☩「祖父母と高齢者のための世界祈願日」への教皇メッセージ全文

親愛なる祖父母、高齢者の皆さんへ!

 「私はいつもあなたがたと共にいる」(マタイ福音書28 章20節参照)は、主が天に昇る前に弟子たちになさった約束であり、今日、親愛なる祖父と祖母であるあなたがたに向けたものです。

 ローマ司教として、またあなたがたと同じ高齢者として、この第一回「祖父母と高齢者のための世界祈願日」の機会に皆さんに申しあげたい言葉は、「全教会があなたがたのそばにいます。さらに言えば、教会が私たちの近くにいます。あなたがたを気にかけ、あなたがたを愛し、あなたがたを一人にしたくありません!」です。

 今の困難な時期に、このメッセージがあなたがたに届くことを知っています。新型コロナウイルスの世界的大感染は予期せぬ猛烈な嵐であり、すべての人の人生に降りかかる厳しい試練であり、私たち高齢者とって、特別に厳しい仕打ちとなっています。多くの人が感染し、多くの人が家を去り、配偶者や愛する人の命が奪われるのを目の当たりにするなど、あまりにも多くの人が、非常に長い間、孤立した孤独を強いられてきました。

 主は、この時代の私たちの苦しみ一つひとつを知っておられます。捨てられる、という辛い経験をしている人に寄り添われます。コロナでさらに困難な状態に置かれた私たちの孤独に、主は無関心でおられません。

 伝承によれば、イエスの祖父である聖ヨアキムも、子供に恵まれなかったために、妻のアンナとともに、「無駄な人生」を送っている者とみなされ、共同体から追放されたといわれています。しかし、主は天使を送って彼を慰め、彼が城門の外で悲しんでいると、主の使者が現れて「ヨアキム、ヨアキム!」と呼びかけ、主が、彼の切実な祈りを聞いてくださいました[1] 。

 ジョット(注:ジョット・ディ・ボンドーネ=中世後期のイタリア人画家)は、有名なフレスコ画 [2] の中で、私たちの多くが慣れ親しんでいる、記憶や心配事、欲望に満ちた眠れない夜のシーンを描いています。

しかし、このコロナ大感染の今のように、すべてが暗く見えるときでも、主は私たちの孤独を慰めるために天使を送り続け、「私は毎日、あなたがたと一緒にいる」と繰り返してくださいます。あなたにも、私にも、皆に呼びかけてくださいます。

 多くの人が長い間、孤立した生活を続け、通常の社会生活を再開するにはまだ時間かかると思われる今、私が祝いたいと考えた(カトリック教会として初めての)「祖父母と高齢者のための世界祈願日」の意味はここにあります。

 すべての祖父と祖母たち、特に私たち高齢者の中で最も孤独な人たちが、天使の訪問を受けられるように、主は望まれます。(その時の天使は)孫の顔をしていることもあれば、家族や生涯の友人、この困難な時期に出会った人の顔をしていることもあるでしょう。コロナ禍で、私たちは、実際に顔を合わせたり、抱き合ったりすることがどれほど大切か、改めて感じていますが、そうしたことが出来ないケースも少なくないことを、とても悲しく思います。

 そうであっても、主は、私たちの人生に、決して欠けることのない御言葉を通して、私たちにも使者を送ってくださいます。毎日、福音書を1ページずつ読み、詩編を通して祈り、預言の書を読もうではありませんか。

 聖書を読むことは、主の誠実さに感動し、主が今日、私たちの人生に何を求めておられるか、を理解する助けになります。主は、一日のどの時間帯でも(マタイ福音書20章1-16節参照)、人生のどの時期でも、私たちを、ご自分のぶどう園に働き手として送り出されます。私自身、ローマ司教への召命を受けたのは、
いわば定年を迎え、「もう新しいことはできない」と思っていた時でした。

