・Sr.岡のマリアの風 (69)「生きている伝統の川」の中で… それがシノドス的な歩み

 最近、夢の中で、 たぶん天使に、「あなたの命はあと200日」と告げられ(?)た。その時、「残された時間で、恩師たちから受け取った教えをできる限り日本語にして、次の世代に残さなきゃ」と強烈に思ったことを、なぜかよく覚えている。

    教皇フランシスコは、ブダペスト・スロバキア司牧訪問で、広大なドナウ川や、たくさんの鎖の輪から成る鎖橋(ブダペスト)、森林などからインスピレーションを受け、教会の生きている「伝統(大文字のTradition 」について語った。伝統は、何か固まった過去の産物ではなく、天地創造の日から今日まで、そしてさらに「完成の日」まで発展し続ける、動的で「生きている」現実である。

    生きている伝統は、大きな川のように、ポジティブなものもネガティブなものも、すべて懐に包み込んで流れて行く。絶えず流れ続けることができるのは、神の霊の力によって動かされているからだ。

 思えば30年前、ローマで勉強し始めた時、教父学の教授に 「今を生きるだけでも大変なのに、千年以上前の、時代背景も言葉の表現も違う教父たちの教えを 何でこんなに苦労して勉強する必要があるのですか」と、今思えば、非常に生意気で恥ずかしい質問をしたものだ(教父学のテキストのラテン語とイタリア語に、さんざん苦労していたからかもしれない)。

 その教授は、その手の質問は慣れていたのだろう。ニコニコしながら適当にかわしてくださったような気がする。

 今、私自身、年を重ね、信仰とは賜物であり、先人たちが時に命を賭けて守り伝えてくれたものであることを ありがたく感じるようになった。だから、それほどまでに必死になって伝えてくれたものを、私たちのルーツ(根源)をもっと知りたい、と。

 「200日の期限」は本当かどうか分からないが、世の中、明日、何が起こるか分からない。先人たちのおかげで知ったものを、自分の手元に取っておかず、「手放して」いく必要も感じる。

 夜、寝る前に、現代東方正教会の著名な神学者、アレクサンドル・シュメーマン(Alexander Schmemann)師 (1983年帰天)のDiario 日記( Lipa, 2021年)を読んでいる。

 先日、読んだ箇所、試訳でこんな感じ…。

 さっき電話でN氏と話した。人々は何と簡単に心を失い、何と簡単に落胆してしまうのだろう。そして、何もかもが絶望的に見えてしまうのだろう。「忍耐」という神のエネルギー、悪魔と戦うために最も必要なのは忍耐である。そしてそれは、人々に、特に若い人たちに、最も欠けていることだ。青年時代の一番の危険は忍耐がないことだ。なぜ神は忍耐強いのか?なぜなら、神は 知っておられ 、愛しておられるからだ 。

 忍耐が足りないのは若者だけではない。今は天国にいる私の父は、非常に短気だった。「歳を取って、ますます短気になった」と母は言っていた。その父に、私は「一番似ている」と、事あるごとに言われる。確かに。「今、すぐ」「私の思った通りに」物事を進めようとする。何が言いたいのか(私にとって)理解できない人の話を、ちゃんと最後まで聞かない。

 シュメーマン師の言葉を聞きながら、あぶないな~と思った。200日か、何年か知らないが、神さまが私に世の始めから準備してくださった地上の日々を、もう少しゆっく、もう少し忍耐をもって、もう少し人の話を聞いて、歩調を合わせて共に歩いていきたい。

 空間を共有する人々とだけでなく、時間軸を共有するアルファからオメガまでのすべての人々と共に、「生きている伝統の川」の中で…。それが私の現場での「シノドス的歩み」だろう。

(岡立子=おか・りつこ=けがれなき聖母の騎士聖フランシスコ修道女会修道女、教皇庁立国際マリアン・アカデミー会員)

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2021年11月2日