☩「人生の嵐のとき、主を呼び求め、喜んで助けていただこう」教皇、年間第19主日の正午の祈り

(2023.8.13 Vatican News  By Thaddeus Jones)

    教皇フランシスコは年間第19主日、13日の正午の祈りの説教で、この日のミサで読まれたマタイ福音書の、イエスが湖の上を歩かれる箇所(14章22-33章)と取り上げ、そこで弟子たち言われた「安心しなさい。恐れることはない」という言葉に注目され、「主はいつも、私たちに寄り添い、人生の歩みの中で、逆風や荒波から私たちを救ってくださいます」とされ、主がそのような方であることを強調された。

 教皇は説教で、朗読された箇所の冒頭で、イエスは、多くの群衆に食事をとらせた後、すぐに弟子たちを舟に乗せ、向こう岸に、ご自分より先に行くように言われたが、この記述に始まるこのエピソードで、「弟子たちは、主がすべての主人であり、自分たちの人生で恐怖と不安をもたらす困難や悪がどのように克服されるかを、最後に理解することができました」と説かれた。

  そして、「当時の人々は広大な湖を恐怖の目で見ており、特に荒天時には、その深淵が混沌と冥界の暗闇を象徴していました… 弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、幽霊だ、と恐怖のあまり叫びます」とされ、「これに対して、主は私は(そばに)いる。恐れることはない』と言われ、弟子たちに、主が、どのようにして困難を克服できるようにされ、それが死であれ、罪であれ、悪魔であれ、敵を打ち負かされるのか、を示されたのです」と語られた。

 続けて教皇は、「キリストは、私たちにも『安心しなさい、勇気を出しなさい』と繰り返して言われます。イエスは、共におられるので、私たちは人生の荒波の中で一人ではありません… 人生で、嵐が私たちを襲ったとき、私たちも弟子たちと同じように、主を呼び求め、喜んで助けていただきましょう。使徒ペテロが『主よ、助けてください!」と叫んだようにです」とされた。

 さらに、「主の招きに応じて歩み寄ろうとして、水の中に沈み始めたとき、私たちもこの素晴らしい祈りを繰り返す必要があります。この祈りは、『主が、私たちを救ってくださる』という確信、『主が、私たちの悪と恐怖を打ち負かしてくださる』という確信を表すものですから」と説かれ、聖ペトロ広場に集まった人々に、「主よ、助けてください!」と三度、共に祈るよう勧められた。 「同じ言葉を繰り返しましょう、特に”嵐”の時に、『主よ、私を助けてください!』と」。

 最後に 教皇は、私たちの人生、そして教会という”舟”を荒波と逆風に翻弄されながらこぎ続けることは、私たち全員が直面しなければならない課題であり、主は私たちに困難に立ち向かうよう求めておられますが、同時に、主を信頼する私たちに救いの機会を提供してくださいます」と強調。そして主に会うために、 「私たちが暗闇を航海するとき、(主は)私たちを助けに来られ、喜んでお迎えすることが求められます」と注意された。

 締めくくりに教皇は、「恐怖に襲われたとき、自分はどのように対応するか、自分だけで対応しようとするのか、それとも主に助けを求めるのか」をよく考えるように勧めされ、さらに「 私たちは信仰を持っており、私たちにを襲う波や風よりも、キリストが強いと信じているか? そして、私たちはあらゆる状況、特に激動の状況において、自分の人生に主を迎え入れ、自分の人生の舟に主のための場を作り、主に舵を取ってもらっているだろうか?」と、問いかけられ、「暗い岐路に立ったとき、海の星マリアがイエスの光を求める私たちを助けてくださいますように」と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2023年8月13日

☩「WYDリスボン大会は『キリストとの出会い』を体験する機会となった」水曜恒例一般謁見再開

(2023.8.9 Vatocam News  By Deborah Castellano Lubov)

    恒例の7月の”夏季休暇”を終えられた教皇フランシスコは9日、水曜一般謁見を開会され、「世界青年の日(WYD)」リスボン大会出席を主たる目的としたポルトガル訪問を振り返り、大会が若者たちにとって、「キリストに出会い、信仰を発見し、神の愛を体験する機会」となったことを強調された。

 バチカンのパウロ6世ホールで行われた一般謁見で教皇は、 「新型コロナの世界的大感染後のリスボンでの大会は、誰もが神の贈り物だと感じました… 神が若者たちの心を動かし、歩ませ、イエスを探しに行こうとされたのです」とされ、「WYDは、教会を通じた生けるキリストとの出会い、信仰を成長させ、多くの人が神の呼びかけを見つける出会い、そして、しばしば、結婚、奉献生活、司祭職への呼びかけの機会を提供します。… 大会に参加した一人ひとりにとって、それは、恵みにより、神の民の一員として召されていることを発見し…すべての民に喜びの福音を宣べ伝えるために遣わされた喜びです」と語られた。

 また教皇は、この時代、そして歴史を通じての聖母マリアの臨在、特に、ポルトガル訪問中に、ファティマで聖母に祈られた時のことを思い起こされ、 「マリアは、私たち皆の母です。彼女は私たちを決して待たせることがありません」とされ、御出現の現場では、病気の若者たちとともに、「神が世界の魂の病、特に高慢、嘘、敵意、暴力の病を癒してくださるように祈りました。私たちは、自分自身、そした欧州と世界の、マリアの御心、マリアの汚れなき御心への奉献を新たにしました。 世界各地で非常に多くの戦争が起きている中で、私は平和を祈りました」と述べられた。

 続けて、大会に参加したウクライナの若者たちが、他の参加者たちとは全く異なる辛い体験を持って参加したことについても思い起こされ、「彼らも多くの若者と同様に、『キリストに会うため』に大会にやって来ました。彼らが大会に出ている間も、ウクライナでは(ロシアによって起された)戦いが続いています」と、ウクライナの悲惨な現状を思いやられた。その一方で、 「WYDは、『恐怖、孤立主義や武器』などがない世界が可能であることを、私たちに示す集まりでもありました」と指摘された。

 謁見での説教の最後に、教皇は、聖母マリアが世界中の若者と、ポルトガルの国民を祝福してくださるように祈るとともに、WYD大会やご自身のポルトガル訪問に関わったすべての人に感謝を表明された。

 教皇は、海外訪問として、ポルトガル訪問の後、今月末から9月初めにかけてモンゴルを歴代教皇として初めて訪問され、さらに9月下旬に移民・難民に関する地中海会議参加のため、フランスのマルセイユを訪れられる予定だ。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2023年8月10日

☩「聖職者の性的虐待は”疫病”、”ゼロ・トレランス”で真剣に対応必要」教皇、帰国途上の機中会見で(Crux)

Pope Francis speaks to reporters aboard a papal flight returning from Canada on July 30, 2022. (Credit: Guglielmo Mangiapane/Pool via Associated Press.)

 

(2023.8.6 Crux  Senior Correspondent  Elise Ann Allen)

  ポルトガル訪問を終えた 教皇フランシスコは6日夕、空路ローマへ帰国途上の機内で、同行記者団と会見して、ポルトガルでの聖職者による数多くの性的虐待、若者の精神的な健康問題、自身の健康状態など、様々な質問に答えられ、女性の司祭叙階を認めず、LGBTQ+の人々の同性婚や秘跡を制限しているカトリック教会の姿勢については、「これは、教会の心の狭さの表れではありません」と言明された。そして、今回の真夏の過酷ともいえるポルトガル訪問のご自身の健康への影響について、「私の健康状態は良好です」と強調された。

*女性司祭や同性婚の禁止は、教会が閉じられていることを意味しない

  会見の中で、「女性やLGBTQ+コミュニティのメンバーが教会のすべての秘跡を受けられないことがあるが、なぜ教会が平等な場になっていないのでしょう」との問いに、教皇は、「教会は誰にでも開かれていますが、教会の内部における活動を規制する法があります」とされ、 教会の法規によれば、そうしたグループは秘跡に与ることができないが、「だからと言って、教会が閉じられているわけではありません。教会で、皆がそれぞれの道を歩む中で神に出会います。教会は母であり、教会はそれぞれの人の道を導いてくれます。 ですから、私は『みんな来なさい。でもあなたはそこにいてください』と言うのが好きではありません。誰でも歓迎します」と語られた。