 主は、新しい招き、新しい言葉、慰めをもって、いつも、私たちの近くにいてくださいます。主は、私たちが永遠であり、決して引退しないことを知っておられます。マタイの福音書の中で、イエスは使徒たちに「あなたがたは行って、すべての民を私の弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じたことを、すべて守るように教えなさい」(28章19-20節)と言われます。

 この言葉は、現代の私たちに向けられた言葉でもあります。私たちの召命が、(私たちの信仰の)基礎をしっかりとし、若い人たちに信仰を伝え、幼い人たちの世話をすることであることを、よりよく理解させてくれます。

 よく聞いてください。私たちの年齢の者に与えられる使命とは何でしょうか? それは、信仰の基礎をしっかりとし、若い人たちに信仰を伝え、幼い人たちの世話をすることです。これを忘れないように。何歳になっても、仕事をしていてもしていなくても、一人でも家族がいても、祖母や祖父になったのが歳の若い時でも歳とってからでも、他の人の助けが要ってもいらなくても、「福音を伝える仕事や、信仰の伝統を孫たちに伝える仕事から引退する歳」というのは、ありません。新しいことに挑戦するためには、何よりも自分を捨て、動き始める必要があります。

 歴史上の重要な瞬間に、あなたにも新たな召命があります。あなたは自分自身に問いかけるでしょうー「しかし、これはなぜ、可能なのでしょう?私のエネルギーは尽きており、あまり多くのことが出来ないと思います。習慣が、私の存在のルールになっている場合、どのようにして別の行動を取り始めることができるのでしょう? すでに家族のために多くの課題を抱えているのに、貧しい人々のために自分を捧げることができるでしょうか。家から出ることもままならないのに、どうやって視野を広げることができでしょう? 私の抱える孤独は重すぎるのではなでしょうか?

 そのように自問する方は、どれくらいおられるでしょうか。イエスご自身も、ニコデモから「年を取った者が、どうして生まれることができましょう」と尋ねられました(ヨハネ福音書3章4節参照)。そしてイエスは、ご自分が「あなたがたは新たに生れなければならない」と言ったことに驚いてはならない、とされ、主の御心のままに風を送られる聖霊の働きに心を開くことだ、と答えられました。

 これまでも繰り返し申し上げていますが、世界が直面している現在の危機が終息した後、私たちは危機以前と同じような生き方はできません。良くも悪くも”脱出”するのです。そして、「神よ、今回の危機が、私が学習できなかった何十回目かの重大な歴史的出来事に終わりませんように –  人工呼吸器が不足しているために命を落とされたお年寄りの悲劇を忘れないためにも。このような大きな痛みを無駄にすることなく、新たな生き方に飛躍が必要であること、お互いを必要とし、助け合うのが義務であることを、はっきりと認識し、人類が生まれ変われますように」(回勅Fratelli tutti(兄弟のみなさん)35項参照。

   誰も一人では自分を救うことはできません。私たちはお互いに借りがあります。このような観点から、私は皆さんに、友愛と社会的な友情の中で、明日の新しい世界、ーつまり嵐が去った後に私たちと私たちの子や孫たちが住む世界ーを構築する必要があることを、強調したいと思います。私たちは「問題を抱えた社会の再生と支援に積極的に参加して」行かねばなりません(同回勅77項参照)。

 そして、この”新しい建物”を支える様々な柱の中で、他の誰よりもあなたがたが役に立てる柱が三つありますー夢、記憶、祈りです。私たちの中で最も弱い人にも、夢、記憶、祈りの道に沿うことで、新しい旅をする力が与えられるのです。

 預言者ヨエルは、かつてこのような約束をしましたー「老人は夢を見、若者は幻を見る」(ヨエル記3章1節参照)。世界の未来は、若い人と年配の人の同盟関係にあります。若い人以外に、誰が年配者の夢を受け継いで前に進めることができるでしょうか。そして受け継ぐために、夢を見続けることが必要です。正義、平和、連帯の夢の中には、「若い人たちが新しいビジョンを持つ可能性」があり、それによって私たちは共に未来を築くことができるのです。

