【教皇ポルトガル訪問4日目】WYD大会参加の若者たちと夕の祈り「私たちの喜びは宣教にある、訓練を怠るな」

2023.08.05 Viaggio Apostolico in Portogallo in occasione della XXXVII Giornata Mondiale della Gioventu' - Veglia con i giovani

 教皇フランシスコは5日、ポルトガル訪問4日目の最後に、リスボンのテージョ公園で「世界青年の日(WYD)」大会に参加した若者たちと夕の祈りをなさった。

 祈りの中の説教で、教皇は「旅をして、歩いて、ここまで来てくれてありがとう」と若者たちに呼び掛けられ、「皆さんと同じように、聖母マリアも、いとこのエリザベトに会うために旅をしました。ルカ福音書に、マリアは急いで(エリゼべトのいる)山里に向かった、とあります。どうして急いだのでしょう」と問いかけられた。

 そして「いとこが妊娠していることを知ったからですが、彼女自身も妊娠しています。誰にも頼まれなかったのに…義務ではありません。愛するから、出かけたのです。『愛する者は飛んで、走って、喜ぶ』(「キリストに倣う」Ⅲ・5)…マリアの喜びは2つです。「救い主を迎える」という天使のお告げ、そして、いとこが身ごもった、という知らせ、です。そしてこの喜びは、誰かのため、ではなく、何かがもたらされるからです」と説かれた。

 さらに教皇は、「私たちの喜びは、宣教にあります。喜びは他の人にも届けねばなりません。そして、私たちも受け取ります。両親、祖父母、友人、司祭、修道者、カテキスタ、教師など、私たちの人生の光となった人々がいます。  今、私たちは一秒間の沈黙を持ち、人生において私たちに何かを与えてくれた、喜びの根源のような人たちのことを一人一人が思います。そして私たちもまた、他の人にとって喜びの根となることができます。 それはつかの間の喜び​​、瞬間的な喜びをもたらすことではありません。 それは根を生む喜びをもたらすことです」と語られ、「では、どうすれば私たちは喜びの根になれるのでしょうか?  それは鍵をかけられた状態で保管されているのではなく、探求し、発見しなければなりません。 私たちは他者との対話の中でそれを発見し、そこで受け取った喜びの根源を与えなければなりません」とされた。

 また、「私たちは時々、疲れます。 疲れたときに何が起こるかを考えてみましょう。何もする気がなくなり、やる気がなくなって、あきらめて、歩くのをやめて倒れます。 人生でつまずいたり、失敗したり、重大で重大な間違いを犯したりした人はもう終わったのだ、と思いますか… 山登りが好きなアルプスの人たちが良く歌う素敵な短い歌があります―『山を登る時に大切なのは、転ばないことじゃなく、転んだままにならないこと』です」と指摘。

 「では、倒れた友がいたら、何をすべきでしょうか? その人を助け起こします。私たちにとって、 人を上から見下ろす唯一の機会は、彼が立ち上がれるように助ける時です。そうでないのに、他人を上から見下ろす人がいるのは 悲しいことですが」と述べられた。

 また教皇は、「人生で、何かを達成するには、訓練が必要です。私たちは時々、歩く気がしない、努力する気がしない、勉強したくない、だから試験でカンニングをする… そして成功を収められないことがあります。 サッカーもそうですが、ボールをゴールに入れられるようになるには、たくさんのトレーニングをせねばなりません。また人生においては、いつも自分のしたいことができるとは限りませんが、大事なのは『自分の使命』を持っていることです…  転んだら、自分で起き上がるか、それができないなら他の人に助けてもらいましょう。 落ち込んではいけません。 そして、訓練です。人生の歩み方を教える(万能の)コースはありません。 それは学ぶこと、学ぶこと、です」と、若者たちに呼びかけ、説教を締めくくられた。

(バチカン報道局発表の教皇の説教原稿をもとにまとめました)

 

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2023年8月6日