ。その道筋をまっすぐにせよ」(マルコ福音書1章3節)。洗礼者ヨハネは、文字どおり、生涯をかけてこの言葉を生き抜きました。ヨハネは荒れ野で叫ぶ声、そしてイエスは、その声によって伝えられる神のみことばそのものです。「主の道を備えよ」ーそう語られるとき、改めて、ヨハネの生き方に学びたい、と思います。
(竹内 修一=上智大学神学部教授、イエズス会司祭)(聖書の引用は「聖書協会・共同訳」にしてあります「カトリック・あい」)
・菊地大司教の日記「週刊大司教を始めました」
2020年11月 9日 (月) 「週刊大司教」を始めました。
2月27日からの公開ミサ中止に合わせて、3月1日から主日ミサをインターネット配信しておりました。配信の機器をそろえ実際に毎回配信をしてくださったボランティアスタッフや、聖歌を歌ってくださったシスター方、非公開の時には、広い大聖堂でミサに参加してくださったシスター方。そのほか多くの方の関わりと助力で成り立っていた配信でしたが、その分多くの方に負担をかけることになり、また教区の週末行事も再開されるところが出て、私自身のスケジュール調整が難しくなってきたこともあり、ひとたびお休みさせていただくことにいたしました。協力いただいた皆様に感謝します。
その代わりになるかどうか分かりませんが、土曜日の晩に、「週刊大司教」と題して、10分程度の短いビデオを配信することにしました。主日の福音朗読とそれに基づく短いメッセージで構成しています。感染状況の変化に応じて、配信ミサが再開される可能性もありますが、当分はこちらを継続していこうと思います。制作は教区本部広報担当です。撮影場所は、大司教館の小聖堂です。(写真)なおYoutubeのアカウントは、配信ミサは関口教会のアカウントですが、週刊大司教は東京教区のアカウントになっています。(Youtubeのカトリック東京大司教区のアカウントをチャンネル登録くださるか、東京大司教区のホームページにリンクを掲載してあります)
なお、主の降誕、12月24日と25日には、大司教司式ミサの配信が予定されています。詳細は追ってお知らせします。
・ガブリエルの信仰見聞思 ⑫「聖性」の始まりは「神の創造物である自分」を愛すること
初めて聖人に関する本を読んだのは、堅信を授かった12歳の頃でした。父からお祝いにプレゼントしてくれた様々な聖人についての短い紹介集でしたが、読み始めると、とても興味をひかれ、それ以来、様々な聖人に関する本をより深く読むようになりました。
様々な聖人のことについて、また聖人から学ぶようになるにつれ、彼らの個性や経歴はそれぞれ大きく異なるものの、神様への忠実な愛、そして隣人を愛する姿勢がとても似ていることがわかりました。教皇フランシスコが次のように美しく表現されています。
「聖人たちは、光が異なる色合いで入ることができる教会の(ステンドグラスの)窓に例えることができます。彼らは、神の光を心の中に迎え入れ、それぞれの「色相」に従って、世に伝えています。しかし、彼らは皆透明で、神様の穏やかな光が通り抜けられるように、罪の汚れと闇を取り除くために、力を尽くし、努力していました」(2017年11月1日、日曜正午の祈りでの講話))。
以前にこのコラムで教会の典礼暦について、お話ししたことがありますが(「日日好日」―典礼暦年を生きる)、聖人たちは、また、私が典礼暦が大好きな理由の1つです。神聖な点呼のように―例えば、ある日は幼きイエスの聖テレジア、次にアシジの聖フランシスコ、その次に、アヴィラの聖テレジア、聖イグナチオ(アンチオケ)、聖ヨハネ・パウロ二世教皇など―異なる個性や経歴を持った聖なる大先輩たちは、次々と行進して通り過ぎていき、私たちはついに「諸聖人の祭日」にたどり着きます。
この日には教会の歴史上の列聖された聖人たちだけでなく、天国にいる数多くの無名の聖人や、日常生活の中で神様の光を輝かせている普通の善良な人々も、含まれています。このように、聖徒の栄光ある交わりは、私たちと共に祈り、私たちのために祈ってくれる膨大な数の信仰の同伴者を与えてくれています。
「カトリック教会のカテキズム」は、「『どのような身分と地位にあっても、すべてのキリスト信者がキリスト教の生活の完成と完全な愛に至るよう召されています』。すべての人が聖性へと召されています」(2013項)と教えてくれています。つまり、私たち全員が例外なく、聖人になるように招かれているのですが、教皇フランシスコが次のように述べられています。
「私たちはしばしば、聖性とは、日常の事柄から身を引き、多くの時間を祈りに費やすことができる人だけのものであると考えがちです。そうではないのです。私たちは皆、どこにいても、愛をもって生活し、すべてのことにおいて、証しすることによって、聖なる者となるように招かれているのです」(2018年3月19日、使徒的勧告「喜びに喜べ――現代世界における聖性」)。
