教皇フランシスコとお年寄りたち (Vatican Media)
(2022.5.10 バチカン放送)
7月24日はカトリック教会の「祖父母と高齢者のための世界祈願日」だが、教皇フランシスコがその日を前にしたメッセージを発表された。を
メッセージで教皇はまず、「年老いてもなお実を結ぶ」(詩編92章15節)という今年の祈願日のテーマについて、「高齢になった人生を諦め、未来の希望を感じない一部のお年寄りたち」への、「年齢にしばられた見方する傾向のある世界」への、福音と告げるもの、とされた。
そして、現代の「切り捨ての文化」により高齢者など弱い人々を遠ざける傾向が強まっているが、「聖書が教えるように、長生きは一つの祝福であり、命を豊かに与える神の愛の生きたしるしです」と言明。「高齢者を守る家、祖父母を敬う家庭を、神が祝してくださるように」と願われた。
ただ、「高齢は、理解の難しい人生の季節であり、生涯の長い歩みの後で、あたかも突然、現れるもののようでもあります」とされ、「高度に発達した社会は、高齢期のために多くを投資し、支援の計画を提供するが、老齢の意義を理解することは助けてくれません。老いを隠し、若さを装う努力はしても、老齢そのものの実りについては諦めているのです」と指摘しつつ、「高齢者たちは、自分を『無用な存在』と考えがちですが、人生のすべての季節においでになる神は、多くの問題を抱える高齢者にも命を与え続け、お見捨てになることはありません」と勇気づけられた。
また、教皇は、高齢者たちに「自分を注意深く見つめ、内的生活を育み、霊的な観点からも活発な高齢期を送ることを学びましょう… 神との関係、そして家族をはじめ、人々との関係を築き、そこに愛情と配慮をもたらすように」と勧められた。
さらに、「今日、世界は新型コロナウイルス感染の嵐に続いて、平和と発展を脅かす戦争を体験しています… この時代にあって、高齢者たちは世界を守るように召されているのです」とされ、「具体的な支援や祈りを通して、ウクライナや、アフガニスタン、南スーダンなどの子どもたち、まだ見たことのない、たくさんの”孫”たちを心に留めましょう…。そして、このような働きを通して、今日の世界で『優しさの革命』の担い手となるように」と促された。
(編集「カトリック・あい」)
(2022.5.11 バチカン放送)
教皇フランシスコは11日の水曜恒例の一般謁見で、経済危機による抗議デモが激化するスリランカ国民に対して、アピールを出された。
スリランカでは深刻な経済危機から、政府に対する抗議デモが続いている。非常事態宣言が出される中で、デモ参加者と政府支持者の間の衝突が激化し、多くの死傷者が出。9日には、マヒンダ・ラジャパクサ首相が辞任した。
教皇はこのような事態に対して、スリランカ国民、特に「社会・経済上の課題や困難を前に自分たちの叫びを上げた若者たち」に特別な思いを向けられるとともに、スリランカの宗教指導者たちと心を合わせ、あらゆる立場の人々に、暴力に陥ることなく、平和的態度を保つよう呼びかけられた。
また、同国の指導者たちに対し、人権と社会的自由を尊重しながら、国民の切望に耳を傾けるように、と願われた。
(編集「カトリック・あい」)
(2022.5.8 Vatican News Thaddeus Jones)
教皇フランシスコは8日、復活節第4主日の正午の祈り(”レジナチェリの祈り”)に先立つ説教で、この日のミサで読まれた福音書の箇所(ヨハネ10章27-30節)を取り上げ、イエスが、主と私たち1人ひとりの間にある愛の絆について教えておられるように、「イエスが私たち以上に私たちをよく知っておられることを認識し、私たちの良き牧者としてイエスに付き従うよう呼びかけておられる時、その主の声を聞く必要があります」と説かれた。
*この日の福音のキーワードは「聞く」「知る」「従う」
教皇はまず、この日のミサでの朗読箇所で「羊と共にいる羊飼いの優しく素敵なイメージ」としての主についてどのように語っているのか注意を向けられ、「主の羊は、彼の声を『聞き』、彼を『知り』、そして彼に『従い』ます。この3つの動詞(聞く、知る、従う)は、この朗読箇所が伝えようとする重要なメッセージ。主の導きが、私たちを主と交わるよう呼びかけてくださる恵みが、どのようにもたらされるかを示すのが、羊は羊飼いの声を『聞き分ける』です」と指摘。
そして、「主の招きを受け、主と交わりを持つためには、「その呼びかけを聞く用意をし、心を開く必要があります。今日の世界では、仕事や、家族のこと、個人的な問題で余裕をなくしていることがよくありますが、好奇心を持ち、主と兄弟姉妹との交わりを持てるように開かれた心をもって、私たちは聴くー親の言葉を聞く子供のように、主なる父の言葉を聞く―ことが求められます」とされ、「そうすれば、素晴らしい体験が待っています。主ご自身が私たちに耳を傾けてくださるのです。私たちが、主に祈るとき、主の悩みを打ち明けるとき、主に呼び掛けるとき、主は耳を傾けてくださいます」と強調された。
