♰「カトリック教会の社会教説は私たちを『希望の仲介者』にする」第10回年次大会に

カトリック社会教説2009.6.29 カリタス・イン・ヴェリタテ 真理に根ざした愛          ※  ベネディクト十六世

Pope: Church’s social doctrine makes us agents of hope

教皇フランシスコは、教会の社会教義の第10回年次祭の参加者へのメッセージの中で、記憶、洗礼、希望を結びつけることの重要性を強調しています。

 また、キリスト教徒にとっての「明日」は「贖われた人生、つまり三位一体の愛との出会いの贈り物の喜びになります… この意味で、キリスト教徒であるということは、創造的で人類と世界の最終的な運命への展望をもち、過去への郷愁ー「真正の精神的病理学」ーの誘惑に屈することがない人です」と説かれた。

*過去にしがみつかない

 さらに教皇は、キリスト教徒の原動力は「郷愁をもって過去にしがみつくことではなく、『慈愛の人生』を生き、天の父の永遠の記憶にアクセスすること」と強調。ロシアの思想家イワノビッチ・イワノフの言葉を引用して、「なぜなら、『神が記憶しているものだけが、本当に存在するから』なのです」とされた。そして、「愛と経験に本質的に関連する記憶は、社会的、政治的、教会的領域において、『創造性を妨げ、私たちを堅固でイデオロギー的な人々にする郷愁』ではなく、人間の最も深い次元の1つとなる、と語られた。

*洗礼、人生、そして記憶

 「キリスト教徒として、私たちは皆、洗礼において生み出されました」とされた教皇は、「私たちは、神と、他の人と、そして被造物との交わりである人生を贈り物として受け取りました。私たちの人生は『キリストの人生そのもの』であり、私たちの中で彼の人生そのものを証ししない限り、この世界を信じる者として生きることはできません」と言明。

 そして、「三位一体の愛の生活に接ぎ木されて、私たちは、『神の記憶』を記憶できるようになります。そうして、愛であるものだけが、忘却に陥りません。それは、父と子と聖霊の愛の中に生きる理由を見つけるからです」と語られ、「このように見ると、私たちの人生全体が、何らかの形で『キリストの死と復活の典礼、真理の想起、永遠の記憶』であらねばなりません」と説かれた。

*信じる者として生きる

 また教皇は、「未来の記憶を生きることは、教会を『神の地上の王国の始まり、種となる」ようにすることを約束すること」とされ、「これは、社会に没頭する信徒として生きると同時に、『洗礼で受けた神の命を証しし、父と子と聖霊と共になる未来の命を、今も思い起こせるようにすること』を意味します… そうすることで、福音の宣言を単なる社会学的な地平、経済理論、または政治的派閥に還元する、というユートピア的誘惑を克服できるのです」と語られた。

 最後に教皇は「私たちは、人々の心を捉え、イエスの福音に目を向けるようにするために、自分の内にある神の力と創造性をもって、世界と関わる必要があります。そうして、私たちは新しい包括的な経済と、愛することができる政治の形態を促進する”種の計画”を助けることができます」と述べ、大会参加者たちに、故アドリアーノ・ヴィンチェンツィがこのテーマについての知識をもとに示した道を堅持し、”橋”の建設者になるように、促された。

結論として、教皇は教会の社会教義の祭典で社会のさまざまな関係者に演説し、ドン・がそのトピックについての知識を通して彼らのためにたどった道にとどまるように彼らに促しました-教皇が導く道彼らは橋の建設者になります。

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2020年11月27日