◎教皇一般謁見講話「エリヤのように勇気あるキリスト教徒が求められている」

Pope Francis greeting pilgrims present for the Wednesday General AudiencePope Francis greeting pilgrims present for the Wednesday General Audience  (Vatican Media)

 

*エリヤの知恵

 また、教皇は、「エリヤは、祈る人々の生活に”二分法”があってはならないことを示しています」とされ、「人は主の前に立ち、主が私たちを送ってくださる兄弟姉妹の方へ向かいます。祈りの証明は、隣人への真の愛です… エリヤは私たちに教えていますー熱心な祈りと神との一致は、他の人たちが必要としていることへの配慮と切り離せない、ということを」と説かれた。

 さらに、準備した原稿から離れ、祈りは「神と向き合うこと、そして自分自身を兄弟姉妹に仕えるために送られるようにすること」と語られ、「エリヤは祈りの中に、主の意志を識別して成長し、個人的に多くの負担をしても不正を断罪する勇気を見出しました」と指摘。エリヤの祈りの中での神の経験は、主が「風と火の中」ではなく、「静かなささやきの中」で彼に現れた時、最高潮に達した、と語られた。

*エリヤの物語は、私たち皆のために書かれた…

 最後に教皇は「これはエリヤの物語ですが、私たち皆のために書かれたように思われます」と述べられ、次のように締めくくられた。「私たちは、時として、自分が役に立たず、孤独を感じることがあります。祈りが来て、私たちの心の扉をノックするのは、それからです… 何か間違ったことをしたり、脅迫や恐怖を感じたりしても、祈りの中で神の前に立ち戻ると、奇跡が起きたように、平穏と平和が戻って来るでしょう」。

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2020年10月7日

♰「権威は自己の利益でなく、福音を広めるために使うもの」教皇、27主日正午の集いで

教皇フランシスコ 2020年10月4日(日)のお告げの祈り
教皇フランシスコ 2020年10月4日(日)のお告げの祈り  (ANSA)

 新回勅「Fratelli tutti」が発表された10月4日(日)、教皇フランシスコは、正午の祈りの集いで、マタイ福音書の「ぶどう園と農夫」をめぐり説教を行われた。

 教皇は信者に向けた挨拶で、ご自身の三番目の回勅にあたる「Fratelli tutti」は、兄弟愛と社会的友愛を扱ったものであると説明された。

 また、先月初日より、他のキリスト教教会と共に記念されていた、被造物を保護するための祈りと行動の 月間、「被造物の季節」が、この日終了したことから、教皇は統合的エコロジーのために取り組む多くのカトリック系の運動関係者に挨拶をおくられた。

 同時に、教皇は、この10月4日、海洋で働く人々を支える司牧活動、ステラ・マリスが、スコットランドで誕生してから百年を迎えたことを紹介。この重要な節目を機会に、船員・漁業従事者とその家族らに教会の寄り添いを伝える、司祭やボランティアたちを温かく励まされた。

 さらに、教皇は同日イタリア・ボローニャで、オリント・マレッラ神父(1882-1969)の列福式がとり行われたことを報告。キリストの聖心に従い、貧しい人々の父、弱き者たちの擁護者として生涯を捧げた同神父を、多くの司祭たちの模範、神の民のための謙遜で勇敢なしもべとして思い起こされた。

 この日、教皇はお告げの祈りに先立つ説教で、マタイ福音書の「ぶどう園と農夫」のたとえを取り上げ、次のように説教を行われた。

**********

 今日のミサの福音 (参照:マタイ福音書 21章33-43節)で、イエスはご自分の受難と死を予見し、誤った道を歩もうとしている祭司長や長老たちを諫めるために、ぶどう園の邪悪な農夫たちのたとえ話を語られています。 祭司長や人民の長老たちは、悪意ある計画を練り、イエスを亡き者にする方法を探していたのです。たとえ話は、自分のぶどう畑の世話を十分にしたぶどう園の主人を描いています。

 旅に出なければならない主人は、農夫たちにそのぶどう園を任せて出発しました。そして、収穫の時が近づいた時、主人は自分の僕たちを収穫の受け取りのために送りました。しかし、ぶどう園を託された農夫たちは、主人の僕たちを歓待するどころか、虐待し、かつ、あろうことか殺害してしまいます。ぶどう園の主人は、さらに多くの僕たちを送り込みます。しかし、彼らも前の僕たちと同様に取り扱われてしまいます (参照:同 21章34-36節)。

 主人が、僕たちではなく、自分の一人息子を送ろうと決めた時に、最悪の事態が起こります。農夫たちは、主人の息子に対しても何らの尊敬も払わず、かえって彼を亡き者にすれば、ぶどう園を自分たちのものとすることができるのだと思い込みます。そして、主人の一人息子を殺害してしまいます(参照:同 21章37-39節)。

 ぶどう園のたとえ話が意味するところは明らかです。主が心を込めて世話し、選んだのは、神の民です。主人から送られる僕たちは、神から送られた預言者たちのことです。そして、主人の一人息子は、イエスご自身です。預言者たちが拒絶されたように、キリストも退けられ、殺害されました。

 この話の最後に、イエスは民の頭たちに質問します。「ぶどう園の主人が帰って来たら、この農夫たちをどうするだろうか」 (同 21章40節)。彼らは、話の当然の帰結として、自分たち自身の懲罰を宣言します。「その悪人どもをひどい目に遭わせて殺し、ぶどう園は、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに貸すにちがいない」(同 41節)。

 主は、大変厳しいこのたとえ話をもって、聞く者たちにはっきりとその責任に気づくよう仕向けます。この戒めは、かつてキリストを拒否した者たちに向けたものだと思い違いしないようにしましょう。それは、すべての時代の人々、私たち自身にも向けられているのです。今日もまた神は、ご自分がそのぶどう畑に送り込んだ人々、すなわち、私たち皆から、収穫を期待しておられます。

 いかなる時代にも、権威を持つ者は、それがいかなる権威であっても、教会においても、また社会においても、神のためにではなく、自分の利益のために、権利を利用する誘惑に出会います。イエスは、本物の権威とは、他者に奉仕するためであって、他者を搾取するためではない、と言われます。

 ぶどう園は主のものであって、私たちのものではありません。権威とは、奉仕です。ですから、権威は人のために行使されるべきであって、福音を広めるため、すべての人々の善のために、行使されなければなりません。 教会の中でも、権威ある者たちが自分自身の利益だけを考えているのを見るのは、大変悲しいことです。

 使徒聖パウロは、今日のミサの第2朗読の中で、どのようにして主のぶどう園における善い農夫になれるかを語っています。真実で、気高く、正しく、清く、愛すべき、何らかの徳や称賛に値することは、毎日の絶え間ない努力の結果だと言っています(参照:フィリピの信徒への手紙 4章8節)。

 このようにすれば、私たちはますます聖性に富んだ教会となれるでしょう。限りない優しさをもって私たちを愛してくださる御父に、また救いを与え続けてくださる御子と、私たちの心を開き、より豊かな善に向けて押し出してくださる聖霊に、光栄を帰することができるでしょう。

 聖母マリアに心を向けましょう、そしてロザリオの月であるこの十月に、聖なるロザリオの祈りへの熱心を新たにしましょう。

(編集「カトリック・あい」)

2020年10月6日

♰教皇、日曜の正午の祈りで新回勅「Fratelli tutti」を「聖フランシスコから霊感を得た」と紹介

新回勅発表の日に発行されたオッセルバトーレ・ロマーノ紙特別号新回勅発表の日に発行されたオッセルバトーレ・ロマーノ紙特別号  (Vatican Media)

  カトリック教会の暦は10月4日、アッシジの聖フランシスコを記念した。教皇フランシスコは、バチカンで行われた正午の祈りの集いで、前日3日にアッシジで署名され、この日発表された回勅「Fratelli tutti(フラテッリ・トゥッティ)」について紹介された。

