・Sr.阿部のバンコク通信㊿ クリスマスが近づくと思い出す…

  バンコク都心のクリスマスムードは実に美しい。救い主の誕生を祝う音楽がジャンジャン流れ、夜はイルミネーションで素敵に輝く街並み。仏教国タイでも経済成長の波に乗ってクリスマスが祝われ、意味を知らずとも、贈り物やケーキを用意し、家族や恵まれない人に思いを馳せる良き日になっていて、うれしことです。

 ところで、所属するセントマイケル教会のクリスマスに、十数年前、こんな出来事がありました。クリスマスに近いある夕刻、日ごろ親しくしているN信徒が、5歳ぐらいの男の子を連れて「シスター、僕の子供です」と修道院にやって来ました。体格のいい目のクリッとした子、N氏が関係を持った女性の子、ハッとしました。でも、その子には何の罪もありません。何事も無かったように、その子を囲んで親しいひと時を過ごしました。

 その1か月後、N氏はフィリピン人の奥さんと車で移動中に突然帰らぬ人となりました、泣き伏す奥さんと病院へ。全速力で生きた濃密な47歳のN氏の生涯でした。

 彼は、フィリピン留学中に出会った愛しの人、お姫様のような奥様と結婚し、2人の男の子を授かりました。料理でも何でもこなし、教会でも大活躍、いつも若者に囲まれた賑やかな家庭でした。私たちも、この界隈に来た当初から大変お世話になりました。編集の仕事をゼロから始められたのも、N氏のお陰です。

 ただ、彼にも大きな問題がありました。立派な奥さんと家族がいるのに、若いタイ人女性と関係を持ってしまい、幸せな家庭に影が差し、奥様は同郷のフィリピン人の姉妹に苦しみを打ち明け、祈りを頼んできたことがあったのです。

 そして、N氏の通夜と葬儀。奥様を支える2人の頼もしい青年の傍には、5歳の男の子と若い母親の姿がありました。奥様は、「シスター、主人が『ごめんなさい』と謝って、この子を連れてきたの。自分の形見を残して亡くなったのよね」と語ってくれました。その後、男の子と母親は家族のように受け入れられている様子を目にしました。男の子はN氏を偲ばせる青年に成長し、母子とも教会で活躍しています。

 天に旅立ったN氏の事、毎年クリスマスが近づくと思い出します。誰にも肩身の狭い思いをさせずに受け入れられるイエス。大変な状況の中で、厩に誕生する救い主イエスを、心よりお祝いいたしましょう。皆さん、Merry Christmas!

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

 清水神父の時々の思い ④母と自転車

  小3のとき自転車の練習を始めた。補助輪もない大人用の自転車だったのでなかなか上達しなかった。「みんな、転びながら覚えるんだよ」という母に、荷台を押さえてもらいながら、「持っててね、絶対持っててね」と怖がると、「持ってるよ。離さないよ」。いつも背中に母のやさしい声がした。
あるとき気づくと、母の声が遠くに聞こえた。「持ってるよ~。離さないよ~」。このウソに励まされ、いつの間にか自転車に乗れるようになった。・・・
(武熊敦子=当時33歳 茨城県=「DUSKIN 95. No.300」より)

 その昔、校長室に舞い込んできた営業用チラシのこの文章が気に入った。親の、教師の教育姿勢はかくありなんと思わせる文章だったから。助けが必要な子に援助の手を差し伸べる。当然のことである。見せて、支えて、やがて手を離す。そのタイミングが難しい。

 ごくふつうの母親が、絶妙に教育原理を会得していて、読み返しても楽しい。

 教会の在り方にも通じるものがある。明治以来のキリスト教会は宣教師の献身的な働きに依ってきた。私は先輩宣教師たちの心意気に感心する一人である。生活習慣が全く違う。人々はチンプンカンプンの言葉をしゃべる。何よりも、目刺とタクアンと納豆の生活に甘んじなくてはならない。ある人は、生涯を懸けるだけでなく、全資産を投じて、貧しい信徒のために尽くされた。それらの先人に感謝しつつ、私はひとつのことに残念さを覚える。パターナリズムである。<善き父親>として面倒をみる。それはとても有難い。が同時に、自転車の手を離すことも必要であった。自分たちでこぐために。

 そのわけで、現代の日本の教会は受けることに慣れきっている。神父が何かをしてくれることを期待する。教会が考えてくれると待っている。しかし、自分たちでできることまでも保護と援助を求め過ぎる。

 キリシタン時代は違っていた。1640年ころ、幕府の厳しい締め付けのなかで、パーデレたちは消滅した。もう自分たちのところに来てくれない。その時浦上の孫右衛門は教会の壊滅を案じたと言われる。釣り仲間の七郎左衛門に相談したいが、彼が今も信仰を守っているか分からない。下手に話すと、役人の御用になりかねない。長い試案の末、孫右衛門は決心する。話そう。相手がつべこべ言うなら、ぶった切って、自分も死ぬまでだ。

