・菊地大司教の日記「カトリック東京ボランティアセンターの活動に感謝!

2021年3月31日 (水)

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 3月31日、年度末です。東京の桜は散り始めており、復活祭まで持つかどうか微妙となりました。

 さて、3月31日をもって、10年間活動を続けてきた東京教区のCTVC(カトリック東京ボランティアセンター)が、その活動に幕を下ろしました。東日本大震災発生直後、首都圏からの支援活動を円滑に行うために発足したセンターは、日本の司教団が、震災から10年となるこの3月でいわゆる「オールジャパン」の支援体制を解除することに伴い、終了することになりました。

 わたしの手元には、10年前の4月22日付けで、当時の東京教区補佐司教であった幸田司教様から送付されてきた、CTVC設立趣意書のメールが残っています。そこには次のように記されています。

「東京教区内では、これまで真生会館学生センターとJLMM-日本カトリック信徒宣教者会などが窓口になり、仙台教区サポートセンターを通して被災地にボランティアを派遣してきました。このような活動をひとつにまとめ、教区として、また、ひとつの教会として力を結集させ被災地を支援していくため、2011年4月24日の復活祭の主日に、「カトリック東京ボランティアセンター(CTVC)」を設立いたします」

 それから10年。六本木のフランシスコ会聖ヨゼフ修道院に一室をお借りして続けられてきた活動は、幸田司教様が責任者を務め、その後は福島のカリタス南相馬設立につながりました。

 CTVCが終了しても、東北への支援が終わるわけではありません。教皇様が東京での被災者の集いで指摘されたように、「息の長い」かかわりが必要です。幸田司教様は、この数年は南相馬の住人となり、現地からの支援活動をカリタス南相馬のスタッフと共に続けておられます。東京教区としては今後、それぞれの場から、すでにある現地との繋がりや、カリタス南相馬を通じた繋がりを持って、東北との関わりを持ち続けたいと思います。

 これまでの10年間、CTVCの活動に関わってくださった皆さん、特に事務局を担当してくださった皆さん、またその活動に加わったり支援してくださった皆さん、本当にありがとうございました。10年の活動は教区に多くの宝を生み出したと思います。その宝をさらに育てていくことが出来るように、努めたいと思います。

 同様に、わたしが担当司教でもあった司教協議会の東日本大震災復興支援室も、その活動を終えます。もっぱら活動の調整作業でしたが、なかでも関係者間の情報共有のための大阪教区の支援で立ち上げたメーリングリストは、今日までに8700通ほどのメールで情報が共有されました。毎日、各地のベースからは活動報告が送付され、それは今日まで続いてきました。そのメーリングリストも、今日で閉鎖され、仙台教区が新しく立ち上げたネットワークに引き継がれていきます。

この10年、関わってくださった皆さんに、感謝します。

(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)

2021年4月1日

・Sr.阿部のバンコク通信(54)復活祭!”ゴールデンシャワー”降り注ぐタイ正月

   亜熱帯地方のタイは、ただ今気温上昇中。これから暑い季節に入り、復活祭と、水を掛け合って祝うタイ正月が訪れます。

 「ソンクラーン」と言って、4月13~15日がタイ国のお正月に当たり、復活祭と前後又は重なり、聖金曜の大斉の日に当たることもあります。その時は国を挙げてのお祝いに、教会共同体も順じ、正月を祝いご馳走を楽しみます。

 タイの自然界も熱い太陽の陽射しを浴びて、亜熱帯の果物が店先に並びます。不思議な姿形、色鮮やかな果物、『神様、よくもまぁ考えたもの』と感動しながら味わっています。ランプターン(タイ語でグォ)などは、ミヒャイル•エンデのモモのモジャモジャ頭を赤くしたみたいで、本当に面白い。「God must be crazy」 と叫びたいです。ライチのようなフルーツ「ランブータン」が人気を集める理由。 (オリーブオイルをひとまわしニュース) - LINE NEWS

 それと美しい花々、特にタイの国花の「ドークラーチャプルック(王様の樹)」は見事です。黄金色の藤の花、英語の呼び名のゴールデンシャワーの如く降り注ぎます。和名は「ナンバンサイカチ(南蛮皀莱)」、日本では沖縄に見られるようです。(左の写真は、私の属しているバンコクの聖ミカエル教会のもの)

 1951年植林の日、農業省の提案で、木葉花実とも薬用として有益なこの木を、国民の健康のため植え始め、1963年に国花と制定されました。「国王の」と呼ばれるのは、プーミポン前国王の誕生日の色で、美しい鮮やかな黄色の花。国民からたいそう親しまれ愛される花だからです。

 在位60周年記念には9万9999本植樹されました。9は「カーオ」と発音し、「前進」の意味もあり、縁起がいい数字で、吉祥儀式の勲功授与に使用する器具もこの木で作られます。タイ国の至る所に植えられ、親しまれる強い大木です。

 日本は美しい春、タイは青空に黄金色に輝くゴールデンシャワーの下で、主のご復活祭、おめでとうございます。天からのゴールデンシャワーを浴び、新型コロナウイルス大感染の渦中からの解放、前進を心から念願しております。

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2021年4月1日

・三輪先生の時々の思いⅡ④「孟母三遷の教え」に従ったのかな

    孟母三遷の教えに従ったのだろうか。吾が父三輪義治は私が0歳、姉昌子が1歳の時、東京に出て、まず芝公園一番地、次いで神田神楽坂、最後に小石川区第六天町13番地に居を定め、表に林野を駆ける猪が巾着の形をした直径が最大4センチの金属板の迷子札に裏書を「小石川区第六天町十三 三輪公忠」としていた。それと一緒に表は「竹林の猛虎」の図、裏に松本中町三輪義治と刻印した小判型の銅板が吊るされていた。三男で末っ子の私を特にかまってくれたという記憶のない私には、そこはかとなく父親らしい愛情が想起されるよすがとなっている。

  この第六天町の借家は、下見板張り総2階立てで、花崗岩の高さ6尺ほどの門柱に「第六天町十三」と記した瀬戸物の表札を付けていた。戦後もだいぶ経った頃、妻恵美子と一緒に、そこを訪れた事がある。秋だったろうか、小春日和ののどかな午後だった。 大通りのクリーニング店で道案内をしてもらいたどり着いたのだったと思う。其処には戦後新築のサッパリした二階屋が建っていた。空襲で焼失した後に建てたものだろう。しかし門柱は戦前のものに違いなかった。

 車一台はらくらく通行できる住宅街の小路だが、門前は最後の将軍徳川慶喜邸の正門だった。毎朝、女子学習院に通われるお姫様お二人を乗せた車が門をくぐって出て行った。そのお屋敷の家令は軍艦の艦長もしたことのある退役海軍大佐で、なんとお名前を「三輪修三」といった。同姓であることが偶然にしろ何かの縁で元将軍慶喜公につながっているようで、何となくホンワカとする認識だった。

 榊原喜佐子『徳川慶喜家の子ども部屋 (草思社、1996)』の帯に「…小石川第六天のお屋敷で…」とある。最後の将軍から4代目、曾孫の徳川慶朝著『徳川慶喜家にようこそ』(集英社、1997 )には「この第六天の屋敷は広大で、その精密な図面を見ただけでは、その全体像を思い描くのが至難の技だ」と書かれている。さもありなん。榊原さんの著書の見開きに掲載されている徳川慶喜邸見取り図(昭和初期ー20年頃)はその広壮さを印象付ける。

 私が目撃したのは、戦後もだいぶ経った頃で、そう「もはや戦後ではない」と言われた昭和も終わり平成の御代になった頃だったろうか。この屋敷跡はただ広大な更地だった。たとえただの一時にしろ、その門前のしもた屋に住まった者として「借家してみたら、偶然にもそれが最後の将軍家の屋敷の相向き合いだった」などと言う事で良い分けがない。孟母三遷の教えに従った父義治の選択であったはずだ。こう考えた時、普段何となく関わりが希薄に思われていた父義治の優しさが、スキンシップのぬくもりのように感じられるのだった。

 そう、孟母三遷だ。東京は初めに芝公園1番地、次いで神楽坂、そして3番目が第六天町だったわけだ。其処に父母とすぐ上の姉昌子1歳と0歳の私が住まったのだ。父は証券取引を生業とする考えを一時抱いたらしく、その修業に上京していたと聞いたことがある。父が会社から帰宅すると、昌子と私が玄関に並んで座って「お帰りなさいませ」とお辞儀をして迎え入れたそうだ。そう母から聞かされていた。ほんの数か月、半年か、丸一年なんて長い事ではなかったらしい。

