◎教皇連続講話「ガラテヤの信徒への手紙」⑤「私たちは律法の下にない、神の子として生きる」

(2021.8.18 Vatican News By Christopher Wells)

   教皇フランシスコは18日の水曜恒例の一般謁見で、聖パウロの「ガラテヤの信徒への手紙」についての講話を続けられ、今回は、キリスト教徒にとっての律法の役割に関するパウロの理解を中心にお話しになった。

 教皇は冒頭、「イエス・キリストへの信仰による”約束の子供たち”は、もはや律法に縛られず、”福音の自由”という厳しい生き方に招かれている、ということを聖パウロは教えてくれました」とされ、「聖パウロにとって、信仰の受容は、”救いの歴史全体”と”私たち自身の個人的な物語”の両方の転機。信仰の中心にあるのは、イエスの死と復活。パウロは、それを、救いの”洗礼盤”、神の子への信仰を支えるものと説いたのです」と語られた。

 そして、キリスト教徒にとって、「信じる者となる前」と「信仰を受けた後」の期間があり、それゆえに、「律法そのものに関しても『前』と『後』がある」と指摘され、「信仰を受ける前の時期に『律法の下にある』ことは、見張られ、閉じ込められる、”予防拘留”のような否定的な意味を持ちます」と述べられた。

 

*律法には”予備知識”としての価値

 さらに教皇は「律法は、それを破ることが何を意味するのかを、私たちに認識させ、また人々に自分の罪を認識させます。ある意味で、それは『違反を刺激する』ことになります」と語られ、教育者としての聖パウロの律法についてのイメージを用いて、「律法は”限定的”な機能を持つ一方で、イスラエルの民を守り支えるためにも役立ちましたー弱い彼らを教え、鍛え、支えました」と説かれた。

 このように、律法には前向きの機能があったにもかかわらず、”時の制約”を受けていた。「子供が成人すると、もはや保護者を必要としなくなるように、人が信仰に達すると、律法は”予備知識”としての価値を失い、”別の権威”に道を譲らねばならなくなります」と教皇は述べる一方で、それでも「律法はまだ存在し、依然として重要です…律法の果たす役割については、慎重に検討する価値があり、”誤解”に道を譲ったり、”誤った措置”を講じたりすることはありません」と注意された。

 そして、「私たちがまだ律法を必要とする時代に生きているのか、それとも、『神の子供』他成り、愛のうちに生きる恵みを受けたことを十分に認識しているのかー自分自身に問いかけるのは、よいこと、よい質問です」と話され、さらに、「私は律法の戒めを軽んじるでしょうか。いいえ、それを尊重はします。ですが、絶対的なものとして見ることはしません。なぜなら、私を義とされるのはイエス・キリストだ、ということを知っているからです」と強調された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2021年8月18日

☩「天に至る旅の秘訣が”謙虚さ”にあることを、マリアは教えてくれる」聖母被昇天・正午の祈り

 教皇フランシスコは15日、聖母被昇天・正午の祈りの説教で、「マリアは私たちに、 地上から天に至る旅の秘訣は”謙虚さ”という言葉にあることをおしえてくれます。マリアの被昇天は、神がこの栄光に満ちた目的地に向かうように、と神が私たちを招いておられるのを示しているのです」と語られた。

 聖母被昇天の日にあったって、教皇は説教の冒頭、この祭日の要諦は「マリアの謙虚さにある」とされ、「神は心を見、マリアの謙虚さに注目される」が、「人は、謙虚さの本質的な重要性を見過ごし、外見と”威厳”に気を取られてしまうことが多い」と指摘された。

(以下は「バチカン放送」より)

 今日、教会は聖母マリアの被昇天の祭日を祝います。今日のミサ中の福音は、マリアの賛歌、「マニフィカト」が中心となっています。この賛歌は、神の御母マリアを忠実に表す、いわば写真のようなものです。マリアは「救い主である神を喜びたたえます」。なぜなら、主が「この卑しい仕え女に、目を留めてくださったからです」( ルカ福音書1,章47-48節)参照。

 謙虚さこそ、聖母マリアの秘訣でした。この謙虚さが、神の眼差しをマリアに引き付けたのです。私たち人間は往々にして偉大さを目指し、外見の輝かしさに目をくらませがちです。しかし、神は外見ではなく、心によってご覧になります(サムエル記上 16章7節参照) 。そして、神は謙虚さにこそ心を打たれるのです。

 今日、天に上げられた聖母マリアを見つめながら、謙虚さこそ、天に到るための道だと言うことができます。謙虚という言葉は、ラテン語の土を意味するフムスという言葉から来ています。高きに、すなわち天に至るためには、土のように、低きに留まる必要があるということは、実に逆説的です。イエスご自身がそれを教えておられます。「へりくだる者は高めれられる」(ルカ福音書 14章11)節)。

