☩「人は年老いても、なお実を結ぶ」7月24日「高齢者のための祈願日」を前に

教皇フランシスコとお年寄りたち教皇フランシスコとお年寄りたち  (Vatican Media)

(2022.5.10 バチカン放送)

 7月24日はカトリック教会の「祖父母と高齢者のための世界祈願日」だが、教皇フランシスコがその日を前にしたメッセージを発表された。を

 メッセージで教皇はまず、「年老いてもなお実を結ぶ」(詩編92章15節)という今年の祈願日のテーマについて、「高齢になった人生を諦め、未来の希望を感じない一部のお年寄りたち」への、「年齢にしばられた見方する傾向のある世界」への、福音と告げるもの、とされた。

 そして、現代の「切り捨ての文化」により高齢者など弱い人々を遠ざける傾向が強まっているが、「聖書が教えるように、長生きは一つの祝福であり、命を豊かに与える神の愛の生きたしるしです」と言明。「高齢者を守る家、祖父母を敬う家庭を、神が祝してくださるように」と願われた。

 ただ、「高齢は、理解の難しい人生の季節であり、生涯の長い歩みの後で、あたかも突然、現れるもののようでもあります」とされ、「高度に発達した社会は、高齢期のために多くを投資し、支援の計画を提供するが、老齢の意義を理解することは助けてくれません。老いを隠し、若さを装う努力はしても、老齢そのものの実りについては諦めているのです」と指摘しつつ、「高齢者たちは、自分を『無用な存在』と考えがちですが、人生のすべての季節においでになる神は、多くの問題を抱える高齢者にも命を与え続け、お見捨てになることはありません」と勇気づけられた。

 また、教皇は、高齢者たちに「自分を注意深く見つめ、内的生活を育み、霊的な観点からも活発な高齢期を送ることを学びましょう… 神との関係、そして家族をはじめ、人々との関係を築き、そこに愛情と配慮をもたらすように」と勧められた。

 さらに、「今日、世界は新型コロナウイルス感染の嵐に続いて、平和と発展を脅かす戦争を体験しています… この時代にあって、高齢者たちは世界を守るように召されているのです」とされ、「具体的な支援や祈りを通して、ウクライナや、アフガニスタン、南スーダンなどの子どもたち、まだ見たことのない、たくさんの”孫”たちを心に留めましょう…。そして、このような働きを通して、今日の世界で『優しさの革命』の担い手となるように」と促された。

(編集「カトリック・あい」)

2022年5月12日

☩深刻な社会経済危機のスリランカへ「政治指導者は国民の声に耳を傾けよ」

(2022.5.11 バチカン放送)

 教皇フランシスコは11日の水曜恒例の一般謁見で、経済危機による抗議デモが激化するスリランカ国民に対して、アピールを出された。

 スリランカでは深刻な経済危機から、政府に対する抗議デモが続いている。非常事態宣言が出される中で、デモ参加者と政府支持者の間の衝突が激化し、多くの死傷者が出。9日には、マヒンダ・ラジャパクサ首相が辞任した。

 教皇はこのような事態に対して、スリランカ国民、特に「社会・経済上の課題や困難を前に自分たちの叫びを上げた若者たち」に特別な思いを向けられるとともに、スリランカの宗教指導者たちと心を合わせ、あらゆる立場の人々に、暴力に陥ることなく、平和的態度を保つよう呼びかけられた。

 また、同国の指導者たちに対し、人権と社会的自由を尊重しながら、国民の切望に耳を傾けるように、と願われた。

(編集「カトリック・あい」)

2022年5月12日

☩「聞き、付き従おう。主、私たちの良き牧者に」復活節第4主日正午の祈りで

(2022.5.8 Vatican News  Thaddeus Jones)

  教皇フランシスコは8日、復活節第4主日の正午の祈り(”レジナチェリの祈り”)に先立つ説教で、この日のミサで読まれた福音書の箇所(ヨハネ10章27-30節)を取り上げ、イエスが、主と私たち1人ひとりの間にある愛の絆について教えておられるように、「イエスが私たち以上に私たちをよく知っておられることを認識し、私たちの良き牧者としてイエスに付き従うよう呼びかけておられる時、その主の声を聞く必要があります」と説かれた。

*この日の福音のキーワードは「聞く」「知る」「従う」

 教皇はまず、この日のミサでの朗読箇所で「羊と共にいる羊飼いの優しく素敵なイメージ」としての主についてどのように語っているのか注意を向けられ、「主の羊は、彼の声を『聞き』、彼を『知り』、そして彼に『従い』ます。この3つの動詞(聞く、知る、従う)は、この朗読箇所が伝えようとする重要なメッセージ。主の導きが、私たちを主と交わるよう呼びかけてくださる恵みが、どのようにもたらされるかを示すのが、羊は羊飼いの声を『聞き分ける』です」と指摘。

 そして、「主の招きを受け、主と交わりを持つためには、「その呼びかけを聞く用意をし、心を開く必要があります。今日の世界では、仕事や、家族のこと、個人的な問題で余裕をなくしていることがよくありますが、好奇心を持ち、主と兄弟姉妹との交わりを持てるように開かれた心をもって、私たちは聴くー親の言葉を聞く子供のように、主なる父の言葉を聞く―ことが求められます」とされ、「そうすれば、素晴らしい体験が待っています。主ご自身が私たちに耳を傾けてくださるのです。私たちが、主に祈るとき、主の悩みを打ち明けるとき、主に呼び掛けるとき、主は耳を傾けてくださいます」と強調された。

 

*主はご自分の羊を知っておられる

 イエスの言葉に耳を傾けることで、私たちは「イエスが私たちを知っておられる」ことに気が付く。教皇は、「この箇所で使われている『知る』は、『愛する』を意味します。主は私たちと私たちの内なる存在のすべてをご存じです。イエスは、私たちに友情、信頼、愛、親密さを求めておられ、『私たちは、いつも主に愛されている。決して一人ぼっちにはならない』という素晴らしい現実を理解し、受け入れるのを助けてくださいます」と説かれた。

 さらに、「善き羊飼いを共にいることは、詩編が次のように語る体験を生きるようにしますー『たとえ死の陰の谷を歩むとも、私は災いを恐れない。あなたは私と共におられる』(23章4節)と」と語られた。

 そして教皇は「主は、私たちが苦しみ、困難、危機に遭うとき、私たちを支えてくださいます。特に、そのようなときに、『私たちは主に知られ、愛されている』と気付くことがあります」とされたうえで、「私たちが日々の暮らしの中に主を受け入れているか」「私たちが、すべての試練と苦難を主と共にしているか」を自分に問うように勧められた。

*良き羊飼いに従おう

説教の最後に、教皇は動詞「従う」を取り上げ、「主に付き従う人々は、主が進まれるのと同じ道、同じ方向を進みます。そして、良き羊飼いがされるように、迷える人々、思いやりと愛を求めている人々を探し求めます」と語られ、さらに「主に付き従う人々は、見失った人々を探しに出かけ(ルカ福音書15章4節参照)、遠く離れた人々に関心を持ち、苦しむ人々に心を留め、涙を流す人々と共に泣くことを知っています。隣人に手を差し伸べ、彼を、彼女を自分の肩に載せます」とされた。