 祈りや内面的、司牧的な対話の中で、一人ひとりが「成熟の道を探求し」ており、 病気の人も健康な人も、老いた人も若い人も、善い人も悪い人も、教会は歓迎し、人々が成熟の道を一歩ずつ歩むのに同行します。私たちにはそのような経験があります。教会は母であり、すべての人を受け入れるのです」と述べ、「私たちの中で、人生において道徳的な間違いを犯さなかった人がいるでしょうか? 誰もが…私たちはそれぞれ、自分自身の失敗を経験しています。 人生はそのようなものであり、母なる教会は、慈しみの心をもって、すべての人を待っているのです」と強調された。

 

*ファティマの聖母巡礼聖堂で、聖母に捧げたロシアとウクライナを祈られたか

 

 また別の記者は、「教皇が5日にファティマの聖母巡礼聖堂を訪問された時に、なぜウクライナ和平について祈られなかったのか」と質問した。


教皇は、ロシアによるウクライナ軍事侵攻が始まって一か月後の2022年3月25日に、バチカンの聖ペトロ大聖堂で、ロシアとウクライナの「マリアの汚れなき御心への奉献」をされており、ロシアの奉献こそ、ファティマに出現された聖母が牧童に託されたメッセージの中で願われていることと、考えれられていたからだ。

 この質問に対して教皇は、「私は聖母の前で平和を祈りましたが、(その内容を)公けにせず、祈りました… 私たちは平和への祈りを続けなければなりません。 第一次世界大戦のとき、聖母は、平和を求めました、そして今回も私は平和を求め、祈りました」と答えられた。

 

 

  *教皇ご自身の健康は、スピーチを一部読み飛ばしたのは

 

 教皇の健康状態について「視力低下や、腹部手術の直後のポルトガル訪問の過酷なスケジュールの影響を心配する声がありますが」との問いには、「私の健康状態は良好です… 手術後、私は普通の生活を送っています」とされ、「先の手術の後、筋肉が治癒するのを確実にするために、2~3か月間は特別な湿布を貼る必要がありますが、私は大丈夫です」と語られた。

 ポルトガル訪問中の5日の朝、慈善団体関係者たちのために用意した講話の原稿の最初の数段落を読み上げられた後、「照明のせいで読むのが難しい」と言われて、原稿を脇に置かれた。ファティマでの講話の原稿についてもそうされたが、教皇は昨年、白内障治療の手術を受けており、その影響を懸念する声が出ていた。

 だが、教皇は、慈善団体関係者への講話については「前に光があったため、原稿の字が見えなかった」ので、スピーチの一部をカットしたが、 他の原稿の一部をカットして話したのは、「(聴衆との)コミュニケーションをとるためであり、冗談をはさむためです」と説明。 「特に長いスピーチの場合、メッセージの本質を大切にしながら、コミュニケーションをとることに努めたのです… また、若い人たちが、私の講話に神経を集中できる時間は長くないので、彼らに問いかけることもしました。その反応から、私の話が正しい方向に進んでいるかどうかも知ることができるからです」とさらた。

*説教のメッセージは短く、明確に―”拷問”にならぬよう

 

 また、教皇は2013年に出された使徒的勧告「福音の喜び」で説教について詳しく述べられているが、そこでは、司祭たちに良い説教の仕方についても助言しておられる。教皇は 「説教は往々にして”拷問”です。教会は説教の在り方について”回心”する必要があります」、さらに「説教で伝えようとするメッセージは短く、明確にすべきです」と指摘された。

 

 海外訪問の一つとして、地中海国際会議出席のために9月下旬にマルセイユを訪問することについて、教皇は、「マルセイユに行くのは、地中海が心配だから。移民・難民が地中海を船で渡る途中で起きていることは、犯罪です」と語られ、記者たちに、以前話したことのあるスペイン人の作家が書いた『エルマニト』という本を読むよう勧められた。この本は、著者が出会った移民たちの物語を書いており、彼らが旅の途中で耐えた恐怖を詳しく語っている。

 

 

*聖職者の性的虐待は”疫病”、司牧者たちは真剣に対応必要

 

 教皇は、ポルトガルの聖職者による性的虐待問題に関し、数十年の間に約5000人の子供たちが被害に遭っていたことが、独立調査委員会の2月の報告書で明らかにされ、ポルトガルの教会が批判にさらされていることについても、答えられた。教皇はリスポンに到着された日の夜、虐待被害者と支援団体の代表たちと私的に面談されたが、「この会合で、私は”疫病”に触れることができました。途方もない”疫病”です。教会はこの疫病への対応に成熟する必要があります」と言明。また、「虐待を受けた方々と話すのは非常につらい経験でしたが、私がこれから何をすべきかを知る助けとなりました」と語られた。

 世界の教会では、2019年に未成年者保護に関する世界司教協議会会長会議が専門家や被害者も参加して開かれるなど対応が進んでいるが、「深刻な問題なので、真剣に対応を話し合わねばなりません。『ゼロ・トレランス(例外なしの厳しい対応)』いう言葉がよく使われますが、司牧者たちは、真剣に受け止め、対応に取り組まねばなりません」と強調された。

 また最近の性犯罪の特徴の一つとして、小児性愛者が子供たちを聖的に虐待している様子をオンラインでライブ配信することまでされていることを挙げ、「オンラインでの性的搾取の増加」を嘆かれるとともに、「 このような犯罪は無くさねばならない。『誰が撮影したのか』『どこでなされたのか』などを追及せねばなりません」と訴えられた。

*あらゆる虐待の阻止に教会は努める必要

 

 そして、「性的虐待が虐待の唯一のものではなく、児童労働や女性の虐待など、他の形態も存在します」とされ、「教会は、あらゆる形態の虐待を阻止するために努めねばならない。世界中に存在する”虐待の文化”を、人類は改める必要があり、対応は順調に進んでいます」と語られた。

*若者の自殺願望は深刻な問題

 

 「教皇は、若者の間に目立っている、うつ病や自殺願望などの精神的健康問題について、WYD期間中のスピーチでも扱っておられる。カトリック教会の伝統的な教えから、『自殺者は地獄に送られるのではないか』と心配する信徒もいるが」との質問に対しては、「今日、若者の自殺は深刻な問題ですが、マスコミは、あまり話題にしないようです」とされる一方、「WYD期間中に出会ったある若者から1年前に自ら命を絶つかどうか考えていたことを打ち明けられたが、そのように 多くの若者が心理的に苦しんでいます。多くの若者が人生で成功せねばならない、というプレッシャーを感じているにもかかわらず、学校を卒業できず、職に就くこともできず、大きな恥辱を感じて自殺してしまう。 それは問題です」と述べられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載しています。Crux is dedicated to smart, wired and independent reporting on the Vatican and worldwide Catholic Church. That kind of reporting doesn’t come cheap, and we need your support. You can help Crux by giving a small amount monthly, or with a onetime gift. Please remember, Crux is a for-profit organization, so contributions are not tax-deductible.

 

 

*Vatican Newsによる教皇の機中会見での記者団との一問一答は以下の通り。(英文)

 

Q: Aura Maria Vistas Miguel – Rádio Renascença:
Your Holiness, first of all thank you for your visit to Portugal. Everyone already considers it a success. Everyone is very happy, thank you for coming. I met a high-ranking police officer who told me that he had never seen such an obedient and peaceful crowd. It was beautiful. My question is about Fatima: We know that you went there and prayed in silence in the little chapel. But there was this great expectation, in the very place where Our Lady had made a request to pray for the end of the war (and we are at war at the moment, unfortunately) and the expectation was that the Holy Father would publicly pray for peace; the eyes of the whole world were fixed on you yesterday morning in Fatima. Why did you not do it?

Pope Francis:

I prayed, I prayed. I prayed to Our Lady, and I prayed for peace. I did not advertise this, but I prayed. And we must continually repeat this prayer for peace.

She [Our Lady] made this request during the First World War. And this time I appealed to Our Lady and I prayed. I did not advertise.