 神は、才能や、富、優秀さのためではなく、私たちの謙虚さによって、高められます。

 神は身を低くする者、仕える者を高めます。事実、聖母マリアは自分を「主の仕え女」(ルカ 福音書1章38)節と定義しています。 マリアは自分についてそれ以上を言わず、それ以上を求めません。

 今日、自らに問いかけましょう。自分は謙虚でしょうか。人々から認められること、称賛されることを求めてはいないでしょうか。それとも、人々に奉仕することを望んでいるでしょうか。マリアのように他人に耳を傾けることができるでしょうか。それともただ皆の注意を引くことに躍起になってはいないでしょうか。マリアのように沈黙することを知っているでしょうか、それとも、ひっきりなしにしゃべり続けてはいないでしょうか。一歩下がることを知っているでしょうか。言い争いや議論を止めるより、かえって皆の上に立つことを求めてはいないでしょうか。

 聖母マリアは、その小ささによって、誰よりも先に天に上られました。マリアの生涯の秘訣は、その貧しさ、小ささを自覚したことです。神と共に、自分の無を認める者だけが、すべてを得ることができるのです。自分自身を空にする者だけが、神に満たされることができるのです。聖母はまさしくその謙遜によって、恵みに満ちたお方となりました。

 私たちにとっても、謙虚さはすべての出発点であり、信仰の始まりです。心の貧しい者、すなわち神を必要としている者であることが基本です。自分でいっぱいになっている者の中に、神の場所はありません。謙虚さのうちに留まる者は、その中で神が偉大なことをなさるのです( ルカ福音書1章49節参照)。

 詩人ダンテも、その作品の中で聖母マリアの謙虚さを讃えています(神曲・天国篇 33章 2)節)。その生涯を、家庭の中で、日常生活の中で。過ごされた歴史上最も謙虚で崇高な方が、第一番に霊魂と身体と共に天に上げられたことを考えるのは素晴しいことです。

 「恵みに満ちた方」の日常は、何も目立つことがありませんでした。沈黙と、毎日同じことの繰り返しの中に、外見的には何も特別なことはありませんでした。しかし、神の眼差しは、彼女の謙虚さと従順に、罪のけがれを知らぬその心の美しさに驚嘆しつつ、いつもマリアの上に注がれていました。

 これは、何の変哲もない日々、時には苦労や困難に満ちた毎日をおくるわたしたちや、あなたにとって、素晴らしい希望のメッセージです。聖母マリアは、今日、神はあなたをもこの栄光の定めに招いておられることを、思い起こさせてくださいます。ただの奇麗な言葉だけではありません。単なる慰めでもありません。天に上られた聖母マリアのように、それは本当のこと、事実です。いつの日か、私たちも聖母と共に天国にいるという希望に生かされて、子としての愛を込めて、聖母のこの祭日をお祝いしましょう。

 天国への歩みにおいて、聖母がいつも私たちを導いてくださるよう祈りましょう。すべての成功の秘訣は謙虚さにある、ということを、小ささと奉仕こそが、目的に達するため、天国に達するための秘訣であるということを、いつも忘れないようにしましょう。

(編集「カトリック・あい」=引用されている聖書の翻訳は 「聖書協会・共同訳」を使用。表記は原則として当用漢字表記に統一。また、教皇がキーワードにされている「l’umiltà 」、バチカンの公式英語訳で「humility 」の日本語訳は一般に、「謙虚」「謙虚さ」(心にわだかまりのないこと、控えめ、素直)「謙遜」(へりくだること。卑下すること)などとされています。この場合のニュアンスとして、聖書の翻訳によく見られる「謙遜」よりも、「謙虚」「謙虚さ」の方が適切と判断したので、表記を統一しました)

2021年8月15日

☩「”喜びの証し人”となるように」教皇、中南米の修道者たちへ

The Pope is urging Latin American religious to be joyful in their missionThe Pope is urging Latin American religious to be joyful in their mission  (AFP or licensors)

 教皇フランシスコは13日からオンライン形式で始まったラテンアメリカ修道者連盟主催の会議にビデオメッセージを送り、現地の文化に、喜びを持って福音を根付かせるように勧められた。

 会議は“Toward an Inter-congregational, Inter-cultural, and Itinerant Religious Life(修道会の交わり、文化の交わり、そして巡回する宗教生活を目指して)”をテーマに3日間の予定で開かれている。

*福音を現地の文化に適応させる

 メッセージで教皇は、修道者たちの現地での活動において、「福音をinculturate(キリスト教の信仰と伝統を、現地の非キリスト教文化に適応させていくこと=「文化的受肉」などとも訳される)すること、笑顔を持ち続けることの重要さ」を強調された。

 教皇は、修道者たちには、信仰をinculturateするという特別の務めがある、とされたうえで、「一致とは均一にすることではなく、多面的な調和を図ることだ、と知ることは、私たちにとってとても良いこと。調和は、聖霊が始められたことなのです」と指摘。

