Pope Francis at the Sunday Angelus (Vatican Media)
(2021.7.4 Vatican News staff writer)
教皇フランシスコは年間第14主日の7日正午の祈りに先立つ説教で、「習慣からくる偏見や狭量な見方に囚われない目と心を持ち続けるように。そして、神の思いがけないなさり方に驚くことを忘れずにいるように」と信徒たちを促された。
説教で教皇はまず、この日のミサで読まれたマルコ福音書の箇所に注目された。
イエスは故郷ナザレにお帰りになり、会堂で教え始められたが、地元の彼の知り合いたちは「彼は、質素な家族に一員で、大工の息子なのに。どうやって知恵を手にしたのか」と首を傾げ、不信と憤りを抱いた。そのような彼らに、イエスは「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親族、家族の間だけである」(6章4節)と語られた。
*知ることと認識すること
故郷の人々のイエスに対するこのような振る舞いは、彼らはイエスを「知っている」と思っていたが、(彼の本質を)「認識していなかった」ことを示している、と教皇は指摘され、「『知ること』と『認識すること』の違いは、私たち皆が理解すべきことであり、そうしないと、人物について『何でも知っている』と考える危険を冒すことになります。私たちの知識は表面的なものとなり、その人物の独自性を認識するために、さらに多くのことを学ぶ必要が出てくるのです」と強調。
さらに「最悪の場合、私たちは他者に”ラベル”を貼り始め、自己に閉じ籠るか、偏見を持つようになります。イエスと30年もの長い知り合いでありながら、本当のイエスの姿が分からず、イエスの真価を認めようとしなかったナザレの村人たちのように、です」と説かれた。
*心を閉じるか、開くか
そして、教皇は信徒たちに、「もしも私たちが習慣の安易さに身を任せるなら、それは、新しいもの、感嘆する可能性にに目を閉じてしまう”偏見の独裁”を引き起こす可能性があります… 私たちの日々の暮らしの中で、経験や自分の考えや世界の見方だけを頼りにする人たちに引きずられるのは、その表れです」と指摘。
こうしたことは、「私たちの信仰生活にも影響を与える可能性があります。自分はイエスについてすべてを知っている、すべてを理解している、と思い込むことです。神についての新たな発見、驚きができなくなれば、信仰は徐々に死滅して”おっくうな繰り返し”になってしまいます」と警告されるとともに、感嘆することの重要性を強調され、「それは主に本当に出会う、自然な反応なのです」と説かれた。
*受肉のとてつもなさ
教皇は、この日のミサで読まれたマルコの福音書の箇所に戻られ、故郷のナザレの村人たちがイエスを「認識しなかった」のは、「受肉(神がイエス・キリストとなってこの世に来られた)という驚くべき真実を受け入れなかった」ためであり、「村人たちは、計り知れないほど大きな存在である神が私たちのような小さな人間に現れるーごく普通の男の言葉と振る舞い、そして質素な暮らしをする人間の中に神が隠れておられるーと考えるのは、とてつもなくひどいこと、と思ったのです.」とされた。
そして、彼らと同じように、「私たちも、神を『遠くにおられる存在ー神はご自分の世界におられ、私たちは私たちの世界にいる』、あるいは、『特別なことをする、強い感情を引き起こす”特殊効果”を持った存在』ーというような考えに、容易に惹かれがちです」と注意され、「そのような考えに陥らないように。神は人となられ、謙虚で、優しく、目立たず、私たちの近くにいて、私たちと同じごく普通の暮らしをされたことを、知るようにならねばなりません」と信徒たちに説かれた。
最後に教皇は、「イエスは、私たちの親密な友。私たちの仲間の一人になり、私たちを理解し、共に歩み、赦し、そして、とても愛しておられるのです」と強調され、聖母マリアに倣って、私たちが日々の暮らしの中で、神の奥義を進んで受け入れ、偏見のない目と心を持ち、神の謙遜で隠れた存在に感嘆する気持ちを失わないように、と祈ることを勧められた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
(2021.6.29 バチカン放送)