イエスの言葉に耳を傾けることで、私たちは「イエスが私たちを知っておられる」ことに気が付く。教皇は、「この箇所で使われている『知る』は、『愛する』を意味します。主は私たちと私たちの内なる存在のすべてをご存じです。イエスは、私たちに友情、信頼、愛、親密さを求めておられ、『私たちは、いつも主に愛されている。決して一人ぼっちにはならない』という素晴らしい現実を理解し、受け入れるのを助けてくださいます」と説かれた。
さらに、「善き羊飼いを共にいることは、詩編が次のように語る体験を生きるようにしますー『たとえ死の陰の谷を歩むとも、私は災いを恐れない。あなたは私と共におられる』(23章4節)と」と語られた。
そして教皇は「主は、私たちが苦しみ、困難、危機に遭うとき、私たちを支えてくださいます。特に、そのようなときに、『私たちは主に知られ、愛されている』と気付くことがあります」とされたうえで、「私たちが日々の暮らしの中に主を受け入れているか」「私たちが、すべての試練と苦難を主と共にしているか」を自分に問うように勧められた。
*良き羊飼いに従おう
説教の最後に、教皇は動詞「従う」を取り上げ、「主に付き従う人々は、主が進まれるのと同じ道、同じ方向を進みます。そして、良き羊飼いがされるように、迷える人々、思いやりと愛を求めている人々を探し求めます」と語られ、さらに「主に付き従う人々は、見失った人々を探しに出かけ(ルカ福音書15章4節参照)、遠く離れた人々に関心を持ち、苦しむ人々に心を留め、涙を流す人々と共に泣くことを知っています。隣人に手を差し伸べ、彼を、彼女を自分の肩に載せます」とされた。
そして、私たちは「イエスだけに、私たちを愛してもらおうとするのか」「主に倣うために次のステップを踏み、主が私たちになさったように、私たちの兄弟姉妹に手を差し伸べるのか」を自問する必要があります」と言われ、聖母マリアが、私たちがキリストの声を聞き、常によく知り、奉仕の道を歩むその方に付き従うのを助けてくださるように、と祈られた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二=聖書の引用は、「聖書協会・共同訳」を使用)
Pope Francis at the weekly General Audience (Vatican Media)
(2022.5.4 Vatican News Devin Watkins )
教皇フランシスコは水曜恒例の一般聴衆で、「老年の意味と価値について」の講話を続けられ、「信仰を証しすることが、若者たちを決意と勇気で満たすことができる」と年配者たちに向けて語られた。 この日の講話で、教皇は、旧約聖書のマカバイ記2・6章18-31節で語られている高齢の律法学者、エレアザルの物語を取り上げられた。
*エレアザルは90歳になっても信仰に命をかけた
(平均寿命が40歳前後だった当時(紀元前170年頃)、既に90歳の高齢だったエレアザルは、ユダヤを支配していたシリアの王、アンティオコス4世エピファネスから、 ユダヤの律法で禁じていた豚肉を食べるように命じられた。その係に任じられた者たちは、旧知の間柄だったので、彼を連れ出して適法に食べることのできる他の肉を持ち込ませ、豚肉だと偽って食べるように、と彼に頼んだが、「この年になって演技するのはふさわしくない。それを若者たちが見て、道を誤るのはよくないこと」と述べ、「神がお造りになった聖なる法規範」に従い、死を選んだ)
教皇は、年配者だったエレアザルが立派に証ししたことに注目され、「老年における信仰への忠実さと誉れ」について、こう語られた。
「信仰の誉れは、それを、考古学的冒険、古い迷信、あるいは時代遅れの慣習として扱うことで弱体化しようとする”支配の文化”からの圧力ー時には暴力的な圧力ーにさらされることがあります… しかし、エレアザルは、偶像の犠牲にされた肉を食べることを拒否することで、信仰を強く証ししました… 高齢の人が、あとほんの何日か生きながらえるだけのために、信仰の誉れを失うよりも、若者たち、これからの何世代の人たちすべてに遺産を残すことは、はるかに大事なのです」
さらに教皇は、高齢のエレアザルは、老境にあっても、一貫して信仰を実践し続けていた、とし、「信仰の実践は極めて重要。人生で不都合が生じた時に”脇に置く”ことはできません… もし心身の弱った高齢者が、信仰の実践を諦めてしまったら、「若者たちに、『信仰は人生と実際の関係がない』と思わせてしまうでしょう」と述べられた。
*グノーシス主義の誘惑
教皇また、今日でも若者を誘惑し続けている異端思想、グノーシス主義(1世紀 に生まれ、3世紀 から4世紀 にかけて地中海世界 で勢力を持った。『グノーシス』 は、古代ギリシア語で『認識・知識』を意味し、自己の本質と真の神 についての認識に到達することを求める。物質と霊の二元論 に特徴がある)に言及された。
「グノーシス主義は、信仰を霊性、あるいは知性の力だけのものと考え、日々の生活の現実との関係を持たない… 確かに、これは非常に人を惹きつける思想です。『信仰は、食事規定や社会的慣行などに帰着できない』という明白な解釈をするからですが、グノーシス主義は、キリスト教の信仰を刹那的な信念にしてしまうか、あるいは真の証しを無いものにしてしまいます」と警告。「私たちのキリスト教の信仰は、常に、神の子の顕現を経験せねばなりません」と説かれた。
*年配者の使命は、信仰の誉れと取り戻すこと