 教皇は、この新回勅を「兄弟愛と社会的友愛をテーマにしたもの」と説明され、先の回勅「Laudato si’(ラウダート・シ)」と同様、聖フランシスコからインスピレーションを得たこの回勅を、3日にアッシジに赴き、聖人の墓の上で神に捧げた、と述べられた。

 そして、時のしるしは、ヨハネ23世、パウロ6世、ヨハネ・パウロ2世たち聖人教皇がすでに指摘さらたように、「人類の兄弟愛と被造物の保護が、統合的発展と平和に導く唯一の道を形作るものであることを明らかにしている」と話された。

 この日、バチカンの「オッセルバトーレ・ロマーノ」紙は、同回勅を記念した特別号を、聖ペトロ広場内外の巡礼者らに配布し、教皇は、同紙が、この日の特別号をもって、紙媒体としての発行を再開したことを、喜びと共に告げられた。同紙は、新型コロナの影響で、WEB版のみとなっていた。

 教皇は、「聖フランシスコが、教会における、あらゆる宗教の信者たちとの、またすべての人々との兄弟愛の歩みを見守ってくれるように」と祈られた。

 

2020年10月5日

♰教皇連続講話「世界を癒やす」最終回「蘇らせるべき社会は”正常な社会”ではない」

(2020.9.30 Vatican News)

 毎週水曜恒例の一般謁見でのカテケーシスで、教皇フランシスコは8月9日から先週まで7回にわたって、新型コロナウイルスの世界的大感染への対応の在り方として「世界を癒やす」をテーマに講話を続けてこられたが、30日、その締めくくりとして「信仰、希望、そして愛」を取り上げられた。

 教皇はまず、これまで7回にわたる講話を振り返り、コロナウイルスで苦しむ世界を癒す方法について「私たちは、共に反省しました」と述べたうえで、イエスの弟子として、私たちは、信仰、希望、慈善に導かれ、「イエスの歩みに倣って、貧しさを選び、物の使い方を考え直し、私たちの”共通の家”を大切にする」ように求められている、と説かれた。

 

*道が続くように

 続けて、教皇は、イエスー世界を救い、癒し、全ての人を大切にされ、人々を人種、言語、国で分け隔てなさらない方ーに、私たちが眼差しを注ぎ続けるよう、希望され、そのようにイエスの歩みに従うために、「私たちは、すべての人と生き物の素晴らしさを深く考え、その価値を評価する必要があります」と語られ、「このようにして、私たちは、貧しく苦しんでいる兄弟姉妹の中にキリストがおられることを知り、彼らに出会い、彼らの叫びと、共鳴する地球の叫びに耳を傾けることができるのです」と諭された。

“正常な状態”にする

 キリストがおられることを知ることで、「私たちは社会を蘇らせることができる」とされ、それは、いわゆる「正常な状態」に戻ることではない、なぜなら、「私たちが知っている『正常な状態』は『不正で病んでいる状態』だったからです」と語られた。

 また、新型コロナウイルスは、この世界に存在するとても多くの不正を浮き彫りにしたが、「そのすべては人類によってもたらされたもの」であり、そうした世界を「神の王国の『正常な状態』ー全ての人にパンがあり、十分な場所があり、『所有、除外、蓄積』ではなく『貢献、共有、配分』を基礎に置いた社会ーにするように、私たちは求められているのです」と強調された。

 さらに教皇は、「コロナ大感染から私たちが抜け出すために、新型コロナウイルスだけでなく、人間的、社会経済的な数々のウイルスによる感染を治療する方法を見つけねばなりません」と念を押された。

*愛をウイルス化し、希望をグローバル化する

 最後に、教皇は、「公正で公平な社会は、もっと健康な社会」であり、「私たちは、キリストが私たちのために始められた王国ー暗闇の中の光、数多くの非道な行為の中の正義、数多くの苦痛の中の喜び、病いと死の中の癒しと救いの王国ーに向けて共に働くことができるのです」とされ、「信仰の光の中で、愛を”ウイルス化”し、希望を”グローバル化”しましょう」と会衆に呼び掛けられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2020年9月30日

♰「キリスト教徒の生活は、”見かけ”ではなく、具体的な行動で成り立つ」26主日正午の祈りで

(2020.9.27 Vatican News )

 教皇フランシスコは27日、年間第26主日の正午の祈りの説教で、キリスト教徒の生活は「夢や美しいあこがれではなく、具体的な行動-神のご意思に心を開き、兄弟姉妹を限りなく愛することで成り立つ」と説かれた。

 教皇はこの日の説教の題材として、ミサで読まれたマタイ福音書の「二人の息子のたとえ」(21章28~32節)を取り上げられた。この箇所では、ぶどう園の所有者が二人の息子に園に行って働くように言う。2人のうちの兄は「いやです」と答えたが、考え直して園に出かけた。弟は、「はい」と答えたものの、出かけなかった。

 「『従順』は『はい』とか『いいえ』で成立するものではなく、実際に”ぶどう園”に出かけ、”ぶどうの木の手入れをする”こと-神の国をもたらすことです」と教皇は言われた。

 

*キリスト教は「見かけ」ではない

  教皇は、このたとえ話は「主が私たちに『人々の生活や態度に影響を与えない外見的で習性的な慣行から成り立つ宗教を超えて行くように』と求めておられることを教えています」とされた。

 さらに、イエスが不可とする「信心深さの『見かけ』の信奉者」は「祭司長たちや民の長老」であり、イエスは、神の王国では「徴税人と売春婦」が、彼らよりも上位に就く、としておられるが、それはイエスが、徴税人ー罪人ーと売春婦を人生の模範だ、と言いたのではなく、「神に心を開き、回心するなら、誰にでも『恵みの特権』が与えられるのだ、と教えている」と説かれ、「徴税人や売春婦たちは実際に、イエスの説教を聞いて、回心し、人生を変えたのです」とされた。

 

*神は忍耐強い

 また教皇は、神は私たちが回心するのを、忍耐強く待っておられることを強調され、「神は疲れず、私たちが『いいえ』と答えた後も、あきらめません。私たちが自分の意思で、ご自身から離れ、間違いを犯す間も、私たちが『はい』と答えるのをじっと待ておられ、その時には父としてご自分の腕の中で私たちを喜んで迎え、限りない慈しみで満たしてくれます」と語られた。

 そして、神への信仰は、悪よりも善の選択、嘘ではなく真実の選択、利己主義よりも隣人への愛の選択を、日々新たにすること」を私たちに求めており、それに倣う人は、天国で場所を見つける最初の人となるだろう、とし、ルカ福音書の14章7節ー「一人の罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にある」を引用された。

 

*回心の恵み

 教皇は、回心は「道徳の”かさぶた”」を(注:取り去り)清くする、痛みを伴う、放棄と犠牲が求められる道を選ぶことであり、今日のミサで読まれたマタイ福音書の二人の息子のたとえ話は、キリスト教徒としての生き方-具体的な行動と責務、そして他の人々への愛による生き方-をしているか、と私たちに問いかけている、と説かれた。

 最後に、「私たちの硬い心を溶かし、回心に向けさせ、イエスが約束された命と救いを得られるようにしてくださる聖霊の働き」に、私たちが素直に従うことができるように、聖母マリアに助けを願われた。

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2020年9月27日

♰コロナ大感染危機を「選択の時」「回心と変容の機会」にー国連総会へメッセージ+英語版全文

教皇フランシスコ、第75回国連総会にメッセージ

(2020.9.25 バチカン放送)

 教皇フランシスコはニューヨークの国連本部訪問から5年目の25日、開催中の第75回国連総会にビデオ・メッセージを送られ、現在世界を襲っている新型コロナウイルスの大感染は「多くの人の命を奪い、現在の経済、社会、医療のシステムの在り方を問いかけ、人間の脆弱さをあからさまにしている」と訴えられた。

