Sr.岡のマリアの風(70)教皇の待降節第一主日の正午の祈りー「目覚めて祈る」

*典礼に関する本を読みながら…

 S典礼音楽研究所で、まさに「典礼」についての授業をお願いされました。

 自分の専門ではありませんが、ローマで神学を勉強していた時から、もっと深めたいと望んでいた分野であり、よい学びの機会と思い、お受けしました(…で、かなり四苦八苦しているのも事実です)。

 典礼に関する本を読みながら、典礼が「教会の活動が目指す頂点であり、同時に教会のあらゆる力が流れ出る源泉である」(『典礼憲章』10項)であることを再確認しています。

 Lex orandi, lex credendiという有名な言葉があります。「祈りの法は、信仰の法である」。私たちは「祈っていること」を「信じている」のであり、「信じていること」を「祈っている」のです 逆に言えば、祈っていないことを、信じることはできないし、信じていないことを、祈ることはできません。

 現代の、東方正教会(Orthodox Church)の著名な神学者アレクサンドル・シュメーマン(Alexander Schmemann)師  は、「エウカリスチア(聖体祭儀)」についての本の中で次のように表現しています(試訳)。

 「初期の教会は、lex credendi(信仰の法)とlex orandi(祈りの法)が切り離せないものであり、相互に立証し合うものであることをよく知っていた。聖イレネオの言葉を借りれば、 私たちの教えはエウカリスチア(聖体祭儀)と調和し、エウカリスチアは私たちの教えを裏付ける」(Alexander Schmemann, The Eucarist, St Vladimir’s Seminary Press,New York 1987, p. 13)

*「キリスト者の生活の大敵は、無気力」と教皇

  教皇フランシスコは、11月28日の待降節第一主日の「正午の祈り」で、その日の福音( ルカ福音書21章25₋28節、34₋ 36節)から、イエスの招き、目覚めていること(注意、警戒していること)を思い起こしておられますー霊的生活、キリスト者の生活の「大敵」は、怠惰(無気力)であり、「目覚めていること」とは、怠惰から心を守ること custodire il cuore dall’accidia)。そしてその秘訣は、祈りである、と。(以下、教皇の言葉は試訳)

 「心の灯を燃やすのは祈りです。特に、熱意が冷めてしまったと感じるとき、祈りは熱意を呼び覚ましてくれます」。なぜなら「祈りは私たちを、神に、物事の中心に引き戻し魂を眠りから覚まし、重要なこと、存在の目的に集中させ」るからです。

 怠惰、無気力から私たちの心を守るために「祈ること」。しかしそれは、「オウムのように祈りを繰り返す」ことではありません。「霊的な世俗性に麻痺してしまっている」、「うとうとしているキリスト者」「安楽いすに座っているキリスト者」が何と多いでしょうか、と教皇は言われます。

 「いつも内向きで、地平線を見ることができないキリスト者たち。それが 居眠り につながります。惰性で物事を進め、自分にとって都合の良いこと以外には無関心になってしまうことにつながります。そして、このように人生を続けることは悲しいことです…そこには幸せはありません」。

*待降節の初めの御言葉に終末的響きが

 驚くことに、典礼暦の始め、待降節第一主日に宣言されるみ言葉は、イエスが受難の前に語った、終末的響きをもつ言葉です。待降節は、私たちのただ中に来られる主の「降誕」を待つと同時に、完成の日の「再臨」を待つ時でもあるからです。

 「人びとは、これから世界に起こることを予感し、恐怖のあまり気を失うだろう。天の諸力が揺り動かされるからである」(ルカ福音書21章 26節)。しかし、まさにその時に、「恐れるな」とイエスは言われます。それらが、イエスが再び来られることの徴だからです。「このようなことが起こり始めたら、身を起こし、頭を上げなさい。あなた方の救いが近づいているからだ」(ルカ福音書21章28節)。

 「まさに、すべてが終わってしまったかのように見えるその時、主が私たちを救いに来られる」のです。だから「苦難の中でも、人生の危機の中でも、歴史のドラマ(悲劇)の中でも、主を待ち望むこと。主を待つこと」が求められている、と教皇フランシスコは指摘されます。

 待降節、「主を待ち望む」というのは、決して受身的な態度ではありません。フランシスコ会の南雲正晴師が、日本語で「待降節」と訳されている、ラテン語のdventusについて書いておられます。

*そして「迫り来る」神の救い!

 「Adventusには やって来る という意味もあります。日本語の 待降 という意味も多少はありますが、これは少し弱い言葉だと思います。言葉としては 到来』がよいと思います。神の恵みが私たちのもとに 至り―来る』 “Ad-ventus”です。私たちのほうへ向かって迫り来る神の救いなのです」( 日本カトリック典礼委員会[編]、『キリストの神秘を祝う。典礼暦年の霊性と信心』、カトリック中央協議会、2015年、15頁)。

 私たちに向かって「迫り来る」神の救い。私たちの態度はどうあるべきでしょうか。ただ受身的に「待っている」ことでしょうか。そうではないはずです。迫り来る救いを、「はい」と答えて受け入れるか、「いいえ」と否むか、または気づかずに通り過ぎてしまうか。

 神の救いは無償です。全くの恵みです。他方で、救いはオートマチック(自動的)ではありません。私たちが救いに向かって心を開き、受け入れない限り、救いは私たちの命の中に入ることはできません。それが、人間が「自由」な存在である、という神秘です。私たちの造り主である神を否むことさえできる、自由の神秘。

 私たちを救うために「迫り来る」主を、受け入れるか、受け入れないか。この方を信じるか、信じないか。「うとうとしているキリスト者」にならないように、目覚めて祈ること。

*主を受け入れるために、いつも目覚めて祈る

 自然の命を保つためには、命を養う水、食べものが必要です。洗礼によって御子の内に「神の子」の命をいただいた私たちは、その命を養う「神の言葉」を必要としています。教会の日々の典礼の祈りが、すべて神の言葉によって構成されているのは偶然ではありません。神の子の命は、「人間の言葉」ではなく、「神の言葉」を味わい、かみしめることによって成長するのです。

 忙しい日々の中で神の言葉に留まるために、「祈り」を怠らないようにしましょう、と教皇は招かれます。しばしば短い祈りを唱えること。例えば、待降節において、「主イエスよ、来てください」と言うこと。それを、一日の中で繰り返してください、と。

 聖母に祈りましょう。注意深い心で主を待っていた聖母が、私たちの待降節の旅に同行してくださいますように」と教皇は結んでいます。「目覚めて祈る」…。「迫り来る」救い主を、日々の小さな徴の中に見出し、受け入れることが出来ますように!

 (岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女、教皇庁立国際マリアン・アカデミー会員)

2021年12月1日

・愛ある船旅への幻想曲⑩待降節ー誕生と受難の意味を改めて思いめぐらす

 「主イエス・キリストを信じます」ー教会で、使徒信条を兄弟姉妹として唱える。聖堂で皆の声が一つになる。全世界のカトリック信者はミサにあずかり、兄弟姉妹のために祈り、信仰を共に深める。

 私には幼稚園からの友達グループがある。この学年は、男女共に仲が良い。若い時は、年4回位のペースで常時10人程が集まっていた。段々、職場で責任ある役職になり、お盆とお正月に。そのうちに年末年始のどちらかになり、ある人とは何年かに一度となっている。しかし、会えば違和感なく会話は弾み、友情に何のの問題もない。

 教会での信徒同士の繋がりはどうだろう。「兄弟姉妹の皆さん」と言われ、共にミサを捧げてはいるが、ずっと心に戸惑いがあった。

 人は、特定の物や人を愛でるとき、そう感じるまでには、時間と思いの深さが必要だ。何でも誰でもに、気を置くわけにはいかない。クリスチャンとして“隣人愛”の必要性と実践を諭されてはいるのだが。教会で真の友達はできるのか、と常々思っていた。しかし、ある出来事から“兄弟姉妹、教会家族”と思える仲間ができた。皮肉にも、辛い出来事から、年齢もバラバラだが信仰の真理を学びたい仲間たちを、神は恵んでくださった。互いに愛し、心配りのある関係こそ、教会になくてはならない“愛”だろう。