 兄弟男3人に女2人の内で、東京帝大出身で文部技官になったの長男陽一を除き、キャリアと住まいを東京にするようになったのは私1人だったというのは、「孟母三遷の教え」の効果が、私にだけ顕現したものだろうか。芝公園1番地、神楽坂、そして第六天町と。

 第六天町では住宅街の小路を挟んで最後の将軍徳川慶喜邸の正門に対していたのである。そしてその頃は慶喜公の御孫さんたちが学習院に車で送迎されるのを目撃していた筈であった。

(2021. 4 .1記)

(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所長、プリンストン大博士)

2021年4月1日

・竹内神父の午後の散歩道⑤出来事としての「復活」

・竹内神父の午後の散歩道⑤出来事としての「復活」

 「口でイエスは主であると告白し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです」(ローマの信徒への手紙10章9節)。パウロの後半生は、一つの出来事に始まります-それは、復活したキリストとの出会いです。それによって、彼は、根本的に変えられました。12人の弟子の一人であったトマスもまた、同様でしたー「私の主、私の神よ」(ヨハネによる福音書20章28節)。トマスの新たな生活が、始まりました。イエスの招きは、簡潔です――「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」(20章27節)。

*信じるということ

 信じる心ーそれは、単純で透明で、しなやかな心。信じること(信仰)と理解すること(理性)は、決して矛盾・対立するものではありません。むしろ、両者は、人間の中心において一つとなります。どちらかに偏るとき、問題は生じます。信仰が単純であればあるほど理性は深まり、信仰が透明であればあるほど理性は堅固になり、信仰がしなやかであればあるほど理性は普遍的になります。

 それでは、いったい、何を信じるというのでしょうか。端的にいえば、それは神です。

 しかしながら、この表現は、ある人々にとってはあまりにも抽象的で、実感のわかないものかもしれません。しかしもし、神とは‶いのちそのもの〟であると言われたら、どうでしょう。復活は、抽象的な論理の産物ではありません。一つの出来事です。

*新たな命へ

 「身体の復活、永遠の命を信じます」ーこれは、私たちの信仰告白です。永遠とは、時間・空間の枠組みを超えるもの。そして、復活は、この永遠という相において初めて理解されます。言い換えれば、復活は、信仰の対象であって分析の対象ではありません。復活という出来事が正しく理解されるために求められるもの、それは、信仰の目であり、その心です。

 死は、確かに、一つの別れです。それゆえ、それは、私たちにとって悲しい出来事であることは事実です。息を引き取ることは、一つの‶区切り〟です。しかしその区切りは、それによって、その前後がまったく無関係なものとして断絶されてしまう、といったものではありません。

 むしろ、それは、ある種の質的な転換点です。「信じる者にとって、死は滅びではなく、新たな命への門であり、地上の生活を終わった後も、天に永遠のすみかが備えられています」「葬儀ミサの叙唱」)と私たちは祈ります。この世での死は、命の終焉ではなく、一つの通過点。そのことを(そうだ)と受け入れること、それが信仰なのではないか、とそう思います。そのとき、死は、恐れの対象ではなくなります。

 かつて、マザー・テレサはこう語りましたー「もしも、死は神の家に帰ることだ、と正しく説明されれば、死を恐れることなどなくなるのです」(『マザー・テレサ 日々のことば』)。
命への復活イエスは、私たちを、永遠の命へと誘います。この点にこそ、彼の人生の意義はありました(ヨハネによる福音書6章38-40節参照)。

 このイエスを通して、「神の掟」は与えられます。それは、「神の御子イエス・キリストの名を信じ… 互いに愛し合うこと」(ヨハネの手紙一3章23節)です。ここにおいて、信じることと愛することとは真に一つとなります。イエス・キリストは、水と血によって来られた方(5章6節)。すなわち、彼は、洗礼と十字架を通して、自らが‶いのちそのもの〟であることを示されました。

 そのことを証しするもの、それが、聖霊です。

(竹内 修一=上智大学神学部教授、イエズス会司祭)(聖書の引用は「聖書協会・共同訳」による)

2021年3月31日

・愛ある船旅への幻想曲 ②「成熟」

 あるシスターが私に言いました。「信徒と集まりを持つ時は、 必ず、聖書をそこに置きなさい」。

 信徒として当たり前のことかも知れませんが、私の心には、この言葉が強く響きました。シスターは、いつも通り、凛とした姿勢、私を見つめる眼差しは愛に満ちあふれていました。

 思い出話の中にも厳しさを持ち、時に「そうだったわねぇ、覚えてますよ」とまた、私を見つめる…。私の思いを聞きながら「それでいいのよ」「わかってますよ」と、何度も深く頷き賛同してくれる。決して私に「あなたは間違っている」とは言わなかったのです。

 それゆえ、私は余計に涙が溢れ出る… 信仰についてお互いにためらうことなく思いを話し、前向きな会話が続きました。そして、言ってくれました。 「あなたの霊名の祝日には手紙を送るから…」と。

 でも、今、その手紙を私が待つことはありません。あまりにも早くシスターは旅立たれました。私には、一切病気の弱音も吐かず、時間を気にする私に「まだ大丈夫だから。大丈夫、大丈夫」と、席を立とうとされなかった シスターの包容力は愛の証 本物の成熟した愛・福音を教えてくださいました。そして、葬儀ミサに私が参列できる状況さえも、シスターは準備してくださり 、「三位一体の神」を私に立証されたのです。シスターと私は”女性の 教会への思い”で、同じ船に乗っていました。

 典礼暦は毎年同じことが繰り返されます。 その時の”み言葉”から 私たちの信仰は、成熟へと進まねばなりません。昨今コロナ禍の中、教会に出向かず、家で祈りを捧げ、み言葉を心に刻む時、聖書の捉え方に変化があることに、私は気付きます この世を創造された神の愛は今、私たちに試練を与え、耐えること、待つことを教えます。そして、一信徒としてこの状況でのカトリック教会について考えさせられます。

 教会の大きな典礼を司るとき、司祭だけでなく、信徒の協力が準備の時から必要です。昭和の中頃までは、女性は家にいることが多かったと思います。各町内会も婦人会全盛時代でした。教会もご多分に漏れず、婦人会の力が大きかったです。その方々の教会への働きがあったことで 随分と司祭方も信徒も助かったことでしょう。

 今の教会運営においても、すべての維持に関して、高齢者の方々の協力は不可欠です。そんな中、社会は「婦人」から「女性」という言葉に切り替わり、男女共同参画社会実現へと努めています。女性が社会へ進出することで 教会内の動きも考えねばならないでしょう。

 人間として「成熟」の結果、自立性の高い信徒が生まれ、現在の教会に対して固定観念に捉われない新しい姿勢が生まれるのかもしれません。

(西の憂うるパヴァーヌ)

2021年3月31日

・Sr.岡のマリアの風 (62)聖ヨセフの「並外れた普通性」~世界召命の日メッセージから~

    教皇フランシスコは3月19日、聖ヨセフの祭日に、今年2021年の世界召命祈願の日のためのメッセージを出しました。(世界召命祈願の日は復活節第四主日[善き牧者の主日]で、今年は4月25日に当たります)

  メッセージの中で教皇は、聖ヨセフの姿を見つめながら、キリスト者の召命、特に司祭と奉献生活者の召命について語っています。(以下、教皇の言葉は試訳です)

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 最初に教皇は、聖ヨセフが、周りの人の目には何の特別な才能も持っていない、身近な「普通の」人でありながら、神の目には「際立って」いたことを強調しています。

 教皇フランシスコは、「偉大な普通性」、普通の日々の中で、神の目には並外れたことを成し遂げている「身近な、近所の聖人たち」について、好んで話します。ユダヤ教・キリスト教の伝統の中で、信仰の父祖アブラハムから始まって、主はご自分の夢の実現のために、夢も弱さも持つ「普通の人」を選び、協力を求めます。

 世の人々の目には、聖家族さえも「普通の家族」だったでしょう。母マリア、ヨセフ、そしてイエスご自身さえも、普通の身近な存在だったでしょう。彼ら自身も目立とうとはしませんでした。福音書が、イエスのナザレでの三十年間についてほとんど何も語っていないこと、イエスが公生活を始めたときも、ナザレの人々はイエスが「ヨセフの子ではないか、大工ではないか…」と言って躓いたことは、ひじょうに示唆的です。

 「聖ヨセフは、驚かせるようなことはなく、特別なカリスマをもっていたわけでも、出会った人々の目に特別に映ったわけでもありません。有名でもなく、また自分に注目を集めることもしませんでした。福音書には彼の言葉は一つも記されていません。それにもかかわらず、聖ヨセフは、普通の生活の中で、神の目には並外れたことを成し遂げたのです」。

