☩「信仰の生きた体験を分かち合うように」第三回カテキーシス国際会議に

(2022.9.10 Vatican News  Thaddeus Jones)

 教皇フランシスコは10日、第3回カテキーシス(要理教育)国際会議に参加したカテキスタたちと会見され、イエス・キリストの愛を他の人々に示すという務めを思い起こしつつ、「信仰の生きた経験を伝えるように」と励まされた。

 この会議は、バチカンの福音宣教省が主催して開かれたもの。教皇はあいさつで、カテキスタたちが教会で果たす重要な役割を強調され、彼らを「信仰の旅を希望する子供、若者、大人など非常に多くの人々に対する、教会の責任のしるし」と呼ばれた。

 そして、「キリスト教共同体の中で果たすことのできる大きな役割があると考え、カテキスタという奉仕職を設けました」と語られ、この会見場にいる司教、司祭、奉献者を含む全員がカテキスタであり、「主の福音をすべての人の心に響かせるために、私たち全員を召しておられるのです」と強調された。

 これと関連して、ご自身が毎週水曜恒例の一般謁見で続けておられるテーマを特定した講話(カテキーシス)は、教会の伝統に照らし、神の言葉について共に深く味わい、私たちの日々の暮らしの中で福音を証しする方法を見つける「特権的な時」であり、「私は、この一般謁見を本当に喜びとしています」と語られた。

 

*カテキスタの務めに飽きるな

 教皇はカテキスタたちに対して、その務めに飽きることのないように、「学校の授業」のような要理教育を避け、「あなたがた一人一人が次の世代に伝えたいと思うような『信仰の生きた経験』を提供することに努めるように」と促された。

 そして、現代にあって要理教育を行うことについて、(注*若い人、子供たちを主たる対象としていた昔と違って)さまざまな年齢層の人、さまざまな人生を歩む人を対象とするために、大きな困難を伴うことを認めつつ、「鍵は、福音を聴き、キリスト教徒として生き、成長する、という招きを相手が受け入れるために、『互いに心を開く人と人との出会い』にあります」と指摘。2020年に発行された新版「Directory for Catechesis (要理教育の指導書)」が、とくに教区と小教区における要理教育刷新の助けになると、同書を学ぶことを勧められた。

*要理教育:主に出会い、喜び受け入れる

 また教皇は、要理教育の目的を「イエス・キリストに出会い、私たちの生活の中でイエス・キリストが成長することを可能にする『福音宣教の特別の段階』」と表現され、今回の国際会議のテーマが「カテキスタ:キリストの新しい命の証人」であり、「カトリック教会のカテキズムの第3編(キリストと一致して生きる)の部分に焦点を当てていることを思い起こされ、その個所を次のように引用された。

 「私たちがイエス・キリストを信じ、その神秘にあずかり、その掟を守るとき、救い主ご自身がおいでになって、私たちのうちでご自分の父と兄弟たち、私たちの御父と兄弟たちとをあししてくださるのです。そして聖霊の力によって、キリストご自身が私たちの行為の生きた内的規準となられます」(「カトリック教会のカテキズム」2074項=カトリック中央協議会訳)

 その受けて、教皇は「これが、イエスが私たちに『私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うように』と命じられた理由です、なぜなら、真の愛は神とイエスから来ており、イエスの存在、説教、奇跡、そして特にイエスの死と復活の神秘によって明らかにされたからです」とされ、さらに「キリストの愛は、新しい命の真実で唯一の掟であり、私たちキリスト教徒は、聖霊の助けを得て、決して止まることのない人生の歩みの中で、自分の一日一日を作っていくのです」と説かれた。

 

*愛の源に戻る

 そして、講話の結論として、教皇はカテキスタたちに対して、「あなたがた一人一人を愛しておられるイエス・キリストの人となりを、見えるように、触れられるようにし、人々の人生を導き、善悪を識別するのを助けるために、自分たちが呼ばれていること」を改めて認識するよう求められ、「なぜなら、それが、幸せで、喜びに満ち溢れ、どのような困難に出遭っても、常に喜びに満ちているための条件だからです。それが洗礼を受けた日に私たちの中に芽生えた新しい命であり、一人一人の中で成長し、実を結ぶことができるように、すべての人と分かち合う責任があるのです」と強調された。

 教皇はご自分の体験として、ご自身の人生と信仰の旅に尽力てくれたカテキスタについて話された。特に、若い時に指導してくれた年配のシスター・ドロレスが思いやりと献身の心で自分の信仰生活を助けてくれたことを語られ、子のシスターのように、他の人に対するカテキスタとしての務めでなすことのできる素晴らしい働きを見落とすことのないように、と励まされた。

 最後に、この会議の参加者たちを祝福され、彼らのために、聖母マリアとカテキスタのすべての殉教者の執り成しを願われた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2022年9月11日