 イエス様が人間として誕生された日がもうすぐ来る。私と若者たちとの聖書の分かち合いの箇所は、今、ルカ福音書の23章である。イエス様が十字架へと向かう場面である。

 ヘンデル作曲の『メサイア』は、誕生から受難、復活へと聖書の歌詞が用いて歌われる。日本では、クリスマスに演奏されることがあるが、元々は復活祭向けの曲である。そう考えると、今イエスの受難を知り、誕生の意味を知ることは、私たちに必要だろう。イエス・キリストを知る為には磔刑を理解することが大切だ。イエス様は、私たちに何を望まれ、何を伝えたかったのか。そして、今の世と教会をどう思われているのか。これは、《シノドス》を分かち合うために是非とも考えねばならない、と思う私である。

 「上位の共同体は下位の共同体からその役割を奪い、その内部の活動に干渉すべきではなく、むしろ絶えず共通善の観点から必要なときにはこれを支え、これらの相互の活動を調整するために援助すべきです」(教皇ヨハネ・パウロ二世回勅『新しい課題 ― 教会と社会の百年をふりかえって ― 』48項)

(西の憂うるパヴァーヌ)

2021年12月1日

・Sr.阿部のバンコク通信(62)  待降節に”僧侶の道”を想う

   仏教国タイにおける僧侶は、国と民の運命を決めるほどの存在で、天と地の仲介をする役割を持つ、と信じられています。冠婚葬祭の祭儀を行い、人々の誕生から生涯の終わりまで、喜びにつけ、悲しみにつけ、祝福と祈りで、人々に寄り添う存在なのです。

 日本の仏教とは随分違っていて、葬儀、お参り、結婚式他、国を挙げての儀式に参加する度に感嘆します。話には聞いていましたが、コロナ禍で日本の新郎の両親が出席出来ないため、親代わりに村を挙げての結婚式に与りました。僧侶の並ぶ前で結婚の儀式、目の前に繰り広げられるしぐさ、祈りの意味は分かりませんが一部始終に頷くものがありました。

 早朝から街中を裸足で歩き、祈りながら人々の生活を見守り続ける僧侶の姿が普段の生活の中にあることの意味は甚大です。

 国は40万余の僧侶の生活を保障し、3万の寺院僧院を維持し、まるで国と国民を守る”魂の親衛隊”のようです。僧侶が修行に励み、祈祷に集中できるよう配慮し、国民はこぞってお布施や奉仕に惜しみなく尽くします。

 確かに僧侶の生活は入門儀式から始まり、厳しいものです。277の戒律と10戒を遵守します。持ち物も最小限、衣類も袈裟のみで、質素です。

 禁じられている所持品はー金銭宝石類、酒類、女性のポスターほか女性に関する物、ナイフほか命を絶つ武器、楽器。禁じられている行為はー自慢話をする、嘘をつく、正午以降に固形物を口にする、自分の衣類を女性に洗濯させるない、などなど。

 所持すべき品の中に「自分の繕い物するため裁縫具」とありました。まるでトラピストの修道士です。

 タイ仏教は、人間の精神を煩悩や執着から解放し、研ぎ澄まし、極める修行の教え。修道者の完徳の道とぴったり合い、近しく感じます。カトリックの観想生活のような貴重な役割を担う存在だと思います。

 自分の罪深さを謙虚に認め、赦しを乞う入門の儀に始まる僧侶の道を想いめぐらしながら、私の待降節を始めます。苦しみ悲しみ、問題渦巻く社会に、全ての人の裡に、救い主イエスの訪れを心よりお祈りいたします。Buon Natale!

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

(写真右は、カトリックの神秘家の本を愛読され、聖人を尊敬している身分の高い僧侶。中央はお付きの少年。左は筆者)

2021年11月30日

・竹内神父の午後の散歩道⑬「さぁ、主のもとへ行きましょう」

11月30日は、聖アンデレ使徒の祝日。彼は、イエスによって召された12人の弟子の一人、ペトロの兄弟です。

 バロックを代表するイタリアの画家、カラヴァッジオ(1571-1610)の秀作の一つに、‶聖アンデレの十字架〟という作品があります。左上方から光が当てられ、明暗のコントラストが、特徴的です。この明暗は、人間の、あるいはこの世の明暗を現しているのでしょうか。

 彼は、聖イグナチオ・ロヨラの霊操の影響を受けていた、と言われます(驚きです)。例えば、彼は、イグナチオが『霊操』の中で、祈りの手ほどきとして語る「場所の設定」や「五官の適用」などを、絵画の手法として取り入れているそうです。それによって、彼は、絵を観る人を聖アンデレの死の観想へと招きます。

人間を漁る者にしよう

 ある日、イエスは、ガリラヤ湖畔を歩いていました。その時、彼は、湖で網を打っていた二人の兄弟に目を留めて、こう語ります――「私に付いて来なさい。人間をとる漁師にしよう」(マタイによる福音書4章19節)。その二人とは、ペトロと呼ばれるシモンとアンデレです。イエスは、また、網の手入れをしていた別の二人の兄弟を招きます。ヤコブとヨハネです。イエスの招きは、このように、極めて日常的な場面で行われます。

 「私に付いて来なさい」ーイエスの招き。ペトロとアンデレは、すぐに網を捨てて従い、ヤコブとヨハネは、すぐに舟と父親を残してイエスに従いました。「すぐに」ーイエスの招きの圧倒的な力と、彼らののなさが、よく表れています。イエスに従うということは、しかし、容易なことではありません(マタイによる福音書16章24節、19章27節参照)。

あなたをイエスに会わせましょう

 ‶アンデレ〟という名前は、(‶男らしい人〟という意味のようですが)、福音書においては、4回登場します。彼は、最初、洗礼者ヨハネの弟子でした。しかし、彼は、ヨハネから「見よ、神の小羊だ」とイエスを指し示され、イエスの弟子となります(ヨハネによる福音書1章36-37節)。

 アンデレは、いったい、どのような人物だったのでしょうか。彼は、ペトロをイエスのもとに連れて行きます(ヨハネによる福音書1章42節)。彼は、イエスが五千人に食べ物を与えたとき、五つの大麦のパンと二匹の魚を持っていた少年のことを、イエスに告げます(6章8-9節)。彼は、また、イエスがエルサレムに入る時、イエスに会いたがっていたギリシア人をイエスに取り次ぎます(12章22節)。

 さらに、オリーブ山では、ペトロ、ヤコブ、ヨハネとともに、終末のしるし(世の終わり)について、イエスに尋ねます(マルコによる福音書13章4節)。彼は、誰かをイエスのもとに案内する、そのような人だったようです。

 伝承によれば、アンデレは、アカイアのパトラスで、‶X形の十字架〟に掛けられて殉教しました。そのためでしょうか、先の‶聖アンデレの十字架〟において、彼の足は、十字に交差しています。ギリシア教会において、彼はまた、「プロトクレートス」(最初に召された者)と呼ばれるそうです。つまり、彼は、ペトロよりも先にイエスに招かれた人物、と考えられていたようです。

 「信仰は聞くことから、聞くことはキリストの言葉によって起こるのです」(ローマの信徒への手紙10章17節)、パウロは語ります。アンデレは、まさに、それを生きた人物でした。古い網を捨てて新しい網(神のみ言葉)を携え、十字架への道を歩みました。その十字架上から、彼は、今もなお、この不確かな世界にう人々を招きますー「さあ、主のもとへ行きましょう」

2021年11月30日

・菊地大司教の日記より「教皇フランシスコ訪日から2年」

2021年11月25日 (木) 教皇訪日から2年が経ちました

Popejpn1902b 早いもので、教皇フランシスコが日本を訪れてから二年となりました。教皇様は2019年11月23日にタイのバンコクから東京の羽田空港に到着され、その後、24日には長崎と広島を訪れ、ちょうど2年前の25日には東京でさまざまな行事をなさいました。そして26日に上智大学を訪問した後、羽田から全日空(ANA)の特別機で、ローマへお帰りになりました。