 彼は私たちに「柔和さ」をもって会いに来る「身近な聖人」でありながら、同時に、彼の「強い証し」は私たちの歩みを導くことが出来るだろう、と教皇は述べています。

 神は心の中を見ます。末っ子であったダビデの召命のときのように。そして神は聖ヨセフの中に「父の心」を認めました。「毎日の生活の中で命を生み、再生することの出来る」心。

 教皇は、主はまさに、「父の心」「母の心」を私たちの中に形造ることを望んでいる、と言われます。それは「開かれた心、大きな熱意を持つことが出来、自分自身を惜しみなく賜物として与え、苦悩を慰めることにおいて慈しみ深く、希望を強めることが出来る堅固な心」です。だから今日、「パンデミックにもよる、脆弱性と苦しみに刻印された時代において、特に、司祭職と奉献生活が必要」である、と。

 教皇フランシスコのロジック(理論)の中で、困難な世にあって「父の心」「母の心」―それは何よりも先ず、見返りを求めない「慈しみの心」でしょう―を持つことが求められていて、だからこそ、司祭職、奉献生活が必要だ、ということになります。そしてその模範を、聖ヨセフの中に見ることが出来る、と。

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 それでは、すべてのキリスト者、特に司祭、奉献生活者の模範となる、聖ヨセフの「父の心」はどのように現わされたのでしょうか。教皇はそれをすでに使徒的書簡『父の心で』(2020年12月8日)の中で七つの特徴の中で考察していますが、ここでは「世界召命の日メッセージ」で語られたことを見てみましょう。教皇は三つのキーワードを差し出しています:夢、奉仕、忠実さ。

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 第一に「夢」:すべての人は人生において自己実現を夢見ます、と教皇は指摘しています。さまざまな夢があるでしょう。けれど「もし人々に一言で人生の夢を表すよう問いかけるなら、その答えを想像するのは難しくありません:それは愛です」。「愛こそが人生に意味を与えます。なぜなら人生の神秘を明らかにするからです」。

 しかしその愛は、教皇フランシスコ自身、たびたび強調するように、所有する愛、相手を奴隷にする愛ではなく(それは愛でさえありません)、「自分を賜物として与える愛」です。「実際、命は、与えて初めて持つことが出来ます。賜物として自らを差し出して初めて、真に所有することが出来ます」。個人主義的メンタリティがあらゆるところに(教会の中にも)浸透している世の中で、理屈ではなく、相手がそれをどう受け取るかに関わらず、自らを賜物として与えることこそは、キリストに従う者の真の証しでしょう。

 このことについて聖ヨセフは多くのことを私たちに教えている、と教皇は言われます。「なぜならヨセフは、神が彼にインスピレーションを与えた様々な夢を通して、自分の存在を賜物としたからです」。

 福音書は四つの夢について語っています(マタイ福音書1章20節;2章13,19,22節)。「それらは神の呼びかけでしたが、簡単に受け入れることの出来るものではありませんでした。それぞれの夢の後、ヨセフは自分の計画を変え、自分を危険にさらさなければなりませんでした。神の神秘的な計画に合わせるために自分の計画を放棄しながら」。このようにして彼は、底の底まで、徹底的に、自分を神に委ねました。

 自分の人生を変える決心をするほどまで、しかも迷うことなく従うまでに夢を信じることができるのか、という問いかけに、それは夢自身が現実よりも重要だったということではなく(現実の生活は常に「夢」よりも大切です)、「彼の心が神に向けられていたから、すでに神に向かって開かれていたからです」と教皇は考察します。目覚めている「内的まなざし」には、神の声を見分けるのには小さなサインで十分だった、と。

 私たちは時に、聖ヨセフの「夢」を過大評価することがあります。しかし重要なのは、その奥にある真実、つまりヨセフの心がすでに神の声を聞く準備が出来ていた、神の小さな印をも見逃すことのない「内的まなざし」を持っていた、ということでしょう。ヨセフは夢を見たから神に従った、と言うより、夢の中に神のみ心を感じ取る心の準備が出来ていたのです。

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 そしてそれは「私たちの召命」にも言えます、と教皇は思い起こします。ここでも教皇フランシスコの特徴的な話し方が続きます。「神は、私たちの自由に圧力をかけながら、人目を引く(派手な)やり方でご自分を現すことを好みません。神は柔和さをもってご自分の計画を私たちに伝えます。まばゆく輝くヴィジョンを見せるのではなく、繊細さをもって私たちの内面に向き合います。ご自分を私たちに身近な者とし、私たちの考えや感情を通して私たちに語り掛けます」。

 普通さ、身近さ、柔和さ、繊細さ…すべて、私たちの弱さをすべて知りながら、私たちを真の幸いへと導く、父の慈しみ深い心から来るものでしょう。

 このようにして神は、聖ヨセフにしたように、「私たちにより高く驚くべき(人生の)到着点を提示する」と教皇は考察し、『父の心で』の中で書いているように、どのようにこれらの「夢」がヨセフを「想像したこともなかった冒険」に向かわせたかを描写し、「これらのすべての動転の中で、神のみ心に従うという勇気が、勝利をもたらした」と述べています。

 ここからまた、教皇フランシスコ特有の「言語」が続きます。

 「同じことが(私たちの)召命の中にも起こります。神の呼びかけはいつも、出て行くように、自分を賜物として与えるように、さらに向こうに行くように促します。自分の計画や快適さをわきに置いて、恵みに信頼して身をまかせることによってのみ、人は真に神に『はい』と言うのです」。

 教皇は、あらゆる真の「はい」が実りを結ぶことを強調します。なぜならその「はい」をもって、私たちは「より大きな計画に参与する」からです。私たちの視野は狭いので、その計画の一部しか垣間見ることができませんが、「芸術家」である神は、その全体を知っていて前に進めます。一人ひとりの人生を「傑作」にするために。

 さらに、聖ヨセフの受け入れる態度は決して受身ではなく「積極的」です。彼は「決してあきらめたり降参したりしません」。「ヨセフは、受け身に甘んじる人ではありません。勇敢で強い主人公です」(『父の心で』4項)。この意味で聖ヨセフは、「神の計画を受け入れる模範的なイコン(姿)」です。

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 私たち一人ひとりの召命に、聖ヨセフの姿が示唆する第二のキーワード:「奉仕」。

 福音書から、ヨセフが全生涯を、自分のためではなく、他の人々のために生きたことが浮かび上がります。教皇は、神の民が彼を「最も貞潔な夫(castissimo sposo)」と呼び求めていることを思い起こし、それはヨセフの、「何も自分自身のために取っておくことなく愛する能力」を明らかにしている、と述べています。

 「あらゆる所有から愛を解放しながら、実際彼は、さらに深い奉仕へと自らを開きます。彼の愛に満ちたケア(気遣い)は世代を超え、思いやりのある守護は、彼を教会の保護者としました。彼はまた善い死の保護者でもあります。命(人生)の自己犠牲的な意味(ilsenso oblativo)を具体化することを知っていたからです」。

 けれど、と教皇は言います、「彼の奉仕、彼の犠牲は、さらに大きい愛によって支えられていたからこそ可能だった」と。そしてここで、成熟した召命の「美しさ」を暗示している『父の心で』の7項を引用しています。

 「真の召命はどれも、単なる犠牲ではなく、その成熟である自己贈与から生まれます。司祭職や奉献生活においても、こうした種類の成熟が求められています。召命は、それが結婚生活であれ、独身生活であれ、貞潔生活であれ、犠牲の論理だけにとどまり、自己贈与という成熟にまで至らないならば、不幸、悲しみ、わだかまりの表れになる恐れがあります」。

 教皇は、「書簡」にも書いているように、聖ヨセフの「奉仕」が決して理想に留まらず、「日々の生活のルール」となっていたことを強調します。つまりヨセフは「人生が思い通りにならなくても、くじけない人の態度」と、「奉仕するために生きる人の寛容さ(献身)(disponibilità)」をもって「さまざまな状況に対応しました」。このようにして彼は、多くの、そして予期しない旅を受け入れました。「その都度、新しい状況に対応し、起きたことに嘆く(文句を言う)ことなく、状況を正すために手を差し出すことを厭わずに」。

 教皇は、ヨセフの、この具体的な状況の中で奉仕のために差し伸べた手が、「地上の御子に対する、天の御父の『差し伸べられた手』であったと言うことが出来るでしょう」と言っています。ですからヨセフは、奉仕のために呼ばれたすべての人の模範です。つまり、「ご自分の子らのための、御父の働きの手となること」。