ローマの保護者、使徒聖ペトロ・聖パウロの祭日の29日、教皇フランシスコが聖ペトロ大聖堂でミサを捧げられ、新型コロナウイルス感染拡大防止対策に従いつつ、多くの枢機卿や司教、信者たちのほか、カルケドン府主教エマニュエルを団長とする正教会のエキュメニカル総主教庁の使節団が参加した。
説教で教皇は、教会を支える2本の重要な柱、偉大な使徒、聖ペトロと聖パウロの信仰を見つめられ、「2人の使徒の生涯の中心にあるものは、彼らの優秀さではなく、生涯を変えたイエスとの出会いでした… イエスの愛にいやされ、解放された彼らは、人々を解放するための使徒となったのです」と話された。
そして、「ペトロは、イエスの無条件の愛によって、自分の不適格さに対する思いや失敗による挫折から救われた」とされ、イエスとペトロの絆を表す様々なエピソードを思い起こされた。
ペトロについては、経験豊かな漁師でありながら、夜通し働いても、何も獲れず、敗北感を抱いていた時( ルカ福音書5章5節、ヨハネ同21章5節参照)、屈強で激しい性格である反面、すぐに恐れにとらわれる時( マタイ14章30節参照)、主の情熱的な弟子であっても、この世の論理にしばられ、キリストの十字架の意味を理解できない時(同16章22節)、イエスのために命を捧げる覚悟を表明しながらも、イエスと一緒にいたと疑われただけで、イエスを知らないと答えてしまった時(マルコ福音書14,章66-72節)の場面を想起された。
そして「こうしたペトロの弱さにもかかわらず、イエスは彼を無償で愛し、彼という人間に賭け、励まし続けました… イエスは、ペトロを、恐れや打算、この世の心配などから解放され、彼に、すべてを投げ打つ勇気と、人間をすなどる漁師としての喜びを与えました。まさに兄弟たちの信仰を力づけるための使命を与えたのです( ルカ福音書22章32節)」と説かれた。
次に、サウロ=パウロについて、「彼がイエスによって何から解放されたのか」を考察され、「イスラエル王国の初代王にちなむ『サウロ』という名を持つ彼は、自分自身の強いこだわりへの隷属から解放され、小さき者を意味する『パウロ』となりました。また、先祖からの伝承を守る熱心さ( ガラテヤの信徒への手紙1章14節)や、キリスト教徒を迫害する暴力からも解放され、形式的な規律の厳守から、神と兄弟への愛へと自らを開きました」と語られた。
また一方で、「神はパウロから使徒職の試練や、体の弱さ( 同4章13-14節)、暴力、迫害、遭難、飢え、渇き、また彼自身の『身に与えられた一つのとげ』(コリントの信徒への手紙2・12章7-10節)を取り除くことはなかったが、これらの多くの弱さと困難は、彼の福音宣教の使命を豊かにしたのです」と指摘された。
そのうえで、「私たちも主との出会いによって常に解放されることが必要です。そして、自由な教会だけが、信頼し得る教会なのです」と強調された。
なお、この日のミサで祝別されたパリウムは、最近任命された世界の首都大司教らに託されるもの。聖アグネスの日(1月21日)に教皇が祝別した子羊の毛を用いた白く細長い織物を輪状に仕立て、6か所に十字を刺しゅうしたもの。輪に首を通し祭服の両肩にかけるパリウムは、羊を背負う「善き羊飼い」を象徴する。 首都大司教らは、教皇から与えられたパリウムを教皇大使の手を通し信者の前で着衣する儀式を、各自の国で行う。
(編集「カトリック・あい」)
VIDEO
(2021.6.27 Vatican News Devin Watkins)
教皇フランシスコは27日、年間第13主日の正午の祈りの説教で、イエスが、私たちの罪と偏見を超えて、傷や過去の過ちに苦しむ私たちの心を癒やしてくださる、と語られた。
教皇は説教で、この日のミサで読まれたマルコ福音書の箇所(5章21-42節)を取り上げ、この箇所で、イエスは2つの劇的な状況に遭われ、それを通して、死と病いついて私たちに語っている、と指摘され、「イエスは、私たちの苦しみと死に心を打たれます。そしては癒しの二つのしるしを働かせ、苦しみも死も、『決定的な言葉を持たない』ことを私たちに告げられるのです」と説かれた。
*健康と優しい愛
新型コロナウイルスの世界的大感染が未だに終息しない中で、教皇は、特に出血で苦しむ女性をイエスが癒された箇所に注目され、「この女性は、健康以上に他人から優しい愛情を受けることのできない苦しみを味わっていました。出血の病いは当時は、不純であるとみなされ、ひどい目に遭わされ、夫や家族からも離されて、心は傷つき、孤独の中で日々を送っていたのです」とされたうえで、「私たちの人生で最も深刻な病いは愛の欠如であり、愛することができないことです」と指摘された。
