☩9月25日「世界難民移住移動者の日」に向けてー「より良い未来は”異国の子ら”と築かれねばならない」

A migrants holds Pope Francis' hand during his visit to Lesbos in 2016A migrants holds Pope Francis’ hand during his visit to Lesbos in 2016 

 教皇フランシスコが 9月25日の「世界難民移住移動者の日」に向けたメッセージを発表され、「より良い生活を求めて家を出た人々の助けを受けて、私たちの未来を築くこと」の必要を説かれ、「難民、移民の人たちと共に未来を築くということは、彼ら一人ひとりが未来構築の過程にどれほど多く貢献できるかを認め、評価することを意味します」と述べられた。

 「世界難民移住移動者の日」は1970年に当時の教皇パウロ6世が、バチカンに移住・移動者司牧評議会を設置したのを受け、毎年9月第四日曜日を「世界の各小教区とカトリック施設が、国籍を超えた神の国を求めて、真の信仰共同体を築き、全世界の人々と『共に生きる』決意を新たにする日」としたもの。

 教皇はメッセージで、真の天の故郷に向けた人類の「旅」について考察され、「神の王国は、イエス・キリストによる救いを受け入れた人々の中にすでに存在しています」とされたうえで、「私たちが神の王国の実現へ旅するとき、一人ひとりが回心に努め、私たちの世界を変革し、これまで以上に神の計画と調和したものとなるようにせねばなりません」と説かれた。

*『人類と共に神が住まう場所』への道は遠い

 そして、人類の歴史において悲劇が続いていることを嘆かれ、「それは、私たちが『人類と共に神が住まわれる場所』への道をまだ歩んでいないことを、思い起こさせます」と述べられたうえで、「近年の数々の苦難で学んだことを踏まえ、『誰もが平和と尊厳の中で生きることができる世界」という神の計画に一致する未来を築く約束を新たにすることが求められています」と強調。「『王国の義』を求め、キリストの救いの『愛の福音』を受け入れることで、その旅を進めることができるのです」と語られた。

*すべての不平等と差別は排除せねばならない

 さらに教皇は、「すべての不平等と差別は、社会から排除されねばならず、いかなる人も排除されてはならない」とされ、「神の計画は、本質的にすべての人を包むものであり、中でも社会の周辺に置かれた人々を優先します。そして優先すべき人の中に、移民や難民、避難民、人身売買の犠牲者がいます」と指摘。キリスト教徒は「自分たちの住む家を追い出された人々」と共に神の王国を築ねばならず、「最も弱い立場にある人々を仲間に入れることは、神の王国で完全な市民権を得るための必要条件です」とされた。

*移民・難民の受け入れ国での価値と可能性

 教皇はまた、「移民・難民と共に未来を築くために、彼らの新しい住まいとなる国において、彼らの価値と可能性を認めることも必要」と語られ、預言者イザヤが「シオンの栄光」(イザヤ書60章)で語っているように、「異国の子ら」は「『侵略者』や『破壊者』ではなく、より良い社会への『意欲的な働き手』と見なされるべきです」と強調。

 そして、移民・難民が、受け入れられた国で、社会的、経済的成長にための貴重な資源を提供してきたことを歴史が示しており、「彼らの働きぶり、若さ、熱意、そして犠牲を厭わない高い意欲は、彼らを受け入れる共同体社会を豊かにします。しかも、念入りに作られたプログラムとその実行でそれが最適な形で支援されれば、彼らの貢献はさらに大きいものとなる可能性があります。チャンスが与えられれば、大きな可能性があり、すぐに活用できるようになるのです」と説かれた。

 

*霊的刷新にも貢献する

 さらに教皇は、数多くの問題を示される一方で、移民・難民は「いくつもの共同体社会が世界をよりよく理解し、精神的な成長に貢献するのを助けることができます」とし、カトリックの移民・難民は「彼らを受け入れる共同体社会で教会活動を活気づけることができる… 信仰と献身のさまざまな表現を共有することは、神の民の普遍性をより完全に体験するための特別の機会を私たちに与えてくれます」とされ、海外から入国してくる兄弟姉妹を暖かく迎えるように勧めることで、メッセージを締めくくられた。

【世界難民移住移動者の日のための祈り】

 最後に教皇は、「世界難民移住移動者の日」のための特別な祈りに、信徒たちを招かれた。

主よ、私たちを希望の担い手にしてください
闇があるところに あなたの光が輝くように
落胆があるところに 将来への自信が生まれるように

主よ、私たちをあなたの正義の道具にしてください、
排除があるところに 友愛が栄えるように                                                           貪欲があるところに 分かち合いの精神が育つように

主よ、私たちをあなたの王国の建設者にしてください
移民や難民と共に
そして、周辺に住むすべての人と共に

主よ、兄弟姉妹として一緒に暮らすことが どれほど美しいかを                                              私たちが学ぶようにしてください  アーメン。

 

 (翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2022年9月23日

☩「喜びと情熱に満ちた出会いだった」教皇、一般謁見でカザフスタン訪問を回顧

教皇フランシスコ 2022年9月21日の一般謁見 バチカン・聖ペトロ広場

(2022.9.21 バチカン放送)

 教皇フランシスコは21日の水曜恒例の一般謁見で、先週の3日間にわたるカザフスタン司牧訪問について報告された。

 講話の要旨次の通り。

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 先週、私は中央アジアの広大な国、カザフスタンを訪れました。「世界伝統宗教指導者会議」への参加を主な目的としていました。

 カザフスタン当局が20年前から開いているこの会議は、宗教界における出会いと対話の場所として、また平和と人類の兄弟愛の積極的な推進者としての役割を世界に示してきました。3年ごとに開催され、カザフスタン独立から30年の間に7回を重ねている。

 この会議は、参加者が互い耳を傾け、多様性を尊重した世界構築のための取り組みの中心に宗教を据えることを意味しています。体制のくびきから解放された後、カザフスタン政府は、原理主義、過激主義を断固として退けながら、文明の道を示してきました。

 会議は討議を経て最終宣言を採択した。これは2019年アブダビで署名された人類の兄弟愛をめぐる共同文書の精神の継続を表すものでした。このような実りに至るまでには、聖ヨハネ・パウロ2世が1986年に行った歴史的な平和のための諸宗教の集いや、聖ヨハネ23世や聖パウロ6世、また他宗教ではマハトマ・ガンディーなどに代表される偉大な人々の先見的眼差しを経た、遠い道のりがあったといえます。

 同時に、神と平和と兄弟愛への忠実のために自らの命を犠牲にした、あらゆる国々の多くの殉教者たちのことを忘れることができません。荘厳な機会をもつことも大切ですが、日々の生活における努力や具体的な証しこそが、すべての人のためのより良い世界を築くのです。

 カザフスタン訪問では、世界伝統宗教指導者会議への参加のほかに、大統領や、同国の要人、現地の教会共同体との出会いを持つことができました。国内の各界代表との会見で、私は、カザフスタンの「出会いの国」としての召命を強調しました。同国ではおよそ150の民族が共存し、80以上の言語が話されており、このような召命は励まされ、支えられるに値します。

 さらに、この会見では、カザフスタンが社会全体の要求に効果的に応えられる成熟した民主主義の構築にこれからも、積極的に進んで行けるように願いました。

 カザフスタンの教会共同体との出会いは、喜びと情熱に満ちたものでした。広大なこの国で、カトリックはごく少数派です。しかし、信仰をもって生きるなら、福音の実りをもたらすことができるでしょう。そこには、主のみを信頼する小さき者、パン種、塩、光であることの幸いがあります。少数であることで、他のキリスト教会をはじめ、皆との兄弟的関係を育てることも求められています。小さな群れであるからといって、自らを閉ざすのではなく、聖霊の働きに信頼し、開かれた教会にする必要があります。

 この出会いでは、長い迫害の時代、信仰のために大きな苦しみを受けた神の聖なる民の殉教者たちも、思い起こしました。

 首都ヌルスルタンで捧げたミサでは「十字架称賛」を祝いました。進歩と退化が交差する世界で、神の愛に基づくキリストの十字架は、救いの錨(いかり)、失望させることのない希望であり続けます。神にこの訪問を感謝し、それがカザフスタンの未来と同国の教会生活に実りをもたらすことを、改めて祈ります。

(編集「かとりっく・あい」)

2022年9月22日

☩「思いと祈りで『気高い殉教者たち』に寄り添うように」―教皇、”イジューム”での集団虐殺発見に深い悲しみ

Pope Francis during Wednesday's General AudiencePope Francis during Wednesday’s General Audience  (Vatican Media)

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イジューム郊外の森の中で見つかった集団墓地の調査現場。発掘された遺体が袋に収容されている (AP Photo/Evgeniy Maloletka)

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2022年9月21日

☩「対話に努め、貧しい人たちの近くにいるように」教皇、セミナー参加の新司教たちに

Pope Francis meeting with new Bishops participating in the formation course organized by the Dicasteries for Bishops and for Eastern Churches
  (Vatican Media)