 そして、私たちは「イエスだけに、私たちを愛してもらおうとするのか」「主に倣うために次のステップを踏み、主が私たちになさったように、私たちの兄弟姉妹に手を差し伸べるのか」を自問する必要があります」と言われ、聖母マリアが、私たちがキリストの声を聞き、常によく知り、奉仕の道を歩むその方に付き従うのを助けてくださるように、と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二=聖書の引用は、「聖書協会・共同訳」を使用)

2022年5月8日

☩5月8日・世界召命祈願の日「私たちは皆、人類家族の実現に召されている」

(2022.5.7 カトリック・あい)

 教皇フランシスコは8日の世界召命祈願の日にあたって、メッセージを発表された。バチカン広報発表の公式英語訳全文を以下に試訳する。

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MESSAGE OF HIS HOLINESS POPE FRANCIS FOR THE 2022 WORLD DAY OF PRAYER FOR VOCATIONS Called to Build the Human Family

 2022年世界召命祈願の日へ教皇フランシスコのメッセージ「人類家族の実現に召されている」

親愛なる兄弟姉妹の皆さん、

 戦争と抑圧の冷たい風が吹いている今、そして私たちが二極化の兆候に頻繁に出会う今、私たちはシノドスの道の歩みを始めました。私たちは共に旅をし、耳を傾け、参加し、分かち合う心を育てることを急がねばならない、と痛感しています。善意のすべての男女と共に、私たちは人類家族を育て上げ、その傷を癒し、より良い未来へと導く手助けをすることを希望しています。この第59回世界召命祈願の日にあたって、私はあなたがたと共に、共働する教会ー神とこの世界の声に耳を傾ける教会ーの文脈で、「召命」のもつ幅広い意味について深く考えたいと思います。

*教会の使命の共に主役になるよう召されている

 Synodality(共働すること)ー共に旅することーは、教会における召命の基本です。この見方を背景に置くことによってのみ、さまざまな召命、神からの賜物である資質、聖職を識別し、重んじることができるのです。

 私たちは知っていますー福音を宣教し、外に出て行き、時代の変遷の中で福音の種を蒔くために、教会がある、ということを。そしてこの使命は、司牧的活動のすべての分野が協力すること、そしてさらに重要なのは、主のすべての弟子が関わりをもつときだけ、果たすことができるということです。

 「洗礼を受けたことで、神の民のすべての成員が宣教する弟子となりました(マタイ福音書28章19節参照)。教会の中の役割がどんなものであっても、また信仰の素養に差があっても、洗礼を受けた1人ひとりが福音宣教者なのです」使徒的勧告(Evangelii Gaudium=福音の喜び=120項)。

 私たちは、司祭と一般信徒を区別し、前者を主役、後者を実行者と見なす(誤った)考えに陥らないように注意し、一つの神の民である一般信徒、司牧者としてキリスト教徒の使命を共に担わねばなりません。教会は全体として、宣教する共同体なのです。

 

*互いと創造物の守り手となるよう召されている

 「召命」という言葉は、単に、特別な奉献の人生を通して主に従う人々を指すものとして、限定的に理解されるべきではありません。私たち皆が、「ばらばらになった人類をもう一度ひとつにし、神と和解させる」というキリストの使命を共に担うよう召されています。男女それぞれが、キリストに出会い、キリスト教の信仰を受け入れる前においてさえも、私たち1人ひとりが神に望まれ、愛されている存在である、という根本的な召し出しを、命という賜物と共に受けているのです。

 私たち一人一人が、神の心の中で、独特で特別な場所を占めています。私たちは、人生のあらゆる時に、男女すべての心に存在するこの神聖な輝きを育て、愛と相互受容に触発された人類の成長に貢献することを、求められています。お互いの守り手であり、調和と共有の絆を強め、創造物の傷を癒し、その美しさが損なわれないようにすることを、求められています。

 ひと言で言えば、私たちは、多様性の中で様々な要素を調和させ、創造物の”素晴らしい共通の家”でひとつの家族になるように、求められている、ということです。そして、広い意味で、個々人だけでなく、人々の集まり、共同体社会、そしてさまざまな種類のグループにも「召命」があるのです。

 

*神のまなざしを喜びをもって受け入れるよう召されている

 この偉大な共通の召命の中で、神は、私たち一人一人に特定の召し出しをなさいます。愛をもって私たちの生きざまに触れ、私たちの究極の目標、死の限界を超えたその達成へと導かれます。それが、私たちの生きざまを見ることを望まれ、そして今もなお見ておられる神のなさり方なのです。

 ミケランジェロは、「すべての石の塊には彫像が内包されている、それを見いだすのが彫刻家の仕事だ」と言っています。そのように芸術家について言えるのだとすれば、神にはもっと、当てはまるのではないでしょうか!

 神は、ナザレに住む若い女性に、「神の母」を見いだされました。漁師のシモンに、ご自分の教会を建てる基盤となるペトロを見いだされました。徴税人のレビに、使徒であり宣教者であるマタイを見いだされ、キリスト教徒を迫害していたサウルに、異邦人の使徒となるパウロを見いだされました。神の愛情深いまなざしは、いつも常に私たちに出会い、私たちに触れ、私たちを解放し、私たちを変容させ、私たちを新しい人に変えるのです。

 それが、すべての「召命」で起こることです。私たちは、私たちを召される神のまなざしに出会うのです。召命は、神聖視された、少数の人のためにあらかじめ定められた特別な経験ではありません。 「隣にいる聖人の聖さ」(Gaudete et Exsultate 6-9項参照)があるように、神のまなざしと召命は、すべての人に向けられており、すべての人に召命があります。

 極東の諺にはこうありますー「賢人は、卵を見てワシを知り、種を見て大木を垣間見、罪人を見て聖人を垣間見る」。これが、神が私たちを見るなさり方です。私たち一人一人に、時には自分自身が気付いていない特定の可能性を見いだされ、その人生を通して、私たちがこの可能性を他の人や社会に役立てられるように、絶えず努力されます。私たちを殻から出し、私たちが求められている「傑作」となるように「手」を使われる、神という彫刻家によって、『召命』は生まれるのです。

 私たちを自己陶酔から解放する神の言葉は、私たちを浄化し、啓発し、再創造することと可能にします。ですから、神が私たちに委ねられた召命に対して、これまで以上に心を開くために、その言葉に耳を傾けましょう!そして、信仰において、兄弟姉妹にも耳を傾けることを学びましょう。彼らの示唆と模範は、これまでにない新しい道を示される神の計画を、私たちに明らかにする役に立つでしょう。

 