 そして、私たちが求められているのは、現在の危機を、何が重要で、何か重要でないかを判断し、選択する「選択の時」、資源の不当な分配によって貧富の差を広げる私たちの生活スタイルや経済・社会構造を考え直す「回心、変容の機会」とすることだ、と強調された。

 「選択」について、私たちは2つの道のいずれかを選ぶよう求められており、一つは「全世界を、新たな共同責任、正義に基づく連帯、神の御計画である人類の平和と一致を表す、多極性の強化に導く道」、もう一つは「自己完結的態度、自国中心主義、保護主義、個人主義、貧しく弱い人々を排除しつつ孤立に導く道」である、とされた。

 さらに、コロナ大感染が起こしている危機は「公衆衛生の徹底と、すべての人が基本的な治療を受けられる権利の促進」を急務として示している、とされ、ワクチン、感染者の治療に必要な技術の速やかな開発と、全世界への公平な普及を確実にし、特に貧しく弱い人々に配慮するよう、各国の政治を担当する責任者たちに要請された。

 また、コロナ大感染によって、人々の働く場が奪われるなどの影響が深刻化している事にも触れ、特に不確定要素や、ロボット化によって、不安定な状態に置かれた勤労者たちに思いを向けられた。

 そして、この危機は方向の転換を迫っており、私たちはそのための資金や技術を持っているが、この転換は、「今ではすっかり広がり、定着している『切り捨ての文化』を乗り越えるための強い倫理的基盤を必要としている」とされ、この「切り捨ての文化」の根源には、「人間の尊厳の尊重する姿勢の深刻な欠如、人間を矮小化するビジョン、普遍的な基本的人権を否定するイデオロギーの高まりがある」と強調された。

 教皇は、「この危機は、国連にとっての一つのチャンス、より兄弟愛と憐みに満ちた社会を生み出すための一つの機会です」と述べ、「超裕福層と慢性的な貧困層との間に急速に広がる格差に対処し、経済的な不正義に終止符を打つ」ように、国際的な共同体の努力を願われた。

 また、「環境問題」にも言及され、環境危機と社会危機の密接な関係を示しながら、「環境保護とは、貧困や締め出しと闘うための、統合的なアプローチを必要とします」と説かれ、近年のエコロジーに対する人々の意識の向上や活動意欲を評価しつつ、「前の世代が引き起こした問題を、次の世代に重荷として背負わせることのないように、気候変動による悪影響を軽減するために人的・経済的・技術的資源を充てる政治的意志」の有無を真剣に問わなくてはならない、と訴えられた。

 教皇は、「コロナ危機が子どもたちに与えている影響」にも目を向けられ、「多くの子どもたちが学校に戻れないでいる一方で、児童労働や虐待、栄養失調が増える危険」を憂慮された。

 また、ある国々や国際組織が堕胎を一種の「本質的サービス」のように推進していることを遺憾とされ、「人の命を否定することが問題解決となるかのごとく、堕胎が容易になるのは痛ましいことです」と嘆かれた。

 女性の置かれた状況にも触れられ、「社会のあらゆるレベルで女性の活躍が見られるようになった反面、女性たちがいまだに隷属、人身取引、暴力、搾取の犠牲となっている現実」に注意を向けられた。

 メッセージの最後に教皇は、「貧困、感染症、テロなど、平和と安全に対する主要な脅威の間に、核兵器を含めた軍拡問題がある」と指摘。貴重な財源を浪費し続けるよりも、人々の統合的発展と自然環境保全のために使用すべきです」と訴えられ、「武器保有が個人と社会の安全につながるという、よこしまな論理を覆す必要があります。このような論理は兵器産業を富ませ、人民間に不信と恐れを育てるだけです」と批判。

 中でも、核兵器による威嚇は「互いの壊滅、という脅威に基づく恐怖心を煽るものであり、結果として、諸国民の間の関係を損ない、対話を妨げることになります」と警告され、核軍縮、核兵器不拡散、核兵器禁止に関する主な国際条約を支持することの重要性を強調しつつ、「次回の核拡散防止条約(NPT)の再検討会議が、一刻も早く核軍拡競争を止め、核軍縮への道を歩むための、具体的な行動を表すものとなる」ように願われた。

 さらに、国連が「平和の工房」となり、安全保障理事会、特に常任理事国メンバーがより一層、一致と決意をもって行動することを望まれ、「今、この危機の時、私たちのなすべきことは、私たちの共通の家と共通の計画について再考すること」と述べた教皇は、「国々を近づけ、一致させるために創設された国連が、人民の架け橋となり、私たちが直面しているこの挑戦を、望ましい未来を再び構築するための機会に変容させていくことができるように」と祈られた。

(編集「カトリック・あい」)

  教皇フランシスコの国連総会へのメッセージ英語版全文はいかのとおり。

Address of His Holiness Pope Francis to the Seventy-fifth Meeting of the General Assembly of the United Nations  25 September 2020

“The Future We Want, the United Nations We Need: Reaffirming our Joint Commitment through Multilateralism”

 

Mr. President,
Peace be with all of you!

I offer cordial greetings to you, Mr President, and to all the Delegations taking part in this significant Seventy-fifth Session of the United Nations’ General Assembly. In particular, I greet the Secretary General, Mr António Guterres, the participating Heads of State and Government, and all those who are following the General Debate.

The seventy-fifth anniversary of the United Nations offers me a fitting occasion to express once again the Holy See’s desire that this Organization increasingly serve as a sign of unity between States and an instrument of service to the entire human family.[1]

In these days, our world continues to be impacted by the Covid-19 pandemic, which has led to the loss of so many lives. This crisis is changing our way of life, calling into question our economic, health and social systems, and exposing our human fragility.

The pandemic, indeed, calls us “to seize this time of trial as a time of choosing, a time to choose what matters and what passes away, a time to separate what is necessary from what is not”.[2] It can represent a concrete opportunity for conversion, for transformation, for rethinking our way of life and our economic and social systems, which are widening the gap between rich and poor based on an unjust distribution of resources. On the other hand, the pandemic can be the occasion for a “defensive retreat” into greater individualism and elitism.

We are faced, then, with a choice between two possible paths. One path leads to the consolidation of multilateralism as the expression of a renewed sense of global co-responsibility, a solidarity grounded in justice and the attainment of peace and unity within the human family, which is God’s plan for our world. The other path emphasizes self-sufficiency, nationalism, protectionism, individualism and isolation; it excludes the poor, the vulnerable and those dwelling on the peripheries of life. That path would certainly be detrimental to the whole community, causing self-inflicted wounds on everyone. It must not prevail.

The pandemic has highlighted the urgent need to promote public health and to make every person’s right to basic medical care a reality.[3] For this reason, I renew my appeal to political leaders and the private sector to spare no effort to ensure access to Covid-19 vaccines and to the essential technologies needed to care for the sick. If anyone should be given preference, let it be the poorest, the most vulnerable, those who so often experience discrimination because they have neither power nor economic resources.

The current crisis has also demonstrated that solidarity must not be an empty word or promise. It has also shown us the importance of avoiding every temptation to exceed our natural limits. “We have the freedom needed to limit and direct technology; we can put it at the service of another type of progress, one which is healthier, more human, more social, more integral”.[4] This also needs to be taken into careful consideration in discussions on the complex issue of artificial intelligence (AI).

Along these same lines, I think of the effects of the pandemic on employment, a sector already destabilized by a labour market driven by increasing uncertainty and widespread robotization. There is an urgent need to find new forms of work truly capable of fulfilling our human potential and affirming our dignity. In order to ensure dignified employment, there must be a change in the prevailing economic paradigm, which seeks only to expand companies’ profits. Offering jobs to more people should be one of the main objectives of every business, one of the criteria for the success of productive activity. Technological progress is valuable and necessary, provided that it serves to make people’s work more dignified and safe, less burdensome and stressful.

