・Sr.石野の思い出あれこれ ㉙イタリアから日本へ・”逆カルチャーショック”の中身

 ・Sr.石野の思い出あれこれ ㉙イタリアから日本へ・”逆カルチャーショック”の中身

 イタリアの生活に比べれば修道院の中でも外でも、日本のそれは清潔で几帳面で気持ちがよい。修道院の中では、規則はイタリアも日本もほぼ変わらず、それほど気にもならなかったが、いったん外に出ると、度を超して、窮屈に感じられる点も多々あった。

 6車線の広い道路、自動車一台通っていないので、横断していたら、どこかで笛を吹くのが聞こえた。ふと振り返ると、交通巡査が笛を口に当てたまま、手で私に「引き返せ」と合図をしている。「なぜ?」と思ったが引き返した。「ここは横断歩道ではない、横断歩道を渡りなさい」と仰せ。「一台の自動車も通っていないのに?」と、首をかしげながら、かなり離れた横断歩道まで歩いてから道を渡った。イタリアにも横断歩道はある。でも、どこでも横断できたのに…。

 地下鉄の中「…事故のため、3分ほど遅れて出発しました。お急ぎのところ、大変ご迷惑をおかけして申し訳ございません」と車内放送。「誰が急いでいるの?出勤時間でもないのに。静かにしてよ」と言いたくなってしまう。

 最近は、この車内放送も大分、少なくなったように思えるが、それでも続いている。イタリアでは、列車が2時間遅れても、何の放送もなかった。それがよい、と言うのでは決してないが、困ることだってある。手を取り足を取りと、親切が過剰になると、うるさくなる。

 イタリア人の「細かいことにこだわらない、おおらかな人間性と、ちょっとだらしのないところもあって、ぬるま湯につかっているような生活」から、急に「熱いお湯につかるような東京の生活」に戻った私は、いささか目を白黒させた。

( 石野澪子=いしの・みおこ=聖パウロ女子修道会修道女)

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2020年11月30日