☩「良い羊飼いイエスは、両手を広げて私たちを待っていてくださる」21日Regina Coeliの説教で

(2024.4.21 Vatican News  Thaddeus Jones)

     21日、「良い羊飼い主日」の正午、Regina Coeliの祈りに先立つ説教で、教皇フランシスコは「イエスが私たちを限りなく愛され、私たちのために命を捧げてくださっていること」を思い起され、「私たちの牧者の愛の腕によって歓迎され、高められるように」と願われた。

 説教で教皇はこの日読まれた福音(ヨハネ10章11-18節)を取り上げ、この箇所で、主が「(良い羊飼いである)私は羊のために命を捨てる」と三度繰り返して述べ、「私たち一人ひとりを限りなく愛し、私たちのために命を犠牲にされたこと」を強調された。

 教皇は、「キリストの時代の羊飼いは、1日に数時間だけではなく、昼も夜も羊の世話をする必要がありました。良い羊飼いは自分の羊一頭一頭のことを知っており、羊たちに気を配り、迷子になった場合は探し、羊たちと共に生きることで安全を確保し、必要を満たしました」とされ、「イエスは、私たち群れの命を自分のものとし、一人ひとりの名前を知っておられます。私たちが迷ったときは見つかるまで探してくださり、そればかりか、私たちのために命を犠牲にし、復活を通して私たちに聖霊を与えてくださった『良い羊飼い』なのです」と説かれた。

 そして、「良い羊飼い」のたとえを通して、「主が、私たちの導き手、群れの頭であるだけでなく、何より私たち一人一人をご自分の命への愛として考えておられることを、私たちに示しておられるのです.…  私たち一人ひとりを、重要で、かけがえのない、無限の命の代価を払う価値のある存在と考えておられます」、さらに、「これは単なる言葉ではなく、実際に主は、私たちのために命を捧げ、私のために死んで復活されました。それは、主が私たちを愛し、私たちが自分ではなかなか気づかない素晴らしさを、私たちの中に見出してくださったからです」と語られた。

 また教皇は、「多くの人が、自分のやってきたことを自分の価値観、あるいは世界が自分をどう見ているか、あるいは他者がどう見ているかで判断し、『不十分だ、あるいは間違っている』と考えます。 しかし、イエスは、私たちが彼にとってとても価値がある存在だ、と教えて下さいます。ですから、真に自分自身と幸福を見つけるためには、私たちは主の御前に立ち、”良い羊飼い”の愛の腕によって受け入れられ、高められるように努めなければなりません」と信者たちを促された。

 さらに教皇は、「自分自身の人生を振り返り、人生に価値と意味を与えてくださる主の無限の愛を本当に受け入れているかどうか、考える」ように勧められ、「それは、祈り、崇敬、賛美の瞬間に、主を思い起し、愛ある主の御前に立とう努めることで可能です。 私たちが人生でこのことを実践しようと努めるなら、人生の”秘密”を再発見するでしょう。神が私のため、そして私たち全員のために、命を捧げられたことを思い起こすでしょう。神にとって、私たちは皆、私たち一人ひとりが重要なのです」と強調して、説教を締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

このエントリーをはてなブックマークに追加
2024年4月21日