*現地文化を福音化する

さ らに、男女の修道者たちに、「あなた方は、現地の状況に適応し、福音宣教の手段となる神学を育むのを助けることができます」とされ、「文化に根ざさない信仰は本物ではない、ということを忘れないようにしましょう。文化を福音化することを求めつつ、現地の人々の習慣や伝統に敬意を払い、信仰心のある人々の生活に入っていくうように」と促された。

 そのような現地文化の受容がなされない場合、キリスト教徒の生活は、あまりにもちぐはぐで、愚かしい(注*霊と物質の二元論的な)グノーシス的なものに終わってしまいます」と警告。その実例として、典礼の誤用を挙げられ、「inculturate the faith and evangelize culture(キリスト教の信仰が現地文化を受容するように、現地文化が福音化するように)」務めるよう、会議参加者たちに勧められた。

*過去への郷愁、”数と効率”を捨てる

 また教皇は、修道者たちは「巡回者であり、友愛の促進者」であり、その奉献生活を通じて「霊的交わりの専門家」である、と指摘。そうした価値を持つ存在であるにもかかわらず、修道会の中にはしばしば、会員数を気にし、「生き残ること」だけにとらわれる傾向がみられるが、「そうしたことは、古き良き日々の思い出に閉じこもる臆病な態度をもたらすだけです」と注意された。

 そして、「”数と効率”という基準を捨てるのは、良い考えです。そうしないと、修道者たちは、いつもびくびくとしている”弟子”になり、過去に囚われ、郷愁に悩まされることになり得えます。“郷愁”は、 修道生活の”siren song(潜在的な危険を持つ誘惑の呼び掛け)”なのです」とも警告された。

*キリストと共にある喜び

 意気消沈させる”郷愁”に対する”解毒剤”として、教皇は会議参加者の修道者たちに、「喜び」を示され、「神の聖なる民たちと共にいて、彼らを尊敬し、福音を伝え、彼らに証しし、その他は聖霊に任せるように」と語られた。

 さらに、「”喜び”は、キリストと共にある生活の最も素晴らしい表現。神の聖なる民たちに奉仕し、父との出会いを目指す彼らと旅を共にするように呼ばれている私たちが提供できる最も素晴らしい証しなのです」と強調。「平和とユーモアの感覚は、”喜びの感覚を伴う恵み”。イエスと共にいることは喜び。その喜びは、神聖さにユーモアの感覚を持たせる役割を持っています」と説かれた。

 最後に教皇は、会議参加者に聖母マリアに、彼らが「出会いと友愛の男性、女性」となるよう助けを求める祈りを勧められた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2021年8月14日

・教皇、殺害されたオリヴィエ・メール神父に深い哀悼の意

オリヴィエ・メール神父オリヴィエ・メール神父 

 教皇フランシスコは11日の水曜恒例の一般謁見で、9日にフランス西部で殺害されたマリア宣教会(モンフォール宣教会)のフランス管区長、オリヴィエ・メール神父に深い哀悼の意を捧げられた。

 また教皇は、マリア宣教会の共同体と、神父の親族、そしてフランスのすべての信徒に対してお悔やみを述べられ、神父の死を悼むすべての人に精神的一致を約束された。

 神父を殺害したルワンダの男は、昨年7月のナントの大聖堂の火災の際、放火の疑いで逮捕された後、観察処分となり、サン・ローラン・シュル・セーヴルにあるマリア宣教会の共同体に身柄を預けられていた。神父殺害のあと、警察に出頭し、犯行を自供した。男は精神的に不安定な状態にあり、現在、精神科医療施設に収容されている。

(編集「カトリック・あい」)

2021年8月12日

◎教皇連続講話・ガラテヤの信徒への手紙④「神の約束は、キリストにおいて成就される」

Pope Francis holds the weekly General Audience in the Paul VI HallPope Francis holds the weekly General Audience in the Paul VI Hall  (Vatican Media)

(2021.8.11 Vatican News  Devin Watkins)

   教皇フランシスコは11日水曜恒例の一般謁見で、「ガラテヤの信徒への手紙」をテーマにした講話をお続けになり、その中で、「聖パウロは、キリスト教徒たちに、モーセの律法がキリストにおいて成就されたことに目を向けるように、強く促されている」ことを強調された。

  教皇はこの日の講話を、「では、律法とは何でしょうか」という、ガラテヤの信徒への手紙3章19節の冒頭でのパウロの問いかけから始められ、この日の講話の狙いが、「聖霊によって活気づけられたキリスト教徒の人生を認識することにある」とされた。

 聖パウロはガラテヤの信徒たちに手紙を書き、「異邦人(非ユダヤ人)のキリスト教徒たちは、モーセの律法のすべての戒めに従わねばならない」とする主張に反論しようとする(使徒言行録15章28-29節参照)。