 こういうわけで、イエスの保護者、教会の保護者である聖ヨセフを「さまざまな召命の保護者」と呼びたい、と教皇は言われます。ヨセフの「注意深く思いやりのあるケアは、成功した召命のしるし」、「神の愛によって触れられた命(人生)の証し」だからです。

 教皇フランシスコの「言語」で言えば、ヨセフは、自分の野心を追い求めたり、ノスタルジー(郷愁)によって麻痺させられるに任せることなく、「主が、教会を通して、私たちに託してくださったことをケアする」素晴らしい模範です。もし私たちがそのようにするなら、「その時、神は私たちの上に、ご自分の霊、ご自分の創造性を注いでくださり、ヨセフの中にしたように、驚くべきわざを行われます」。

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 三番目のキーワード:日常の中での「忠実さ」。

 これは、教皇フランシスコが、現代の私たちへの聖ヨセフの姿の意味として、特に強調することでもあるでしょう。普通の日々の、忍耐、沈黙、信頼に満ちた忠実さ。

 「ヨセフは『正しい人』(マタイ福音書1章19節)です。日々の勤勉な沈黙の中で、神とその計画に忠実であることを貫きました。特に困難な時には『すべてのことを考える』ことに身を置きました(20節参照)」。

 聖ヨセフは考え、思い巡らします。「焦りに支配されず、軽率な決断の誘惑に負けず、本能に従わず、刹那的に生きることをせず、すべてを忍耐強く耕し(育て)ました。彼は、偉大な選択に継続的に参与することによってのみ、存在が形造られることを知っていました。それは大工という謙虚な職業を遂行する際の、穏やかで継続的な労苦に対応しています(マタイ福音書13章55節参照)」。

 実にヨセフは「召命が、人生のように、日々の忠実さを通してのみ成熟する」ことを証ししているのです。

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 ヨセフの忠実さは、彼自身の徳である前に、「神の忠実さ」に照らされて育ったものであると、教皇は考察します。彼が夢の中で最初に聞いた言葉、「ダビデの子ヨセフ、恐れるな」(マタイ福音書1章20節)は、恐れることはない、神はご自分の計画に忠実であるから、という招きです。

 教皇は呼びかけます。「恐れることはない」という言葉は、主が、「愛する姉妹、あなたにも、愛する兄弟、あなたにも」向けています、「不確かさや躊躇の中であっても、主に人生を捧げようという望みを、もはや先延ばしすることはできないと感じるときに」。

 教皇は続けます。

 「この言葉は、あなたが、自分のいるところで、もしかしたら試練や無理解の中で、日々主のみ心に従うために戦っているときに、主があなたに繰り返す言葉です。この言葉は、あなたが、召命の歩みの中で最初の愛に戻るとき、再び見出す言葉です。この言葉は、聖ヨセフのように、日々の忠実さにおいて、人生をかけて主に『はい』と言う人に、繰り返し(リフレイン)のように寄り添う言葉です」。

***

 この日々の忠実さこそ喜びの秘密です、と教皇は強調します。「典礼の賛歌が歌うように、ナザレの家には『澄み切った(明瞭な)喜び』がありました」。

 「喜び」ー教皇フランシスコの教導職で何度も繰り返されるこの言葉で、メッセージは締めくくられます。

 「それは、素朴さの日常的で透明な喜び、大切なもの―神と隣人への忠実な近しさ―を保つ人が経験する喜びです。同じような素朴で輝く雰囲気、簡素で希望に満ちた雰囲気が、私たちの神学校、修道会、教区の家々に浸透していたら、どんなに美しいことでしょうか。

 それは私があなた方、兄弟姉妹たちに願う喜びです。あなた方は惜しみなく、神を人生の『夢』とし、自分に託された兄弟姉妹の中で神に『奉仕』しています。つかの間の選択や、喜びを残さずに消えてしまう感情によって刻印された時代において、それ自身すでに証しである『忠実さ』を通して。召命の保護者である聖ヨセフが、父の心であなた方に寄り添ってくださいますように」。

***

 聖ヨセフ特別聖年、始まったばかりの家庭の年に、教皇フランシスコが繰り返す、神の目に尊い「並外れた普通性」の価値を悟り生きる勇気を、聖霊に願いたいと思います。自分の前にラッパを鳴らさず、日々の生活の中で忍耐強く実を結んでいく、主への絶え間ない「はい」を生きることができますように。

(聖書の引用は「聖書協会・共同訳」を使用しました=「カトリック・あい」)

2021年3月31日

・ガブリエルの信仰見聞思⑰「主の名によりて来たる者」を思い巡らす

 3月28日の「受難の主日(枝の主日)」のミサで、第二朗読が読まれている間―「キリストは/神の形でありながら/神と等しくあることに固執しようとは思わず/かえって自分を無にして/僕の形をとり/人間と同じ者になられました……」(フィリピの信徒へ手紙2章6節~11節参照)―なぜか、主イエスがゲッセマネの園で捕らえられる直前に言われた次の言葉が、一瞬頭をよぎりました。

 「私が父にお願いできないとでも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう」(マタイ福音書26章53節)。

 かつて、この『軍団』というのはどういった区分なのかを簡単に調べたことがありますが、当時の帝政ローマ時代では、一つの軍団(ラテン語では「レギオー、legio」)は約6千人の軍団兵(「レギオーナーリウス、legionarius」)編成のものだったと言われます。単純に計算しますと、「12軍団以上の天使」は7万2千人以上の天使ということになるでしょう。

 このように、天使の軍勢が当時の世界最強のローマ軍のイメージに重ねられ、また「12」の数字は、聖書でよく使われる重要な事柄を表す「完成数」(「12部族」「12使徒」など)というわけで、「12軍団以上の天使」とは、「ローマ軍さえもかなわないほどの、数多く力強い天使」ということを表しているでしょう。

 では、さらに考えてみれば、これほどの数の天使が発揮できる総合力をどのようなものになるのでしょうか。イザヤ書には、神を罵り、神の民の滅びを図ろうとしたアッシリア王から神の民を守るため、一人の天使が一晩でアッシリアの陣営で18万5千人を全滅させた、と記されています(37章36節参照)。これも単純計算すれば、一つの軍団の天使が11億1千万人を、十二軍団以上の天使が133億2千万人(今日の世界人口の約2倍)以上を全滅させることができるということになるでしょう。

 すなわち、ゲッセマネの園で、主イエスはその気になれば、それほどの力強く、大いなる守りを御父から得ることができるにもかかわらず、私たちの救いのために、御受難と十字架の道をお受け入れになり、御父から与えられた使命に完全に果たされようとされ、そのような助けをお求めにならなかったのです。

 確かに、主イエスを御自身の意志に反して連れ去るほど、強い人間の力が地球上のどこにもなかったことは明らかです。主イエスが連れ去られることができる唯一の方法は、御自身が連れ去られることをお許しになることでした(ヨハネ福音書10章18節参照)。そのため、主イエスは後に、ピラトに「神から与えられているのでなければ、(あなたは)私に対して何の権限もないはずだ」(ヨハネ福音書19章11節参照)と言われたのです。

 悪霊を追い出され、病人を癒され、死者をよみがえらせた後、万軍の神なる主の名によって来られた王の王、主の主は、軍馬ではなく、子ロバにお乗りになって、聖なる都に入られました。同行者たちは剣ではなく、葉のついた枝を振り回しながら同行しました。その一週間後に建てられた彼の勝利の「記念碑」は、見た目が立派なアーチではなく、人が目を向けたくない十字架でした。

 主イエスの地上での始まりは、恐ろしいほど質素なものであり、その終わりも変わりなく、むしろより酷いものでした。木で作られた飼い葉桶は、木で作られた十字架を暗示しました。最初から最後まで、屈辱的な内容でした。宿屋には部屋がなく、馬小屋の悪臭の中で生まれました。ヘロデ王に追われ、田舎の訛りが濃厚な地方であるガリラヤで育たれた―ペトロは自分の訛りによってイエスの仲間であることがばれました(マタイ福音書26章73節参照)。

 主の弟子たちは、教養や学識のある者ではなく、僻地の下層階級の出身でした。最も親しい仲間の一人が主を裏切ることを申し出たとき、大金を求めませんでした。主イエスの価値は、旧約聖書に記される奴隷の「簿価」の銀貨30枚に過ぎないと見なされていました(出エジプト記21章32節参照)。