 ここまで腹を決めて話すと、七郎左衛門は「実は俺もそのことを考えていたんだ」。確信したふたりは村人を訪ね回って、信仰を確かめ、組織固めをした。歴史上の帳方・水方・聞き役などが整備されたのはこの時だと言われる。信徒が、信徒に教え、導き、励ましたのだ。

 2016年9月に着座された白浜広島司教は「カテキスタ養成」を本気で訴え始めた。カテキスタ構想の具体化は今後のこと。ではあるが、これは信徒が自分たちで学び、教え、運営するというリーダー養成に関係する。もうおねだりばかりはできない。 (了)

(清水弘=イエズス会士、広島教区・益田・浜田教会主任司祭、元六甲学院中高等学校長)

 清水神父の時々の思いⅢ「ゴキブリを食べた先生」

 1 おったまげた生徒たち

    ゴキブリを食べるのは異常である。しかし、食べた人物がいる。それも、わがイエズス会の六甲学院のS先生であった。何が、どのように起こったのか。

    私がまだ若い教師だったころ。数年後に新卒の先生がやってきた。K有名大学で生物学を専攻していた。生物学といっても研究室でおたまじゃくしを観察する類のものではない。昆虫の生態観察といったものだろうか。ボルネオやマレーシア、フィリッピンなどのジャングルに分け入って行うフィールドワークなのだ。

    この先生の一年目。中一の生物を担当することになった。その最初の授業。「お前たち、いいものを見せてやろうか」生徒は何だろうと興味をもった。「ただし、条件がある。見たことを家の人に絶対話さないこと。約束するか?」生徒たちはいっせいに答えた、「約束します!」。  それでは、と言って先生はゴキブリを取り上げた。「ゴキブリです。今からこれを食べて見せます。」「ひえー!」とかれらは声を挙げた。その瞬間、先生はむしゃむしゃとゴキブリを食べたのである。かれらは度肝を抜かれた。目をまんまるくし、ある者はぽかんと口を開けたままだった。

 その後、何が起こったか。その日のうちにすべての親がこの事実を知ったことである。・・・
生徒たちは約束を破るつもりは毛頭なかった。しかし、約束よりも<驚き>の方が強かった。彼らは衝撃の出来事を黙っていられなかったのである。

    人は驚きの出来事をしゃべらずにはいられない。エミリ・ディキンソンという米国の詩人がいる。その父親はアマースト大学の理事であった。ある日、夕日の美しさに感動して、鐘楼の鐘を鳴らし続けたそうである。美しいものに感動したとき、やはり人は黙っていられない。

2 感動が伝わる

    2017年10月、ローマからフィローニ枢機卿が来日され、各地で講演をおこなった。彼が繰り返したのは、「すべてのキリスト信者は、宣教する務めがある。」ということであった。務めは<義務>を想起させる。義務では、しかし、信仰は伝わらない。伝わるのは、あの生徒たちやエミリの父親のように、おったまげたり、耐えられないほどの美に感動した時なのである。私たちにそういう信仰の感動があるか?

  聖書の中で感動しているのは誰か。イエスの弟子たちである。ヨハネ20章19節以下はその感動を伝えている。イエスが十字架上で惨めに息を引き取った時、弟子たちはその係累を恐れて一目散に逃げ散った。やがて誰かの家にひっそりと隠れ、家の戸に<鍵>をかけ、閉じこもっていた。そこへイエスが現れ、彼らはイエスが生きていることを知った。

    復活の出来事である。この時、弟子たちの恐れは喜びに変わった。復活のイエスに触れ、そのイエスから息吹かれた彼らは、もう恐れを知らない。見たこと、聞いたことを黙っていられないのである。ペトロは扉を開けて、つい最近まで恐れに恐れていた群衆を前にして、この復活のイエスについて語りだす。もう恐れはない。もうぶれない。ただ、あの復活の命にふれた感動を語っているのである。宣教とはそういうものだ。 (了)

 (清水弘=イエズス会士、広島教区・益田・浜田教会主任司祭、元六甲学院中高等学校長)

 清水神父の時々の思いⅡ「アリ社会の不思議」

まじめアリとさぼりアリ

 アリ社会の仕組みについて今ではすっかり有名になってしまった。イソップ物語のせいもあるが、アリたちは働き者と思われてきた ところが、と現代の生物学者たちは言う。働くのはほんの一握りで、他のアリはサボっているのだそうだ。どうしてそう言えるのか。
学者たちは、アリ社会全体を見て、働きアリを選り分けて群れから取り除く。すると、サボり組の中から働き者が出現するのである。反対の実験ではどうか。群れの中から怠けものだけを取り除く。すると、残るのはマジメさんばかりのはずである。ところが、マジメさんの中からサボりさんが現れるという不思議。これが本当であれば、そして本当のようだが、創造の神さまのご計画の中では、マジメさんとサボりさんがひとつになって、社会の調和が保たれる、ということのようである。

