・Sr.阿部のバンコク通信 (53)四旬節、修行者の”端くれ”として僧侶たちに学ぶ

 灰の水曜日、久しぶりに断食して四旬節入り。やはり気が引き締まり、食する事への意識や食に関する世界の実情に思いが及び、人間の生活に大切な戒めであることを改めて意識します。断食の日になると、何故か食欲がグッと高まり、空腹を感じるのですね。

 仏教国に生活し僧侶の姿に触れることが普通にあり、「1日1~2回の食事、托鉢して頂いたものを食し、正午から翌朝托鉢後の朝食まで、飲み物以外一切食さない」という僧侶の食生活を真近かに見ていると、日常の生活で影が薄れている「節制」という言葉が、生き生きと感じられるのです。写真

 僧侶は料理は一切しません。托鉢から帰り、頂いた食物を読経、祈りを捧げて食し、お供の弟子が頂き、托鉢に行けなかって僧侶に分け、残っても保存せずに処分、日々頂く食物で生活するそうです。市街の托鉢では充分頂き、肥満気味になるとも。郊外では1回の食事はおろか、お菜なしご飯だけの時もあり、今でもタイの僧侶が釈迦に習って厳守されている戒律です。『四六時、中橙』➡️『四六時中、橙…』

 お金、女性には一切触れない謹慎生活。早朝から裸足で托鉢しながら、人々の奉納物を受け、祈りと祝福を与えながら、日々、実社会のただ中で修業と祈りの生活に励む僧侶。四六時中、橙色の袈裟をまとい、休む時も袈裟のまま…

 時には庇護された僧院でスキャンダルが起こり、警察沙汰になることもありますが、そんなことで、多くの僧たちの修行と祈りの生活が覆されることはありません。 30万の僧侶がタイの巷に存在する、見えない大切な神仏の次元、節制簡素の見本が身近にある、なんとも素晴らしい限りです。

 私自身も修業者の端くれ、名実共に相応しく生きて、飢餓や争いに苦しむ兄弟を思い、師イエスに学び、追従する身でありたい、と心底思う四旬節です。

 非日常の折柄、どうかこの時期ならではの、ご復活祭をお迎えになられるよう。合掌。

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

(写真は「日本語パートナーズ」(国際交流基金アジアセンターーhttps://jfac.jp/partners/より)

 

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2021年2月27日