 アフリカ、アジア、アメリカ、オセアニアの新司教たちなど約200人が参加するバチカン福音宣教省主催の教育セミナー「新型コロナウイルスの世界的大感染後の変化の時代における福音宣教‐司教の奉仕」が1日から教皇庁立使徒聖パウロ大学で開かれ、教皇フランシスコがセミナー最終日の19日朝、バチカン宮殿で参加者たちと会見された。会見は、自由で率直な意見交換ができるように非公開で行われた。

 出席者によると、教皇この会見は1時間半にわたって行われ、新司教たちを歓迎するとともに、「貧しい人たちの近くにいることを忘れないように。この地球上で、すべてのものは互いに結びついており、すべてのものはケアを必要としていることを認識するように」と求められた。

 また、教皇は彼らに、「先輩の司教たちから直接、話を聞くようにー彼らのこれまでの経験、置かれている状況、そして願いを聞くように」と勧められた。

 セミナーに参加した新司教の一人、ブラジルのマウリシオ・ダ・シルバ・ヤルディム司教によると、この会見も、それに先立つセミナーの一連の会議も、教皇が以前から強調されておられるsynodal(共働的)雰囲気にあふれた形で行われ、議長役がテーマを絞って話した後、参加者に、今世界中で起きている具体的な課題や問題ー飢餓、暴力、社会的不平等、移民・難民、政治的危機や健康上の危機、倫理的、社会的問題ーについて自由に語るように会議が進められた。この中で、アマゾン地域で深刻になっている鉱業開発や違法森林伐採など環境破壊の問題なども、参加者や教皇に関心を深めてもらえた、という。

 また、セミナーの他の会議では、教皇フランシスコが出された使徒的勧告「(家庭における)愛の喜び」、回勅「兄弟の皆さん」、環境回勅「ラウダ―ト・シ」などを改めて深く読み直す機会が与えられ、様々に異なる現場に置かれている新司教たちが共に歩み、「民の牧者」であるように励まされ、教皇が提唱される福音宣教の原則ー霊的交わりと参加の synodal(共働的)な教会の実現ーに沿って、自分の教区でどのように取り組むかについてのアイデアをもらう機会ともなった、という。

 また教皇は、この一連の新司教セミナーの機会に、17日、宣教地域から参加した司教たちとも会見し、新司教たちに対して、「常に信徒のそばにいること、主との交わり、自分の教区の司祭との交わりを深めること」と求められた。そして、「常に祈るように。祈りがなければ、主から離れ、”枯れてしまう”」と司牧における祈りの重要性を強調された。参加したある司教によれば、教皇は、司教たちが兄弟として団結すること、同僚の司教、司祭、信徒たちの教区の共同体の傍にいるように、と強く呼びかけられた、という。

 (翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2022年9月20日

☩「『不正な管理人』に学ぶー常に善をなすため、創造的で、かつ賢くあれ」年間第25主日の正午の祈りで

Pope Francis at the Sunday AngelusPope Francis at the Sunday Angelus  (Vatican Media)

(2022.9.18 Vatican News  Thaddeus Jones)

 教皇フランシスコは18日、年間第25主日の正午の祈りの説教で、世界の信徒たちに対し、「創造性、慎重さ、さらには賢さをもって、日々の生活の中で福音を実践し、この世の富を最も必要とする人々のために惜しみなく使い、兄弟愛と社会的な連帯を示すように」と呼びかけられた。

 教皇は説教で、この日のミサで読まれた福音書の箇所(ルカ16章1‐13節)にある、主人の財産を無駄遣いしているのが見つかり、解雇されようとする「不正な管理人」のたとえ話を取り上げられた。たとえ話では、管理人が主人に解雇を言い渡される、と素早く、巧妙に、窮地から抜け出す方法を見つけた、とされている。

 

*「不正な管理人」のたとえ話で、イエスが教えようとされていることは

 教皇は「このたとえ話でイエスが何を言われようとしているのか、すぐに理解するのは難しい。イエスが私たちに何を教訓として伝えようとされているのか、熟考する必要があります」と語られた。

 そして、この管理人のとった行動について、まず、「彼は、自分の運命だとあきらめたり、”犠牲者”を演じたりするのではなく、窮地を脱する方法を見つけ、抜け目なく行動した」ことに注目され、「この世の子らは、光の子らよりも、自分の仲間に対して賢く振舞っている」(16章8節)というイエスの言葉に注意を向けられた。「光の子は時として、機敏さを欠き、甘すぎ、困難を脱する方法を積極的に見つけようとしない…」。

*賢さと創造性をもって、自分と他者のために“富”を使うこと

 「賢さと創造性は、善のために、人々に仕えるために、使うことができる」と指摘された教皇は、「福音に従おうとするとき、私たちは目を覚まし、現実を識別する注意深さが必要で、自分と他者にとって好ましい解決策を見つけるために創造性も求められる、ということを、このたとえ話でイエスは教えておられるのです」と説かれた。

 さらに教皇は、「このたとえ話で、イエスが私たちに教えようとされているもう一つのことは、『寛大さをもって、私たちが持っているものを他の人たちと分かち合い、奉仕することを通して、兄弟姉妹の関係を作る必要がある』ということです」とされた。

 そして、「たとえ話の、狡猾な管理人は、不正ややり方で自分のためにためていた富を、他の人と分かち合うことで、自分を助けてくれる友人を作ろうとしたこと」を思い起され、「私たちが永遠の命を受け継ぐために、この世に富を積む必要はありません。重要なのは、私たちが兄弟姉妹の関係を通じて表現する愛なのです」と強調。

  具体的には、「この世の富を、自分自身を助けるためだけに使うのではなく、慈しみと愛、友情にあふれた関係を他の人たちとの間に作り、特に最も弱い人々との間に友情と兄弟姉妹愛を育てるのに使うこと」であるとされた。

 

*キリスト教徒はこの世の不正に落胆したり、無関心になってはならない

 説教の最後に、教皇は、「今日、汚職、不正直な行為、不公平な政策、利己主義が、個人と組織に蔓延しているという話を、私たちはどれほど耳にしているでしょうか。しかし、私たちキリスト教徒は、そのことで落胆したり、もっと良くない場合は、それを無視し、無関心になったりしてはなりません」と訴えられ、次のように締めくくられた。

 「私たちは、福音が示す思慮深さと賢明さをもって、善をなし、この世の富ー物だけでなく、主からいただいた賜物すべてーを、自分を豊かにするだけでなく、兄弟姉妹愛と社会的連帯を生み出すために使うことに、想像力を発揮するよう求められているのです。聖母マリアに願いましょうー私たちがあなたに倣い、ひたすら主を頼みとし、互いのための慈愛の業において豊かであるよう、助けてください」。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2022年9月18日

☩「ウクライナ・自衛のための武器供与は道徳的であり得る」「戦争を始めた国との対話は困難でも必要」教皇、機中会見で(VN)

 記者会見での一問一答は以下の通り。(Vatican Newsによる非公式英語訳から翻訳)

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Q: Zhanat Akhmetova=カザフスタンのテレビ局KHABAR=こんにちは、教皇様。カザフスタンにおいでいただき、ありがとうございました。今回のご訪問で、私たちカザフスタン人についてを含め、新たな発見はありましたか?

*「時が許せば、またカザフスタンでの世界宗教者会議に参加したい」

教皇:カザフスタン訪問は驚きでした。私はこれまで、お国を含む中央アジアについて、(注:ロシアの作曲家)ボロディンの音楽(交響詩「中央アジアの草原にて」)以外に、本当に何も知らなかったのです。ですから、中央アジアの国々の代表者たちを知ることは驚きでした。そしてまた、カザフスタンは本当に驚きでした、

 なぜなら私が予想していなかったことに出会ったからです。知的な手法でとても発展した国、都市であることを知りました。独立して30年で、ここまで発展したとは思ってもいませんでした。

 お国は、人口1900万人の、信じられないほど大きな国です。とても規律が行き届いていて、美しい。とても美しく、都市建築はよく均衡が取れ、よく配置されています。近代的な都市、「未来都市」と言ってもいいくらいです。とても印象的だったのは、産業、経済、物質的な面だけでなく、文化面でも発展したいという、人々の熱意が感じられたことでした。これは予想もしなかった驚きです。

 それと、私が参加した第7回世界伝統宗教代表者会議。これはとても重要な会議でした。その会議を主催したカザフスタンは、先見の明のある国であり、通常であれば無視されている人々を対話に引き込むことに貢献しました。宗教的価値を最初に捨てようとする”進歩的”な認識を強める世界にあって、それに抗する提案をする会議。この会議は、今回ですでに7回も開かれました。時が許せば、私は次回も参加したい。あなたがたカザフスタンの人たちは、自分の国、祖国を誇りにできます。

Q:Rudiger Kronthaler=ドイツ公共放送連盟(ARD)=平和のメッセージをありがとうございます。私たちのドイツには、80年前に起きた何百万人もの死に責任があります。平和について質問したいと思います、ドイツ国民は何百万人もの死に責任があるので、私たちは学校で、自分たちは決して武器を使うべきではない、決して暴力を振るうべきではない、と教えられています。そうした中で、武器使用の唯一の例外は自己防衛です。あなたは、現在のウクライナに武器は提供されるべきだと思いますか?