*神のまなざしに応えるよう召されている

 神の愛情深く、創造的なまなざしは、イエスにおいて極めて独特ななさり方で私たちに注がれます。宣教者マルコは、イエスが金持ちの青年と話した時に「彼を見つめ、慈しんで言われた」(マルコ福音書10章21節)と書いています。愛に満ちたイエスのまなざしは、私たち1人ひとりに注がれます。

 兄弟姉妹の皆さん、このようなやり方で互いを見ることを学びましょう。そのやり方とは、私たちが生き、出会うすべての人ーそれが誰であろうとーが、喜んで迎えられていると感じ、愛を込めて見つめ、潜在的な力を発揮するように招かれる方がおられることを知るようにすることです。

 このようなまなざしを進んで受け入れるなら、私たちの人生は変わります。すべてが、私たちと主の間だけでなく、私たちと他の人たちとの対話になります。対話を深く、経験することによって、私たちはこれまで以上に自分らしくなります。キリストの恵みと憐れみの道具となる「司祭職へ召命」において、神の賛美者、新しい人の預言者となる「修道者への召命」において、互いに贈り物となり、人生の与え手、教え役となる「結婚への召命」において、神の目を通して他者と世界を見るように、善なるものに仕えるように、そして働きと言葉によって愛をひろげるようにと、私たちに呼びかける、すべての教会の召命と奉仕において。

 ここで、ホセ・グレゴリオ・エルナンデス・シスネロス博士( 1864 – 1919) の人生について触れておきたいと思います。ベネズエラ人の彼は、カラカスで医師として働いているときに、フランシスコ会の信徒会員になることを希望しました。さらに、司祭修道士になることを考えましたが、健康上の理由で希望がかなえられませんでした。そのようなことから、彼は自分の召命が医療の専門家として生きることであり、何よりも貧しい人々に奉仕することにある、と理解するようになりました。「スペイン風邪」の世界的な大流行が起きた時、自分に与えられた召命をいかんなく発揮しましたが、ある日、年配の患者のために薬局で薬を購入し、そこから出た時に自動車事故に遭い、命を落としました。主の呼びかけに応えることの模範的な証人である彼は、1年前に列福されています。

 

*友愛に溢れた世界を築くため召されている

 キリスト教徒として、私たちは一人ひとり別々に召命を受けるだけではありません。一緒に召されることもあります。私たちはモザイクのタイルのようなものです。それぞれが、それ自体、素晴らしいのですが、皆が組み合わされたとき、一服の絵が出来上がります。私たち一人一人は、神の心と宇宙の大空の中で星のように輝いていますが、同時に、私たちが住んでいる周りから始めて、人の歩みを導き、照らすことができる星座を作るように召されています。

 これが教会の神秘ですー相違を賛美すること、人類がそうなるように召されているすべてのしるしと道具。だからこそ、教会は、よりいっそう、 synodal(共働する)存在にならねばならないのです。共に歩み、調和のとれた多様性で一致し、誰もが積極的に参加でき、誰もが貢献できる場所となるように。

 私たちが「召命」について話すとき、それは生き方を選ぶことー特定の聖職に人生を捧げること、あるいは信仰あつい家庭、運動、あるいは教会共同体の神から与えられた賜物に心惹かれることことーだけではありません。それは、神の夢ーイエスが「すべての人を一つにしてください」(ヨハネ福音書17章21節)と御父に祈られ、育まれた友愛の偉大な夢ーを実現することです。

 教会における、そしてより広い意味で社会における召命は、共通の目的に貢献します。その目的とは、聖霊によってもたらされる多様な賜物の調和を、男女皆で賛美することです。司祭、男女修道者、一般信徒の皆さん、「愛において一致した一つの偉大な人類家族は、空想の産物ではない」という真理を証しするために、共に旅と続け、働きましょう。

 兄弟姉妹の皆さん、歴史の劇的な出来事の中で、神の民が、この呼びかけにいっそう力強く応えることがきるように、祈りましょう。私たち皆が自分に相応しい場所を見つけ、この偉大な神の計画の次元のために最善を尽くすことができるように、聖霊の光を願いましょう!

 ローマ、ラテラノの聖ヨハネ教会にて。 2022年5月8日、復活節第4主日に  フランシスコ

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2022年5月7日

☩「(”ウクライナ戦争”で生じている)キリスト者間の分裂に見て見ぬふりをするな」

教皇フランシスコと教皇庁キリスト教一致推進評議会メンバーとの集い 2022年5月6日教皇フランシスコと教皇庁キリスト教一致推進評議会メンバーとの集い 2022年5月6日  (Vatican Media)

(2022.5.6 バチカン放送)

 教皇フランシスコが6日、教皇庁キリスト教一致推進評議会の総会参加者たちとお会いになった。

 あいさつの中で教皇は、新型コロナウイルスの大感染が世界中に悲劇的な影響を及ぼし、キリスト教一致のための活動も大きく制限されているが、「この危機はキリスト者たちの絆を強め、互いの弱さを分かち合い、共に神により頼むことで、一つの家族としての自覚を新たにする機会にもなりました」と語られた。

 そのうえで、コロナ禍がまだ去らない中で、「今、全世界は別の悲劇に直面しています」とされ、ウクライナで進行中のロシアによる軍事侵攻に注意を向けられた。

 教皇は「残忍で無分別なこの戦争は、『様々な民族と国々の社会的友情を基礎とする兄弟愛に満ちた世界共同体』の発展のために、キリスト教徒たちに何ができるのかを、それぞれの信者と教会の良心に問いかけています」と強調。

 として、「この非人間的な戦争を目の当たりにしている私たちは、キリスト者の一致への熱意を新たにせねばなりません」と訴えられるとともに、「キリスト者同士の分裂が起きていることに慣れ、あるいは諦め、見て見ぬふりをすることは、”争いの土壌となる腐敗した心”の放置につながります」と警告された。

⇒教皇のこの言葉は、教皇はじめカトリック教会やギリシャ正教、ウクライナ正教の指導者たちが、ロシア正教の指導者、キリル総大主教に対して、プーチン大統領にウクライナ攻撃の停止を働きかけるよう重ねて求めているにもかかわらず、総大主教はこれを拒否するばかりか、ミサの説教などで繰り返し攻撃の正当性を主張、大きな亀裂を生んでいる現状を、念頭に置いたものだ(「カトリック・あい」)

 さらに教皇は、「キリスト者たちがイエスにおいて和解し、その愛のメッセージに強められてこそ、『平和の福音の告知』は、信頼できるものとなるのです」と説かれ、諸キリスト教会が2025年に『第一ニケア(ニカイア)公会議開催1700周年』を共に記念することは、「キリスト者の一致に向けての歩みに貴重な貢献をもたらすでしょう」と期待を表明された。

(編集「カトリック・あい」)

2022年5月7日

◎教皇連続講話「老年の意味と価値について」⑧「信仰の恵みを次の世代に伝えるために、最後まで実践が必要」

Pope Francis at the weekly General AudiencePope Francis at the weekly General Audience  (Vatican Media)

 