*優しい愛の中で癒される
さらに教皇は、私たち全員を代表するこの無名の女性の物語で、彼女がどのように癒しを見つけることができるかについて考察された。
彼女は、治りたい一心で、さまざまな効果のない治療に多額のお金を費やしたが、それは病状を悪化させるだけだった。「私たちもまた、愛の欠如を癒やそうと役に立たない救済策を模索し、成功とお金を求めてオンラインを使って無駄な検索に身をやつしています」と嘆かれる一方で、「でも、彼女は最後に、イエスと直接の、物理的な接触を求めることを選んだのです」と説かれた。
そして、「主は私たちが、ご自分に出会うのを待っておられます。彼女がイエスの衣に触れて病を癒されたように、私たちの心を主に開くようにしましょう。イエスと親しく接することで、私たちは優しい愛の中で癒されるからです」と強調された。
*イエスの癒しの眼差しを求めて
さらに、教皇は、イエスがこの女性がご自分の衣に触れたことに気付かれ、押し迫っている群衆の中に、彼女を見つけようとされたことに注目され、「これこそ、イエスの眼差しです。イエスの周囲には多くの人がいましたが、信仰に満ちた顔と心を持った人を探されました。イエスは群衆全体を見ているのではなく、個人を見ておられます」と述べ、イエスの眼差しは、「過去の傷や過ちにこだわらず、罪や偏見を超えて、心に届きます… イエスは、すべての人に拒絶されたその女性を癒し、彼女の信仰を讃え、『娘よ』と呼ばれたのです」と言われた。
*愛のみが命を癒す
最後に、教皇は、信徒たち全てに対して、「イエスに、あなたの心を診て、癒してもらう」ことを勧められた。そして、「もしあなたが、イエスの眼差しをすでに経験しているのなら、愛が足りないために傷つき、孤独に苦しんでいるかもしれない周りの人たちに目を向ける必要があります… イエスはあなたに、周りの人たちに対する、外見にとどまらず、心に届く眼差しをを求めます。それは、判断するためではなく、心から受け入れる眼差し。愛だけが命を癒すからです」と語られた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
教皇フランシスコ、教皇庁東方教会支援事業会議の総会参加者と 2021年6月24日 (Vatican Media)
(2021.6.24 バチカン放送)
教皇フランシスコは24日、バチカン宮殿で教皇庁東方教会支援事業会議の総会参加者とお会いになり、今年3月のイラク司牧訪問を思い起されて、念願であったこの訪問の実現に協力したすべての人に感謝された。
また、この一年間の東方教会援助事業会議の活動を振り返る中で、昨年8月4日にベイルート港で発生した大規模爆発後の支援対応に言及。来月1日にバチカンで、レバノンのキリスト教諸共同体の指導者たちと「レバノンの憂慮される情勢について考察し、平和と安定の賜物を祈る一日」を予定しているが、「この集いのために聖霊の導きを祈って欲しい」と願われた。
聖地の状況について教皇は、「イスラエルとパレスチナの間に平和の虹がかかること」を望まれる一方で、その空に「死と恐怖をもたらす兵器の轟音が響いていること」に遺憾の意を表明された。
また新型コロナウイルスの世界的大感染がもたらしている経済危機と、人々が聖地に巡礼できなかった影響で、2020年度の「聖地のための献金」が、前年の約半分に減少したことにも触れ、聖地の教会や人々への連帯のために使われる献金の重要さを強調された。
10年にわたる内戦で多くの犠牲者と避難民を出し続けるシリアの状況については、「当事者がそれぞれの論理から抜け出し、傷ついた国の善と復興のために勇気ある決断をする必要」を指摘された。
また、エチオピアのティグレ州における内戦を憂慮され、民族間の争いと権力闘争に対し、教皇ご自身が回勅「Fratelli Tutti(兄弟の皆さん)」に込められたメッセージを改めて強調された。
さらに、2016年のアルメニア訪問で「アルメニア使徒教会における全アルメニアの最高総主教・カトリコス、カレキン2世と平和の象徴である鳩を空に放ったこと」を振り返られ、最近の紛争でコーカサス地方の平和が再び傷つけられたことに、悲しみを表わされた。
