(2024.5.8 Vatican News Christopher Wells)
教皇フランシスコは8日の水曜恒例一般謁見で、「悪徳と美徳」をテーマとする連続講話をお続けになり、今回は、「希望」という神学的美徳について考察され、「私たちの最終的な運命の問題を考えるとき、その答えは『希望』です」と語られた。
人生の意味に関する問いに対する「否定的な答え」が悲しみにつながることを、教皇は認め、 「もし私たちが、人生の最後には何もない、と考えたら、それならなぜ歩かねばならないのか、と自問するようになり、絶望に陥るのです… 希望がなければ、多くの人は人生を諦め、他のすべての美徳も崩れ、灰になってしまう危険があります」と述べられた。
*「希望」が神学的美徳であるのは…
教皇は「しかし、キリスト教徒は『希望が自分自身の功績から来るものではない』ことを理解しています」とされ、 「もし、キリスト教徒が未来を信じるとしたら、それはキリストが死んで復活され、私たちに御霊を与えてくださったからです。『希望』が神学的美徳であるのは、まさに、希望が私たちから発せられるものではなく、神から直接与えられる賜物であるからなのです」と説かれた。
そして、聖パウロの有名な言葉-「キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰は空しく、あなたは今もなお罪の中にいることになります」(コリントの信徒への手紙1.15章17節)を引用することで、信仰と不信仰を対比し、「 敗北も死も永遠ではない、という確信。 しかし、キリストの復活を信じないなら、使徒たちの説教さえも、すべてが空しいものになってしまいます」と語られた。
さらに教皇は、「神は慈悲深く、私たちの心よりも偉大である」ことを忘れたとき、「過去の幸福に対する”後ろ向きの郷愁”や罪に対する絶望など、希望に反する罪に陥る、と警告されたた。
*「希望」を求める世界には「忍耐」も必要
教皇はまた、「今日の世界は、このキリスト教の美徳を大いに必要としていますが、希望と密接に歩む美徳である『忍耐』もまた必要です。 忍耐強い人は『善を織る者』であり、常に固く、平和を希望しています」と指摘。「たとえ私たちの周りで多くの人が幻滅に負けても、希望に鼓舞され、忍耐強い人は最も暗い夜を乗り越えることができるのです」と強調された。
*「希望」は「心が若い人たち」の美徳
最後に教皇は、新約聖書にある、神殿で生まれたばかりのメシアに出会ったシメオンとアンナを思い起され、「『希望』は『(年齢ではなく)心が若い人たち』にとっての美徳です。私たちが人生の終わりに、シメオンとともに『主よ、今こそあなたはお言葉通り、この僕を安らかにさらせてくださいます。私はこの目であなたの救いを見たからです。これは万民の前に備えられた救い…』(ルカ福音書2章29-31節)と宣言できるなら、大きな賜物になるでしょう」と語られた。
そして、信者たちに、「前進し、希望を持てるように恵みを求め、忍耐とともに希望を持ってください。いつも最後の出会いに目を向けてください。 主が常に私たちの近くにおられること、死が決して勝利しないことを、いつも確かめてください」と求められた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二=聖書の翻訳は「聖書協会・共同訳」を使用)
File photo of Pope Francis praying the Rosary (AFP or licensors)
(2024.5.8 Vatican News Deborah Castellano Lubov)
教皇フランシスコは8日の水曜恒例一般謁見で、多くの人々が苦しみ続けている聖地、ウクライナ、ミャンマーでの戦争が一刻も早く終息し、和平が実現するよう、聖母マリアに執り成しを願うロザリオの祈りを捧げるよう信者たちに勧められた。
教皇は今月、5月がロザリオの聖母の月であることに注意を向けられ、「皆さん、聖母マリアの執り成しを求めてください。主が全世界、特に、苦しみの淵にあるウクライナとパレスチナ、イスラエル、ミャンマーに平和を与えてくださるように」と訴えられた。
続けて教皇は、若者、病者、高齢者、新婚夫婦を聖母の執り成しに委ね、「この5月に聖なるロザリオを祈ることを大切にしてください。皆さん全員にお願いします」と求められた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