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 東京では、東北の被災者の方々との集い、天皇陛下と会談。その後カテドラルで青年の集い、午後には東京ドームでミサを捧げ、その後、首相と会談。私も東京の司教として皇居以外はこの一日、同行しましたが、これだけの行事をこなされる教皇様のタフさに、正直驚きました。

 教皇様の言葉には、どれもこれも力がありました。教皇様は、もちろんカトリックの最高指導者として来日されましたが、同時にバチカン市国(聖座)の国家元首としての立場もあります。従って訪問先の国における発言は、両者の立場を意識してなされています。

 ですから日本におられた間のさまざまな発言は、当然、日本国内のみを意識した発言ではなく、世界に向けた発言であり、また国家元首として他国の内政に干渉するものでもありません。

 なかでも核廃絶のメッセージは、広島や長崎という世界的に意味を持つ二つの都市から、世界の政治のリーダーに向けて発信されたものです。教皇様の視点は常にグローバルに広がっており、その立ち位置から、教皇様の日本での様々な発言を理解したいと思います。

 広島や長崎での言葉は、その後もしばしばさまざまな場で引用されていますから、ここでは東京での教皇様の発言で、心に残っているものの一部を、記憶のために記しておきたいと思います。

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*東京カテドラルでの青年の集いにて

「私たち人類家族にとって、皆が同じようになるのではなく、調和と平和のうちに共存すべきだと学ぶことが、どれほど必要でしょうか。私たちは、『工場の大量生産で作られた』のではないのです。誰もが、両親や家族の愛から生まれたのです。だからこそ、皆、異なるのです。誰もが、分かち合うべき、自分の物語を持っているのです」

「マザー・テレサは、かつて預言的で、示唆に富んだことを話されています。「孤独と、『愛されていない』という思いこそが、もっとも恐ろしい貧困です」。・・・正直に気づくでしょう。抱えている最大の貧しさは、孤独であり、『愛されていない』と感じることです」

*東北の被災者の方々との集いで

「食料、衣服、安全な場所といった必需品がなければ、尊厳ある生活を送ることはできません… 一人で「復興」できる人はどこにもいません。誰も一人では再出発できません。町の復興を助ける人だけでなく、展望と希望を回復させてくれる友人や兄弟姉妹との出会いが、不可欠です」

「私たちの『共通の家』の未来について考えるなら、ただただ利己的な決断は下せないこと、私たちには未来の世代に対して大きな責任があること、に気づかなければなりません。その意味で私たちには、控えめで慎ましい生き方を選択することが求められています」

*東京ドームでのミサで

「命の福音を告げる、ということは、共同体として私たちを駆り立て、私たちに強く求めます。それは、傷の癒しと、和解と赦しの道を、常に差し出す準備のある、野戦病院となることです。キリスト者にとって、個々の人や状況を判断する唯一有効な基準は、神がご自分のすべての子どもたちに示しておられる『慈しみ』という基準です」

 もっとたくさんの言葉を残して行かれましたが、全てを記すことはできません。教皇様の発言は、カトリック中央協議会のホームページからも、関連のメッセージなどとともにすべてご覧いただけます。また訪日の公式記録集も発売されています(注:「カトリック・あい」も、ご帰国直後から全文を掲載中)。

 教皇訪日直後から感染症への対応に追われることになり、せっかく教皇様が日本に残された諸々の言葉を深め、理解し、行動に移すことがおろそかになってしまいました。残念です。少し落ち着いてきた今だからこそ、もう一度教皇様の日本での言葉に耳を傾け、理解を深め、行動へとつなげていきたいと思います。

 以下、余談ですが、実は個人的に一番記憶に残っていることがあります。(もちろん東京でのエスコート役として教皇様の近くにいて、いろいろと見聞きし体験したことはありますが、それらを書くのは、まだ時期尚早だと思います。)

 東京ドームの祭壇上のことです。奉献文の締めくくり、主の祈りの前の栄唱、「キリストによって・・・」のところで、一瞬、頭が真白になり、そのまま冷や汗をかきながら祈りを歌ったことです。「頼む。私の記憶よ、間違えないでくれ」と祈りつつ…。

 何があったかというと、この日のミサは、事前に教皇庁儀典室と打ち合わせて裁可を経て作成された、この日のための儀式書に基づいて行われました。式文は英語とラテン語と日本語が入り交じっていました。この儀式書は、教皇儀典室の名儀でバチカンで作成され、タイと日本で行われたミサを全て網羅する立派なものです。(右の写真)

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 ”ドームミサ”では、いわゆる奉納の部分以降は基本的にラテン語で、前田枢機卿様と私が共同司式で唱える部分だけが日本語が指定されていましたが、奉献文の締めくくりの栄唱を、私がラテン語で歌い出すことになっていたのです。当日のビデオを見ていただくと分かりますが、歌っているのは私です。

Popeinjapan2019b 祭壇上に用意された件の儀式書は、事前に見ることができませんでした。てっきり、譜面が記されているものと思っていたのです。

 ところが、詠唱を歌い出す瞬間になって、目の前のページを開いたら、言葉だけで音が記されていない。これで間違えたら、大変です。それで冷や汗ものの大緊張だったのです。

 一応これでも私は、ラテン語の典礼から今の典礼に変わる時期に小学生だったので、その頃に侍者を務めることになって、カタカナでラテン語の祈りを暗記しました。

 その後も、小神学校で週に三度ほどラテン語のミサ(今の典礼でグレゴリアン聖歌)があったので、今でもラテン語式文の歌唱はなんとか記憶していますが、やはりあれだけの大舞台で諳んじて歌うのは、大変な緊張でありました。ビデオを見て、その部分がなんとなく間延びして聞こえるのは、『間違えないように』と慎重になっているためです。

 なお教皇訪日関連のビデオは、youtubeのこちらの「Pope in Japan 2019 公式」チャンネルからご覧いただけます。

(編集「カトリック・あい」)

2021年11月27日

・Sr.岡のマリアの風 (69)「生きている伝統の川」の中で… それがシノドス的な歩み

 最近、夢の中で、 たぶん天使に、「あなたの命はあと200日」と告げられ(?)た。その時、「残された時間で、恩師たちから受け取った教えをできる限り日本語にして、次の世代に残さなきゃ」と強烈に思ったことを、なぜかよく覚えている。

    教皇フランシスコは、ブダペスト・スロバキア司牧訪問で、広大なドナウ川や、たくさんの鎖の輪から成る鎖橋(ブダペスト)、森林などからインスピレーションを受け、教会の生きている「伝統(大文字のTradition 」について語った。伝統は、何か固まった過去の産物ではなく、天地創造の日から今日まで、そしてさらに「完成の日」まで発展し続ける、動的で「生きている」現実である。

    生きている伝統は、大きな川のように、ポジティブなものもネガティブなものも、すべて懐に包み込んで流れて行く。絶えず流れ続けることができるのは、神の霊の力によって動かされているからだ。

 思えば30年前、ローマで勉強し始めた時、教父学の教授に 「今を生きるだけでも大変なのに、千年以上前の、時代背景も言葉の表現も違う教父たちの教えを 何でこんなに苦労して勉強する必要があるのですか」と、今思えば、非常に生意気で恥ずかしい質問をしたものだ(教父学のテキストのラテン語とイタリア語に、さんざん苦労していたからかもしれない)。

 その教授は、その手の質問は慣れていたのだろう。ニコニコしながら適当にかわしてくださったような気がする。

 今、私自身、年を重ね、信仰とは賜物であり、先人たちが時に命を賭けて守り伝えてくれたものであることを ありがたく感じるようになった。だから、それほどまでに必死になって伝えてくれたものを、私たちのルーツ(根源)をもっと知りたい、と。

 「200日の期限」は本当かどうか分からないが、世の中、明日、何が起こるか分からない。先人たちのおかげで知ったものを、自分の手元に取っておかず、「手放して」いく必要も感じる。