All this calls for a change of direction. To achieve this, we already possess the necessary cultural and technological resources, and social awareness. This change of direction will require, however, a more robust ethical framework capable of overcoming “today’s widespread and quietly growing culture of waste”.[5]

At the origin of this “throwaway culture” is a gross lack of respect for human dignity, the promotion of ideologies with reductive understandings of the human person, a denial of the universality of fundamental human rights, and a craving for absolute power and control that is widespread in today’s society. Let us name this for what it is: an attack against humanity itself.

It is in fact painful to see the number of fundamental human rights that in our day continue to be violated with impunity. The list of such violations is indeed lengthy, and offers us a frightening picture of a humanity abused, wounded, deprived of dignity, freedom and hope for the future. As part of this picture, religious believers continue to endure every kind of persecution, including genocide, because of their beliefs. We Christians too are victims of this: how many of our brothers and sisters throughout the world are suffering, forced at times to flee from their ancestral lands, cut off from their rich history and culture.

We should also admit that humanitarian crises have become the status quo, in which people’s right to life, liberty and personal security are not protected. Indeed, as shown by conflicts worldwide, the use of explosive weapons, especially in populated areas, is having a dramatic long-term humanitarian impact. Conventional weapons are becoming less and less “conventional” and more and more “weapons of mass destruction”, wreaking havoc on cities, schools, hospitals, religious sites, infrastructures and basic services needed by the population.

What is more, great numbers of people are being forced to leave their homes. Refugees, migrants and the internally displaced frequently find themselves abandoned in their countries of origin, transit and destination, deprived of any chance to better their situation in life and that of their families. Worse still, thousands are intercepted at sea and forcibly returned to detention camps, where they meet with torture and abuse. Many of these become victims of human trafficking, sexual slavery or forced labour, exploited in degrading jobs and denied a just wage. This is intolerable, yet intentionally ignored by many!

The numerous and significant international efforts to respond to these crises begin with great promise – here I think of the two Global Compacts on Refugees and on Migration – yet many lack the necessary political support to prove successful. Others fail because individual states shirk their responsibilities and commitments. All the same, the current crisis offers an opportunity for the United Nations to help build a more fraternal and compassionate society.

This includes reconsidering the role of economic and financial institutions, like that of Bretton-Woods, which must respond to the rapidly growing inequality between the super-rich and the permanently poor. An economic model that encourages subsidiarity, supports economic development at the local level and invests in education and infrastructure benefiting local communities, will lay the foundation not only for economic success but also for the renewal of the larger community and nation. Here I would renew my appeal that “in light of the present circumstances… all nations be enabled to meet the greatest needs of the moment through the reduction, if not the forgiveness, of the debt burdening the balance sheets of the poorest nations”.[6]

The international community ought to make every effort to put an end to economic injustices. “When multilateral credit organizations provide advice to various nations, it is important to keep in mind the lofty concepts of fiscal justice, the public budgets responsible for their indebtedness and, above all, an effective promotion of the poorest, which makes them protagonists in the social network”.[7] We have a responsibility to offer development assistance to poor nations and debt relief to highly indebted nations.[8]

“A new ethics presupposes being aware of the need for everyone to work together to close tax shelters, avoid evasions and money laundering that rob society, as well as to speak to nations about the importance of defending justice and the common good over the interests of the most powerful companies and multinationals”.[9] Now is a fitting time to renew the architecture of international finance.[10]

Mr. President,

Five years ago, I had the opportunity to address the General Assembly in person on its seventieth anniversary. My visit took place at a time marked by truly dynamic multilateralism. It was a moment of great hope and promise for the international community, on the eve of the adoption of the 2030 Agenda for Sustainable Development. Some months later, the Paris Agreement on Climate Change was also adopted.

Yet we must honestly admit that, even though some progress has been made, the international community has shown itself largely incapable of honouring the promises made five years ago. I can only reiterate that “we must avoid every temptation to fall into a declarationist nominalism which would assuage our consciences. We need to ensure that our institutions are truly effective in the struggle against all these scourges”.[11]

I think of the alarming situation in the Amazon and its indigenous peoples. Here we see that the environmental crisis is inseparably linked to a social crisis, and that caring for the environment calls for an integrated approach to combatting poverty and exclusion.[12]

To be sure, the growth of an integral ecological sensitivity and the desire for action is a positive step. “We must not place the burden on the next generations to take on the problems caused by the previous ones… We must seriously ask ourselves if there is the political will to allocate with honesty, responsibility and courage, more human, financial and technological resources to mitigate the negative effects of climate change, as well as to help the poorest and most vulnerable populations who suffer from them the most”.[13]

The Holy See will continue to play its part. As a concrete sign of the Holy See’s commitment to care for our common home, I recently ratified the Kigali Amendment to the Montreal Protocol.[14]

Mr. President,

We cannot fail to acknowledge the devastating effects of the Covid-19 crisis on children, including unaccompanied young migrants and refugees. Violence against children, including the horrible scourge of child abuse and pornography, has also dramatically increased.

Millions of children are presently unable to return to school. In many parts of the world, this situation risks leading to an increase in child labour, exploitation, abuse and malnutrition. Sad to say, some countries and international institutions are also promoting abortion as one of the so-called “essential services” provided in the humanitarian response to the pandemic. It is troubling to see how simple and convenient it has become for some to deny the existence of a human life as a solution to problems that can and must be solved for both the mother and her unborn child.

I urge civil authorities to be especially attentive to children who are denied their fundamental rights and dignity, particularly their right to life and to schooling. I cannot help but think of the appeal of that courageous young woman, Malala Yousafzai, who speaking five years ago in the General Assembly, reminded us that “one child, one teacher, one book and one pen can change the world”.

The first teachers of every child are his or her mother and father, the family, which the Universal Declaration of Human Rights describes as the “natural and fundamental group unit of society”.[15] All too often, the family is the victim of forms of ideological colonialism that weaken it and end up producing in many of its members, especially the most vulnerable, the young and the elderly, a feeling of being orphaned and lacking roots. The breakdown of the family is reflected in the social fragmentation that hinders our efforts to confront common enemies. It is time that we reassess and recommit ourselves to achieving our goals.

One such goal is the advancement of women. This year marks the twenty-fifth anniversary of the Beijing Conference on Women. At every level of society, women now play an important role, offering their singular contribution and courageously promoting the common good. Many women, however, continue to be left behind: victims of slavery, trafficking, violence, exploitation and degrading treatment. To them, and to those who forced to live apart from their families, I express my fraternal closeness. At the same time, I appeal once more for greater determination and commitment in the fight against those heinous practices that debase not only women, but all humanity, which by its silence and lack of effective action becomes an accomplice in them.

Mr. President,

We must ask ourselves if the principal threats to peace and security – poverty, epidemics, terrorism and so many others – can be effectively be countered when the arms race, including nuclear weapons, continues to squander precious resources that could better be used to benefit the integral development of peoples and protect the natural environment.

We need to break with the present climate of distrust. At present, we are witnessing an erosion of multilateralism, which is all the more serious in light of the development of new forms of military technology,[16] such as lethal autonomous weapons systems (LAWS) which irreversibly alter the nature of warfare, detaching it further from human agency.

We need to dismantle the perverse logic that links personal and national security to the possession of weaponry. This logic serves only to increase the profits of the arms industry, while fostering a climate of distrust and fear between persons and peoples.

Nuclear deterrence, in particular, creates an ethos of fear based on the threat of mutual annihilation; in this way, it ends up poisoning relationships between peoples and obstructing dialogue.[17] That is why it is so important to support the principal international legal instruments on nuclear disarmament, non-proliferation and prohibition. The Holy See trusts that the forthcoming Review Conference of the Parties to the Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons (NPT) will result in concrete action in accordance with our joint intention “to achieve at the earliest possible date the cessation of the nuclear arms race and to undertake effective measures in the direction of nuclear disarmament”.[18]

In addition, our strife-ridden world needs the United Nations to become an ever more effective international workshop for peace. This means that the members of the Security Council, especially the Permanent Members, must act with greater unity and determination. In this regard, the recent adoption of a global cease-fire during the present crisis is a very noble step, one that demands good will on the part of all for its continued implementation. Here I would also reiterate the importance of relaxing international sanctions that make it difficult for states to provide adequate support for their citizens.

