☩「教会が、全ての家族に寄り添う”善きサマリア人”であるように」教皇、世界家庭大会開会式で

(2022.6.22 バチカン放送)

 カトリック教会の「第10回世界家庭大会」が22日に開幕、バチカンで教皇フランシスコが参加された開会の集いが催された。

 イタリア現地時間22日の午後に始まった集いには、世界120か国から2,000人以上の家族が参加。ウクライナのキエフの小教区からの中継や、この大会の保護者である聖クアトロッキ夫妻の孫の挨拶などの後、5つのテーマに沿って5組の夫婦・家族の信仰の体験が発表された。

教皇はこれらの証言の一つひとつに耳を傾けた後、世界の家族に挨拶をおくられ、「それぞれがいる場所、それぞれの家庭が持つ具体的な状況の中で、すべての家族に寄り添います」とされるとともに、それぞれの家族が置かれた現実の中で、配偶者、家族、教会と共に歩む努力をしてください」と励まされた。

また教皇は、「教会は、『善きサマリア人』のように、すべての家族に寄り添い、どのように小さな歩みでも、『もう一歩』が踏み出せるように、助ける存在であって欲しい」と強い希望を述べられた。

そして「もう一歩」の目標として、先の5組の夫婦・家族の体験発表を受ける形で、「結婚へのもう一歩」、「十字架を抱くためのもう一歩」、「赦しへのもう一歩」、「受け入れへのもう一歩」、「兄弟愛へのもう一歩」の5つを挙げられ、「それぞれの家族は、世界において果たすべき使命、世界にもたらすべき証しを持っています」と説かれた。

そして、この集いの終わりに、参加者と世界中の家族に祝福をおくられた。

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 この集いでの5つのテーマに沿った夫婦・家族の体験発表では、まず「結婚への招き」で、若いカップルが「子宝に恵まれながらも、教会から離れ、秘跡としての結婚を諦めていた。だが、コロナ禍での育児の苦労を、キリスト教的価値観を持つある夫婦とソーシャルネットワーク上で分かち合う中で、神への信頼や、信仰に基づいた家庭生活のあり方に目覚め、教会での結婚を望むようになった」と体験を語った。

「聖性への招き」では、2018年に列福調査が始まったキアラ・コルベッラ(1984-2012)の両親が証言。娘のキアラは、妊娠中に発病したが、胎児に影響を与える治療を出産まで行わないことに決め、出産。だが、本人の病は出産後の治療のかいもなく、約1年後に天に召された。そのキアラの信仰と愛を振り返った。

「赦しへの招き」では、結婚して27年、3人の子をもつコンゴ人の夫妻が、結婚生活の起伏を語った。妻は、夫の不誠実を理由に離婚を決意し別居したが、家庭の大切さに気付いた夫の懇請を受けて、教会の家庭司牧のグループのカウンセリングやケアを夫婦で受け、夫を赦し、結婚生活を立て直した体験を話した。

「受容への招き」では、ロシアの軍事侵略で家を追われ、避難して来たウクライナ人母子を受け入れたローマ在住の夫婦が経験を語った。夫婦は6人の子持ちだが、家族で話し合った結果、「いつも教会や周囲から支えられ、受け入れられている、と感謝しており、今度は自分たちが、困っている人を受け入れることを決めた」とし、多くの人と連帯する喜びを説明。

 また、彼らに受け入れたもらったウクライナの母子は、突然始まったロシアの軍事侵攻の恐怖、父や夫との離別の悲しみ、生活の不安を語るとともに、信仰の大切さ、受け入れてくれた家族の温かさ、出会いによる救いに感謝を述べた。

 最後のテーマ、「兄弟愛への招き」では、コンゴ民主共和国駐在のイタリア大使だったルカ・アタナシオ氏の妻、ザキア氏が体験を語った。アタナシオ大使は昨年、同国で武装集団の銃撃により殺害された。モロッコ出身でイスラム教徒であるザキア氏は、イタリア人でカトリック教徒の夫との国籍や宗教を超えた、互いへの尊敬と調和に満ちた家庭生活を振り返った。

 そして、世界食糧計画(WFP)のプロジェクトのために移動中に殺害された夫の人道援助活動を紹介し、「天国の夫に支えられながら、残された娘たちと共に、愛と平和と正義のために努力し、夫が遺したプロジェクトを受け継いでいきたい」と抱負を語った。

(編集「カトリック・あい」)

 

2022年6月23日

◎教皇連続講話「老年の価値と意味について」⑮「老年期は”弱さの中に強さを見い出す時”」

Pope Francis greets the crowds gathered in St. Peter's SquarePope Francis greets the crowds gathered in St. Peter’s Square  (Vatican Media)

 教皇フランシスコは22日の水曜恒例の一般謁見で、「老年の価値と意味について」の講話をお続けになり、「年配の人たちは、キリストに従い、キリストを証しするために、自分の弱さと無力さを受け入れる必要があります」と語られた。

 この日の連続講話で教皇はまず、ヨハネ福音書の最後の部分にある、復活されたイエスがペㇳロと食事後に交わした会話(21章15-23節)を振り返り、「人は年齢とともに体力を徐々に失っていくが、それがキリストに従う新たな道を歩み始める機会となる」と指摘。

 また、この会話で示されたペトロのイエスとの関係は、「優しく、直接的で、自由で、開かれたものであり、悲しみをもらたすようなものではないー”真実の関係”です」とされた。

 

*真理を甘く包み込む

 イエスはペトロに「私を愛しているか」と聞かれ、「それはあなたがご存じです」と答えたペトロに、「私の羊の世話をしなさい」と言われる。「それでも、二人はいつものように、同じやり取りを繰り返します… イエスと弟子たちとのこのような関係ーとても開放的で、とても率直で、とても直接的で、とても人間的な関係ーを、私たちがもち続けられるでしょうか」と問いかけ、「私たちが陥りやすい傾向は、福音書で明らかにされた真理を”甘く包み込み”、イエスから離れることです」と指摘された。

*虚弱な中での忠実さ

 また、教皇は、「イエスは、ペトロに対して、若い時は、自分で帯を締めて、行きたいところへ行くが、年を取ると、他人に帯を示され…と弱さを伴うようになる、と警告しておられます」いるとされ、「イエスの言葉は、ペㇳロに殉教と死をほのめかすだけでなく、老後に新しいやり方で証しをすることを学ぶように促している、と理解することもできます」と語られた。

 そして、「主に倣う人は、身なりを整え、歩く時でさえも、自分の弱さ、無力、他者への依存によって、導かれ、形作られるのを認めることを学ばねばならない… 老年期に、私たちは、他者に大きく依存する暮らしの中で、着実に証しすることを学ぶのです」と強調。「自分自身の力ではなく、他の人に頼る弱さが顕わになる人生のこの時期の意味を真に理解することのできる霊性が、私たちにあるでしょうか?」と問いかけられた。

