☩「主を信じ、主を求めるのに疲れてはならない」教皇、年間第12主日正午の祈りで

Pope Francis at the Sunday AngelusPope Francis at the Sunday Angelus  (Vatican Media)

(2021.6.20 Vatican News staff writer)

 教皇フランシスコは20日年間第12主日の正午の祈りの説教で、この日のミサで読まれたマルコ福音書の箇所(4章35-41節)ーご自分と弟子たちが乗った舟を翻弄する嵐を、イエスが鎮められたーを取り上げ、 私たちの日々の暮らしの試練を、その高波と強風になぞらえて、「(嵐の中でも)主を追い求めることに決して疲れない信仰の恵みを願うように」と信徒たちに勧められた。

 この箇所で、高波と強風に「溺れてしまう」と恐怖を感じた弟子たちが、眠っておられたイエスを起こして助けてくれるように願る。

 教皇は、弟子たちが恐れ、戸惑っている様を、私たちが人生で試練に遭っている時になぞらえ、「私たちも主に向かって、『なぜ黙って、何もしてくださらないのですか』と叫ぶでしょう。職を失ったり、病気になったりして、”安全な港”が見つからないまま不安の波に翻弄されるとき、私たちの舟が『このまま沈んでしまうのではないか』と感じることがあります」とされた。

 そして、「そうしたときに、私たちは、最も重要なことを見失う危険を冒すことが、時としてあります。しかし、イエスは、眠っておられ、あるいは見えなくなっておられるように、私たちには見えても、実際には、私たちの側におられ、起こっていることすべてをご存じなのです。そのようにして、私たちは試されるのです」と語られた。

 さらに教皇は、「主はいつも側におられ、私たちが主と関わり、主を呼び起こし、私たちが経験していることの中心に主を置くのを待っておられるのです… 私たちは神を信じるだけでなく、神に立ち会い、神と共に声を上げ、神に叫ぶこともしなければなりません」と説かれ、騒乱から逃れるために船に乗り、欧州の港に向かおうとする移民・難民の悲壮な姿を思い浮かべられた。

 また、私たちが出会っている苦難をすべて主に告げ、分かち合う必要がある、とされた教皇は、「それは、主が、私たちに『予期しない生命の危機から避難する所、慰め、助けを見つけることができるように』と願っておられるからです。イエスを起こして呼びかける、という弟子たちの行為は、私たちが倣うべきものです」とされ、「このような弟子たちの振る舞いは、私たちが『一人では浮かんでいられない』ことを理解するのに役立ちます。船乗りが空の星を見て進路を確認するように、私たちも主に目を向ける必要がある」と説かれた。

 さらに、「私たちは、『自分が主に完全に依存していること、主の恵みこそ信仰の基本であること』を知り、『神を煩わさずに自分自身で問題に対処できる』と考える誘惑に注意する必要があります… 私たちが神に『あなたは、私たちの中に驚くようなことをなさいます』と願うとき、祈りのやさしく並外れた力が奇跡を起こすのです」と教皇は強調。

 説教の締めくくりに、「イエスが、助けを求める弟子たちにこう問いかけられましたー『なぜ怖がるのか。まだ信じないのか?』と。これは私たちへの問いかけでもあるのです。特に、私たちが問題に凝り固まって、そこにしか注意が行かないとき、心を主に向け、主に信頼することしないとき、あるは、必要な時だけ主を起こそうとするとき、にです」と語られ、「私たちは、主を追い求め、主の心の扉をたたくことに決して疲れることのない信仰の恵みを願わねばなりません」と強く訴えられた。

 そして、最後に、聖母マリアに、「あなたの神に対する絶えることのない信頼が、『日々、神に身を委ねるという基本的な姿勢』を私たちに呼び覚ましてくださるように」と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2021年6月20日