最後に教皇は、今回の東方教会支援事業会議の総会で特にアルメニア、ジョージアの状況に光が当てられたことに触れ、これらの国々で「カトリック共同体が福音的生活のしるし、パン種であり続けるように」と希望された。
教皇庁東方教会支援事業会議は、東方教会省(長官:レオナルド・サンドリ枢機卿)の管轄下にある組織で、21日から第94回総会を開き、中東やアフリカから多くの関係者・専門家を招いて、聖地問題のほか、エチオピア、アルメニア、ジョージアなど、中東域の状況について幅広く意見を交換した。
(編集「カトリック・あい」)
(2021.6.23 VaticanNews Fr. Benedict Mayaki、SJ)
教皇フランシスコは23日水曜恒例の一般謁見で、今回から、聖パウロの「ガラテヤの信徒への手紙」をテーマにした連続講話を開始された。
聖パウロは、この手紙の中で、回心と人生をキリストにささげる自身の決断への理解を容易にする多くの自伝的な言及をしており、自由、恵み、キリスト教徒の生き方など、重要なテーマにも触れている。
教皇は「このような内容は、私たちの時代の教会のあり方の多くの側面に触れています」とされ、それが、「聖パウロをよりよく理解するだけでなく、何よりも福音の素晴らしさを示す重要、かつ決定的な手紙であることの理由なのです」と語られた。
*聖パウロの福音宣教
この聖パウロの手紙でまず指摘すべき特徴について、教皇は、「宣教の旅の間に少なくとも2回、ガラテヤの教会共同体を訪れた聖パウロによる『福音宣教の偉大な働き』」とされた。また、「この手紙を読む限り、聖パウロが、彼が訪れた正確な場所、日時は定かでないが、ガラテヤ人は、現在のトルコの首都・アンカラを含むアナトリア地方に入植した古代ケルト族でした」と説明した。
さらに、聖パウロは、病の為に、この地方に留まることを余儀なくされたが、聖ルカは使徒言行録の中で「彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊によって禁じられていたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った」(16 章6節)としており、人体的だけでなく、精神的な動機がガラテア地方滞在の理由であったことを示唆している、と教皇は指摘。
ここで見られるように、「福音宣教の道は、私たちの意志と計画に必ずしもよりません。それでも、あえて、自分が決めた道を改め、予見されない他の道を選ぶことのできる積極性が必要です… 私たちが知っているのは、聖パウロが不屈の宣教活動によって、ガラテヤ地方全域に分散する小さな信仰共同体を設けることに成功したということです」と続けられた。
*危機の最中の司牧的関心
教皇は、パウロの司牧的な関心に焦点を移し、「パウロは、いくつもの教会を設立した後、ユダヤ教から改宗したキリスト教徒の中に、自身の教えに反する諸説の種を蒔き始めている者がいることを知りました… 彼らは、『異邦人もモーセの律法に従って割礼を受ける必要があり、ガラテヤの人々はユダヤ人の規範や慣習に従うために自らの文化的アイデンティティを放棄しなければならない』とし、『パウロは真の使徒ではなく、福音を宣べ伝える権限がない』と主張しました」。
そして、教皇は、この危機の最中にガラテヤの信徒たちの心を占めた確信の無さに注目された。特に、『ローマ皇帝に服従されたことも含めた奴隷制で織り混ぜられた自分たちの歴史にもかかわらず、イエスによってもたらされた救いが、新しい人生の始まりだ』ということを知り、信じるようになったからだ。
*パウロが置かれた危機と今の状況との類似性
教皇は、今私たちが置かれている状況に視野を転じ、宣教者たちの存在ー特に新しいコミュニケーション手段を通して、キリストの福音を説く代わりに、自分たち自身が、キリスト教徒となる最良の道についての”真理の管理者”であることを示す存在-に言及された。
「こうした宣教者たちは、『真のキリスト教は、自分たちが固守しているものーしばしば過去と変わらぬキリスト教ーそして今の危機に対する解決策として提示されるもの、”信仰の正当性を失わない”ための過去への回帰ーだ』と考えている」と指摘。「過去の伝統の中で獲得された確信に身を寄せたい、という誘惑が存在するのです」と警告された。