 旧約聖書巻頭のモーセ5書に含まれている律法は、ユダヤ人が神との絆を維持し、契約を尊重する手段だった。教皇は、律法について、「神がご自分の民と結ばれた契約に関連しています。特に預言者の書物では、何度か、律法の戒めを守らなかったことが、契約の真の裏切りとなり、結果として神の怒りを引き起こしたこと」に注意を向けられた。

 そして、このことは、神と民との契約と律法の二つが、しばしば不可分なものとして理解されたことを意味していたが、「聖パウロは、これはキリストの弟子たちには当てはまらない、と一貫して主張しました。彼は、ガラテヤの信徒たちに、『契約と律法は、分かち難く結び付いてはいない』と説明しました(3章21節参照)」と教皇は指摘。「聖パウロは、アブラハムと神の契約は、神がモーセに律法を授ける430年前になされた、という事実の基づいてそう言ったのです。彼にとって、契約は『約束の成就への信仰』に基ずくものでした」と説かれた。

 さらに、教皇は、「聖パウロはモーセの律法そのものには反対しておらず、彼の手紙のいくつかの中で、律法の神聖な起源と、救いの歴史における明確な役割をしばしば擁護しています」としたうえで、「しかし、律法は命を与えません。それは神の約束を成就することにならない。それは約束の成就を可能とはしないのです」と指摘され、 「命を求める人は、神の約束と、それがキリストにおいて成就されることに、目を向ける必要があります」と強調された。

 講話の締めくくりに教皇は会衆に向かって、「キリスト教徒の人生の革新性」を進んで受ける入れるように強く促された。「イエス・キリストを信じるすべての人は、聖霊のうちに生き、律法から自由になると同時に、同時に愛の戒めに従って律法を成就させるように、求められています。戒めと律法が私たちをキリストに向けさせるのです」。

 そして、次のように祈られたー「私たちがキリストの愛に目を向け、イエスとの出会いがすべての戒めよりも重要であることを知る中で、(愛の)戒めの道を旅するのを助けてくださいますように」。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2021年8月11日

☩「私たちが、命のパン、イエスとの親しい交わり中で成長できすように」年間第19主日正午の祈り

(2021.8.8  Vatican News staff writer)

 教皇フランシスコは8日、年間第19主日の正午の祈りに先立つ説教で、この日のミサで読まれたヨハネ福音書、イエスが、パンの奇跡を見て付いて来たユダヤ人たちに、ご自身を「命のパン」であることを明らかにされた箇所を取り上げ、「イエスだけが、私たちの魂を養い育て、地上における命が終わる時に、終わることのない命をくださるのです」と語られた。

  教皇はまず、「イエスはご自身が『パン』であることを明らかにされましたが、それは日々の生活に欠かすことのできないもの…。この言葉が、イエスだけが私たちの魂を養い育て、数々の失敗を赦し、いつも共におられ、力と心の平安を与えてくださることを意味することを、私たちは分かっています。私たちが、地上での命を終える時、イエスだけが永遠の命をくださるのです」と強調された。

 そして、「『命のパン』というイエスの素晴らしいイメージは、最後の晩餐で頂点に達する『イエスの全生涯と使命』を一言で表しています」とされ、「イエスは食物を与えるだけでなく、ご自身のすべて、肉体と心をお与えになり、そうして、私たちは命を得ることができるのです」と語られた。

 さらに、「このイエスの言葉は、私たちの、聖体の賜物に対する感嘆をかき立てます。神は『命のパン』として私たちの栄養、食物になるのです。そして、その感嘆は、私たちの崇敬を通して強められます」と指摘。

 また、このヨハネの福音書はこの箇所で、このように記述しているー人々はイエスの言葉に感嘆するどころか、「自分たちが知っているイエスがどうして『自分が命のパンだ』と言えるのか」と疑問を抱いた、と。

 教皇は、「私たちも、時として、天国にいて、日々の生活の煩わされない神が欲しい、と思うことがありますが、そうではありません。神が人となられたのは、この世界の具体的な現実に関わるため、私たちの生活の親密な一部となるため。別の世界に私たちと離れて住み、必要な時だけ私たちの呼び掛けを受ける方ではないのです」と説かれた。

 最後に教皇は、食事をするために家族が集まる時、パンを裂く前に、命のパンであるイエスを私たちの家にお招きし、祝福をお願いし、「イエスは、私たちと一緒に食卓に就かれ、私たちはその大きな愛によって養われます」と短い、確信を込めた祈りをするように、会衆に勧められた。さらに、「私たちが、命のパンであるイエスとの親しい交わりの中で、日ごとに成長できるように、お助けください」と聖母マリアに祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2021年8月8日

◎教皇連続講話・ガラテヤの信徒への手紙 ③「聖パウロの説く福音は唯一つ」

(2021.8.4 Vatican News Christopher Wells)