 うらみっこなし

 昨年の秋、私は上石神井の黙想に家で8日間の祈りの指導をしていた。朝もひんやりとするほどの晩秋であった。朝食のあと、祈りの家の周辺を散歩していると、道端に真新しいアリ塚がいくつか目に留まった。巣の周りをせわしげに動き回っているアリたちはむろん働きアリ。地下の休憩室ではサボりさんたちがTV見て、のんびりと過ごしているに違いない。不思議なのは、だからと言ってマジメさんたちは不満そうでもなく、けんかを吹っ掛けたりしないことである。

 武者小路実篤だったと思うが、「かれはかれ。われはわれなり。されど仲よき」という言葉を残している。アリ社会は私の眼にはそんなふうに映る。彼は彼。我はわれ。そして仲良き。マジメがいて、サボりがいて、そして調和がある社会。果たして、人間の社会は・・。

 一つの体、それぞれの役割

 パウロは1コリント12章で人間社会の在り方を述べている。私たちはみんなで一つの体を構成する。その部分はそれぞれに違っている。目は鼻ではない。頭は足ではない。手は耳ではない。みんな違っていて、ひとつである。違っているのはそれぞれの役割。ひとつであるのは体を活かすという共通目標。各部分が違わなければ生きられない。生きた体はbodyと表現される。

 各部分は肢体、すなわち、member と表現される。一人ひとりは生きた体のメンバーなのである。ある部分がよく生きれば体全体も生きる。ある部分が痛めば、体全体が痛む。こうして互いに関わり合って、支えあって生きるのが我々の社会、体なのである。それならば、無理に同じになろうとせず、私は私になる。彼は、彼女はその人になる。こうしてみすゞのことばは意味を帯びてくる。「みんな違ってみんないい」

(清水弘=イエズス会士、広島教区・益田・浜田教会主任司祭、元六甲学院中高等学校長)

 清水神父の時々の思い「われら不完全なれど」

聖体拝領の行列変更
ちいさな教会はともかく、中程度以上の教会ではよく見られること。司式司祭と聖体奉仕者が並び立って聖体授与の奉仕をする。その時、ある人たちはさりげなく行列変更をする。言わずもがな。司祭の手から拝領しようとして、司祭の列に紛れ込むのである。その心は何か。その心は〈司祭からの方が有難味がある〉。司祭の方が有難い、と思う理由はいくつかある。まず、神に身を献げている人である。長いこと哲学を学び、神学を学んでいる。結婚もせず、したがって家庭も持たず、みんなのために尽くしている。貧しく生き、めったに怒らない。

美しい幻想
信仰の側に立ってみれば、それは美しい幻想ともいうべきこと。なぜなら、受けるご聖体は等しく<キリストの体>であるのだから。司祭も奉仕者もキリストを与えるべくお仕えしているのである。神学の知識があるとか、結婚しているかいないかが重要でなく、「与えられるご聖体がキリストだ」ということ。ここが大切である。奉仕者は生活者として、長年磨かれた人である。

 だから、自分の列から人が去って行っても忍耐をもって、堂々とご聖体配りをするのが望ましい。「忍耐は試練に磨かれた徳を生み、その徳は希望を生み出す」(ロマ書5:4)のです。キリストは弟子の養成に当たって、この人たちが不完全で、ヘマをすることは初めからご存知でした。あわてんぼうのペトロを見れば一目瞭然。失敗に失敗を重ねるペトロ。その人に向かってイエス様は「お前さんは教会の土台。お前さんに天国の鍵を授けよう」(マタイ16:19)と無謀ともいえる大胆さです 弟子の失敗に耐えるイエスの忍耐をこそ思いみるべきです。

弱くても司祭
<ゆるしの秘跡>も然り。司祭は「私は父と子と聖霊のみ名によってあなたの罪をゆるします」と言う。縮めると「私は・・・ゆるす」となって、司祭がゆるすかのような錯覚に至る。ゆるすのは司祭ではない。司祭は「み名によって」あなたの罪をゆるすのである。み名に繋がってゆるす。司祭がゆるすのではなく、神がゆるす。司祭はそのゆるしの(道具)に過ぎない。

 司祭にもいろいろな弱さがある。ミサに遅れる。怒りっぽい。挨拶を返さない。決断できない。・・・しかし、それでも司祭なのである。ゆるしにおいても、司祭は恵みの給水管であって、救いの恵みを届けるために身を捧げたいと願ってはいるのだ。願ってはいるが、まだ実現できていないということである。神は、キリストはそういう不完全な者を救いの業の協力者とされる それゆえ、聖体奉仕者は何人かが自分の列から逃げるとしても、それをこらえて奉仕するのが望ましい。