最後に教皇は、「現代社会は、信仰の実践を過小評価しています、『信仰は、年寄りがやっているものだ』というような”文化的”なあてこすりする」が、「年配者には、『信仰の名誉を取り戻す』という重要な使命があります。なぜなら、信仰は『弱さ』ではなく、『強さ』のしるしだからです」と強調され、次のように締めくくられた。
「信仰は尊敬と名誉に値するものです。私たちの人生を変え、考え方を清め、神を崇敬し、隣人を愛することを教えてくれます。信仰はすべての人にとって恵みなのです!」
People walk their bikes amid conflict in the city of Mariupol, southern Ukraine
(2022.5.3 Vatican News)
教皇フランシスコは3日付けのイタリアの日刊紙Corriere della Seraのルチアーノ・フォンターナ編集長によるインタビューで、ご自身の歩行に支障が出ており手術が必要ななっていることを認める一方、ロシアのウクライナ軍事攻撃を中止させるために、モスクワを訪問し、プーチン大統領に会う必要があり、今も実現へ働き掛けを続けていることを明らかにされた。
インタビューは教皇の宿舎、サンタ・マリア館で行われたが、教皇はフォンタナ記者たちを立って迎えることが出来なかった。その理由を教皇はこう語られた。
「私は足の靭帯損傷しており、浸潤手術をする必要があります。どうなるか。長い間このようでした。歩けないのです。歴代の教皇たちが教皇御輿を使っていたことがありました。それに乗るのは、少々、恥ずかしいことです」。
*プーチンにモスクワ訪問を受けるよう働きかけ続けている
そのうえで、本題である「ロシアによるウクライナ軍事侵攻」に関する質問を受けられた。侵攻が始まった2月24日以来、教皇はこの非人道的な攻撃を止めさせるために、様々な努力をされてきたーウクライナのゼレンスキー大統領と電話会談をし、バチカンのロシア大使館を訪問し、そして、どれよりも、ロシアのプーチン大統領と会見するためのモスクワ訪問への強い希望の表明…
「20日間にわたりロシア軍の攻撃が続いた後、私は国務長官のパロリン枢機卿に、『私はモスクワに行く用意がある』というメッセージをプーチン大統領に伝えるよう頼みました」。
モスクワ訪問が実現するためには、まず大統領が教皇受け入れの日程を示す必要があるが、「私たちはまだ、返事をもらっていません。プーチンが現時点で、私との会見ができないし、したくない、という心配があっても、私たちは彼への呼びかけを続けています。それにしても、どうして、彼らの残虐行為を止めることが出来ないのでしょうか?25年前、ルワンダで同じようなことが起きましたね」。
*戦場が武器をテストする場になっている
教皇はまた、「NATO(北大西洋条約機構)がロシアの”扉”の前で吠えたてた」ことが(ロシアの)怒りが煽った可能性があり、それが、ロシアを「悪い形で反応させ、紛争を解き放ってしまった」との見方を示した。
さらに、「ウクライナ軍に(注:NATO加盟国が)武器を供給するのが正しいかどうかという問いには、どのように答えたらいいのか分かりません。無理です。でも、はっきり言えるのは、その戦場で武器がテストされているということです」と述べた。
そして、「ロシア軍は、自分たちの戦車が(ウクライナ軍を粉砕するのに)あまり役に立たないことを認識し、他の兵器の使用を考えています。戦争が続く理由ーそれは、自分たちが開発した武器をテストするためです。このような商売を止めさせようと戦っている人はほんのわずかしかいませんが、もっと努力すべきです」と指摘。数年前にイタリア最大の港、ジェノバの港湾当局が、イエメンに武器を運ぼうとする輸送船団を止めた実例を紹介された。
*「私はまず、モスクワを訪問する必要がある」
教皇が今、戦闘を止めるための訪問先として希望しておられるのは、キーウではなく、モスクワだ。
教皇は、戦闘継続阻止のためのこれまでの具体的な努力の経験から、「当面、キーウには行かない。まず、モスクワに行く必要があります。まず、プーチンに会わねばなりません。私は司祭でもある。私に出来ることをします。プーチンが扉を開けてくれさせすれば…」と、プーチン大統領がご自分を迎え入れることに強い期待を示された。
*ロシア正教の総主教は”プーチンの祭壇の侍者”にはなれない
さらに教皇は、モスクワでロシア正教会のキリル総主教と直接会い、和平実現に力を合わせることを強く希望された。教皇は3月15日にズームで総主教と40分間にわたって話し合ったものの、総主教はウクライナ侵攻の正当性を主張するのみで終わっているが、教皇はこう語った。
「彼がそのように主張した時、私は彼に言いましたー『そのような主張は全く理解できない。兄弟よ。私たちは国家に所属する聖職者ではありません。私たちには、政治の言葉は使えない。使えるのはイエスの言葉です。私たちは同じ神の聖なる民の牧者ではありませんか。だからこそ、私たちは平和の道を模索し、戦火を止めねばならないのです。あなたは”プーチンの祭壇の侍者”になることはできない』と」。