(2024.5.1 Vatican News Christopher Wells)
教皇フランシスコは1日の水曜恒例一般謁見で、「 悪徳と美徳」をテーマにして連続講話を続けられ、今回は「 theological virtues=対神徳(神学的な徳目)の最初のものである信仰」、人間が自由に神に身を捧げる行為である「信仰」について語られた。
講話で教皇はまず、「3つの対神徳がなければ、私たちは暗闇でも見える目を持たず、愛されていなくても愛する心も持たず、あらゆる希望に立ち向かう希望も持たないだでしょう」と述べたうえで、アブラハムの例を取り上げ、「アブラハムは、神の命令により故郷を離れ、新天地へ向かい、神への信頼ゆえに息子イサクを喜んで犠牲にしようとしました」とされた。
そして次に、モーセも信仰の人であり、「しっかりと立って主を信頼し、しばしば信仰を欠いた人々を擁護し続けました」と語られ、さらに、聖母マリアを取り上げて、「マリアは、天使のお告げに『私は主のはしためです』と謙虚に答え、神への信頼に心が満たされて、歩むべき道も、危険も知らずに旅を始めたのです」と語られた。
また教皇は、「キリスト教徒を形成するのは、信仰です… キリスト教徒にとって重要なのは、(キリスト教の)文化を受け入れることではなく、神との関係を築くことです」と語られた。
さらに、イエスがガリラヤ湖の嵐を静めたという福音書の記述を思い起こしながら、その時に弟子たちが味わった恐怖を強調され、「信仰の敵は理性や知性ではなく、恐怖です」と指摘。
これが、「信仰こそ、キリスト教徒が人生で最初に歓迎すべき贈り物であり、子供たちが洗礼を受けるときに、親たちが、彼らのために求める贈り物である理由です」と述べられ、「親たちは、子供たちのために望んでいた贈り物を受け取ったことに気づき、『子供たちは、たとえ人生で試練に遭っても、恐怖に溺れることはない』ことを理解するのです」と語られた。
講話の最後に教皇は、「誰もが信仰を持っているわけではなく、キリスト教徒であっても信仰が不足している場合があること」を認めたうえで、「信仰は、最も幸せな賜物であり、私たちが、うらやむことを許される唯一の美徳。それは、信仰が、私たちの中に恵みを引き起こし、神の神秘に心を開くからです」と説かれ、「ですから、私たちも弟子たちと同じように、主に向かって繰り返し、このように願いましょう―『主よ、私たちの信仰を増してください!』(ルカ福音書17章5節)」と信者たちに促された。
A woman walks amongst the rubble in Rafah, Palestine (AFP or licensors
(2024.5.1 Vatican News Francesca Merlo)
教皇フランシスコは「聖母マリアの月」の初日、労働者聖ヨセフの祝日である1日の正午の祈りで、世界中の戦争で犠牲になっている人々に思いを寄せ、ウクライナ、パレスチナ、イスラエル、ミャンマーの犠牲者のために祈り、「戦争で最も利益をもたらす投資先は、兵器産業に関連したものになっている」と強く批判された。
特に教皇は、「現在、とても苦しんでいる」ウクライナのために、またパレスチナとイスラエルに住むすべての人々のために祈るよう求められ、ミャンマーのロヒンギャ難民にも思いを寄せられて、「平和を求めましょう。これらの人々と全世界に真の平和を求めましょう」と呼びかけられた。
そして最後に、残念なことに「今日、最も多くの収入を生み出す投資先は兵器工場です」と出席者全員に改めて注意を喚起され、「 死から利益を得ることは、ひどいことだ」とは繰り返された。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
Pope Francis delivers his homily at Mass in St. Mark’s Square (VATICAN MEDIA Divisione Foto)
(2024.4.28 Vatican News Linda Bordoni)
ベネチア訪問中の教皇フランシスコは28日午前11時から、聖マルコ広場に参集した約1万500人の信者と共にミサを捧げられ、説教で「(主の賜物の)素晴らしさは、すべての人が手に入れられるものでなければなりません」とされ、出会い、包摂、そして私たちの”共通の家”、地球への配慮を呼び掛けられた。
