☩「イエスは、愛の欠落で傷ついた心を癒やしてくださる」教皇、年間第13主日正午の祈りで

(2021.6.27 Vatican News  Devin Watkins)

 教皇フランシスコは27日、年間第13主日の正午の祈りの説教で、イエスが、私たちの罪と偏見を超えて、傷や過去の過ちに苦しむ私たちの心を癒やしてくださる、と語られた。

 教皇は説教で、この日のミサで読まれたマルコ福音書の箇所(5章21-42節)を取り上げ、この箇所で、イエスは2つの劇的な状況に遭われ、それを通して、死と病いついて私たちに語っている、と指摘され、「イエスは、私たちの苦しみと死に心を打たれます。そしては癒しの二つのしるしを働かせ、苦しみも死も、『決定的な言葉を持たない』ことを私たちに告げられるのです」と説かれた。

*健康と優しい愛

 新型コロナウイルスの世界的大感染が未だに終息しない中で、教皇は、特に出血で苦しむ女性をイエスが癒された箇所に注目され、「この女性は、健康以上に他人から優しい愛情を受けることのできない苦しみを味わっていました。出血の病いは当時は、不純であるとみなされ、ひどい目に遭わされ、夫や家族からも離されて、心は傷つき、孤独の中で日々を送っていたのです」とされたうえで、「私たちの人生で最も深刻な病いは愛の欠如であり、愛することができないことです」と指摘された。

*優しい愛の中で癒される

 さらに教皇は、私たち全員を代表するこの無名の女性の物語で、彼女がどのように癒しを見つけることができるかについて考察された。

 彼女は、治りたい一心で、さまざまな効果のない治療に多額のお金を費やしたが、それは病状を悪化させるだけだった。「私たちもまた、愛の欠如を癒やそうと役に立たない救済策を模索し、成功とお金を求めてオンラインを使って無駄な検索に身をやつしています」と嘆かれる一方で、「でも、彼女は最後に、イエスと直接の、物理的な接触を求めることを選んだのです」と説かれた。

 そして、「主は私たちが、ご自分に出会うのを待っておられます。彼女がイエスの衣に触れて病を癒されたように、私たちの心を主に開くようにしましょう。イエスと親しく接することで、私たちは優しい愛の中で癒されるからです」と強調された。

 

*イエスの癒しの眼差しを求めて

 さらに、教皇は、イエスがこの女性がご自分の衣に触れたことに気付かれ、押し迫っている群衆の中に、彼女を見つけようとされたことに注目され、「これこそ、イエスの眼差しです。イエスの周囲には多くの人がいましたが、信仰に満ちた顔と心を持った人を探されました。イエスは群衆全体を見ているのではなく、個人を見ておられます」と述べ、イエスの眼差しは、「過去の傷や過ちにこだわらず、罪や偏見を超えて、心に届きます… イエスは、すべての人に拒絶されたその女性を癒し、彼女の信仰を讃え、『娘よ』と呼ばれたのです」と言われた。

*愛のみが命を癒す

 最後に、教皇は、信徒たち全てに対して、「イエスに、あなたの心を診て、癒してもらう」ことを勧められた。そして、「もしあなたが、イエスの眼差しをすでに経験しているのなら、愛が足りないために傷つき、孤独に苦しんでいるかもしれない周りの人たちに目を向ける必要があります… イエスはあなたに、周りの人たちに対する、外見にとどまらず、心に届く眼差しをを求めます。それは、判断するためではなく、心から受け入れる眼差し。愛だけが命を癒すからです」と語られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2021年6月27日