 夜、寝る前に、現代東方正教会の著名な神学者、アレクサンドル・シュメーマン(Alexander Schmemann)師 (1983年帰天)のDiario 日記( Lipa, 2021年)を読んでいる。

 先日、読んだ箇所、試訳でこんな感じ…。

 さっき電話でN氏と話した。人々は何と簡単に心を失い、何と簡単に落胆してしまうのだろう。そして、何もかもが絶望的に見えてしまうのだろう。「忍耐」という神のエネルギー、悪魔と戦うために最も必要なのは忍耐である。そしてそれは、人々に、特に若い人たちに、最も欠けていることだ。青年時代の一番の危険は忍耐がないことだ。なぜ神は忍耐強いのか?なぜなら、神は 知っておられ 、愛しておられるからだ 。

 忍耐が足りないのは若者だけではない。今は天国にいる私の父は、非常に短気だった。「歳を取って、ますます短気になった」と母は言っていた。その父に、私は「一番似ている」と、事あるごとに言われる。確かに。「今、すぐ」「私の思った通りに」物事を進めようとする。何が言いたいのか(私にとって)理解できない人の話を、ちゃんと最後まで聞かない。

 シュメーマン師の言葉を聞きながら、あぶないな~と思った。200日か、何年か知らないが、神さまが私に世の始めから準備してくださった地上の日々を、もう少しゆっく、もう少し忍耐をもって、もう少し人の話を聞いて、歩調を合わせて共に歩いていきたい。

 空間を共有する人々とだけでなく、時間軸を共有するアルファからオメガまでのすべての人々と共に、「生きている伝統の川」の中で…。それが私の現場での「シノドス的歩み」だろう。

(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女、教皇庁立国際マリアン・アカデミー会員)

2021年11月2日

・Sr.阿部のバンコク通信(61)「死者の月」の直前に召された友に

 諸聖人、諸死者の記念で始まる11月、大事な人生の節目を意識する機会です。

 数日前、タイに来て以来の親友が倒れて緊急入院、「術後の脾臓の大出血が原因で、30パックの輸血でも血圧が上がらない」と、友人から突然の連絡を受けました。死者の日とは? | カトリック中央協議会

 「母はカトリック信者なので、神父様にお祈りをお願いしたい」との仏教徒のお嬢さんの依頼で、友人が司祭に連絡を取り、病者の塗油を授けて祈っていただきました。はっきりと安らかな面持ちで頷いていましたが、間もなく意識を失い、2日後に旅立ちました。葬儀は、いつも通っていたバンコク市内のカトリックの教会で行われ、たくさんの親しい友人たちに見送られた暖かい旅立ちでした。

 葬儀はどの宗教でも大切な儀式で、どこでも歴史や宗教のしきたりに従って行われています。

 タイは仏教国で、人々は輪廻を信じ、亡くなった人が良い旅立ちをして、転生できるように、僧侶に祈ってもらいます。残された者が快く送り出せるように、悲しみや涙が故人の体にかかると、故人の魂が残した人を心配して輪廻できず、この世をさまようことになるので、そうならないように、と。魂は遺体と共に3~7日留まると考えられ、その後、供養を行い、故人を送り出すのです。

 故人の生前の功徳(タイ語でブン)によって転生が決まる、と信じられているので、人々は祈り、施し、善い行いに励み徳を積むのです。「このブンが、故人に届きますように」と願いを込めることで故人の供養にもなる。これはカトリックの「通功」の教えと同じなので、親しみを感じ、嬉しくなります。亡き親友は、心優しく人々に寄り添い、平素に徳を積んでいました。

 彼女とタイで知り合ったのは、仕事をやめ、手術ミスで介護が必要になったご主人のお世話を始めた頃。その後20数年、最期を看取るまで… お嬢さんが「パパのこんないい顔みたことないわ」と。ご主人と共に過ごした最期の数時間、親友は『夫への最後の贈り物』として自分の手で洗礼を授けたのです。「洗礼で浄められたお恵みですね」と連絡がありました。

 天の故郷に凱旋した親友を偲びながら、11月をスタート。おかげさまで、自分の人生のゴールに焦点を合わせる機会をいただきました。もうしばらく一緒に生きたかった同じ歳の親友に、心からの感謝と祈りを捧げ、天国で再会できるよう頑張ります。

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2021年11月1日

・愛ある船旅への幻想曲⑨  公園で出会った高齢のご夫婦の「共に歩む」に感動

 先日、散歩がてら山の上にある公園に出掛けた。暑くも寒くもない丁度良い天気。絶好の読書日和だ。一人ベンチに座りのんびりと本を読む。景色も素晴らしくなんと平和で幸せなことか。と、次々に老夫婦がやって来た。

 皆さん私と同じように、今日はここで過ごそうと思ったのだろう。隣のベンチに座ろうと、ご婦人が「こんにちは」と笑顔で、はっきり大きな声で私にあいさつされた。私は久々に感激した。「まさしくこれが“良心”だ」と。それから、私たちの会話が始まった。

 彼女は85歳、その夫は90歳。二人の結婚した経緯からその時代を垣間見ることができた。彼女の話は面白く、また伝え上手である。最近の自分達夫婦の日常生活まで詳しく話され、共に生きてこられた62年の歳月での夫婦の様子が、短時間のうちに私にはよくわかった。今日初めて会った人との“交わり”が私の心を明るくしてくれた。これが日常にある“交わりの喜び”であろうと、私は思った。

 『人が独りでいるのは良くない』(創世記2章18節)

 神様は、私たちに独りで生きるのではなくて、心からの“交わり”ができる他の人との関係を求めている。そこに“神の愛”を感じる。先の90歳の男性は‘人生100年時代’と強調された。彼ら夫婦の二人三脚は、まだまだ続くのだ。

 私は、各世代の人たちと共に生きることに喜びを持って体験していきたい。先ずは、100歳の人の生きてきた社会を知り、次の世代へと続く背景と歴史を知ることは大事と思っている。例え同級生であっても生きてきた場所によって感覚も価値観も違う

 だから、私にとって、歳が何歳違おうと「共に歩む」ことは可能で興味津々である。自分の知らない世界を知ることで、お互いが成長できる。その時間の共有から、自分を見つめ直さねばならない事が再々である。そこに神がおられ、私にその都度、人間としての“良心”を目覚めさせてくださるのだ。

 最後に、90歳の夫から85歳妻への愛の言葉、「私は、結婚してから一度も、妻の『体重』と『口』に勝ったことがありません」

 私は、寡黙な夫からの言葉に哄笑した。いい夫婦だ…

 (西の憂うるパヴァーヌ)

2021年10月31日

・ガブリエルの信仰見聞思 ㉓人生の壁は”句読点”、”終止符”ではない

*古代エリコの壁は…神の御力で崩れた

 考古学的調査によると、世界最古の町と評される古代エリコ(紀元前8000年以降)の城壁は二つの壁から構成されていましたー高さ約13メートル、厚さ約2メートルの外壁と、その内側の斜面の上に築かれた高さ約8メートル、厚さ約4メートルの内壁と。加えて、幅約8メートル、深さ約3メートルの空堀が外壁を囲んでいた、そのため当時の人たちは空堀の先の地上から城壁を見上げると、2つの壁が高さ20メートルほどの1つの壁のようにも見えたのだろう、と言われています。

 それが、ヨシュアと彼が率いるイスラエルの民が直面した、「高くそびえ立ち、難攻不落」のように見える壁でした。おそらくその時は、「こんな要塞を突破できるわけがない」と、意気消沈していた人たちも、多かれ少なかれその中にいたのではないでしょうか。しかし、ご存知のように結果として、やはりヨシュアたちの人間的な力ではなく、神様の御力だけで城壁は崩れ落ちました(ヨシュア記6章参照)。

*人生の壁

 私事ですが、ここしばらく壁に直面していて、「なぜこんな壁が現れたのか?乗り越えられるのか」と疑問に思うことがあります。壁にぶち当たることは人生の一部だ、と言われています。とは言え、できることなら誰もが壁を避けたい、と思っているでしょう。

