☩「『主の祈り』を唱えるたびに、私たちはルーツを取り戻す」ジュネーブでのミサ

スイス・ジュネーブで行われた、教皇フランシスコ司式のミサ – REUTERS

(2018.6.21 バチカン放送)教皇フランシスコが21日、世界教会協議会(WCC)創設70周年を機会にジュネーブを一日訪問された。

 ジュネーブ市内のエキュメニカル・センターでキリスト教諸教会の代表たちとの祈りの集いや、WCC関係者との出会いを持たれた後、同日夕、見本市会場・パレクスポで、ミサを司式され、スイス全土から約4万人の信者が参加した。

 ミサ中の説教で、教皇は福音の朗読箇所、マタイ福音書(6章7-15節)を取り上げ、イエスが弟子たちに教えられた「主の祈り」の「御父」「パン」「赦し」の3つの言葉を「私たちを信仰の中心に導くもの」として示された。

 主の祈りは「天におられるわたしたちの父よ」という呼びかけで始まる。教皇は「神は無限で永遠ですが、まず第一に父です」と強調。「父よ、という呼びかけは、神の心に入るための鍵であり、父よ、と言うだけで、私たちは『キリスト教という言語』で祈ることになるのです」と話された。

 そして、「主の祈り」は、「『愛されている子たち』という私たちのアイデンティティーを表わす式文」であるとし、「主の祈りを唱えるたびに私たちは自分たちの根源を取り戻すことができます。これはルーツを失った今日の社会において私たちに必要なこと」と強調され、「父がいるところでは、誰もが除外されません。子である私たちは、この『家族』を大切にし、兄弟たちと互いに愛し合わなければなりません」と説かれた。

 また、教皇は、主の祈りの「わたしたちの日ごとの糧を今日も お与えください」を取り上げ、このように「父に」に願うのは、その日に必要な「糧=パン」だけ、それ以上のものは望まない、日ごとの糧を父に祈り求めることは「すべての人に必要な糧がいきわたる」ように願うと同時に、「簡素な生活ができるよう助けてください」と願うことでもある、と指摘。「私たちが忘れてはならないことは、日ごとの糧(パン)とは、すなわち『イエスである』ということ」とされ、「私たちは、イエスなしでは何もできないのです」(ヨハネ福音書15章5節参照)と話された。

 さらに、「主の祈り」の内容の中で、イエスが唯一コメントを加えているのは「私たちの罪をお赦しください。私たちも人を赦します」という部分であること(マタイ福音書6章14-15節参照)に注意を向けられ、「『赦し』は、主の祈りの中でも動かしがたい要素。神は私たちの心をあらゆる罪から解放されるが、私たちもまた、絶えず人を赦し続けるようにと望んでおられるのです」と話された。そして、「赦しは、人を新たにし、奇跡を起こします」と語り、イエスの赦しを体験してイエスの群れの牧者となったペトロ、ステファノの赦しを目の当たりにして回心したパウロらを思い起こされ、「私たちは父から赦され、兄弟たちを愛することで、新しい人間に生まれ変わります。赦しは、悪を善に変えます」と、赦しの力を説かれた。

(「カトリック・あい」編集)

2018年6月22日

◎連続講話「十戒」②「世が求めるのは『戒律主義者』ではない、『子の心を持ったキリスト者』だ」

教皇フランシスコ、6月20日、バチカンでの一般謁見

(2018.6.20 バチカン放送)教皇フランシスコが20日、バチカンで水曜恒例の一般謁見を行われ、謁見中、先週から始められた「十戒」をテーマとするカテケーシス(教会の教えの解説)で、掟を与える神と、掟を受け取る人間との関係を考察された。

 まず、「聖書では、掟は独立した存在ではなく、一つの関わりにおいて存在するもの。その関わりとは、神と神の民との契約の関係です」とされたうえで、出エジプト記の「神はすべての言葉を告げられた」(20章1節)という箇所を取り上げ、「ここでなぜ『すべての掟』ではなく、『すべての言葉』と記されているのでしょうか」と問いかけられた。

