♰「シリア、エクアドルの危機解消に、関係国の人々と国際社会の努力を」

(2019.10.13 バチカン放送)

 教皇フランシスコは13日、バチカンでの列聖ミサの中で、シリアとエクアドルの危機的状況に言及、平和への努力を関係国の人々や国際社会に強く求められた。

 列聖式には、イタリアのマッタレッラ大統領、英国のチャールズ皇太子、英国国教会の関係者など新聖人たちの出身国の代表をはじめ多くの人が参加した。教皇は彼らを前に、シリアの北東部で起きている軍事行動によってキリスト教徒を含む多くの住民たちが避難せざるを得ない状態になっていることに深い憂慮を示され、「有効な解決策を追求するための誠実で透明な対話の努力」を訴えられた。

 また、エクアドルで起きている民衆の抗議行動と治安部隊の衝突など、社会・政情不安の深刻化に対しても、犠牲者と負傷者、行方不明者たちのために祈るとともに、危機解消への取り組みと弱い立場にある人々の保護を、開催中のアマゾン地域シノドスに参加している司教たちと強く願った。

(編集「カトリック・あい」)

2019年10月15日

♰「新聖人たちは、世の暗闇を照らす”優しい光”」-列聖式ミサで 

 教皇フランシスコは13日、バチカンで、ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿をはじめ5人のためのミサと列聖式を行われた。

 列聖されたのは、ニューマン枢機卿(英国1801-1890、英国におけるオラトリオ会・創立者)をはじめ、ジュゼッピナ・ヴァンニーニ修道女(イタリア1859-1911、聖カミロ修道女会共同創立者)、マリア・テレザ・チラメル・マンキディヤン修道女(インド1876-1926、聖家族修道女会創立者)、ドゥルス・ロペス・ポンテス修道女(ブラジル1914-1992、神の母の無原罪宣教女会修道女)、マルグリット・ベイズ(スイス1815-1879、在世フランシスコ会会員)。

 説教で教皇は、この日の主日の福音書の朗読箇所、イエスが重い皮膚病を患った人々を癒すルカ17章11-19節を取り上げ、彼らの体験は「信仰の旅」、この旅の三つの段階は、この皮膚病患者たちがイエスに癒される際にとった振る舞い-「叫び」「歩む」「感謝する」-にすべて示されている、とされた。

*叫び声をあげること

 皮膚病の人たちが「叫び声」をあげたのは、彼らが伝染性の酷い病にかかっており、社会から疎外されているからだったが、教皇は「一般の人々から遠ざけられたからといって、自分自身を無力なものにせず… 彼らは神に叫び声をあげました。神は誰一人排除することはなさいません」。そして、隔てられていた距離は狭められ、孤独は克服された。それは自分自身の中に閉じこもらず、主に叫び声をあげることによってだった。「主は、孤独な人の叫び声をお聞きになります」と説かれた。

 さらに教皇は「私たちもまた、癒される必要があります… 自分自身に、人生に、そして未来に確信を持てないこと、私たちを虜にする恐れと悪徳、内向きの性向や悪癖、ゲーム、金銭、テレビ、移動電話への耽溺… 私たちが主に願いさえすれば、主は私たちの心を自由にし、癒してくださるのです」と強調。

 また、皮膚病の人たちは、イエスを名前-その意味は「神は助けてくださる」ーで呼んだが、「名前で呼ぶのは、相手を信頼しているしるしです… 確信、信頼の祈りを通して、信仰が育つことを示しています。祈りは信仰の扉、祈りは心の薬です」と語られた。

 

*歩むこと

 信仰の第二段階は「歩む」こと。教皇は、今日朗読された福音書には動きを表す動詞がいくつか出てくる、とされたうえで、「皮膚病の人たちは、イエスの前に『立っている』時ではなく、その後、エルサレムに向けて『坂を上っている』時に、癒されました。それが、人生の旅での清められ方なのです」と説かれた。

