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◎教皇連続講話「祈りについて」⑩「苦しみの時に祈ることを恥じるな」

(2020.12.9 Vatican News Devin Watkins)
教皇フランシスコは9日、水曜恒例位の一般謁見で「祈りについて」の講話を続けられその中で「嘆願の祈り」に焦点を当て、特に苦しみのときに湧き上がってくる叫びを大切にするように、信徒たちに強く求められた。
教皇は講話を、イエスが偉大さと謙虚さを祈る為に、弟子たちにどのようにして「主の祈り」を教えられたかーから始められた。
「主の祈り」で、「私たちは神に最高の贈り物を求めます。『御名が聖とされますように。御国が来ますように。御心が天に行われるように、地にも行われますように』と。しかし、同じ祈りで、私たちはまた簡明なもの、すなわち「毎日のパン」ー健康、家庭、仕事、そして、キリストに倣う生活に必要な聖体ーを求めるのです」と説かれた。
*暗闇の中で一筋の光を祈る
また、主の祈りの「嘆願の祈り」の部分は、「非常に人間的」なもの、と指摘された。「人は皆、人生のある時点で”自給自足の幻想”が崩れます。 人であることは、嘆願。時として、それは叫びとなりますが、叫ぶことを自制することも多い」が、人は皆、孤独や悲しみを経験し、 病気、不正、あるいは裏切りが勝ったように見えるとき、聖書は、最も弱い状態にある人の姿を見せることを躊躇しない、とされた。
そのうえで、「時には、すべてが崩壊し、これまでの人生が無駄になったように見えます。そうした一見、絶望的な状況で、取ることのできる唯一の方法は、主への叫びー『主よ、助けてください』という祈りです。 祈りは、最も深い暗闇の中に、一筋の光を生むことができるのです」と諭された。
*あらゆる被造物が叫ぶ
教皇は続けて、「すべての被造物は、嘆願の祈りを共有しています… 被造物のかけらのすべてが、神を願い求め、それが全うされる切望しています」と語られ、信徒たちに、幸せなときに祈ることを学ぶ必要があるが、暗闇にいて、祈る必要を感じたときに、それを恥と思わないように、と注意された。
そして、「私たちの中で自然に湧き上がってくる嘆願を抑えつけてはなりません…嘆願の祈りは、被造物としての私たちの限界と気質を受け入れることと、歩調を合わせているのです」と説かれ、「たとえ、抑えつけようとしても、深みからの叫びとして、現れるもの」と付け加えられた。
*神の応答を待つ
講話の最後に、教皇は「聖書が幾重にも明らかにしているように、神は応えてくださる」ことを、全ての人に請け合われた。「私たちの口ごもりながらの問いかけさえも、私たちの心の奥底に残っている問いかけさえも、父なる神は、お聴きになり、私たちに聖霊を送ってくださる、そして聖霊は、祈る人すべてを奮い立たせ、すべてを変容される」。そして、「私たちの仕事は、嘆願の祈りに対する神の応えを、辛抱強く待つことです」と締めくくられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
♰「待降節、『回心』の旅に取り掛かろう」待降節第二主日の正午の祈りで

(2020.12.6 Vatican News staff writer)
教皇フランシスコは6日、待降節第二主日の正午の祈りの説教で、主をお迎えする準備の期間である、この待降節に「回心の旅」に取り掛かるよう、勧められた。
教皇はこの日のミサで読まれた福音書(マルコ1章1~⒙節)を取り上げ、「待降節が私達に提示しているのと同じ”信仰の旅程”ー私たちがクリスマスに主をお迎えするために自分自身の準備をするということーが、この箇所で明らかにされています」とされた。
*「回心」の意味は?