最後に教皇は、「パウロのガラテヤの信徒への手紙の教えは、『私たちが、どの道をたどるか』を知るのに役立ちます… それは、十字架につけられ、復活したイエスの、縛られない、常に新しい道、謙遜と友愛を通して達成される信仰宣言の道、聖霊があらゆる時代に教会で働かれる、という確信を持った柔和で従順、信頼の道です」と強調された。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
(2021.6.22 バチカン放送)
教皇フランシスコが22日、7月25日の第1回「祖父母と高齢者のための世界祈願日」に向けたメッセージを発表された。
「祖父母と高齢者のための世界祈願日」は、教皇が今年1月に創設を発表されたもので、イエスの祖父母、聖ヨアキムと聖アンナの日(7月26日)に近い、7月の4番目の日曜日に記念される。 初回にあたる今年の同祈願日のテーマは「私はいつもあなたがたと共にいる」(マタイ福音書28章20節参照)。
教皇はメッセージで、イエスが昇天前に弟子たちに言われた「私はいつもあなたがたと共にいる」という約束は、「高齢者の方々にも向けられたもの」とされ、「全教会もまた、皆さんに寄り添い、皆さんを独りにしてはならない、と願っています」と記された。
また、現在起きている新型コロナウイルスの世界的大感染と取り上げられ、「思いがけない嵐のようにそれぞれの生活に試練を与えましたが、とりわけお年寄りに与えた影響は、厳しいものでした」と語られた。
そして、多くの高齢者が感染し、亡くなり、あるいは配偶者や家族を失い、長い間孤立した生活を強いられている最近の状況を振り返られる中で、「主は私たち一人ひとりの苦しみを知り、痛ましい経験をした人々の側におられ、その孤独を心にかけておられます… 子に恵まれないために共同体から遠ざけられた聖ヨアキムをなぐさめるために、主が天使を遣わされたように、主は私たちにも、孤独を和らげるために天使を遣わしてくださします」と、世界中で悩み、苦しむお年寄りたちを励まされた。
さらに、「これらの天使たちは、時には皆さんの孫や家族や友人の顔を持っています… しかしながら、いまだに、多くの場所で、親しい人たちと会うことができないでいるのは、悲しいこと」。それでも、「主はみ言葉を通しても、メッセージを送ってくださるのです」とされ、福音書を毎日1ページ読み、詩編で祈ることで、主の誠実さに感動し、主が今日、私たちに願われていることを理解することができるでしょう」と勧められた。
また教皇は、「主はご自分のぶどう畑に、あらゆる時、人生のいかなる季節でも、働くよう人を遣わされます… 福音を告げるための仕事に定年はありません。 高齢者の召命とは、”ルーツ”を守り、若い人に信仰を伝え、小さな子どもたちの世話をすること… 社会に兄弟愛、友愛を築くためには、お年寄りたちの力が必要です」と強調。新しい社会の構築に必要な柱として「夢」「記憶」「祈り」の3つを挙げられた。
まもなく列聖される福者シャルル・ド・フーコー神父がアルジェリアの砂漠で隠遁士として孤独な生活を送りながらも、すべての人が兄弟であることを証ししたことを思い起こされた教皇は、「福者フーコー神父に倣い、私たちも貧しい人々の苦しみに心を開くことができますように」と祈られ、高齢者たち一人ひとりが、「私はいつもあなたがたと共にいる」という慰めに満ちた主の言葉を、「若い人をはじめ、すべての人に伝えることができるように」と願われた。
(編集「カトリック・あい」)
Pope Francis at the Sunday Angelus (Vatican Media)
(2021.6.20 Vatican News staff writer)
教皇フランシスコは20日年間第12主日の正午の祈りの説教で、この日のミサで読まれたマルコ福音書の箇所(4章35-41節)ーご自分と弟子たちが乗った舟を翻弄する嵐を、イエスが鎮められたーを取り上げ、 私たちの日々の暮らしの試練を、その高波と強風になぞらえて、「(嵐の中でも)主を追い求めることに決して疲れない信仰の恵みを願うように」と信徒たちに勧められた。
この箇所で、高波と強風に「溺れてしまう」と恐怖を感じた弟子たちが、眠っておられたイエスを起こして助けてくれるように願る。
教皇は、弟子たちが恐れ、戸惑っている様を、私たちが人生で試練に遭っている時になぞらえ、「私たちも主に向かって、『なぜ黙って、何もしてくださらないのですか』と叫ぶでしょう。職を失ったり、病気になったりして、”安全な港”が見つからないまま不安の波に翻弄されるとき、私たちの舟が『このまま沈んでしまうのではないか』と感じることがあります」とされた。