 最終的に、ローマの権力者に引き渡されたとき、ローマ市民の犯罪者に通常課される罰の代わりに、主イエスは、征服された民族の奴隷や反逆者にのみ課される刑罰が与えられました―鞭打ちと十字架。この二つの刑罰は、苦痛だけではなく、究極の屈辱を伴うものでした。1世紀のユダヤでは、男性と女性は通常、灼熱の中でも頭の先からつま先まで身を覆っていましたが、十字架につけられた人は、裸にされ、誰もが見られるところに置かれました。

 しかし、これは、暴力と屈辱についての物語ではなく、「究極なる無条件の愛と謙り」についての実話です。それ故、「受難の主日(枝の主日)」に、聖パウロが書かれているフィリピ
の信徒への手紙(2章6節~11節)が読まれています。神なる御言葉は、栄光溢れる天のいと高きところから、御自分の意志で人間の窮地の深みに飛び込まれ、私たちの乱れた世界に入り込まれました。それだけでは不十分であるかのように、主はさらに奴隷と同じような地位をお受けになった。

 主イエスは、御誕生の時も、宣教の時も、死の時も、自ら進まれ身を低くされたのです。誰も主の命を奪うことはできなく、主が御自分の命を自由に捨てられたのです。全ては、私たちのためになされました。

 そうでなければならなかったのです。最初のアダムの「プライド」によって引き起こされた全ての人の「死」は、新しいアダムとなるキリストの「謙り」によって、全ての人が生かされなければなりませんでした(コリントの信徒への手紙①15章21節~22節、45節参照)。「この新しいアダムは『十字架の死に至るまでの従順』によって、アダムの不従順を償って余りありました。」(「カトリック教会のカテキズム」411項)。

 すべての被造物より最初にお生まれになった御子は、御自分を最初のアダムが作られた塵に身を沈められましたが、しかし、御父なる神は御子の謙りに応えられ、すべての王や創造物よりもはるかに高く挙げられました。

 主イエスが御自分のの栄光を共有してくだされるために、私たちを招かれています。まず、私たちも自分自身を謙り、主の栄光に導く道、私たち自分の十字架の聖なる道を歩まなければなりません。

(ガブリエル・ギデオン=シンガポールで生まれ育ち、現在日本に住むカトリック信徒)(聖書の引用は「聖書協会・共同訳」を使用)

2021年3月31日

・ガブリエルの信仰見聞思 ⑯「ナアマン」から小さなことに忠実であることを学ぶ

 先日の仕事の打ち合わせで、進行中のある業務に関連した幾つかの単純で些細な作業を行う必要性について議論がありました。多少の反対意見もありましたが、最終的には全体の業務に貢献し得る効果を鑑み、やはり進めることになりました。この些細な出来事から、小さなことについての意義を改めて気付かされ、考えさせられました。

 「小さなこと」「些細なこと」をするかどうか、気に掛けるかどうかは、考えてみれば、しばしば個人的な価値観や都合、その都度の気分すらなど、様々な主観的な要素に左右されることも多いのではないかと思います。このように、「小さい」と思うことを重要視せず、または無視し、「大きい」と思うことばかりに目を向けてしまう傾向があると思いますが、多くの場合、大きなことは、小さなことの巨大な累積効果によることを忘れてしまいがちです。

 実際、人間関係を含め、世の中のあらゆる物事や出来事は、様々な些細なことや小さなことの積み重ねによって成り立っているゆえに、小さなことの大切さを表現したことわざや名言―例えば「千丈の堤も蟻の穴から崩れる」「小さな漏れが大きな船を沈める」「九層の台も塁土より起こり」「千里の道も一歩から始まる」など―が古今東西で多く存在することは、広く知られていると思います。

 しかし何よりも、主イエスご自身が私たちに、「ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である」(ルカ福音書16章10節)とお教えくださっています。主の御教えに基づいて、聖アウグスティヌスは次のように言っています。「小さなことは(ただ)小さなことだが、小さなことに忠実であることは偉大なことです(拙訳*)」(聖アウグスティヌス著『キリスト教の教え』〈De Doctrina Christiana〉第4巻18章35節より)。(*ラテン語の原文― “Quod minimum, minimum est, sed in minimo fidelem esse, magnum est.”)

 それは簡単そうに聞こえるかもしれませんが、小さなことをするのに、とても難しい時がある、と思います。なぜなら、私たちはしばしば、小さなことが、愚かで、馬鹿げているように見えたり、何の役にも立たない、とすら思えたりするため、考慮することさえしないからです。

 おそらく、小さなことに忠実であるためには、大きな変化をもたらす稀有な力や勇気が必要なのかもしれません。旧約聖書の、預言者エリシャに重い皮膚病を癒されたナアマンの話(列王記下5章1節~15節参照)を思い出します。

 軍司令官であり勇士のナアマンは、患っていた重い皮膚病を癒してもらうために、預言者エリシャのところに行きましたが、エリシャが遣わした僕に「ヨルダン川で七度身を洗えば、体は元に戻り清くなる」と言われました。

 普通なら、不治の病を癒すためにそのような簡単なことをするだけでいいほど、幸せなことはない、と思われるでしょう。しかし、ナアマンはそうは思いませんでした。一国の軍司令官としての彼は、馬鹿にされていたような気持ちに満ち、憤って立ち去りました。

 「我がアラムの王は、私の皮膚病を治すために多くの金、銀、着物をイスラエルの王に贈ったのだ。なぜあの預言者が自ら出て来て、私の前に立ち、彼の神、主の名を呼び、患部に手をかざし、皮膚病を癒してくれないのか」(同11節参照)「なぜ私がわざわざそんなつまらないことをしないといけないのか」「それにしても、七度も同じことを繰り返さないといけないなんて、馬鹿馬鹿しいことだ」と。

 ナアマンはその時、そんな思いで一杯だったに違いないでしょう。しかしその後、ナアマンは、自分のプライドが病の癒しを妨げていることを家臣たちに気付かされ、イスラエルに戻り、言われた通り、ヨルダン川に七度身を洗い、完全に癒されました。

 ヨルダン川に魔法の水があったから、奇跡が働いたのではありません。ナアマンを癒したのは、「勇気を持って自分を低くする謙虚さ」、「理解できなくても信じようとする強い意志」、そして「自分の主観的な思いを重要視せず、些細なことに忠実」であったことだと思います。

 私たちが行う小さなことが重要です。小さなことが大きなことに繋がります。小さなことが力を与えてくれます。ナアマンの場合、彼は一度ヨルダン川に身を洗い、それから二度目、三度目、…そして七度目まで、ずっとしようと決めていたのです。

 聖書には、神様の慈しみの目は確かに、小さなこと、些細なことに向けられていることが多く記されています。これは単に、神様が私たちを愛されているからほかなりません。

 主は私たちをとても愛されているため、日常生活の中のごく小さなこと、ごく些細なことでさえ、主の御臨在が明かされているのです。そのため、小さなことに忠実であることは、大きなことに一貫性のない行動をすることよりも、はるかに価値があるのではないかと思います。

 主イエスは、「心を入れ替えて子どものようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。だから、子どものように、自分を低くする者が、天の国でいちばん偉いのだ」(マタイ福音書18章3節~4節)とお教えくださっています。主イエスこそ、御自分の身をもって、数え切れないほど多くの小さなこと、些細なことに忠実であることの範を示してくださっています。

 そのため、聖パウロは私たちに、「言葉であれ行いであれ、あなたがたがすることは何でも、すべて主イエスの名によって行い、イエスによって父なる神に感謝しなさい。/何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい」(コロサイの信徒への手紙3章17節、24節)と促しています。

 私たちがさらに成長し、主を愛するために行われる小さなことが聖なるものであると確信し、神様の御臨在の中でより一層深く生きることができますように。

 「よくやった。良い忠実な僕だ。お前は僅かなものに忠実だったから、多くのものを任せよう。主人の祝宴に入りなさい」(マタイ福音書25章21節)。

(ガブリエル・ギデオン=シンガポールで生まれ育ち、現在日本に住むカトリック信徒)(聖書の引用は「聖書協会・共同訳」を使用)

2021年3月11日

・画家・世羽おさむのフィレンツェ発「東西南北+天地」①「日本人らしさ? 人間らしさ」

 イタリアのフィレンツェに移り住んで13年が過ぎました。良くも悪しくも、常に”浮いている存在”であり、街ですれ違う70パーセントの人々は、僕を中国人だと思っていることでしょう。(イタリアにおける中国移民の人口は日本人移民に比べ、圧倒的に多い)。そういった生活の中で、12年前にイエスの愛を知ることとなり、2010年にカトリック教会で洗礼を受けました。