そして、この箇所では、洗礼者ヨハネの働きを描き、「回心」がどのように悔い改めの道と神とその王国の探求に私たちを導くかについて語っている、と語られ、「回心」の意味について、教皇は「聖書は、何よりもまず、方向と注意の払い方を変えること、そうして私たちの考え方を変えることを意味します」と指摘。
さらに、「道徳的、霊的な生活において、『回心』するということは、自分自身を悪から善に、罪から神の愛に向きを変えることを意味するのです。洗礼者ヨハネが、罪の赦しを得るための悔い改めの洗礼を人々に説いていた時に、彼が教えていたのは、まさにそれでした。イエスが彼から洗礼をお受けになったことは、彼の説教を聴き、罪を贖う事を決意した人々の『回心』の目に見えるしるしだったのです」と説かれた。洗礼は水に浸されることでなされたが、「悔い改め、自分の生き方を変える意欲がなければ、それが無価値であることも証明した」と付け加えられた。
また教皇は、「回心」には、犯した罪のために苦しむこと、「罪から自分を解放したいという強い望み、自分の人生から永遠に罪を退けようとする意志」が含まれる、とされ、罪を退けるために、罪につながるすべてのものー世俗的な考え、快適、楽しみ、安楽、富への過度の傾きーを拒絶する必要があります」と語られた。
*罪と俗念を断つ
さらに、「繰り返しになりますが、私たちが見習うべきは、今日の福音書に描かれている洗礼者ヨハネの姿にあります。過ぎたるを求めず、欠くべからざるを求める、節度ある人… これが『回心』の第一の側面ー『罪と俗念を断つこと』ーです。そして、もう一つの側面は、『神とその王国の探求』です」とされたうえで、「しかし、安楽と俗念を捨てることそれ自体が目的ではありません。目的はもっと大きなもの、『神の王国、神との交わり、神との友情』を得ることにあるのです」と強調された。
だが、このような『回心』は決して容易なことではない。なぜなら、「私たちを罪に近づける多くの束縛ー不誠実、意気消沈、不健全な環境、悪い手本ーがある」ためで、「時として、私たちが主に対して感じる“押し”はあまりにも弱く、神がほとんど沈黙しているように見えることもあります」。そして、主の慰めの約束は、今日のミサの第一朗読、イザヤ書(40章1,11節)に描かれた思いやりと気配りのある羊飼いのように、遠い、非現実的なものであるように見えます」と語られた。
*「回心」は恵み
それゆえに「真の『回心』は不可能だ。この世から神に回心する代わりに、平凡な生活の”流砂”にとどまろう」という誘惑に陥るのは、たやすいことだが、 「このような場合、私たちには何ができるのでしょう?」と問いかけられた。
教皇は、この問いに答える形で、「まず第一に、『回心』は恵みであり、勇気を持って神に求めるものであることを忘れないように」と会衆を促し、「神の素晴らしさ、親切さ、優しさ」に心を開き、「真実であり、美しく、永遠に続くもののために、誤った、束の間ものを取り払う」ことを勧められた。
説教の最後に、教皇は8日の「無原罪の聖母マリア」の祝日を前に、聖母の助けを願う祈りを捧げられたー「神、神の御言葉、私たちを取り戻し、助けてくださる神の愛に、心を開くために、罪と俗念から、より一層、離れるように、私たちを助けてください」。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
◎教皇連続講話「祈りについて」⑨神の祝福に、私たちは賛美と感謝の祈りをもって返す」
♰「待降節は期待と希望の時」-待降節第一主日の正午の祈りで
♰「主よ呼びながら、目覚めて、朝の訪れを待とう」-待降節第一主日のミサ説教
♰ 「”緋色”の意味をかみしめ、脇道へそれることのないように」-教皇、叙任式で13人の 新枢機卿に”訓示”
(編集「カトリック・あい」=見出しも)
♰「カトリック教会の社会教説は私たちを『希望の仲介者』にする」第10回年次大会に
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
◎教皇連続講話「祈りについて」⑧愛は、信じる人たちの生活の神秘的な根幹
♰「『何が自分のためになるのか』で日々の選択をしよう」ー王であるキリストの主日、若者たちに
(2020.11.22 バチカン放送)
教皇フランシスコは22日、典礼年間の最後の主日「王であるキリスト」をバチカン・聖ペトロ大聖堂の「司教座の祭壇」でミサを捧げられた。ミサには、「世界青年の日」(WYD)世界大会の前回2019年の開催国パナマと、次回2023年開催国ポルトガルの若者たちの代表が参加した。
♰「私たちは謙虚な奉仕の扉を通って神の国に入る」ー王たるキリストの主日正午の祈りで
♰「危機の世界経済に新たな潮流を作り出す力となれ」ー世界青年経済人バーチャル会議「Economy of Francesco」に
♰「今こそ、”社会的友愛”実践の時」- 教皇、南米の新型コロナ・セミナーへメッセージ