 そして「信仰は、旅することー自分自身から表に出ること-を求めています」と述べ、それは、私たちが「居心地のいい確かな場所」そして「安全な停泊地」を後にして出ていくことを意味する、とし、「信仰は、与え、危険を冒すことで高められ、謙虚で実践的な歩みで前進するものです」と強調された。

 さらに、教皇は、皮膚病の人たちがどのように「共に動いた」か、に注意を向けるように言われ、福音書のこの箇所の動詞は、複数形であり、「信仰は、1人でなく、共に歩むことを意味します」とされた。

 だが、彼らは癒されると、10人のうち9人はそのまま先へ行き、1人だけが、イエスに感謝しに戻って来た。イエスは彼に、「他の9人はどこにいるのか」と、9人について説明しに戻って来たと思って、尋ねられた。このように、「私たちも、歩みを止めた人たち、道に迷った人たちを、気にかけるように求められています… 遠く離れた兄弟姉妹たちの守護者になるように求められているのです」と教皇は諭された。

*感謝すること

 そして、感謝することは、最後の段階。「イエスに感謝した1人だけにイエスは言われました-『あなたの信仰が、あなたを救った』と。究極のゴールは、健康であることでも、富んでいることでもなく、イエスとの出会いなのです。イエスだけが私たちを悪から解放し、心を癒してくださるのです。イエスだけが、人生を満ち足りた、素晴らしいものにすることがお出来になるのです」と教皇は強調された。

 そして「信仰の旅の頂点は、いつも感謝する人生を送ること…感謝することは、良いマナーだとか、エチケットの問題ではありません。信仰の問題です… 感謝に満ちた心は若さを保ちます」と語られた。そして、「ありがとう」と言うことをいつも忘れないように、念を押され、「この言葉は、一番短く、一番効果的な言葉です」とされた。

*新聖人を称える

 教皇は5人の聖人たちの「多くの試練を経ながらも、熱心に祈り、助けを必要とする人々に献身し、イエスという真理を求め続けた歩み」を振り返られ、3人の聖なる修道女たちの「世の辺境の疎外された人々へと向かう愛の歩み」を、また聖マルグリット・ベイズの「単純で力強い祈りと沈黙の献身と忍耐」を称えられた。

 そして教皇は、説教の結びに、聖ジョン・ヘンリー・ニューマン枢機卿が日々の生活の聖性について述べた言葉を引用されたー「キリスト教徒には深く、静かで、内に秘めた平和がある。それはこの世が目にしないもの… キリスト教徒は快活で、心身がくつろぎ、親切で、やさしく、礼儀正しく、率直で、気取りがない-虚飾がない…その振る舞いに、並外れた、傑出したところはない。第一印象はごく普通の人物、と受け取られるだろう」。そして「私たちもそのように-闇の中の『優しい光』であるように、神に願いましょう」と祈られた。

 

 

2019年10月13日

◎教皇連続講話「使徒言行録」⑪キリストはどのようにしてサウロを回心させたのか

 教皇フラPope Francis' General Audience: English summaryンシスコは9日の一般謁見中のカテケーシスで「使徒言行録」についての講話をお続けになり、今回は9章の「サウロの回心」を取り上げ、神がどのようにして、キリスト教徒を迫害していたサウロを回心させ、私たちが「聖パウロ」と呼ぶ恐れを知らない説教師に変えられたのか、について語られた。

(2019.10.9 バチカン放送)

 初期のサウロは、ステファノの殺害に賛成し、「教会を荒らす」者として、また回心後は「諸国の民に福音を告げるための神に選ばれた道具」として描かれるようになる。サウロは大祭司の許可を得て、キリスト教徒たちを見つけ、縛り上げて、連行しようとしていた。「主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込み」(9章1節)、主の律法に奉仕しようとした。

 教皇はこの箇所について、「このようなサウロの中にあったものは『生の息吹』ではなく、『死を漂わせる何か』でした… サウロは自分の政治的・宗教的アイデンティティーを絶対化し、自分と考え方が違う者を受け入れない『一徹な性格の若者』として描かれています」と指摘。