Q: João Francisco Gomes – Observador:

Thank you very much Holy Father, I will speak in Spanish, I think it is easier for me. And if you could also answer in Spanish, it would be easier for Portuguese readers to understand. I would like to ask a question about the abuse of minors in the Church in Portugal. In February this year, a report published on the reality of abuse in Portugal said almost 5,000 children have been victims in the last decades. My question is: are you informed about this report that was handed over to the bishops? What do you think should happen with the bishops who knew about the cases of abuse and did not communicate them to the authorities? Thank you very much.

As you all know, in a very private setting, I received a group of people who had been abused. As I always do in these cases, we talked about this plague, this terrible scandal. In the Church, we followed more or less the same behaviour that is currently followed in families and neighbourhoods: we cover it up… We think that 42% of abuse takes place in families or neighbourhoods. We still have to mature and help discover these things. Since the Boston scandal, the Church has become aware that one could not go down random paths, but that one had to take the bull by the horns.

Two and a half years ago there was a meeting of the Presidents of the Bishops’ Conferences, where official statistics on abuse were also provided. And it is serious, the situation is very serious. In the Church there is a phrase we are using all the time: ‘zero tolerance, zero tolerance’. And the pastors who, in some way, have not taken responsibility have to take responsibility for this irresponsibility… The world of abuse is a very harsh one, and I urge everyone to be very open about it. Regarding the question of how the process is going in the Portuguese Church: it is going well. It is going well and with serenity; seriousness is being sought in cases of abuse. The numbers sometimes end up being exaggerated, a bit for the comments we always like to make, but the reality is that it is going well and this gives me a certain tranquillity.

I would like to address one point and I would like to ask you journalists to collaborate on this. Do you have a phone today? A phone. Well, on any of these phones, for a fee and with a password, you have access to child sexual abuse. This comes into our homes and child sexual abuse is filmed live. Where is it filmed? Who are the perpetrators? This is one of the most serious plagues, next to the whole world (…) but I want to emphasise this because sometimes you don’t realise that things are so radical. When you use a child to make a spectacle of abuse, it draws attention. Abuse is like ‘consuming’ the victim, isn’t it? Or worse, hurting them and leaving them alive.

Talking to people who have been abused is a very painful experience, which is also good for me, not because I like to hear it, but because it helps me to deal with this drama. That is, to your question I would say what I said: the process is going well, I am informed about how things are going. The news may have exaggerated the situation, but things are going well as far as that is concerned. But also, with that, I would say, in some way: Help out. Help so that all types of abuse can be resolved, sexual abuse, but it is not the only one.

There are also other types of abuse that cry out to heaven: the abuse of child labour, the abuse of child labour, and it is used; the abuse of women, no? Even today, in many countries, surgery is still done on little girls: their clitoris is removed, and that is today, and it is done with a razor, and goodbye… Cruelty… And the abuse of labour, that is within sexual abuse, which is serious, and all that: there is a culture of abuse that humanity must review and must undergo a conversion.

Q: Jean-Marie GUÉNOIS – Le Figaro
Holy Father, how are you? How is your health, how is your convalescence? You have not read, or have read only small parts of five speeches. It’s unprecedented in a journey: why? Have you had eye problems, tiredness? Are texts too long? How do you feel feel? And allow me a small question about France. You are coming to Marseille, but you have never visited France. The people don’t understand, maybe it’s too small or do you have something against France?

My health is fine. The stitches have been removed; I lead a normal life; I wear a band that I have to wear for two or three months until my muscles get stronger.

My sight. In that parish I cut off the speech because there was a light in front of me and I couldn’t read, the light was in my eyes and that’s why I cut it. Some, through Matteo, have asked why I shortened the homilies that you have. When I speak, I don’t do academic homilies, but I try to make it as clear as possible. When I speak I always seek communication. You have noticed that even in the academic homily I make some jokes, some laughs to control communication. With the young people the long speeches had the essential of the message, the essential of the message, and I selected according to how I felt the communication.

You noticed that I asked a few questions and immediately the feedback showed me where it was going, whether it was wrong or not.

Young people don’t have a long attention span. Think about it: if you make a clear speech with an idea, an image, an affection, they can follow you for eight minutes. Incidentally, in Evangeli Gaudium, my first Apostolic Exhortation, I wrote a long, long chapter on the homily. Here there is a parish priest (referring to Don Benito Giorgetta, parish priest of Termoli, ed:)  he knows that homilies are sometimes a torture, torture, that they talk blah, blah, and people…

In some small towns, I don’t know about Termoli, men go out for a cigarette and come back. The Church must convert to this aspect of the homily: short, clear, with a clear message, and affectionate. That’s why I check how it goes with the young people and I make them speak. But I shortened it because… I need to leave the idea with young people.

Let’s move on to France. I went to Strasbourg, I will go to Marseilles, but not to France. There is a problem that concerns me, which is the Mediterranean. That’s why I’m going to France.

The exploitation of migrants is criminal. Not here in Europe, because it’s fine, we are more cultured, but in the concentration camps of North Africa… I recommend a book. There is a small booklet, a small one, written by a migrant who spent, I think, three years to come from Guinea to Spain because he was captured, tortured, enslaved. Migrants in those concentration camps in North (Africa): it’s terrible. At this moment – last week – the “Mediterranea Saving Humans” association was doing a job to rescue the migrants who were in the desert between Tunisia and Libya, because they had left them there to die. That book is called “Hermanito” – in Italian it has the subtitle “Fratellino” – but it can be read in two hours, it’s worth it. Read it and you will see the tragedy of the migrants before embarking.

The bishops of the Mediterranean will hold this meeting, even with some politicians, to reflect seriously on the tragedy of migrants. The Mediterranean is a cemetery, but it’s not the biggest cemetery. The largest cemetery is North Africa. This is terrible, read it. I go to Marseille for this. Last week, President Macron told me that it is his intention to come to Marseilles and I will stay a day and a half: I arrive in the afternoon and staying the following day.

(Matteo Bruni repeats the question: You have nothing against France?)

No. No, on this it’s a policy. I am visiting small European countries. The big countries, Spain, France, England, I’ll leave them for later, at the end. But as an option I started with Albania and so I did with other small ones. It’s nothing. France, two cities: Strasbourg and Marseille.

Q: Anita Hirschbeck – KNA
Holy Father, in Lisbon you told us that in the Church there is room for everyone, everyone, everyone. The Church is open to everyone, but at the same time not everyone has the same rights, opportunities, in the sense that, for example, women, homosexuals cannot receive all the sacraments. Holy Father how do you explain this inconsistency between an open Church and a Church not equal for all? Thank you.

You ask me a question that concerns two different points of view: the Church is open for everyone, then there is legislation that regulates life inside the Church. He who is inside follows the legislation. What you say is a simplification: “They cannot participate in the sacraments.” This does not mean that the Church is closed. Everyone meets God on their own way inside the Church, and the Church is mother and guides everyone on their own path. That’s why I don’t like to say: everyone comes, but you, this one, but the other one… Everyone, everyone in prayer, in inner dialogue, in pastoral dialogue, looks for the way forward.

That’s why I ask the question: Why not homosexuals? Everybody! And the Lord is clear: the sick, the healthy, old and young, ugly and beautiful… the good and the bad!

There is a kind of gaze that doesn’t understand this insertion of the Church as mother and thinks of it as a kind of “corporation” that you have to do this, or do it in this way and not another way, in order to get in to.

The ministeriality of the Church is another thing. [It is] the manner of carrying forward the flock. And in ministeriality, one of the important things is patience: accompanying people step by step on their way to maturity. Each one of us has this experience: that Mother Church has accompanied us and accompanies us in our own path of maturation.

I don’t like reduction. This is not ecclesial; it is gnostic. It is like a Gnostic heresy that is somewhat fashionable today. A certain Gnosticism that reduces ecclesial reality, and that doesn’t help. The Church is “mother” receiving everyone, and everyone makes their own way within the Church, without publicity, and this is very important. Thank you for the courage of asking this question. Thank you.

Matteo Bruni: The Pope would like to share a thought about WYD.

I would like to say one thing about how I experienced WYD. This is the fourth one I’ve experienced. The first one was in Rio de Janeiro which was monumental, Brazilian-style, beautiful! The second was in Krakow, the third in Panama; this is the fourth. This is the most numerous one. The hard, concrete data said there were more than a million. More. In fact, at the Vigil at night, yesterday, it was estimated to be one million four hundred or one million six hundred thousand people. These are the government figures. The number is impressive. Well prepared, eh! Of the ones I have seen, this is the best prepared.