 身体や心の状態に影響を及ぼすような種々の壁が、人生の旅の所々で現れてきます。そして壁が大きければ大きいほど、その向こう側が見えなくなったり、壁を突破して向こう側に行き着くことが不可能のように見えたりします。

 また、人生の壁もエリコの城壁のように、単独で立ちはだかることはめったにありません。多くの場合は、苦しみや不安、落胆、恐れ、などといった深い堀を伴っています。同時に、希望の感覚を奪おうとするような種々の外的影響力が、私たちを襲ってくるときもあります。

 「もし神様が私たちをとても愛しておられるのなら、なぜこのような壁が私の周りに現れるのを、許されるのだろう」と、疑問に思うことはありませんか。正直なところ、僕はそれに対する明確な答えを持っていません。

 ただ、このような状況に直面するとき、どんなに辛くても、またどんなに無力感に襲われても、それでもなお、決して希望を捨てず、絶えず主の御力と助けを求め続けることが最も大切なことにほかならないのだと、僕はそう教わっていますー「…私の助けはどこから来るのか。/私の助けは主のもとから/天と地を造られた方のもとから」(詩編121編1節~2節)。
それでも、時として、言うほど簡単に実行できないような感じがするのは否めません。

*救いの歴史における数知れぬ壁

 それでも、聖書を読んでいると、一見、乗り越えられないような状況や出来事に直面した人々が、次々と現れてきます。救いの歴史を通して、僕には、まず人間として乗り越えられないような状況に直面することなく、神様の内に忠実に歩んだ人が一人も見当たらないように思えます。

 父祖たちのアブラハム、イサク、ヤコブ、ジョセフなどから、指導者であり預言者のモーセとヨシュア、士師たちのギデオン、デボラ、サムソンなど、ダビデ王や後継者のヒゼキアとヨシヤ、預言者たちのエリヤ、エレミヤ、ダニエルなど、聖母マリアと聖ヨセフ、使徒たちのペトロやパウロなど、強固な壁を前にして絶えず神様の御力を求め続ける数え切れないほどの敬虔な男女まで、旧約聖書と新約聖書を通して、あまりにも多く登場します。

 何よりも、主イエス・キリストが屈辱を受けられ、十字架に付けられ、葬られたことによって、多くの人々が長い間期待し続けてきた「革命」の望みは、すべて葬られたように見えました。しかし、主は三日後に復活され、罪と死を打ち破られ、長年にわたって傷つけられたすべての被造物が今や永遠に回復させられたのです。主イエスは、「人にはできないが、神には何でもできる」と言われたからです(マタイ福音書19章26節)。

*句読点は終止符ではない

 壁にぶち当たったときの人それぞれの悩みや苦しみがどれほど深いものか、どれだけ暗いものかを、理解したかのようにお話しするつもりはありません。ただ、「正しき者は七度倒れても起き上がる」(箴言24章16a節)と書かれているように、「なぜなら、私は、弱いときにこそ強いからです 」(コリントの信徒への手紙②12章10b節)と聖パウロが教えてくれます。

 神様の御言葉である聖書から教えられていることは、数え切れませんが、あえて一つを挙げるとすれば、「人生の壁は”句読点”であり、”終止符”ではない」ということだと思います。

 句読点は単なる、文や文中の切れ目ではなく、文に対する何らかの意思がより伝わるように打たれるものであるように感じます。句読点の後ろには、次の文や章が待っているので、終止符ではありません。そのため、神様が句読点を付けられたところに、自分で勝手に終止符を打ってはいけないのだと思います。

 主の御力は弱さの中でこそ完全に発揮される、と教わっています(コリントの信徒への手紙2・12章9節参照)。主の御力によって試練を受け入れることができ、私たちが告白した希望を揺るぎなく、しっかり持ち続けることができるように、お祈りしたいものです。「約束してくださったのは主である真実な方」なのですから、どんなに辛く思えるような状況でも、主は真実であり続けられるからだ、と自分自身に言い続けたいと思います。

(ガブリエル・ギデオン=シンガポールで生まれ育ち、現在日本に住むカトリック信徒)

2021年10月31日

・竹内神父の午後の散歩道 ⑫生きているイエスの手

 昨年(2020年)の自殺(自死)者は、2万1081人(男性1万4055人、女性7026人)。かつて(1998年~2011年)は、3万人を超えていました。その後、減少傾向が続いていたのですが、昨年、再び増加となりました。しかし、これらの数字は、実際に亡くなった人の数であり、実際に思い悩んでいる人の数は、その何倍なのでしょうか。

 世界保健機関(WHO)のデータ資料(2014年)によれば、日本における自殺者数は、12か国(オーストラリア、カナダ、フィンランド、フランス、ドイツ、イタリア、ニュージーランド、韓国、ロシア、英国、米国、日本)中では3番目に多く、自殺死亡率は5番目に高くなっています。原因は、経済・生活、健康、家庭問題など複合的です。このような現実を前にして、これらの国々は、本当に「豊かな国」「平和な国」だと言えるのでしょうか。むしろ、「病んでいる」のではないか、と思います。

 

*イエスの手が触れて

 イエスは、さまざまな人々の病を癒されました。病の癒しは、多くの場合、罪の赦しとも関連しています。イエスは、ある時、シモンのしゅうとめをはじめ、多くの病人を癒されました。

 「日が暮れると、いろいろな病気に悩む者を抱えた人が皆、病人たちをイエスのもとに連れて来た。イエスは一人一人に手を置いて癒やされた」(ルカ福音書4章40節)。

 文字どおり、イエスは手当てをされます。イエスの手が、直接病人に触れます。彼のこの手は、しかし、病人を癒す時ばかりでなく、さまざまな形で私たちに触れます。例えば、人に祝福
を与える時(マタイ19章13節)、盲人の目を開く時(マルコ福音書8章23~25節)、また、水に沈みかけたペトロを救う時などです(マタイ福音書14章31節)。イエスの癒しは、”ソーシャル・ディスタンス”を超えます。

*温もりのある手によって

 それでは、私たちの手は、今、どのように働いているのでしょうか。私たちの生活の現場には、至る所に「マニュアル」(manual<manus手)があります。「マニュアル」は、新しい仕事を覚える時など必要ですし、実際有益です。しかし、いつまでもそれに頼っているのも、問題です。

 なぜなら、それによって私たちの行いは、単なる機械的なものとなり、血の通わない無味乾燥なものとなってしまうからです。温もりのない手は、潤いのない人間関係を生み出し、その結果、先に述べたような多くの病んだ人々に溢れた社会となってしまいます。

 私たちの生活は、確かに、便利になりました。手紙、電話、メール、そしてZoom……。直接会わなくても、連絡はもちろん、お互いの意志の疎通も(ある意味で)可能となりました。しかし、このようなつながりは、どこか心もとないものでもあります。

 温もりのある手ーそれは、人間の心から生まれます。キュア(治療)では賄えないところも、ケア(心遣い)によって癒されます。「ケアリングは人間の存在様式です」と、シモーヌ・ローチは、語りました。看護の看は、「手」と「目」によって行われる働きです。

*父の御手に委ねて

 十字架上で、イエスは、大声で叫ばれましたー「父よ、私の霊を御手に委ねます」(ルカ福音書23章46節)。そして、息を引き取られました。文字どおり、彼は、自らの命を父の御手に渡されました。私たちの命も、同様です。

 そのことを、イエスは、確かに請け負い、こう語りますー「私は彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、また、彼らを私の手から奪う者はいない」(ヨハネ10章28節)。

(竹内 修一=上智大学神学部教授、イエズス会司祭)

2021年10月31日

・受刑者とともに捧げるミサ(「菊地大司教の日記」より)

2021年10月22日 (金)受刑者とともに捧げるミサ

  このところ恒例となってきた、NPO法人マザーハウス主催(代表:五十嵐弘志 さん)の「受刑者とともに捧げるミサ」が今年も企画され、10月16日(土)の午後に、聖イグナチオ・麹町教会で行われました。

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   マザーハウスのホームページには、次のように解説が掲載されています。