 

*「ウクライナ自衛のための武器提供は、条件を満たせば道徳的であり得る」

教皇:それは政治的な決定であり、多岐にわたる道徳の条件に従ってなされるなら、道徳的であり得るし、受け入れることができます。それ(武器の提供)がより多くの戦争を引き起こしたり、武器売買や、不要になった武器の処分を目的としたものであれば、不道徳になる可能性があります。

 動機は、この行為の道徳性とつながります。自分自身を守ることは合法であり、そればかりか国への愛の表現でもあります。自分を守らない人、何かを守らない人は、それ(自分の国)を愛さない。守る人は、それを愛します。

 ここであなたの質問に関連して、私がこれまでのスピーチの一つで言ったこと、「『正義の戦争』の概念について、もっと考えるべきだ」と言ったことに触れましょう。今日、誰もが平和について話しています。何年もの間、(第二次世界大戦が終わった後)70年の間、国連では平和について話され、平和について非常に多くの演説がなされました。しかし今、いくつの戦争が起きていますか?あなたが言われたウクライナとロシアの間で、アゼルバイジャンとアルメニアの間では”平和の仲介人”となったロシアが、こちらでは戦争を起こしています。.

 中東では、シリアで10年にわたる内戦が続いています。なぜ止められないのですか?どのような利害が絡んでいるのでしょうか?そして、アフリカでは、ソマリア、モザンビーク北部、エリトリア、エチオピアの一部…。アジアではミャンマー。ジプシーのようにあちこち行き来させられ、平和を見い出すことのできないロヒンギャの人たちがいます。私たちは世界大戦の最中にあるのです。

 私が子供の頃のお話をしましょう。1945年、9歳のある日のこと。ブエノスアイレス最大の新聞が声高に叫び続け、町中に響き渡っていたのが、急に静かになりました。「どうしたの?」と母が言いました。すると近所の人が来て、「戦争が終わったのよ!」と叫びました。そして、母さんとその人が、終戦の報に泣いて喜びました。女性たちは、どのような戦争よりも平和が素晴らしいことを知っていたので、平和が戻ってきた時、泣いて喜のだのです。今でもその時の情景が忘れられません。

 

*「私たちは、平和を泣いて喜ぶような教育を受けているか」

 翻って今日、私たちは平和を目の当たりにして泣いて喜ぶような教育を受けているでしょうか?すべてが変わりました。戦争を起こさなければ、あなたは役に立たない!そして武器売買のビジネス。これは暗殺者の商売です。ある統計の専門家が私に「世界の武器製造を1年間やめるだけで、飢餓問題はすべて解決できる」と言ったことがあります。- それが本当かどうか分かりませんが、武器の製造は、飢餓問題の解決に役立たない。武器を作らなければならないので、飢餓問題は解決できません。

 数年前のこと。イタリア中西部のジェノヴァの港に、武器を積んだ船が到着し、南スーダン近くのアフリカの港に向かう大型船にそれを積み替えようとしました。その作業を請け負うはずの港湾労働者はそれを断った。収入が減るのを承知で、「私たちは協力しない」と言ったのです。平和の意識を感じさせる出来事でした。

 

*「自衛権はある、だが戦争そのものは間違いだ」

 あなたはご自分の国について話されました。私が皆さんから学んだことの一つは、過去の戦争の過ちを悔い改め、赦しを請う能力です。そして、赦しを請うだけでなく、戦争の過ちを償うために行動する… 私たちが真似るべき模範です。言うまでもなく、戦争そのものは間違いです!そして今、私たちはこの空気を吸っている。戦争がなければ、命が保てないかのように。少々、とりとめもなくお話ししましたが、「正義の戦争」について私が言いたかったことはすべてお話ししました。ただし、自衛の権利はあります。必要なときだけ、それを使用してください。

 

Q: Sylwia Wysocka=ポーランド通信社(PAP)=あなたは、このようにおっしゃいました。「私たちは決して暴力を正当化することはできません」と。しかし今、ウクライナで起きていることはすべて、ロシアによる純粋な暴力、死と完全な破壊をもたらす行為です。私たちポーランド人は、ウクライナからの200万人の難民を抱え、戦争を非常に身近に感じています。この問題に”レッド・ライン(越えてはならない一線)”があるとお思いですか? 私たちはモスクワとの対話にオープンです。非常に多くの人々がこのことを理解するのに苦労しています。そして、教皇の次のご訪問先がキエフになるかどうかもお聞きしたいと思います。

 

*「戦争を始めた国、侵略者に対しても、対話を排除してはならない」

教皇:お答えしましょう。戦争を始めた国との対話の必要について理解するのはいつも難しいと思います。難しいことですが、その可能性を捨ててはなりません。私たちは対話の機会をすべての人に、すべての人に広げなければなりません!なぜなら、私たちが物事を変え、あるいは別の視点、別の視点、別の考慮すべき事項を提供できる可能性が、対話の中に常にあるからです。

 私は、戦争を始めた国であろうと、侵略者であろうと、いかなる大国との対話も排除しません。時には対話が怪しいと思われる時にも、行われなければならない。常に一歩先を行き、手を差し伸べる。そうでなければ、私たちは平和への唯一の合理的な扉を閉ざしてしまいます。

 時には対話を受け入れない人もいます。それでも、対話は常に行われなければならず、少なくとも、その機会は提供されなければならない。これは提供する人々にとって良いことです。彼らが呼吸するのを助けます。

 

Q: Loup Besmond de Senneville= LA CROIX= あなたが参加された世界伝統主教者会議で、価値観と倫理について多くの議論があり、一部の宗教指導者は、「道徳的劣化のために西欧の喪失が起きている」と指摘しました。これについてどう思われますか?西欧は滅びの危機に瀕しており、その価値の喪失に脅かされていると思いますか? 個人的には、安楽死について、人生の終わりについて、イタリアだけでなく、フランスやベルギーでも起きている議論に関心がありますが。

 

*「欧米は間違った道を歩んでいる、地中海諸国は”人類の墓場”」

教皇:欧米が、概して、最高水準の模範でなくなっているのは事実です。もはや”初聖体の時の子供たち”ではありません。欧米は間違った道を歩んできました。例えば、社会的不公正。社会正義について、少しばかり進んでいる国もありますが、私の大陸であるラテンアメリカも西欧です。地中海諸国も西欧ですが、今や、「欧州」ではなく、「人類」にとって最大の墓場になっています。

 欧米は、外からの人々を必要とする時に、喜んで迎え入れることを忘れることで、何を失ったと思いますか? 私たちが置かれている”人口動態の冬”を考えましょう。外からの人々を必要としているのです。スペインで、そして イタリアでも、”空っぽの村”が出てきており、そこには20人のお年寄りの女性しかいません。そのほかには誰もいないのです。

 よその人を歓迎し、共に歩み、発展し、一緒になる、という原則に移民を含む政策を、西欧諸国はなぜ作らないのでしょう?「いいえ」と言い続け、何もせずに放置しています。それは価値についての理解の欠如です。欧米がそのことを認識したとき、移民を受け入れる国になります。

 私の国アルゼンチンの人口は4500万人余りですが、先住民は 100万人弱で、多くの国民が移民のルーツを持っています。スペイン人、イタリア人、ドイツ人、スラブ系ポーランド人、スラブ系の人、小アジアの人、レバノン人… 混血し、そうした経験が私たちをとても助けてくれました。

 ラテンアメリカ諸国は政治的にうまくいっていませんが、西欧からの移民は知的で親しみやすい資質でも国に貢献しています。その価値も、(注:かつて移民を送り出す側だった)欧米諸国は真剣に受け止めるべきだと思います。

 

*「”人口動態の冬”を迎える中で、移民問題を放置できない}

 (移民の受け入れで腰が定まらない中で)”人口動態の冬”を迎えた私たちは、どこへ行くのでしょうか? 人口動態の面で、欧米は衰退しつつある。もう少しで”期限切れ”になります。”敗北”です…

 政治・経済的な面についても考えてみましょう。欧米では、過去に多くの素晴らしい仕事が行われてきました。それを担ったのは、(フランスの政治家)シューマン、(ドイツの政治家)アデナウアー、(イタリアの政治家)デ・ガスペリなど(欧州連合=EU=の父と呼ばれる)偉大な精神をもった政治家たちでした。現代の欧米の政治家にも素晴らしい人はいますが、社会を前進させることができずにいる。話し合い、互いに敬意をもって接する必要があります。そうしなければ、ポピュリズム(大衆迎合主義)に陥る危険がある。

 そのような”社会政治国家”で何が起きるか? ポピュリズムのメシアと称される者の登場です。私たちはポピュリズムがどのように生まれるかを見てきました。私は何度かギンツベルクの著作「Sindrome 1933」について語ったことがありますが、その本では、ドイツでワイマール共和制崩壊後に、どのようにしてポピュリズムが生まれたか、が書かれています。それは、人々の半分が強さを持たない中で、誰かがメシアの到来を約束する時です。

 私たち西欧人は、他の人々を助けるための最高の水準にはいないと思います。若干、退廃的でしょうか?そうかも知れませんが、私たちは欧州の価値観、”欧州連合の父”たちの価値観、偉大な者たちの価値観を取り戻さなければなりません。

 

Q:Loup Besmond de Senneville=安楽死についてのお考えは?