*試練と証し

 続けて教皇は、「老年期は、確かに試練と誘惑の時。ペテロがイエスの胸元にいる若い弟子を見ながら、『この人はどうなるでしょうか』と問いかけた中に、その真理を示しています… イエスの答えは、率直で、ざらついてさえいましたー『あなたに何の関係があるか。あなたは、私に従いなさい』と」と語られ、「自分よりも長生きする若者を、うらやましく思ってはならなりません」と諭された。

 さらに、「彼らの誓った愛への貞節の名誉、彼らが帰依する信仰に倣うことへの忠誠は、来るべき世代への称賛と感謝の気持ちの称号です。たとえ、人生の別れの時が近づいている場合であっても、です」と念を押された。

*人生の最良の部分

 最後に教皇は、年配者に対し、「主に耳を傾け、主を深く思う、という主に倣う”強制された動きの無い振る舞い”が、あなたがたの人生のもっとも良いもの、となる」と請け合われた。

 

Pope Francis in St. Peter's Square at the weekly General Audience

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2022年6月22日

☩「核兵器は”平和”の幻想の中でリスクを増大させる」ー核兵器禁止条約第1回締約国会議へ

教皇フランシスコ 2019年11月19日 広島訪問で2019年11月19日の広島訪問で、祈りを捧げられる教皇フランシスコ  (Vatican Media)

 教皇フランシスコが21日、同日ウィーンで始まった核兵器禁止条約第1回締約国会議にメッセージを送られた。

 メッセージで教皇は、「現在の世界の状況の中で、軍縮について語ること、あるいはそれを支持することは、多くの人には矛盾したものに見えるかも知れません」と前置きし、それにもかかわらず、「国と世界の安全、兵器拡散のリスクをめぐる近視眼的アプローチの危険を自覚する必要」があることを強調された。

 そして、「私たちがが軍縮に取り組まなければ、その代価として支払われるのは、無実の人々の命です」とされ、「すべての武器を収め、精力的な交渉によって紛争の原因を取り除くように」と訴えられた。

 また、教皇は、「ある人たちの安全と平和が、集団の安全や他の人の平和と切り離されたものだ、と考えるのは、錯覚であり、非生産的な考え方です」と指摘。新型コロナウイルスの世界的大感染が私たちに与えた教訓を生かすように求められた。

 さらに、「バチカンは、核兵器のない世界は必要であり可能と確信します」とされ、「核兵器は、重大で危険な責任を人々に負わせ、”一種の平和”の幻想を与えながらリスクを増大させるもの… 核兵器の使用および保有は倫理に反します」と強調された。

 「国際的な軍縮合意や国際法に加わること、それを尊重することは、弱さの表現ではありません… 信頼と安定を育む、強さと責任の源となり、核兵器禁止条約がそうであるように、被害者への援助と環境の修復へ国際的協力を促すものとなります」と訴えられた。

 また教皇は、広島と長崎の原爆の被爆者はもとより、核兵器実験のすべての犠牲者に思いを向けられるとともに、核兵器禁止条約を実効あるものとするための基礎を固め、人間の尊厳と兄弟愛に基づく命の文化と平和への道を着実に歩むよう、会議の参加者はじめ世界の指導者たちに強く促された。

 なお、このメッセージは、この会議の議長、アレクサンダー・クメント・オーストリア外務省軍縮局長あてに出され、会議初日の21日に、バチカンのポール・リチャード・ギャラガー外務局長が代読した。

(編集「カトリック・あい」)

2022年6月22日

☩「ソーシャル・ネットワークは、コロナ禍の教会活動に有効に使われている」

Catholics attending Mass online during the pandemicCatholics attending Mass online during the pandemic 

*コロナ禍の教会

 序文で、教皇はまず、新型コロナの大感染について「教会活動にも深刻な影響をもたらし、ミサ聖祭を共に祝うことも、病気の人たちの側にいることもできなくなり、『構成的な脆弱性』と対峙することを余儀なくされた」と語られた。

 そしてその中で明らかになったのは、この苦難は、私たちが力を合わせれば切り抜けられる、という確信だけでなく、「技術的な手段とソーシャルネットワークがいかに有用であるか」ということだ、と指摘。

 「最新の技術やソーシャルネットワークを使って、信徒たちに神の言葉を伝え、信徒たちがミサにオンラインで参加できるようにするなど、信徒と教会共同体の関係を維持するために数多くの取り組みがされている」、そして、ソーシャルネットワークは「人々が互いに連絡し合い、必要なことを伝え、孤独を感じないようにし、慈善活動を活性化し、再会を待ちわびながらネット上で顔を合わせるのに使われました」とその効用を述べた。

 たしかに、この過程で「間違いや過ちもあったが、重要なのは、「これらの試みが、伝達者の積極支援ではなく、メッセージの伝達に主眼が置かれたときに、とても有用である、ということを私たちは認識せねばなりません」とし、「専門家の見方では、バーチャルな出会いの技術が頻繁に使われることで生まれた変化は、新型コロナウイルスの感染が収まった後も、続いて行く可能性が強い、とされています」と語られた。

 

*デジタル通信に関する教育

 また教皇は、イタリア・ウエブマスター協会 (WECA) が過去二年間、新技術を通して、教会共同体とのつながりを維持し、司牧にデジタルの手段を活用できるように、あらゆる世代の司祭たちを助けてきたことを評価された。

 出版されるこの本は、教会とデジタル・コミュニケーションに関する何十通りものアイデアを提供し、とくに、コロナ禍の緊急時において前向きに自発的な訓練を受ける必要のある司祭たちのために工夫されている。

 「リスクとともにその重要性を認識して、デジタルの通信手段の活用を高めていくために、やるべきことは多い。“聴く”方法を学ぶためにやるべきことはたくさんあります。を利用する際に、これらのツールの使用に伴うリスクだけでなく、重要性を認識して一緒に成長するために、実際にやるべきことが多い。 聞く方法を学ぶために、小教区のウエブサイトを活性化することのできる”デジタル世代”の若者たちの参加を求め、訓練するために、やるべきことはたくさんあります」と教皇は書かれている。

 

*ウェブー出会い、聴くための空間

 その一方で、教皇は「インターネットを通じての”仮想”の出会いは、実際に顔と顔を合わせる出会いの素晴らしさに取って代わることはできず、置き換わることはできない」としたうえで、デジタルの世界には「もっと人との意思疎通を図り、もっと人の話を聴き、分かち合う、新たな社交の形の主役になれるキリスト教徒も住んでいます」。そして、「その世界が、時として、大変な騒ぎ声とフェイク・ニュースによる汚染で覆われてしまっているように見えたとしても、webは”出会い、聴くための空間”にもなり得るのです」と強調された。