「私は6月14日にエルサレムで彼との会談を予定していました。直接顔を合わせての二度目会談、戦争とは何の関係もない会談になるはずでした。だが、今も、彼は私に同意しています-『’待ちましょう。それが不確かであっても』」。
*分散化した”第三次世界大戦”、すべてに国家間の利害が絡む
また、教皇は、ウクライナから世界中で起きている戦争ー分散化した“第三次世界大戦”ーにおける人々の生きる権利について語られた。
「シリア、イエメン、イラク、アフリカの各地などで、次々と戦争が起きています。そのすべてに国際的な利害が絡んでいる。自由主義国が自由主義国に戦争を起こすことは考えられない。ウクライナで戦争を起こしたのは、自由主義の国ではないように思われます。ウクライナの人々を『ドンバスで”反応”した』と非難する声がありますが、それは10年前のこと。昔のことです。当然ながら、ウクライナの人々は誇り高い人々です」
*平和実現への出来る限りの努力を続ける
教皇フランシスコは、復活祭にロシアの軍事侵攻開始から三度目のキーウ訪問をしたクラジェフスキー枢機卿との会話について語られた。
「私は、キーウを訪問中の枢機卿に電話した際、彼はこう言いました。『私たちが完全に理解できないとしても、彼らは正しいのです。彼らは沈黙しています。敏感になっています。第二次世界大戦でとても多くの代償を払い、敗北し、隷属させられた、と感じています。あまりにも多くの人が命を落としました。彼らは殉教の民です。そして、今、沿ドニエストル ・モルドバ共和国 (注:モルドバ 東部を流れるドニエストル川 とウクライナ 国境 との間の細長い土地にあり、国連加盟国が承認していない分離国家 )で起こりそうなことについて慎重に見守っています』と」。
教皇は、5月9日(第二次世界大戦のロシア戦勝記念日)に、ウクライナにおけるすべての戦いが終わりを迎える可能性に期待し続けており、4月21日にバチカンでハンガリーのオルバーン首相との会見で「ロシア人には計画がある」ことを知らされた、としたうえで、次のように語られた。
「(ロシア軍が)ここ数日、攻勢を強めているのも、そのような文脈から理解することもできるでしょう。現在、ロシア軍はドンバスだけでなく、クリミア、オデーサなど、ウクライナから黒海の諸港を奪い取っています。私は現状を悲観的見てはいますが、戦争を止めるために出来る限りの努力をせねばならないのです」。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
(2022.5.1 バチカン放送)
5月3日は国連の「世界報道自由デー」。教皇フランシスコはこの日を前にした1日の正午の祈りで、報道の自由のために命をかけて奉仕するジャーナリストたちを称えられた。
教皇は、昨年47人のジャーナリストが殺害され、350人以上が獄中にある状況を示され、「人類の傷を勇気をもって伝える」これらの報道関係者に、心からの感謝を述べられた。
現在も続いているロシアのウクライナ軍事侵攻でも、取材に当たっているジャーナリストの中に多くの死傷者が出ている。
(編集「カトリック・あい」)
(2022.5.1 Vatican News Thaddeus Jones)
教皇フランシスコは1日、復活節団三主日の正午の祈り(レジナチェリの祈り)の説教で、私たちが人生で経験する(注:何も入っていない)「空の網」に失望することなく、溢れる愛と慰めで私たちの「網」を満たし、善を行なう熱意を新にしてくださる主に、いつも勇気を持って注意を向けるように勧められた。
教皇は説教で、この日のミサで読まれたヨハネ福音書の箇所(21章1-19節)を題材にされた。
ここでは復活されたイエスが、ガリラヤ湖畔で弟子たちにご自身を現わされた時の様子が語られている。(ペトロは一緒に居た仲間の弟子たちに、イエスに付き従う前に仕事にしていた漁に出ることを告げ、皆で舟に乗って漁を始めたが、一晩中、網を下ろしても何も捕れなかった。)
*”空の網”から”獲物があふれる網”へーイエスは助けてくださる
「ペトロは、その時、少しがっかりして、仲間の弟子たちに『以前の生活にもどらないか』と言ったことでしょう」とされた教皇は、「私たちも、人生で疲れ、希望を失い、主について、そして人生で行った重要な選択について忘れてしまうことがあるかも知れません」と語られた。
そして、「私たちは、自分の利益を追求するあまり、自分の家庭で多くの言葉を交わさなくなったり、祈ることを忘れたり、寛容さをなくしてしまう… そのようなことが起きたとき、私たちは、ペトロのように”空の網”を手にして失望してしまう可能性があります」と注意された。
(何も収穫がなくあきらめて戻って来たペトロたちを、イエスは、まさに、彼らを弟子にしたその岸辺で迎え、叱るかわりに、「子たちよ」と優しく呼びかけられる。そして、もう一度、漁に出て「舟の右側に網を打ちなさい。そうすれば捕れるはずだ」と励まされ、それに従って彼らが網を打つと、網を引き上げられなくなるほど大量の魚が捕れた。)
教皇は、「私たちの人生で、”網”が空になってしまったとき、歩みを止め、自分自身を憐れみ、出来事を忘れてしまおう、としてはなりません。勇気を持って新たな歩みを始め、イエスに助けを求めなさい」と励まされた。
*主に会うためペトロがしたように、私たちも飛び込もう!