*グノーシス主義の誘惑

 教皇また、今日でも若者を誘惑し続けている異端思想、グノーシス主義(1世紀に生まれ、3世紀から4世紀にかけて地中海世界で勢力を持った。『グノーシス』は、古代ギリシア語で『認識・知識』を意味し、自己の本質と真のについての認識に到達することを求める。物質と霊の二元論に特徴がある)に言及された。

 「グノーシス主義は、信仰を霊性、あるいは知性の力だけのものと考え、日々の生活の現実との関係を持たない… 確かに、これは非常に人を惹きつける思想です。『信仰は、食事規定や社会的慣行などに帰着できない』という明白な解釈をするからですが、グノーシス主義は、キリスト教の信仰を刹那的な信念にしてしまうか、あるいは真の証しを無いものにしてしまいます」と警告。「私たちのキリスト教の信仰は、常に、神の子の顕現を経験せねばなりません」と説かれた。

*年配者の使命は、信仰の誉れと取り戻すこと

 最後に教皇は、「現代社会は、信仰の実践を過小評価しています、『信仰は、年寄りがやっているものだ』というような”文化的”なあてこすりする」が、「年配者には、『信仰の名誉を取り戻す』という重要な使命があります。なぜなら、信仰は『弱さ』ではなく、『強さ』のしるしだからです」と強調され、次のように締めくくられた。

 「信仰は尊敬と名誉に値するものです。私たちの人生を変え、考え方を清め、神を崇敬し、隣人を愛することを教えてくれます。信仰はすべての人にとって恵みなのです!」

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2022年5月4日

☩「核兵器の保有も使用も、あってはならないこと」教皇、岸田首相と会談

Hiroshima atomica bomb explosion Hiroshima atomica bomb explosion  

(2022.5.4 Vatican News  Linda Bordoni)

 教皇フランシスコが4日、欧州歴訪中の岸田首相と会談され、「核兵器の保持も使用もあってはならないこと」と述べ、核兵器に反対するこれまでの意向を確認された。

 バチカン広報局のブルーニ局長によると、会談は約25分間にわたって行われ、岸田首相の故郷でもある広島に落とされた原爆、そしてその保持と使用を中心に話し合われた。

*教皇、広島訪問を振り返り、核廃絶の必要性確認

 教皇は2019年11月に日本を訪問され、翌年に被爆75周年を迎える広島にお出でになり、広島平和資料記念館で祈られ、被爆者と会われている。首相との会談で、このことを思い出されてこう語られた。

 「平和が栄えるためには、世界のすべての人々が戦いの武器、特に最も強力で破壊的な武器、つまり都市全体、国全体の自由を奪い、破壊し得る核兵器を手放すべきことが、これまでになくはっきりしています」。

 日本を訪れられた時、教皇は「核兵器を持つことも、(注*使用するために)配備することも、反道徳的です」と語られていたが、岸田首相との会談でも、核兵器の廃絶を改めて主張、昨年発効した国連の核兵器禁止条約への支持を確認された。

*日本・バチカン国交樹立 80 周年、二国間協力とカトリック教会の貢献

 またバチカン広報局の発表では、教皇と岸田首相の会談では、双方から日本・バチカン国交樹立から今年で 80 周年を迎え、両国間の協力に満足が表明され、日本社会の多くの分野でカトリック教会が貢献していることについても、高く評価された。

 さらに、ロシアによる軍事侵攻で大きな犠牲が出ているウクライナの状況についても、意見が交わされ、対話と平和実現が緊急に求められていることを確認。関連して恒久的な平和のために「核の無い世界」が必要であることが強調された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2022年5月4日

☩「モスクワ訪問、プーチン大統領との会談実現へ働きかけを続けている」教皇、伊日刊紙とのインタビューで

People walk their bikes amid conflict in the city of Mariupol, southern UkrainePeople walk their bikes amid conflict in the city of Mariupol, southern Ukraine 

*戦場が武器をテストする場になっている

 教皇はまた、「NATO(北大西洋条約機構)がロシアの”扉”の前で吠えたてた」ことが(ロシアの)怒りが煽った可能性があり、それが、ロシアを「悪い形で反応させ、紛争を解き放ってしまった」との見方を示した。

 さらに、「ウクライナ軍に(注:NATO加盟国が)武器を供給するのが正しいかどうかという問いには、どのように答えたらいいのか分かりません。無理です。でも、はっきり言えるのは、その戦場で武器がテストされているということです」と述べた。

 そして、「ロシア軍は、自分たちの戦車が(ウクライナ軍を粉砕するのに)あまり役に立たないことを認識し、他の兵器の使用を考えています。戦争が続く理由ーそれは、自分たちが開発した武器をテストするためです。このような商売を止めさせようと戦っている人はほんのわずかしかいませんが、もっと努力すべきです」と指摘。数年前にイタリア最大の港、ジェノバの港湾当局が、イエメンに武器を運ぼうとする輸送船団を止めた実例を紹介された。

*「私はまず、モスクワを訪問する必要がある」

 教皇が今、戦闘を止めるための訪問先として希望しておられるのは、キーウではなく、モスクワだ。

 教皇は、戦闘継続阻止のためのこれまでの具体的な努力の経験から、「当面、キーウには行かない。まず、モスクワに行く必要があります。まず、プーチンに会わねばなりません。私は司祭でもある。私に出来ることをします。プーチンが扉を開けてくれさせすれば…」と、プーチン大統領がご自分を迎え入れることに強い期待を示された。

*ロシア正教の総主教は”プーチンの祭壇の侍者”にはなれない

 さらに教皇は、モスクワでロシア正教会のキリル総主教と直接会い、和平実現に力を合わせることを強く希望された。教皇は3月15日にズームで総主教と40分間にわたって話し合ったものの、総主教はウクライナ侵攻の正当性を主張するのみで終わっているが、教皇はこう語った。

 「彼がそのように主張した時、私は彼に言いましたー『そのような主張は全く理解できない。兄弟よ。私たちは国家に所属する聖職者ではありません。私たちには、政治の言葉は使えない。使えるのはイエスの言葉です。私たちは同じ神の聖なる民の牧者ではありませんか。だからこそ、私たちは平和の道を模索し、戦火を止めねばならないのです。あなたは”プーチンの祭壇の侍者”になることはできない』と」。

 「私は6月14日にエルサレムで彼との会談を予定していました。直接顔を合わせての二度目会談、戦争とは何の関係もない会談になるはずでした。だが、今も、彼は私に同意しています-『’待ちましょう。それが不確かであっても』」。

 

*分散化した”第三次世界大戦”、すべてに国家間の利害が絡む

 また、教皇は、ウクライナから世界中で起きている戦争ー分散化した“第三次世界大戦”ーにおける人々の生きる権利について語られた。

 「シリア、イエメン、イラク、アフリカの各地などで、次々と戦争が起きています。そのすべてに国際的な利害が絡んでいる。自由主義国が自由主義国に戦争を起こすことは考えられない。ウクライナで戦争を起こしたのは、自由主義の国ではないように思われます。ウクライナの人々を『ドンバスで”反応”した』と非難する声がありますが、それは10年前のこと。昔のことです。当然ながら、ウクライナの人々は誇り高い人々です」