 最後に教皇は、「私たちが本当に”ネットワーク”を築けるとしたら、仮想空間が取って代わるのでなく、私たちの生身の社会的関係のweb(くもの巣状に張り巡らされたネットワーク)のウェブを助けるとしたら、web(インターネット上で標準的に用いられている文書の公開・閲覧システム)が、私たちに孤独を感じさせることはないでしょう」と語られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2022年6月21日

☩軍事クーデターから1年4か月ー教皇、「苦難続くミャンマーの人たちを忘れないように」と訴え

Karen people crossing the Salween river into Thailand to seek refuge from airstrikes in Myanmar's eastern Karen stateKaren people crossing the Salween river into Thailand to seek refuge from airstrikes in Myanmar’s eastern Karen state 

(2022.6.19 Vatican News  By Linda Bordoni)

    教皇フランシスコは19日の正午の祈りの説教のあと、昨年2月の軍事クーデターから1年4か月たったミャンマー情勢に言及され、「依然として暴力にさらされ続けているミャンマーの多くの人々の苦しみから目をそらさないように」と訴え、世界の指導者や人々、関係機関に行動を起こすよう強く求められた。

 教皇は、「ミャンマーの司教たちは、自分たちの国、人々のことを忘れないように、と訴えています。私もこの訴えに加わります」とされ、世界の指導者や人々、関係機関などに「ミャンマーの人たちの尊厳と生命への権利を尊重し、そして礼拝の場、病院、学校を守ることを忘れないでください」と要請。

 「基本的な人道援助を受けられず、家を焼かれ、暴力から逃れるために故郷を捨てさせられた、極めて多くのミャンマーの人たちの苦痛の叫びが、繰り返し聞こえます」と重ねて訴えられた。

 ミャンマーのカトリック司教協議会はこのほど開いた総会で、自国で続く内戦の矢面に立たされ続けている人々の窮状に対する深い懸念を示す共同声明をまとめ、「あらゆる分野で、人間の命と尊厳が守られるように。人間の尊厳と生存権は決して侵害されてなならない。私たちは命の尊重と礼拝所、病院、学校の神聖さが守られるよう強く求めます」と訴えている。

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 現地の人権団体AAPPによると、昨年2月1日の国軍によるクーデター発生以来、17日現在で1963人が殺害され、1万4156人が逮捕され、うち1万1096人が拘留されている。 国連難民高等弁務官事務所によると、難民は国内だけで80万人以上にのぼっているが、国軍は、依然として、教会や関連施設を標的にし続けていると伝えられている。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2022年6月20日

☩「聖体の中に、私たちに与えられた主の命がある」キリストの聖体の主日・正午の祈りで

Pope Francis at AngelusPope Francis at Angelus  (Vatican Media)

 教皇フランシスコは19日、キリストとの聖体の主日の正午の祈りで、聖体の中におられる主が、私たち1人ひとりを温かく迎え、私たちを見守り、私たちの求めるものー心の栄養、親交、慰安ーをかなえてくださる、と語られた。

   この日のミサで読まれたルカ福音書の箇所(9章11b-17節)に言及された教皇は、「最後の晩餐でイエスが制定されたパンとぶどう酒の祭儀は、イエスがいくつかのしるしーそして何よりもこの箇所で書かれている(5つのパンを5000人分にした)パンの奇跡ーを通してあらかじめ示された旅の目的地のようなものでした」と指摘された。

*誰もが主の愛情深い心配りを体験できる

 教皇は、イエスが、ご自分の話を聴き、様々な悪から解放されるために、後を追ってきた群衆たちに、どのような心配りをされたかに、注意を向けられた。そして「イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それを祝福して裂き、弟子たちに渡しては群衆に配らせ、人々は皆、食べて満腹しました」(9章16-17節参照)とされ、「聖体の祭儀の中で、誰もが、このような主の愛情深く、具体的な心配りを体験することができるのです」と説かれた。

 さらに「信仰をもって、キリストの体と血をいただく人は、単に”食べる”だけでなく、”満たされる”のです。『食べること』と『満たされること』ーこれが、聖体祭儀の中で満たされる二つの基本的であり不可欠のことです」と強調され、「主は私たちに天に国籍をもつよう求められます(フィリピの信徒への手紙3章20節参照)が、同時に、この地上で私たちが向き合わねばならない旅を考慮に入れておられます」と述べられた。

 

*聖体祭儀は、日々の暮らしからかけ離れてはいない

 また教皇は、時として、聖体祭儀を、漠然とした次元ーおそらく輝いていて、薫り高いけれども、日々の暮らしの困難な実情とはかけ離れたものーに押し込めてしまう危険を冒すことがあるが、「実際は、主は、私たちが必要としているすべてのことを心に掛けられ、最も基本的に必要とされることからお始めてくださいます。そして、イエスがなさるように自分の隣の人たちに心配りをするとき、私たちは、聖体礼拝の価値を知ることができるのです」と説かれた。

 さらに、「私たちの周りには食べ物への“飢え”だけでなく、仲間意識、慰め、友情、ユーモア、気遣いへの”飢え”があります。それを満たすものが、聖体のパンの中にあるー私たちの求めに対するキリストの気づきと、私たちの側にいる人たちにそれと同じことをするように、という勧めがあります。私たちは自分が食べるように、他の人たちも食べるようにする必要があるのです」と語られた。

 

*聖体の中に、私たち一人ひとりに与えられた主の命がある

 続けて教皇は、「”食べること”に加えて、”満たされること”を忘れることはできません。私たちは自分を養う必要があるだけでなく、満たされ、養いが愛によって私たちに与えられていることを知る必要があります」とされ、「キリストの体と血の中に、私たちは主の実在、私たち1人ひとりに与えられた主の命を見つけます」と説かれた。

 さらに、「イエスは、私たちに前に進むための助けをくださるだけでなく、私たちにご自身をくださるのですー私たちの旅の同伴者とされ、私たちの日々の出来事に介入され、私たちが孤独な時に訪問され、熱心さを取り戻してくださいます」とし、「それが私たちを”満たす”ことであり、誰もが主の実在を、もっと見つけようとするようにさせてくださるのです。主の実在の温かさゆえに、私たちの人生は変わります。主がおられなければ、すべてはまったくの灰色になってしまうでしょう」と強調された。