(イエスが言われる通りに弟子たちがもう一度、網を打って、あふれるほどの魚が捕れた時、弟子の1人、ヨハネがペトロに「主だ」と叫んだ。ペトロは、裸だったので上着をまとって、湖の飛び込む。)
教皇は、「ペトロには、我を忘れるほどの驚きが必要でした」とされ、ペトロが湖に飛び込んだのは、「その驚きがもたらした”愛の表現”。創造的で無償で与えられた熱意をかき立てる愛です。ペトロは、岸辺におられる主に会うために、そうしたのです。新たに見出した熱情の反映です」と指摘。
「私たちもまた、何かを失うことを恐れず、慎重になり過ぎたり、他の人が始めるのを待ったりせず、ペトロのように、善なるものに飛び込み、”新たな熱情と意欲の波”に乗るように求められているのです。私たちは、心の衝動を抑えて安全な場所に戻ることをせず、他の人に自分自身の思いを打ち明け、寛大になることが求められています」と強調されたうえで、「飛び込になさい、飛び込みなさい!」と信徒たちの呼びかけられた。
*主は今も、私たちに「私を愛しているか」と問いかけられるのは…
(弟子たちが捕って来た魚で朝の食事を終えると、イエスは「あなたは私を愛しているか」と3度、ペトロに問いかけられた。)。
教皇は「主は、今も私たちに、同じ問いかけをなさいます、それは、信仰は愛が問題だからですー”飛び込む”勇気をもって、新たな歩みを始めるために、私たちが神と兄弟姉妹に仕えることを妨げようとする私たちの過去と決別するために、恐れを克服する愛です」とされた。
そして、説教の最後に、ペトロがこの出来事の後で、二度と漁師に戻らず、神と隣人に自分の人生を捧げ、「まさに、殉教して埋葬されたこの(注:聖ペトロ聖堂の)場所で、命を捧げた」ことを思い起こされ、私たちが善を行なう衝動を取り戻すことができるように、聖母マリアに執り成しを願われた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
教皇フランシスコ、教皇庁未成年者保護委員会との集い 2022年4月29日 (Vatican Media)
(2022.4.29 バチカン放送)
教皇フランシスコは29日、「未成年者保護のための教皇庁委員会」のメンバーとお会いになった。
会見は、同委員会の定例総会最終日の集いの場で行われたもので、教皇は「どのような形の虐待も、容認できません。特に子どもたちに対する性的虐待は、成長期の人生を傷つけるため、いっそう重大です」と強調された。
そして、「虐待の被害者は、しばしば、生と死の間に閉じ込められたかのように感じており、その苦しみは、取り去ることのできないものです」と言明。
さらに「虐待被害者の証言は、キリストの体、すなわち教会に開いた傷口です」と語られ、「この傷の存在を知らせるために、また苦しむ人々を探し、これらの人々の中に苦しむキリストを見出すために、勇気をもって働いてください」と委員会のメンバーたちを励まされた。
また教皇は、「司教、修道会の長上、司祭、助祭、奉献生活者、カテキスタ、信者、教会を構成するすべての人が、それぞれの立場から、虐待の防止と、正義、癒しのために責任を負わねばなりません」と、司教など高位聖職者を始めとする全教会員に、その責任を果たすよう強く求められた。
教皇は、最近発表されたバチカン改革の使徒憲章「プレディカテ・エヴァンジェリウム」によって、今後、未成年者保護委員会が教皇庁の機関の一部として正式に教理の部署の中に設立される一方、「委員会の管理者とメンバーは、教皇から任命された会長を通して、教皇との直接的な関係を確保することができようになります」と、その独立性を強調された。
そして、委員会のさらなる使命として、「虐待被害者の保護とケアが、教会生活のあらゆる分野において規則となるよう取り組むこと」を指示されるとともに、「虐待被害者の心身の健康と司牧のための援助と対応が、委員会の緊急の課題となっています」とされた。
教皇は、「委員会が発足当初から虐待被害者たちとの出会いと傾聴の場を設けてきたことが、苦しみを体験した人々に対する私の司牧上の使命において大きな助けとなってくれました」と評価。
そのうえで、委員会の「極めて重要な仕事」として、「世界各国の司教協議会に、『虐待を経験した人とその家族を受容し、彼らの訴えを丁寧に聴き、癒しと正義の実現に歩みを共にするためにふさわしいセンター』が設置されるよう、各国協議会との対話を通じた見守りと支援」を求められた。
(2022.5.1 カトリック・あい)
以下は、バチカン広報局発表の、「未成年者保護のための教皇庁委員会」総会における教皇の説話全文の「カトリック・あい」の日本語試訳
ADDRESS OF HIS HOLINESS POPE FRANCIS TO THE MEMBERS OF THE PONTIFICAL COMMISSION FOR THE PROTECTION OF MINORS
Friday, 29 April 2022
親愛なる兄弟姉妹の皆さん、こんにちは!