 「教皇フランシスコは「いつくしみの特別聖年」中の2016年11月6日(日)を、「受刑者の聖年」と定め、受刑者やその家族のため、そして刑務官や教誨師を含め、刑務所の内外で受刑者の支援に携わっているすべての人・機関のために祈るよう呼びかけました。理事長の五十嵐は、社会の人々と刑務所にいる受刑者が共に祈ることで孤独と犯罪から解放されると考え、菊地功大司教に受刑者と共に捧げるミサの司式を要請し、2018年10月に菊地功大司教とローマ教皇庁大使館の大使チェノットゥ大司教の共同司式にてミサを開催し、毎年、実施しています」

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   同法人のホームページには、当日のミサの様子のビデオも掲載されています。この時期ですので感染症対策のために、残念ながら      大勢の方に参加していただくことは出来ませんでしたが、当日の模様は配信され、多くの方が祈りの時をともにしてくださいました。

 

https://youtu.be/TPtlhy-caHI

      以下、当日、用意していった説教の原稿ですが、上述のビデオを見ていただくとおわかりのように、ほとんど原稿通りに話してはおりませんでした。

( 受刑者とともに捧げるミサ   2021年10月16日 聖イグナチオ・麹町教会)

   昨年初めからすでに2年近く続いている感染症による困難な状況は、地球的規模で、人類社会に大きな影響を与えています。感染症対策のため、各国の政府によって取られたさまざまな政策によって、経済が悪化し、雇用関係が不安定になっている国も少なくありません。

   もちろん人類にとって未知の感染症ですから、誰ひとりとしてどのように対処するべきなのかについて正解を知っている人はおらず、また感染症の実際の健康への影響も、専門家の間にもさまざまな議論があります。わたしたちも目に見えないウイルスが相手ですから、一体どう対処したら良いのかが判然とせず、この2年近くは、本当に暗闇の中を手探りで歩んでいるような気持ちに包まれています。

  教会も大きな影響を受けています。教会は定期的に大勢の人が集まることで成り立ってきましたが、残念ながらそのこと自体を制限しなくてはならなくなり、活動が大きく制約されています。

  教皇フランシスコは、昨年、一時中断していた一般謁見を2020年9月2日に再開し、その日は少数の会衆を教皇宮殿の中庭に入れて、こう話されています。

  「このパンデミックは、わたしたちが頼り合っていることを浮き彫りにしました。わたしたちは皆、良くも悪くも、互いに結びついています。この危機から、以前よりよい状態で脱するためには、ともに協力しなければなりません」

   教皇様は、誰ひとり排除されない社会を実現し、すべてのいのちがその尊厳を守られるようにと働きかけてきましたが、特にこの感染症の困難に襲われてからは、地球的規模での連帯の必要性を強調されてきました。

   しかし残念ながら、連帯は実現せず、かえって孤立と孤独が激しくすすみ、いのちが危機に直面しています。

   今年2021年の復活祭にあたってのメッセージで、教皇様は次のように述べられました。

  「パンデミックはいまも猛威をふるっています。社会的、経済的な危機はいまだに深刻な状態にあり、とくに貧しい人に大きな影響を及ぼしています。それにもかかわらず、武力紛争と軍備拡張はとどまることを知りません。今、こんなことがあっていいはずがありません。」

  その上で教皇様は、「十字架にかけられ、復活された主は、仕事を失った人や、経済的な苦境に陥っても社会から適切な保護を受けられない人の心の支えです。」と呼びかけられます。今わたしたちの社会は、不安の暗闇の中に置き去りにされている恐怖から、他者に対する配慮をする余裕を心から奪い、不寛容な心は利己的になり、自分を守ることにばかり集中して、助けを必要として叫びを上げている人の存在を見えないものにしています。

  教皇様は「福音の喜び」で、教会のあるべき姿を、「出向いていく教会」であるとされました。自分の安全安心を守ろうとするのではなく、常に挑戦し続ける姿勢を教会に求めました。失敗を恐れずに、常に挑戦を続ける教会です。しかもその挑戦は、困難に直面し、誰かの助けを必要としている人のところへ駆けつける挑戦です。

  そして「福音の喜び」には、「イエスは弟子たちに、排他的な集団を作るようには言いませんでした」という言葉もあります。その上で教皇は、「教会は無償のあわれみの場でなければなりません。すべての人が受け入れられ、愛され、ゆるされ、福音に従うよい生活を送るよう励まされると感じられる場でなければならないのです」と指摘します。(114)

  今、教会は、この困難な現実の中で、命を守るために、積極的に出向いていき、助けを必要とする人たちとともに歩んでいかなくてはなりません。

  ちょうど今、教皇様は2023年の秋に開催される世界代表者司教会議の準備を、世界中の教会で、明日から始めるようにと指示をされています。明日、10月17日のミサの中で、それぞれの地におけるシノドスのプロセスが始まります。

   シノドスという言葉は、会議の名称ではなくて、そもそも「ともに歩む」事を意味しており、教皇様はまさしく教会が、「ともに歩む」教会であるようにと願っておられます。誰ひとり忘れられることのないように、神から愛されて命を与えられたわたしたちは、司教も、司祭も、修道者も信徒も、ともに支え合い、助け合いながら、互いの声に耳を傾けあい、歩んでいきたいと思います。

  わたしたちの歩みは、暗闇を彷徨う不確実な歩みではなく、わたしたちと共にいてくださる主とともに前進する歩みであり、神の民を導かれる聖霊の声に耳を傾けながらの前進です。

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  マタイ福音は、「求めなさい。そうすれば与えられる」と語るイエスの言葉を記しています。イエスはわたしたちに、求めること、探すこと、門をたたくことを求めます。問題は、一体わたしたちは何を求め、何を探し、どの門をたたくのかであります。

   同じ福音の記述の続きには、こう記されています。

  「あなた方の天の父は、求める者に良いものをくださるに違いない」

   すなわち、わたしたちは、自分がそうあってほしいと願うことを求めるのではなく、神が良しとされることを求めるときに、与えられるのです。神が望まれる命の生き方を実現しようと求め、探し、門をたたくときに、初めて神は答えてくださるのであって、わたしたちの自己実現や自己満足のために、欲望を満たす何かを探し求めても、それは与えられません。

  ですからわたしたちは、神が良しとされる生き方とは一体どのような生き方であるのか、神が良しとして定める道はどこにあるのか、神の国の門はどの門であるのか、つねに見極めながら、より良い方向へと進んでいかなくてはなりません。だからこそわたしたちは、この道を一緒になって歩むのです。その「一緒」には、神が良しとして創造されたすべてのいのちの尊厳が含まれています。排除されてもよい人は誰ひとりいません。互いに支え合いながら、わたしたちは一緒になって道を見いだし、歩んでいきたいと思います。

  今日このミサを捧げながら、過去を顧み許しを求めている人に善なる道が示されるように、祈りたいと思います。同時に犯罪の被害に遭われた方々の、心と体のいやしのために、祈ります。さらには、加害者のご家族、また被害者のご家族の方々の、いやしと生きる希望のために、祈りたいと思います。

  そして、すべての人が神の望まれる道を歩むことができるように、受刑者の方々に、また犯罪の被害者の方々に支援の手を差し伸べるすべての人のために、心から祈りたいと思います。キリストに従うわたしたち一人ひとりが、神が望まれるより良い道を、互いに支え合って、歩み続けることが出来ますように。

2021年10月23日

・「一人でも多くの青年が司祭の道を歩んでくれるように」菊地大司教の「司教の日記」より

 緊急事態宣言が解除となり、ミサの公開が再開しましたが、その直後の最初の堅信式が、10月3日に町田教会(主任司祭は林神父様)で行われ、17名の方が堅信の秘跡を受けられました。おめでとうございます。感染症の状況の中、堅信式も何度も延期になり、皆さんよくぞ待ってくださいました。その忍耐と犠牲に、御父の豊かな報いと聖霊の祝福がありますように。

Machidaconf21d またこのミサの中では、教区の神学生である熊坂さんが、朗読奉仕者の選任を受けられました。

 司祭養成の過程では、まず哲学課程が終わったところで司祭助祭の候補者として認定を受けます。その後、朗読奉仕者と祭壇奉仕者の選任をそれぞれ受けて、助祭叙階に至ります。助祭叙階後は、短くても半年以上の助祭としての務めを経て、司祭に叙階されることになります。