 「サウロは、真の戦いの相手は『血肉』ではなく、『支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊』(エフェソの信徒への手紙6章12節)、すなわち『人』ではなく、『人の行動に影響を与える悪』と戦うことを、キリストとの出会いによって回心し、教えるようになったのです」と説かれた。

 サウロは当初、キリスト教共同体を根こそぎにしようと考えていたが、旅の途中で、主が彼の心に触れ、ご自分に向けて彼を回心させられた。この「サウロのダマスコ途上の回心」は、「使徒言行録」で3回も語られている (9章3-19節、22章3-21節、26章4-23節)が、神がご自身を示される際に特有の「光」と「声」を通して、復活の主はサウロに現れ、「サウル、サウル、なぜ、私を迫害するのか」(9章4節)と尋ねることで、『教会のメンバーを攻撃することは、キリストご自身を攻撃することだ』ということを教えた、とされた。

 また、イエスの声は、サウロに「立ち上がって町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが告げられる」(9章6節)と語られ、サウロは立ち上がったものの、何も見えなくなっていたが、このサウロの姿について教皇は、「キリストのまばゆい光が彼の目を見えなくすることで、強い、権威をもっていたはずのサウロが『人の助けが必要な弱い存在である自分』を体験することになりました、と語られた。

 サウロと復活の主の直接の出会いが、彼個人の「死から命への『過ぎ越し』」を体験させ、彼はこれまでの栄光を「塵あくた」「損失」と見なすようになり(フィリピの信徒への手紙3章7-8節参照)、「キリストとキリストにおける命」こそ、真の得るべきもの、と考えるようになった、とし、「サウロが受けた洗礼は、私たちが受けた洗礼と同じ様に、新しい命の開始を示し、彼の歩みは、神と自分自身と人々に対する新しい眼差しをもち、敵と見なしていた人々は、キリストにおける兄弟となったのです」と強調された。

(編集「カトリック・あい」)

 

2019年10月9日

♰「『私は役に立たない僕』という言葉は、教会におけるあるべき奉仕の姿を示す」

(2019.10.6 VaticanNews )

 教皇フランシスコは6日正午の祈りでの説教で、この日のミサで朗読されたルカ福音書17章5節から10節で出てくる「からし種」と「主人に奉仕する僕」について取り上げられた。

この箇所ではまず、主が「からし種一粒ほどの信仰があれば、桑の木を引き抜いて、海に植え付けることができる」と語られているが、教皇は「イエスは私たちに、『信仰を持つ人にとって不可能なことは何もない。なぜなら、自分の力に頼らず、神により頼むので、何でもできるだからだ』ということを分かってもらいたいのです… 信仰を小さなからし種と比べることで、イエスは『信仰は誇ったり、自信を示すものではなく、謙遜の心で、神が必要だと強く感じること、自らを小さくして、全幅の信頼をもって、神にそれを捧げることだ』ということを教えておられるのです」と説かれた。

そのうえで、「では、私たちはどのようにしたら、自分が本当に信仰を持っていると知ることができるのでしょうか」と教皇は会衆に問いかけられ、7節からの「役に立たない僕」のたとえ話を使って、「イエスは、信仰の尺度は奉仕にある、ということを私たちに語っておられます」と答えを出された。

そして、「この箇所の主人の僕に対する振る舞いを聴くと、ちょっとまごつくでしょう-畑での仕事から帰って来た僕に、今すぐ食事の用意をするように命じています」。しかし、「この主人の振る舞いは、このたとえ話の核心をついています-つまり、この僕がそれに応じる姿勢-信仰を持った人が神とのかかわりにおいて、どのようにあるべきかということ-(注:自分に都合のいいことを)主張することも、期待することもせず、ひたすら神の意志に身を任せることーを示そうとしているのです」と説明された。