 その教会で、聖歌を”アカペラ合唱団”として教会の円屋根の下で、指揮者を中心にして歌い手たちが半円状になって歌う場合、歌の美しさを聞くためには、円屋根の外にいなければならないそうです。

 歌い手たちは、常に、向かい側にいる人の歌声が直接、耳に入ってくるわけで、空間の反響も伴ってくるのでしょう。聖歌がどのように統合的に鳴り響いているかは分かりません。その中で、指揮者に導かれ、調和を保ちながら、美を追求するのです。つまり、外にいるからこそ分かる美しさ、そして、それに反する乱れがあるのでしょう。

 さて、ここで読者の方がたに質問をさせていただきます。あなたにとって、日本らしさ、または、日本人らしさとは、どういったものですか? “らしさ”という言葉と“っぽい”という言葉は似た意味を持っていますが、本質的に異なる意図を持っているように思います。“らしさ”は何かポジティブなものです。

 イタリアに住む日本人として、カトリック信者として、また写実画家として、日本らしさ、そして、日本文化の“歌”を円屋根の外から統合的に聞き分けているのでしょう。ここで、浮き彫りになるのは、本当に良い、日本らしさは、常に、人間らしさとより強くつながっている、ということです。また、日本らしさを通して、人間らしさを感じている、ということです。

 しかし、このような理解を根本に置いて、日本社会・人間関係を把握したとき、同時により良い“日本人らしさ”に矛盾する日本的要素に遭遇します。この”名札”が一人歩きを始め、人間らしさを否定することに至ることも、少なくありません。

 それでは、人間らしさ、とは何でしょう?ここで言う「人間らしさ」は、東西南北の地理的な隔たりを越え、また、過去、現在、未来を超えたものです。つまり、「普遍的な人間らしさ」です。

 何か、哲学的になってきましたね、って多くの方々が思いになるでしょう。ただ、こういった人間の物語を読むときには、特に、科学的に証明することはないでしょう。おそらく、人間らしさは、誰もが感知できるものです。つまり、大切なことは、自分の都合に関係なく、心を聞き分けることです。

 第一回目のコラムということで、今後、おのおののテーマに統一的に反映される、「日本らしさ」と「人間らしさ」について書きました。今後、芸術的、思想的、文化的テーマを、こちらでの日々の生活を通して、皆さんが、思いもよらず、貴重な存在である、ということを伝えていきたい、と思います。神に感謝。

(写真は、世羽おさむ作「悲しみと希望の聖母」・油彩)

(世羽おさむ=写実画家。ウェブサイト:www.osamugiovannimicico.com/jp インスタグラム:www.instagram.com/osamugiovannimicico_artist/ フェイスブックhttps://www.facebook.com/osamugiovannimicico/ )

 

2021年3月8日

・Dr.南杏子のサイレント・ブレス日記㊻ 病院と家のはざまで

高齢の患者さんが病気療養のために病院に入院する。そのとき多くの方が口にするのは、「家に帰りたい。こんな所に長くいたくない」という素直な気持
ちだ。スタッフはその言葉を聞きながら、何とか居心地よく過ごしてもらおうと懸命に努める。

 しばらくすると、患者さんの側に変化が訪れる。

 まず、毎日の食事を楽しみにしてくれるようになる(私の勤務する病院は、おいしい病院食の提供を非常に重要視している)。院内で「ひなまつり」や「七夕」、「秋の味覚祭」など季節のイベントや、「室内音楽会」や「映画鑑賞」などを楽しまれる。さらにリハビリを兼ねた体操やゲームなどのレクリエ

ーションにも参加してくださるようになる。やがて、ずっと前からそこに住んでいたかのようにゆったりと生活される。

 そうした患者さんの変化一つ一つに、スタッフは仕事のやりがいを感じるものだ。

 ご家族の面会シーンにも、そうした影響が垣間見られる。

 久しぶりに会うご家族は、患者さんの様子を見て安堵の声を上げる。「お母さん、顔色が随分よくなったね」「こんなに穏やかな顔のお父さん、見たことないよ」と喜ばれる。対する患者さんも、「三度の食事は結構おいしいし、風呂にも楽に入れる。病院の人はみんな優しいよ」と答える。

 私たちスタッフは、そんな患者さんとご家族との交わされる言葉を聞くとはなしに耳にして、限りない喜びを感じる。

 ただ、少し前のことだが、ちょっぴり切なくなる瞬間があった。

 ご家族が「お母さんったら、ニコニコしちゃって。もう、家に帰りたくなくなったんじゃないの」と軽口を叩き、患者さんも「ずっとここがいいよ」と笑顔で応じていた。ところが、ご家族が帰ったあとだ。患者さんが肩をすくめ、そっとスタッフにささやいた。「家に帰りたくないわけがないよね。でも私がこっちにいる方が、家族がニコニコするからね」と。

 そこで思い出したのは、30余年前の私事だ。同居していた祖母が、自ら望んで病院に入院した。見舞に行くたびに祖母は、「病院にいる方が安心だ」と口にしていた。

 いよいよ寿命が近づいた3月の下旬だった。祖母は病室のベッドの上で目をつぶっている時間が長くなった。顔を見せても、ほとんど反応が返ってこない状態だった。

 そんなある日、庭の桜がようやく開いた。祖母に見せたいと思い、咲いたばかりの枝を手折って病室へ持参した。祖母に声をかけても目は固くつぶられたままだった。ふと心に思うところがあり、「桜、持って来たよ」と告げてみた。すると、祖母はほんの一瞬ではあったが、久しぶりにかすかに目を開けてくれたのだ。家の庭の木々や花々を心から愛した祖母の姿がそこにあった。

 人生の終末期を、どこで、どんなふうに迎えるか――。現在では、いろいろな選択肢がある。「何がベストか?」は、簡単に答えが出せる問題ではない。さて、自分自身はどうするのか。桜の咲く季節が近づいてくると、いつもあのときの祖母が思い出されて迷いは尽きないのだ。

(みなみきょうこ・医師、作家: NHKでドラマ化された『ディア・ペイシェント~絆のカルテ』=幻冬舎=は、多くの皆さんにご視聴いただきました。心から感謝申し上げます。終末期の患者たちとベテランの女性医師が在宅医療の場で出会いと別れを重ねる物語『いのちの停車場』=幻冬舎=は映画化が決定し、吉永小百合さん、松坂桃李さん、広瀬すずさん、石田ゆり子さん、西田

敏行さんらが出演、東映系で5月21日から全国で公開されます)

2021年2月27日

・三輪先生の時々の思いⅡ③偉人の年表によくある”忖度”ー新渡戸稲造の場合 

 国民的に、社会的に、偉大な足跡を残した人物の業績年表などには、得てして欠落があり、不完全なことがある。

 一つの例を挙げよう、新渡戸稲造の場合である。それに気づいたのは、もう4半世紀以上前の事なので、今それを記憶の中に呼び起こしても、正確を期すことは難しいが、大筋こんなことだ。

  一つの年表は、東京女子大学が関わったものであった。私が今、はっきり言えることは、新渡戸が東京帝国大学の植民政策論の講座を担当していた頃の事、朝鮮半島の韓国を大日本帝国が併合した時の事である。

 それは明治43年(1910年)年8月22日に調印された韓国併合条約によって起こった。新渡戸稲造は、韓国併合直近の前後に朝鮮半島視察に出かけているが、東京女子大学が作成した新渡戸関係の年表には、この歴史的事実の記載が欠落していたのだ。それは、新渡戸のイメージに「帝国主義的拡張主義者の色彩」が加味されてしまうのを慮ったためだろう、と忖度されるのである。

 暑中休暇明けの9月の新学年開始の式場で、第一高等学校全生徒の前で、校長新渡戸は「君たちが休んでいる間に朝鮮を併合した日本は、一挙に国土が2倍になり、フランスに匹敵するに至りました」という趣旨の事を話し、「大国民としての矜持と責任」について訓話した。国土の拡大は「植民政策論」を専攻する新渡戸として慶賀の至りであった。

 しかし、戦後も何年かたち、戦争を放棄した平和立国の日本国の時代に、新渡戸がその創立に直接関わった東京女子大学が発行した新渡戸関係の年表は、植民政策論専攻の新渡戸であったからこそ明記するのが当然と思われる経歴としての「併合前後の朝鮮半島視察の旅」について記載することが無かったのである。

 実際、併合の4年前に新渡戸は朝鮮半島を視察している。しかし戦後も何年かしてかつての植民地から解放され独立国家大韓民国となって久しい頃、新渡戸によって創立されたという経緯のある東京女子大学が発行した新渡戸に関する年表には、韓国併合前に新渡戸が朝鮮半島に渡っていた歴史的事実は、記載されることはなかったのである。(2021. 2. 27記)