確かに、私自身もかつて「多くの時間を祈りに費やすことができない自分には、どうすれば聖性に至ることができるのか」と思ったことがありますが、故トーマス・マートン(アメリカのトラピスト修道会司祭、作家)が次のように言っています。
「私にとって、聖なる者となることは、自分自身になることを意味する」(著書「観想の種」より)。この言葉に出会った時、とても深い感銘を受け、徐々に正しい認識を持つことに導かれるようになりました。
言い換えれば、「聖なる者になるためには、まず自分自身になることから始まるのだ」ということです。私たちはしばしば、他の人の聖性の解釈に基づいて、自分がそうではない誰かになろうとしていることに気が付くかもしれません。そのため、自分自身が聖なる者になることができるとは、信じがたいことなのではないでしょうか。
「自分自身になること」という理解の核心は、神様の御前に、自分が何者であるかを受け入れることです。
「まことにあなたは私のはらわたを造り/母の胎内で私を編み上げた。あなたに感謝します。/私は畏れ多いほどに/驚くべきものに造り上げられた」と詩編(139章13節~14節)にあります。
聖性の始まりは、神様の創造物として自分を愛することです。それは、自分自身のすべてを意味します。自分の中にあって欲しくないと思う部分さえも、神様がお創りにならなかったらよかった、と思う部分さえも、自分が嘆いている部分さえも含まれています。
私たちの創り主である神様は、私たちの弱さや,苦労したり、挫折したりしているところを含め、私たちのすべてを愛しておられます。往々にして、これらの弱さこそが、聖性に至る最も重要な道なのではないかと思います。なぜなら、私たちの弱さこそ、私たちが完全に神様に依存していることを思い出させてくれるからです。
神様が私自分自身になることを望まれると信じることは、私にとって素晴らしい解放感を与えてくれた気がしました。私は常に霊的に成長するように召されているのですが、神様はどのような状況でも、私自分自身になることだけを求めておられます。そのため、友人の悩みを聞いたり、苦しんでいる人や困っている人に出会ったりするときに、「アッシジの聖フランチェスコや聖クララ、ロヨラの聖イグナチオなら、どうするだろう」と問う必要はありません。
確かに、偉大な聖人たちは、私にとってキリスト者としての行動の模範となることができます。しかし、神様はその特定の状況に彼らを置かれたのではありません。主はご自分の神秘的な知恵により、私に与えてくださった能力と技術、そして私の弱点と限界をもって、私をそのような状況に置かれたのです。従って、より良い問いは、「神様の子供であり、キリスト者である私が何をすべきか」ということではないでしょうか。
小さな一歩一歩を踏み出し、聖性の小さな振る舞いをしていきましょう。聖徒たちの交わりの中で、キリストの光が、私たち一人ひとりを通して、無数の色で輝きますように。
(ガブリエル・ギデオン=シンガポールで生まれて育ち、現在日本に住むカトリック信徒)
・Sr.阿部のバンコク通信㊾ 満月の夜、美しい水の祭典
10~11月の満月の夜、タイ国では美しい水の祭典が行われます 、今年は10月31日に当たり、ローイクラトーンと呼ばれんる水 に感謝を捧げるお祭りがタイ全土で祝われました。 4月のタイ正月に次ぐ祭日です。
リーダー格が拘束されたこともあり、勢いを失い、多少穏やかになった暴 徒の集会はさておき、人々はバナナの茎と葉に蓮などの花で素敵に 拵え、ローソクと線香を点した灯籠を手に水辺に赴き、感謝と願い を込めて河面に浮かべました。夜の水辺に流れる光る灯籠、 なんとも美しい光景です。

13世紀スコータイ王朝時代、川からの恵みに感謝し、王妃が美し い灯籠を川面に浮かべ流したのが始まりです。水位が最も高いこの 時期の満月の夜、ローイ(浮かべ流す)クラトーン(灯籠) のお祭りが行われるようになりました。
タイに住んでいると、水=ナム(นำ้)の付く言葉や熟語が非常 に多いことに気付きます。真心を「ナムチャイ(นำ้ใจ) =水の心」、優しい心の人を「水の心を持つ人」と言います。
基本的に農耕民のタイ国の人々、川や運河に沿って生活し、主要河 川を船で行き来して発展して来た国です。水の恩恵を平素に有り難 く思う気持ち、水との深い切っても切れない関わりと意識が、祭典 を身近に感じ祝っているのだと思います。魂の汚れを洗い流し、浄 めるという意味をも含むローイクラトーンのお祭り、安らぎ喜びを 感じ、素敵だな、と思います。
混乱の渦巻く世の中から、天に立ち昇る人々の祈りの燻り… 閉 ざされた天空がパッと開き、魂が命の呼吸をするローイクラトーン の様なお祭り、日本の巷でも楽しめるのではないでしょうか。
(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)
⁂写真は、タイ観光庁のものを使用しました=「カトリック・あい」