説教で教皇はまず、「ベネチアは、最後の人から始めて全て人が利用できる素晴らしさのしるし、友愛と私たちの”共通の家”への配慮のしるしとなるよう求められています」と語られ、「私たちは、キリストに結ばれ続けることによってのみ、福音の果実を私たちの日々の暮らしにもたらすことができます。その果実とは、 私たちの環境と人類の遺産を守るために慎重に選択された正義と平和の果実、連帯と相互配慮の果実です」と説かれた。
そして、「私たちは、キリスト教徒の共同体、近隣の地域、都市が他者を心から迎え、受け入れ、もてなす場になるように努める必要があります」と付け加えられた。
また教皇は、ミサで読まれたヨハネ福音書(15章1-8節)でイエスが、ご自身をぶどうの木、弟子たちをその枝だ、とされ、「あなたがたが私に繋がっており、私の言葉があなたがたの内にいつもあるなら、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。あなたがたが豊かに実を結ぶ」と語っておられることを取り上げ、「主との繋がりを決して断ち切らないように… ぶどう畑が良い実を結ぶために熱心な手入れが必要であるのと同じように、私たちの人生も神の愛の樹液によって養われて実りあるものとなるのです」と強調された。
*イエスと繋がることで、私たちは自由になる
教皇はさらに、ワイン生産に関わるベネチアの物理的および歴史的な活動は「島々や街の路地にある庭にあるたくさんのぶどう畑」を思い起こされ、 「ぶどうの木と枝のたとえ話のメッセージを理解するのは難しいことではない。イエスへの信仰、イエスとの絆は、私たちの自由な活動を阻害するものではありません。それどころか、私たちは、神の愛の樹液を受け取ることができ、私たちの喜びを倍増させ、熟練したワイン醸造業者のように私たちの世話をし、たとえ私たちの生活の土壌が乾いても芽が出るようにしてくれます」と語られた。
そして、このことは、「世界で最も美しい場所の一つとして、独特の景観を持つ、水上に築かれたこの都市を思い浮かべながら考えることもできます… ベネチアは、そこにある海と一体です。 自然環境への配慮と保護がなければ、存在しなくなる可能性すらあります。このようなベネチアと同じように、私たちの人生も、神の愛の泉に永遠に浸かっているのです」と教皇は述べた。
*行動するの中で成長する
また教皇は、今回のベネチア訪問のテーマ「キリストとの一致を保つ」に言及され、「これは、キリストとの繋がりで成長し、キリストと対話し、神の言葉を受け入れ、神の王国へのキリストの道を歩むことを意味します」と説明され、「それは私たちに継続的な成長、関与、そして行動を求めます。『 主のうちに留まる』ということは、弟子としての旅に出ることであり、そこで私たちは主の教えを受け入れ、主の愛を体現し、地域社会で正義、平和、連帯の実を結ぶのです」と強調。
そのうえで、ベネチアの独特の素晴らしさを守り、育てるために、教皇は、ベネチアの信者たちに緊急の行動を提起され、「 気候変動や環境悪化から社会の分断や文化の浸食に至るまで、ベネチアが直面する多くの課題」の解決に向けて、「環境と人類の遺産を保存するための慎重な選択」を求められて、説教を締めくくられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
(2024.4.28 バチカン放送)
教皇フランシスコは28日朝からイタリア北部ベネチアを司牧訪問された。
今回の訪問は、「第60回ベネチア・ビエンナーレ国際美術展」のバチカン館を訪れ、会場のジュデッカ島の女子刑務所で受刑者やアーティストたちと集いを持つとともに、若者たちとの集いやミサを通して、ベネト地域の教会を信仰面から励ますことを目的としている。
訪問の最初にジュデッカ島の女子刑務所の受刑者たちとお会いになり、参加した受刑者をはじめ刑務官、ボランティアに対して、愛情を込めた挨拶をおくられ、「今回のベネチア訪問でまず初めにこちらを訪れたのは、私の心の中で皆さんの存在が特別な位置を占めているからです」と強調。この出会いが、「神の恵みのもとに、互いに時間と祈りと兄弟的な愛情を与え合う出会いの時となること」を希望された。