   教皇fフランシスコは、結腸の手術から1か月目にあたる4日、水曜恒例の一般謁見をバチカンのパウロ6世ホールで再開され、手術前からの、聖パウロの「ガラテヤの信徒への手紙」を題材として講話を続けられた。

 教皇はまず、「福音と宣教の使命に、パウロは熱意を持っています。そして、彼は全てをその宣言に奉げ、福音の他に関心がありません」と語られた。

   そのようなパウロは、「ガラテヤの信徒たちが、戻ることのできないところに向かって、誤った道を歩んでいるのを知って、悲しみと失望を感じます」とされた教皇は、「パウロにとって、福音は四つの点に帰着しますーキリストは私たちの罪の為に亡くなられ… 葬られ… 死者のうちから蘇られ、そして弟子たちの前にお現われになりました。この福音は、すべての人に示された約束と救いの成就を意味します」と指摘。

 「ガラテヤの信徒たちは、福音に顔を背ける恐れがありましたー信仰によって得られる自由を手に入れるのを妨げることで『真の福音をゆがめる』と脅かす説教者に惑わされていたのです。新奇な説を唱える説教者たちは、モーセの律法に従う義務を彼らに課そうとしました」。しかし、聖パウロにとって、「キリストから受けたものは福音以外にはありえません。ですから、パウロがガラテヤの信徒たちに、信仰の基礎を脅かす(そうした説教者を信奉する)共同体から距離を置くように、と厳しい言葉をかけた理由が、私たちには理解できるのです」と教皇は説かれた。

 新奇な説を唱える説教者たちは、善意によって動かされるように見え、「父親たちから受けた伝統への忠実さに触発されたように思われましたが、彼らが『伝統に関して正統的でない』と考えた聖パウロに疑いをかけることを躊躇しませんでした」 。しかし、パウロは、「自身が説く福音が『イエス・キリストの福音であるから、唯一の福音』だと知っています。彼は若いキリスト教徒たちが大きな危機に直面しているのを、目にしていました」と語られた。

 そして、教皇は、「この”善意の迷宮”にあって必要なのは、至高の真理ー三位一体の神、イエスの説話、そして父の愛の啓示との一致ーを把握するために自身を束縛から解放すること」救い出すことなのです」と明言された。

 最後に教皇は、「聖パウロの明確で決定的な言葉は、ガラテヤの信徒たちにとって役に立ち、私たちにも役に立つ言葉です」と締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2021年8月4日

☩「主に信頼し、共に歩き始めよう」ボスニアでの若者の集いに

写真:2019年8月のメジュゴリエでの若者の集い写真:2019年8月のメジュゴリエでの若者の集い  (Radio Medjugorje Mir)

(2021.8.2 バチカン放送)

 教皇フランシスコは2日、ボスニア・ヘルツェゴビナ南部の聖母巡礼地、メジュゴリエで行われている「メジュゴリエ・インターナショナル・ユース・フェスティバル」にメッセージをおくられた。

 この集いは、世界各国から参加する若者たちが祈り、御言葉に耳を傾け、ミサ、聖体礼拝、赦しの秘跡などを通してイエスと出会うことを目的とするもので、 毎年8月1日から6日まで開催されている。

 教皇はメッセージで、今年の集いのテーマ「永遠の命を得るには、どうすればいいのか」( マタイ福音書19,16節、マルコ福音書10章17節、ルカ福音書18章18節を参照)を取り上げ、その答えをイエスの言葉の中に見出された。

 「永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか」という、一人の青年の問いに対し、イエスはまず「もし命に入りたいと思うなら、戒めを守りなさい」(マタイ19章17節)と答えられた。

 教皇は、「戒めとして、イエスはまず、『隣人に自分のように愛しなさい』と言われます。そして、青年が『そういうことはみな守ってきました』と言うと、イエスは『もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り、貧しい人々に与えなさい。そうすれば、天に富を積むことになる」(同19章21節)と説かれた。これは、戒めとは、”褒美”をもらうために守るものではない、見返りを求めない献身的な愛の行為をしなさい、と促しておられるのです」と説かれた。

 そして「最後に、イエスは、そうした行為をしてから『私に従いなさい』と青年に語りかけられますが、これは、自我や物質的な富から自分を解放し、イエスに倣い、共に歩むように、招いておられるのです」とされた。

 この青年は、残念なことに、このイエスの言葉を聞いて、悩みながらその場を去っていくが、これは、「神と物質的な富との間で心を引き裂かれ、リスクを冒すこと、富を失うことを恐れたからです」と教皇は指摘された。

 最後に教皇は、「イエスは皆さん一人ひとりに『私にに従いなさい』と招いておられます。主に信頼して、皆さんの若さを生き、主と共に歩み始めてください」と若者たちに呼び掛け、「この福音書の箇所にある青年のように失望しないように。キリストに倣うことの偉大な模範を生きた聖母マリアを見つめ、迷うことなく主に『はい』と答えたマリアに信頼するように」と勇気づけられた。

