☩「私たちが、命のパン、イエスとの親しい交わり中で成長できすように」年間第19主日正午の祈り

(2021.8.8  Vatican News staff writer)

 教皇フランシスコは8日、年間第19主日の正午の祈りに先立つ説教で、この日のミサで読まれたヨハネ福音書、イエスが、パンの奇跡を見て付いて来たユダヤ人たちに、ご自身を「命のパン」であることを明らかにされた箇所を取り上げ、「イエスだけが、私たちの魂を養い育て、地上における命が終わる時に、終わることのない命をくださるのです」と語られた。

  教皇はまず、「イエスはご自身が『パン』であることを明らかにされましたが、それは日々の生活に欠かすことのできないもの…。この言葉が、イエスだけが私たちの魂を養い育て、数々の失敗を赦し、いつも共におられ、力と心の平安を与えてくださることを意味することを、私たちは分かっています。私たちが、地上での命を終える時、イエスだけが永遠の命をくださるのです」と強調された。

 そして、「『命のパン』というイエスの素晴らしいイメージは、最後の晩餐で頂点に達する『イエスの全生涯と使命』を一言で表しています」とされ、「イエスは食物を与えるだけでなく、ご自身のすべて、肉体と心をお与えになり、そうして、私たちは命を得ることができるのです」と語られた。

 さらに、「このイエスの言葉は、私たちの、聖体の賜物に対する感嘆をかき立てます。神は『命のパン』として私たちの栄養、食物になるのです。そして、その感嘆は、私たちの崇敬を通して強められます」と指摘。

 また、このヨハネの福音書はこの箇所で、このように記述しているー人々はイエスの言葉に感嘆するどころか、「自分たちが知っているイエスがどうして『自分が命のパンだ』と言えるのか」と疑問を抱いた、と。

 教皇は、「私たちも、時として、天国にいて、日々の生活の煩わされない神が欲しい、と思うことがありますが、そうではありません。神が人となられたのは、この世界の具体的な現実に関わるため、私たちの生活の親密な一部となるため。別の世界に私たちと離れて住み、必要な時だけ私たちの呼び掛けを受ける方ではないのです」と説かれた。

 最後に教皇は、食事をするために家族が集まる時、パンを裂く前に、命のパンであるイエスを私たちの家にお招きし、祝福をお願いし、「イエスは、私たちと一緒に食卓に就かれ、私たちはその大きな愛によって養われます」と短い、確信を込めた祈りをするように、会衆に勧められた。さらに、「私たちが、命のパンであるイエスとの親しい交わりの中で、日ごとに成長できるように、お助けください」と聖母マリアに祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2021年8月8日