The young people are a surprise. Young people are young, they act youthful, life is like that. But they are seeking to look forward. And they are the future. The idea is to accompany them. The problem is knowing how to accompany them. And that they shouldn’t detach themselves from their roots. That’s why I insist so much on dialogue between old and young, between grandparents with grandchildren. This dialogue is important, more important than the parent-child dialogue. With grandparents, because it is precisely there that you find the roots. Then young people: they are religious, they are looking for a non-hostile, non-artificial, non-legalistic faith, an encounter with Jesus Christ. And this is not easy.

They say, “But young people don’t always live life in accordance with morality….” Who among us has not made a moral mistake in our lives? Everyone has! With the commandments or with someone, each of us has our own downfalls in our own history. Life is like that. But the Lord is always waiting for us because He is merciful and [He is] Father, and mercy goes beyond everything.

For me the WYD was beautiful. Before I caught the plane, I was with the volunteers who were 25,000! [It was] a mystical experience, an engagement that was really beautiful, beautiful, beautiful. That’s what I wanted to say about Youth Day.

Q: Justin McLellan – Catholic News Service (CNS)
You spoke about World Youth Day. We have heard during these days testimonies of young people who have struggled with mental health, with depression. Have you ever struggled with this? And if someone decides to commit suicide, what would you say to the family members of this person who, given Catholic teachings on suicide, suffer in thinking this person has gone to hell?

Youth suicide is a major issue today, the numbers are major. The media does not often say so much or inform (about the issue). I have been – not (in the context of) confession, no – in dialogue with young people, taking up occasions for dialogue.

A good young man said to me: Can I ask you a question? What do you think about suicide? He did not speak our language, but I understood well and we started to talk about suicide. And finally he said to me: Thank you, because last year I was undecided whether to do it or not to do it.

So many young people are anxious and depressed but not only psychologically. Then in some countries that are very very demanding at the university, young people who do not succeed in getting a degree or finding a job, (and) commit suicide because they feel great shame. I’m not saying it’s an everyday issue but it’s a problem. A problem of our day. It’s something that happens.

Matteo Bruni:
Thank you, Your Holiness, for your answers.

Thank you for what you have done and remember (the book) “Hermanito” or “Little Brother,” the book on the migrant. Thank you.

This is a working translation and transcription. Words and expressions in parenthesis are provided for clarity.

2023年8月7日

【教皇ポルトガル訪問最終日】「大地が雨を求めるように、教会と世界はあなたがた若者を必要としている」WYD大会閉幕ミサ で

Concluding Mass for World Youth Day 2023Concluding Mass for World Youth Day 2023

 ポルトガル訪問最終日の6日朝、教皇フランシスコはリスボン市内のテージョ公園で、「世界青年の日(WYD)」大会の締めくくりのミサを、大会参加者たちと共に捧げられた。そして、説教の中で、若者たちに「輝き、耳を傾け、恐れない」ことを説かれた。

 

*「三つの動詞」を持ち帰ろう

 

 「主の変容」の主日に当たるこの日のミサでは、福音朗読でマタイ17章のイエスの変容の箇所が読まれたが、教皇は、変容を目の当たりにしたペトロの言葉を引用され、「私たちが、ここ(このミサの会場)にいるのは素晴らしいことです!」と参加者たちに呼びかけて、説教を始められた。

 そして、彼らに、「私たちは、”日常生活の谷間”に何を持って帰るのか」自問するように促され、福音の朗読箇所から引用する形で「輝く」「聴く」「恐れない」の三つの動詞を持ち帰ることを提案された。

 

*「輝く」

 福音で読まれたイエスの変容の箇所で、イエスは、ゲツセマネとカルワリオで弟子たちが直面することになる辛い時に備えるために、ご自身の顔を太陽のように顔を輝かせ、衣服を光のように白くさせて、最も親しくしていた三人の弟子たちの前に現れた、と書かれている。

 教皇は、「私たちも光を必要としています。私たちの人生を襲う多くの闇に立ち向かう希望となる、一筋の光が必要です。そして、 その光とは、イエスです。イエスは消えない光、夜の中でも輝く光だからです」とされ、「主の光で、いつも私たちの目を、心を、思いを照らし、人生で何かしたいという私たちの願望を照らしてくれるのは、イエスです」と強調。

 「しかし、自分自身にスポットライトを当てても、私たちは明るくなるわけではありません。イエスを心から受け入れ、イエスのように愛することを学ぶとき、私たちは明るくなり、輝くのです。イエスのように愛すること-それが私たちを明るくし、愛の業を行うように導くのです」と説かれた。

*「聴く」

 続いて、教皇は、主の変容の際に、父なる神が弟子たちに語られた「これは私の愛する子… これに聞け」に注意を向けられて、「私たちが人生ですべきことは、すべてここにあります―イエスの言うことを聞くように、すべての秘密を解くカギがそこにある」とされ、「もし 神が自分に何を言っておられるのか、分からない場合は、福音書を読んで、イエスが語られることを知り、心でイエスが語られることを聞くことです。なぜなら、神は、私たちに対する永遠の命の言葉を持っているからです。神は、ご自分が父であり、愛であることを明らかにしておられ、私たちに愛への道を教えてくださいます」と語られた。

*「恐れない 」

 最後に、教皇は三つ目の動詞、変容の際にイエスが弟子たちに語られた最後の言葉、「立ち上がりなさい。恐れることはない!」に言及。

 

 「あなたがたは、素晴らしい夢を持っていても、それが実現しないのではないか、と恐れたり、悲観、落胆する誘惑に引かれたり、自分の努力が十分ではないと感じたりすることがあるかも知れません」とされたうえで、「世界を変えたいと願い、正義と平和のために戦おうとするのは、良いこと。大地が雨を必要としているように、世界はあなたがたを必要としているのです」と強調された。

 そして、「イエスが私たち一人ひとり言われている『恐れるな』を、心の中で静かに繰り返しましょう。愛する若者の皆さん、皆さん一人ひとりの目を見て申し上げたい。恐れることはありません」と若者たちを激励。 「さらに、とても素晴らしいことを申し上げましょう。今のこの瞬間、あなた方を見ているのは、私ではなく、イエスご自身なのです。イエスが私たちを見ておられるのです…  神はあなたがたを知っておられます。あなたがた一人ひとりの心を、人生を、喜びを、そして悲しみ、成功、失敗を知っておられます」と語られ、次のように締めくくられた。

 「神は、今日、ここリスボンで開かれている世界青年の日(WYD)大会で、あなたがたに呼びかけておられます―『恐れるな。恐れるな。勇気を出せ。恐れるな』と」。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2023年8月6日

【教皇ポルトガル訪問4日目】WYD大会参加の若者たちと夕の祈り「私たちの喜びは宣教にある、訓練を怠るな」

2023.08.05 Viaggio Apostolico in Portogallo in occasione della XXXVII Giornata Mondiale della Gioventu' - Veglia con i giovani

 教皇フランシスコは5日、ポルトガル訪問4日目の最後に、リスボンのテージョ公園で「世界青年の日(WYD)」大会に参加した若者たちと夕の祈りをなさった。

 祈りの中の説教で、教皇は「旅をして、歩いて、ここまで来てくれてありがとう」と若者たちに呼び掛けられ、「皆さんと同じように、聖母マリアも、いとこのエリザベトに会うために旅をしました。ルカ福音書に、マリアは急いで(エリゼべトのいる)山里に向かった、とあります。どうして急いだのでしょう」と問いかけられた。

 そして「いとこが妊娠していることを知ったからですが、彼女自身も妊娠しています。誰にも頼まれなかったのに…義務ではありません。愛するから、出かけたのです。『愛する者は飛んで、走って、喜ぶ』(「キリストに倣う」Ⅲ・5)…マリアの喜びは2つです。「救い主を迎える」という天使のお告げ、そして、いとこが身ごもった、という知らせ、です。そしてこの喜びは、誰かのため、ではなく、何かがもたらされるからです」と説かれた。