(編集「カトリック・あい」=聖書の引用の日本語訳は「聖書協会・共同訳」を使用)

2021年8月3日

☩「私たちは何ゆえにイエスを追い求めるのか」教皇、年間第18主日正午の祈り

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二=聖書の引用部分の日本語訳は「聖書協会・共同訳」を使用)

2021年8月1日

☩「『人身売買で儲ける経済』を『人をいたわる経済』に変えよう」国連人身取引反対世界デーに

World Day Against Trafficking in PersonsWorld Day Against Trafficking in Persons  (©yupachingping – stock.adobe.com)

(2021.7.30 Vatican News staff reporter)

 国連の「人身取引反対世界デー」(7月30日)にあたって、教皇フランシスコは30日、ご自身のツイッターで、世界の指導者たち、宗教指導者たちと連携して、人身売買撲滅を改めて訴えられた。

 教皇はこれまでも、世界で2000万人から4000万人に上るとされる人身売買を「人道に反する罪」と繰り返し非難されてきた。30日の世界デーにあたって、ツイッターで「『人身売買(で儲ける)経済』を『人をいたわる経済』に変えるため、人身売買の犠牲になった方々と一緒になって働きましょう」と世界の人々に呼びかけられた。

 世界のカトリック修道会などで作っている、人身売買撲滅のネットワーク「Talitha Kum」の国際コーディネーターであるCMS(英国教会伝道協会)のシスター・ガブリエラ・ボッタニは、Vatican Radioの取材に応じ、「人身取引反対世界デー」は「特に、アジア地域、特に南アジアと東南アジアにとって重要な日。この地域の若い人たちが私たちと連携し、活動の中心となって働いてくれることになったからです」と語った。

 「Talitha Kum」現在、世界の人身売買による被害者1万7000人のケアをし、安全な住いの提供、教育と雇用の機会の創出、司法当局への被害の訴え、補償などを受けるための支援、心身両面からの医療の提供などを進めている。さらに強化、拡大しようと、このほど#CareAgainstTraffickingというタイトルのキャンペーンを始めたばかりだが、アジアでのこうした動きは、その成果とも言える。

 シスターはまた、人身売買撲滅の戦いにおける「声を上げる」ことの重要性についても語った。「ソーシャル・メディアが普及し、”バーチャル(仮想現実)”に慣れてしまっている現代社会で、私たちは改めて『現実』の重要性を感じています。現実は、苦しく、痛みを伴いますが、希望に満ちたものでもあります。特に若い人たちは、被害者の『現実』の声を聞いて、そこから、苦しみを希望に変える取り組みの必要に気付くことが出来ればと思います」。

 今年の「国連人身売買反対世界デー」のテーマは、「被害者の声が先導する」だ。国連のアントニオ・グチエレス事務総長はメッセージの中で、その主旨を「人身売買と防止し、被害者を助け、心身のケア、社会復帰を支援するための効果的な対策を隔離するうえで、被害者たちが果たす重要な役割に焦点を当て、その闘いにおける主要な登場人物になってもらうこと」と説明。

 さらに、「人身売買の被害者の多くは、その被害についての人々の無知や誤解に苦しんだ経験をもっている。被害を訴えても、被害を確定する前の警察や司法関係者による取り調べで、さらに心的外傷を経験することが多い。人身売買業者によって強制された行為で処罰されたり、侮辱されたり、十分な助けを得られなかったりするケースもある」とし、「このような被害者の経験から学び、彼らの提案を具体的な行動に変えることは、人身売買と闘う上で、被害者中心の効果的なアプローチにつながる」と述べた。

 また、「新型コロナウイルスの世界的大感染の影響で、世界の貧困人口が以前よりもさらに1億2400万人も増えており、人身売買の被害者をさらに何百万人も増やす結果になっている。そのの多くが未成年の子供たちだ」と強調し、世界各国が、このような悲劇が繰り返されないために行動を起こすように訴えた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2021年7月31日

☩「人間の尊厳中心の食料システムを」国連食糧プレサミットへ

教皇フランシスコ、国連食料システム・プレサミットにメッセージ

(2021.7.26 バチカン放送)

 教皇フランシスコは26日、ローマで始まった国連食料システム・プレサミットにメッセージをおくられた。

 アントニオ・グテーレス国連事務総長に宛てたメッセージで、教皇は、貧困や資源の搾取など、人類家族を脅かす不当なシステムが、パンデミックのもとにより明らかにされる中、このサミットが持つ重要性を指摘された。

 メッセージで、教皇は食料問題について、「技術による食料増産だけに努力を集中することは、(注:農地など)自然の消耗や、基本的人権の侵害、物的・精神的な”砂漠化”を招きかねません」と警告し、それを超えた根本的な食料システムの変革をアピールされた。