総会の締めくくりとして、皆さまをお迎えできることをうれしく思います。オマリー枢機卿の紹介の言葉に感謝します。また、ご自分の活動と信徒の方々への奉仕の両方で、子供たちを保護する仕事に尽力してくださった皆さんに感謝します。今日、あなたがたの努力のおかげで、未成年者や弱者にとって、教会は以前より安全な場所になりました。また、オマリー枢機卿があらゆる障害にもかかわらず、委員会の目標を追求してきた粘り強さに感謝したいと思います。ありがとうございました!
*子供たちの尊厳を脅かす状況は今も続いている
あなたがたに託された活動は注意深く実行されなければならないものです。教会が未成年者にとって安全な場所であり、癒しの場所であるだけでなく、世界中で彼らの権利を守り育てられるように、完全に信頼できる場であることが証明できるように、委員会には絶え間ない注意が必要です。
残念なことに、子供たちの尊厳が脅かされる状況は今も存在し続けており、これはすべての信徒、すべての善意の人々にとっての懸念の源であり続けているに違いありません。
*癒しの道は長く、難しい
時には、虐待の現実と、それが「小さな子供たち」の生活に与える壊滅的で永続的な影響が、愛と理解をもって対応しようとする人々の努力よりも、勝っているように思われます。癒しへの道は長くて難しいものです。それには確固たる希望、十字架に進まれ、さらには十字架を越えて進まれたキリストへの希望が必要です。
よみがえられたイエスは、栄光に満ちた体に十字架につけられた傷を残しておられ、これからもずっとそうであり続けられます。その傷は、神が私たちに苦しみを渡すのではなく、苦しみを通り抜け、神の愛の力によって変えることで、私たちを救ってくださるのだということを教えてくれます。聖霊の癒しの力は私たちを失望させません。神の新しい命の約束は失敗することがありません。私たちは復活したイエスを信じる必要があり、復活された体の傷の中で私たちの命は休息します。
*息子を虐待された父親からの手紙ー苦しみは取り去ることのできない現実
いかなる形態の虐待も容認できません。特に子どもたちに対する性的虐待は、開花し始めたばかりの人生に対する犯罪として、。最も深刻です。虐待された人は、人生を謳歌する代わりに、時には永久に重い傷を負い続けます。
最近、息子さんを虐待された父親から手紙をもらいました。息子さんは、虐待を受けた結果、何年もの間、自分の部屋から出ることさえできなかった。彼と彼の家族が受けた虐待の影響は深刻でした。虐待された人々は、いわば「生と死の間に閉じ込められている」と感じることがあります。それ自体が苦痛であり、私たちが取り去ることのできない現実です。
*傷の苦しむ人たちを捜し出し、認知し、癒すことは、司教、司祭、修道者、そして信徒全員の責任
虐待被害者の証言は、教会であるキリストの体に開いた傷を表しています。これらの傷を明るみに出し、傷に苦しむ人々を探し出し、彼らが私たちの苦しんでいる救い主の証人であることを認めるために、熱心にそして勇気を持って働くことを、あなたにお願いします。なぜなら、教会は、自身を苦しむ僕としてキリストに従うほどに、復活された主を知っているからです。
これは私たち全員ー司教、修道会の責任者、司祭、助祭、修道者、カテキスタ、そして一般信徒ーが、歩まねばならない道です。教会の構成員全員が、それぞが置かれた場に合う形で、虐待が起きるのを防ぎ、正義が行われ、被害者を癒すために働く責任を負うように求められています。
*バチカン改革で委員会を「教理のための部署」に正式に位置づけ
委員会の皆さんの今後について、ひと言申し上げます。使徒憲章PraedicateEvangeliumで、私はローマ教皇庁の一部として、「未成年者保護のための教皇庁委員会」を、(注:現在の教理省を再編して誕生する)「教理のための部署」の中に正式に位置づけることにしました(同憲章78項参照)。
この措置が、あなたがたの思想と行動の自由を危険にさらす可能性がある、あるいは、あなたがたが扱う問題から重要性を奪う可能性がある、と懸念される方がおられるかも知れませんが、そのようなことは、私の意図でも、私の期待でもありません。そして、このようなことが起こらないように注意することをお勧めします。
未成年者保護委員会は、聖職者のメンバーの性的虐待を扱う「教理のための部署」に置かれますが、私はあなた方の主体性を明確にしました、あなた方は委員会の代表を通して、引き続き私と直接関係を持つことになります。代表は、教皇によって任命されます。
*バチカンの他の関係部署と協力し未成年と脆弱な成人を守り、癒す最良の方法を考えて