 また、試練を乗り越え、新たに生まれ変わることが可能なことを、目の当たりにする必要があります。それだけではありません。あなたがたの人生にはたくさんの経験があります。その経験から学んだものを提供してください。夢は記憶と絡み合っています。痛みを伴う戦争の貴重な記憶。そこから、新しい世代が平和の価値をどれだけ学ぶことが出来るでしょう。経験から学んだことを発信するのは、戦争の苦しみを生きてこられたあなたがたなのです。

 記憶することは、すべての高齢者の真の使命です。記憶すること、そしてその記憶を他の人に分かち合うことです。ショアー(ナチスがユダヤ人を虐殺したホロコースト)の悲劇を生き延びたエディス・ブルックは、「たった一つの意識を照らすだけでも、過去の記憶を生かすための努力と苦痛に値する」と言い、彼女はこう続けています。「私にとって記憶は生きることです」[3] と。

 また、私の祖父母や、移住を余儀なくされた皆さんのことを思い起こします。未来を求めて今もなお故郷を離れる人が増え続けているように、故郷を離れることは、どれほど大変なことでしょう。その中には、私たちのそばにいて世話をしてくれる人もいるかもしれません。このような記憶は、もっと人間的で、もっと他者が歓迎される世界を築くのに役立ちます。しかし、記憶がなければ建築はできません。基礎がなければ家は建ちません。絶対にありません。そして、人生の基本は記憶です。

 私の前任者である教皇ベネディクト16世は、高齢にあって教会のために祈り、働き続けておられますが、かつて「高齢者の祈りは世界を守ることができ、おそらく多くの人の労苦よりも切実に世界を助けることができる」とおっしゃいました[4] 。この言葉は、教皇職を退かれる直前の2012年に発表されました。美しい言葉です。あなたの祈りは最も貴重な資源であり、教会と世界が奪うことのできない肺(使徒的勧告『エヴァンゲリイ・ガウディウム』262参照)。特に、人類にとって非常に困難な時期ー私たちが同じ船で、コロナ大感染の嵐の海を渡っている時ーに、世界と教会のための、あなたの執り成しは無駄ではなく、穏やかな着地への自信をすべての人に提供してくれます。

 親愛なる祖母たちよ、親愛なる祖父たちよ、このメッセージを終えるにあたり、まもなく聖人となられるシャルル・ド・フーコーの例を挙げたいと思います。彼はアルジェリアで隠遁生活を送り、その周辺環境の中で「すべての人間が兄弟であると感じたい、という願望」(『回勅 Fratelli tutti(兄弟のみなさん)』287項)を証ししました。彼の行いは、砂漠の孤独の中でも、全世界の貧しい人々のために執り成し、真に普遍的な兄弟姉妹となることが可能だ、ということを示しています。

 主よ、あなたの模範に感謝しながら、私たち一人ひとりが心を開き、最も小さい者の苦しみに敏感になり、彼らのために執り成すことができるよう、お願いします。私たち一人ひとりが、すべての人に、特に若い人たちに、今日、私たちに向けられた慰めの言葉、「私は毎日、あなたがたと一緒にいます」を繰り返すことができますように。前進して、また勇気を出してください! 主の祝福がありますように。

       ローマ、聖ヨハネ・インラテラノ 2021年5月31日, 聖母の訪問祝日 フランシスコ
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[1]このエピソードは、”ヤコブの福音書”で語られています。
[2] これは、「世界祖父母・高齢者デー」のロゴに選ばれたイメージです。
[3] 記憶は命、書くことは息。L’Osservatore Romano 2021年1月26日。
[4] 2012年11月2日、「Viva gli anziani高齢者万歳」ファミリーホームを訪問。

(翻訳・「カトリック・あい」読者、編集・南條俊二)

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2021年7月20日