☩「聞き、付き従おう。主、私たちの良き牧者に」復活節第4主日正午の祈りで

(2022.5.8 Vatican News  Thaddeus Jones)

  教皇フランシスコは8日、復活節第4主日の正午の祈り(”レジナチェリの祈り”)に先立つ説教で、この日のミサで読まれた福音書の箇所(ヨハネ10章27-30節)を取り上げ、イエスが、主と私たち1人ひとりの間にある愛の絆について教えておられるように、「イエスが私たち以上に私たちをよく知っておられることを認識し、私たちの良き牧者としてイエスに付き従うよう呼びかけておられる時、その主の声を聞く必要があります」と説かれた。

*この日の福音のキーワードは「聞く」「知る」「従う」

 教皇はまず、この日のミサでの朗読箇所で「羊と共にいる羊飼いの優しく素敵なイメージ」としての主についてどのように語っているのか注意を向けられ、「主の羊は、彼の声を『聞き』、彼を『知り』、そして彼に『従い』ます。この3つの動詞(聞く、知る、従う)は、この朗読箇所が伝えようとする重要なメッセージ。主の導きが、私たちを主と交わるよう呼びかけてくださる恵みが、どのようにもたらされるかを示すのが、羊は羊飼いの声を『聞き分ける』です」と指摘。

 そして、「主の招きを受け、主と交わりを持つためには、「その呼びかけを聞く用意をし、心を開く必要があります。今日の世界では、仕事や、家族のこと、個人的な問題で余裕をなくしていることがよくありますが、好奇心を持ち、主と兄弟姉妹との交わりを持てるように開かれた心をもって、私たちは聴くー親の言葉を聞く子供のように、主なる父の言葉を聞く―ことが求められます」とされ、「そうすれば、素晴らしい体験が待っています。主ご自身が私たちに耳を傾けてくださるのです。私たちが、主に祈るとき、主の悩みを打ち明けるとき、主に呼び掛けるとき、主は耳を傾けてくださいます」と強調された。

 

*主はご自分の羊を知っておられる

 イエスの言葉に耳を傾けることで、私たちは「イエスが私たちを知っておられる」ことに気が付く。教皇は、「この箇所で使われている『知る』は、『愛する』を意味します。主は私たちと私たちの内なる存在のすべてをご存じです。イエスは、私たちに友情、信頼、愛、親密さを求めておられ、『私たちは、いつも主に愛されている。決して一人ぼっちにはならない』という素晴らしい現実を理解し、受け入れるのを助けてくださいます」と説かれた。

 さらに、「善き羊飼いを共にいることは、詩編が次のように語る体験を生きるようにしますー『たとえ死の陰の谷を歩むとも、私は災いを恐れない。あなたは私と共におられる』(23章4節)と」と語られた。

 そして教皇は「主は、私たちが苦しみ、困難、危機に遭うとき、私たちを支えてくださいます。特に、そのようなときに、『私たちは主に知られ、愛されている』と気付くことがあります」とされたうえで、「私たちが日々の暮らしの中に主を受け入れているか」「私たちが、すべての試練と苦難を主と共にしているか」を自分に問うように勧められた。

*良き羊飼いに従おう

説教の最後に、教皇は動詞「従う」を取り上げ、「主に付き従う人々は、主が進まれるのと同じ道、同じ方向を進みます。そして、良き羊飼いがされるように、迷える人々、思いやりと愛を求めている人々を探し求めます」と語られ、さらに「主に付き従う人々は、見失った人々を探しに出かけ(ルカ福音書15章4節参照)、遠く離れた人々に関心を持ち、苦しむ人々に心を留め、涙を流す人々と共に泣くことを知っています。隣人に手を差し伸べ、彼を、彼女を自分の肩に載せます」とされた。

 そして、私たちは「イエスだけに、私たちを愛してもらおうとするのか」「主に倣うために次のステップを踏み、主が私たちになさったように、私たちの兄弟姉妹に手を差し伸べるのか」を自問する必要があります」と言われ、聖母マリアが、私たちがキリストの声を聞き、常によく知り、奉仕の道を歩むその方に付き従うのを助けてくださるように、と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二=聖書の引用は、「聖書協会・共同訳」を使用)

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2022年5月8日