(2021.7.18 Vatican News staff writer)
教皇フランシスコは年間第16主日の18日、サンピエトロ広場に集まった会衆とともに、バチカン宮殿の窓から二週間ぶりの正午の祈りを捧げられた。祈りに先立つ説教で、教皇はご自分の7月4日の手術とその後の入院の経験を踏まえて、「休息、熟考、思いやり」を通じて育てる「心のエコロジー」の必要性を強調された。
説教で教皇はこの日のミサで読まれたマルコ福音書の箇所(6章30‐34節)から、イエスが弟子たちに言われた「しばらく休むがよい」(31節)を取り上げ、「イエスはここで私たちに重要な示唆を与えてくれます… 弟子たちの宣教の活動ぶりを聞いて、うれしく思われる一方で、彼らが肉体的、精神的に疲労していることを気遣われているのです」とされた。
そして、私たちも、すべての活動に急いで対応するのに忙殺され、物事を行ない、結果を出すことに懸命になりますが、そのことで、自分が主人公だと思い込む危険がある、と指摘され、「これは、教会でも時々見られます。とても忙しくしている時に、すべてが『自分にかかっている』と考えてしまう。そうすると、イエスを見落としてしまう危険を冒すことになる。イエスの『しばらく休みなさい』は、肉体的な休息だけでなく、心の休息についても言われているのです」と言われた。
また教皇は、本当に休息をとるために、「私たちは、物事の核心に立ち戻る必要がある」とされ、そのためには「活動を止め、沈黙し、私たちがした事、する必要のある事すべてに集中するのを止める助けを祈ることです.」と説かれた。
さらに「イエスはいつも他者に奉仕されましたが、毎日、祈り、沈黙し、御父と親しくお話になる時を持たれました。イエスの『しばらく休みなさい』という優しい言葉は、私たちにも当てはまります… 休息の取り方を学びましょう。携帯電話の電源を切り、お互いに目をやる… 沈黙し、物事の本質をじっくりと思い、神との対話で自分を霊的に再生させる…などです」と語られた。
しかし、マルコ福音書のこの箇所では、群衆が助けを求めたやって来たために、結局は、イエスも弟子たちも休息をとることが出来なかった。後を追って来る大勢の人々を見て、イエスは深く憐れみ、彼らを助けるために、色々と教え始められた、とある。教皇は、このイエスの振る舞いは「弟子たちに先に言われた『しばらく休みなさい』と矛盾しているように見えるかも知れませんが、そうではない。忙しさに我を忘れることのない心は、他者とその傷や求めを知ることで動かされる心だからです」と説かれた。
そして、最後に、「他者への思いやりは、深く観想することから生まれます。そして、本当に休息をとることを学ぶことで、私たちは真に思いやりを持つことができるのです。主といつもつながり、自分自身の最も深いところを麻痺させないでいるなら、するべきことは、自分を息切れさせたり、貪欲にするようにする力をもつことではありません。私たちに必要なのは『心のエコロジー』ー休息、深く思うこと、思いやりの心ーです。夏の季節をそのために活用しましょう!それが私たちを少しばかり助けてくれるでしょう」と会衆を促された。
そして、聖母マリアー沈黙、祈り、そして瞑想を培い、ご自分の子どもである私たちに優しい思いやりをもっていつも活動されている方ーに祈りを会衆と共に捧げられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)