 そして「ユダヤ教の伝統では、『十戒』は『十の言葉』と呼ばれています」として、「掟・命令」と「言葉」との違いを問い、「前者が『対話を必要としない』のに対し、後者は『対話的な関係に不可欠なもの』なのです」と述べられた。

 また、「言葉」の重要性を示す上で、父なる神は「言葉を通して創造の業」を行われたこと、御子イエスは「人となられた御言葉」であること、などを挙げられた。

 さらに、「創世記」で、男と女が誘惑にそそのかされて、「神から食べてはいけない」と言われた木の果実を食べてしまったエピソードを思い起こされ、「『それを食べるな』と神が言われたのは、神が人間に与えた最初の規則だった、と言えます」と指摘「神のように善悪を知るものになる」という木の実を食べることを神が禁じたのは、「独裁者の押しつけではなく、人間を自己破壊から守るための、父親が小さな子に接するような、神の配慮でした。それにもかかわらず、蛇にだまされた男女は、神の愛の言葉を、『神の嫉妬と独占欲による命令』 と解釈し、その実を食べることになってしまったのです」と説明された。

 そして、「神は、『私に何かを押し付けようとされている』のか、それとも『私を大切に心にかけてくださっているのか』-人はこの分かれ道に立たされています」とされ、それは「戒律は『単なる掟』なのか『私をいたわる言葉』なのか。神は『主人』なのか『父』なのか-という問いでもあるのです」と話された。

 最後に、「聖霊は子たちの霊であり、イエスの霊です。奴隷たちの霊であるなら、掟を抑圧としてしか受け取らざるを得ないでしょう。それがもたらす結果は、義務と権利だけで出来た生活、あるいは激しい拒絶反応となります」と説かれ、「キリスト教のすべては、『文字で書かれた掟』から、『命を与える霊』への移行(参照:コリントの信徒への手紙Ⅱ・3章6-17節)です。イエスは父の御言葉であり、父の裁きではありません。十戒は私たちを解放する御父の言葉、解放に向けての歩みです。世が求めているのは、戒律主義者ではありません。子の心を持ったキリスト者たちなのです」と訴えられた。

(「カトリック・あい」編集)

2018年6月21日 | カテゴリー :

☩「故郷を追われた人々の不安と苦しみを思い起こそう」-「世界難民の日」に向けて

教皇フランシスコと難民の青年たち – AP
 教皇フランシスコは17日、バチカンでの正午の祈りの説教の後で、20日の国連「世界難民の日」を前にしたメッセージを出された。

 教皇は、この日に、紛争や迫害のために故郷を離れることを強制される人々の大きな不安と苦しみを、改めて思い起こすように、全世界の人々に求められた。さらに、現在、安全で秩序ある統制のとれた移民・難民政策を進める「移民・難民に関する国際合意」に向けた政府間協議が進められていることに着目。「協議にかかわる国々が、責任と人間性をもって、故郷を強制的に追われた人々の支援と保護を保証するための合意の早期実現を図る」よう強く希望された。

 さらに、難民となった人々が受け入れ先の社会によりよく受け入れられ、私たちも、それぞれの場で彼らに寄り添い、出会いの機会を見つけることができるように望まれ、「こうした出会いと相互理解と支援の中にこそ、多くの問題の解決を見つけることができるでしょう」と期待を示された。

(「カトリック・あい」が編集)

2018年6月19日

☩「屈してはならない。暗闇と困難に遭っても、神は常に救ってくださる」

(2018.6.18 「カトリック・あい」)

 教皇フランシスコは17日正午のお告げの祈りで、以下のようにお話しになりました。バチカンの公式発表の英語訳を翻訳してお届けします。

「兄弟姉妹の皆さん、おはようごさいます!