 そして最後に、「キリストの体と血を讃え、心を込めて主に願いましょうー『主よ、前に進むために日々のパンをお与えください、そして、あなたの存在で私を満たしてください!』」

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2022年6月19日

◎教皇連続講話「老年の価値と意味について」⑭「主は年配者たちに奉仕する力を取り戻してくださる」

Pope Francis arrives for the weekly General AudiencePope Francis arrives for the weekly General Audience  (AFP or licensors)

(2022.6.15 Vatican News By Benedict Mayaki, SJ)

 教皇フランシスコは15日、水曜恒例の一般謁見で、「老年の価値と意味について」をテーマにした講話をお続けになり、年配の人たちに対して、”自分を脇に追いやる”誘惑に打ち勝つように求め、「主はあなたがたを捨てたりしない。奉仕する力を取り戻させてくださいます」と勇気づけられた。

 この日の講話で、教皇はまず、マルコ福音書に書かれている、イエスが弟子のシモンの姑を癒やされた話(1章30-31節)を取り上げられた。

 そして、「(シモンの姑は熱を出して寝ていた、と書かれているが)彼女の病が軽いものであったかどうか分かりません。しかし、高齢になると、単純な発熱でさえ、危険な場合があります」とされ、「年をとると、体が言うことをきかなくなります。ですから、何をすべきか、何をすべきでないかを選ぶのを学ばねばなりません」と指摘。

 さらに、「年をとると、身体的な活力が衰え、心が求め続けても、あきらめざるを得なくなる。熱望を覚まし、忍耐し、体について、命について問うのを選ぶ ことを学ばねばならなくなるのです」と説かれた。

 

*病いと年配者

  また教皇は、「病気は、青年や壮年の時とは違った新たなやり方で、年配者を圧迫します。高齢になってからの病気は、死期を早め、既に短くなっている”生きる時間”をもっと短くすると見なされ、 多くの年配者に『自分たちの病いは治らないという』という疑いをもたせ、将来への希望を失わせるかも知れません」。

 そのような時、「マルコ福音書の(熱を出したシモンの姑を訪問する)箇所は、私たちに希望を待たせ、教訓を提供します。それは、イエスが病気の女性を、一人ではなく、弟子たちと一緒に見舞われた、ことです」とされ、「同じように、キリスト教信徒の共同体は、高齢の知人や友人の世話をせねばなならない」と語られた。

 

*キリスト教共同体と年配者

 続けて教皇は「特に年配者が増えている今、彼らのところへの訪問を、多くの人が一緒になって、頻繁にする必要があります。孤独でいることの多い年配者を訪ね、祈りで彼らを主に向ける責任を感じるべきでしょう」と話され、「老い、障害や深刻な病気をかかえ、衰えていくときにおいてさえも、大事であるとということを認識するとき、社会は生き生きとしたものになるのです」と強調。

 イエスは、熱を出して寝ているシモンの姑を見舞い、手を取って起こされ、癒された。「この愛の行為をもって、イエスは弟子たちに”最初の教訓”を与えます-『病気の人への気遣いを通して、救いは告げられ、いや伝えられ、そうして、自分に身をかがめて接してくださった神の優しさに対する感謝の気持ちで、彼女の信仰は光輝くのだ』ということを」と教皇は語られた。

 

*高齢者による奉仕

 そして、イエスに癒された彼女は「一同に仕えた」(マルコ福音書1章31節)。このことが、「私たちに与えられた”二つ目の教訓”です。つまり、年配であっても、共同体に奉仕することができるし、そうすべきなのです。奉仕する責任を育み、”自分を脇に追いやる”誘惑を克服すべきなのです。なぜなら、主は、彼らを拒まれないどころか、彼らに奉仕する力を回復させるからです」と強調。

 さらに、「自分たちの兄弟姉妹を癒し、慰め、神に執り成しをしようとする意欲を持ち続ける年配者たちは、おそらく、”信仰を伴う感謝の純粋さ”を示す最高の証人と言えるでしょう」とされ、「年配の人たちが、共同体に拒絶されず、活動から排除されず、皆の集まりの中心に置かれるなら、神への貴重な感謝の行為を彼らに促すことにつながる」と語られた。

 

*女性の奉仕

 続けて教皇は、「イエスが弟子たちに教訓として示された執り成しと奉仕の精神は、女性だけに向けられたものではない。なぜなら、イエスの言葉と行いからは、そうした限定を見て取れないからです。神の優しさに対する福音的な感謝の奉仕は、”主人である男性”と”奉仕する女性”という文脈で書かれているわけではありません」と注意された。

 「だからと言って、女性は、感謝と信仰の優しさについて、男性が理解しにくい、いくつかのことを彼らに教えられる、ということを否定すべきではないでしょう。弟子たちが家に来る前に、ペトロの姑はイエスに従う道を彼らに示しています」と語られた教皇は、シモンの姑の”手を取って起こされる”というイエスの特別な優しさにも注目され、この行為は、「イエスが母から学ばれた、弱者と病人に対する特別な感性を示しています」と説かれた。

 そして最後に、「若者が年配者の知恵を学ぶことができるように、若者と年配者が共に過ごせるように努める」ことを信徒たちに求められた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2022年6月15日

☩11月の 「第6回貧しい人のための世界祈願日」へー教皇がメッセージ

「第6回貧しい人のための世界祈願日」教皇メッセージ発表「第6回貧しい人のための世界祈願日」教皇メッセージ発表 

(2022.6.14 バチカン放送)

 11月13日のカトリック教会「第6回貧しい人のための世界祈願日」に先立ち、教皇フランシスコが14日、メッセージを発表され、今年度のテーマである聖パウロの言葉ー「主はあなたがたのために貧しくなられた」(コリントの信徒への手紙2・8章9節参照)を取り上げ、「私たちを豊かにするキリストの貧しさ」という”信仰の偉大なパラドックス”を強調された。

 ロシアがウクライナ侵攻を始める前、世界は、新型コロナの大感染で多くの人々の命を失った悲しみを抱えながらも、その嵐から抜け出そうとしていた。失業で貧困に陥った人々の苦しみを和らげる経済回復の兆しが見え始め、ようやく青空がのぞこうとした時、ウクライナ侵攻という新たな悲劇が、「世界に別のシナリオを強いることになりました」と教皇は指摘。

 そして、「戦争は多くの死と破壊と貧困をもたらし、暴力が至る所で無防備で弱い立場の人々を襲っている」とし、「不確実と不安の中に置き去りにされた多くの人々の苦しみを和らげ、平和を取り戻すために、どのような答えを出すことができるでしょうか」と世界の人々に 問いかけている。