(三輪公忠=みわ・きみただ=上智大学名誉教授、元上智大学国際関係研究所長、プリンストン大博士)

2021年2月27日

・竹内神父の日曜午後の散歩道 ④しなやかさこそ、イエスの強さ

「人間の強さって何ですか」。ある時、一人の高校生から尋ねられました。

 (何だろう)しばし戸惑いましたが、ふと、次のような思いが浮かんできました。「例えば、竹のようなしなやかさかな… そのようなしなやかさがあるから、たとえ強い風に吹かれても、また、雪が葉に降り積もっても、折れることなくもとの状態に戻れるからね」。その時、その高校生も妙に納得した様子。自分もまた、今振り返ってみると、「やはり、そうだろうな」と思います。

 

*弱さとは

 私たちのや心は、実は、自分が思っているほど強くはありません。むしろ、弱い、と言えるかもしれません。ただ、この弱さは、「力や体力がない」というよりも、「脆い」といった感じ
の弱さです。事実、私たちは、身心が緊張していると、ちょっとしたことでも、ポキッと折れてしまいます。

 私たちの生活は、様々なストレスで満ちています。他の人と共に社会生活を送るにあたっては、確かに、守らなければならない規則や規範があります。しかし、同時にまた、大切なこととして心に留めておかなければならないことがあります。それは、「お互い弱さを気遣い合い、一人ひとりのいのちを慈しむこと」ではないかと思います。

 

*しなやかな人、イエス

 ある安息日に、イエスは、手の萎えた人を癒します。「人々はイエスを訴えようと思って、安息日にその人を癒されるかどうか、うかがっていた」(マルコ福音書3章2節)、と福音書は語ります。

 「うかがっていた」(パレテールーン)。この言葉の意味は、「悪意をもって窺う」ということだそうです。世の中には、物事を杓子定規にしか見ることのできない人がいます。そのような人は、とかく、物事の黒白・是非を求め、それゆえ、人を裁く傾向があります。そのような人々に対して、イエスは、こう語りますー「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、殺すことか」(同3章4節)と。

 さらに、彼は、怒りとともに、彼らのかたくなな心を悲しまれます。彼らの心は、しなやかではなかったからです。しなやかでないからこそ、人を裁きの心でしか見ることができません。そのような心では、他の人々と、素朴に喜びや哀しみを共有し合うことはできないでしょう。「喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい」(ローマの信徒への手紙12章15節)。

*イエスの言葉による癒し

 イエスは、手の萎えた人に、「真ん中に立ちなさい」(マルコ福音書3章3節)と言われます。また、彼は、「手を伸ばしなさい」とも語ります。このように、イエスは、ただ語るだけで、直接その人には触れていません。その意味で、アタナシオが指摘するように、イエスは働いてはいない、と言えるかもしれません。いずれにしても、病人の萎えた手は、イエスの言葉に従うことによって癒されました。

 しかし、その一方で、イエスを訴えようとしていた人々の萎えた心は、癒されませんでした。イエスの言葉にしなやかに従った人と、頑なに自分の思いに執着した人々。両者の違いは、鮮明です。

 イエスは、まったく自由な人でした。それは、彼が、人間に対してだけでなく、律法に対してもしなやかに関わったことによく表れています。そして、このしなやかさこそ、イエスの強さであったのではないか、とそう思います。

(竹内 修一=上智大学神学部教授、イエズス会司祭)(聖書の引用は「聖書協会・共同訳」による)

2021年2月27日

・Sr.阿部のバンコク通信 (53)四旬節、修行者の”端くれ”として僧侶たちに学ぶ

 灰の水曜日、久しぶりに断食して四旬節入り。やはり気が引き締まり、食する事への意識や食に関する世界の実情に思いが及び、人間の生活に大切な戒めであることを改めて意識します。断食の日になると、何故か食欲がグッと高まり、空腹を感じるのですね。

 仏教国に生活し僧侶の姿に触れることが普通にあり、「1日1~2回の食事、托鉢して頂いたものを食し、正午から翌朝托鉢後の朝食まで、飲み物以外一切食さない」という僧侶の食生活を真近かに見ていると、日常の生活で影が薄れている「節制」という言葉が、生き生きと感じられるのです。写真

 僧侶は料理は一切しません。托鉢から帰り、頂いた食物を読経、祈りを捧げて食し、お供の弟子が頂き、托鉢に行けなかって僧侶に分け、残っても保存せずに処分、日々頂く食物で生活するそうです。市街の托鉢では充分頂き、肥満気味になるとも。郊外では1回の食事はおろか、お菜なしご飯だけの時もあり、今でもタイの僧侶が釈迦に習って厳守されている戒律です。『四六時、中橙』➡️『四六時中、橙…』

 お金、女性には一切触れない謹慎生活。早朝から裸足で托鉢しながら、人々の奉納物を受け、祈りと祝福を与えながら、日々、実社会のただ中で修業と祈りの生活に励む僧侶。四六時中、橙色の袈裟をまとい、休む時も袈裟のまま…

 時には庇護された僧院でスキャンダルが起こり、警察沙汰になることもありますが、そんなことで、多くの僧たちの修行と祈りの生活が覆されることはありません。 30万の僧侶がタイの巷に存在する、見えない大切な神仏の次元、節制簡素の見本が身近にある、なんとも素晴らしい限りです。

 私自身も修業者の端くれ、名実共に相応しく生きて、飢餓や争いに苦しむ兄弟を思い、師イエスに学び、追従する身でありたい、と心底思う四旬節です。

 非日常の折柄、どうかこの時期ならではの、ご復活祭をお迎えになられるよう。合掌。

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

(写真は「日本語パートナーズ」(国際交流基金アジアセンターーhttps://jfac.jp/partners/より)

 

2021年2月27日

・「愛ある船旅への幻想曲」 ①「愛」と「信頼」でイエスが舵を取る船に…

  「カトリックあい」の一信徒読者の私が、兄弟姉妹とのおしゃべりを基に気ままな“船旅”へ出発したいと思います。私見にお目通しくださる方々に感謝を申し上げます。

 新型コロナウィルスがクルーズ客船で確認された報道は、「Oh my God!」と世界中の人たちの思考が停止したことでしょう。私にとって夢のクルージング旅行、あこがれの船旅。勿論、接触感染はクルーズ船のみで起こることではありませんから、私の船旅への思いが変わることはありません。今は一日も早くウィルス感染症が終息することを願ってやみません。

 「船」には様々な解釈がありますが、象徴としての「船」は、時に聖別された特異な存在と思われます。キリスト者にとっては、ノアの箱舟、そしてイエスと弟子たちが乗った舟が思い出されるでしょう。(写真は、ガリラヤ湖畔、舟の奇跡の教会にて・南條俊二撮影)

 私たちは共同作業をしているときに、“同じ船に乗っている”という表現をします。同乗者は力を合わせて目的地へと向かわねばなりません。そこには試行錯誤を繰り返しながら、必然的に信頼関係が生まれているはず  です。

 目的地に行くためには、その船の船長の力量も大きく左右されるでしょう。ある日、気が付いたら下船している人たちがいる。何も言わず、姿が見えなくなる。この場合に「なぜ、あの人は船を下りたのだろうか」と船長は考えるのではないでしょうか。

 徒然草52段、“仁和寺にある法師”*には、どんな小さなことにも指導者が必要であることを、教訓として兼好法師が教えています。老年になるまで石清水に参詣しなかった仁和寺の一法師が、案内人なく一人で参詣し、ふもとの末寺や末社を本社と思い込み、帰って来ました。老僧が年来の希望を果たしたと思い込み、友人に感激の情を込めて語ってしまったという、おかしみがにじみ出ている物語です。いつの世も、自分だけの思い込みや勘違いには気をつけねばなりません。

 私たち信者は『‘教会』という巨大な船に乗っています。しかし、世界中の教会は大小様々です。教会の大きさが違うように、各指導者の人格は、決して同じではないでしょう。イエスの12人の弟子たちからもそれは理解できます。

 本物のキリスト者の集まりは、全く異なった性格やタイプの人間が共存できる場所です。今を生きる私たちには、「今を生きるイエスの教え」が必要です。指導者が独りよがりの偏見と
思い込みで教会組織を運営することには、疑念が生じるかもしれません。なぜならば、現実の社会で生きている私たちは、 私たちなりに社会の動きに目を向けて、善悪を区別することができるからです。