さらに、この刑務所が、「過密な収容状況や、設備や予算の不足、暴力の発生など、多くの苦しみに満ちた厳しい現実を抱える一方で、相互の尊重と、それぞれの才能や能力を育てる配慮を通して心身の再生を可能にする場所でもあります」と指摘。この刑務所を会場にして行われ、受刑者たちも関わっている美術展のように、「自分や他者の思いがけない素晴らしさを再発見することで、刑務所生活を、勇気を持って自己を見直し、未来の計画を立て、忍耐強く再出発への基礎を一緒に築くきっかけとすることができます」と励まされた。
また、職員や刑務官たちに「そうするためにも、刑務所のシステムは、受刑者たちに、人間的・精神的・文化的・職業的な成長の機会を提供する必要があります」と希望され、「尊厳を閉じ込めるのではなく、新しい可能性を与える」ことの重要性を説かれた。
あいさつの最後に教皇は、「私たちの誰もが、赦され、癒されるべき過ちを持ち、誰もが、癒しをもたらす癒された者に、赦しをもたらす赦された者に、再生をもたらす再生された者になることができるのです」と述べられ、「今日、未来への信頼を、皆で共に新たにしましょう。『今こそ、恵みの時、今こそ救いの日』(コリントの信徒への手紙2・6章2節)と声をあげながら、一生を通して、日々、今から再出発しましょう」と呼びかけられた。
(編集「カトリック・あい」)
教皇フランシスコ 2024年4月24日の一般謁見 バチカン・聖ペトロ広場 (VATICAN MEDIA Divisione Foto)
(2024.4.24 Vatican News Deborah Castellano Lubov)
教皇フランシスコは24日、水曜恒例の一般謁見で、「悪徳と美徳」の連続講話を続けられ、これまでの「cardinal virtues =人間的徳(基本的な徳目)」から「theological virtues=対神徳(神学的な徳目)」に考察を移され、「信仰、希望、そして愛徳が、キリストに従い、共に聖性を目指す私たちの旅を導き、その途上で、たとえ倒れても立ち直るのを助けてくれること」を強調された。
バチカン放送(日本語課)による講話の要旨は次の通り。
**********
これまでの数週間、私たちは、賢明、正義、勇気、節制という、「人間的徳」について考えてきました。何度か強調したように、この4つの徳はキリスト教よりも昔の、古代の叡智に属していまする。キリスト以前から、「正義」は市民の義務として、「賢明」は行動の基準として、「勇気」は善を目指す生活の本質的要素として、「節制」は過剰にとらわれないための尺度として、奨励されてきました。キリスト教はこの人類の遺産に取って代わるのではなく、それに焦点を当て、価値づけ、純粋化、補完したものとしてきたのです。
あらゆる人の心には、「善」を求める力が備わっています。それを受ける者がはっきりと善悪を区別し、悪を退け、善に従う力を得ることで、完全な自己実現ができるよう、聖霊から与えられました。
しかし、すべての人がたどるべく招かれた、命の充満に向けた歩みの中で、キリスト者はイエス・キリストの霊の特別な助けをいただいています。それは、しばしば新約聖書で言及される、他の3つの徳の賜物を通して実現されるものです。キリスト者の生活を特徴づけるこれらの基本的態度とは、「信仰」「希望」「愛」です。キリスト教の著作家たちは、それを「対神徳)」と呼ぶようになりました。「人間的徳」が善き生活の要(かなめ)を構成するように、「対神徳」は、神との関係の中で受け取り、生きるべきものを表しています。
『カトリック教会のカテキズム』は、「対神徳」の働きを次のように定義しています―「対神徳はキリスト者の倫理的生活の土台であり、源であり、これを特徴づけるものである。あらゆる倫理徳に生気を与え、活気づける。神の子供としてふるまい、永遠の命いのちに値する行為をすることができるように、信者の心に神から注がれたものである。それは、人間の諸能力のうちに聖霊が共におり、働いておられる、ということの保証である」(1813項)。
「人間的徳」では、英雄的な人々が善を生み出す時、大抵一人の孤立した行いになりがちであることに対し、「対神徳」の偉大な恵みは、聖霊を通して体験されるものです。キリスト者は決して独りではありません。善は、個人の膨大な努力によってではなく、謙遜な弟子として師イエスに従って歩むことによって実現されるのです。「対神徳」は自己完結に対する偉大な薬です。道徳的に非の打ち所がないある種の人たちが、他者の目には、うぬぼれた尊大な人に見える危険がいったいどれだけあることでしょうか。