(使徒パウロは、コリントの信徒たちに対し、「主は富んでいたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためでした」(コリントの信徒への手紙2・8章9節)と書き送った。そして、この言葉を通して、助けを必要とする兄弟たちへの彼らの慈善の業を、堅固なものにしようとした。

エルサレムを訪問したパウロは、ペトロ、ヤコブ、ヨハネたちと出会った。彼らは貧しい人々を忘れないようにとパウロに頼んだ。実際、エルサレムの共同体は、飢饉のために重大な困難に直面していた。パウロはすぐに貧しい人々のための募金を計画した。コリントの信徒たちは非常に快くそれに協力した。しかし、次第に彼らの最初の熱意が薄れてきたのを感じたパウロは、「心からそう願ったのですから、自分が持っているものでやり遂げることです」(コリントの信徒への手紙2・8章11節)と励ました。)

 教皇は「『連帯』とは、まさに自分が持っているわずかなものを、何も持たない人々と分かち合うことであり、共同体の意識と交わりが育てば育つほど、連帯も成長します」と説かれた。 また、パウロがコリントの信徒たちに慈善の業を強要していない点を指摘された。

 実際、パウロは「こうは言っても、私は命令するのではありません。[…] あなたがたの愛が本物であるか、確かめたいのです」(同8章8節)と、イエスご自身が証しされたように、募金が愛のしるしとして行われることを願っている。

 こうしたことから、教皇は、「貧しい人々を前に、理屈ではなく、自発的に信仰を実践に移すことが大切です」と強調。さらに、「貧しい人々に対して、しばしば心の通わない一方的な支援の態度が見られるが、重要なのは、『誰もが必要なものに欠けることがないように』努力すること、兄弟として貧しい人に寄り添う誠実で寛大な配慮をすること、です」と語られている。

 教皇は「昔も今も、『人を豊かにする貧しさがある』という”パラドックス”を受け入れることは難しい」とされ、「しかし、パウロは、イエスの教えにあるように『虫が食ったり、さび付いたり、盗人が忍び込んで盗み出したりする』(マタイ福音書6章19節)地上に富を積むのではなく、誰も見捨てられたり、疎外されることのない、互いに重荷を背負い合う、相互の愛の中に富を積むように、私たちを促しているのです」と指摘された。

 最後に教皇は、「人を解放する貧しさとは、積み荷を軽くし、本質を見つめるために、私たちに託された責任ある選択のこと」と説かれた。

(編集「カトリック・あい」=引用された聖書の日本語訳は原文の意味に近く、日本語としてもすぐれている「聖書協会・共同訳」に改めてあります)

2022年6月15日

☩「ウクライナにおける悲惨な戦争に、世界の児童労働に、慣れてはならない」教皇、正午の祈りで

A Ukrainian flag held up by the faithful gathered in St. Peter's SquareA Ukrainian flag held up by the faithful gathered in St. Peter’s Square  (Vatican Media)

(2022.6.12 Vatican News  Deborah Castellano Lubov)

   教皇フランシスコは12日、三位一体の主日の正午の祈りの後で、ウクライナで続いている悲惨な戦争に慣れ、関心を失わないように警告された。

 また、この日は国際労働機関(ILO)が提唱する児童労働反対世界デーにあたり、児童労働の「惨劇をなくす」用改めて訴えられた。

 ロシアによる軍事侵略が続くウクライナについて、教皇は、「この悲劇的な現実」に苦しんでいる人たちのために、心の中で、祈り続けることを忘れないように、時とともに慣れてしまわないように、と信徒たちに警告。

 「戦争で苦しみにあえぐウクライナの人たちは、私の心の中にいつも生きています」と語られた。

 また、児童労働反対世界デーのこの日にあたって、児童労働に改めて反対の声を上げるよう訴えられ、「労働で搾取される子供たちは、私たち全員にとっての酷い現実です!」と強調された。

 今年の世界デーのテーマは「児童労働を終わらせるための世界中での社会的保護の実現」。強固な社会的保護の体制を確立し、児童を不当な労働から守る社会的保護システムのための投資拡大を世界各国や国際機関に求めている。

 国連の統計によると、2020年現在、世界の5歳以上の子供たちの10人に1人が労働をさせられている。人数にして推定6300万人の少女と9700万人の少年、合わせて1億6000万人上る計算だ。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2022年6月12日

☩ 「聖三位一体は私たちの生き方に革命的な変化をもたらす」教皇の三位一体の主日・正午の祈り

Pope Francis leads the Regina Coeli prayerPope Francis leads the Regina Coeli prayer  (ANSA)

 

*私たち自身はどうなのか?

 教皇はまた信徒たちに、「自分自身を見つめ、私たちが語り、所有しているものを注意して見るように」と促され、「私たちが語るとき、自分自身について、自分がしていることについて語る傾向があります。他者を告げ知らせる聖霊とは何と異なることでしょう… 私たちは、自分が持っているものを他者と分かち合わず、しっかりと抱えてしまう傾向があります」と嘆かれた。

(以下は英語版原文のまま掲載します)

Living for others, and shown through our actions

The Holy Father stressed that our words must translate into actions.

“This is why,” Pope Francis said, “celebrating the Holy Trinity is not so much a theological exercise, but a revolution in our way of life.”

God, in whom each Person lives for the other, not for himself, provokes us to live with others and for others.

“Today we can ask ourselves if our life reflects the God we believe in: do I, who profess faith in God the Father and the Son and the Holy Spirit, truly believe that in order to live I need others, I need to give myself to others, I need to serve others? Do I affirm this in words or with my life?”

God, One and Triune, the Pope underscored, must be shown with deeds rather than words.

God, the Pope continued, “is transmitted not so much through books, but rather through the witness of life.”

“Think about good, generous, meek people we have met; recalling their way of thinking and acting, we can have a small reflection of God-Love. And what does it mean to love? Not only to wish them well and to do good, but first and foremost, at the root, to welcome others, to make room for others, to give space to others. This is what it means to love…”

We are not islands

The Trinity, the Pope said, teaches us that one can never be without the other.

“We are not islands,” the Holy Father noted, “we are in the world to live in God’s image: open, in need of others and in need of helping others.”

He encouraged the faithful to ask themselves: “In everyday life, am I too a reflection of the Trinity?”

“The Sign of the Cross that I make every day, remains a gesture for its own sake, or does it inspire my way of speaking, of encountering, of responding, of judging, of forgiving?”

Pope Francis concluded, praying: “May Our Lady, daughter of the Father, mother of the Son and bride of the Spirit, help us to welcome and bear witness in life to the mystery of God-Love.”