このような僕の姿勢はまた、「私たちが他の人々に対してどのように振る舞うかに反映されていますー自分が認められたり、感謝されたりすることを期待せずに奉仕することに、喜びを感じることに」とされ、「福音書でキリストが勧められた『私は役に立たない僕です』という言い方は、教会にとって極めて好ましい謙遜と意欲の表現であり、教会における仕事の正しい姿勢-謙遜な奉仕-を私たちに思い起こさせます」と語られた。

最後に教皇は、聖母マリアー信仰の方-への次の祈りで説教を締めくくられた-「ロザリオの聖母の祝日(7日)の徹夜祭を前に聖母マリアに祈りましょう。ポンペイのロザリオの聖母の巡礼聖堂で Supplicaの祈りを捧げる信徒たちと心を合わせて」

[Please see accompanying article for the full text of the “Supplica”, or “Petition”, to the Virgin of the Rosary of Pompeii.]

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

2019年10月7日

◎教皇連続講話「使徒言行録」⑩福音宣教の主役は「聖霊」、人々を自分でなく、キリストに惹きつけること

(2019.10.2 VaticanNews Robin Gomes)

 教皇フランシスコは2日の一般謁見中のカテケーシスで、使徒言行録についての講話を続けられた。

 教皇はまず、ステファノの殉教に続くエルサレムの教会に対する迫害の後、福音を広めようとする使徒たちの努力がいかに逆境に出会っていったのか(使徒言行録8章以降参照)を語られ、「しかし、キリストの弟子たちの証しとなった迫害は、福音宣教の火を消すのではなく、一層、燃え立たせたのです」と語られた。

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  ・・・助祭フィリポ、サマリアで多くの人を癒し、彼らから汚れた霊を追い出して、神の言葉を告げ知らせた。彼は、神に開いた心をもって見知らぬ人と出会うように、聖霊に突き動かされた。情熱をもって、荒涼とした危険な旅に出、エチオピア女王の全財産を管理する高官に出会った。そのユダヤ人の改宗者-宦官-は、エルサレムに礼拝に行って、帰る途中だった。彼は、馬車の中で、預言者イザヤの書の「主の僕」の箇所を読んでいたが、何も理解していなかった。フィリポは馬車に近づき、「読んでいることが分かるか」と尋ねると、宦官は「手引きしてくれる人がいないと、分からない」と答えた。(8章26~33節参照)・・・

 この箇所について、教皇は「このように権力のある人が『 神の言葉を理解するために指導してくれる人が必要だ』と認めたのです… 彼は女王の全財産を管理し、その国の経済を取り仕切る大臣で、財政・金融の全権を握っていました。それでも、彼は、説明を受けなければ、理解することができないことを、分かっていたのです。謙遜な人でした」と説かれた。

 このフィリポと高官の言葉のやり取りから得られる教訓を、「聖書を読むだけでは十分ではない、その意味するところを理解すること、”皮”の下にある”果汁”を見つけること、命を吹き込んでいる聖霊を引き寄せること、が必要だ」ということ、と教皇は強調された。

 これに関して、教皇は、前教皇のベネディクト16世が聖書註解で語られた言葉-聖書の真の読解は、文学的な現象であるだけでなく、その存在の活動だーを引用され、「『神の言葉に入っていく』ということは、神と出会うため、そして父の生ける言葉であるキリストに自らをゆだねるために、自分の限界を進んで超えようとすること、を意味するのです」と説明された。

 さらに教皇は、フィリポが、高官が自分の読んでいた箇所、「『じっと耐え、苦しむ僕』は、全教会が宣明するキリストに他ならない」ということを理解するのを助け、高官はキリストを理解し、洗礼を望み、主イエズスにおいて信仰を告白した、とされた。

 そして、この人と会うために砂漠に行くようにフィリポの肩を押したのは聖霊であり、「聖霊は、福音宣教の主役なのです。聖霊がおられなければ、福音宣教はありません… 聖霊なしでは、改宗の習慣、宣伝などなどになるでしょう」「福音宣教で、聖霊は、あなた方を発たせ、証しを、時には殉教と言葉をもって信仰を宣言するように、あなた方の肩を押すのです」と強調。