教皇:殺人は人間のすることではありません。それに尽きます。本気で人を殺せば、際限なく殺すことになる。殺戮は獣に任せましょう。

 

 

*「政治は最高の慈善の一つ。欧州は他地域の経験を学ぶ必要がある」

 

Q:Iacopo Scaramuzzi= LA REPUBBLICA=カザフスタン訪問中の演説で、あなたは価値観、宗教的価値観、そして民主主義の活気の間のつながりを何度も強調されました。私たちの欧州大陸に欠けているものは何だと思いますか?他地域の経験から何を学ぶべきでしょうか? 数日後にイタリアでは総選挙が行われ、新たな政権が誕生するでしょうが、新首相にお会いになった時、どのような注文をなさいますか?今のイタリアの優先事項は何でしょうか。懸念される問題、避けるべきリスクは何でしょう?

教皇:ご質問について、私はすでに今回の旅の間にお答えしてきたと思います。私はこれまでに、二人のイタリア大統領にお会いしました。いずれも素晴らしい方です。それ以外の政治家は知りません。一番最近の旅で、秘書の一人に「今世紀になって、イタリアではいくつの政権が立てられたか」と聞きました。「20」です。どうしてこれほどの政権交代があったのか。私には説明できないし、非難したり批判したりすることもしません。政権がそのように変わり続ければ、多くの疑問が投げかけられるでしょう。今日、偉大な政治家になることは、困難な道のりです。

 国の価値観、偉大な価値のために自分自身を線上に置き、(個人的な)利益、地位、利便性のために行動しない政治家… イタリアは、偉大な政治家、すぐれた能力で政治を実行する人を見つけねばなりません。

 政治は崇高な召命です。教皇の一人、ピオ12世か、聖パウロ六世か定かではありませんが、「政治は最高の慈善の形の一つ」と言われました。私たちは、政治家が、まったく役に立たない低レベルの政治ではなく、高い政治のレベルを維持するのを助けるために闘わなければならりません。そうでなければ、国家を貶め、貧困にしてしまいます。

 今日、欧州諸国の政治は、例えば、産業開発、環境保全、移民問題など”人口動態の冬”が影響を与える課題に取り組むべきです。政治が前に進むために、真剣に問題に取り組まねばなりません。私はイタリアの政治をよく理解しているわけではない。20年間で20もの政権ができたという数字は、少し奇妙に思えますが、誰もがタンゴを踊る独自の方法を持っています… 誰でも何らかの方法で踊ることができ、政治は何らかの形で踊られるのです。

 欧州は、他の地域の経験を学ぶ必要があります。それがプラスになることもあり、そうでない場合もあるかもしてませんが、他地域の経験に心を開いていなければならず、それはどの大陸でも同じです。

 

Q:Elise Allen= CRUX=昨日の世界伝統宗教者会議で、あなたは信教の自由の重要性について語られました。ご存じのとおり、この同じ日に中国の習近平主席が、このカザフスタンの首都に入りました。中国では、香港で陳日君・枢機卿の裁判が続いており、まさに「信教の自由」に大きな懸念がもたれています。この裁判は信教の自由の侵害だとお思いになりせんか?

 

 

*「陳枢機卿裁判のように中国を非民主的と感じることもあるが、忍耐と対話が必要」

教皇:中国を理解するには1世紀が必要ですが、私たちは1世紀も生きていけません。中国のメンタリティは豊かですが、少し病気になるとその豊かさを失う。間違いを犯す可能性があります。中国を理解するために、私たちは対話の道を選んだのであり、対話に開かれています。

 バチカンと中国には、二国間委員会があり、それはうまくいってはいるが、中国側のペースが遅いので、ゆっくりです。彼らは前進するのに、非常に長い時間をかけます。無限の忍耐の人々です。私たちには過去の経験ー中国を訪れ、学者として敬意を払われたイタリア人宣教師たちのことーがあり、今日も、その文化に価値をもたらすという理由で中国の大学から招待を受ける司祭や信徒が多くいます。

 中国人のメンタリティを理解するのは容易ではありませんが、敬意を払うべきであり、私はいつも敬意を払っています。そして、ここバチカンには、パロリン国務長官が議長を務める対話委員会があり、彼は現在、中国と中国との対話について最もよく理解している人物です。ゆっくりとしたプロセスですが、常に前に進んでいます。

 中国を非民主的な国と判断することに、私は同調しません。中国はとても複雑な国ですから… 確かに、私たちにとって非民主的に思われることがあります。それは本当です。香港の陳枢機卿が、裁判にかけられようとしています。彼は自分が感じていることを言う、そしてそれに限界が設けられている。(非民主的かどうか)判断するのが難しいからこそ、的確な判断をしたい。そういう思いがあります。対話の道筋を支援するように心がけています。

 そうして、対話の中で、教会についてだけでなく、他の分野についても多くのことを明確にします。例えば、中国の広大さ。地方の統治者はすべて様々です。中国の中に、異なった文化があります。中国は巨人です。中国を理解するのはとても大変なことです。でも、忍耐をなくしてはなりません。多くの忍耐が必要ですが、私たちは対話の道をとらねばなりません、私は予断を控えるようにしています… それでも、前に進みましょう。

Q:Elise Allen=習近平主席とはどうでしたか?

教皇:たしかにカザフスタンに来られましたが、そこで会うことはありませんでした。

Q:Maria Angeles Conde Mir= ROME REPORTS=世界伝統宗教者会議の宣言で、すべての指導者が「民族性や宗教のために迫害されている人々を保護するよう、政府や国際機関に訴えること」を強調しました。ニカラグアでは今、そのような迫害が起きています。8月21日の正午の祈りで、あなたはこの問題について話されましたが、世界で迫害されているカトリックの人々、特にニカラグアの人々のために、もっと何かできるのではないでしょうか。それと、今後の海外訪問ですが、延期されているアフリカ訪問を始めとする予定を教えていただきたいのですが。

 

*「ニカラグア、マザー・テレサの会のシスターたちの解放を望む」

教皇:ニカラグアに関しては、対話がされています。政府との協議がありました。だからといって、政府が行うすべてのことを認めたり、認めなかったりするわけではありません。対話を続け、問題を解決する必要があります。

 今、問題があります。中でも、マザー・テレサが創立した「神の愛の宣教者会」のシスターたちが解放されることを望みます。女性たちは善意の革命家ですが、福音から発している!誰とも戦わない。それどころか、私たちは皆、彼女たちを必要としているのです。これは理解が難しい意思表示です… でも、彼女たちが戻ってくるのを希望しています。

 対話が続きますように。対話を止めないでください。それと、理解できないことがあります。バチカンの大使を国境に送ることが、深刻な外交問題とされることです。その大使は善良な人物で、今は他の国の大使に任命されています。これらのことを理解するのは難しく、受け入れ難い。でも、ラテンアメリカでは様々なところで、そのような状況が起きています。

 

*「11月にバーレーン、来年2月に南スーダンを訪問したい」

 今後の海外旅行についてお答えするのは難しい。私の膝はまだ治っていません。難しいですが、次(11月に計画されているバーレーン訪問)は実現するつもりです。先日、英国国教会のウェルビー・カンタベリー大司教と会いました、来年2月に南スーダンに一緒に行く可能性について話が出ました。もし私が南スーダンに行くなら、コンゴにも行きます。私たちは努力しています。スコットランド国教会のトップ、ウェルビー大司教、そして私の3人が一緒に行く必要があります。先日、これについてZoomで会合を持ちました…

 

Q:Alexey Gotovskiy= EWTN=イスラム教徒が大半を占めるカザフスタンに住むカトリック教徒にとって、どのような福音宣教ができるのでしょうか? 実際にこの国を訪問されて、刺激を受けましたか?

 

*「”宗教的戦い”は、対話なしの、互いの知識の欠如から起きる」

教皇:刺激を受けたかどうか分かりませんが、今日ミサを捧げたカテドラルで、信徒たちが熱心に祈り、幸せな気持ちで、喜んでいるのを見て、とてもうれしかった。それがカザフスタンのカトリック教徒についての私の印象です。イスラム教徒との共生については、かなりの前進があり、それはカザフスタンに限りません。北アフリカ諸国、例えばモロッコでも、かなり順調に対話が進んでいます。

 世界伝統宗教者会議では、ある人たちが(注:会議の進め方を)批判して、私にこう言いましたー「これは扇動だ。相対主義を助長している」と。相対主義でも何でもありません!誰もが自分の意見を持ち、誰もがお互いの立場を尊重し、兄弟として対話をしたのです。対話がなければ、相手を無視するか、争うかの、どちらかになってしまう。兄弟として生きる方がいい。私たちには一つの共通点があるー皆、人間だということです。人間として、マナーを守って生きましょうーあなたはどう考え、私はどう考えるでしょうか?同意しましょう、話しましょう、お互いを知りましょう。

 誤解された「宗教的」戦いは、知識の欠如のために何度も起こります。そして、これは相対主義ではない。他の人が自分の信仰について話すなら、私も自分の信仰を話します。私が自分の信仰を話すのは、他の人がそれに耳を傾け、私も彼らの信仰に耳を傾けるからです。

 私はカザフスタンのように独立間もない若い国が、気候問題など非常に多くの課題を抱えながら、世界伝統宗教者会議のような集まりを主催されたことに、とても大きな感銘を受けました。ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒、東洋の宗教を信じる人たちとの世界的な集まり。会議のテーブルでは、誰もが互いに敬意を持って語り、お互いに耳を傾けました。

 この会議は、あなたの国がなさった良いことの1つです。世界の「周辺部」で 、このような会議を主催したのです。これが私の印象です。それから都市は、一流の建築美にあふれています。そして政府関係者が、そして上院議長が、忙しい公務の中で、とても気を遣ってくれたことにも、感銘しました。彼はあなたが知っているに違いない若い歌手に私を紹介する時間を作ってくれました。文化に開かれた心を持つこの若者。期待していなかったことでした。

 

Q:Rudolf Gehrig= EWTN=ドイツの教会のようなヨーロッパの多くの教会は、信者の深刻な喪失感に苦しんでいます。あなたはこの傾向についてどの程度、心配していますか、そしてそれにどのような対応をお考えですか?