  (以上翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

バチカン放送日本語課による教皇の説教の要旨は次のとおり。

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 今日、「三位一体」の祭日、福音の中でイエスは神なる三つのペルソナ(位格)のうちの二つのペルソナ、御父と聖霊について説明されています。

 イエスは聖霊について、「その方は、勝手に語るのではなく[…]私のものを受けて、あなたがたに告げる」(ヨハネ福音書16章13-14)節)と言われます。続いてイエスは御父について、「父が持っておられるものはすべて、私のものである」(同16章15節)と言われました。

 ここで分かることは、「聖霊は語られるが、語るのは自分のことではない、聖霊はイエスを告げ、御父を啓示される」ということ、また、「あらゆるものの源である御父はすべてを持っておられ、そのすべてを御子に与えられる」ということです。

 さて、私たち自分を見てみましょう。私たちが話すこと、持っているものについて考えてみましょう。私たちが話す時、自分を良く見せるように話し、時には自分自身や、自分がしていることだけを話そうとする。御自分以外の方を告げ語られる聖霊とは、何と違っていることでしょう。自分が持っているものに対し、私たちは何と用心深く、他者とそれを分け合うことは何と難しいことでしょうか。

 聖三位一体を祝うことは、神学的な行為であるだけでなく、私たちにとっての生き方の革命なのです。それぞれのペルソナが他のペルソナのために生きておられる神は、私たちに他者と共に、他者のために生きるようにと招いておられます。三位一体の神を信じる私は、生きるために他者を必要とすることを本当に信じているでしょうか。他者のために自分を与えることができるでしょうか。それを言葉だけでなく行動で示すことができるでしょうか。自問してみましょう。

 三位一体の神は、言葉より先に、行いで示される。ヨハネ福音記者が書いているように「神は愛」(ヨハネの手紙1・4章16節)です。では、愛するとはどういうことでしょうか。それは、単に相手を大切に思ったり、相手によくすることではありません。それ以前に基礎にあるのは、他者を受け入れ、他者のために心のスペースを割くことです。

 三位一体の神は、それぞれのペルソナの名の中に、他のペルソナの存在を表しています。たとえば、御父は御子なしではありえません。同じように、御子は御父なしで考えることはできません。そして、聖霊は、御父と御子の霊です。三位一体は、他のペルソナの存在なしではありえないことを教えているのです。

 私たちは孤立した存在ではなく、神の似姿を生きるためにこの世にいます。それは、開かれ、他者を必要とし、他者を助けることを必要とする生き方です。

 では、再び自問しましょう。私も毎日、三位一体を反映した生き方をしているでしょうか。毎日の十字のしるしは、単なる動作にすぎないのか。それとも私にとって話すこと、出会うこと、答えること、裁くこと、赦すことに影響を与えているのでしょうか。

 御父の娘にして、御子の母、聖霊の花嫁である聖母が、私たちが愛である神の神秘を受け入れ、それを生活の中で証しできるよう、助けてくださいますように。

 (編集「カトリック・あい」=聖書の引用の翻訳は「聖書協会・共同訳」を使用)

 

2022年6月12日

◎教皇連続講話「老年の価値と意味について」⑬「年配者は神の優しさと知恵、愛のメッセンジャー」

Pope Francis' arriving at weekly General AudiencePope Francis’ arriving at weekly General Audience  (ANSA)

(2022.6.8 Vatican News  Deborah Castellano Lubov)

   教皇フランシスコは8日、水曜恒例の一般謁見で「老年の価値と意味」についての連続講話をお続けになり、今回は、ヨハネ福音書のイエスとニコデモの出会いの箇所(3章1-21節)を考察された。

 そして、「(ニコデモのように)年配者は、優しさと知恵、愛のメッセンジャーなのです」と強調。年配者と祖父母の優しさを思い起こされ、「神はそのような方。神は、相手に心地よく接する方を知っておられます」と語られた。

*「新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」

 福音書の中で、イエスはニコデモに「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」(ヨハネ3章3節)と語られている。

 教皇は、「ここでイエスが言っておられるのは、私たちの地上での生活の価値を否定するのではなく、地上での生活を、永遠の命と天国の喜びを得るという目的に向けなさい、ということ」とされ、「”永遠の若さ”の神話を必死に追い求める私たちの現代は、イエスの言われるこの真理を学びなおし、人生のあらゆる段階を、私たちが造られた目的である永遠の幸せを得る準備の時だ、と知る必要があります」と説かれた。

*私たちの中におられる神を証しする

 さらに教皇は「年配者は、その信仰、知恵、経験を通して、『私たちの中におられる神の王国の存在』と、『キリストと聖霊によって始められた新たな創造』の中で私たちを待っている『真の”永遠の若さ”』の前触れとして『私たちが地上に存在する本当の意味』を説得力をもって証しすることができるのです」と語られた。

 そして、老いることの素晴らしさを強調され、 「老いるとは、目的地に向かって、神の国に向かって進んでいことです… ですから、老年期は、私たちの未来を、生物学的、機会人間的な生存の幻想から切り離す、特別な時期なのです。なぜなら、神の創造的で命を作り出す胎の優しさに、私たちを開くからです」とされた。

 最後に、教皇はこのように祈られたー「聖霊が、私たちに、上から生まれた方と和解させる老年期の霊的、文化的使命の再開を賜物として与えてくれまるように」と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2022年6月8日

☩「人類を破滅に導かないように具体的行動を」教皇、世界の政治指導者に訴え

(2022.6.5 Vatican News  Linda Bordoni)

Donetsk residents react as they are evacuated from their apartments destroyed during shellingDonetsk residents react as they are evacuated from their apartments destroyed during shelling  (ANSA)

  「私は国を統治する方々に対する訴えを改めて行いますー人類を破滅に導いてはなりません。 お願いします! 人類を滅ぼさないでください!」

 教皇フランシスコは5日、聖霊降臨の主日の正午の祈りの後、すでに100日を超えたロシアによるウクライナ軍事侵攻を取り上げ、プーチン大統領はじめ世界の政治指導者たちに対して「外交的解決」を改めて、心から訴えられるとともに、世界の善意の人々に対して、「平和実現のために祈り続けるように」と呼びかけられた。

 聖霊降臨の主日に当たって、教皇は、この日のミサで読まれた使徒言行録に記されているように「主の復活から50日後に、聖霊が使徒たちの上に降り、彼らは他国の言語で語り出し、それをエルサレムにやって来たあらゆる国、異なる言葉を話す人々が理解した」のに対して、「ところが、今では、ロシアによるウクライナ侵攻から100後に、新たな戦争の悪夢が、人類に再び降りかかっています」と警告。「これは、神がもっておられる夢の否定ですー戦う人々、互いに殺し合う人々を生み出し、互いに親しくなる代わりに、故郷を追われる人を作り出すのです」と強く批判された。