 さらに教皇は、「私たちの喜びは、宣教にあります。喜びは他の人にも届けねばなりません。そして、私たちも受け取ります。両親、祖父母、友人、司祭、修道者、カテキスタ、教師など、私たちの人生の光となった人々がいます。  今、私たちは一秒間の沈黙を持ち、人生において私たちに何かを与えてくれた、喜びの根源のような人たちのことを一人一人が思います。そして私たちもまた、他の人にとって喜びの根となることができます。 それはつかの間の喜び​​、瞬間的な喜びをもたらすことではありません。 それは根を生む喜びをもたらすことです」と語られ、「では、どうすれば私たちは喜びの根になれるのでしょうか?  それは鍵をかけられた状態で保管されているのではなく、探求し、発見しなければなりません。 私たちは他者との対話の中でそれを発見し、そこで受け取った喜びの根源を与えなければなりません」とされた。

 また、「私たちは時々、疲れます。 疲れたときに何が起こるかを考えてみましょう。何もする気がなくなり、やる気がなくなって、あきらめて、歩くのをやめて倒れます。 人生でつまずいたり、失敗したり、重大で重大な間違いを犯したりした人はもう終わったのだ、と思いますか… 山登りが好きなアルプスの人たちが良く歌う素敵な短い歌があります―『山を登る時に大切なのは、転ばないことじゃなく、転んだままにならないこと』です」と指摘。

 「では、倒れた友がいたら、何をすべきでしょうか? その人を助け起こします。私たちにとって、 人を上から見下ろす唯一の機会は、彼が立ち上がれるように助ける時です。そうでないのに、他人を上から見下ろす人がいるのは 悲しいことですが」と述べられた。

 また教皇は、「人生で、何かを達成するには、訓練が必要です。私たちは時々、歩く気がしない、努力する気がしない、勉強したくない、だから試験でカンニングをする… そして成功を収められないことがあります。 サッカーもそうですが、ボールをゴールに入れられるようになるには、たくさんのトレーニングをせねばなりません。また人生においては、いつも自分のしたいことができるとは限りませんが、大事なのは『自分の使命』を持っていることです…  転んだら、自分で起き上がるか、それができないなら他の人に助けてもらいましょう。 落ち込んではいけません。 そして、訓練です。人生の歩み方を教える(万能の)コースはありません。 それは学ぶこと、学ぶこと、です」と、若者たちに呼びかけ、説教を締めくくられた。

(バチカン報道局発表の教皇の説教原稿をもとにまとめました)

 

2023年8月6日

【教皇ポルトガル訪問4日目】「マリアはいつも私たちを歓迎し、急いで助けに来てくださる」ファティマの聖母巡礼聖堂で若い病者たちとロザリオの祈り

(2023.8.5  Vatican News By Lisa Zengarini)

 教皇フランシスコはポルトガル訪問4日目を迎えられた5日朝、滞在中のリスボンからヘリコプターでファティマに移動され、聖母巡礼聖堂の「ご出現の礼拝堂」で、病気の若者や受刑者と共にロザリオの祈りを捧げられ、説教の中で、「聖母マリアはいつも”急いで”私たちを助けに来られ、人生で進むべき道を示してくださいます」と強調された。

 ファティマの聖母巡礼聖堂前の広場には、若者たちをはじめ約20万人の巡礼者が集まり、 教皇は彼らを祝福された後、ご出現の礼拝堂で聖母像の前で、約100人の若い病人や数名の受刑者たちと共に、ロザリオの祈りを捧げられた。

  教皇は、数カ国語による祈りの後の説教で、「このご出現の礼拝堂は、人々を喜んで迎え入れる開かれた教会の、素晴らしいイメージを提供しています」とされたうえで、「教会には扉がないので、誰もが中に入ることができます。そして、母なる教会は、自分の子供たちにも、誰に対しても、開かれた広い心を持っています」と説かれた。

 続いて、教皇は、マリアが受胎告知を受けた後、どのようにして「最初に巡礼を行ったか」に注意を向けられ、「聖書にあるように、 年老いた、いとこのエリザベトが妊娠していると知るやいなや、マリアは、急いで出かけました。そのように、マリアは問題が起きると、いつも駆けつけてくださいます」と指摘。さらに、 「私たちがマリアを呼ぶたびに、彼女は私たちのところに来てくださいます。私たちの母親なので、急いで私たちの近くに来ようとされるのです」と強調された。

 また、マリアはイエスの生涯に同行され、イエスが復活された後も、聖霊を待つ弟子たちに同行し、聖霊降臨後の教会共同体に同行を続けられたが、「マリアは、決して皆の注目の中心にはおられない。私たち全員を歓迎しながらも、イエスに従い、イエスが求められることを行うようにと、私たちに告げられます―『主の言うとおりにしなさい』と」と語られ、 「ここ(ファチマ)に来るたびに、私たちはこのことを思い起す必要があります。マリアは特別な、なさり方でここに来られ、私たちにイエスを指し示され、多くの不信仰の心をイエスに開いてくださったのです」と説かれた。

 そして、広場に集まった若者たち、巡礼者たちに、「マリアに眼差しを向け、彼女が私たちに何を指し示しておられるのか、イエスが私たちに何を求めておられるのか、と自問する」よう促され、説教を締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2023年8月5日

【教皇ポルトガル訪問3日目】「イエスは私たちと共に旅を続けておられる」WYD大会参加者と十字架の道行き

(2023.8.4 Vatican News  By Christopher Wells)Pope Francis leads the Way of the Cross in Lisbon

     ポルトガル訪問3日目の4日夕、教皇フランシスコは、リスボンのエドゥアルド7世公園で、世界青年の日(WYD)大会最大の行事に一つ「十字架の道行き」を主宰され、若者たちに、「イエスは今日も、私たち共に歩み続け、私たち一人一人が愛と希望に満たされていること」を伝えられた。

「祈りと共に歩む」

 

 十字架の道行きを始めるに当たっての言葉で、教皇は「今日、皆さんはイエスと共に歩むことになります」と語りかけられ、イエスがこの地上におられた時、「歩かれ、病人を癒され、貧しい人々の世話をされ、正義を行われました… 歩き、説教し、私たちに教えられた」ことを、彼らに思い起させられた。

 そして、「私たちの心に最も深く刻まれているイエスが歩まれた道は、カルヴァリオへの道―十字架の道、です。 そして今日、皆さんは、祈りとともに歩みます – 私たちは(祈りながら歩みます)、私もです – 祈りと共に、皆さんは十字架の道を新たにしようとしているのです」と説かれた。

 

「御言葉は肉となった」

 また教皇は、「イエスの道とは、私たちの間を歩むために、神ご自身から生み出されるもの。ヨハネ福音書の冒頭の言葉(「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった…」)を覚えていますか」と参加者たちに問いかけられ、 「そして、言葉は人となり、私たちの間を歩まれました。神は、私たちを愛されるから、それをなさるのです」と強調された。

 次に教皇は、参加者たちに「自分の人生に悲しみをもたらす事柄」を思い浮かべ、同時に、「イエスは私たちと悲しまれ、私たちと共に涙を流してくださる。悲しみをもたらす暗闇の中で、私たちに寄り添ってくださる」ことを思い起すように、「心の沈黙の中で、イエスと悲しみを分かち合う」ように、勧められた。

 

「イエスは私たちの涙をぬぐいに来られる」

 そして、しばらく沈黙された後、教皇は、「イエスはその優しさで、私たちの隠された涙をぬぐってくださいます。私たちの孤独や恐れを和らげ、慰めで満たしてくださるために、いつもそばにいてくださいます。それだけでなく、イエスは、私たちに『愛するというリスク』を負うよう促されながら、私たちの人生を通して、いつも寄り添ってくださるのです」と説かれた。

 二度目の沈黙の後、教皇は若者たちに「自分たちの苦しみ、不安、惨めさ、そして『もう一度、自分の魂のほほ笑みを取り戻したい、という願い』について、改めて考えるように促され、「私たちの魂が再びほほ笑むように、『十字架に向かって歩み、十字架上で亡くなられたイエス」に再度注目されて、慰めの言葉で締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2023年8月5日

【教皇ポルトガル訪問3日目】「行動で愛を実践することは素晴らしい」障害者・高齢者支援事業関係者に

Pope Francis during encounter with charitable workers

(2023.8.4 バチカン放送)