教皇:そのご指摘は、部分的には真実であり、部分的には相対的なことです。世俗化の心理、相対主義の心理が問題となっているのは事実です。本当のことです。そこでまず第一にしなければならないことは、言動を信仰を一致させることです。言動が信仰と一致しない司教や司祭がいれば、若者たちは、その匂いをかぎ取ります。 そして「さようなら」をしてしまいます!教会が、どこの国、どこのセクターであろうと、お金のことや布教地の開拓や計画について主に考え、司牧活動を軽視するなら、人々を惹きつけることはありません。

 

*ドイツの教会の問題…「”羊飼い”が羊の匂いをかぎ分けられないなら、教会は前に進まない」

 私が2年前にドイツの信徒たちに手紙を書いた時、それを本にして皆が読むようにした司祭がいました。教皇が何を考えているかを皆が知るべきだ、と彼は言いました。羊飼いは前に進まねばまりませんが、彼らが羊の匂いをかぎ分ける感覚を失い、羊が羊飼いの匂いをかぎ分ける感覚を失ったら、前に進むことはできません。

 ドイツだけでなく、一般的にすべての人について、私は話していますー 教会を、どのように刷新するか、司牧ケアをどのようにもっと現代に合う形にするか。考えるのはいいことですが、その成否は、いつも羊飼いの手の中にあります。

 司牧ケアが、司牧の”科学者”の手の中にあり、彼がこちらで意見を述べ、あちらで何をすべきか言っても(前に進むことはない)。イエスは、政治指導者ではなく、司牧者たちと教会を作りました。彼は教会を、十二使徒など無知な人たちと作り、ある人は他の人よりもさらに無知… そうして教会は続いてきました。なぜか?それは、羊飼いと、羊の群れの嗅覚によるものです。

 これは、ある場所、ある地域で危機があるときに、目にする最大の関係です… 私は自問しますー羊飼いは、羊の群れと接触しているか、群れの近くにいるか? 群れには羊飼いがいますか。問題は羊飼いです。これについては、羊飼いに関する聖アウグスティヌスの注釈を読むことをお勧めします。1時間で読めますが、羊飼いのために書かれた最も賢明な言葉の1つであり、それによって羊飼いについて認識することができます。司牧の現代化について語っていないし、私たちは現代に合わせた方法を取らねばなりません。しかし、司牧者の心が欠けているなら、肝心の司牧は、何一つとして機能しないのです。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

 

2022年9月16日

☩「小さいことは一つの恵み」教皇、カザフスタンの教会を励ます

(2022.9.15 バチカン放送)

 カザフスタンを訪問中の教皇フランシスコは最終日の15日午前、首都ヌルスルタンのカテドラルで同国の司教、司祭、助祭、修道者、神学生、そして教会活動に携わる信徒たちとお会いになった。

 教皇はあいさつの中で、宣教者たちを通して古くから中央アジアにもたらされたキリスト教の歴史を振り返り、「この地に教会や巡礼聖堂、修道院などを築き共同体を育てていった先人たち、また信仰の伝承の主役であった多くの普通の人々、祖父母や両親のたちの記憶を大切に守るように」と促された。

 その一方で「過去の記憶は自分たちをその殻に閉じ込めるものであってはなりません」とも語られ、「過去の記憶を力に、未来に向けて自らを開いていくように」と励まされた。

 また教皇は、「心の貧しい人々は、幸いである」(マタイ福音書5章3節)とイエスが言われるように、「『小さい存在』であることは、謙遜に神の力に委ねることを教え、それゆえに、一つの恵みです」と、信徒が少数にとどまっているカザフスタンの教会を勇気づけられた。

 そして、「小さい者であることは、『自分の力だけでは生きていけない』ことを思い起させます。私たちは神を、他者を、異なる宗教の兄弟姉妹たちを、すべての善意の人々を必要としている。皆が共にいて、対話し、受け入れ合ってこそ、真に皆のための善を実現することができるのです」と説かれた。

 この集いで、教皇はカテドラルに新しく掲げられた聖母子画「ステップ(草原)の聖母」を祝別されたが、イスラム教徒の画家が制作したこの聖画は、同国における諸宗教の共存と対話を象徴するものとなった。信仰の遺産と証しを喜びをもって生きるよう呼びかけつつ、教皇はカザフスタンのカトリック教会を聖母の保護に託し、信者たちに祝福を与えられた。

 教皇と同国内でごく少数を占めるカトリック信者たちの「小さな群れ」との出会いは、聖歌や伝統楽器の調べに彩られ、温かい雰囲気に満ちたものとなった。

(編集「カトリック・あい」)

2022年9月15日

☩「私たちは平和のために、女性、若者を必要としている」教皇、世界伝統宗教指導者会議閉幕あいさつ

Pope Francis address the Congress in Nur-SultanPope Francis address the Congress in Nur-Sultan  (Vatican Media)

(2022.9.15 Vatican News   Francesca Merlo)

    カザフスタン訪問中の教皇フランシスコは15日、首都ヌルスルタンで開かれていた第7回世界宗教指導者会議の閉幕あいさつで、世界のすべての宗教と社会に対し、「世界平和の追求に、女性、若者を参加」させるよう促された。

 教皇はあいさつの冒頭、世界のきわめて多くの異なる地域から集まった会議参加者に感謝を表明。「私たちは、共にこの道を歩んできました。この会議における対話への献身は、新型コロナウイルスの世界的大感染による全世界への影響が愚かの極みである戦争によって混ざり合わされいる今、かつてないほど価値あるものでした」と語られた。

(2022.9.15 バチカン放送)

 「今日見られるあまりにも多くの憎悪と分裂、対話と相互理解の欠如は、このグローバル化された世界において危険であり、また恥ずべきこと」と話された教皇は、2002年にヨハネ・パウロ2世の呼びかけによりイタリアのアッシジで開かれた「世界平和のための祈願日」と、それをモデルに2003年カザフスタンで初めて開かれた「世界伝統宗教指導者会議」がこれまで伝統的な諸宗教の対話に貢献してきたことに言及。これらの機会が誕生した背景には、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件以来、暴力的なテロが増加し、宗教が紛争の理由とされる危険を前に、皆が共に行動する必要があった、と振り返えられた。

 そして、今回の共同宣言にある、「過激主義、原理主義、テロリズム、その他、憎悪・暴力・戦争をあおるすべてのもの・動機・目的は、真の宗教精神と一切の関係がないものであり、断固として退けられるものである」という言葉を繰り返され、政治と宗教の健全な分離と共存の必要に触れつつ、「宗教の自由が常にすべての場所で保護されること」を願われた。

 さらに、「教会のすべての道は人間に結びつく」というヨハネ・パウロ2世の言葉を紹介され、「この言葉は、すべての宗教にあてはまるものです」とし、「人間は、単なる経済的な道具でも、切り捨て可能な存在でもない」と訴え、人を守り、育てる宗教の役割を強調された。

 加えて、教皇は、今回の共同宣言の中から特に「平和」「女性」「若者」をキーワードとして取り上げ、これらのテーマへの真剣な取り組みを今日そして未来のための重要課題として示された。

 「世界伝統宗教指導者会議」の閉幕で、カザフスタン訪問のすべての公式行事を終えた教皇は、ヌルスルタン空港に向かわれ、同空港から帰途に就かれた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2022年9月15日

☩「戦争に慣れたり、犠牲者を助けることに飽きたりしてはならない」教皇、カザフスタンでのミサで

 カザフスタン訪問中の教皇フランシスコは14日午後、首都ヌルスルタン市内の万博総合グラウンドでミサを捧げられた。    典礼歴で「十字架称賛」を祝ったこの日、ミサにはカザフスタンだけでなく、周辺国からも多くの信者らが参加。教皇はミサの説教で、「キリストの十字架から、『憎しみ』ではなく『愛』を、『復讐』ではなく、『赦し』を学ぼう」と呼びかけ、イエスが広げられる両腕に神の優しさと受容の愛を示しながら、「兄弟愛のもとに共に生きることの大切さ」を強調された。

 (2022.9.14 Vatican News   Benedict Mayaki, SJ)