 さらに教皇は、連日メディアが伝える戦いの惨状に深い悲しみを示され、「死と破壊の猛威が勢いを増し、対立が再燃し、全ての人にとってますます危険な事態が拡大するのを煽っている」として、政治指導者たちにこうした流れを変えるよう要請。「停戦と問題の完全な解決のための誠意ある話し合い、和平実現への具体的な交渉」のテーブルに速やかに就くように求められた。

 最後に教皇は、「苦しむ人々の絶望の叫びが聞き届けられますように、人間の命へ敬意が勝ちを収めますように、都市や村の恐ろしい破壊が止まりますように」と祈られ、 「これからも祈り続け、平和実現の努力をたゆまずに続けていきましょう」と呼びかけられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2022年6月5日

☩「聖霊は、私たちがイエスの目ですべてを見るようにしてくださる」ー教皇、聖霊降臨の主日のミサ説教で

(2022.6.5 Vatican News  Linda Bordoni)

 聖霊降臨の主日の5日、教皇フランシスコは聖ペトロ大聖堂でのミサの説教で、「聖霊の学び舎に腰をおろし、世界に開かれた心で、教会として共に旅するように」と信徒たちに促された。

 聖霊降臨の主日は、使徒たちの上に聖霊が下ったことを記念する日であり、復活節を締めくくり、世界に対する教会の福音宣教の開始を祝う日でもある。

 教皇は、「聖霊に耳を傾け続けましょう。聖霊は私たちに、どこから歩みを始めるか、どの道を歩んだらいいかを教え、私たちの心に神の愛を再び灯し、そして、私たちの行き先を示してくれます」と話し始められた。

 まず、ミサで読まれたヨハネ福音書の最後の箇所(14章26節)「父が私の名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたに、すべてのことを教え、私が話したことを、ことごとく思い起こさせてくださる」に注目され、「聖霊は、私たちに、イエスの目で、新たな方法ですべてを見るようにしてくれます… 人生の素晴らしい旅において、聖霊は、私たちに、『どこから歩き始め』『どの道を選び』『どのようにして歩むか』を教えてくれるのです」と説かれた。

*どこから歩みを始めるか

 そして、「聖霊は、霊的生活の出発点を私たちに示し、イエスを愛することが、私たちの忠誠と献身を保つことだけでないことを思い起こさせてくれます… 愛が私たちの人生の基盤でなければ、残りすべては空しいものとになります。そして、その愛は、私たちの力量で、というよりも、聖霊の賜物としてもたらされるのです」と語られ、「愛なる聖霊は、私たちの心に愛を注ぎ込み、私たちに『愛されていること』を感じさせ、『どのように愛するか』を教えてくれます。聖霊は、私たちの霊的生活の”原動力”です」と強調された。

*神の記憶

 続けて、教皇は「聖霊は、『神の記憶』。私たちに、イエスが語られた事すべてを思い出させ、私たちの心に、神の愛を絶えず灯し続ける」とされ、「私たちの罪が赦される時、私たちが主の平和、自由、慰めに満たされた時にその存在を体験します。そして、私たちの人生が失敗と失望だらけのように感じる時、聖霊は私たちに、神の息子、娘であることを気付かせます… あなたが自分自身に対する自信を失った時でも、神はあなたを信頼しておられるのです!」と訴えられた。

 さらに、「聖霊は、あなたの中で燃えている傷を変容させる”癒し手”、自分を傷つけた人々や環境のすべての記憶をいつまでも持ち続けないように、イエスが拭い去ってくださるようにしてくれます」とし、「それが、イエスが使徒たちになさったこと。彼らの失敗は彼ら自身の責任であり、逃げ場はなかった。しかし聖霊は、本当に重要なことー神の愛の記憶、愛の眼差しーを最上位に据えることで、『記憶』を癒やしました」。

 そして、「同じように、聖霊は、私たちの人生を整えてくれる。私たちに、互いを受け入れ、赦し合い、過去と和解することを教え、そうして新たに歩み始めるようにしてくれるのです」と語られた。

 

*どの道を選ぶか

 また教皇は「聖霊は私たちに、『どこから歩み始めればよいか』だけでなく、『どの道を歩むべきか』を教えてくれます」とし、この日のミサの第二朗読、ローマの信徒への手紙にある聖パウロの言葉「神の霊に導かれる者は、誰でも神の子です」(8章14節)に注目され、「そのような人たちは、肉に従ってではなく、霊に従って歩みます… 聖霊は、私たちの人生のあらゆる岐路において、私たちがとるべき最善の道を示してくれます。ですから、聖霊の声と悪霊の声を識別することが重要です」と説かれた。

  さらに次のように説明された。「聖霊は,あなたの人生の旅路ですべてがうまくいく、とは決して言いません。聖霊は、あなたを正し、あなたが犯した罪のために涙を流させ、生き方を変え、嘘やごまかしに抵抗するようにさせます。激務や内的な葛藤、犠牲が求められるとしても、です」。

 そうした聖霊の働きとは反対に、「悪霊は、あなたが思うこと、楽しいことをいつもするように誘います。あなたの自由を好きなように使う権利がある、と思わせます。そして、それに空しさを感じると、悪霊はあなたを責め、打倒します」。

 だが聖霊は「あなたを地面に横たわったままには、決して、しておかない。あなたの手を取り、慰め、絶えず力づけてくれるのです」。

*聖霊は”理想主義者”ではない

 教皇はまた、聖霊の行動の実践的な性格に着目され、「聖霊は、『私たちがいる場所』『今』に神経を集中させることを望んでいます。なぜなら、私たち自身が存在する時と場所そのものが、恵みに満ちているからです」と語られ、「聖霊は、『私たちが今いる場所、そして今の時』ー『理想的な世界、理想的な教会』でなく、何ごとも包み隠さず、率直に、白日の下に置かれた現実の世界、教会そのものを愛するように導きます… ゴシップと無駄話を煽り立てる悪霊とは、何と違うことでしょう」。

 

*どのように歩むか

 続いて教皇は、聖霊が私たちに教えてくれる三つ目の働きー「どのように歩むか」について語られた。  「弟子たちは”上の部屋”に小さくなっていました。 そこに、聖霊が降り、表に出て行かせました。聖霊が降りなければ、彼らは孤独なまま、皆で籠り続けたことでしょう。彼らは、聖霊によって、すべての人に対して心を開くことができたのです」。

 聖霊は「弟子たちの時代だけでなく、あらゆる時代に、私たちの先入観を覆し、聖霊の新しさに私たちの心を開かせます」と述べ、「聖霊は、教会に対して、福音を宣べ伝えるために外に出ていくことの死活的な重要性を、絶えず教えています… 教会が、安全が保障された”羊囲い”ではなく、全ての”羊”が神の素晴らしい”草”を食むことができる、開かれた”牧草地”となるように、求めています。仕切りの壁のない、開かれた”家”となるように、です」と語られた。