 教皇フランシスコは、ポルトガル訪問3日目の4日、リスボン市内のバスコ・ダ・ガマ庭園で、世界青年の日(WYD)大会に参加する若者たちのために「赦しの秘跡」をなさった後、郊外セラフィーナ地区にある聖ビンセンシオ・ア・パウロ小教区センターを訪れ、障害者や高齢者などの支援事業に携わる人々との出会いを持たれた。

 同センターは、地域の高齢者や、若者、子どもたちに安らぎの場を与え、困窮した家庭を支え、必要とする人に医療ケアを提供している。子どもたちのコーラスに迎えられた教皇は、同センターをはじめ、他のいくつかの支援組織の代表らの話に耳を傾けられた。

 関係者への言葉で教皇は、「行動で愛を実践することは素晴らしい」と讃えられ、「愛(カリタス)は、キリスト者の歩みの出発点であり、ゴールでもあります」とされて、愛について「共に生き、助け合い、愛し合うこと」、「自らの手を汚して働く、抽象的ではない、具体的な愛」「最も弱い立場の人たちに寄り添うこと」の3つを強調された。

 そして、「WYD大会にもこうした視点、体験が必要。他者に寄り添い、貧しい人々を助けるために、自らの手を汚し、働くることで、若者たちは新しい人生を創造し続けていくでしょう」と語られた。

(編集「カトリック・あい」)

 

2023年8月4日

☩「 第三バチカン公会議よりも、第二バチカン公会議の 決定事項の完全実施が必要」教皇、スペイン誌のインタビューに

(2023.8.3 Vatican News  By Lisa Zengarini)

   教皇フランシスコは3日発行のスペインのカトリック誌「Vida Nueva」創刊65周年記念・教皇特別号のインタビューで、「教会は、第三バチカン公会議を計画する前に、(60年前に開かれた)第二バチカン公会議の決定事項を完全実施する必要がある」と語られた。

 インタビューで教皇は、第3バチカン公会議の召集をめぐる関係者たちの憶測、10年にわたる教皇職の回顧、世界の状況に関する懸念、今後の海外訪問の予定などについて質問に答えられた。

 まず、現在進んでいる”世界に開かれた教会改革”の起点となった第二バチカン公会議に次ぐ、 第三バチカン公会議の召集の可能性について、教皇は「まだ機が熟していません。第二バチカン公会議の決定事項がまだ完全に実施されていない今の時点では、その必要すらありません」と答えられた。

 ロシアによる ウクライナ軍事侵攻が長期化し、罪のない子供や市民に多くの犠牲者が出ていることについて、教皇は、和平への道を模索する特使に任命したイタリアのズッピ枢機卿が、キエフ、モスクワ、ワシントンを訪問した後、中国の北京を訪問する予定であることを確認。 ロシア軍に拉致されたウクライナの子供たちを取り戻すバチカンの外交努力にも言及し、「ロシアとウクライナ当局間の橋渡し役となる常任代表を任命すること』を明らかにされた。

 さらに、アラブ首長国連邦のアブダビで宗教指導者を集めた平和サミットを開く方向で最終調整していることも明らかにするとともに、コソボとスペインを訪問することを考えており、さらに母国アルゼンチン訪問も「課題にある」と述べられた。

 また、これまで繰り返し語られている「教会改革に対する夢」についての質問には、「時として”無力感”を感じることがありますが、それは良いことです。なぜなら、それが、自分が神だと慢心するのを妨げるからです」としつつ、「 いずれにせよ、福音なしに教会を改革することはできません」とされ、観念に走ることを警告された。

 そして、「世界中で13億人を超えるカトリック信者の司牧者」としての責任について、「数々の問題が、私の睡眠を奪ったことは一度もありません」と断言された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2023年8月4日

【教皇ポルトガル訪問2日目】「神はあなたがた一人ひとりを愛し、名前でお呼びになる」WYD参加者による教皇歓迎式典で

 (2023.8.3 Vatican News  By Christopher Wells)

  ポルトガル訪問中の教皇フランシスコは3日夕、首都リスボンのエドゥアルド7世公園で世界青年の日(WYD)大会に参加中の若者たちによって行われた教皇歓迎式典に出席され、「神はすべての人を愛しており、私たち一人一人を名前で呼びかけておられること」を強調された。

 歓迎式典には、数十万人の若者たちが集まり、21カ国から約50人が壇上で歓迎のパーフォマンスを、WYDの聖歌隊、オーケストラ、その他多数の楽器の演奏者たちが、歌や音楽、踊りなどで会場を盛り上げた。聴覚障害者のために、手話で歌の歌詞を振りつけるなどの工夫もされた。

 教皇が会場に到着された後、若者たちのグループが、教皇が毎日受け取られる何千もの手紙の中からいくつかを朗読した。手紙では、世界中の若者が抱いている疑問や懸念が率直に語られ、家庭や国、地元の教会に対するアドバイスや祈りを教皇に求めるものも目立った。

 歓迎式典は、ポルトガルの作曲家がこの日のために作ったオリジナル曲「Um Dia de Sol」(「晴れた日」)が伴奏される中を、大会に参加するすべての国の国旗の行列の後、式典のハイライトである、ルカ福音書のイエスが72人の弟子を送り出された箇所に焦点を当てた「御言葉の典礼」が行われた。

 典礼の中の説教で、教皇は、その福音の箇所を振り返り、大会に参加している若者たちに歓迎の言葉を述べるとともに、「神はあなたがた若者たち一人一人を愛しており、あなたがたを名前で読んでおられます。この事実を、このWYD大会で認識するように、互いに助け合いましょう。大会の日々が、神の愛の呼びかけの活気に満ちた響きとなりますように」と祈られた。

 そして、「キリスト教会は『呼ばれた者の共同体』であり、『最も優れた人々の共同体』ではありません。優れた人どころか、私たちは皆、罪人であり、『問題と限界を抱えたありのままの私たち』が呼ばれているのです」とされたうえで、「私たちは、イエスの兄弟姉妹、同じ御父の息子と娘の共同体です。このことを、皆さんにはっきり申し上げたいのです」と言明された。

 さらに、「教会には、すべての人のためのスペースがあります。イエスは、福音書のいくつものたとえ話で、老いも若きも、健康な人も病気の人も、正しい人も罪人も、すべての人が呼ばれていることを明言されています。皆、皆、皆、です」と説かれ、式典に参加したすべての若者たちに、ご自分に続いて「皆、皆、皆!」と繰り返すように促された。

 教皇は、神が若者たちを愛しておられる、と繰り返し強調され、「神に問いを投げかけるのに、決して飽きてしまわないように。問いを投げかけるのはいいことです。答えることよりも良い場合がよくあります。なぜなら、質問する人は、一か所に落ち着くことがない。落ち着かないことは、魂を麻痺させてしまう惰性の病に最もよく効く治療法だからです」と説かれた。

 また、教皇は、「神が私たちを愛してくださっていることが、どれほど素晴らしいことなのか」を考えるように促され、 「神はありのままの私たちを、愛してくださっているのです。私たちが、社会が、こうありたい、と望んでいる姿ではありません。 私たちは、欠点や限界を抱えながらも、前を向いて人生を歩もうとする、そのありのままの姿で呼ばれ、愛されているのです」と改めて強調。

 「これが私があなたに言いたかったことです。恐れることはありません。勇気を持って、私たちが、神に愛されていることを知って、前進してください…」と説教を締めくくられ、若者たちに「神は、私たちを愛してくださいます」と繰り返すよう呼び掛けられた。

 教皇の説教に続き、聖ヨハネ・パウロ二世、聖ヨハネ・ボスコ、ピエール・ジョルジョ・フラッサティ神父、カルロス・アクティス神父などWYDの後援者たちと、聖アントニオなどポルトガルの聖人や福者たちを呼び起こす連祷がされ、主の祈りと教皇の閉幕の祝福で式典は終了した。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2023年8月4日

【教皇ポルトガル訪問2日目】「神のいない世界に未来はない」ポルトガル・カトリック大学の学生たちとの集いで

 ポルトガル訪問中の教皇フランシスコは3日午前、リスボン市内のポルトガル・カトリック大学で学生たちと、続いて、郊外のカスカイスにある教育ネットワーク「スコラス・オクレンテス」の支部で若者たちと集いを持たれた。このうちポルトガル・カトリック大学の学生たちとの集いでは、彼らに「神のいない世界に未来はありません」と注意され、自らの選択を通じて信仰を信頼できるものにするよう勧められた。

 (以下、英語原文のまま)

 The Holy Father’s admonition came during his meeting with the students on the premises of the Universidade Catòlica Portuguesa, on the second day of his Apostolic Journey to Portugal for the occasion of the 37th World Youth Day.