 教皇はミサの終わりに、ウクライナを含む世界のすべての戦争に苦しむ国々のために祈り、世界のすべての人に、平和に向けた対話と、苦しむ人々に手を差し伸べるよう、呼びかけられた。 教皇は、今回のカザフスタン訪問を準備してくれた同国の政府や教会関係者、中央アジア諸国の人々、そしてミサに参加したすべての人に感謝し、「兄弟姉妹の皆さん、特に中央アジアの他の国々やこの広大な国の遠隔地からおいでになった皆さんに挨拶します… 私は、深い愛情をもって、年配の方々、病いにある方々、子供たち、そして若い人たちに祝福を送ります」と話された。

*主への感謝は平和への嘆願になる

 教皇フランシスコは典礼歴で「十字架称賛」の日に当たるこの日、カザフスタンのオジオルノエの平和の女王の聖域への霊的一致の気持ちを強調。「カザフスタンの人々への感謝」と「人類への平和」という言葉が、この聖域の大きな十字架に刻まれていることを思い起された。 そして、「この偉大な国に住む神の聖なる民のために主に感謝することは、対話の促進への献身への感謝と共に、平和ー私たちの世界が強く切望する平和ーへの嘆願となります」と語られた。 

*戦争で引き裂かれたウクライナのために祈る

 また教皇は、世界のあらゆる戦争で引き裂かれた地域の人々、特にウクライナの人々の苦しみに思いを寄せられ、「私たちが戦争に慣れたり、避けられないものとして諦めたりしないように」と祈られた。
 そして、戦乱で苦しむ人たちに援助の手を差し伸べるように、平和を実現するための真の努力を求め続けるように、ミサに参加している人を含むすべての人々に促された。また、このところ、カザフスタンに近い黒海とカスピ海にはさまれたコーカサス地域でも暴力が勃発している、と伝えられていることにも注意を向けられた。
 さらに、教皇は「唯一の解決策は平和。そして平和に至る唯一の方法は対話です」と強調。「人々、国家、そして全人類の利益のための対話に、紛争が屈するまで、まだ何が起こる必要があるのでしょう、あと何人が命を落とす必要があるのでしょう」と訴えられた。
 最後に、教皇は、、世界が平和の建設を学ぶように、特に軍拡競争を制限し、戦争に費やす莫大な資金を人々への援助に回すように、世界のすべての人々に祈るよう求められ、次のように締めくくられた。「このことを真剣に受け止めているすべての方々に感謝します。皆さんすべて、そして平和と一致の先頭に立つすべての男の方、女の方に感謝します!」
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 カザフスタンのカトリック信者は全人口の1%に満たない「小さな群れ」であるが、同国におけるカトリック教会の起源は、フランス王、聖ルイ(ルイ9世)が、宣教師たちをモンゴルを目指して派遣した13世紀にまでさかのぼる。14世紀初頭、時の教皇ヨハネ22世はチャガタイ・ハン国に手紙を送り、キリスト教徒への寛容に感謝を表したが、同世紀半ばから迫害が始まり、19世紀にカザフ地域がロシア帝国の下に入るまでは、同地のキリスト教徒についての情報はない。
 20世紀前半、戦争の影響で、また移民、難民、強制移住者としてこの地域に入ったカトリック信者の中で残留・定住する人たちがいた。1991年にソビエト連邦から「カザフスタン共和国」として独立し、翌年の1992年にバチカンと国交を結んだ。2001年、聖ヨハネ・パウロ2世が同国を訪問し、教皇フランシスコの今回の訪問は、教皇として21年ぶり。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2022年9月15日

☩「諸宗教は、世界平和と相互理解のカギを握っている」第7回世界伝統宗教指導者会議で

(2022.9.14  Vatican News staff reporter)

    カザフスタン訪問中の教皇フランシスコは14日午前、首都ヌルスルタンの独立宮殿で始まった「第7回世界伝統宗教指導者会議」で演説され、世界平和への渇望、私たち一人一人の心に宿る計り知れない神秘への渇望に応えるため、友情を育てることが諸宗教に求められていることを強調された。

 3年ごとに開催される2日間のこの会議には、世界の50カ国から100以上の伝統宗教代表などが出席。新型コロナウイルスの世界提大感染後の世界において、いかに精神的、社会的発展を促進することができるか、が大きなテーマとされている。Religious leaders together in Nur-Sultan

 教皇は演説を、会議出席者すべてに対する「兄弟姉妹の皆さん… 同じ天の子供たちとして私たちを結びつける友愛の名において」の呼びかけで始められた。

 そして、「私たちを超越し、私たちを魅了する計り知れない神秘を前にして、自分たちが被造物であり… 全知全能ではなく… 同じ天なる目的地に向かって旅していることを、諸宗教は私たちに思い起こさせます」とされ、この共通の人間としての本質は「共通の絆、真の友愛」を生み出すもの、と語られた。

 また、会議の主催国であるこのカザフスタンが、中央アジアの古代の絹のルートであったように、思想、信仰、そして貿易を含む歴史的な「出会いの地」であったことを思い起され、諸宗教の出会いが、常に「互いの尊敬、誠実な対話、それぞれの人に対する冒すべからざる尊厳の尊重、そして相互協力」で特徴づけられた人間関係に基づくものでよう、希望を表明された。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

(2022.9.14 バチカン放送)

 首都ヌルスルタンの独立宮殿で、9月14日と15日の両日開かれる今回の会議には、世界のおよそ50か国から、イスラム教、キリスト教、ユダヤ教、仏教などの指導者ら81名が参加。教皇フランシスコは、同会議にローマ教皇として初めて出席した。

 教皇はカザフスタン到着後の各界代表との13日の会見で、同国の伝統楽器「ドンブラ」をモチーフに挨拶をおくられたが、この会議の演説では、同国で深く尊敬される詩人・作曲家・哲学者・教育者で、しばしばドンブラと共に描かれる、アバイ・クナンバイウル(1845-1904)の言葉を豊かに引用しつつ、スピーチを行われた。

 カザフスタンの人々から「アバイ」と呼ばれ親しまれるこの国民的詩人をめぐり、教皇はその作品にしみわたる宗教性と民族性、調和のとれた賢明さ、平和への思い、自己の洞察、人間としての叡智の探求の姿勢を見つめられた。

 「命の美しさとは何であろう。もしその深きを探らないなら」という、アバイの言葉を引きながら、教皇は、人間は究極の問いに意味を見出し、霊性を育むことを必要とする存在である、と述べられた。

 また、「目覚めた魂、澄んだ精神」の必要をアバイが語るように、「世界は私たちから、目覚めた魂と澄んだ精神の模範、真の宗教性を待ち望んでいます」と話された。

 そして、教皇は、「今こそ、あらゆる信仰を汚し、腐敗させる原理主義から目を覚まし、心を清めて憐み深くする時です」と呼びかけられた。

 かつてこの地域が数十年にわたり無神論的国家の影響を受け、「宗教」という言葉さえ使うことが困難であった時代を振り返られ教皇は、「実際には、宗教は問題ではなく、むしろ、それは、より調和した共存のための解決を形作る要素です」と指摘。「宗教がすべての人が心に抱える世界平和への切なる願い、無限の存在への渇きに答えるものであるように」と説かれた。

 教皇は「信仰の自由」を「人類の統合的発展に不可欠な条件、本質的で譲ることのできない権利」として示し、「他者に強制することなしに、自分の信仰を公に証しすることは、すべての人の権利です」と強調された。

 また、教皇は今日の世界におけるグローバルな課題として、「人間の脆さを知り、いたわる”パンデミック対応”」「平和への挑戦」「兄弟的な受け入れ」「環境保護」を挙げられ、「諸宗教が各自のアイデンティティーを守りながら、友好と兄弟愛のうちに共に歩み、暗い現代を創造主の光で照らすことができるように」と願われた。

(編集「かとりっく・あい」)

2022年9月14日

☩教皇、カザフスタンで各界代表、外交団に「ウクライナ侵略は”無意味”で”悲劇的”」と(Crux)

(202.9.13 Crux Senior Correspondent  Elise Ann Allen)

*「ヨハネ・パウロ二世のカザフスタン訪問は”9.11”直後、そして私はウクライナ侵攻の最中に」

 

 演説で教皇は、カザフスタンの多様なコミュニティの調和のとれた共存を称賛され、核軍縮と環境保護への同国の積極的な対応、昨年の死刑廃止の決定を高く評価。そして、カザフスタンは地政学的に見て重要な位置にあり、「紛争の減らすために果たすべき基本的な役割」を持っていることを強調された。

 また、ヨハネ・パウロ二世教皇が2001年にカザフスタンを訪問されたのが、米国における悲劇的な9.11テロ攻撃のわずか数日後だったことを思い起され、「私は今、無意味で悲劇的なウクライナ侵略が起きている最中に訪問しています」と、歴史の皮肉を嘆かれた。

 そして、今回の訪問の目的を「グローバル化した世界の発展にとって不可欠な道である平和への、すべての人々の叫びに心を合わせる」こととされ、14日の第7回世界宗教指導者会議の意義を強調された。 この会議にはロシア正教会のキリル総主教の出席も予定され、教皇は会議の機会に、プーチン大統領と緊密な関係にある総主教と会談して侵略中止に協力を求めることを希望されていたが、総主教は直前になって欠席を表明。会談は実現できなかった。教皇は、ロシア、ウクライナ両国訪問の希望をこれまでたびたび表明されているが、ロシアと国境を接するカザフスタンはウクライナにも近い地理的な位置にある。