 今日の福音の箇所(マルコ福音書4章26⁻34章)で、イエスは、群衆に対し、神の国とその成長の力強さについて、二つの短いたとえ話を使って、話されました。

 最初のたとえ話(26⁻29章)で、神の国は「成長する種の神秘」と比べられます。種は地に蒔かれ、芽を出し、成長し、そして穂をつけます。農夫は世話をしないまま、豊かな実ができると、収穫します。このたとえ話が私たちに示そうとしているメッセージは、次のようなものです-『神の国は、イエスの教えと振る舞いを通して、告げ知らせられ、この世という畑に、種のように蒔かれ、自分で成長し、それ自身の、人には理解不能な物差しに従って、広がっていくのだ』。”種”が成長し、発芽していくのに、人の働きに多くを頼ることはない。それは何よりも、神の力と善の、神の民の中でキリストの人生を営み続ける聖霊の力の表れなのです。

 様々な出来事と主役たちとともに歩む人間の歴史は時折、正義、親愛、平和を望まれる天の父のご計画と反対の方向に進むように見えることがあります。しかし、私たちは、そのような時を、試練、希望、そして収穫を注意深く待つ期間として、生きるように求められているのです。実際に、昨日も今日も、神の国は神秘的な仕方で、驚くような仕方で、この世で成長していきます-小さな種の隠された力、勝利に満ちた活力を見せながら。

 希望が打ち壊されたように見える個人的、社会的な出来事の節々においても、私たちは、表には出ないが力強い『神の働き』に確信を持ち続けねばなりません。暗闇と困難の中にある時も、私たちは屈してはなりません。いつも救ってくださる神に忠実であり続けることです。覚えておいてください-神はいつも救ってくださいます。

 二つ目のたとえ話(30⁻32節)で、イエスは神の国をからし種にたとえられます。それはとても小さな種ですが、庭に生えている草木の中で一番大きくなります-予想もしないような、驚くような成長をします。私たちにとって、神の予測不能な論理に共感し、自分の人生に受け入れるのは、やさしいことではありません。それでも、今日、主は私たちに、自分の計画、計算、予想を乗り越える信仰をもつように、強くお勧めになります。主はいつも、私たちを驚かせます。個人と共同体社会のレベルで、神の計画にもっと心を開くように、と招いておられます。共同体社会の中で、主がくださる小さな、そして大きな善の機会に注意を払う必要があります。それは、全ての人を愛し、喜びをもって受け入れ、慈しむ神の業に自分たちが加わるようにすることです。

 教会が与えられた使命を果たしているかどうかは、結果が成功だったとか、満足できる出来だったとかで、評価されるのではありません。勇気をもって神を信頼し、謙遜をもって自分自身を神にささげながら、前に進むことによって、評価されるのです。イエスの告げ知らせに従い、聖霊の力を受けて前進しなさい。小さく、か弱い道具であるのことの自覚、神の手の中にあり、その恩寵とともに、「聖霊によって与えられる義と平和と喜び」(ローマの信徒への手紙14章17節)である神の国(の計画を)進める、という大きな業を行うことができるように。聖母マリアの助けを祈りましょう-古今を通じ、生き生きとした神の国の成長に、私たちが誠実で、注意深く、信仰と働きによって協力することができますように」

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

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2018年6月18日

☩「家庭は『人生の揺りかご』、神のご計画の中心にある」‐家庭フォーラムの参加者に(Vatican News)

 その中で、教皇はまず、「家庭-あなた方が様々な形で擁護に取り組まれている-は神のご計画の中心にあるものです」と強調され、家庭を「人生の揺りかご」と呼ばれた。そして、イエスの子供たちへの愛、イエスの家庭と結婚の永続性についての教えは、神のご計画の中に占める家庭の場を明らかに示している、とし、「それは、三位一体における愛である神ご自身の神秘に向けられた窓のようなものです」と説明された。