The Pope also encouraged them to embrace their faith and take risks to change the world, promoting human fraternity on all levels.

At the encounter, the Holy Father listened to the testimonies of refugee students, welcomed by the University, and of students involved in the implementation of the Pope’s 2015 encyclical on the environment Laudato si, in the Global Compact on Education, and in the Economy of Francescoinitiative.

Make faith credible through choices

“An authentic integral ecology,” the Pope said in his remarks, “is not possible without God,” “there can be no future in a world without God,” and he invited them to give credibility to their faith through the choices they make in life.

“I would say: make your faith credible through your choices.”

“For unless faith gives rise to convincing lifestyles,” the Pope said, it will not be a “leaven” in the world.  It is not enough for us Christians to be convinced he explained, saying “We must also be convincing.”

Our actions, the Holy Father exhorted, are called to reflect, joyfully and radically, the beauty of the Gospel.

Furthermore, he stressed, “Christianity cannot be lived as a fortress surrounded by high walls, one that raises the ramparts against the world.”

He thanked a student, Beatriz, for her moving testimony, in which she said it is precisely “within the field of culture” that she feels called to live the Beatitudes.

Be amazed by the Beauty of Christ

In every age, the Pope recalled, one of the most important tasks for Christians is to recover the meaning of incarnation.

Without the incarnation, he warned, Christianity becomes ideology.

“It is the incarnation that enables us to be amazed by the beauty of Christ revealed through every brother and sister, every man and woman.”

In this regard, Pope Francis said it is significant that they named their new academic chair, dedicated to the “Economy of Francesco,” after Saint Clare.

Recalling the Saint, the Pope elaborated on how “the contribution of women is indeed essential.”

“In the Bible, we see how the economy of the family is entrusted largely to women.  They are the real heads of the household, possessed of a wisdom aimed not merely at profit, but also at care, coexistence, and the physical and spiritual wellbeing of all, including the poor and the stranger,” he said.

“Women are possessed of a wisdom aimed not merely at profit, but also at care, coexistence, and the spiritual wellbeing of all.”

 

Experience the ‘Global Compact on Education’

The Pope went on to recall that the Global Compact on Education, with its seven overarching principles,  encompasses many key issues, to which he urged the students to dedicate their attention, from caring for our common home to the full participation of women and the need for innovative ways of understanding economics, politics, growth and progress.

“I encourage you to study the Global Compact and to become enthusiastic about its contents,” he said.

Recalling that one of its points addresses the need to educate about acceptance and inclusion, the Pope underscored: “We cannot pretend that we have not heard the words of Jesus in Chapter 25 of Matthew’s Gospel: ‘I was a stranger and you welcomed me.’

Dramatic urgency of protecting environment

Pope Francis appealed to the young people to protect the environment.

“We must recognise the dramatic urgency of caring for the common home.”

“Do not forget,” the Pope admonished, “happy mediums are only a small delay in the disaster. Instead, it is a matter of taking on what unfortunately continues to be postponed: the need to redefine what we call progress and evolution.”

“Because, in the name of progress, there has been too much regression. Study well what I am telling you: in the name of progress, too much regress has been made,” he said.

Third World War in pieces

The Holy Father, who had met with Ukrainian young pilgrims prior to the encounter, also pointed to the wars plaguing the world.

“We are seeing a third world war in pieces.”

“But, he said, “we embrace the risk of thinking that we are not in agony, but in childbirth; not at the end, but at the beginning of a great spectacle,” he said. “It takes courage to think this.”

Pope Francis urged the university students to not be paralyzed by fear, and to, rather, transform their fears into dreams.

 

*以下は バチカン放送日本語課のまとめ

 ポルトガル・カトリック大学は、1967年に創立され、1971年に政府から認可された同大学は、ポルトガルにおける最初の私立大学となった。

 この日、大学構内の広場で行われた教皇との集いには、学生や教員およそ6500人が参加。同大総長の挨拶に続き、学生の代表らが、大学生活や、今日の世界の問題に対する関心や思いを、環境・経済・教育などの観点から語った。

 教皇は学生たちに、「探し求め、リスクを負いなさい」と励ましをおくり、現代が抱える膨大な問題と、そのための苦しみのうめきは、死に瀕したうめきではなく、生み出すためのうめき、終わりではなく、始まりのしるしと考えるべき、と勇気づけられた。

 そして、教皇は学生たちに「命のダンス」を振り付ける者となり、人間を中心に据えた新しい舞台の主役となって欲しい、と願われた。また、教皇は、大学は一部の限られたエリートを作るシステムではないと述べ、知識を「責任」として受け取らないならば、学んだことは虚しいものになる、と注意を促された。

 そして、学位は自身の幸せを築くためだけではなく、正義と受容に満ちた、真の意味で発展した社会に貢献するための委任状だと捉えなくてはならない、と教皇は話された。

 特に環境問題について、教皇は人類が共に暮らす家=地球に対するいたわりは急務であるとしながらも、深い回心と、経済・政治の基礎への人間学的ビジョンを持った改革がない限り、それは不可能であると強調。地球の苦しみと共に、貧しい人々の苦しみにも耳を傾ける、統合的なエコロジーの必要をアピールされた。

 教皇は若者たちに、自らの生き方の選択を通して信仰を信頼しうるものとするように希望され、説得力ある生き方を産まない信仰は、世界のパン種を膨らませることはできない、と語られた。

 カトリック系大学とは、専門の知識を取得しつつ、自らを知り、自分の道を識別する中で人間として成熟する場所であると述べた教皇は、中世の巡礼者たちがサンティアゴへの道を歩む中で交わしたとされる挨拶「Ultreia(より先へ)」「et Suseia(より高きへ)」を、学生たちへの励ましの言葉とされた。

・・・・・

 続いて、教皇はリスボン郊外のカスカイスに、教育ネットワーク「スコラス・オクレンテス」の支部を訪ねられた。

 スコラス・オクレンテス(「出会いの学校」の意味)は、教皇がブエノスアイレス大司教を務めていた時から進めてきた教育ネットワーク。出会いや、対話、異なる存在への尊重を推進することを目的に、様々な教育機関や人々が協力し合い、芸術や、スポーツ、観想などを通し、世界の若者に新しい教育の機会を提供している。

 スコラス・オクレンテス支部は、「いろいろな世界の中の生活」をテーマに、宗教や国籍の異なる若者たちが、3.5kmにわたる壁画の製作に挑戦している。

 教皇は壁画をご覧になり、「皆さんの手によるシスティーナ礼拝堂ですね」と賛辞を述べられた。若者たちは壁画製作中の体験や気づいたことなどを語り、教皇はそれに対話の形で自由に答えられていた。たとえば、壁画を描く作業はカオスそのものだった、という青年に、教皇はカオス(混沌)からコスモス(秩序ある世界)を皆さんが作り出してください、と励ましていた。

 教皇は参加者らが見守る中、絵筆をとり、壁画の「仕上げ」を行われた。また、教皇は「善きサマリア人」のイコンを若者たちに贈りながら、一人ひとりが皆のために善きサマリア人になれるように、いつくしみの心を持つ大切さを説かれた。

(編集「カトリック・あい」)

2023年8月3日

【教皇ポルトガル訪問初日】☩「数々のスキャンダルで傷ついた教会は、新たな歩みを求められている」教会指導者、司祭、信徒たちに

*使徒的熱意が冷め、単なる「聖なる者の管理者」になってはならない

 そして、「私たちが落胆を感じ、使徒的熱意を冷ましてしまうと、単なる『聖なものの管理者』になってしまう危険があります」と注意され、「自分の人生を神に捧げた人が、”役人”―物事の単なる管理者になってしまうのは、とても悲しいことです… 気落ちすることがあっても、イエスの繰り返しの呼びかけを受ける場を作る『ある種の仕事』として、使命を果たすように訴えられた。