Mr. President,

We never emerge from a crisis just as we were. We come out either better or worse. This is why, at this critical juncture, it is our duty to rethink the future of our common home and our common project. A complex task lies before us, one that requires a frank and coherent dialogue aimed at strengthening multilateralism and cooperation between states. The present crisis has further demonstrated the limits of our self-sufficiency as well as our common vulnerability. It has forced us to think clearly about how we want to emerge from this: either better or worse.

The pandemic has shown us that we cannot live without one another, or worse still, pitted against one another. The United Nations was established to bring nations together, to be a bridge between peoples. Let us make good use of this institution in order to transform the challenge that lies before us into an opportunity to build together, once more, the future we all desire.

God bless you all!

Thank you, Mr. President.

 


[1] Address to the General Assembly of the United Nations, 25 September 2015; BENEDICT XVI, Address to the General Assembly of the United Nations, 18 April 2008.

[2] Meditation during the Extraordinary Moment of Prayer in the Time of Pandemic, 27 March 2020.

[3] Universal Declaration of Human Rights, Article 25.1.

[4] Encyclical Letter Laudato Si’, 112.

[5] Address to the General Assembly of the United Nations Organization, 25 September 2015.

[6] Urbi et Orbi Message, 12 April 2020.

[7] Address to the Participants in the Seminar “New Forms of Solidarity”, 5 February 2020.

[8] Ibid.

[9] Ibid.

[10] Cf. ibid.

[11] Address to the General Assembly of the United Nations Organization, 25 September 2015.

[12] Encyclical Letter Laudato Si’, 139.

[13] Message to the Participants in the Twenty-Fifth Session of the Conference of States Parties to the United Nations Framework Convention on Climate Change, 1 December 2019.

[14] Message to the Thirty-first Meeting of the Parties to the Montreal Protocol, 7 November 2019.

[15] Universal Declaration of Human Rights, Article 16.3.

[16] Address on Nuclear Weapons, Atomic Bomb Hypocenter Park, Nagasaki, 24 November 2019.

[17] Ibid.

[18] Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons, Preamble.

 


2020年9月26日

◎教皇連続講話「世界を癒やす」⑧新型コロナ危機脱出の唯一の道は「共に助け合う」こと

Pope Francis at General Audience in the Courtyard of St. Damasus in the VaticanPope Francis at General Audience in the Courtyard of St. Damasus in the Vatican  (Vatican

(2020.9.23 Vatican News)

   教皇フランシスコは23日、水曜恒例の一般謁見で、「世界を癒やす」をテーマにした講話をお続けになり、今回は、新型コロナウイルスの大感染が終息した後の世界に目を向け、「相互補完の原則を用い、社会組織を再活性化する役割を、社会のあらゆるレベルが担っています」と強調された。

*相互補完の原則を貫くことが求められている

 この講話で教皇は、引き続き、教会の教えに照らした新型コロナウイルスの影響に言及し、「私たち1人ひとりが自分の責任を担うよう求められています」とされ、「私たちは未来に目を向け、社会を構成する全員の尊厳と賜物が大切にされる社会秩序のために働かねばならない」と強調された。

 そして、「相互補完の原則」について考察され、その意味をよりよく説明するために、教皇ピオ11世が1929年の大恐慌後に「相互補完の原則には、『上から下へ』と『下から上へ』の2つの動きがある」と語られたことを想起した。

*危機脱出に必要な各人の「自主性」と「率先して行動する能力」

 そのうえで、「危機から効果的に脱出するには、一人ひとりー特に弱い人ーの『自主性』と『率先して行動する能力』を尊重し、相互補完の原則を貫く必要があります」と述べ、この原則が、「全ての人に、社会の癒しと運命のために各自の役割を果たされるようにするのです」にもかかわらず、「多くの人々が隅へ追いやられ、排除され、無視されたりするゆえに、多くの人が共通の善の再建に参加できない」と嘆かれた。

 さらに、「特定の社会集団が、経済的または社会的に窒息させられているために、貢献できていない。中には、多くの人々が自分の信仰と価値観を自由に表明できないができない社会集団があるのです」と語られ、「他の所、特に西側世界では、多くの人々が自分の倫理的または宗教的信念を抑制していますが、それは危機から抜け出すやり方ではない。少なくとも危機から立ち上がる方法ではありません」と指摘された。

*個人、家族、企業…そして教会の貢献が決定的に重要

 教皇は「国家のような社会の最高レベルが、進歩に必要な資源を提供するために介入することは正しい」とされ、「公的機関が、適切な介入を通じて助けようとしている」と指摘したが、その際、「社会の指導者たちは中産階級以下のレベルの人々を尊重し、励まさねばなりません」と注文をつけられた。

 また、「個人、家族、団体、企業、あるいは仲介機関、さらに教会による貢献が、決定的に重要」であり、「自分の属する社会を癒す過程で、私たちすべてが責任を負う必要」があるが、そうした中で、「弱者を排除するという不正が、巨大な経済的、地政学的利益が凝縮する場で、しばしば起きています」と警告。例えば、アマゾン地域では「原住民の声、文化、世界についての見方への配慮がされていません」と指摘した。

 

*巨大企業優先の財政支援は問題だ

 さらに「今日の世界で、相互補完の原則を尊重しない風潮は、ウイルスのように広がっています。国が実施する大規模な財政支援策を見ても、実際に経済を動かしている人々や企業ではなく、巨大金融機関に耳を傾ける形で行われています」と述べた。

 また、新型コロナウイルスのワクチンや治療法を手に入れようとする現在の競争にについても、「良い方法ではない」とし、パウロはコリント人への第一の手紙で「体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです」(12章 22節)と説いているのを取り上げ、「相互補完の原則を実行することによってのみ、私たちは皆、社会の癒しと運命のための自己の役割を引き受けることができるのです」と説かれた。

*「連帯」には「相互補完」が必要

 そして、それを実践することで「もっと健康的で、もっと正義にかなった未来への希望が生まれます」とされ、「より大きな未来を目指し、私たちの視野と理想を広げて、未来を共に作り上げていきましょう」と呼び掛けた。

 教皇は、危機からの脱出する方法として「連帯」を挙げた以前のご自身の講話を思い起こしつつ、「連帯」を進めるには、「相互補完」が必要、と指摘。「家族、団体、協同組合、中小企業、仲介機関などの貢献、社会参加なしに真の連帯はありません」と語られた。

*危機に対処する人々を讃えるーだが「拍手」で終わりにしてはならない

 また、新型コロナウイルスの大感染で都市封鎖がされる中で、医師、看護師の努力に拍手喝采する人々の自発的な動きが、勇気と希望のしるしとして始まったことに言及され、「この拍手喝采を社会を構成する団体のすべてのメンバーに広げましょう。たとえそれが小さなものであっても、貴重な貢献に感謝しましょう」と呼び掛け、教皇自身も、危機の中で、自分たちのすべてを捧げてくれた何百万人ものボランティアに特別な感謝の言葉を、あらためて述べられた。さらに、「高齢者、子供、障害者を、働く人、奉仕に身を捧げる全ての人を讃えましょう。でも、拍手するだけで終わりにしないでください」と注文を付けられた。

 

*希望を持って、危機の先にある将来に備えよう

 最後に教皇は、希望を持って、危機の先にある将来に備えるように、と次のように講話を締めくくられた。

 「希望は危機を顧みません。大きな夢を描き、希望から​​生まれる正義と社会の愛の理想を追求するのに努めましょう。不正で不健全な過去を作り直そうとせず、​​互いの豊かさが小さな集団の持つ素晴らしさと豊かさ花開き、多く持っている人々が、少ししか持っていない人々に奉仕し、提供する世界となるように」