 さらに教皇は「福音宣教の主役は聖霊です」と繰り返され、それが、人がキリスト教徒、宣教者、喜びの殉教者であることのしるし、と付け加えられた。最後に、「聖霊がキリスト教徒に福音の宣言をさせますが、それは人々を自分たちに惹きつけるためではなく、キリストに惹きつけるため」とされ、「キリスト教徒が、神の活動の場を作り、主のみ前で人々が自由に、責任ある行動をするようにする」ように強く求められた。

2019年10月3日

♰「社会的不正義に苦しむ人々への感受性を私たちは失っている」-世界難民・移民の日のミサで

(2019.9.29 VaticanNews )

  教皇フランシスコは「世界難民・移民の日」となった29日のミサ中の説教で、この日の答唱詩編(146章6項c以降参照*)の中心にある「弱さ」に着目され、詩編作者が「忘れられ、抑圧の対象となっている」人々にはっきりと言及している、と指摘。「主は、外国人たち、未亡人たち、そして身寄りのない子供たちに、特別に心をお配りになります… それは、彼らに権利がなく、社会から排除され、取り残された存在だからです」と述べられた。

*神はとこしえに誠を示し、貧しい人のために裁きを行い、飢えかわく人にかてをめぐみ、捕らわれびとを解放される。神は見えない人の目を開き、従う人を愛される。身寄りのない子どもとやもめを支え、逆らう者の企てを砕かれる。

 さらに旧約聖書の出エジプト記(22章23節参照)と申命記(24章17節, 27章19節参照)-いずれも未亡人たち、身寄りのない子供たち、よそ者たちに対する虐待を警告する内容を含んでいるが-を取り上げ、神の「恵まれない人々に対する愛のこもったいたわり」であり、それが「イスラエルの神の際立った特質」「神に属する全ての人々の道徳的な義務として求められているもの」と強調された。

 そして、今回で105回目となる「世界難民・移民の日」のテーマは「移住者だけのことではありません」とされているが、それは、「移民、難民と同じように、社会の片隅に追いやられ、”使い捨ての社会”の犠牲となっている人々すべてを念頭に置いており、「主は、私たち自身と同じように彼らの人間性を取り戻すように、誰一人置いてきぼりにしないように、私たちに呼びかけておられます」と教皇は説かれた。

 また、教皇は「主は、排除をもたらすような社会的不正義について考えるように、私たちに求められておられます… その不正義には、自分たちの地位を確保するために多くの人々に損害を与えるような、少数の人々の特権、も含みます」とされたうえで、具体的な例として、「開発途上の国々が、少数の人々が特権をもつ市場の利益のために、資源を枯渇させている」、あるいは「紛争が世界のいつくかの地域に影響を与える一方で、そこで使われる兵器は、それ以外の地域で生産、売却されたものであり、しかも、そうした地域は、紛争が引き起こした難民たちを受け入れようとしていない」という現実を挙げられた。

 「神を愛し、私たちの隣人を愛する神の掟」について教皇は、「分けられることはできません」としたうえで、「私たちの隣人を愛することは、もっと正義が行われる世界を作ることへの固い約束を意味します。それは、誰もがこの地球の産物を手に入れることができ、全ての人が個人としても、家族としても成長でき、全ての人に基本的人権と尊厳が保証される世界です」「私たちの隣人を愛することは、私たちの兄弟姉妹の苦しみに共感し、彼らのそばに寄ることを意味します… 虐待され、世界の街中に打ち捨てられた全ての人の隣人となること、彼らの傷を癒し、彼らに必要に合うような一番近い避難所に連れていくことを意味します」と説かれた。

 最後に教皇は、マリア-道なる聖母-の母なる愛に「すべての移民、難民の人たち、世界の片隅で生きている人たち、そして彼らと歩みを共にする道を選んだ人たち」をゆだねられた。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