 それは「自分自身の抱える問題と利益、要領よく振舞う必要、自分が属する国や集団を守ることを最優先する俗物根性とは、正反対のもの」であり、「聖霊は、自分自身のことを後回しにし、全ての人に心を開くように、私たちに勧めます。そうすることで、教会を若返らせる。聖霊は、教会を活性化させる」「聖霊は、急ぎのことへの執着から私たちを解放し、聖霊の道ーいつも古めかしい、いつも新しい、証しする、貧しさと使命を帯びた道-を歩むように導き、そうすることで、私たちを自分自身から解放し、世のなかに送り出します」と説かれた。

 説教の最後に教皇は「聖霊の学び舎に腰を下ろしましょう。そうすれば、聖霊が私たちに、すべてのことを教えてくれます。毎日、聖霊を呼び覚ましましょう」と信徒たちに呼びかけられ、「そうすれば、聖霊は、私たちの出発点に神のまなざしが注がれること、私たちが神の声を聴いて判断すること、そして教会と共に旅すること、神に従順で、世界に心開くことに、私たちを気付かせてくれるでしょう」と語られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2022年6月5日

☩「ウクライナの穀物を戦争の道具にしないで!」教皇、ロシアによる輸出封鎖を批判

Wheat grows on a farm in Ukraine's southern Odessa regionWheat grows on a farm in Ukraine’s southern Odessa region  (AFP or licensors)

(2022.6.1 Vatican News  Deborah Castellano Lubov)

 教皇フランシスコは1日の一般謁見で、ロシアが侵略戦争の一環として行っているウクライナからの穀物の輸出封鎖を止めるよう訴えられた。

 教皇は、講話の終わりに、ロシアが続けているウクライナ軍事侵攻に改めて目を向けられ、 「非常に懸念されているのは、ウクライナ産穀物の輸出封鎖によって、世界の人々、特に最貧国の何百万人もの人々の生活が脅かされていることです」と述べ、世界的な穀物供給の不足が軍事侵攻に関連して引き起こされていることを強く非難。

 「この問題を解決し、食糧に対する普遍的な人権を保証するあらゆる努力をすることを、心から訴えます。主食である小麦を、戦争の武器として使わないでください!」と、ロシアのプーチン大統領を念頭に、強く訴えた。

    国連は、世界的な食糧危機が迫っている、と警告している。ウクライナの港を封鎖することで世界を”人質”にしている、と欧米の指導者たちからも非難を受けているにもかかわらず、ロシアは、ウクライナの穀物輸出封鎖を、西側諸国の対ロ経済制裁解除の手段に使おうとしているのだ。

 ロシアによる一方的なウクライナ軍事侵攻が長引き、西側諸国が経済制裁を強める中で、世界の穀物、食用油、肥料、原油、天然ガスの価格が高騰。品不足も発生している。世界有数の小麦など穀物生産国であるウクライナは、道路、河川、鉄道で穀物輸出を継続しようとしているが、肝心の黒海の積み出し港をロシアが封鎖していることから、ウクライナの農業当局は穀物輸出の年間目標はすでに達成不能になっている、としている。

 ロシアがウクライナへの不正極まる軍事侵略を開始して以来、教皇は繰り返し、侵攻を中止するよう訴え、バチカン駐在のロシア大使のもとに自ら足を運び、プーチン大統領に影響力を持つロシア正教のキリル大主教にも大統領に侵攻停止を働きかけるよう求め、さらには外交ルートを通じてプーチン大統領と直接会談する場を作る試みを続けるるなど、可能な限りの努力を続けておられる。

 また、カトリック教会としても、3月25日に、ロシアとウクライナを性ペトリ大聖堂の汚れ無きマリアの御心に奉献され、さらにロザリオの月の最終日に当たる5月31日には、ローマの聖マリア大聖堂で、世界中の信徒と共に、ウクライナを始めとする世界の戦争、紛争の停止、平和の回復へ聖母マリアの執り成しを願うロザリオの祈りを捧げられている。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2022年6月2日

◎教皇連続講話「老年の価値と意味について」⑫「年配者は、公平で人道的な社会の建設に力を与えることができる」

Pope Francis at the General AudiencePope Francis at the General Audience  (Vatican Media)

 そして、この年配者の作者の不安は、「自分たち年配者を『役に立たない存在』『社会にとっての負担』と見なす”使い捨て文化”の蔓延によって、自分たちの尊厳や権利さえ脅かされている』と考える」という、多くの人々に共通するもの、と指摘。

 「メディアさえも、いかに年配者が詐欺のターゲットになり得るか、家庭においてさえも、保護も世話も受けられずに放っておかれるのか、を日々、報じています」と語られ、同じように、自分たちの尊厳が失われるのを恐れて、私たちが病気や高齢からくる脆弱さを隠そうとする誘惑に陥る可能性も指摘された。

 さらに、今日の”近代文明”は、「病気の人、高齢の人にとって、とても居心地の悪いものであり、病人、年配者と愛に満ちた共生することへの配慮を欠く一方で、尊厳ある存在の境界線を定めるのに躍起になっている」と批判されたうえで、「増加を続け、しかも、私たちが住むこの世界を毒している”使い捨て文化”によって、しばしば見捨てられている年配者」をケアすることを、社会全体として、急がねばならない、と強調された。

 続けて教皇は、「詩編作者は、神の契約への忠実さと先を見据えたケアへの信頼を改めて確認し、老いを敗北と見なしていた年配の彼は、主に対する信頼を取り戻しました」と語られ、「彼は、助けられる必要があると感じ、神に顔を向けます」として、次のように説かれた。

  「年配者は、粘り強い祈りと希望に満ちた主への托身で、私たちすべての世代にとっての待望の模範となれます。 その存在と模範によって、彼らは人々の心を開き、より公正で人道的な社会ー人生のあらゆる段階にある人々を尊重し、共通善への貢献に価値を置く社会ーの建設に力を与えることができます」。

 そして、「年配者は、その弱さによって、人生の他の段階にある人々に、主に自らを委ね、主の助けを呼び起こす必要があることを教えることができるのです」と付け加えられた。

 講話の最後に教皇は、「老年には、生涯を通じて信頼できる方法について、私たちに教える”弱さの教導職”があります」とされ、「 老年は、共生とすべての善なるもののために不可欠な『私たち自身の文明の刷新のための決定的な地平を開く』ことについての教えを示すことができるのです」と強調された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2022年6月1日