 現在東京教区には4名の神学生がおり、東京カトリック神学院に在籍しています。熊坂さん、冨田さん、田町さん、今井さんの四名です。ご存じのように司祭になるためには、現在の養成課程では、最低でも7年間必要です。

 例えば、今日、志願者が現れたとしても、まず教区の中で、教区養成担当者による見極めの期間があり、その後、神学院の入学試験に通る必要があります。新しい養成課程では、神学院での勉学と養成をすべて修了して、初めて助祭に叙階され、助祭としての奉仕を半年以上経験してから司祭叙階。ですから司祭になるまでに、実際には8年近くがかかることになります。

 一人でも多くの青年が、教区の教会共同体を導く牧者として生きていく決断をし、司祭の道を歩んでくださるように、皆様のお祈りをお願いいたします。また司祭への道を進むべきかどうか悩んでいる青年がおられましたら、より良い識別ができるように励まし、また共に歩んでくださいますように。

(菊地功=きくち・いさお=東京大司教)

(編集「カトリック・あい」)

2021年10月10日

・Sr.岡のマリアの風 (68) ”シノドスの歩み”が始まる前に

 「原稿、書いてください。独り言『でも』いいから…」と、最近、言われるようになった。つまり「独り言さえ 出て来ない期間が、長~く続いているのだろう。水が枯渇したのか、「土」(私)が干からび過ぎて、雨が降ってもはねのけてしまうのか…。でも、原稿書かなきゃ…そんなことを考えていたら、今朝、独り言の芽が出てきた。その芽から出発して書いてみよう。

 教皇フランシスコは、アシジの聖フランシスコの心で、すべての人、さらに、被造界において生けるものすべては「兄弟姉妹」だ、と訴える。

 …で、「そうか!」と思う。「すべての人は兄弟姉妹」が、何で「そうか!」と思うのか、兄弟姉妹だから「兄弟げんか」もあるよね~ということだ。昨日、何でもないことで口げんかになった。いまだに、どうしてそうなったのか、よく分からない。というより、私の何気ない、ひと言が原因だったようだが、それでもなぜ相手が、その私のひと言に反応して怒り出したのか 分からない。

 教皇フランシスコは、「家庭の中で何か言い争いがあったら、寝る前に互いに「ごめんなさい」と言ってください、争ったままで次の日まで持ち越さないでください」と言われる。

 私は、それで、謝ったか、と言うと、謝っていない。「何で~?何の悪気もなく言ったことで、相手が怒ったとしても、どうしてわざわざ『私が』謝らなければならないの?」というのが正直な心。それに、何で怒ったのよ~…という話になると、また「兄弟げんか」が、ぶり返しそうだし。

 これが私の弱さなんだ、とつくづく思う。

 教皇はしばしば言われる。「危機(crisis)」は、私たちにとって必要です。それは嫌でも自分自身の弱さと直面させてくれるから、と。さらに教皇は、問題は、その「危機」から、どのように出るのか、新たな生き方を選び、それを生きる自覚と責任を負う覚悟があるのか、それとも、熱が冷めたらまた元の「居心地
の良い自分の巣」に戻ってしまうのか、と問いかけられる。

 教皇フランシスコは10月10日、バチカンでのミサ聖祭をもって、公式に「シノダリティー」についてのシノドスの歩みを開会する。「シノダリティー」という、分かったような分からないような言葉に、いろいろな説明がなされているが、教皇がリフレインのように繰り返す言葉が、その「こころ」を表しているのだろう。「一緒に歩む」「互いに耳を傾け合う」「率直で謙虚な対話」「違いを豊かさとして迎え入れる」「誰も排斥しない」…

 これらの言葉を聞いていると、一つのイメージが浮かぶ。そしてそれはまさに、開会ミサの前日、10月9日に開かれる「シノダリティー」について考察する集まりの冒頭で宣言される神の言葉( 使徒言行録1章 9~20節)から来るイメージだ。

 イエスの復活、昇天の後、使徒たちが、「先生(イエス)」と最後の過越の食事(最後の晩餐)をした場所、エルサレムの「高間」で 「婦人たちや、イエスの母マリア、およびイエスの兄弟たちとともに、心を合わせてひたすら祈っていた」(同14節)場面。使徒たちと共に祈っているイエスの母。独り言なので許していただきたいが、私の思考は、そこから急に、教皇フランシスコの文書の一節にジャンプする。

 教皇は、イエスの母マリアのさまざまなイメージを示しているが、その中でも特に、すべての人の母、特にキリストを信じるすべての人の母、つまり「教会の母」のイメージが優先的だ、と私には思われる。

 教皇職のモットー(目標、指針)を表しているとも言える、最初の使徒的勧告『福音の喜び』(2013項)からも明らかではないか。それは次のように響く。

 聖霊とともにマリアは民の中に常ににおられます。祈るためにマリアは弟子たちを集め(使徒言行録1章 14節)、聖霊降臨において起きた宣教の爆発的な盛り上がりを可能にしたのです。マリアは、福音をのべ伝える教会の母です。マリアを抜きにしては、新たな福音宣教の精神を十分に理解することはできません(『福音の喜び』284項)。

 司教も、司祭も、修道者も、信徒も「共に歩む」教会。キリストにあがなわれた、同じ兄弟姉妹として。唯一の霊に導かれて歩んでいる兄弟姉妹として。

 冒頭の「兄弟げんか」でも明らかなように、口で言うのは簡単だけど、現実は、かなり難しい。日々の小さな「兄弟げんか」は、私たちに、自分の弱さを受け入れる訓練の機会を差し出してくれるのだろう。

 折しも、10月3日、年間第27主日の、聖ペトロ広場に集まった人々との正午の祈りの中で、その日の福音箇所(マルコ福音書10章 2 ~16節)を黙想しながら、教皇フランシスコは率直に指摘している。

 キリストの弟子は、「小さな者たち」(助けを必要としている人々、お返しが出来ない貧しい人々)の中に主を見出すだけでなく(これは先週、年間第26主日の福音から)、さらに一歩進んで、「自分自身が小さな者であることを認める必要がある」と。

 つまり、「小さな者たちに奉仕する」だけでなく、私たち自身、主の前で、助けを必要としている者、小さな者であることを認めること。

 教皇はさらに言われる。私たち自身の小ささを見つめ、それを受け入れるとき、まさに「そこに」 私たちはイエスを見出すのです、と。私たちは、戦いや弱さの中で成長する。

 なぜなら、私たちの弱さこそが、神に心を開く原動力になるから。そして神に心を開く時、神の心で、人々に心を開くことが出来るようになるから。

 「問題を前にして自分自身が小さな者であると感じるとき、十字架や病気の前に小さな者であると感じるとき、労苦や孤独を経験するとき、失望してはなりません」、と教皇は言われる。まさにそれは、表面的な生き方の「仮面が剥がれるとき」であるから。「私たちの根源的な弱さ」―つまり、土の塵に過ぎない人間であること―が現れてくるときであるから。

 人間の根源的な弱さは「私たちの共通の土台、私たちの宝です。なぜなら 神と一緒なら、弱さ(脆さ)は障害物ではなく、機会だからです」。教皇はここで、 このように祈るのは善いことでしょう、と言って、ある祈り方を勧められる。

 「主よ、私の弱さ(脆さ)を見つめてください…」。この後、主の前に自分の弱さを列挙する。これが、神の前での善い態度です、と。

 だから、今日の私の祈り。

 「主よ、私の弱さを見つめてください。よく考えずに思いやりのない言葉を投げてしまうこと。それで傷つくのは相手が悪いと思ってしまうこと。相手の傷を感じることを恐れること。…つまり、私の心地よい巣の中に閉じこもりたくなること…」。