 さらに、「私たちは確かに困難な時代に生きていますが、主は、教会に問いかけおられます-『あなたは船を降りて、幻滅に浸りたいですか、それとも私を中に入れ、新しさを受け入れてくれますか』 『私の言葉がもう一度、舵を取るようにしますか?』『 自分の過去を守りたいだけですか、それとも、もう一度、魚を捕る熱意を持って網を下ろしたいですか?』と。主は、福音を伝える『休むことのない』熱意を再び取り戻すように、私たちに求めておられるのです」と福音宣教への新たな熱意の必要性を繰り返され、「親愛なるポルトガルの友人たち」に海に漕ぎ出すことを求められた。

 「それは、世界を征服するためではなく、福音の慰めに世界を歓喜させるためです。今は、立ち止まって諦めたり、舟を岸に引き上げたり、振り返ったりする時ではない。恐れから、現在から逃げ出したり、過去の形式や慣習に逃げ込んだり、してはなりません。 今こそ、福音宣教の海に果敢に乗り出す、神が与えた恵みの時なのです」と訴えられた。

福音宣教の海に果敢に乗り出そう―聖職者主義は、教会の最も深刻な悪の一つ

 そして、教皇は、「新たな漁のために福音宣教の海に果敢に乗り出す際の三つの要点」を示された。

 「まず、網を深く下ろすこと。網を再び下ろそうとするときには、『失望と惰性』を捨て、敗北主義から信仰へ移行する必要があります」。

  そして二つ目に「司牧的ケアの提供に力を合わせること」。

 「教会は交わりであり、助け合い、共に歩む存在です。 それが、『シノドス(共働的)教会』をテーマに10月に1期目が開かれる世界代表司教会議(シノドス)総会の目的でもあります」と指摘。「教会という船には、すべての人のためのスペースがなければなりません。洗礼を受けた人は全員、網を降ろすように船上に呼び出され、福音の説教に個人的に参加すること。これは”大きな挑戦”です。世俗性を抜きにしても、世界を抜きにしては、できません」と強調。「シノドス的教会」となるために、「聖職者主義は教会に起こり得る最も深刻な悪の一つ。イデオロギーや世俗性なしに、このリスクを克服するように」と参加者たちに促された。

 三つめは、「人間を獲る漁師になること」。

 

 教皇は、「今日の社会には、闇があまりにも多い。疑念と経済的不確実性、社会的友情の衰退、そして希望の欠如の中で航海するようなものかも知れません。そうした中で、私たちは熱意、夢を見る勇気、課題に立ち向かう強さ、そして将来に自信を持つ感覚を失っているようです」と現実を認めたうえで、「教会として、私たちはこの海の中に福音の網を投げ、新しい命、イエスの命を現代の男女に提供する使命を託されているのです。今日の多様な文化の社会に開かれた福音をもたらすよう求められているのです」と指摘。

 「 特に、若者の間で高まっている不確実性への不安と貧困のある所に、 家庭が崩壊し、人間関係が傷ついている所に、キリストの愛をもたらすこと。 落胆と運命論が支配する所に、聖霊の喜びを伝えることが必要です」と強調された。

 

 講話の最後に教皇は、以上のような招きが一般信徒、司祭、修道者、司教、すべての人々に向けられていることを確認されたうえで、次のように締めくくられた。「恐れることはありません。網を投げなさい…   他の人を非難するのではなく、イエスの招きを感じてください… 裕福な人、幸せな結婚生活を送っている人、その他のすべての人、教会はすべての人で成り立っている。義人も罪人も、善人も悪人も、皆で、です。主が、問題を解決できるように、私たちを助けてくださいますように!」

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2023年8月3日

【教皇ポルトガル訪問初日】性的虐待被害者代表13人と非公式会見、訴えを熱心に聴かれる

Pope Francis prayingPope Francis praying 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2023年8月3日

☩「欧州よ、希望の光を灯せ・『世界青年の日』大会が未来へ漕ぎ出す機会となるように」リスボンで各界代表、外交団に

 ポルトガル訪問初日の2日昼、教皇フランシスコは首都リスボンのベレン文化センターで、ポルトガルの各界代表、外交団と会見された。

 教皇はあいさつで、多様な民族と文化を擁する出会いの都市リスボンを訪れた喜びを表された教皇は、世界青年の日(WYD)大会が開かれるこの週、「リスボンはいっそう世界的な都市、ある意味で世界の首都になりました」と語られた。

 また、「ポルトガルの多民族・多文化な性格、国際性は、より新しく広い水平線に向かって探索、航海しながら『世界に対し自らを開きたい』という情熱に、その根源を持っています」とされたうえで、「ヨーロッパ」という名称の語源に諸説ある中で、まさに「西方」を表す言葉にそれが由来している、という説を取り上げ、「その西方、ヨーロッパの中で。さらに最も西にあるリスボンは、ポルトガルが共通の言語を通じて、他の大陸ともつながっているように、いっそう大きな出会いに導く道を切り開いていくよう呼びかけているのです」と強調された。

 教皇はさらに、「ヨーロッパが、東方と地中海地域、中東とアフリカとの橋を架ける者、調停者としての役割を果たすことを、世界は求めています」とされ、「今開かれている世界青年の日(WYD)リスボン大会が、この”古い大陸”にとって、改めて、世界へと大きく開く動力となること」を願われた。

 そして、「歴史の大海の中で、今、嵐の中を航海している私たちは、平和に向かう勇気ある針路が欠如していることに、気が付いています。ヨーロッパよ、ウクライナにおける戦争と世界各地の流血の紛争を終結させるための平和のプロセスを、創造的な道のりを、示さないで、いったい、どこに行こうとしているのですか」と問いかけられ、「西洋の中心であるヨーロッパが創意を生かし、戦争の火種を消し、希望の光を灯すことを、私は夢見ています」と語られた。

 また教皇は、現在の発展したはずの世界が、「人の命を守る」という最優先課題とは裏腹の、利益至上主義による「命の使い捨て」の危険を冒している現実を指摘、「ヨーロッパよ、西洋よ、高齢者を排除し、鉄条網を張り、海での悲劇や、空の揺りかごと共に、どこに向かって航海するのですか。生きづらさを感じる人々に対して、死への安易な方法や、甘いように見えて実際は海の水より苦い、安易な解決法など、性急で誤った手段を差し出しながら、どこに行こうとしているのですか」と再び問いかけられた。

 「WYD大会に参加するために世界中から集まった若者たちは、一致と平和と兄弟愛への情熱を育みつつ、彼らの夢である善を実現するように、私たちを招いています。怒りを叫ぶ道ではなく、福音の希望を分かち合う道です」とされ、世界各地に蔓延する抗議と不満の空気、大衆迎合主義や陰謀論の土壌を感じる今日、WYD大会を、「共に構築する」ための機会、新しい創造の熱意を取り戻し、岸辺を離れ、「未来に漕ぎ出すための機会」となることを強く期待された。

(編集「カトリック・あい」)

2023年8月3日

☩「人類の飢えを癒す小麦の”破壊”は神に対する重大な冒涜」教皇、ウクライナ産穀物の輸出協定回復を訴える

教皇フランシスコ、ウクライナ産穀物輸出協定の回復を願う教皇フランシスコ、ウクライナ産穀物輸出協定の回復を願う  (AFP or licensors)

(2023.7.30 バチカン放送)教皇フランシスコは30日、年間第17主日の正午の祈りで、ウクライナのための祈りを新たにされるとともに、ロシアが破棄した黒海経由のウクライナ産穀物輸出の国際協定が回復されるよう訴えられた。

 教皇は「ウクライナでは戦争がすべてを、小麦をも破壊しています… これは神に対する重大な冒とくです。小麦は人類の飢えを癒すための神の贈り物だからです」と語られた。

 そして、「飢えに苦しむ無数の兄弟姉妹たちの叫びが天まで上がっています。『黒海穀物イニシアチブ』を取り戻し、小麦が安全に輸送されるよう、兄弟たちに、ロシアの当局者たちに、呼びかけます」と強調された。

(編集「カトリック・あい」)

2023年7月31日