 さらに、自己中心の論理によって導かれた世界がしっかりとした絆を結ぶという意識を失わせ、このことが、家庭の価値を理解するのを難しくしている、と指摘。民間の組織は、家庭に対して十分に支援する方向で働く必要があり、「家庭の中で信頼に満ちた関係を持つこと」を学んだ人たちは、社会の他の場面においても、同じ生き方をするものです、と語られた。そして、参加者たちに、(家庭における)愛の喜びを証しするように励まされ、「私たちが見つけ、分かち合いたいと望む宝を表わすのに、喜びよりも説得力のあるものはありません」と強調された。

 また教皇はメンバーたちに対して、「あなた方が守られている約束に感謝します…文化的、社会的、政治的な分野における家庭に関する活動的で責任ある参加を通して、そして、家庭の役割と権利を守り、支える優れた政策を展開されていることに」と感謝の言葉を宣べられた。

 そして、最後に、「社会の中で家庭が直面する問題の数々に、『毅然として、しかも慈悲深い心をもって』対応する必要があります」「家庭についてあなた方が社会にもたらす感受性の鋭さに、”告解場”のレッテルを貼ることはできません。そうではなくて、人間の尊厳に根差したもの、すべての人が認識し、分かち合うことが出来るものです」とメッセージを締めくくられた。

 (翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

2018年6月17日

☩「女性たちは”使い捨て文化“の犠牲者だ」(Crux)

 

Pope Francis: Women are victims of a “throwaway culture”

In this file photo, Pope Francis gives the homily during morning Mass in the Domus Sanctae Marthae at the Vatican. (Credit: CNS photo/Vatican Media.)

(2018.6.15 Crux Staff)

 教皇フランシスコは15日、サンタ・マルタの家での朝のミサ中の説教で、「女性たちは”使い捨て文化”から苦しみを受けている。イエスが、女性たちの社会における二流の地位を終わらせることで『歴史を変えた』(にもかかわらず)」と語った。

 この説教で、教皇は、福音書でイエスが「心の中で姦淫をする」ことについて語られた箇所を取り上げ、「女性たちについてのイエスの言葉は、男性たちと平等であることを認めるものです。当時、女性たちは『完全な自由さえも」持たない、『奴隷』と少しも変わらなかった」と話された。

 Vatican Newsによれば、「女性についてのイエスの教義は歴史を変えました。女性についての考え方は、イエス以前とイエス以後で、変わったのです」と教皇は、次のように語った。

 「イエスは女性たちに敬意を払い、男性と同じ地位に置きました。それは、彼が、創造主の最初の言葉-男女ともに『神の似姿』だ、と考えているからです。男女の両方-第一に男性、それから少し低い位置に女性-というのではありません。両方とも同じ位置にあるのです。そして、傍らに女性のいない男性は―その女性が母、姉妹、花嫁、同僚、友人のいずれだろうと-男性は自分だけでは神の似姿ではありません」。

 さらに、「それなのに、今日の世界でも、女性は依然として、物のように扱われています。そして、宣伝広告に使われているイメージはしばしば”屈辱的”な女性、あるいは”着物を何もつけていない”姿を呼びものにされています」と現状を憂い、女性たちは「使い捨ての心理」の犠牲者として、『遠く離れた場所』ではなく、私たちの周りに存在する、と指摘した。

 そして、「女性を否定するのは、創造主の神に対する罪です。なぜなら、女性の存在無しに、私たち男性は、神の似姿になることができないからです。女性たちに対する怒りと恨みがあります。それは邪悪な怒りです」とし、「言わずもがなですが…女性たちは、仕事のために、使い捨ての対象として自分自身を、どれほど多く売らねばならないのでしょうか?何度でしょうか?『そうです、父よ、私はこの国で、それを耳にしました…』。ここ、ローマでです。そういう話を聞くために、遠く前行く必要はありません」と続けた。「このようなことは全て、ローマで起きているし、どの町でも起きています。氏名不詳の女性たち、女性たち―”顔のない”、恥ずかしさが彼女たちの顔を隠すので-笑い方を知らない女性たち、そしてそうした女性たちの多くは赤ちゃんに母乳を与える喜びを知らず、母親の経験もありません」。

