♰「戦うべき最大の貧困は、私たちの”愛の貧困”」ー15日・貧しい人のための世界祈願日に 「貧しい人のための世界祈願日」教皇フランシスコ司式のミサ 11月15日 バチカン・聖ペトロ大聖堂で (Vatican Media) (2020.11.15 バチカン放送) 11月15日、「貧しい人のための世界祈願日」が記念され、教皇フランシスコはこの日バチカンで司式したミサの説教で、貧しい人々への奉仕へ信者らを招かれた。 この祈願日は、「最も貧しく助けを必要とする人々に対するキリストの愛を、教会全体が具体的に証しすること」ができるように、2017年、教皇フランシスコによって設立された。今年で第4回目となった同祈願日に、教皇によるミサが、新型コロナウイルス感染拡大防止対策をふまえ、バチカン・聖ペトロ大聖堂の「司教座の祭壇」で、限られた参加者たち と共に捧げられた。 教皇はミサ中、この日の福音朗読箇所、マタイ福音書の「タラントン」のたとえ話(25章14-30節)を取り上げ、説教を行われ、冒頭、このたとえ話は、主人が僕たちに「それぞれの力に応じて」(25章15節)自分の財産を託す、という「大きな善」によって始まる、と語られた。 そして「私たちの人生もすべては『神の恵み』から始まり、御父なる神は、私たちそれぞれに異なる才能を託されながら、私たちの手の中に多くの善を与えられます」とされ、「私たちはしばしば、自分の人生に足りないものだけを見て嘆きますが、『もし…があったなら』という幻想は、神から与えられた善を見つめることを妨げ、自分の持つ才能を忘れさせてしまいます」と注意された。 また、「神は私たち一人ひとりをご存じで、1タラントンを預けた僕にそうされたように、私たちますの弱さにもかかわらず、信頼のうちに恵みを与えられ、主の帰りを待つ間に、その与えられたものをもって励むようにと招かれます」とされた。さらに、このたとえ話における僕の務めとは、「才能を活かして『奉仕』し、人生に意味を与えること。奉仕しない人生は生きる意味がありません」とし、「忠実な良い僕」と呼ばれているのは、「与えられたものを取っておかず、それをもとに、リスクを冒して努力した人たちです… それは、善は投資しないと、失われてしまうからです」と話された。 さらに教皇は、「キリスト者が守りの姿勢に始終し、掟を守ることだけに専念しているのは悲しいこと」と語り、1タラントンを預かりながら地の中に隠しておいた「怠け者の悪い僕」の姿と重ねられた。そして、主人から「悪い僕」とまで呼ばれるこの僕は、「実際には、何も悪いことをしていませんが、善いこともしていないのです」と指摘。神の御旨に従って奉仕するには、たとえ話の主人が怠け者の僕に「預けた金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、利息付きで返してもらえたのに」と言ったように、「私たちにとって、恒久の利息を与えてくれるこの銀行とは、『貧しい人々』のこと」と説かれた。 そして、「貧しい人々はわたしたちに永遠の利益を保証し、今から、愛によって私たちを豊かにしてくれます… 戦うべき最も大きな貧困とは、私たちの愛の貧困です」と強調され、奉仕に生きる多くの神の忠実な僕たちに感謝を述べながら、特にすべての人々の中にイエスを見出し、多くの貧しい人々に手を差し伸べたイタリア・コモ教区の故ロベルト・マルジェシーニ神父を思い起こされた。 最後に教皇は、「言葉だけでなく行いを伴うキリスト者」となる恵みを神に祈られた。 (編集「カトリック・あい」) ツイート
「貧しい人のための世界祈願日」教皇フランシスコ司式のミサ 11月15日 バチカン・聖ペトロ大聖堂で (Vatican Media) (2020.11.15 バチカン放送) 11月15日、「貧しい人のための世界祈願日」が記念され、教皇フランシスコはこの日バチカンで司式したミサの説教で、貧しい人々への奉仕へ信者らを招かれた。 この祈願日は、「最も貧しく助けを必要とする人々に対するキリストの愛を、教会全体が具体的に証しすること」ができるように、2017年、教皇フランシスコによって設立された。今年で第4回目となった同祈願日に、教皇によるミサが、新型コロナウイルス感染拡大防止対策をふまえ、バチカン・聖ペトロ大聖堂の「司教座の祭壇」で、限られた参加者たち と共に捧げられた。 教皇はミサ中、この日の福音朗読箇所、マタイ福音書の「タラントン」のたとえ話(25章14-30節)を取り上げ、説教を行われ、冒頭、このたとえ話は、主人が僕たちに「それぞれの力に応じて」(25章15節)自分の財産を託す、という「大きな善」によって始まる、と語られた。 そして「私たちの人生もすべては『神の恵み』から始まり、御父なる神は、私たちそれぞれに異なる才能を託されながら、私たちの手の中に多くの善を与えられます」とされ、「私たちはしばしば、自分の人生に足りないものだけを見て嘆きますが、『もし…があったなら』という幻想は、神から与えられた善を見つめることを妨げ、自分の持つ才能を忘れさせてしまいます」と注意された。 また、「神は私たち一人ひとりをご存じで、1タラントンを預けた僕にそうされたように、私たちますの弱さにもかかわらず、信頼のうちに恵みを与えられ、主の帰りを待つ間に、その与えられたものをもって励むようにと招かれます」とされた。さらに、このたとえ話における僕の務めとは、「才能を活かして『奉仕』し、人生に意味を与えること。奉仕しない人生は生きる意味がありません」とし、「忠実な良い僕」と呼ばれているのは、「与えられたものを取っておかず、それをもとに、リスクを冒して努力した人たちです… それは、善は投資しないと、失われてしまうからです」と話された。 さらに教皇は、「キリスト者が守りの姿勢に始終し、掟を守ることだけに専念しているのは悲しいこと」と語り、1タラントンを預かりながら地の中に隠しておいた「怠け者の悪い僕」の姿と重ねられた。そして、主人から「悪い僕」とまで呼ばれるこの僕は、「実際には、何も悪いことをしていませんが、善いこともしていないのです」と指摘。神の御旨に従って奉仕するには、たとえ話の主人が怠け者の僕に「預けた金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、利息付きで返してもらえたのに」と言ったように、「私たちにとって、恒久の利息を与えてくれるこの銀行とは、『貧しい人々』のこと」と説かれた。 そして、「貧しい人々はわたしたちに永遠の利益を保証し、今から、愛によって私たちを豊かにしてくれます… 戦うべき最も大きな貧困とは、私たちの愛の貧困です」と強調され、奉仕に生きる多くの神の忠実な僕たちに感謝を述べながら、特にすべての人々の中にイエスを見出し、多くの貧しい人々に手を差し伸べたイタリア・コモ教区の故ロベルト・マルジェシーニ神父を思い起こされた。 最後に教皇は、「言葉だけでなく行いを伴うキリスト者」となる恵みを神に祈られた。 (編集「カトリック・あい」)