福音書は、こうした危険を前に、私たちに注意を促している。イエスは弟子たちにこう教えられました。「あなたがたも同じことだ。自分に命じられたことをみな果たしたら、『私たちは取るに足らない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい」(ルカ福音書17章10節)。
「高慢」は猛毒です。ただ一滴で善に満ちた人生全体を破壊してしまいます。ある人が山のような善業を果たし、人から認められ、称賛を集めたところで、それを自己の称賛のためにしたとすれば、これでも有徳の人と言えるでしょうか。
善を行うには目的だけでなく、方法も重要である。善には大いなる控え目さと思いやりが必要です。善は時に自分という嵩張る存在を脱ぎ捨てることを要求します。人生のあらゆる行為を自分のためだけにするとしたら、その動機づけは本当に重要でしょうか。
これらのしばしば苦しい状況を正すために、「対神徳」は大きな助けになります。特に過ちを犯した時に役立ちます。毎日徳を実践する人でさえも、過ちに陥ることがあるからです。必ずしも常に知性が的確に働き、意志が堅固で、熱情が抑えられ、勇気が恐れに勝つとは限りません。しかし、心を聖霊に開くなら、聖霊は私たちの内に「対神徳」を息づかせるでしょう。そうするなら、信頼を失った時、神は私たちを再び信仰に開かせ、意気消沈した時、私たちを新たな希望に目覚めさせ、心が頑なな時、神はご自身の愛によってそれを和らげてくださるに違いありません。
(編集「カトリック・あい」)
ドローンが捉えた自然保護地区での森林破壊
(2024.4.22 バチカン放送)
22日の地球環境について考える「EarthDay(地球の日)」に当たって、教皇フランシスコがX(旧Twitter)を通して、「私たちが共に暮らす家=地球」を危機から救うために、次のようなメッセージを投稿された。
“Our generation has bequeathed many riches, but we have failed to protect the planet and we are not safeguarding peace. We are called to become artisans and caretakers of our common home, the Earth which is “falling into ruin.” #EarthDay
( 私たちの世代は多くの豊かさを遺産として残しました。しかし、私たちは地球を保護することができず、また平和を守ることもできていません。私たちは地球という共に暮らす家を、「崩れかけている」その家を、建て直し、しっかりと管理する者となるように召されているのです。#EarthDay)
教皇2015年に、エコロジー的回心をテーマとした回勅「ラウダート・シ」を出され、2023年には、同回勅を補完する使徒的勧告「ラウダーテ・デウム」を発表するなど、これまで多くの機会を通し環境問題への提言をされいる。
(編集「カトリック・あい」)
(2024.4.21 Vatican News Francesca Merlo)
教皇フランシスコは21日、復活節第四主日のRegina Coeliの祈りに続いて、パレスチナ、イスラエル、ウクライナの「戦乱の影響を受けている人々の苦しみを忘れない」ことを強調されるとともに、和平に実現を心から訴え、そのための対話を改めて関係国指導者たちに求められた。
教皇は、中東地域で外交的解決に向けた対話、交渉が進むことへの期待を改めて表明され、「主張の論理」に屈しないよう、次のように訴えられた。
「私は中東情勢を懸念し、悲しみながら見守り続けています。戦争の主張に屈するのではなく、多くを達成できる対話と外交を優先するよう繰り返し訴えます。私は毎日、パレスチナとイスラエルの平和を祈り、この二つの民族が早く苦しみを終わらせられることを願っています」。
さらに、教皇は、ロシアの一方的な軍事侵攻で始まり、今なお続いているウクライナ戦争を思い起こされ、世界の指導者に対して、「(戦争によって)悲惨な苦しみを味わっている」この地をこれ以上”曇らす”ことのないよう努力を求められた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)