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2020年9月23日

♰「教皇、神はすべての人に、いつも呼び掛けておられる」25主日正午の祈りで

(2020.9.20 Vatican News)

    教皇フランシスコは20日、年間第25主日の正午の祈りの説教で、この日のミサで読まれたマタイ福音書の「ぶどう園の労働者」のたとえ話(20章1~16節)について考察され、この箇所でぶどう園の主人の2つの行為ー「呼びかけ」と「報い方」に注意を向けられた。

 イエスはこのたとえ話の中で、夜明けとともに町に出かけ、自分のぶどう園で働くように「呼び掛ける」主人について語っている。

 教皇は、「その主人は… すべての人に呼び掛ける、いつも呼び掛ける神を表しています」とされ、これが今も神がなさるやり方であり、私たちもそれに倣い、人をどこにいても探し求めるように促されている、と指摘。「これは、辺境に置かれた人々ーキリストととの出会いでもたらされる力と光をまだ経験していないか、失ってしまった人々ーに希望をもたらすように努めるように、私たちに求めておられていることを意味します」と説かれた。

 さらに、教皇は、「教会は、いつも神のようでなければならず、いつも外に出て行かねばなりません。そして、外に出て行かないなら、教会は健康を害してしまいます」と警告し、「教会にとって、福音を告げるために、危険を冒してでも、外に出ることは、自分の中に籠って、健康を害するよりも、良いことなのです… 神はいつも外に出て行きます。神は愛する父、そして教会は、いつも同じことするー外に出る必要があるのです」と強調された。

 ぶどう園の主人のもうひとつの行為も、神の行為ー「報い方」-を示している。主人が管理人を通して労働者に賃金を支払う時、働いた時間に関係なく、全員に同じ賃金を払った。このことから、「イエスが、仕事と賃金についてだけではなく、神の王国と天の父の優しさについて語っていることが分かります」とされ、さらに、「神は、私たちが働いた時間と成果には注目されず、私たちが神への奉仕にどれほど用意があるかをお考えになります… こうした神のなさり方は、『正義』以上のもの、正義を超え、主の恩寵で明らかにされるものです」と語られた。

 そして、自分の功績に頼る人は、先に来ても「後に」なり、父の慈悲に謙虚に身を委ねる人は、後に来ても「先に」なる(マタイ福音書20章16節)、と説かれた。

 最後に教皇は次のように締めくくられた。「この世界である神の場、教会である神のぶどう園で、ご自分のために働くように、との神の呼びかけを受けることの喜びと驚きを、私たちが日々、感じるように、聖母マリアが助けてくださいますように… 私たちが唯一の報酬として神の愛、私たちにとってのすべてであるイエスの友情を、手にすることができますように」。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2020年9月20日

◎教皇連続講話「世界を癒やす」⑦「観想」と「いたわり」が人と自然の関係を正す道

教皇フランシスコによる一般謁見 2020年9月16日教皇フランシスコによる一般謁見(2020年9月16日 、バチカン宮殿の聖ダマソの中庭で=Vatican Media)

 教皇フランシスコは16日、バチカンで水曜恒例の一般謁見を行われ、その中で「世界を癒やす」をテーマにした講話を続けられ、この日は、私たちの「共通の家」である地球を保護し、自然を観想することの大切さに、ついて話された。(観想=特定の対象に向けて心を集中し、その姿や性質を観察すること)

 教皇はまず、新型コロナウイルスの大感染から脱するには、「自分たちだけではなく、互いのケアが必要であり、特に最も弱い立場に置かれた人、病者、高齢者などを支えることが大切」とされ、「世話をし、いたわることは人間の黄金律であるが、私たちはそのいたわりを、大地やすべての生物にも向けなければなりません」と説かれた。

 そして、「すべての命は相互のつながりを持ち、私たちの健康は、神が創造され、私たちに神が世話を託された生態系の健康に依存しています… そこから搾取し、自然を破壊することは、重い罪です」と強調。私たちの「共通の家」を搾取しないための最良の対抗策は「観想すること」とされ、「美しいものを前に立ち止まり、それを尊重することを学ぶことができないなら、すべてのものが無分別な利用や搾取の対象物となってもおかしくありません」と話された。

 さらに、私たちの共通の家ー被造物は、単なる「資源」ではなく、「その一つひとつが独自の価値を持ち、それぞれのあり方を通して、神の無限の叡智と愛を反映しているのです… その価値と神の光を見出すには、沈黙し、耳を傾け、観想することが必要なのです」と説かれた。

 このような観想なしには、私たちは「人間を他のすべての被造物の支配者とみなす、均衡を欠いた高慢な人間中心主義」に陥り、「自ら神の座を占めようとし、調和を破壊してしまいます」と警告された。

 教皇は、「『命を守る』という召命を忘れる時、私たちは略奪者になってしまいます… 私たちは生き、発展するために大地を耕しますが、それは搾取を意味しません。常に私たちの使命である『世話』を伴うものでなければなりません」と強調された。

 また、「私たちが熟慮する時、他者や自然の中に、その有用性よりも、もっと大きな何かを見出し、神がそれぞれに与えたかけがえのない価値を発見することができます」と改めて観想することの重要さを指摘され、「私たちを思いやりの行為に導く観想は、『自然を外から眺める』のではなく、『自然の中から、自分を自然の一部と認識する』ことで得られるもの。その視点は私たちを単なる自然の傍観者ではなく、それを守る者とします」と話された。

 そして、「観想することを知る人は、環境破壊や健康の害になる原因を変えようと働き、生産と消費の新しい習慣を育て、『共通の家と人間を尊重した新しい経済成長モデルに貢献するよう努力する人」とされ、人と自然との関係を正し、再びバランスを取り戻すための道として「観想」と「いたわり」の二つの態度を示された。

(編集「カトリック・あい」)

2020年9月17日

♰「赦しと慈しみが、苦難、戦争…を避ける助けとなる」第24主日の正午の祈りで

Pope Francis at Angelus on SundayPope Francis at Angelus on Sunday  (Vatican Media)

(2020.9.13 Vatican News)

 教皇フランシスコは13日、年間第24主日の正午の祈りの説教で、この日のミサで読まれたマタイ福音書18章21節に始まる「仲間を赦さない家来」のたとえ話を取り上げ、「私たち自身が赦しと愛を実践しなければ、自分が赦されることも、愛されることもない」と語られた。

 教皇は、このたとえ話で、イエスが、慈しみに溢れた神の振る舞いに倣うように、と私たちキリスト教徒に促しておられ、「赦しと慈しみ」が「私たちの生き方」になれば、「世界は多くの苦しみ、多くの傷、そして戦争から免れることが可能になります」と説かれた。 

 マタイ福音書の「仲間を赦さない家来」のたとえ話では、多額の借金をしている家来が、主君に返済の時間をくれるように懇願すると、主君は憐れに思って、借金を帳消しにする。だが、この家来は、わずかな金額を貸している仲間を見つけると、返済を強要し、時間をくれるように懇願するのも聞かず、牢に入れてしまう。それを知った主君は、家来を拷問係に引き渡してしまう。

 教皇は、この主君が家来に最初に示したように「赦しと憐れみが、私たちのライフスタイルだったなら、どれだけの苦しみ、どれだけの傷、どれだけの戦争を避けることができるでしょうか」とされたうえで、 「神の振る舞いは慈しみと正義に満ちていますが、人間の態度は正義に限られています… しかし、人生で起きる問題のすべてが、正義によって解決できるわけではありません。ですから、イエスは私たちに、勇気を持って『赦しの力』を受け入れるように、強く勧めておられるのです」と強調された。

 また教皇は、慈しみ深い愛の必要性は、「罪を犯した人を何回赦すべきか」と尋ねたペテロにイエスが示された答えでもある、とされ、 「聖書の象徴的な言葉の中で、これは私たちが、常に赦すように、と求められていることを意味するのです」と語られた。そして、この慈悲深い愛を「あらゆる人間関係ー夫婦の間、親子の間、私たちが属する共同体、さらに社会、政治の場面での人間関係ーに適用していく必要がある」と説かれた。