 さらに、「食料システムは、環境と地域の文化の点からも持続可能なものでなければならない」とされ、「飢餓撲滅」という目的に対し、「単なる生産的観点からではなく、人間の尊厳を中心に据えた、新たなメンタリティー、アプローチ、計画によって到達する必要があります」と訴えられた。

 また、小規模農家や農業従事者の家族への配慮を願うとともに、「最も貧しい農業地帯の女性や若者たちの必要に応えるように」希望され、貧しい人をはじめ、すべての人々に「食料と水、医薬品、そして仕事が欠けることのない世界」を実現するために、すべての人に責任ある取り組みを呼びかけられた。

 国連食料システム・サミットは、国連が提唱する持続可能な開発目標の達成に向け、そのカギとなる食料問題についてシステムの転換を話し合う国際会議。今年9月に米ニューヨークで開かれるが、プレ・サミットはそれに先立つもの。28日までローマで開かれる。。

(編集「カトリック・あい」)

2021年7月27日

☩「年配者と若者の出会いと対話を実現して」-世界祈願日の正午の祈りで

教皇フランシスコによるお告げの祈り 2021年7月25日 バチカン・聖ペトロ広場バチカン・聖ペトロ広場  (Vatican Media)

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  私たちは、『第1回祖父母と高齢者のための世界祈願日』におけるミサを今祝ったばかりです。すべての祖父母の皆さんに拍手をおくりましょう!

 祖父母と孫たち、若者と年配者たちは一緒に、教会の最も美しい顔の一つを表すと同時に、世代間の絆を示してくれました。

 この祈願日をそれぞれの共同体で記念すると共に、祖父母やお年寄り、特に最も孤独な人たちに会いに行き、「私はいつもあなたがたと共にいる(参照:マタイ福音書28章20節)」というイエスの約束から示唆を受けた私のメッセージを伝えてください。

 この祈願日が、「私たち年配者が人生のこの季節を生きる」という召し出しに応え、特に「切り捨ての文化」の中で、祖父母や高齢者の存在の価値を社会に示すことを助けるよう、主に願いたいと思います。

 祖父母は若者を必要とし、若者は祖父母を必要としています。祖父母と若者は対話し、出会う必要があります。祖母たちは、進む歴史に樹液をもたらし、成長する木に力を与えます。わたしは、いつか紹介したように、いにしえの詩人の言葉を思い出します。「木に咲くすべての花は、土の中から来る」。

 若者と祖父母の間に対話無くして、歴史は前に進みません。人生は前進しません。この対話を取り戻すこと、それが今日の文化の課題です。

 祖父母は、若者たちを見つめながら夢を見る権利があります。若者たちは祖父母から力を得ながら、預言する勇気を持つ権利があります。どうか、祖父母と若者の出会いと対話を実現してください。それは皆を幸福にするでしょう。

(編集「カトリック・あい」)

2021年7月26日

☩「東京オリンピックが希望と友愛の証しとなるように」ー年間第17主日正午の祈りで

教皇フランシスコ 2021年7月25日(日)のお告げのお祈りで教皇フランシスコ 2021年7月25日(日)の正午の祈りで  (Vatican Media)

(2021.7.25 バチカン放送)

 教皇フランシスコは25日、年間第17主日の正午の祈りの集いで、開催中の東京オリンピックに触れ、「希望と普遍的な友愛の証しとなるように」と次のように祈られた。

 「23日に東京で第32回オリンピック競技大会が始まりました。新型コロナウイルスの世界的大感染が続くこの時に、数多く行われる競技が、健全な競争心のもとに、希望の証し、普遍的な友愛の証しとなりますように。主催者、競技者、そして、この偉大なスポーツの祭典に協力するすべての人々に、神の祝福がありますように」

2021年7月25日

☩「祖父母と高齢者は私たちの命を養うパン」教皇、年間17主日「世界祈願日」ミサで

(2021.7.25 Vatican News  Christopher Wells)

  カトリック教会第一回の「祖父母と高齢者のための祈願日」の25日、教皇フランシスコが、フィジケラ大司教に代行を求めた聖ペトロ大聖堂でのミサで、代読の形で説教をされ、「若者と年配者が暮らしを共有する中で力を合わせる重要性」を強調された。

 その中で、教皇は、この日、年間第17主日のミサで読まれたヨハネ福音書の「パンと魚の奇跡」(6章1‐15節)の箇所を取り上げ、そこで描かれた「三つの瞬間」について考察された。

 三つの瞬間とは、「イエスは、彼の下に集まった人々がお腹を空かしているのに気付かれた」「パンを分け与えられた」、そして、「残ったパン切れを集めるように弟子たちに命られた」だが、教皇は「この三つは、『気付く』『分かち合う』『保つ』という3つの短い動詞にまとめることができます」と語られた。