 教皇は演説で、「対話と出会いを促進するために外交の努力を拡大」する必要性を強調され、「今日、一人の問題はすべての人の問題であり、世界でより大きな権力を握っている人々は、他の国々、特に不安や紛争に最も陥りやすい国々に対して、より大きな責任を負っています… これは私たち自身の個人的な利益だけでなく、私たちの関心事であるべきです」と指摘。

*「今こそ「ヘルシンキの精神」を呼び起こす時だ」

 そして、今こそ「対立を激化させたり、対立するブロックを強化したりするのをやめる」時であり、「人々が相互理解と対話の中で成長できるようにする」国際レベルの指導者が緊急に求められている、とし、欧州の安全保障と協力に関する歴史的な1975年のヘルシンキ合意に言及し、「ヘルシンキの精神を呼び起こし、世界の指導者たちは多国間主義を強化し、将来の世代を見据えて、より安定した平和な世界を構築する決意を示さなければなりません。そのために必要なのは、理解、忍耐、そしてすべての人との対話です。『すべての人』とのです」と訴えられた。

 また教皇は、カザフスタンの複雑な歴史、特にソビエト連邦の一部だった時代のカザフスタンー多くの労働収容所が作られ、非常に多くの人々がそこに送り込まれ、抑圧された悲惨な歴史ーを思い起こされ、人々が耐え忍んだ膨大な苦しみの記憶が、カザフスタンの人々にとって「未来への旅の不可欠な部分」となり、「人間の尊厳、すべての男性と女性、そしてすべての民族、社会、宗教団体の尊厳を、絶対的に優先するように、あなたがたを鼓舞しているのではありませんか」と、語りかけられた。

 

*「伝統弦楽器「トンブラ」は欧州とアジアの架け橋、調和の象徴」

 

 教皇は、演説の基調を、カザフスタンの伝統的な弦楽器「ドンブラ」のイメージに合わせられ、「ドンブラの2つの弦は、欧州とアジアの架け橋としてのカザフスタンの役割を象徴しています」と語り、ドンブラが奏でる調和は、「交響的」な社会生活を合唱で成長し、成熟させることにつなげ、カザフスタンを構成する550の民族集団と80の異なる言語をまとめる役割を果たしている、とされた。

 そして、この文脈で、教皇はまた、同国の憲法で保証されている信教の自由の重要性について語り、「健全な世俗性は、宗教の重要性と不可欠な役割を認識し、それを台無しにする過激主義の形態に抵抗します… このような世俗性は、すべての人が平等に扱われるために不可欠な条件です」とされ、「信教の自由は、市民の共存のための最良のチャネルです」と語れた。

 民主主義とカザフスタン自身の民主化プロセスについても言及され、システムとしての民主主義は「権力を単に少数の人々のためだけでなく、全国民への奉仕に変換するのに、最も適した形を構成するもの」とし、カザフスタンのさらなる民主主義の追求は「議会と地方当局の能力を強化し、より一般的には、より大きな権力の分配」を目的としており、「引き返すことのできない… 時間と労力を必要とする厳しいプロセス」だと指摘された。

 

*「民主主義は、あらゆる場所で”素晴らしい言葉”以上のものでなければならない」

 さらに、「民主主義と近代化は、あらゆる場所で”素晴らしい言葉”以上のものでなければなりません。人々への具体的な奉仕に具現化されねばなりません… 人々の声に耳を傾け、彼らの正当なニーズに応えることから生まれる『良い政治』、市民社会、NGO、人権団体の絶え間ない関与、そして労働者、若者、そして最も脆弱な人々への特別な関心を払う政治です」と述べ、「このような『真の民主的な政治スタイル』は、人々の安定と福祉を脅かす過激主義、個人主義、ポピュリズムに対する、最も効果的な対応なのです」と語られた。

 また教皇は、カザフスタンの国会で昨年、死刑廃止法案が可決されたこと、環境への取り組みと核軍縮への積極的な対応について称賛された。 最後に、カザフスタンがバチカンとの外交関係樹立30周年を祝おうとしていることに言及し、カトリック教徒の願いを「この国の開放性と敬意ある対話の精神を証し続ける」ことにあると強調され、当局の歓迎に感謝し、「出会いの国、カザフスタンにふさわしい平和と統一の召命」を神が祝福してくださるように、と祈られた。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載しています。Crux is dedicated to smart, wired and independent reporting on the Vatican and worldwide Catholic Church. That kind of reporting doesn’t come cheap, and we need your support. You can help Crux by giving a small amount monthly, or with a onetime gift. Please remember, Crux is a for-profit organization, so contributions are not tax-deductible.

2022年9月14日

☩教皇カザフスタン訪問ー「多民族・多文化・多宗教の『出会いの国』での宗教会議の意義」を強調

(2022.9.13 バチカン放送)

 教皇フランシスコが13日から15日まで、「第7回世界伝統宗教指導者会議」への出席を主な目的としてカザフスタン訪問を開始された。カザフスタンのカトリック教徒の人口は、1900万人の全人口の1%に満たないが、この機会に万博グラウンドでのミサなどを通じて「小さな群れ」を励ますことを望んでおられる。

 13日早朝、特別機でローマを出発された教皇は現地時間同日夕、カザフスタンの首都ヌルスルタンに到着され、大統領官邸での歓迎式典、トカエフ大統領との個人会談の後、市内のカザフスタン中央コンサートホールで、同国の各界代表および駐在外交団とお会いになった。

 会見でのスピーチで、教皇は同国の伝統楽器「ドンブラ」を取り上げ、中世から叙事詩や物語の朗誦の伴奏に使われてきたこソース画像を表示の楽器を、「多様性の中で、過去と現在をつなぐ継続のしるし」「移り変わりの早い社会において、過去の遺産と記憶を大切に守るシンボル」と語られた。

 また、平行な二本の弦をはじくドンブラの奏法を「冬の厳寒と夏の猛暑、伝統と発展、アジア性とヨーロッパ性といった相対する特徴を調和」させるカザフスタンの姿に重ねられ、ドンブラが他の弦楽器と共に演奏されることに触れつつ、「社会生活の調和は、共に育ち、成熟してこそ可能になるものです」とも話された。

 そのうえで、このように多様な文化的・宗教的伝統が調和するカザフスタンは、「多民族・多文化・多宗教の実験室、『出会いの国』としての召命を帯びています」と指摘。「健全な政教分離のもとで宗教の自由が尊重されたこの国で、社会調和における宗教の貢献を示すために、第7回世界伝統宗教指導者会議に参加できることを喜ばしいこと」とされ、カザフスタンの名が調和と平和を表すものであり続けることを願いつつ、この国の平和と一致の召命を神が祝してくださるように、と祈られた。

 教皇の第38回海外司牧訪問(イタリアを除く)にあたるこの旅は、カザフスタンの政府と教会関係者の招きに応えるもので、同国をローマ教皇が訪れるのは、2001年の聖ヨハネ・パウロ2世の初訪問以来、今回で21年ぶり、2度目。

 二日目の14日は、午前、ヌルスルタンの独立宮殿で開幕する「第7回世界伝統宗教指導者会議」で演説をされ、宗教各派の指導者たちと出会いを持たれる。午後は、万博グラウンドでミサを捧げられる。15日は朝、バチカン大使館でカザフスタンのイエズス会員らと私的な集いを持たれた後、市内のカテドラルで同国の司教たちをはじめカトリック教会関係者と会見される。午後、「宗教指導者会議」の閉会行事に出席され、夕方、ローマへの帰途に就かれる予定。

(編集「カトリック・あい」)

2022年9月14日

☩ウクライナの人々へ、「私はあなた方と共にいる、その証しとして、クラエフスキ枢機卿を現地に送る」と教皇

(2022.9.11 Vatican News  Stefan J. Bos & Devin Watkins)

 教皇フランシスコは11日、年間第24主日の正午の祈りで、ロシアの軍事侵攻を受け続けているウクライナの人々のために祈りを新たにされ、ご自身とカトリック教会がウクライナの人々と共にいることを証しするために、教皇庁支援援助省のコンラート・クライェフスキ長官(枢機卿)をウクライナに派遣している、と語られた。

*多くのウクライナの人々がロシア軍に殺害され、埋められていた場所で祈るクライェフスキ長官=Vatican NewsCardinal Konrad Krajewski prays at a mass grave in Ukraine

 教皇は、「私たちはウクライナ国民のために、主が彼らに慰めと希望を与えてくださるよう祈り続けます」と訴えられ、彼らと共にいる証しを示す具体的な行動の一環として、クライェフスキ長官を現地に派遣していることを確認された。

 長官の派遣は、ロシアのウクライナ侵攻が始まって以来4度目で、先週末から、ロシア軍によって破壊され、今も攻撃の脅威にさらされている南部のオデッサ、西部のジトミル、北東部のハルキウ、そして東部の諸都市などを回り、ロシアの侵攻開始から200日以上もの間、自らの危険も顧みず、現地で奉仕活動を続けている司祭、修道者たちや、苦難の最中にある人々を訪問、激励し、物心両面からの支援を行っている。