 さらに、教皇は事前に用意した原稿から離れて、この日のミサの第一朗読、旧約聖書のシラ書27章6節「自分の最期に心を致し、敵意を捨てよ」の箇所を取り上げ、「過去に被った侮辱に対する恨み、憎しみは、ハエのように私たちを悩ませ続けることがありえます… シラ書で語られているように、自分の最期の日について考えることは、恨み、憎しみの無限のサイクルを終わらせるのに役立つのです」と言われた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二=引用した聖書の日本語訳は「聖書協会・共同訳」による)

 

2020年9月13日

◎教皇講話「世界を癒やす」⑥「際限ない愛で新型コロナに立ち向かおう」

2020.09.09 Udienza GeneralePope Francis greets the faithful at the beginning of Wednesday’s General Audience. Beginning last week, the General Audiences have been held in the San Damaso courtyard at the Vatican.  (Vatican Media)

 教皇フランシスコは9日、水曜日恒例の一般謁見の「世界を癒やす」をテーマにしたカテキーシスで、「共通善」に関心を向けられた。

*「共通善」を共に追求する

  教皇はまず、「皆が共通善を共に追求すれば、新型コロナウイルス感染による危機から、もっとよく立ち直ることが可能になります」とされたうえで、今、利己的な目的のために危機を利用しようとする人々による「歪んだ関心が生まれてきている」ことを嘆かれた。

 そして「新型コロナ危機とその結果生じている社会・経済的な危機へのキリスト教徒の対応は、愛-特に私たちへの神の愛ーに基づくものです」と語られ、「(注:神が私たちを愛してくださったから)今度は、私たちがすべての人をー友人や家族だけでなく、敵でさえもー愛するように、求められています… それが難しいことは分かっていますですが、学べる、改善できる業なのです」と強調された。

   ・共通善とは、この場合、「世界の人々皆が、主が望まれるように、平和で安全に自由に生きることのできる、皆にとって善いもの」と解釈できる(「カトリック・あい」)

*「愛の文明」を築く

 続けて教皇は、愛は、私たちが個人的関係を作るのを助けてくれるだけでなく、(注:聖人となったパウロ六世とヨハネ・パウロ2世の両教皇が愛された表現を使って)「社会的、文化的、経済的、そして様々な関係を活発にし、『愛の文明』を構築できるようにします」と語られた。

 


また教皇は、「現在の起きている危機は、人それぞれの善が全体として社会の共通善と結びついており、その逆も真であることを、私たちに教えている」と述べ、「障壁、境界、あるいは文化的・政治的な区別を認識しないウイルスは、障壁、境界あるいは区別のない愛に、必ず、直面する」とし、危機の解決策が身勝手さや自己中心主義に汚染されるなら、「新型コロナ危機から脱出できたとしても、新型コロナが明確にした人間的、社会危機から脱出できないのは確実… (そうならないように)すべての人、特にキリスト教徒は、共通善を促進するために働く義務があります」と説かれた。

 

 

*倫理に根ざし、愛で育てられる政治

 教皇はさらに、政治にはしばしば芳しくない評判が立つが、それには理由がない訳ではない、とされ、それでも、「政治が、人間と共通善を果たすべき主たる義務とするなら、良い政治は実現可能… すべての人、特に社会的および政治的な約束と義務を持つ人々が、「倫理的原則に基づく」振る舞いをするようにし、「社会的、政治的な愛」をもって、それを伸長するように求められている、と強調。「キリスト教徒、一般の信徒は、ある特定のやり方で、その模範を示すように求められており、慈しみの徳のおかげで、固有の社会的な側面を育て、それを行うことができるのです」と語られた。

 

*私たちは社会的な愛を高めるように求められている

 最後に教皇は、「私たち社会的な愛を、一人ひとりの参加で高めるべき時は、今です」と言明。「各々が自分の役割を、例外なしに果たす必要があります… そうして、私たちの振る舞いを通して、最も慎み深い者でさえも、自分が抱いている神の姿がいくらか見えるようになるでしょう。神は三位一体、神は愛だからです」と言われ、「共通善のために」皆が力を合わせれば、神の助けをもって「私たちは、世界を癒やすことができるのです」と訴えられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

2020年9月9日

♰「”うわさ話”は、新型コロナよりも悪質な感染症」-23主日の正午の祈り

Pope Francis waves to the faithful at the Sunday AngelusPope Francis waves to the faithful at the Sunday Angelus  (Vatican Media)

*第二の方法:第三者の助けを求める

 相手が諭しを聞き入れない場合は、他の姉妹や兄弟たちの助けを求めるように、とイエスは言われる。

 教皇は、この第二段階は、「誰かを非難するために、2人または3人の証人の存在が必要、としたモーセの律法とは違います… 複数の証人を呼ぶのは、相手を非難し、裁くためではなく、助けるためなのです」と注意された。

 

*第三の方法:教会に申し出る

 複数の証人を同席させても、相手が罪を犯したことを認めないなら、教会共同体にこの問題を持ち込む。

 「それは、他の兄弟姉妹に影響を与える可能性がある。相手を立ち直らせるために、もっと大きな愛が必要とされます」と教皇は語られた。

*そして最後の方法は

 だが、教会の言うことも聞き入れないなら、「その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい」とイエスは言われる。

 教皇は、「この言い方は、相手を軽蔑しているように受け取られる可能性があります。しかし、実際には、このような思い切った言い方は、その兄弟姉妹を神の手に委ねるように、私たちを促している。天の父だけが、全ての兄弟姉妹の愛を合わせたよりも大きな愛を、その人に示すことができるからです」と説かれた。

 さらに「(注:この箇所ではイエスが異邦人や徴税人たちを悪く言っているように、見えるが)実際には、イエスは異邦人と徴税人を進んで受け入れ、当時の”伝統主義者”たちの反発を買っています」と指摘された。

 

*悪意あるうわさ話は共同体を傷つける

 続いて教皇は、私たちが、罪を犯した兄弟姉妹に愛を持って正すことをせず、(注:その人を非難するような)うわさ話をする道を選んだ時、何が起きるか、に言及した。

 「兄弟や姉妹が失敗したり、間違いを犯したりしたのを知った時、私たちがまず、するのは、そのことを他の人に話すこと。悪意のあるうわさ話をすることです… うわさ話は共同体の正常な動きを止め、傷つけます。”偉大なうわさ話の語り手”は悪魔だからです」とされたうえで、教皇は「うわさ話をしないように頑張りましょう。うわさ話は、新型コロナウイルスよりも悪質な感染症です」と強調された。

 

*兄弟姉妹愛のある諭しの健全な慣行を

 最後に教皇は、聖母マリアが、兄弟姉妹愛を持って諭そうとする私たちを助けてくださるように、と次のように祈られた。「健全な慣行によって、私たちの共同体に、新たな兄弟姉妹愛的な関係が、互いの赦し合いと、何よりも神の慈しみの無敵の力を基礎に、築かれますように」。

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

2020年9月6日

◎教皇連続講話「世界を癒やす」⑤”新型コロナ大感染”後の社会再建に必要なのは「連帯」

(2020.9.2 Vatican News  Devin Watkins)

教皇フランシスコは2日、聖ペトロ広場に集まった人々に直接対面する形での、水曜恒例の一般謁見を再開。「世界を癒やす」をテーマにした連続講話を続け、新型コロナウイルスの世界的大感染が終息した後の世界の中で、大感染が起こした社会的な様々な病弊を癒すためには、本物の連帯を信仰の徳を結合させる必要がある、と強調された。