*イエスは、一人ひとりが求めているものに気付かれる

 そして、まず「気付き」について、「『パンと魚の奇跡』の物語は、疲れた人間が感じる飢えに無関心であることも、忙しすぎて気付かないこともない、イエスの眼差しから始まります」とされ、その眼差しは、「私たち一人ひとりを気遣い、それぞれが求めているものに気付かれる」と教皇は語られ、「私たちの祖父母も同じように、私たちを見ています、彼らの愛は私たちの成長を助け、私たちは愛と気付きを分かち合うように求められています。 ですから、私たちは目を上げて彼らを見ましょう。イエスが私たちを見ておられるように」と説かれた。

 

*若者と年配者が人生を分かち合う契約

 そして次の「瞬間」ー「分かち合う」について、「イエスは、少年が提供したわずかなパンと魚をもって、その場にいた全員の飢えを満たされました。この奇跡の核心に、私たちは『自分が持っているものを皆のために喜んで差し出した少年』の存在があることを知ります」と指摘。

 「今日、若者と高齢者の間に新たな契約を結ぶことが求められています。私たちに必要なのは、人生の宝を共有し、共に夢を見、世代間の対立を克服し、共に未来を準備すること」とされ、「人生における分かち合い契約がなければ、私たちは飢えて死ぬ危険を冒すことになります」と語られた。

 さらに、「私はこれまでしばしば、若者と年配者が力を合わせることについての預言者ヨエルの言葉を引用してきましたー『若者は未来の預言者として、自分たちの歴史を大切にする。年配者は、夢を追い続け、自分に固執せず、若者と自分の経験を分かち合う。若者と年配者は、伝統の宝、精神の新鮮さだ』と」。

*何一つ、捨てられてはならない

 三つ目の「瞬間」ー「保つ」について、教皇は、奇跡の後に「パン切れを集めるように」とイエスが弟子たちにされた指示を改めて想起され、「これは、何一つ、切れ端でさえも、捨てられてはならない、特に、どのような人も見捨てられてはならない、という神のご意思を表しているのです」と説かれ、「私たちはこの『集めよ、注意深く保存し、守れ』という預言的な指示を、皆に、この世界に、聞き渡らせるようにする必要があります」と勧められた。

 さらに、教皇は、祖父母が私たちの若い時に守ってくれたように、私たちも、彼らを守ることの重要性、を強調され、「おじいさん、おばあさんを守りましょう。彼らと契約を結びましょう。そうすれば、『若者も年配者も共に』、命と夢が失われることはないでしょう」と呼びかけられた。

 

*若者も年配者も共に神に祝福され、満ち足りるように

 最後に、教皇は、祖父母と高齢者は「私たちの命に栄養を与えるパンです」と語られ、 「彼らのことを忘れないようにしましょう。彼らと契約を結びましょう。それによって、『若者も年配者も共に』、神に祝福され、分かち合いのテーブルで十分に満ち足りるように」と呼びかけられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2021年7月25日

☩教皇、世界のお年寄りたちと神に感謝の祈り

(2021.7.23 バチカン放送)

 25日のカトリック教会の第一回「祖父母と高齢者のための世界祈願日」を前に、教皇フランシスコが23日、ビデオを通して、世界のお年寄りたちと共に神に感謝の祈りを唱えられた。

 ビデオは教皇庁信徒・家庭・いのち省が作成したもので、世界最も齢の司教、ローラン・ノエル司教(101歳)も参加している。

(教皇の祈り)

 「主よ、孤独の時も、あなたがおいでになることの慰めを感謝します。あなたは私の希望、私の信頼です。若い時から、あなたは私の岩、私の砦です」

(以下、各国のお年寄りたちの祈り)

 「私に家族を与えてくださったことを、長い人生という祝福を与えてくださったことを、感謝します。喜びの時も、困難の時も、あなたに感謝します。
実現した夢に、そしてまだ目の前にある夢に、感謝します。この新たな実り多い時間にわたしを召してくださったことに感謝します」

 「主よ、私の信仰を増してください。私をあなたの平和の道具としてください」

 「私よりも苦しんでいる人を受け入れることを、夢をあきらめないことを、あなたの素晴らしさを新しい世代に語ることを教えてください」

 「教皇フランシスコと教会を守ってください。地の果てまで福音の光が届きますように」

 「主よ、あなたの霊を送り、世界を新たにしてください。パンデミックの嵐を静めてください。貧しい人をなぐさめ、すべての戦争を終わらせてください」

 「無力な時、私を支えてください。あなたがくださるすべての時を満たされて生きる力をお与えください。世の終わりまで、あなたがいつも一緒にいてくださる確信のうちに。アーメン」

 バチカンでは、25日イタリア時間午前10時(日本時間・同日午後5時)から、聖ペトロ大聖堂で、教皇庁新福音化推進評議会の議長サルバトーレ・フィジケッラ大司教によるミサが捧げられる。ミサには、教区や様々な組織で高齢者司牧に携わる人々と共に、孫に付き添われたお年寄りたちも参列する。

(編集「カトリック・あい」)

2021年7月24日