☩「戦争に慣れたり、犠牲者を助けることに飽きたりしてはならない」教皇、カザフスタンでのミサで

 カザフスタン訪問中の教皇フランシスコは14日午後、首都ヌルスルタン市内の万博総合グラウンドでミサを捧げられた。    典礼歴で「十字架称賛」を祝ったこの日、ミサにはカザフスタンだけでなく、周辺国からも多くの信者らが参加。教皇はミサの説教で、「キリストの十字架から、『憎しみ』ではなく『愛』を、『復讐』ではなく、『赦し』を学ぼう」と呼びかけ、イエスが広げられる両腕に神の優しさと受容の愛を示しながら、「兄弟愛のもとに共に生きることの大切さ」を強調された。

 (2022.9.14 Vatican News   Benedict Mayaki, SJ)

 教皇はミサの終わりに、ウクライナを含む世界のすべての戦争に苦しむ国々のために祈り、世界のすべての人に、平和に向けた対話と、苦しむ人々に手を差し伸べるよう、呼びかけられた。 教皇は、今回のカザフスタン訪問を準備してくれた同国の政府や教会関係者、中央アジア諸国の人々、そしてミサに参加したすべての人に感謝し、「兄弟姉妹の皆さん、特に中央アジアの他の国々やこの広大な国の遠隔地からおいでになった皆さんに挨拶します… 私は、深い愛情をもって、年配の方々、病いにある方々、子供たち、そして若い人たちに祝福を送ります」と話された。

*主への感謝は平和への嘆願になる

 教皇フランシスコは典礼歴で「十字架称賛」の日に当たるこの日、カザフスタンのオジオルノエの平和の女王の聖域への霊的一致の気持ちを強調。「カザフスタンの人々への感謝」と「人類への平和」という言葉が、この聖域の大きな十字架に刻まれていることを思い起された。 そして、「この偉大な国に住む神の聖なる民のために主に感謝することは、対話の促進への献身への感謝と共に、平和ー私たちの世界が強く切望する平和ーへの嘆願となります」と語られた。 

*戦争で引き裂かれたウクライナのために祈る

 また教皇は、世界のあらゆる戦争で引き裂かれた地域の人々、特にウクライナの人々の苦しみに思いを寄せられ、「私たちが戦争に慣れたり、避けられないものとして諦めたりしないように」と祈られた。
 そして、戦乱で苦しむ人たちに援助の手を差し伸べるように、平和を実現するための真の努力を求め続けるように、ミサに参加している人を含むすべての人々に促された。また、このところ、カザフスタンに近い黒海とカスピ海にはさまれたコーカサス地域でも暴力が勃発している、と伝えられていることにも注意を向けられた。
 さらに、教皇は「唯一の解決策は平和。そして平和に至る唯一の方法は対話です」と強調。「人々、国家、そして全人類の利益のための対話に、紛争が屈するまで、まだ何が起こる必要があるのでしょう、あと何人が命を落とす必要があるのでしょう」と訴えられた。
 最後に、教皇は、、世界が平和の建設を学ぶように、特に軍拡競争を制限し、戦争に費やす莫大な資金を人々への援助に回すように、世界のすべての人々に祈るよう求められ、次のように締めくくられた。「このことを真剣に受け止めているすべての方々に感謝します。皆さんすべて、そして平和と一致の先頭に立つすべての男の方、女の方に感謝します!」
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 カザフスタンのカトリック信者は全人口の1%に満たない「小さな群れ」であるが、同国におけるカトリック教会の起源は、フランス王、聖ルイ(ルイ9世)が、宣教師たちをモンゴルを目指して派遣した13世紀にまでさかのぼる。14世紀初頭、時の教皇ヨハネ22世はチャガタイ・ハン国に手紙を送り、キリスト教徒への寛容に感謝を表したが、同世紀半ばから迫害が始まり、19世紀にカザフ地域がロシア帝国の下に入るまでは、同地のキリスト教徒についての情報はない。
 20世紀前半、戦争の影響で、また移民、難民、強制移住者としてこの地域に入ったカトリック信者の中で残留・定住する人たちがいた。1991年にソビエト連邦から「カザフスタン共和国」として独立し、翌年の1992年にバチカンと国交を結んだ。2001年、聖ヨハネ・パウロ2世が同国を訪問し、教皇フランシスコの今回の訪問は、教皇として21年ぶり。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2022年9月15日