☩ 「聖三位一体は私たちの生き方に革命的な変化をもたらす」教皇の三位一体の主日・正午の祈り

Pope Francis leads the Regina Coeli prayerPope Francis leads the Regina Coeli prayer  (ANSA)

 

*私たち自身はどうなのか?

 教皇はまた信徒たちに、「自分自身を見つめ、私たちが語り、所有しているものを注意して見るように」と促され、「私たちが語るとき、自分自身について、自分がしていることについて語る傾向があります。他者を告げ知らせる聖霊とは何と異なることでしょう… 私たちは、自分が持っているものを他者と分かち合わず、しっかりと抱えてしまう傾向があります」と嘆かれた。

(以下は英語版原文のまま掲載します)

Living for others, and shown through our actions

The Holy Father stressed that our words must translate into actions.

“This is why,” Pope Francis said, “celebrating the Holy Trinity is not so much a theological exercise, but a revolution in our way of life.”

God, in whom each Person lives for the other, not for himself, provokes us to live with others and for others.

“Today we can ask ourselves if our life reflects the God we believe in: do I, who profess faith in God the Father and the Son and the Holy Spirit, truly believe that in order to live I need others, I need to give myself to others, I need to serve others? Do I affirm this in words or with my life?”

God, One and Triune, the Pope underscored, must be shown with deeds rather than words.

God, the Pope continued, “is transmitted not so much through books, but rather through the witness of life.”

“Think about good, generous, meek people we have met; recalling their way of thinking and acting, we can have a small reflection of God-Love. And what does it mean to love? Not only to wish them well and to do good, but first and foremost, at the root, to welcome others, to make room for others, to give space to others. This is what it means to love…”

We are not islands

The Trinity, the Pope said, teaches us that one can never be without the other.

“We are not islands,” the Holy Father noted, “we are in the world to live in God’s image: open, in need of others and in need of helping others.”

He encouraged the faithful to ask themselves: “In everyday life, am I too a reflection of the Trinity?”

“The Sign of the Cross that I make every day, remains a gesture for its own sake, or does it inspire my way of speaking, of encountering, of responding, of judging, of forgiving?”

Pope Francis concluded, praying: “May Our Lady, daughter of the Father, mother of the Son and bride of the Spirit, help us to welcome and bear witness in life to the mystery of God-Love.”

  (以上翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

バチカン放送日本語課による教皇の説教の要旨は次のとおり。

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 今日、「三位一体」の祭日、福音の中でイエスは神なる三つのペルソナ(位格)のうちの二つのペルソナ、御父と聖霊について説明されています。

 イエスは聖霊について、「その方は、勝手に語るのではなく[…]私のものを受けて、あなたがたに告げる」(ヨハネ福音書16章13-14)節)と言われます。続いてイエスは御父について、「父が持っておられるものはすべて、私のものである」(同16章15節)と言われました。

 ここで分かることは、「聖霊は語られるが、語るのは自分のことではない、聖霊はイエスを告げ、御父を啓示される」ということ、また、「あらゆるものの源である御父はすべてを持っておられ、そのすべてを御子に与えられる」ということです。

 さて、私たち自分を見てみましょう。私たちが話すこと、持っているものについて考えてみましょう。私たちが話す時、自分を良く見せるように話し、時には自分自身や、自分がしていることだけを話そうとする。御自分以外の方を告げ語られる聖霊とは、何と違っていることでしょう。自分が持っているものに対し、私たちは何と用心深く、他者とそれを分け合うことは何と難しいことでしょうか。

 聖三位一体を祝うことは、神学的な行為であるだけでなく、私たちにとっての生き方の革命なのです。それぞれのペルソナが他のペルソナのために生きておられる神は、私たちに他者と共に、他者のために生きるようにと招いておられます。三位一体の神を信じる私は、生きるために他者を必要とすることを本当に信じているでしょうか。他者のために自分を与えることができるでしょうか。それを言葉だけでなく行動で示すことができるでしょうか。自問してみましょう。

 三位一体の神は、言葉より先に、行いで示される。ヨハネ福音記者が書いているように「神は愛」(ヨハネの手紙1・4章16節)です。では、愛するとはどういうことでしょうか。それは、単に相手を大切に思ったり、相手によくすることではありません。それ以前に基礎にあるのは、他者を受け入れ、他者のために心のスペースを割くことです。

 三位一体の神は、それぞれのペルソナの名の中に、他のペルソナの存在を表しています。たとえば、御父は御子なしではありえません。同じように、御子は御父なしで考えることはできません。そして、聖霊は、御父と御子の霊です。三位一体は、他のペルソナの存在なしではありえないことを教えているのです。

 私たちは孤立した存在ではなく、神の似姿を生きるためにこの世にいます。それは、開かれ、他者を必要とし、他者を助けることを必要とする生き方です。

 では、再び自問しましょう。私も毎日、三位一体を反映した生き方をしているでしょうか。毎日の十字のしるしは、単なる動作にすぎないのか。それとも私にとって話すこと、出会うこと、答えること、裁くこと、赦すことに影響を与えているのでしょうか。

 御父の娘にして、御子の母、聖霊の花嫁である聖母が、私たちが愛である神の神秘を受け入れ、それを生活の中で証しできるよう、助けてくださいますように。

 (編集「カトリック・あい」=聖書の引用の翻訳は「聖書協会・共同訳」を使用)

 

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2022年6月12日