 また、教皇が今、最も懸念されているのは、ロシア軍の砲撃によって破壊され、重大事故の危機にあるウクライナ南部のザポリージャ原子力発電所だ。国際原子力機関(IAEA)のグロッシ事務局長は9日、同発電所の外部電源となる火力発電所内の送電施設が8日夜に砲撃されるなど、緊急時に必要となる外部電源の確保が困難になっていると指摘し「原子力事故の危険が増大している」とし、ロシアに対して、「直ちに砲撃を停止し、安全地帯を確立せねばならない」と訴えた。

ザポリージャ原発、全面停止 ウクライナ

*攻撃で被害を受けたウクライナ・ザポリージャ原子力発電所6号機の施設=国際原子力機関(IAEA)提供(2022年9月1日撮影)

 さらに、ウクライナの国営原子力企業エネルゴアトムは11日、同発電所で唯一稼働していた原子炉6号機の運転を停止、重大な事故を未然に防ぐため、「冷温停止状態への移行に向け準備中」と発表したが、同発電所周辺での砲撃などが完全に停止してはおらず、危機は去っていない。

 また、同発電所は、ウクライナの総発電量の2割を占めており、すでに多くの国内の発電所が被害を受ける中での、稼働停止で、電力需要が増える冬に向かって同国が電力危機に襲われる可能性も高まっている。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2022年9月11日

☩「私たちが迷うとき、神はいつも探してくださる」年間第24主日の正午の祈りで

 以下は、バチカン放送による教皇の説教の日本語抄訳

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 今日の福音は、神の慈しみ深い御心を示すための3つのたとえ話を語っています。イエスはこれらのたとえ話で、「この人は罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と不平を言うファリサイ派の人々や律法学者たちに答えました。

 イエスは罪人たちを迎え、食事を共にすることで、「すべての人を子として愛し、誰一人除外しない神」を啓示しておられます。

 3つのたとえ話は、「父なる神は、私たちが道を見失うたびに探しに来られる方だ」という福音の中心的メッセージを要約するものです。実際、これら3つのたとえ話の主人公、「見失った羊を探し回る羊飼い」「失くした1枚の銀貨を再び見つけた女」「放蕩息子の父親」は、神を表しています。

 それぞれの主人公の共通点を考えてみましょう。それは「欠けているための不安」です。羊が一匹足りなかったり、銀貨一枚が無かったり、息子がいなかったりしたために、主人公たちは落ち着かない気持ちでいます。

 主人公たちは、よく考えれば、もっと平気でいられたかも知れません。羊が1匹いなくても99匹もいる、銀貨が1枚無くしてもまだ9枚もある、放蕩息子がいなくてもよく仕えてくれる従順な息子がいる、というように。

 しかし、彼らの心は、欠けている1匹、1枚、1人の息子のために落ち着きません。他者を愛する人は、そこにいない人のことを心配する。欠けている人を懐かしみ、見失った人を探し、遠く離れた人の帰りを待つ。神は、誰1人失うことを望まれないのです。

 神は、私たちが遠くに離れると、落ち着いてはいられません。悲しまれ、心を震わせ、ご自分の腕の中に連れ戻すために、探し始めます。神は、父、母の心を持って、愛する子が欠けていることを苦しまれます。私たちが離れていることを苦にされ、その帰りを待っておられます。私たちがどのような状況で道を見失っても、いつも両手を広げて待っておられることを、忘れてはなりません。

 自分に問いましょう。「私たちは主に倣う者として、そこに欠けている人を心配するだろうか」「そこにいない人、キリスト教生活から遠く離れた人のことを気にかけているだろうか」「そのような気がかりを心に抱いているだろうか。それとも自分たちだけで平気でいるだろうか」「共同体の中に欠けている人、離れた人に憐れみを抱くことなく、自分たちのグループだけで満足しているだろうか」…。

 御父は、そこにいないご自分の子らに気付いて欲しい、と私たちに願っておられます。私たちの身近な人で、「あなたは、神にとって大切な人ですよ」という言葉をおそらく聞いたことがないであろう人を思い浮かべてみましょう。

 その人は「でも、私には問題があって、実はあれこれひどいことをしたのです」と言うかも知れません。その人に言いましょう。「神様にとってあなたは大切な存在です。あなたは探さなくても、神様はあなたを探していますよ」と。

 このような問いに心を動かされるがままに、聖母に祈りましょう。聖母は、疲れを知らず私たちを探し、子である私たちの世話をしてくださる御母です。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2022年9月11日

☩「信仰の生きた体験を分かち合うように」第三回カテキーシス国際会議に

(2022.9.10 Vatican News  Thaddeus Jones)

 教皇フランシスコは10日、第3回カテキーシス(要理教育)国際会議に参加したカテキスタたちと会見され、イエス・キリストの愛を他の人々に示すという務めを思い起こしつつ、「信仰の生きた経験を伝えるように」と励まされた。

 この会議は、バチカンの福音宣教省が主催して開かれたもの。教皇はあいさつで、カテキスタたちが教会で果たす重要な役割を強調され、彼らを「信仰の旅を希望する子供、若者、大人など非常に多くの人々に対する、教会の責任のしるし」と呼ばれた。

 そして、「キリスト教共同体の中で果たすことのできる大きな役割があると考え、カテキスタという奉仕職を設けました」と語られ、この会見場にいる司教、司祭、奉献者を含む全員がカテキスタであり、「主の福音をすべての人の心に響かせるために、私たち全員を召しておられるのです」と強調された。

 これと関連して、ご自身が毎週水曜恒例の一般謁見で続けておられるテーマを特定した講話(カテキーシス)は、教会の伝統に照らし、神の言葉について共に深く味わい、私たちの日々の暮らしの中で福音を証しする方法を見つける「特権的な時」であり、「私は、この一般謁見を本当に喜びとしています」と語られた。

 

*カテキスタの務めに飽きるな

 教皇はカテキスタたちに対して、その務めに飽きることのないように、「学校の授業」のような要理教育を避け、「あなたがた一人一人が次の世代に伝えたいと思うような『信仰の生きた経験』を提供することに努めるように」と促された。

 そして、現代にあって要理教育を行うことについて、(注*若い人、子供たちを主たる対象としていた昔と違って)さまざまな年齢層の人、さまざまな人生を歩む人を対象とするために、大きな困難を伴うことを認めつつ、「鍵は、福音を聴き、キリスト教徒として生き、成長する、という招きを相手が受け入れるために、『互いに心を開く人と人との出会い』にあります」と指摘。2020年に発行された新版「Directory for Catechesis (要理教育の指導書)」が、とくに教区と小教区における要理教育刷新の助けになると、同書を学ぶことを勧められた。

*要理教育:主に出会い、喜び受け入れる

 また教皇は、要理教育の目的を「イエス・キリストに出会い、私たちの生活の中でイエス・キリストが成長することを可能にする『福音宣教の特別の段階』」と表現され、今回の国際会議のテーマが「カテキスタ:キリストの新しい命の証人」であり、「カトリック教会のカテキズムの第3編(キリストと一致して生きる)の部分に焦点を当てていることを思い起こされ、その個所を次のように引用された。

 「私たちがイエス・キリストを信じ、その神秘にあずかり、その掟を守るとき、救い主ご自身がおいでになって、私たちのうちでご自分の父と兄弟たち、私たちの御父と兄弟たちとをあししてくださるのです。そして聖霊の力によって、キリストご自身が私たちの行為の生きた内的規準となられます」(「カトリック教会のカテキズム」2074項=カトリック中央協議会訳)

 その受けて、教皇は「これが、イエスが私たちに『私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うように』と命じられた理由です、なぜなら、真の愛は神とイエスから来ており、イエスの存在、説教、奇跡、そして特にイエスの死と復活の神秘によって明らかにされたからです」とされ、さらに「キリストの愛は、新しい命の真実で唯一の掟であり、私たちキリスト教徒は、聖霊の助けを得て、決して止まることのない人生の歩みの中で、自分の一日一日を作っていくのです」と説かれた。

 

*愛の源に戻る

 そして、講話の結論として、教皇はカテキスタたちに対して、「あなたがた一人一人を愛しておられるイエス・キリストの人となりを、見えるように、触れられるようにし、人々の人生を導き、善悪を識別するのを助けるために、自分たちが呼ばれていること」を改めて認識するよう求められ、「なぜなら、それが、幸せで、喜びに満ち溢れ、どのような困難に出遭っても、常に喜びに満ちているための条件だからです。それが洗礼を受けた日に私たちの中に芽生えた新しい命であり、一人一人の中で成長し、実を結ぶことができるように、すべての人と分かち合う責任があるのです」と強調された。

 教皇はご自分の体験として、ご自身の人生と信仰の旅に尽力てくれたカテキスタについて話された。特に、若い時に指導してくれた年配のシスター・ドロレスが思いやりと献身の心で自分の信仰生活を助けてくれたことを語られ、子のシスターのように、他の人に対するカテキスタとしての務めでなすことのできる素晴らしい働きを見落とすことのないように、と励まされた。

 最後に、この会議の参加者たちを祝福され、彼らのために、聖母マリアとカテキスタのすべての殉教者の執り成しを願われた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2022年9月11日