 

*平和実現への出来る限りの努力を続ける

  教皇フランシスコは、復活祭にロシアの軍事侵攻開始から三度目のキーウ訪問をしたクラジェフスキー枢機卿との会話について語られた。

 「私は、キーウを訪問中の枢機卿に電話した際、彼はこう言いました。『私たちが完全に理解できないとしても、彼らは正しいのです。彼らは沈黙しています。敏感になっています。第二次世界大戦でとても多くの代償を払い、敗北し、隷属させられた、と感じています。あまりにも多くの人が命を落としました。彼らは殉教の民です。そして、今、沿ドニエストル・モルドバ共和国(注:モルドバ東部を流れるドニエストル川ウクライナ国境との間の細長い土地にあり、国連加盟国が承認していない分離国家)で起こりそうなことについて慎重に見守っています』と」。

 教皇は、5月9日(第二次世界大戦のロシア戦勝記念日)に、ウクライナにおけるすべての戦いが終わりを迎える可能性に期待し続けており、4月21日にバチカンでハンガリーのオルバーン首相との会見で「ロシア人には計画がある」ことを知らされた、としたうえで、次のように語られた。

 「(ロシア軍が)ここ数日、攻勢を強めているのも、そのような文脈から理解することもできるでしょう。現在、ロシア軍はドンバスだけでなく、クリミア、オデーサなど、ウクライナから黒海の諸港を奪い取っています。私は現状を悲観的見てはいますが、戦争を止めるために出来る限りの努力をせねばならないのです」。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

2022年5月3日

☩「人類の傷を勇気をもって伝える人々に感謝」ー5月3日・世界報道自由デーに

(2022.5.1 バチカン放送)

 5月3日は国連の「世界報道自由デー」。教皇フランシスコはこの日を前にした1日の正午の祈りで、報道の自由のために命をかけて奉仕するジャーナリストたちを称えられた。

 教皇は、昨年47人のジャーナリストが殺害され、350人以上が獄中にある状況を示され、「人類の傷を勇気をもって伝える」これらの報道関係者に、心からの感謝を述べられた。

 現在も続いているロシアのウクライナ軍事侵攻でも、取材に当たっているジャーナリストの中に多くの死傷者が出ている。

(編集「カトリック・あい」)

2022年5月3日

☩「苦しみに暮れるウクライナの 人々のために、日々の祈りを」教皇が改めて訴え

Ukrainians appealing for an end to the warUkrainians appealing for an end to the war 

(2022.5.1 Vatican News   Thaddeus Jones)

 教皇フランシスコは1日、復活節第三主日の正午の祈りの中で、現在のロシア軍の攻撃が止まらないウクライナ、とくに「残虐な爆撃を受け、破壊された、聖母マリアの町」マリウポリに注意を向けられた。

 そして、ウクライナで苦しみのどん底にあるすべての人々、特に子たちや年配の人たちを思い起こされ、特に5月は聖母マリアに捧げられた月でることから、ウクライナに一刻も早く平和が取り戻されるように、ロザリオの祈りを日々、唱えることを世界の信徒たちに呼びかけられた。

*人々の苦痛に涙ーマリウポリに「人道回路」の確保を

 教皇は、特に悲惨な状態にあるマリウポリで、最後の戦場になっている製鉄所に残されている人々が安心して避難できる「人道回廊」の確保を、改めて、ロシア、ウクライナなどの当事者たちに求められた。

 そして「私は、ウクライナの人々、特に最も脆弱な年配者や子供たちが受けている耐え難い苦しみを思い、涙を流します。子供たちが強制的に連れ出され、(注:ロシアに)送り出されたという恐ろしい報告さえも聞いています」とされた教皇は、憔悴した人々のことを深く思いやり、「おぞましい人間性の退行」を目の当たりにする中で、私たちが本当に平和を希求しているのか、疑問を表明された。

*暴力の論理、スパイラルに屈してはならない

 さらに、「現在の軍事的なそして言葉による攻撃のエスカレーションを回避しようとする意志が、本当にあるのでしょうか」「”武器を沈黙させる”ために、あらゆる努力がされているのでしょうか」と関係国、機関の指導者たちに問いかけられた。

 そのうえで、「私たちが、暴力の論理と武力紛争のスパイラルに屈さないように」と訴え、「対話と平和の道を歩みましょう!祈りましょう」と全世界の人々に呼びかけられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2022年5月2日

☩「私たちが善を行なう”衝動”を取り戻せますように」復活節第三主日・正午の祈り

*主に会うためペトロがしたように、私たちも飛び込もう!

 (イエスが言われる通りに弟子たちがもう一度、網を打って、あふれるほどの魚が捕れた時、弟子の1人、ヨハネがペトロに「主だ」と叫んだ。ペトロは、裸だったので上着をまとって、湖の飛び込む。)

 教皇は、「ペトロには、我を忘れるほどの驚きが必要でした」とされ、ペトロが湖に飛び込んだのは、「その驚きがもたらした”愛の表現”。創造的で無償で与えられた熱意をかき立てる愛です。ペトロは、岸辺におられる主に会うために、そうしたのです。新たに見出した熱情の反映です」と指摘。

 「私たちもまた、何かを失うことを恐れず、慎重になり過ぎたり、他の人が始めるのを待ったりせず、ペトロのように、善なるものに飛び込み、”新たな熱情と意欲の波”に乗るように求められているのです。私たちは、心の衝動を抑えて安全な場所に戻ることをせず、他の人に自分自身の思いを打ち明け、寛大になることが求められています」と強調されたうえで、「飛び込になさい、飛び込みなさい!」と信徒たちの呼びかけられた。

 

*主は今も、私たちに「私を愛しているか」と問いかけられるのは…

 (弟子たちが捕って来た魚で朝の食事を終えると、イエスは「あなたは私を愛しているか」と3度、ペトロに問いかけられた。)。

 教皇は「主は、今も私たちに、同じ問いかけをなさいます、それは、信仰は愛が問題だからですー”飛び込む”勇気をもって、新たな歩みを始めるために、私たちが神と兄弟姉妹に仕えることを妨げようとする私たちの過去と決別するために、恐れを克服する愛です」とされた。

 そして、説教の最後に、ペトロがこの出来事の後で、二度と漁師に戻らず、神と隣人に自分の人生を捧げ、「まさに、殉教して埋葬されたこの(注:聖ペトロ聖堂の)場所で、命を捧げた」ことを思い起こされ、私たちが善を行なう衝動を取り戻すことができるように、聖母マリアに執り成しを願われた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2022年5月1日

☩「いかなる形の虐待も容認できない、各国の司教協議会に『被害者の癒しと正義を行なうセンター』設置を」バチカン未成年者保護委員会に

教皇フランシスコ、教皇庁未成年者保護委員会との集い 2022年4月29日教皇フランシスコ、教皇庁未成年者保護委員会との集い 2022年4月29日  (Vatican Media)