2019年9月29日

♰「AIやロボットが、人の考えを操作し、人の尊厳と自由、平和的共存を脅かす可能性」を警告

Pope Francis receives participants in the meeting on the "Common Good in the Digital Age"Pope Francis receives participants in the meeting on the “Common Good in the Digital Age”  (Vatican Media)

(編集「カトリック・あい」)

(以下、Vatican News 英語版)

Pope addresses ethical challenges of technological progress

 Pope Francis meets in Audience with participants at the meeting on the “Common Good in the Digital Age”, promoted by the Pontifical Council for Culture and the Dicastery for Promoting Integral Human Development.

 When Cardinal Ravasi addressed the Pope at the beginning of the Audience, he said it was the complexity of ongoing scientific research in the field of digital culture that had inspired the two Vatican Dicasteries to “join forces”.

From AI to Transhumanism

The Cardinal listed some of the issues discussed during their meeting: from digital systems to autonomous weaponry, from artificial intelligence to blockchain, from robotization to transhumanism. The “guiding star” of their reflections, he said, remained the “value of the common good and the protection of the dignity of the human person”.

Pope Francis responded by acknowledging “the remarkable developments in the field of technology, in particular those dealing with artificial intelligence”, and how these “raise increasingly significant implications in all areas of human activity”.

Technology and ethics

Referencing his Encyclical Letter, Laudato Si’, the Pope said “the indisputable benefit that humanity will be able to draw from technological progress depends on the degree to which the new possibilities at our disposal are employed in an ethical manner”

He spoke of a “technocratic paradigm” that promises the imposition of uncontrolled and unlimited progress that endangers the whole of humanity. Instead, the Pope encouraged concretely fostering “the culture of encounter and interdisciplinary dialogue”.

The common good

Pope Francis praised the “inclusive and fruitful dialogue” that characterized the meeting, and that “helps everyone to learn from one another and does not allow anyone to close themselves off in prearranged methodologies”.

Commenting on the objectives of the meeting itself, the Pope recognized the challenge of precisely stating “both theoretical and practical moral principles” so that “the ethical challenges examined may be addressed precisely in the context of the common good”.

Robotics

Pope Francis spoke specifically about the positive and negative roles of robots in the workplace: on the one hand, undertaking “arduous and repetitive types of work”, on the other, depriving “thousands of people of work, putting their dignity at risk”.

Artificial intelligence

The Pope also addressed the issue of artificial intelligence. While allowing “greater access to reliable information”, AI can also circulate “tendentious opinions and false data” that can “manipulate the opinions of millions of people, to the point of endangering the very institutions that guarantee peaceful civil coexistence”, he said.

The good of the individual

Pope Francis added a warning: “If so-called technological progress were to become an enemy of the common good”, he said, “this would lead to an unfortunate regression, to a form of barbarism dictated by the law of the strongest”. “The common good cannot be separated from the specific good of each individual”.

A better world

The Pope concluded by affirming that “a better world is possible thanks to technological progress, if this is accompanied by an ethic inspired by a vision of the common good, an ethic of freedom, responsibility and fraternity, capable of fostering the full development of people in relation to others and to the whole of creation”.

 

2019年9月28日

♰「人身売買と戦うためにさらに多くの教会の運動体が必要だ」

Pope Francis with participants in the general assembly of Talitha Kum in the Vatican on 26 September, 2019. Pope Francis with participants in the general assembly of Talitha Kum in the Vatican on 26 September, 2019.   (Vatican Media)

(2019.9.26 VaticanNews   Robin Gomes)

 教皇フランシスコは26日、バチカンで開かれた Talitha Kum(タリタクム(=人身売買と戦っている宗教関係の団体の世界的ネットワーク)の総会参加者と会見し、この戦いを「スピードをもって、広範かつ効果的に進めるために、さらに多くの修道会と教会の関係機関が参加する必要がある」と強く訴えられた。