皆さんには、「正義を行なうことと予防することは相互補完的である」という認識の上に立って、教会が未成年の人たち、脆弱な人たちを守り、虐待された被害者を癒やすために、もっと良い方法を考え、提案していただきたいと思います。あなた方の活動は、教会全体で実行できる最良の対応とその手順について、積極的かつ先進的な展望を提供することができるのです。
こうした方向で、多くの所で、重要な種が蒔かれていますが、なお、すべきことが沢山あります。使徒憲章は新たな始まりを示しています。あなたがたの委員会を教皇庁の組織図に取り込みましたが、他の組織から独立して活動し、委員会の代表は教皇から直接、任命されます。虐待を受けた人たちの保護とケアが、教会活動のあらゆる分野で規範となるようにするため、委員会の活動範囲を広げるのは、あなた方の責任です。
教理の部署や他のバチカンの部署との緊密な協力は、あなた方の仕事を豊かにするだけでなく、バチカンや世界の現地の教会の仕事をさらに豊かにすることができます。それを実現する最も効果的な方法の決定は、委員会と「教理の部署」、他の関係部署に委ねます。これらの機関は協力して、教会が責任を負うすべての人々を守る、という教会の義務を具体的に実行することになります。
その義務は、人間の本質的な尊厳の概念に基づいており、最も脆弱な人たちに特別に関心を払う必要があります。普遍教会と個々の教会のレベルでなされる努力によって、それぞれの能力に従って、守り、癒し、正義を行なう計画が実行されることになります。
*世界の虐待問題への説明責任を果たし、取り組みの進展を図るための年次報告の策定
蒔かれた種は実を結び始めています。聖職者による未成年者虐待の事例は、世界の、データと信頼できる人的、物的資源がそろっている地域で見る限り、ここ数年、減っています。
そこで、皆さんの委員会にお願いしたいのは、未成年者や脆弱な成人を守るするための教会の取り組みについての年次報告書を作成することです。最初は難しいかもしれませんが、所管の機関が適切に行動できるように、現在実施されていること、変える必要があることについての信頼性の高い情報を整えるために、必要なところから始めてくださるようにお願いします。
年次報告が、虐待問題について透明性を確保し、説明責任を果たす要素となるものであり、その面での私たちの取り組みの進展状況を点検する役割を果たすものとなることを期待しています。取り組みの進展がなければ、司牧に対する信頼は失われ続け、福音を説き、証しすることは、ますます難しくなるでしょう。
*「被害者の声を注意深く聴き、癒しと正義を行なうセンター」の設置へ、世界各国の司教協議会を支援、監督
また、委員会が急いで取り組むよう求められていることがあります。それは、特に虐待を経験した方の福祉面と司牧面のケアです。委員会が発足当初から
「被害者の声に耳を傾け、彼らとの出会いの機会を提供する」という取り組みをされてきたのを、私は関心をもって見てきました。あなた方は、私が司牧の使命を果たす中で、苦痛に満ちた経験から立ち直るよう、すべての人たちを懸命に助けてくれました。
この面で、私はあなた方に、世界各国の司教協議会を支援することを強くお願いします。これは非常に重要なことー自発教令「VosEstisLux Mundi」(第2条参照)で示したように、各国の司教協議会と対話しつつ、「虐待被害者とその家族が受け入れられ、話を注意深く聴いてもられることが分かり、癒しと正義を行なう過程を共に歩むのに適したセンター」を設置をするように支援、監督することです。
*3年前の全世界司教協議会会長会議で合意した各国の取り組みをしっかり監督して
このような努力はまた、教会のシノドス的本質、交わりと相互補完の表明でもあります。3年前に(注:聖職者の性的虐待と対応をテーマにした)全世界司教協議会会長会議を開いたことを忘れないでください。この会議は、虐待された人たちにあらゆる方法でケアを行い、加害者たちを罰するための手段と、委員会の設置を確定するために開かれました。そして、あなた方の委員会は、この取り組みを監督しなければなりません。どうか、しっかりと行ってください。
親愛なる兄弟姉妹の皆さん、私はあなた方がこれまでしてくださった仕事に心からの感謝を捧げます。この仕事は容易ではありません。あなた方のために祈ります、そして私のためにお祈りくださるように、お願いします。ありがとうございました!神があなた方に豊かな祝福を注ぎ続けてくださいますように。神のお恵みがありますように!ありがとうございました!
