☩使徒聖ペトロ・聖パウロの祭日ミサ「私たちも二人に倣い、主との出会いによって”解放”されよう」

(2021.6.29 バチカン放送)

 ローマの保護者、使徒聖ペトロ・聖パウロの祭日の29日、教皇フランシスコが聖ペトロ大聖堂でミサを捧げられ、新型コロナウイルス感染拡大防止対策に従いつつ、多くの枢機卿や司教、信者たちのほか、カルケドン府主教エマニュエルを団長とする正教会のエキュメニカル総主教庁の使節団が参加した。

 説教で教皇は、教会を支える2本の重要な柱、偉大な使徒、聖ペトロと聖パウロの信仰を見つめられ、「2人の使徒の生涯の中心にあるものは、彼らの優秀さではなく、生涯を変えたイエスとの出会いでした… イエスの愛にいやされ、解放された彼らは、人々を解放するための使徒となったのです」と話された。

 そして、「ペトロは、イエスの無条件の愛によって、自分の不適格さに対する思いや失敗による挫折から救われた」とされ、イエスとペトロの絆を表す様々なエピソードを思い起こされた。

 ペトロについては、経験豊かな漁師でありながら、夜通し働いても、何も獲れず、敗北感を抱いていた時( ルカ福音書5章5節、ヨハネ同21章5節参照)、屈強で激しい性格である反面、すぐに恐れにとらわれる時( マタイ14章30節参照)、主の情熱的な弟子であっても、この世の論理にしばられ、キリストの十字架の意味を理解できない時(同16章22節)、イエスのために命を捧げる覚悟を表明しながらも、イエスと一緒にいたと疑われただけで、イエスを知らないと答えてしまった時(マルコ福音書14,章66-72節)の場面を想起された。

 そして「こうしたペトロの弱さにもかかわらず、イエスは彼を無償で愛し、彼という人間に賭け、励まし続けました… イエスは、ペトロを、恐れや打算、この世の心配などから解放され、彼に、すべてを投げ打つ勇気と、人間をすなどる漁師としての喜びを与えました。まさに兄弟たちの信仰を力づけるための使命を与えたのです( ルカ福音書22章32節)」と説かれた。

 次に、サウロ=パウロについて、「彼がイエスによって何から解放されたのか」を考察され、「イスラエル王国の初代王にちなむ『サウロ』という名を持つ彼は、自分自身の強いこだわりへの隷属から解放され、小さき者を意味する『パウロ』となりました。また、先祖からの伝承を守る熱心さ( ガラテヤの信徒への手紙1章14節)や、キリスト教徒を迫害する暴力からも解放され、形式的な規律の厳守から、神と兄弟への愛へと自らを開きました」と語られた。

 また一方で、「神はパウロから使徒職の試練や、体の弱さ( 同4章13-14節)、暴力、迫害、遭難、飢え、渇き、また彼自身の『身に与えられた一つのとげ』(コリントの信徒への手紙2・12章7-10節)を取り除くことはなかったが、これらの多くの弱さと困難は、彼の福音宣教の使命を豊かにしたのです」と指摘された。

 そのうえで、「私たちも主との出会いによって常に解放されることが必要です。そして、自由な教会だけが、信頼し得る教会なのです」と強調された。

 なお、この日のミサで祝別されたパリウムは、最近任命された世界の首都大司教らに託されるもの。聖アグネスの日(1月21日)に教皇が祝別した子羊の毛を用いた白く細長い織物を輪状に仕立て、6か所に十字を刺しゅうしたもの。輪に首を通し祭服の両肩にかけるパリウムは、羊を背負う「善き羊飼い」を象徴する。 首都大司教らは、教皇から与えられたパリウムを教皇大使の手を通し信者の前で着衣する儀式を、各自の国で行う。

(編集「カトリック・あい」)

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2021年6月30日