 タリタクムは、男女修道会の総長による国際連盟(UISG)のプロジェクトとして、2009年に始められ、その運動は現在、世界92か国で52の女子修道会のネットワークに広がり、2000人のボランティアが1万5000人以上の被害者を支援、20万人以上に対して警告、啓蒙活動をしている。

 会見で教皇は、この様な活動を高く評価し、「人身売買の非道な行為に対して、教会の宣教活動の”最前線”で働き、今も働いている数多くの修道会に、深く感謝します」と述べられたうえで、この総会が二つの問題ー「主として社会的、文化的な違いゆえに、世界の女性たちの置かれた状況が大きく異なっている問題」と「個人主義的な理想を伴うネオリベラルの発展モデルが敷いた境界が、国の責任を取り上げる危険を冒している問題」ーを主要議題としていることを指摘。

 そして、今回の総会は「解決策を明らかにし、それを実施するために必要な資源に関心を集中させている」と教皇は述べ、現地教会に対する質の高い、充実した支援を強化する司牧的な計画を高く評価された。さらに、今後の対応を進めるうえで、バチカンの人間開発のための部署の移民・難民部門が出している「人身売買に関する司牧ガイドライン」が有益、と活用を勧められた。

 教皇はまた、人身売買の防止と犠牲者の支援にあたっている女子修道会を励ます一方で、他の男女修道会に対して、こうした活動が各地に広がるように支援、連携するように求め、とくに「自分たちの内部の問題だけに気を取られている修道会」には、「そうした内部の問題は、表に出て、新鮮な空気を吸えば、解決されるでしょう」とし、人身売買への戦いに加わることを強く促した。

 「人身売買が提起している課題の大きさを考えると、様々な教会の現実の上に相乗的な関わりを進めねば対応できません」と述べ、各地の司教たちに対して、「教会の活動がタイムリーで効果のあるものとするために、自己の教区の男女修道会と教会組織の計画と活動に関与すること」を希望された。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

2019年9月27日

◎教皇連続講話「使徒言行録」⑨「『神の子としてのキリスト者』に必要なのは、自らの命を神の手に委ねること」

教皇フランシスコ、バチカンでの一般謁見 2019年9月25日教皇フランシスコ、バチカンでの一般謁見 2019年9月25日  (ANSA)

(2019.9.25 バチカン放送)

 教皇フランシスコは、バチカンで25日、水曜恒例の一般謁見を行われ、その中で、先週に続いて、「使徒言行録」をテキストにしたカテケーシスをされ、6章に記される「ステファノたちの選出」と「ステファノの殉教」を取り上げられた。

 この箇所ではまず、初期のキリスト教共同体に弟子が増える中で、ヘブライ語を話すユダヤ人に対しギリシャ語を話すユダヤ人から「仲間のやもめたちに対する配慮が足りない」と苦情が出される場面が出てくる。これについて教皇は「文化や感受性の異なる人々が共存する中で、共同体の未熟さや脆さが明確になったことを示しています」と説明された。

 このような苦情を受けて、使徒たちは皆を集め、共に問題の解決を考えた。その結果、使徒たち自身の召命は「祈りと御言葉の奉仕に専念すること」だということを確認する一方、「霊と知恵に満ちた評判の良い人」を7人選び、祈って彼らの上に手を置き、食事の世話を任せることになった。

 この場面を教皇は「助祭の誕生」を示すもの、とされる一方、7人の中でも特にステファノは、「恵みと力に満ちて」宣教をし、その素晴らしい言葉のために、議論する者たちから激しい反発を受け、讒言によって捕えられ、最高法院に引いていかれた、という経過を語られた。

 ステファノは最高法院で、キリストを中心に聖なる歴史を再読し、預言者たちとキリストに対する彼らの扱いとその偽善を、勇気をもって訴えた。それを聞いて怒った人々は、ステファノに襲いかかり、石打の刑にしたが、殉教の際のステファノの「主イエスよ、私の霊をお受けください」「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」との言葉の中に、教皇は、聖人ステファノの「キリストの真の弟子としての本質」を見つめられた。