(2022.4.27 Vatican News staff reporter)
教皇フランシスコは27日の水曜恒例一般謁見で、「老年の意味と価値について」の講話を続けられ、今回は、教皇が「聖書の中の宝石」と呼ぶ、旧約聖書「ルツ記」に描かれている未亡人、ナオミを巡る物語を取り上げ、「この物語は、家族の絆の美しさに光を当てます。私たちにとっても、各世代を結びつける絆が、家族と社会を豊かにします」と語られた。
教皇はこの物語の中で、まず、夫と死に分かれ、年老いたナオミと、亡くなった息子たちのルツなど二人の嫁の間で交わされる愛と助け合いについて注目された。
飢饉が起きベツレヘムからモアブの野に移り住んでいたナオミは、夫と二人の息子に先立たれる。息子たちの二人の嫁と一緒にユダの地に戻る前に、ナオミは、自分は一人になってもいいから、嫁たちに自分の母親の家に帰るように勧めた。だが二人は「私たちはあなたと一緒に、あなたの民のところに帰ります」と泣いて訴える。そして、二人のうちのオルパは帰って行ったが、ルツは「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です」あなたが死なれる所で私は死に、そこに葬られないのです」と言って、ナオミと一緒にベツレヘムに行った。
教皇は、ナオミが2人の嫁に、自分は一人になってもいいから、自分の家に戻りなさい、と言ったのは「愛の行為です。そして、どうしても一緒に行く、と答えたルツの言葉に感動したナオミは一緒にベツレヘムに帰り、ルツの新しい未来のために助けるのです」と指摘。
ルツがナオミを助け、ナオミは彼女が新たな夫ボアズに嫁ぐのを助け、新たな人生を始め、後にダビデの父となるエッサイの父、オベドの誕生につながっていくが、「老後のナオミは、新たな世代に参加することの喜びを知ったことでしょう」と語られた。
そして、「この年配の女性の回心に伴う”奇跡”の数を見てください。彼女は、夫や息子たちを失うことで傷つきましたが、打ち捨てられる危険にさらされている後の世代の未来のために、愛を込めて、自分自身を捧げよう、という決意に変っていくのです」とされた。
さらに教皇は「”義理”の母は難しい、とされることがよくあります」とされたうえで、「だが、彼女は母親であり、”美しい存在”の祖母になることもできるのです」と説かれ、一般謁見に参加していると思われる”義理の母と家族”に、互いに最善を尽くすよう促された。
また「このナオミとルツの物語は、神の摂理において、信仰と愛が困難な問題を克服することを可能にすることを示しています」とし、「各世代を結びつけるこれらの絆は、歳や性別に関係なく、私たちの家族とその構成員の尊厳と受けた恵みを尊重する社会の豊かな成長を可能にするのです」と説かれた。
講話の最後に、教皇は「若者が、受け継いだものに感謝し、年配者が率先して未来を切り開こうとするなら、人々の間で神の賜物がさかんになるのを、いかなる者も、それを止めることは出来ません」と強調したうえで、若者たちが祖父母や年長者と会話をし、年配者も若者たちと会話するように勧められた。そして、「これは歳を越えた人々の調和を促し、私たちが守り、見守らなければならない”素晴らしい橋”を架けることにつながっていきます」と締めくくられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
An Orthodox priest blesses traditional Easter baskets after Mass in the Ukrainian city of Zaporizhzhia (AFP or licensors)
(2022.4.24 Vatican News Devin Watkins)
教皇フランシスコは24日、復活節第二主日の正午の祈りで、東方典礼カトリック教徒と正教会の信者が主の復活を祝うのを機に、ウクライナでの戦争のイースター停戦の実現を改めて、関係国指導者たちに訴えられた。
*”主の復活の喜びの音”ではなく”兵器の音”が聞こえる
正午の祈りの説教で、教皇は、正教会のキリスト教徒と東方典礼カトリック教徒に対して心を込めた挨拶をされ、平和を傷つけている現在の戦争の残虐行為に深い悲しみを示された。
そして、「イエスが平和を与えてくださいますように。平和が、戦争の野蛮な行為によって傷つけられています」とされた。
ロシアがウクライナに軍事侵攻を初めて2か月が経った24日、攻撃がさらに激しさをを増していることを指摘された教皇は、次のように嘆かれた。
「すべてのキリスト教徒にとって最も神聖で厳粛なこの時期に、”主の復活を告げる鐘の音”ではなく、”人を殺す兵器の音”が聞こえるのは悲しいことです。 ”言葉”の代わりに”武器”が使われているのは悲しいことです」
*政治指導者たちは、平和を切望する国民の声を聴いて!
そのうえで、教皇は、「イースター停戦」を改めて訴えられ、「これは、平和への強い願いの、最小限の、最も分かりやすい印です」とされたたうえで、「苦しんでいる人たちを助けるために、攻撃が止めるように。私たちが立ち止り、ご自身が復活された日に(注:ユダヤ人の襲撃を恐れて家にこもっていた)弟子たちに現れて「あなたがたに平和があるように」と言われたイエスの言葉に従いますように」と願われた。
さらに、世界の全ての人に、「ウクライナに平和が回復されるよう祈るように、『平和は可能だ』と言う勇気を持つように」と求められ、世界の政治指導者たちには「戦争の拡大ではなく、平和を切望しているあなた方の国民の声に耳を傾けてください」と懇請された。
*カメルーンからの巡礼者と共に永続する平和を祈る
また教皇は、正午の祈りに参加したカメルーンからの巡礼者に連帯を示され、アフリカのこの国を聖母マリアに再奉献し、平和を祈られ、「今日、カメルーンの司教たちと信徒の方々は、ドイツのマリエンベルクのマリア聖堂に巡礼さら、自国を神の母に再奉献し、その保護に委ねています」と語られた。
そして、「カメルーンの信徒たちは、これまで5年の間に、いくつかの地域で暴力により傷つけられた自国の平和が復活するように祈っています」とされ、すべてのキリスト教徒に共に祈るよう促され、「神が、聖母マリアの執り成しを通して、この愛する国に、真のそして永続的な平和を与えてくださいますように」と祈られた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)