・愛ある船旅への幻想曲 ②「成熟」

 あるシスターが私に言いました。「信徒と集まりを持つ時は、 必ず、聖書をそこに置きなさい」。

 信徒として当たり前のことかも知れませんが、私の心には、この言葉が強く響きました。シスターは、いつも通り、凛とした姿勢、私を見つめる眼差しは愛に満ちあふれていました。

 思い出話の中にも厳しさを持ち、時に「そうだったわねぇ、覚えてますよ」とまた、私を見つめる…。私の思いを聞きながら「それでいいのよ」「わかってますよ」と、何度も深く頷き賛同してくれる。決して私に「あなたは間違っている」とは言わなかったのです。

 それゆえ、私は余計に涙が溢れ出る… 信仰についてお互いにためらうことなく思いを話し、前向きな会話が続きました。そして、言ってくれました。 「あなたの霊名の祝日には手紙を送るから…」と。

 でも、今、その手紙を私が待つことはありません。あまりにも早くシスターは旅立たれました。私には、一切病気の弱音も吐かず、時間を気にする私に「まだ大丈夫だから。大丈夫、大丈夫」と、席を立とうとされなかった シスターの包容力は愛の証 本物の成熟した愛・福音を教えてくださいました。そして、葬儀ミサに私が参列できる状況さえも、シスターは準備してくださり 、「三位一体の神」を私に立証されたのです。シスターと私は”女性の 教会への思い”で、同じ船に乗っていました。

 典礼暦は毎年同じことが繰り返されます。 その時の”み言葉”から 私たちの信仰は、成熟へと進まねばなりません。昨今コロナ禍の中、教会に出向かず、家で祈りを捧げ、み言葉を心に刻む時、聖書の捉え方に変化があることに、私は気付きます この世を創造された神の愛は今、私たちに試練を与え、耐えること、待つことを教えます。そして、一信徒としてこの状況でのカトリック教会について考えさせられます。

 教会の大きな典礼を司るとき、司祭だけでなく、信徒の協力が準備の時から必要です。昭和の中頃までは、女性は家にいることが多かったと思います。各町内会も婦人会全盛時代でした。教会もご多分に漏れず、婦人会の力が大きかったです。その方々の教会への働きがあったことで 随分と司祭方も信徒も助かったことでしょう。

 今の教会運営においても、すべての維持に関して、高齢者の方々の協力は不可欠です。そんな中、社会は「婦人」から「女性」という言葉に切り替わり、男女共同参画社会実現へと努めています。女性が社会へ進出することで 教会内の動きも考えねばならないでしょう。

 人間として「成熟」の結果、自立性の高い信徒が生まれ、現在の教会に対して固定観念に捉われない新しい姿勢が生まれるのかもしれません。

(西の憂うるパヴァーヌ)

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2021年3月31日