 このステファノの言葉は、「『神の子としてのキリスト者であること』を示すために必要なのは『多くの言葉ではなく、自らの命を神の手に委ね、自分を迫害する者を赦す態度だ』ということを、私たちに教えています」と強調された。

 「初期の教会の時代よりも現在は、さらに多くの殉教者が世界中にいます」と指摘された教皇は、「過去と現代の殉教者から、私たちが、日常的な福音への忠実と、キリストに似た者となる生き方を学ぶことができるように」と祈られた。identity

(編集「カトリック・あい」)

 

2019年9月26日

♰「私たちの”星”は苦しんでいる、だがまだチャンスはある」-気候変動サミットの首脳たちに

(2019.9.23 VaticanNews)

 世界各国の首脳が出席してニューヨークの国連本部で23日開かれた国連気候行動サミットに、教皇フランシスコがビデオ・メッセージを送られた。

  全文は以下の通り。

 「国連気候行動サミット2019に参加された皆さまにご挨拶いたします。

 まず、国連のアントニオ・グティエレス事務総長に感謝したいと思います。事務総長は、このサミットを開催し、「気候変動」という今の私たちにとって最も深刻で、懸念される現象の一つに、各国の指導者たち、国際社会全体、世界の世論の関心を、引きつけました。

 気候変動問題は、私たちが対応すべき最も重要な課題の一つです。そうすることで、三つの大きな道徳的特質-正直、責任、そして勇気-を養うように、人類は求められています。

  気候変動に関する国連枠組み条約に基づいて2015年12月12日に採択されたパリ協定によって、国際社会は(注:気候変動対策の)緊急性と、”私たちの共通の家”を助ける集団的な対応の必要性を知るようになりました。しかし、この歴史的な合意の四年後、各国がした約束は、まだまだ、とても”弱く”、設定された目標の達成には程遠いものです。

    各国政府だけでなく、市民社会によって全体として 多くの取り組みがなされていますが、さらに、もっと多くの人間的、財政的、技術的な資源を『気候変動の弊害を軽減し、最も貧しく、最も脆弱な人々を助ける』ために用いようとする、真の政治的な意思が存在するのかどうか、問う必要があります。

     現状は好ましいものではなく、この”星”は苦しんでいますが、チャンスはまだあります。すべてにかかわらず、そのチャンスを閉じないようにしましょう。チャンスを開きましょう-総合的な人類の発展を進め、将来の世代のより良い暮らしを確かなものにするために。  脱工業化の時代は、歴史の中で最も無責任な時代の一つとして記憶されるかもしれませんが、それにもかかわらず、『21世紀の初めの人類が、その重大な責任を堂々と引き受けた』と記憶される希望を持つ理由があります。

 正直、責任、そして勇気をもって、私たちの知性を『別の形の進歩、もっと健康的で、もっと人間的で、もっと社会的で、もっと完全な進歩』に生かし、経済を人間に奉仕するもの、平和を作り、環境を守るために使うことができるように、せねばなりません。

     気候変動の問題は、倫理、公平、社会正義と関係しています。現在の環境劣化の状況は、私たちが日々、経験している人間的、倫理的、社会的な劣化と関係しています。そしてこのことが、私たちの消費と生産のモデル、教育と知覚の仕方の意味を考えさせ、人間の尊厳と一致したものにするように、私たちを突き動かします。

 私たちは、共通善を支持し、『文明の挑戦』に対応しようとしています。私たちが多様な解決策を持っているのと同じように、私たちが個人と社会のレベルで正直、勇気、責任を具体化するライフスタイルを採るなら、解決が私たちの手の中にあることも明白です。

 今日、そして明日の皆さんのお仕事の核心に、.三つのキーワード-正直、勇気、責任が置かれることを、希望します。

 ありがとうございました。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

2019年9月24日