 『教会』という同じ船に乗るのであれば、人々を必要としているイエスの「愛の行為」を先ずは指導者が熟知し、信徒と共に証しせねばならないでしょう。「愛」を深く知り「信頼」を持って 、イエスが舵とる船に乗り込みたい私です。

(西の憂うるパヴァーヌ)

*徒然草第52段

  仁和寺(にんなじ)にある法師、年寄るまで、石淸水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩(かち)よりまうでけり。極樂寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。さて、かたへの人にあひて、「年比(としごろ)思ひつること、果たし侍(はべ)りぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけん、ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」と言ひける。

すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり。

2021年2月27日

・Sr.岡のマリアの風 (61)四旬節に味わう教皇の説教と東方神学者の本

 教皇フランシスコの、灰の水曜日の説教(2021年2月17日)を何度も読んでいます。話の底に流れるモチーフ、「旅・巡礼」は、私がいつも心惹かれるテーマです。自分自身の、そして「私たち」のキリスト者としての歩み、キリストの教会の歩みを表現するのに、これ以上ふさわしいイメージはないと、私は思うからです。

 聖書の中で「旅」は、いろいろな形で現れ、その一つ一つの旅は、神の民にとって大切な意味を持っています。楽園を追われたアダムとエバが始めた、地上での旅。人間が神への対話に再び開かれる、その始まりとしての、アブラハムに求められた旅。ヤコブのさすらいの旅-そしてその中心に、自ら「降りて来る」神との出会いがあります。

 ヤコブの子、ヨセフのエジプトへの「旅」―この旅によって、ヨセフ自身、奴隷から、自分の民を解放する者となっていきます。

 そして、旧約聖書の頂点、「出エジプト」の旅―エジプト脱出、「約束の地」に向かう40年間の砂漠での旅。

 これらのエピソードに象徴される旅は、決して簡単でも楽でもありません。旅そのものに危険が伴うことはもちろん、旅をする「私たち」の心が、絶えず誘惑にさらされるからです。

 「エジプト―さまざまな偶像に縛られた状態―」の奴隷状態から解放されたにもかかわらず、私たちは困難に出会うたびに、「エジプトに帰りたい、エジプトでの生活はよかった」と、まったく根拠のない文句を言い始めます。

 出エジプト記を読んでいると、あのような前代未聞の奇跡―紅海の水が左右に壁のように分かれ、その真ん中を通る―によって解放され、神である主と「同等」の契約(花婿・花嫁の関係)を約束されたのに、すぐに「金の雄牛」を作って拝むなんて「信じられな~い!」と思うけれど、実は、同じようなことを、私たちは日々の生活の中でしています。

 実際、私たちは、洗礼においてキリストの内に死んで、「新しい命」、永遠の命に生まれたのに、毎日の生活の中で、あたかも、キリストが来なかったかのように、キリストのあがないのわざがなかったように、「古い命」を生きている、と教会の教父たち、著作家たちは繰り返します。

 だから教会は、年に一度、私たちが誰であるか、どういう命を生きているのかを頭で理解するだけでなく、体全体で体験する時を、信徒たちに与えます。それが「強い季節」、四旬節・復活節、その中心は、キリストの過越の秘儀(受難・死・復活)を記念する「過越の聖なる三日間(聖木曜日から復活の主日まで)」です。

 四旬節は、ですから、私たちが、復活祭をふさわしく祝うことができるよう、つまり、洗礼の秘跡においてキリストと共に死んで復活した私たちの「身分」にふさわしく復活祭を記念できるよう準備する期間です。

 私は今、現代東方正教会の著名な神学者、アレクサンドル・シュメーマン師(Alexander Schmemann、+1983)の四旬節の典礼についての本を読んでいます。(Alexander Schmemann, Quaresima: in cammino verso la Pasqua, Qiqajon, Magnano 2010)自分とは異なる典礼、文化、習慣を知ることは、自分自身の典礼、文化、習慣をより深く悟るための助けになります。

 シュメーマン師の本を読んでいて、今年(2021年)の始めに、初めて訪れたルーマニアで正教会のシスターたちが運営する巡礼宿に泊まった時、四旬節前の典礼にあずかったことを思い出しました。

 シュメーマン師は、東方正教会は、復活祭を準備するための四旬節を、さらにまた準備する期間があること、その準備期間は、連続する五つの主日を含め、一貫して「悔い改め(penitence)」のテーマが差し出されていること、それぞれの主日を導くのは、悔い改めの五つの側面を考えさせる福音箇所であること、を伝えています。

 つまり、教会は、人間の本質の脆さを知り、精神的弱さを予見しながら、私たちを徐々に、四旬節の「戦い」「努力」へと導入する、とシュメーマン師は言います。

 「古い」命、罪の命、みすぼらしい命は、簡単には、打ち負かされ変わることはありません。福音は人間に努力を求めます。それは、現在の状況において、潜在的には不可能です。私たちは、あるヴィジョン、ある目的、私たちの可能性をはるかに超えた生き方の前に置かれています。

 使徒たち自身、彼らの「先生」の教えを聞きながら、絶望して尋ねますー「それでは、誰が救われることができるでしょう」(ルカ福音書18章 26節)。

 実際、到着点が、ほかならぬ完全である生き方の理想のために―「あなたがたは、天の父が完全であられるように、完全な者となりなさい」(マタイ福音書5章48 節)―日々の心配、物質的富の追求、安全、快楽で形成された人生の卑しい理想を放棄するのは、簡単ではありません。

 この世は、そのすべての伝達手段を通して言いますー「幸せになりなさい、心配せずに、広い道に入りなさい」。福音の中で、キリストは言いますー「狭い門から入りなさい」(マタイ福音書7章13節)、戦い、苦しみなさい、それが唯一の真の幸せの道だから、と。

 教会の助けなしに、私たちはどうやって、この並外れた選択をすることができるでしょうか。どうやって、悔い改め、毎年、復活祭に私たちに与えられる約束された栄光に戻ることができるでしょうか。

 私たちが、復活祭を、単に食べたり飲んだり休んだりすることの許可としてではなく、私たちの中の「古い」ものの終わり、「新しい」ものへの入場として迎えることができるようにしてくれるのは、教会が私たちに与える助け―悔い改めの学び舎(学校)―だけです。

 まさに、四旬節はこの「悔い改めの学び舎」であり、その学び舎に、一人ひとりのキリスト者は、毎年行かなければならない、と彼は言いますー「自分の信仰を深めるために、自分の生活をよく顧み、出来る限りそれを変えるために」。

 だから 「旅」。イスラエルの民の、約束の地に向かう40年間の旅のように、約束の地―父の家、楽園―に向かう40日間の旅。四旬節は、真の信仰の源泉そのものに向かう、すばらしい巡礼の旅です。真の生き方の再発見です。

 まさに、四旬節の典礼の形(フォルマ)と精神を通して、教会は私たちに、この唯一の季節の意味を伝えています。

 シュメーマン師は、四旬節のさまざまな賛歌、祈りの中でも、まさに「四旬節の祈り」と呼ぶことができる短い祈りを紹介しています。伝統が、霊的生活の偉大な師の一人、シリアの聖エフラエムの作と考えているものです。

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 主よ、私のいのちの師よ!私から取り除いてください、怠惰な精神、落胆、権力への渇望、意味のない話を。

 その代わりに、あなたの僕(しもべ)に与えてください、貞潔(清さ)、謙虚さ、忍耐、愛の精神を。

 主であり王である方よ、私に、自分の誤りを見させてください。私の兄弟を裁かないようにしてください。

 あなたは代々にたたえられるからです。アーメン。

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 シュメーマン師は、なぜ、このように短くシンプルな祈りが、四旬節の典礼全体の中で、ひじょうに重要な位置を占めているのか、と問いかけ、それに答えています。それは、この祈りが 悔い改めの 否定的 肯定的要素のすべてを適切な方法で列挙し、いわば、私たちの四旬節の努力のための「覚書(リマインダー)」を形成しているからです。

 まさに四旬節の努力の目的は「私たちの人生をゆがめ、事実上、神の方に向かうことさえ不可能にしてしまうある種の根本的な霊的病から、私たちを解放することに」あります。

 この後、シュメーマン師は、この祈りの中で指摘される悔い改めの要素を、一つひとつ、解説していきます。それについては、「マリア論オンライン講座」のHPや講座自身で見ていきたいと思っています。

 みなさんの四旬節の歩みの上に、復活の主の光が惜しみなく注がれますように!祈りつつ…

(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女、教皇庁立国際マリアン・アカデミー会員)

 

(聖書の引用は「聖書協会・共同訳」を使用しました=「カトリック・あい」)

2021年2月27日