講話の中で、教皇は、まず、コロナ禍でこれまで“screen-to-screen”を余儀なくされていた水曜恒例の一般謁見を、信徒たちとの”face-to-face”に戻すことについて、喜びを表されたうえで、新型コロナの大感染は私たちが、良くも悪くも、いかに互いに依存する関係にあるか、ということを再認識させた、と指摘。それゆえ、「連帯」が、「以前よりももっと良くなる形で、この危機から立ち直るための鍵になる」と説かれた。

そして、「すべての人は、神に共通の期限を持っており、”共通の家”-神が私たちを置かれた園である星ーに共に住み、キリストにおいて共通の目的地を持っています… しかし、このことをすべて忘れた時、私たちの『互いに依存する関係』は、他の人への『(注:一方的な)依存の関係』となり、不平等と差別を加速させ、社会組織を弱体化させ、環境を劣化させてしまいます」と警告。

 さらに、「連帯」という言葉は、少々陳腐で誤解されているだが、この言葉は、「散発的に寛容な行為をする」ということ以上の意味を持っている、と指摘。「連帯」は「共同体の観点から考え、少数の人々による物の収奪ではなく、すべての人の命を優先する考え方をもたらす」とされ、そして、それ以上に、「連帯」は「正義なのです」と強調。健全で実り多い相互依存は「神が創造された人類と自然に強い根を持つ必要があります。それぞれの顔を持った人々とこの地に敬意を払うものでなければなりません」と訴えられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2020年9月2日

♰ 「思い出し」「立ち帰り」「休息し」「修復し」「喜ぶ」ー 9月1日「環境保護のための世界祈願日」の教皇メッセージ

9月1日「環境保護のための世界祈願日」9月1日「環境保護のための世界祈願日」 

(2020.9.2 バチカン放送)

 9月1日、世界のキリスト教諸教会が参加する6回目の「環境保護のための世界祈願日」を迎え、教皇フランシスコがメッセージを出された。

 「環境保護のための世界祈願日」は、環境問題に対する関心と考察を深め、祈ることを目的とし、また、この日から10 月 4 日まで、被造物を保護するための祈りと行動の 月間、「被造物の季節(Season of Creation)」が、キリスト教諸教会と共に行われる。特に「アースデイ(地球の日)」の誕生より50周年を迎えた今年は、この期間を「地球のジュビリー(祝年)」として記念する。

 教皇は、2020年度「環境保護のための世界祈願日」のメッセージで、「地球のジュビリー」をキリスト教諸教会と共に祝うことに喜びを表すと共に、この「ジュビリー」において、私たちは何をすべきなのかを説いておられる。

**********

 メッセージの冒頭で、教皇は「この五十年目の年を聖別し、全住民に解放の宣言をする。それがヨベルの年である」という旧約聖書「レビ記」(25章10節)の言葉を引用し、聖書における「ヨベルの年(ジュビリー)」とは、「思い出し」、「立ち帰り」、「休息し」、「修復し」、「喜ぶ」べき、聖なる時です、とされた。

 ジュビリーは「思い出す時」、とされる教皇は、「私たちはまず、被造物の最終目的は「神の『永遠の安息日』に入ること」であることを思い起こさねばなりません」とされ、同時に、ジュビリーは、「愛の共同体として生きるという、被造物の本来の召命を心に留める恵みの時」であり、「創造主なる神、兄弟姉妹たち、そして私たちの”共通の家”に暮らす全被造物との関係性を改めて思い起こすように」と促された。

 また、ジュビリーは「立ち帰る時」でもあり、「この機会に、私たちは、断ち切られ、傷つけられた創造主、他の人々、全被造物の絆を取り戻さねばなりません」と訴え、「神に立ち返り、貧しく弱い人々をはじめとする他者を、再び思いやり、危機を告げる大地の叫びに耳を傾け、自然の秩序の中に戻る努力」を求めた。

 そして「神は、大地と人々を休ませるために、安息日を設けられましたが、今日の私たちの生活スタイルは、地球をその限界まで追いやり、絶え間ない生産と消費のサイクルは、環境を消耗させています」と警告。このジュビリーを「休息の時」とし、いつもの仕事の手を休め、習慣的な消費を減少させることで、大地を生まれ変わらせる必要がある、と説かれた。。

 さらに、「現在の新型コロナウイルスの世界的大感染は、ある意味で、私たちにより簡素で持続可能な生活様式を再発見させる契機となりました… 今こそ、無駄や破壊につながる活動をやめ、価値や絆や計画を育む時です」と訴えられた。

 このため、教皇は、ジュビリーは被造物の本来の調和を取り戻し、傷ついた人間関係を癒すための「修復の時」でもある、とされ、「一人ひとりに自由と財産を返し、他者の負債を免除しながら、平等な社会関係を再び築いていく」ことの必要性を強調。環境上の修復として、大地を癒し、気候のバランスを再び安定させ、生物多様性を守るよう、努力することを求められた。

 メッセージの最後で教皇は、ジュビリーは「喜びの時」とされ、大地と貧しい人々の叫びが高まる中、共通の家を再興し、最も弱い立場の人々を守るために一致するよう励ます聖霊の働きを示しながら、特にこの「被造物の季節」が真にエキュメニカルな取り組みとなったことに、大きな喜びを表された。

(編集「カトリック・あい」)

2020年9月2日

♰「すべてのキリスト教徒はイエスに倣い、神と隣人に奉仕するように呼ばれている」教皇、第22主日正午の祈りで

Pope Francis speaks during Angelus from the window at St Peter’s Square, at the Vatican  (Vatican Media)

(2020.830 Vatican News)

   教皇フランシスコは30日、年間第22主日の正午の祈りでの説教で、この日のミサで読まれた福音(マタイ16章21~27節)を取り上げられ、「十字架を負う」(24節参照)という言葉は、「私たちの命を神と隣人への奉仕に費やすことでイエスに倣う」ことを意味する、と説かれた。

Pope Francis speaks during Angelus from the window at St Peter's Square, at the Vatican

 この福音書の箇所では、イエスはご自身の受難、死、そして復活の神秘について、弟子たちに教えておられる。だが、「弟子たちはまだ、それを理解できません。なぜなら、彼らの信仰は未熟で、この世の理解の仕方にとらわれ過ぎているからです」とされた。

 そして、「ペトロと他の弟子たちにとって、そして私たちにとって、十字架は”つまずきの石”と見なされるのに対して、イエスは、その”つまずきの石”は十字架を免れようとするもの、つまり、父のご意思に沿おうとしないことを意味する、と考えておられるのです。それで、イエスは、ペトロを『サタン、引き下がれ』と強く叱責されたのです」と語られた。

 *イエスの真の弟子になる

 続いて、イエスは、「私に付いて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を負って、私に従いなさい」(24節)と弟子たちに言われるが、教皇は、この場面でイエスは「真の弟子のとるべき道ー二つの対応-を示されます。まず、自分自身を捨てることーこれは実際に回心することを意味します。そして、自分の十字架を負うことー日々の苦しみを辛抱強く耐えるだけでなく、信仰と責任を持って、悪との戦いを伴う労苦と痛みを担うことを意味するのです」と説かれた。

*この世の救いに参加する

 そして、この二つの対応のうち、後者について教皇は「『十字架を負う』という骨の折れる仕事によって、この世の救いに、イエスと共に参加するようになる… 十字架は、『兄弟姉妹、特に最も小さな人々、最も弱い人々への愛の奉仕を通して、キリストと結びつきたい』という私たちの熱望のしるしです」と言われ、さらに、「十字架は、神の愛とイエスの犠牲の聖なるしるし。迷信のお守りや飾りのネックレスにするべきものではありません」と指摘された。

 また、「私たちが十字架を見る時、このような事実を思い起こす必要があります。それは、イエスが、命を捧げ、罪の赦しのために血を流されることで、ご自分の使命を果たされたのだ、ということ。イエスの弟子になるために、私たちは、イエスに倣い、神と隣人への愛のために、自分の命を惜しみなく費やさねばなりません」と強調された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二=引用された聖書の日本語訳は、「聖書協会 共同訳」による)

 

 

2020年8月30日