(2026.5.14 Vatican News Kielce Gussie)
世界中のキリスト教徒が宗派を超えて一致を願う世界的な祈りの運動「Thy Kingdom Come」の初日14日、教皇レオ14世は参加者に向けてビデオメッセージを送られ、福音を分かち合うという彼らの使命に努めるよう励まされた。
「Thy Kingdom Come」(TKC)は2016年に始まり、現在では世界中のほぼ90%の国々で、85の異なる教派や伝統に属する100万人以上のキリスト教徒が参加するまでに成長している。
*聖霊を通して神は私たちと共におられる
ビデオメッセージの中で、教皇は、待降節の伝統的な言葉「来たれ、エマヌエル」について考察された。この言葉を通して、キリスト教徒はイザヤの預言の成就―「神は私たちと共におられる」を意味するインマヌエルの誕生―を待ち望んでいる。
教皇は、「その待ち望む季節を通じて、私たちの賛美歌や聖歌は、神が私たちの間においでになり、罪や私たちを傷つけるあらゆるものから救ってくださるよう、いかに切実さを増していくかを強調します。私たちが、個人として、また世界として、壊れたものを、神が癒してくださるよう、呼びかけている」と指摘。
「神が全能であり、超越的な存在であることを知りつつも、私たちはなお、神に『私たちと共にいてください。遠くではなく、近くに』と大胆に願い求めています… しかし、時には、私たちが神を必要としていること、そして、私たちの最も深い渇望と内なる不安を満たすことができるのは神だけだ、ということを忘れてしまいます」と述べられ、「イエス・キリストという御姿において、神は肉となって私たちに近づいてくださった。今、聖霊を通して、神は私たちと共におられるのです」と強調された。
*私たちは”孤児”にされたわけではない
この復活節の50日間、「アレルヤ」はこの季節の歌となり、イエスの復活に対する賛美と感謝を捧げる手段となる。教皇は、「神は今もなお、『私たちと共にいる神』です… しかし、復活後のイエスを、最も親しい友人たちでさえ常に認識できたわけではありませんでした」と指摘。
だが、イエスは天の父のもとへ帰られたが、「私たちを孤児として置き去りにはされません。聖霊の賜物を通して、主は教会において私たちすべてと共に留まっておられる。キリストは私たちにとってすべてで。主の中に、私たちは人生の充満とその意味を見出します。そしてこの賜物は、自分たちだけで留めておくようなものではない。大胆に宣べ伝えるべきものなのです」と強調され、「Thy Kingdom Come(み国よ来たりたまえ)」の九日間の祈りは、福音を分かち合い、他の人々もまた、イエスに現された神の救いと解放の愛に出会うようになるように祈る、絶好の機会を提供します」と語られた。
*信仰を言葉と愛の行いを通して証しする
教皇は、今年の復活徹夜祭の説教を振り返り、以下のようにビデオメッセージを締めくくられた。
「私たちが信仰を言葉と愛の行いを通して証ししたいと願う、それは、口で宣言する『アレルヤ』を、私たちの生涯をもって『歌い上げる』ことによってなされるのです」(聖アウグスティヌス『説教』256, 1参照)。
「主のご復活の日曜日の福音に登場する女性たちのように、私たちが世界中の人々に福音を伝えるために『出かけていく』意思を持つべきです。私たちもまた、『多くの人々でありながら……一人の人』として、平和と一致の新しい世界に命を吹き込むことができます。なぜなら、キリスト者は多くいるが、キリストはただお一人だからです」(聖アウグスティヌス、『詩編注解』127:3)。
結びに、教皇はすべての人々に神の豊かな祝福が注がれるよう祈られた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)










