☩「天に至る旅の秘訣が”謙虚さ”にあることを、マリアは教えてくれる」聖母被昇天・正午の祈り

 教皇フランシスコは15日、聖母被昇天・正午の祈りの説教で、「マリアは私たちに、 地上から天に至る旅の秘訣は”謙虚さ”という言葉にあることをおしえてくれます。マリアの被昇天は、神がこの栄光に満ちた目的地に向かうように、と神が私たちを招いておられるのを示しているのです」と語られた。

 聖母被昇天の日にあったって、教皇は説教の冒頭、この祭日の要諦は「マリアの謙虚さにある」とされ、「神は心を見、マリアの謙虚さに注目される」が、「人は、謙虚さの本質的な重要性を見過ごし、外見と”威厳”に気を取られてしまうことが多い」と指摘された。

(以下は「バチカン放送」より)

 今日、教会は聖母マリアの被昇天の祭日を祝います。今日のミサ中の福音は、マリアの賛歌、「マニフィカト」が中心となっています。この賛歌は、神の御母マリアを忠実に表す、いわば写真のようなものです。マリアは「救い主である神を喜びたたえます」。なぜなら、主が「この卑しい仕え女に、目を留めてくださったからです」( ルカ福音書1,章47-48節)参照。

 謙虚さこそ、聖母マリアの秘訣でした。この謙虚さが、神の眼差しをマリアに引き付けたのです。私たち人間は往々にして偉大さを目指し、外見の輝かしさに目をくらませがちです。しかし、神は外見ではなく、心によってご覧になります(サムエル記上 16章7節参照) 。そして、神は謙虚さにこそ心を打たれるのです。

 今日、天に上げられた聖母マリアを見つめながら、謙虚さこそ、天に到るための道だと言うことができます。謙虚という言葉は、ラテン語の土を意味するフムスという言葉から来ています。高きに、すなわち天に至るためには、土のように、低きに留まる必要があるということは、実に逆説的です。イエスご自身がそれを教えておられます。「へりくだる者は高めれられる」(ルカ福音書 14章11)節)。

 神は、才能や、富、優秀さのためではなく、私たちの謙虚さによって、高められます。

 神は身を低くする者、仕える者を高めます。事実、聖母マリアは自分を「主の仕え女」(ルカ 福音書1章38)節と定義しています。 マリアは自分についてそれ以上を言わず、それ以上を求めません。

 今日、自らに問いかけましょう。自分は謙虚でしょうか。人々から認められること、称賛されることを求めてはいないでしょうか。それとも、人々に奉仕することを望んでいるでしょうか。マリアのように他人に耳を傾けることができるでしょうか。それともただ皆の注意を引くことに躍起になってはいないでしょうか。マリアのように沈黙することを知っているでしょうか、それとも、ひっきりなしにしゃべり続けてはいないでしょうか。一歩下がることを知っているでしょうか。言い争いや議論を止めるより、かえって皆の上に立つことを求めてはいないでしょうか。

 聖母マリアは、その小ささによって、誰よりも先に天に上られました。マリアの生涯の秘訣は、その貧しさ、小ささを自覚したことです。神と共に、自分の無を認める者だけが、すべてを得ることができるのです。自分自身を空にする者だけが、神に満たされることができるのです。聖母はまさしくその謙遜によって、恵みに満ちたお方となりました。

 私たちにとっても、謙虚さはすべての出発点であり、信仰の始まりです。心の貧しい者、すなわち神を必要としている者であることが基本です。自分でいっぱいになっている者の中に、神の場所はありません。謙虚さのうちに留まる者は、その中で神が偉大なことをなさるのです( ルカ福音書1章49節参照)。

 詩人ダンテも、その作品の中で聖母マリアの謙虚さを讃えています(神曲・天国篇 33章 2)節)。その生涯を、家庭の中で、日常生活の中で。過ごされた歴史上最も謙虚で崇高な方が、第一番に霊魂と身体と共に天に上げられたことを考えるのは素晴しいことです。

 「恵みに満ちた方」の日常は、何も目立つことがありませんでした。沈黙と、毎日同じことの繰り返しの中に、外見的には何も特別なことはありませんでした。しかし、神の眼差しは、彼女の謙虚さと従順に、罪のけがれを知らぬその心の美しさに驚嘆しつつ、いつもマリアの上に注がれていました。

 これは、何の変哲もない日々、時には苦労や困難に満ちた毎日をおくるわたしたちや、あなたにとって、素晴らしい希望のメッセージです。聖母マリアは、今日、神はあなたをもこの栄光の定めに招いておられることを、思い起こさせてくださいます。ただの奇麗な言葉だけではありません。単なる慰めでもありません。天に上られた聖母マリアのように、それは本当のこと、事実です。いつの日か、私たちも聖母と共に天国にいるという希望に生かされて、子としての愛を込めて、聖母のこの祭日をお祝いしましょう。

 天国への歩みにおいて、聖母がいつも私たちを導いてくださるよう祈りましょう。すべての成功の秘訣は謙虚さにある、ということを、小ささと奉仕こそが、目的に達するため、天国に達するための秘訣であるということを、いつも忘れないようにしましょう。

(編集「カトリック・あい」=引用されている聖書の翻訳は 「聖書協会・共同訳」を使用。表記は原則として当用漢字表記に統一。また、教皇がキーワードにされている「l’umiltà 」、バチカンの公式英語訳で「humility 」の日本語訳は一般に、「謙虚」「謙虚さ」(心にわだかまりのないこと、控えめ、素直)「謙遜」(へりくだること。卑下すること)などとされています。この場合のニュアンスとして、聖書の翻訳によく見られる「謙遜」よりも、「謙虚」「謙虚さ」の方が適切と判断したので、表記を統一しました)

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2021年8月15日