☩「聖霊は、私たちがイエスの目ですべてを見るようにしてくださる」ー教皇、聖霊降臨の主日のミサ説教で

(2022.6.5 Vatican News  Linda Bordoni)

 聖霊降臨の主日の5日、教皇フランシスコは聖ペトロ大聖堂でのミサの説教で、「聖霊の学び舎に腰をおろし、世界に開かれた心で、教会として共に旅するように」と信徒たちに促された。

 聖霊降臨の主日は、使徒たちの上に聖霊が下ったことを記念する日であり、復活節を締めくくり、世界に対する教会の福音宣教の開始を祝う日でもある。

 教皇は、「聖霊に耳を傾け続けましょう。聖霊は私たちに、どこから歩みを始めるか、どの道を歩んだらいいかを教え、私たちの心に神の愛を再び灯し、そして、私たちの行き先を示してくれます」と話し始められた。

 まず、ミサで読まれたヨハネ福音書の最後の箇所(14章26節)「父が私の名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたに、すべてのことを教え、私が話したことを、ことごとく思い起こさせてくださる」に注目され、「聖霊は、私たちに、イエスの目で、新たな方法ですべてを見るようにしてくれます… 人生の素晴らしい旅において、聖霊は、私たちに、『どこから歩き始め』『どの道を選び』『どのようにして歩むか』を教えてくれるのです」と説かれた。

*どこから歩みを始めるか

 そして、「聖霊は、霊的生活の出発点を私たちに示し、イエスを愛することが、私たちの忠誠と献身を保つことだけでないことを思い起こさせてくれます… 愛が私たちの人生の基盤でなければ、残りすべては空しいものとになります。そして、その愛は、私たちの力量で、というよりも、聖霊の賜物としてもたらされるのです」と語られ、「愛なる聖霊は、私たちの心に愛を注ぎ込み、私たちに『愛されていること』を感じさせ、『どのように愛するか』を教えてくれます。聖霊は、私たちの霊的生活の”原動力”です」と強調された。

*神の記憶

 続けて、教皇は「聖霊は、『神の記憶』。私たちに、イエスが語られた事すべてを思い出させ、私たちの心に、神の愛を絶えず灯し続ける」とされ、「私たちの罪が赦される時、私たちが主の平和、自由、慰めに満たされた時にその存在を体験します。そして、私たちの人生が失敗と失望だらけのように感じる時、聖霊は私たちに、神の息子、娘であることを気付かせます… あなたが自分自身に対する自信を失った時でも、神はあなたを信頼しておられるのです!」と訴えられた。

 さらに、「聖霊は、あなたの中で燃えている傷を変容させる”癒し手”、自分を傷つけた人々や環境のすべての記憶をいつまでも持ち続けないように、イエスが拭い去ってくださるようにしてくれます」とし、「それが、イエスが使徒たちになさったこと。彼らの失敗は彼ら自身の責任であり、逃げ場はなかった。しかし聖霊は、本当に重要なことー神の愛の記憶、愛の眼差しーを最上位に据えることで、『記憶』を癒やしました」。

 そして、「同じように、聖霊は、私たちの人生を整えてくれる。私たちに、互いを受け入れ、赦し合い、過去と和解することを教え、そうして新たに歩み始めるようにしてくれるのです」と語られた。

 

*どの道を選ぶか

 また教皇は「聖霊は私たちに、『どこから歩み始めればよいか』だけでなく、『どの道を歩むべきか』を教えてくれます」とし、この日のミサの第二朗読、ローマの信徒への手紙にある聖パウロの言葉「神の霊に導かれる者は、誰でも神の子です」(8章14節)に注目され、「そのような人たちは、肉に従ってではなく、霊に従って歩みます… 聖霊は、私たちの人生のあらゆる岐路において、私たちがとるべき最善の道を示してくれます。ですから、聖霊の声と悪霊の声を識別することが重要です」と説かれた。

  さらに次のように説明された。「聖霊は,あなたの人生の旅路ですべてがうまくいく、とは決して言いません。聖霊は、あなたを正し、あなたが犯した罪のために涙を流させ、生き方を変え、嘘やごまかしに抵抗するようにさせます。激務や内的な葛藤、犠牲が求められるとしても、です」。

 そうした聖霊の働きとは反対に、「悪霊は、あなたが思うこと、楽しいことをいつもするように誘います。あなたの自由を好きなように使う権利がある、と思わせます。そして、それに空しさを感じると、悪霊はあなたを責め、打倒します」。

 だが聖霊は「あなたを地面に横たわったままには、決して、しておかない。あなたの手を取り、慰め、絶えず力づけてくれるのです」。

*聖霊は”理想主義者”ではない

 教皇はまた、聖霊の行動の実践的な性格に着目され、「聖霊は、『私たちがいる場所』『今』に神経を集中させることを望んでいます。なぜなら、私たち自身が存在する時と場所そのものが、恵みに満ちているからです」と語られ、「聖霊は、『私たちが今いる場所、そして今の時』ー『理想的な世界、理想的な教会』でなく、何ごとも包み隠さず、率直に、白日の下に置かれた現実の世界、教会そのものを愛するように導きます… ゴシップと無駄話を煽り立てる悪霊とは、何と違うことでしょう」。

 

*どのように歩むか

 続いて教皇は、聖霊が私たちに教えてくれる三つ目の働きー「どのように歩むか」について語られた。  「弟子たちは”上の部屋”に小さくなっていました。 そこに、聖霊が降り、表に出て行かせました。聖霊が降りなければ、彼らは孤独なまま、皆で籠り続けたことでしょう。彼らは、聖霊によって、すべての人に対して心を開くことができたのです」。

 聖霊は「弟子たちの時代だけでなく、あらゆる時代に、私たちの先入観を覆し、聖霊の新しさに私たちの心を開かせます」と述べ、「聖霊は、教会に対して、福音を宣べ伝えるために外に出ていくことの死活的な重要性を、絶えず教えています… 教会が、安全が保障された”羊囲い”ではなく、全ての”羊”が神の素晴らしい”草”を食むことができる、開かれた”牧草地”となるように、求めています。仕切りの壁のない、開かれた”家”となるように、です」と語られた。

 それは「自分自身の抱える問題と利益、要領よく振舞う必要、自分が属する国や集団を守ることを最優先する俗物根性とは、正反対のもの」であり、「聖霊は、自分自身のことを後回しにし、全ての人に心を開くように、私たちに勧めます。そうすることで、教会を若返らせる。聖霊は、教会を活性化させる」「聖霊は、急ぎのことへの執着から私たちを解放し、聖霊の道ーいつも古めかしい、いつも新しい、証しする、貧しさと使命を帯びた道-を歩むように導き、そうすることで、私たちを自分自身から解放し、世のなかに送り出します」と説かれた。

 説教の最後に教皇は「聖霊の学び舎に腰を下ろしましょう。そうすれば、聖霊が私たちに、すべてのことを教えてくれます。毎日、聖霊を呼び覚ましましょう」と信徒たちに呼びかけられ、「そうすれば、聖霊は、私たちの出発点に神のまなざしが注がれること、私たちが神の声を聴いて判断すること、そして教会と共に旅すること、神に従順で、世界に心開くことに、私たちを気付かせてくれるでしょう」と語られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2022年6月5日