 教皇フランシスコの結びの言葉。

 「私たちが小さな者であるとき、私たちは、神のやさしさ(tenerezza)をより感じます。このやさしさは、私たちに平和を与え、私たちを成長させます。[…]このようにして私たちは大きくなります(成長します)。自分自身の自己満足という幻想のうぬぼれにおいてではなく―それは誰も成長させません―、御父にあらゆる希望を置くという強さにおいて。まさに小さな者たちがするように」。

 「小さな者の道」を示した、幼いイエスの聖テレジアの記念で始まった10月。主のあがないの業を見つめながら、主の慈しみに私たちの弱さを謙虚に委ねるロザリオの祈り。自分の小ささ、弱さを認めることによって、互いを兄弟姉妹として受け入れ、私たちのただ中におられる主に信頼して一緒に進む、神の民の歩み。

 今朝の独り言の「芽」は、けっこういろいろな思いを表に出してくれました。

(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女、教皇庁立国際マリアン・アカデミー会員)

2021年10月6日

・愛ある船旅への幻想曲⑧  『シノドスの旅』への思い

 先ずは、『シノドス』準備文書の日本語訳を“カトリックあい”で即刻、掲載されたことに心からの感謝を伝えたい。

 フランシスコ教皇の『シノドス』への思いを一日も早く知りたい信徒は沢山いると私は思う。

 コロナ禍の中、私たちは、それぞれの生活を見直す時間を与えられた。会社や学校また買い物にさえも行くことができず、人との交流関係にも変化があったのではないだろうか。

 カトリック信徒としての日常にも少なからず変化があったはずだ。

 「神との交わりがより深くなった」「イエスが側にいてくれると前よりも感じるようになった」「聖霊の働きを信じ、守られていることを改めて感じている」。

 これらは若い信徒達が最近に語ってくれた言葉だ。私は、彼らとの“交わり”から沢山の学びがある。彼らは、“みことば”から日常での気づきを自然体で話す。時にネガティブな発表から“参加者たち”は議論することもある。そんな時、相手を思い遣る言葉からは“愛”を感じる。そして、私達は共に歩んでいるんだ、と実感する。教会は、このような小さな集まりこそ大事にし、前に進まねばならない、と私は思っている。

 今回の旅は、第二バチカン公会議が提起した教会「更新」を継承している。信徒にとっても興味深く、待っていた旅だ。時は流れ、社会生活も変わる。教会生活はどうだろう。教会とは?共同体とは?のテーマで何度小教区で分かち合ったことか。小教区での分かち合いに参加する信徒も減少しているのが現状ではないだろうか。「共に旅する」ことへの障害は何であるのか。

 今回の『シノドスへの旅』について、カトリック教会が真摯に向き合い、前に進もうとするなら、自由に全ての人の声を受け入れてくれる“広き門”への設置も必要ではないか、と思う私である。

(西の憂うるパヴァーヌ)

2021年10月5日

・ガブリエルの信仰見聞思㉒「聖ヨセフ、私たちのために祈ってください」

 私を育んでくれた母国のラ・サール会の小学校、中学校、高校では、全校朝礼や学校行事やお祝い事などの始まりに、必ずお祈りを捧げていました。中学校の守護聖人は聖ヨセフだったので、祈りの最後には必ず、「聖ヨセフ、私たちのために祈ってください」と言って、その執り成しをお願いしていました。

 また、学校の創立記念日や聖ヨセフの祭日を祝う時のミサでは、さらに「聖ヨセフの連願」も祈っていました。その頃から個人的なお祈りでも、自然に聖ヨセフの執り成しを求め、聖ヨセフに親しみを感じるようになりました。

*今年は12月8日まで聖ヨセフの特別年

 教皇ピオ九世が聖ヨセフを「普遍教会の保護者」とする宣言150周年を記念し、教皇フランシスコが宣言された「聖ヨセフの特別年」(2020年12月8日~2021年12月8日)は、あと2カ月で終了します。もちろん、それによって、「神の母マリアの夫」であり、「神の御子の養育者」に選ばれた聖ヨセフへの崇敬が終わるわけではありません。

 ただ、せっかくの「聖ヨセフ年」において、この「誉れ高いダビデの子孫」であり、神様が選ばれた特別な「キリストに仕えた方」のことをより深く知ったり、より一層の親近感を感じたり、彼の神なる主イエス・キリストに対する愛を大いに教わったりするこの大きな機会が、「もしかして十分に活かされていないうちに終了してしまうのでは」と勝手に思いますと、何だか寂しく感じます。昨今のコロナ禍にもたらされている、ミサの非公開や制限、諸活動の中止や自粛など広範に及ぶ影響で「特別年」らしきのお祝いや諸活動の開催ができず、「聖ヨセフ年」のことすら知らない信徒たちもいるらしく、とても残念に思います。

 聖ヨセフのことについて、福音書で記すところはわずかで、彼が発した言葉は一つも記されていないようです。一見にして目立たなく地味な存在であると思われがちかもしれませんが、実際には福音書のそのわずかな記述が聖ヨセフの重要な存在が大いに語られ、私たちが聖ヨセフからたくさんのことを教わることができると、歴代の教皇たちが私たちに教えられています。

*「聖ヨセフの連願」「教皇フランシスコの使徒的書簡」

 1909年に教皇聖ピオ十世によって全教会での使用が承認された「聖ヨセフの連願」にある聖ヨセフの呼び方がその大きな存在感を表しています。さらに今年の5月に新しい7つの呼び方が追加され―「贖い主の守護者」、「キリストに仕えた方」、「救いの奉仕者」、「困難なときの支え」、「国を追われた人の保護者」、「苦しむ人の保護者」、「貧しい人の保護者」―これらは、聖ヨセフの様々な姿について考察した、教皇聖パウロ六世、教皇聖ヨハネ・パウロ二世、そして教皇フランシスコの発言の中から選ばれたものです。

 「聖ヨセフの連願」(1)の祈りを通じ、福音書でわずかに書かれている聖ヨセフの姿と、私たちに教えていることをより深く知るようになるのではないかと思います。また、「聖ヨセフ年」を記念して、教皇フランシスコの使徒的書簡「父の心で」(2)―に挙げておられる7つの聖ヨセフの父親像の姿を黙想することによって、聖ヨセフについての理解をより深めることができるのではないか、と思います。

*聖ヨセフが言った大切な言葉

 最後に、「福音書を読んで、聖ヨセフは一言もしゃべっていない」と思っている人が多いかもしれませんが、実はそうではありません。福音書には聖ヨセフが少なくとも、ある大切な言葉を最初に公に告げ知らせた人だったと記されているのです。

 「…主の天使が(ヨセフの)夢に現れて言った。『ダビデの子ヨセフ、恐れずマリアを妻に迎えなさい。マリアに宿った子は聖霊の働きによるのである。/マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである』」(マタイ福音書1章20節~21節)。

 「八日がたって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。胎内に宿る前に天使から示された名である」(ルカ福音書2章21節)。

 ユダヤ教の習慣では、割礼の際に子供に名前をつける義務と権利を行使できるのは父親だけです(洗礼者聖ヨハネの父親であるザカリアも彼を「ヨハネ」と名付けた―ルカ福音書1章59節~69節参照)。すなわち、割礼の際、聖ヨセフは幼子キリストを「イエス」とはっきり言って名付けたと記されています。

 この御名は、唯一の救いのある名前なのです(使徒言行録4章12節参照)。その意味は、聖ヨセフの「お告げ」の時に明らかにされていました(マタイ福音書1章21節参照)。聖ヨセフは、幼子キリストの御名を付けることで、主イエスに対する法的な父親であることを宣言し、その御名を語ることによって、救い主と
しての幼子の使命を宣言したのです。

 聖ヨセフ、私たちのために祈ってください。

(ガブリエル・ギデオン=シンガポールで生まれ育ち、現在日本に住むカトリック信徒)

注:(1) 聖ヨセフの連願 https://www.cbcj.catholic.jp/wp-content/uploads/2021/02/joseph_rengan2.pdf(2) 教皇フランシスコ、使徒的書簡「父の心で」https://www.cbcj.catholic.jp/2021/02/18/22014/(カトリック中央協議会)

2021年10月2日