 教皇はまた、性的に搾取されている女性たち-市場で売られている物のように使われ、売られる女性たち-の問題を取り上げ、それは私たちの近隣、ローマでさえも起きている、と述べた。「私たちの日々の生活の中においてでさえも、何処か他のところに行かなくても、このように醜悪な考え方―女性を否定したり、”二級”の人間と見たりするやり方―が存在するのです。このことについて、もっと深く考え直す必要があります。そうしたり、そのように語ったりすることで、そのような考え方をすることで、私たちは、男と女をともにご自身の似姿となさった神の姿を蔑むのです」。

 最後に、教皇は「福音を読むことは、女性の市場売買、取引、まさに人身売買-目に見える搾取、そしてまた、目に見えないところで行われている取り引き-について考える助けになります。女性は、女性だから、という理由で踏みつけにされます」と語り、ミサ参加者に対して、イエスが多くの女性と出会いを持ったことを思い起こさせた-軽蔑され、軽んじられ、脇に追いやられた女性たち。イエスは、彼女たちに大きなやさしさを示し、人としての誇りを取り戻させた。そして「イエスには、たくさんの女性の友だちがおり、彼女たちは、教えを広めようとする彼を助けるために、彼についていきました…そして、彼を支持したのです」と女性の役割の重要性を強調された。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載します。

 

2018年6月16日

☩「エネルギー利用が人類文明の消滅につながらないように」-教皇が世界の関係者に警告

(2018.6.9 「カトリック・あい」)教皇庁科学アカデミーとノートルダム大学が共催で8,9の両日、バチカンで、世界の石油・天然ガス大手の関係者たちを集めた「共通の家のためのエネルギーの転換と配慮」と題する会合を開いた。教皇フランシスコはこの会合へのメッセージで「気候変動により世界の人類文明が消滅する危険」について警告、「文明にはエネルギーが必要ですが、エネルギーの利用が(気候変動に悪影響を与えることで)人類文明の消滅につながってはなりません」と訴えた。そして、世界は、化石燃料の使用を減らし、クリ-ンエネルギーに置き換えていく方向に進む必要がある、との基本的考えを示し、参加者たちを含む世界のエネルギー関係者の理解と協力を求めた。

 教皇のメッセージの公式英語訳全文は次の通り。

ADDRESS OF HIS HOLINESS POPE FRANCIS TO PARTICIPANTS AT THE MEETING FOR EXECUTIVES OF THE MAIN COMPANIES IN THE OIL AND NATURAL GAS SECTORS, AND OTHER ENERGY RELATED BUSINESSES Clementine Hall Saturday, 9 June 2018

Your Eminence, Distinguished Executives, Investors and Experts, Ladies and Gentlemen,

I offer you a warm welcome at the conclusion of your Conference on “Energy Transition and Care for our Common Home” held here in the Vatican.

It is a very positive sign that you, as men and women in a position to influence decisions, initiatives and investments in the field of energy, have engaged in a fruitful sharing of views and areas of expertise. I thank you for taking part in this important meeting and I trust that, in listening to one another, you have been able to re-examine old assumptions and gain new perspectives.

The rapid pace of progress in science and technology is accompanied by increased speed of communication. A news item, whether true or false, an idea, whether good or bad, a new way of doing things, whether productive or unproductive, can be broadcast in a matter of seconds. People can meet and goods be traded with previously inconceivable speed and efficiency, instantly spanning oceans and continents. Our societies are daily growing more and more interconnected.

This massive movement of information, persons and things requires an immense supply of energy. Today, more than ever before, vast areas of our life depend on energy. Regrettably, it is a fact that a great number of people in our world – by some estimates, more than a billion – lack access to electricity.