 教皇フランシスコは29日、「未成年者保護のための教皇庁委員会」のメンバーとお会いになった。

 会見は、同委員会の定例総会最終日の集いの場で行われたもので、教皇は「どのような形の虐待も、容認できません。特に子どもたちに対する性的虐待は、成長期の人生を傷つけるため、いっそう重大です」と強調された。

 そして、「虐待の被害者は、しばしば、生と死の間に閉じ込められたかのように感じており、その苦しみは、取り去ることのできないものです」と言明。

 さらに「虐待被害者の証言は、キリストの体、すなわち教会に開いた傷口です」と語られ、「この傷の存在を知らせるために、また苦しむ人々を探し、これらの人々の中に苦しむキリストを見出すために、勇気をもって働いてください」と委員会のメンバーたちを励まされた。

 また教皇は、「司教、修道会の長上、司祭、助祭、奉献生活者、カテキスタ、信者、教会を構成するすべての人が、それぞれの立場から、虐待の防止と、正義、癒しのために責任を負わねばなりません」と、司教など高位聖職者を始めとする全教会員に、その責任を果たすよう強く求められた。

 教皇は、最近発表されたバチカン改革の使徒憲章「プレディカテ・エヴァンジェリウム」によって、今後、未成年者保護委員会が教皇庁の機関の一部として正式に教理の部署の中に設立される一方、「委員会の管理者とメンバーは、教皇から任命された会長を通して、教皇との直接的な関係を確保することができようになります」と、その独立性を強調された。

 そして、委員会のさらなる使命として、「虐待被害者の保護とケアが、教会生活のあらゆる分野において規則となるよう取り組むこと」を指示されるとともに、「虐待被害者の心身の健康と司牧のための援助と対応が、委員会の緊急の課題となっています」とされた。

 教皇は、「委員会が発足当初から虐待被害者たちとの出会いと傾聴の場を設けてきたことが、苦しみを体験した人々に対する私の司牧上の使命において大きな助けとなってくれました」と評価。

 そのうえで、委員会の「極めて重要な仕事」として、「世界各国の司教協議会に、『虐待を経験した人とその家族を受容し、彼らの訴えを丁寧に聴き、癒しと正義の実現に歩みを共にするためにふさわしいセンター』が設置されるよう、各国協議会との対話を通じた見守りと支援」を求められた。

(2022.5.1 カトリック・あい)

 以下は、バチカン広報局発表の、「未成年者保護のための教皇庁委員会」総会における教皇の説話全文の「カトリック・あい」の日本語試訳

 

ADDRESS OF HIS HOLINESS POPE FRANCIS TO THE MEMBERS OF THE PONTIFICAL COMMISSION FOR THE PROTECTION OF MINORS

Friday, 29 April 2022

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、こんにちは!

 総会の締めくくりとして、皆さまをお迎えできることをうれしく思います。オマリー枢機卿の紹介の言葉に感謝します。また、ご自分の活動と信徒の方々への奉仕の両方で、子供たちを保護する仕事に尽力してくださった皆さんに感謝します。今日、あなたがたの努力のおかげで、未成年者や弱者にとって、教会は以前より安全な場所になりました。また、オマリー枢機卿があらゆる障害にもかかわらず、委員会の目標を追求してきた粘り強さに感謝したいと思います。ありがとうございました!

*子供たちの尊厳を脅かす状況は今も続いている

 あなたがたに託された活動は注意深く実行されなければならないものです。教会が未成年者にとって安全な場所であり、癒しの場所であるだけでなく、世界中で彼らの権利を守り育てられるように、完全に信頼できる場であることが証明できるように、委員会には絶え間ない注意が必要です。

 残念なことに、子供たちの尊厳が脅かされる状況は今も存在し続けており、これはすべての信徒、すべての善意の人々にとっての懸念の源であり続けているに違いありません。

*癒しの道は長く、難しい

 時には、虐待の現実と、それが「小さな子供たち」の生活に与える壊滅的で永続的な影響が、愛と理解をもって対応しようとする人々の努力よりも、勝っているように思われます。癒しへの道は長くて難しいものです。それには確固たる希望、十字架に進まれ、さらには十字架を越えて進まれたキリストへの希望が必要です。

 よみがえられたイエスは、栄光に満ちた体に十字架につけられた傷を残しておられ、これからもずっとそうであり続けられます。その傷は、神が私たちに苦しみを渡すのではなく、苦しみを通り抜け、神の愛の力によって変えることで、私たちを救ってくださるのだということを教えてくれます。聖霊の癒しの力は私たちを失望させません。神の新しい命の約束は失敗することがありません。私たちは復活したイエスを信じる必要があり、復活された体の傷の中で私たちの命は休息します。

*息子を虐待された父親からの手紙ー苦しみは取り去ることのできない現実

 いかなる形態の虐待も容認できません。特に子どもたちに対する性的虐待は、開花し始めたばかりの人生に対する犯罪として、。最も深刻です。虐待された人は、人生を謳歌する代わりに、時には永久に重い傷を負い続けます。

 最近、息子さんを虐待された父親から手紙をもらいました。息子さんは、虐待を受けた結果、何年もの間、自分の部屋から出ることさえできなかった。彼と彼の家族が受けた虐待の影響は深刻でした。虐待された人々は、いわば「生と死の間に閉じ込められている」と感じることがあります。それ自体が苦痛であり、私たちが取り去ることのできない現実です。

*傷の苦しむ人たちを捜し出し、認知し、癒すことは、司教、司祭、修道者、そして信徒全員の責任

 虐待被害者の証言は、教会であるキリストの体に開いた傷を表しています。これらの傷を明るみに出し、傷に苦しむ人々を探し出し、彼らが私たちの苦しんでいる救い主の証人であることを認めるために、熱心にそして勇気を持って働くことを、あなたにお願いします。なぜなら、教会は、自身を苦しむ僕としてキリストに従うほどに、復活された主を知っているからです。

 これは私たち全員ー司教、修道会の責任者、司祭、助祭、修道者、カテキスタ、そして一般信徒ーが、歩まねばならない道です。教会の構成員全員が、それぞが置かれた場に合う形で、虐待が起きるのを防ぎ、正義が行われ、被害者を癒すために働く責任を負うように求められています。

*バチカン改革で委員会を「教理のための部署」に正式に位置づけ

 委員会の皆さんの今後について、ひと言申し上げます。使徒憲章PraedicateEvangeliumで、私はローマ教皇庁の一部として、「未成年者保護のための教皇庁委員会」を、(注:現在の教理省を再編して誕生する)「教理のための部署」の中に正式に位置づけることにしました(同憲章78項参照)。

 この措置が、あなたがたの思想と行動の自由を危険にさらす可能性がある、あるいは、あなたがたが扱う問題から重要性を奪う可能性がある、と懸念される方がおられるかも知れませんが、そのようなことは、私の意図でも、私の期待でもありません。そして、このようなことが起こらないように注意することをお勧めします。

