・Sr.阿部のバンコク通信(62)  待降節に”僧侶の道”を想う

   仏教国タイにおける僧侶は、国と民の運命を決めるほどの存在で、天と地の仲介をする役割を持つ、と信じられています。冠婚葬祭の祭儀を行い、人々の誕生から生涯の終わりまで、喜びにつけ、悲しみにつけ、祝福と祈りで、人々に寄り添う存在なのです。

 日本の仏教とは随分違っていて、葬儀、お参り、結婚式他、国を挙げての儀式に参加する度に感嘆します。話には聞いていましたが、コロナ禍で日本の新郎の両親が出席出来ないため、親代わりに村を挙げての結婚式に与りました。僧侶の並ぶ前で結婚の儀式、目の前に繰り広げられるしぐさ、祈りの意味は分かりませんが一部始終に頷くものがありました。

 早朝から街中を裸足で歩き、祈りながら人々の生活を見守り続ける僧侶の姿が普段の生活の中にあることの意味は甚大です。

 国は40万余の僧侶の生活を保障し、3万の寺院僧院を維持し、まるで国と国民を守る”魂の親衛隊”のようです。僧侶が修行に励み、祈祷に集中できるよう配慮し、国民はこぞってお布施や奉仕に惜しみなく尽くします。

 確かに僧侶の生活は入門儀式から始まり、厳しいものです。277の戒律と10戒を遵守します。持ち物も最小限、衣類も袈裟のみで、質素です。

 禁じられている所持品はー金銭宝石類、酒類、女性のポスターほか女性に関する物、ナイフほか命を絶つ武器、楽器。禁じられている行為はー自慢話をする、嘘をつく、正午以降に固形物を口にする、自分の衣類を女性に洗濯させるない、などなど。

 所持すべき品の中に「自分の繕い物するため裁縫具」とありました。まるでトラピストの修道士です。

 タイ仏教は、人間の精神を煩悩や執着から解放し、研ぎ澄まし、極める修行の教え。修道者の完徳の道とぴったり合い、近しく感じます。カトリックの観想生活のような貴重な役割を担う存在だと思います。

 自分の罪深さを謙虚に認め、赦しを乞う入門の儀に始まる僧侶の道を想いめぐらしながら、私の待降節を始めます。苦しみ悲しみ、問題渦巻く社会に、全ての人の裡に、救い主イエスの訪れを心よりお祈りいたします。Buon Natale!

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

(写真右は、カトリックの神秘家の本を愛読され、聖人を尊敬している身分の高い僧侶。中央はお付きの少年。左は筆者)

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2021年11月30日