Clearly, we are challenged to find ways of ensuring the immense supply of energy required to meet the needs of all, while at the same time developing means of using natural resources that avoid creating environmental imbalances resulting in deterioration and pollution gravely harmful to our human family, both now and in the future.

Air quality, sea levels, adequate fresh water reserves, climate control and the balance of delicate ecosystems – all are necessarily affected by the ways that human beings satisfy their “thirst” for energy, often, sad to say, with grave disparities.

It is not right to sate that “thirst” by adding to other people’s physical thirst for water, their poverty or their social exclusion. The need for greater and more readily available supplies of energy to operate machinery cannot be met at the cost of polluting the air we breathe. The need to expand spaces for human activities cannot be met in ways that would seriously endanger our own existence or that of other living species on earth.

It is a “false notion that an infinite quantity of energy and resources are available, that it is possible to renew them quickly, and that the negative effects of the exploitation of the natural order can be easily absorbed” (Laudato Si’, 106).

The energy question has become one of the principal challenges, in theory and in practice, facing the international community. The way we meet this challenge will determine our overall quality of life and the real possibility either of resolving conflicts in different areas of our world or, on account of grave environmental imbalances and lack of access to energy, providing them with new fuel to destroy social stability and human lives.

Hence the need to devise a long-term global strategy able to provide energy security and, by laying down precise commitments to meet the problem of climate change, to encourage economic stability, public health, the protection of the environment and integral human development.

In my Encyclical Laudato Si’, I appealed to all persons of good will (cf. Nos. 3; 62-64) for the care of our common home, and specifically for an “energy transition” (No. 165) aimed at averting disastrous climate changes that could compromise the well-being and future of the human family and our common home. In this regard, it is important that serious efforts be made to transition to a greater use of energy sources that are highly efficient while producing low levels of pollution.

This is a challenge of epochal proportions. At the same time, it is an immense opportunity to encourage efforts to ensure fuller access to energy by less developed countries, especially in outlying areas, as well as to diversify energy sources and promote the sustainable development of renewable forms of energy.

We know that the challenges facing us are interconnected. If we are to eliminate poverty and hunger, as called for by the United Nations Sustainable Development Goals, the more than one billion people without electricity today need to gain access to it. But that energy should also be clean, by a reduction in the systematic use of fossil fuels. Our desire to ensure energy for all must not lead to the undesired effect of a spiral of extreme climate changes due to a catastrophic rise in global temperatures, harsher environments and increased levels of poverty.

As you know, in December 2015, 196 Nations negotiated and adopted the Paris Agreement, with a firm resolve to limit the growth in global warming to below 2° centigrade, based on preindustrial levels, and, if possible, to below 1.5° centigrade. Some two-and-a-half years later, carbon dioxide emissions and atmospheric concentrations of greenhouse gases remain very high. This is disturbing and a cause for real concern.

Yet even more worrying is the continued search for new fossil fuel reserves, whereas the Paris Agreement clearly urged keeping most fossil fuels underground. This is why we need to talk together – industry, investors, researchers and consumers – about transition and the search for alternatives. Civilization requires energy, but energy use must not destroy civilization!

Coming up with an adequate energy “mix” is essential for combating pollution, eliminating poverty and promoting social equality. These aspects are often mutually reinforcing, since cooperation in the energy field affects the relief of poverty, the promotion of social inclusion and the protection of the environment. These are goals that, if they are to be attained, demand respect for the rights of peoples and of cultures (cf. Laudato Si’, 144).

Fiscal and economic measures, the transfer of technological capacities and, more generally, regional and international cooperation in areas such as access to information, should be consistent with these goals. The latter should not be viewed as the product of a particular ideology, but rather as goals of a civilized society that contribute to economic growth and social order.

Any exploitation of the environment that would refuse to consider these long-term issues could only attempt to stimulate a short-term economic growth, but in the long run would certainly have a negative impact, affecting intergenerational equality and the process of development.