 未成年者保護委員会は、聖職者のメンバーの性的虐待を扱う「教理のための部署」に置かれますが、私はあなた方の主体性を明確にしました、あなた方は委員会の代表を通して、引き続き私と直接関係を持つことになります。代表は、教皇によって任命されます。

*バチカンの他の関係部署と協力し未成年と脆弱な成人を守り、癒す最良の方法を考えて

 

 皆さんには、「正義を行なうことと予防することは相互補完的である」という認識の上に立って、教会が未成年の人たち、脆弱な人たちを守り、虐待された被害者を癒やすために、もっと良い方法を考え、提案していただきたいと思います。あなた方の活動は、教会全体で実行できる最良の対応とその手順について、積極的かつ先進的な展望を提供することができるのです。

 こうした方向で、多くの所で、重要な種が蒔かれていますが、なお、すべきことが沢山あります。使徒憲章は新たな始まりを示しています。あなたがたの委員会を教皇庁の組織図に取り込みましたが、他の組織から独立して活動し、委員会の代表は教皇から直接、任命されます。虐待を受けた人たちの保護とケアが、教会活動のあらゆる分野で規範となるようにするため、委員会の活動範囲を広げるのは、あなた方の責任です。

 教理の部署や他のバチカンの部署との緊密な協力は、あなた方の仕事を豊かにするだけでなく、バチカンや世界の現地の教会の仕事をさらに豊かにすることができます。それを実現する最も効果的な方法の決定は、委員会と「教理の部署」、他の関係部署に委ねます。これらの機関は協力して、教会が責任を負うすべての人々を守る、という教会の義務を具体的に実行することになります。

 その義務は、人間の本質的な尊厳の概念に基づいており、最も脆弱な人たちに特別に関心を払う必要があります。普遍教会と個々の教会のレベルでなされる努力によって、それぞれの能力に従って、守り、癒し、正義を行なう計画が実行されることになります。

 *世界の虐待問題への説明責任を果たし、取り組みの進展を図るための年次報告の策定

 蒔かれた種は実を結び始めています。聖職者による未成年者虐待の事例は、世界の、データと信頼できる人的、物的資源がそろっている地域で見る限り、ここ数年、減っています。

 そこで、皆さんの委員会にお願いしたいのは、未成年者や脆弱な成人を守るするための教会の取り組みについての年次報告書を作成することです。最初は難しいかもしれませんが、所管の機関が適切に行動できるように、現在実施されていること、変える必要があることについての信頼性の高い情報を整えるために、必要なところから始めてくださるようにお願いします。

 年次報告が、虐待問題について透明性を確保し、説明責任を果たす要素となるものであり、その面での私たちの取り組みの進展状況を点検する役割を果たすものとなることを期待しています。取り組みの進展がなければ、司牧に対する信頼は失われ続け、福音を説き、証しすることは、ますます難しくなるでしょう。

*「被害者の声を注意深く聴き、癒しと正義を行なうセンター」の設置へ、世界各国の司教協議会を支援、監督

 また、委員会が急いで取り組むよう求められていることがあります。それは、特に虐待を経験した方の福祉面と司牧面のケアです。委員会が発足当初から
「被害者の声に耳を傾け、彼らとの出会いの機会を提供する」という取り組みをされてきたのを、私は関心をもって見てきました。あなた方は、私が司牧の使命を果たす中で、苦痛に満ちた経験から立ち直るよう、すべての人たちを懸命に助けてくれました。

 この面で、私はあなた方に、世界各国の司教協議会を支援することを強くお願いします。これは非常に重要なことー自発教令「VosEstisLux Mundi」(第2条参照)で示したように、各国の司教協議会と対話しつつ、「虐待被害者とその家族が受け入れられ、話を注意深く聴いてもられることが分かり、癒しと正義を行なう過程を共に歩むのに適したセンター」を設置をするように支援、監督することです。

*3年前の全世界司教協議会会長会議で合意した各国の取り組みをしっかり監督して

 このような努力はまた、教会のシノドス的本質、交わりと相互補完の表明でもあります。3年前に(注:聖職者の性的虐待と対応をテーマにした)全世界司教協議会会長会議を開いたことを忘れないでください。この会議は、虐待された人たちにあらゆる方法でケアを行い、加害者たちを罰するための手段と、委員会の設置を確定するために開かれました。そして、あなた方の委員会は、この取り組みを監督しなければなりません。どうか、しっかりと行ってください。

 親愛なる兄弟姉妹の皆さん、私はあなた方がこれまでしてくださった仕事に心からの感謝を捧げます。この仕事は容易ではありません。あなた方のために祈ります、そして私のためにお祈りくださるように、お願いします。ありがとうございました!神があなた方に豊かな祝福を注ぎ続けてくださいますように。神のお恵みがありますように!ありがとうございました!

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2022年4月30日

◎教皇連続講話「老年の意味と価値について」⑦「各世代を結びつける絆が、家族と社会を豊かにする」

(2022.4.27 Vatican News  staff reporter)

     教皇フランシスコは27日の水曜恒例一般謁見で、「老年の意味と価値について」の講話を続けられ、今回は、教皇が「聖書の中の宝石」と呼ぶ、旧約聖書「ルツ記」に描かれている未亡人、ナオミを巡る物語を取り上げ、「この物語は、家族の絆の美しさに光を当てます。私たちにとっても、各世代を結びつける絆が、家族と社会を豊かにします」と語られた。

 教皇はこの物語の中で、まず、夫と死に分かれ、年老いたナオミと、亡くなった息子たちのルツなど二人の嫁の間で交わされる愛と助け合いについて注目された。

 飢饉が起きベツレヘムからモアブの野に移り住んでいたナオミは、夫と二人の息子に先立たれる。息子たちの二人の嫁と一緒にユダの地に戻る前に、ナオミは、自分は一人になってもいいから、嫁たちに自分の母親の家に帰るように勧めた。だが二人は「私たちはあなたと一緒に、あなたの民のところに帰ります」と泣いて訴える。そして、二人のうちのオルパは帰って行ったが、ルツは「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です」あなたが死なれる所で私は死に、そこに葬られないのです」と言って、ナオミと一緒にベツレヘムに行った。

 教皇は、ナオミが2人の嫁に、自分は一人になってもいいから、自分の家に戻りなさい、と言ったのは「愛の行為です。そして、どうしても一緒に行く、と答えたルツの言葉に感動したナオミは一緒にベツレヘムに帰り、ルツの新しい未来のために助けるのです」と指摘。

 ルツがナオミを助け、ナオミは彼女が新たな夫ボアズに嫁ぐのを助け、新たな人生を始め、後にダビデの父となるエッサイの父、オベドの誕生につながっていくが、「老後のナオミは、新たな世代に参加することの喜びを知ったことでしょう」と語られた。

