・画家・世羽おさむのフィレンツェ発「東西南北+天地」①「日本人らしさ? 人間らしさ」

 イタリアのフィレンツェに移り住んで13年が過ぎました。良くも悪しくも、常に”浮いている存在”であり、街ですれ違う70パーセントの人々は、僕を中国人だと思っていることでしょう。(イタリアにおける中国移民の人口は日本人移民に比べ、圧倒的に多い)。そういった生活の中で、12年前にイエスの愛を知ることとなり、2010年にカトリック教会で洗礼を受けました。

 その教会で、聖歌を”アカペラ合唱団”として教会の円屋根の下で、指揮者を中心にして歌い手たちが半円状になって歌う場合、歌の美しさを聞くためには、円屋根の外にいなければならないそうです。

 歌い手たちは、常に、向かい側にいる人の歌声が直接、耳に入ってくるわけで、空間の反響も伴ってくるのでしょう。聖歌がどのように統合的に鳴り響いているかは分かりません。その中で、指揮者に導かれ、調和を保ちながら、美を追求するのです。つまり、外にいるからこそ分かる美しさ、そして、それに反する乱れがあるのでしょう。

 さて、ここで読者の方がたに質問をさせていただきます。あなたにとって、日本らしさ、または、日本人らしさとは、どういったものですか? “らしさ”という言葉と“っぽい”という言葉は似た意味を持っていますが、本質的に異なる意図を持っているように思います。“らしさ”は何かポジティブなものです。

 イタリアに住む日本人として、カトリック信者として、また写実画家として、日本らしさ、そして、日本文化の“歌”を円屋根の外から統合的に聞き分けているのでしょう。ここで、浮き彫りになるのは、本当に良い、日本らしさは、常に、人間らしさとより強くつながっている、ということです。また、日本らしさを通して、人間らしさを感じている、ということです。

 しかし、このような理解を根本に置いて、日本社会・人間関係を把握したとき、同時により良い“日本人らしさ”に矛盾する日本的要素に遭遇します。この”名札”が一人歩きを始め、人間らしさを否定することに至ることも、少なくありません。

 それでは、人間らしさ、とは何でしょう?ここで言う「人間らしさ」は、東西南北の地理的な隔たりを越え、また、過去、現在、未来を超えたものです。つまり、「普遍的な人間らしさ」です。

 何か、哲学的になってきましたね、って多くの方々が思いになるでしょう。ただ、こういった人間の物語を読むときには、特に、科学的に証明することはないでしょう。おそらく、人間らしさは、誰もが感知できるものです。つまり、大切なことは、自分の都合に関係なく、心を聞き分けることです。

 第一回目のコラムということで、今後、おのおののテーマに統一的に反映される、「日本らしさ」と「人間らしさ」について書きました。今後、芸術的、思想的、文化的テーマを、こちらでの日々の生活を通して、皆さんが、思いもよらず、貴重な存在である、ということを伝えていきたい、と思います。神に感謝。

(写真は、世羽おさむ作「悲しみと希望の聖母」・油彩)

(世羽おさむ=写実画家。ウェブサイト:www.osamugiovannimicico.com/jp インスタグラム:www.instagram.com/osamugiovannimicico_artist/ フェイスブックhttps://www.facebook.com/osamugiovannimicico/ )

 

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2021年3月8日