A critical evaluation of the environmental impact of economic decisions will always be needed, in order to take into proper account their long-term human and environmental costs. To the extent possible, such an evaluation should involve local institutions and communities in decision-making processes.

As a result of your efforts, progress has been made. Oil and gas companies are developing more careful approaches to the assessment of climate risk and adjusting their business practices accordingly. This is commendable. Global investors are refining their investment strategies to take into account environmental and sustainability questions. New approaches to “green finance” are beginning to emerge.

Progress has indeed been made. But is it enough? Will we turn the corner in time? No one can answer that with certainty, but with each month that passes, the challenge of energy transition becomes more pressing.

Political decisions, social responsibility on the part of the business community and criteria governing investments – all these must be guided by the pursuit of the long-term common good and concrete solidarity between generations. There should be no room for opportunistic and cynical efforts to gain small partial results in the short run, while shifting equally significant costs and damages to future generations.

There are also ethical reasons for moving towards global energy transition with a sense of urgency. As we know, everyone is affected by the climate crisis. Yet the effects of climate change are not evenly distributed. It is the poor who suffer most from the ravages of global warming, with increasing disruption in the agricultural sector, water insecurity, and exposure to severe weather events. Many of those who can least afford it are already being forced to leave their homes and migrate to other places that may or may not prove welcoming. Many more will need to do so in the future. The transition to accessible and clean energy is a duty that we owe towards millions of our brothers and sisters around the world, poorer countries and generations yet to come.

Decisive progress on this path cannot be made without an increased awareness that all of us are part of one human family, united by bonds of fraternity and solidarity. Only by thinking and acting with constant concern for this underlying unity that overrides all differences, only by cultivating a sense of universal intergenerational solidarity, can we set out really and resolutely on the road ahead.

An interdependent world is calling us to devise and implement a long-term common project that invests today in order to build for tomorrow. Air and water do not obey different laws according to the countries they traverse; pollutants do not act differently depending on geographical locations: they follow the same rules everywhere. Environmental and energy problems now have a global impact and extent. Consequently, they call for global responses, to be sought with patience and dialogue and to be pursued rationally and perseveringly.

Unlimited faith in markets and technology has led many people to believe that shifts in economic or technological systems will be sufficient to remedy the current ecological and social imbalances. Yet we must acknowledge that the demand for continuous economic growth has led to severe ecological and social consequences, since our current economic system thrives on ever-increasing extraction, consumption and waste.

“The problem is that we still lack the culture needed to confront this crisis. We lack leadership capable of striking out on new paths in meeting the needs of the present with concern for all and without prejudice towards coming generations” (Laudato Si’, 53).

Reflecting on these deeper underlying cultural issues leads us to think anew about the very purpose of life. “There can be no renewal of our relationship with nature without a renewal of humanity itself” (Laudato Si’, 118). Such renewal calls for a new form of leadership, and such leaders must have a clear and profound realization that the earth is a single system and that humanity, likewise, is a single whole. Pope Benedict has reminded us that “the book of nature is one and indivisible; it embraces not only the environment but also life, sexuality, marriage, the family, social relations: in a word, integral human development. Our duties towards the environment are linked to our duties towards the human person, considered in himself and in relation to others. It would be wrong to uphold one set of duties while trampling on the other. Herein lies a grave contradiction in our mentality and practice today: one which demeans the person, disrupts the environment and damages society” (Caritas in Veritate, 51).

Dear brothers and sisters, I appeal in a particular way to you, as men and women so greatly blessed in terms of talent and experience. It is my hope that, having demonstrated your aptitude for innovation and for improving the lives of many people by your creativeness and professional expertise, you will use those skills in the service of two great needs in today’s world: the care of the poor and the environment. I invite you to be the core of a group of leaders who envision the global energy transition in a way that will take into account all the peoples of the earth, as well as future generations and all species and ecosystems. Let this be seen as the greatest leadership opportunity of all, one that can make a lasting difference for the human family, and one that can appeal to your boldest dreams and ideas. This is not something that can be accomplished by you as individuals or by your enterprises alone. Still, at least by working together with one another, there can be a chance for a new approach that has not been in evidence hitherto.