 (清水弘=イエズス会士、広島教区・益田・浜田教会主任司祭、元六甲学院中高等学校長)

 清水弘神父のひとこと「ハーモニー」           

 

  もう一度生まれるなら・・・。女子であれば幼稚園の先生になりたい。男子なら、神父でよい。どちらであっても音楽を学んで表現できるようになりたい。

    大学院の時、創設された奨学金が当たったので、すぐにフルートを買った。音楽院を見つけてレッスンを受けることにした。そこで先生に、「僕でも先生みたいなプロになれますか?」と聞いた。先生は即座に答えた、「そういうことは考えない方がいいでしょう」。司祭の道が決まった瞬間であった。

 実は音楽についてはずぶの素人であるが、最近は音楽への感性が高まっているのを感じる。ハーモニーというものに目覚めたからであろう。スーザン・ボイルとエレーヌ・ペイジ、サラ・ブライトマンとアンドレア・ボチェリ、古くなったがABBAもよい。

    内田光子さんや辻井君もよく聴く。あの人たちの醸し出すハーモニーが素晴らしいのである。辻井君はその典型である。彼は見えないゆえに聴きながら演奏する。力いっぱい自分の表現をするが、必ず聴きながら行う。ここに感動を呼ぶ要素がある。

    数人の室内楽でも、何十人というオーケストラでも、合唱団でも、みんな精一杯に自分のパートを表現する。自分を表現しながら他のパートを聴いているのである。それでないと美しいハーモニーは生まれない。一人ひとりが自分を精いっぱいに表現すること。一人ひとりが周囲を全身で聴きあうこと。その中に和が生まれ、生きようとする気力がみなぎる。一人の教え子は大学を中退して音楽の道に進んだ。研修に出た米国から書いてきた手紙には次のようなことばがあった。

  「音楽を通して自分が求めているものは、ある素晴らしく充実した時間、瞬間なのだろうと思います。それを通して、はじめて自分が生きることができるような気がします」

    若い音楽家たちとの演奏活動を通して、彼は生きることの意味を実感していると言える。みんなが自分を表現して、しかも他人を聴き合う。この極意は社会生活にも教会生活にも通じていて、教会がそういう充実の輪を推し進めることができれば素晴らしい。

      自分を力いっぱい表現すること。周囲を全力で聴き合うこと。そんな願いを胸に島根県に赴きます。宇部・小野田の皆さん、3年間の友情を有難うございました。それぞれの場所で〝賛美歌″を歌い続けましょう。

(しみず・ひろし・イエズス会司祭  )(カトリック広島教区・宇部ブロック報2017年3月号より転載)

清水神父・四国遍路

160812清水遍路2

 イースターのあとで3か月のサバティカル(充電休暇)をもらうことができた。二つの計画を立てた。ひとつは四国遍路。もうひとつは英国にて<個人指導による霊操>のトレーニング。予定になかったこととして熊本のボランティアを一週間行った。

 ここでは遍路について振り返ってみたい。白装束に笠、そして杖を手にして出発したのは4月1日。歩くうちに分かったこと。白装束は死に装束を表している。(この世)に死し、死んだ者としてこの世を通ってゆく。笠も同じ。社会的立場も名前も覆って、ただの人、顔の見えない人としてこの世を歩んでゆく。(この世)を歩むが、実は(あの世)の人である。

 あの世の人として歩むとき、この世の人々の哀しみが映ってくる。重荷を負い、傷ついて

いる人たちの顔。救いを求めてうめいている人たち。巡礼者はその人たちの救いを念じて歩むのである。遍路の路は楽ではない。必死で登らなければ先へ進めない山道もある。私は途中で野営用のテントを送り返した。その数日後、小間物を入れたサブザックを送り返した。さらに後日、捨てるつもりで持参した古シャツやゴム草履を捨てた。結局、お遍路はギリギリ切り詰めないと渡ることができないのである。

 各寺に着いて私はどう祈ったか。巡礼者たちが本堂前で祈るので、そこから少し退いて

私は三つのことを祈るようにした。・この地を聖としてください。・人々に平和と喜びを与えてください。・特に今日、大きな困難に遭っている人たちをあなたの手で支えてください。

 道中、宿も食料事情も悪かったので4kgばかり痩せ、今もって回復していない。けれども、歩いてよかったとしみじみ思う。巡礼者たちから学ぶことも多かった。ある番所で2~3日ばかりを前後して歩いた婦人がメールをくださった。「私にとって、お遍路は特別な旅でした。」歩いた人だけがそれを実感できる。(了)(2016.8.12)

(しみず・ひろし・イエズス会司祭  – カトリック宇部・小野田ブロック・山口・島根地区養成担当)