そして、「そうしたときに、私たちは、最も重要なことを見失う危険を冒すことが、時としてあります。しかし、イエスは、眠っておられ、あるいは見えなくなっておられるように、私たちには見えても、実際には、私たちの側におられ、起こっていることすべてをご存じなのです。そのようにして、私たちは試されるのです」と語られた。
さらに教皇は、「主はいつも側におられ、私たちが主と関わり、主を呼び起こし、私たちが経験していることの中心に主を置くのを待っておられるのです… 私たちは神を信じるだけでなく、神に立ち会い、神と共に声を上げ、神に叫ぶこともしなければなりません」と説かれ、騒乱から逃れるために船に乗り、欧州の港に向かおうとする移民・難民の悲壮な姿を思い浮かべられた。
また、私たちが出会っている苦難をすべて主に告げ、分かち合う必要がある、とされた教皇は、「それは、主が、私たちに『予期しない生命の危機から避難する所、慰め、助けを見つけることができるように』と願っておられるからです。イエスを起こして呼びかける、という弟子たちの行為は、私たちが倣うべきものです」とされ、「このような弟子たちの振る舞いは、私たちが『一人では浮かんでいられない』ことを理解するのに役立ちます。船乗りが空の星を見て進路を確認するように、私たちも主に目を向ける必要がある」と説かれた。
さらに、「私たちは、『自分が主に完全に依存していること、主の恵みこそ信仰の基本であること』を知り、『神を煩わさずに自分自身で問題に対処できる』と考える誘惑に注意する必要があります… 私たちが神に『あなたは、私たちの中に驚くようなことをなさいます』と願うとき、祈りのやさしく並外れた力が奇跡を起こすのです」と教皇は強調。
説教の締めくくりに、「イエスが、助けを求める弟子たちにこう問いかけられましたー『なぜ怖がるのか。まだ信じないのか?』と。これは私たちへの問いかけでもあるのです。特に、私たちが問題に凝り固まって、そこにしか注意が行かないとき、心を主に向け、主に信頼することしないとき、あるは、必要な時だけ主を起こそうとするとき、にです」と語られ、「私たちは、主を追い求め、主の心の扉をたたくことに決して疲れることのない信仰の恵みを願わねばなりません」と強く訴えられた。
そして、最後に、聖母マリアに、「あなたの神に対する絶えることのない信頼が、『日々、神に身を委ねるという基本的な姿勢』を私たちに呼び覚ましてくださるように」と祈られた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
教皇フランシスコと労働者 2017年5月 イタリア・ジェノバの製鉄所訪問で (Vatican Media)
(2021.6.17 バチカン放送)
教皇フランシスコは17日、バーチャル方式で開催中の国際労働機関(ILO)の年次総会にビデオを通しメッセージをおくられ、「皆さんの責任は重大ですが、努力によって得られる善はさらに大きい」と政治家、労働組合関係者、企業経営者たちを激励されるとともに、新型コロナウイルスの世界的大感染で打撃を受けている”労働弱者”に効果的な対策がとられるように願われた。
メッセージで教皇は、コロナ禍の中で「世界各国の社会的保護政策の不足が、貧困、失業、低賃金労働、若者の失業、児童労働、人身取引、食料供給不安などの問題を増幅させています」と指摘。各国の政府、企業経営者、労働者などが協力し合い、社会的に弱い立場にある人々、特に若者や移民、貧困者が救済策から置き去りにされることがないように希望された。
さらに、コロナの影響を受けている女性たちに目を向けられ、職場で健康の危険にさらされている女性労働者たち、保育施設の不足で子どもたちを保護者なしで家に留守番させざるを得ない、あるいは職場に伴わざるを得ない母親たちなどへの配慮を、関係自治体や施設運営者などに求められた。また、家庭内暴力、奴隷的扱い、雇用の不平等など、女性を取り巻く様々な問題に触れ、「女性の権利に対する認識」を高めるよう、改めて訴えられた。
企業経営者たちに対して労働者のケアを強く望まれたほか、多様な文化をもつ世界に視野を広げ、他国、他地域、他民族の文化を尊重し、相互の豊かさに役立てるよう呼びかけられた。
(編集「カトリック・あい」)