☩「私たちが善を行なう”衝動”を取り戻せますように」復活節第三主日・正午の祈り

*主に会うためペトロがしたように、私たちも飛び込もう!

 (イエスが言われる通りに弟子たちがもう一度、網を打って、あふれるほどの魚が捕れた時、弟子の1人、ヨハネがペトロに「主だ」と叫んだ。ペトロは、裸だったので上着をまとって、湖の飛び込む。)

 教皇は、「ペトロには、我を忘れるほどの驚きが必要でした」とされ、ペトロが湖に飛び込んだのは、「その驚きがもたらした”愛の表現”。創造的で無償で与えられた熱意をかき立てる愛です。ペトロは、岸辺におられる主に会うために、そうしたのです。新たに見出した熱情の反映です」と指摘。

 「私たちもまた、何かを失うことを恐れず、慎重になり過ぎたり、他の人が始めるのを待ったりせず、ペトロのように、善なるものに飛び込み、”新たな熱情と意欲の波”に乗るように求められているのです。私たちは、心の衝動を抑えて安全な場所に戻ることをせず、他の人に自分自身の思いを打ち明け、寛大になることが求められています」と強調されたうえで、「飛び込になさい、飛び込みなさい!」と信徒たちの呼びかけられた。

 

*主は今も、私たちに「私を愛しているか」と問いかけられるのは…

 (弟子たちが捕って来た魚で朝の食事を終えると、イエスは「あなたは私を愛しているか」と3度、ペトロに問いかけられた。)。

 教皇は「主は、今も私たちに、同じ問いかけをなさいます、それは、信仰は愛が問題だからですー”飛び込む”勇気をもって、新たな歩みを始めるために、私たちが神と兄弟姉妹に仕えることを妨げようとする私たちの過去と決別するために、恐れを克服する愛です」とされた。

 そして、説教の最後に、ペトロがこの出来事の後で、二度と漁師に戻らず、神と隣人に自分の人生を捧げ、「まさに、殉教して埋葬されたこの(注:聖ペトロ聖堂の)場所で、命を捧げた」ことを思い起こされ、私たちが善を行なう衝動を取り戻すことができるように、聖母マリアに執り成しを願われた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2022年5月1日