 そして、「この年配の女性の回心に伴う”奇跡”の数を見てください。彼女は、夫や息子たちを失うことで傷つきましたが、打ち捨てられる危険にさらされている後の世代の未来のために、愛を込めて、自分自身を捧げよう、という決意に変っていくのです」とされた。

 さらに教皇は「”義理”の母は難しい、とされることがよくあります」とされたうえで、「だが、彼女は母親であり、”美しい存在”の祖母になることもできるのです」と説かれ、一般謁見に参加していると思われる”義理の母と家族”に、互いに最善を尽くすよう促された。

 また「このナオミとルツの物語は、神の摂理において、信仰と愛が困難な問題を克服することを可能にすることを示しています」とし、「各世代を結びつけるこれらの絆は、歳や性別に関係なく、私たちの家族とその構成員の尊厳と受けた恵みを尊重する社会の豊かな成長を可能にするのです」と説かれた。

 講話の最後に、教皇は「若者が、受け継いだものに感謝し、年配者が率先して未来を切り開こうとするなら、人々の間で神の賜物がさかんになるのを、いかなる者も、それを止めることは出来ません」と強調したうえで、若者たちが祖父母や年長者と会話をし、年配者も若者たちと会話するように勧められた。そして、「これは歳を越えた人々の調和を促し、私たちが守り、見守らなければならない”素晴らしい橋”を架けることにつながっていきます」と締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2022年4月27日

☩「イエスが『あなたがたに平和があるように』と繰り返されたのは」神の慈しみの主日に

(2022.4.24 Vatican News  Devin Watkins)

   復活節第二主日・神の慈しみの主日の24日、バチカンでは新型コロナウイルスの大感染発生以来となる聖ペトロ大聖堂でのミサが捧げられ、教皇フランシスコは説教で、イエスが復活された後、弟子たちの前に現れ、「あなたがたに平和があるように」と言われたことに注目された。

 十字架上の死と復活の後、(注:復活された週の初めの夕方、そして八日に弟子たちの前に現れた)イエスが、「あなたがたに平和があるように」と三度繰り返される(ヨハネ福音書20章19₋26節参照)。

Pope Francis greets a family after Mass
Pope Francis greets a family after Mass

*イエスは自分を捨てた弟子たちを赦し”新しい人”にされた

 教皇は、「キリスト教徒は、この神の慈しみの言葉が、自分たちに喜びを与え、あらゆる困難に出会うとき、慰めをもたらすことに、気付きます」とされ、「イエスが復活された日の夕に初めてこの言葉を口にされた時、弟子たちも喜びに満たされました」と語られた。

 復活されたイエスが、彼らの前に現れるまでの3日間、恐怖に身を寄せて過ごし、自分たちが師を捨て、悲惨な目に遭われている時に自分の師であることさえも否定したという挫折感に打ちひしがれていた。

 このような状態の中で、イエスがおいでになったのだから、「弟子たちは、イエスと顔を合わせた時、自分たちのことを恥じるべきでした」とされた教皇は、「それでも、イエスは『あなたがたに平和があるように』と挨拶をおくられ、彼らの注意を自分たちからイエスに向けさせたのです」として、次のように語られた。

 「キリストは、弟子たちがご自分にしたことを咎めず、これまで通りの思いやりを示されました。そして、彼らに元気を取り戻させ、失っていた安らぎで心を一杯にし、本来なら受けるに値しない『赦し』によって清められた”新しい人”になさったのです」と強調された。

 そして、「イエスによってもたらされた喜びは、私たちに失敗を切り抜けさせ、神から慈しみと、赦される喜びを受け入れる力となります… イエスは、私たちに屈辱を与えず、元気を取り戻す喜びくださいます」と説かれた。

*そして、私たちに赦しを与える

 また教皇は、イエスは、二度目に「あなたがたに平和があるように」と言われたのに続いて、「父が私をお遣わしになったように、私もあなたがたを遣わす」(ヨハネ20章21節)と語られたことに注目。「神から赦しを受けた後、弟子たちは(注:このイエスの言葉によって)、自分たちが受けた”慈しみ”を他の人々に分ける”仲介者”にされるのです」とされ次のように語られた。

 「今日、そして日々、教会では、慈しみ深い聴罪司祭の謙虚さの徳を通して、同じように赦しが受けられねばなりません。その司祭は、自分自身を力を持つ者としてではなく、自分が最初に受けた赦しを他の人たちに注ぐ、慈しみの媒介者であることを自覚しています」。

 さらに、教皇は「イエスは教会全体を、慈しみを皆に分ける共同体、すべての人類のための和解のしるしであり道具にされました… ですから、私たち一人一人が、人生のあらゆる状況において、周りの人たちに神の慈しみを広めていかねばならなりません」と説かれた。

 

*”信じない者”から”信じる者”になる

 イエスが三度目に「あなたがたに平和があるように」と弟子たちに挨拶されるのは、トマスがイエスの復活に対する疑いを表明した後だ。弟子たちの前に再び現れたイエスは彼を咎めず、ご自分の脇腹に手を入れるよう言われる(20章25-27節)。

 教皇は「イエスは、トマスに厳しくされません。トマスは、イエスの示された思いやりに感動し、”信じない者”から”信じる者”となり、『私の主、私の神よ』と、最も簡潔で最も素晴らしい信仰告白をします」とされ、「私たち信徒は皆、このトマスの話、不信心を関わりがあります。そして、イエスは私たちのところにも、慈しみの心温まるしるしをもっておいでになり、ご自分の傷をお見せになることで、私たちを慰めてくださるのです」と強調。

*そして兄弟姉妹の傷を気遣わせる

 そして、また、「神の慈しみを得た経験は、私たちの兄弟姉妹が受けた傷を見るようにさせます… 私たちは、自分が耐え難い痛みと苦しみの状態を経験していると考えていますが、ある時、突然、周りの人たちがもっと悪い状態を耐え忍んでいることに気づくことがあります」とされ、 「隣りにいる人の傷を気遣い、憐れみの香油を注ぐとき、疲れを癒す希望が、私たちの内に生まれてくるのが分かります」と語られた。

 説教の最後に教皇は、世界のすべてのキリスト教徒に対して、私たちの周りの苦しんでいる人たちに助けの手を差し伸べ、彼らの声に耳を傾けることで、神の慈しみの日を、自分のものにするように、促されたー「人生の試練に耐えているすべての人々の視点から、主は、慈しみをもって私たちを見つめ、もう一度、私たちに呼びかけられます-『あなたがたに平和があるように!』と」。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二=聖書の引用箇所の日本語訳は「聖書協会・共同訳」を使用)

 

2022年4月25日

☩教皇、改めて「24日の正教会イースター停戦」訴えー復活節第二主日・正午の祈りで

An Orthodox priest blesses traditional Easter baskets after Mass in the Ukrainian city of ZaporizhzhiaAn Orthodox priest blesses traditional Easter baskets after Mass in the Ukrainian city of Zaporizhzhia  (AFP or licensors)

 

2022年4月24日