Embracing this challenge will entail immense responsibility, and require for God’s gracious blessing and the good will of men and women everywhere.

There is no time to lose: We received the earth as a garden-home from the Creator; let us not pass it on to future generations as a wilderness (cf. Laudato Si’, 160).

With gratitude, I give you my blessing and I pray that Almighty God may grant each of you great resolve and the courage to work together to serve our common home.

2018年6月16日

☩「異なる人生観、価値観が、豊かな富を社会にもたらす」-国際移民問題懇談会に

(2018.6.14 バチカン放送) 教皇フランシスコは14日、バチカンとメキシコの外交関係締結25周年を記念して開かれた「国際的な移民問題についての懇談会」にメッセージを送り、社会から見放された貧しい人々のための働きを続けるため、さらなる協力を進めることを強く訴えた。

 さらに、教皇は「今日、各自のメンタリティーを根本的に改める必要があります。(自分たちと)異なる人々や他の人々を『自分たちの安全を脅かすもの』とする考え方から、『様々な人生経験や異なる世界に住む人々の持つ多種多様の価値観が自分たちの社会により豊かな富をもたらす」という考え方に改めていく必要があります」と指摘。

 今、一人一人が真剣に考え、取るべき姿勢は何よりも「他者を知り、理解するために、排除するのではなく、積極的に受け入れていこうとする態度」と開かれた心とメンタリティーを持つように訴えた。

*バチカン広報発表の教皇メッセ―ジ公式英語版全文以下の通り。

MESSAGE OF HIS HOLINESS POPE FRANCIS FOR THE “SECOND HOLY SEE-MEXICO CONFERENCE ON INTERNATIONAL MIGRATION”[Vatican City, 14 June 2018]

2018年6月15日

☩「叫びを『聞き』『答え』そして『解放する』ように」-11月18日「世界貧しい人々の日」に向けて

Pope Francis says we must ‘listen to,’ ‘answer,’ and ‘free’ the poor

Pope Francis waves to faithful as he leaves at the end of his weekly general audience, in St. Peter’s Square, at the Vatican, Wednesday, June 13, 2018. (Credit: AP Photo/Riccardo De Luca.)

(2018.6.14 Crux Faith and Culture Correspondent Claire Giangravè

ROME -カトリック教会は昨年から年間第33主日を「世界貧しい人々の日」にしており、二回目の今年は11月18日がその日に当たる。教皇フランシスコは14日、その日に向けたメッセージを発表し、宗教を信じる人たち同士だけでなく、信じていない人たちとも「力を合わせる包容力を改めて見出すために、喜びの心をもって、この日を祝う」ことを願っている、と訴えられた。

 このメッセージのタイトル「This poor man cried, and the Lord heard him」(新共同訳は「貧しい人が呼び求める声を主は聞く」)は旧約聖書の詩編(34章7節)からとっており、教皇は「その叫びを聞き、必要としていることを知るため目を凝らす必要のある、本当に貧しい人は誰か、を理解する機会を示すもの」とし、「貧しさの状態は言葉では表現できず、天空を横切り、神に届く『叫び』となります」と説明された。

 教皇は2016年の慈しみの特別聖年の最後に「世界貧しい人々の日」を制定されていた。そして、今回は、貧しい人々の守護聖人、パドゥアの聖アントニオ(ポルトガル・リスボンに生まれ、1231年に亡くなった司祭)の命日に当たる6月13日にメッセージを発表された。

 11月18日の前日にローマの聖ラウレンチオ教会で、貧困者たちの世話をしているボランティアと人権団体たちが参加して、徹夜の祈りが捧げられる。18日当日は、教皇フランシスコがサンピエトロ大聖堂で貧しい人々と会見した後、バチカンのパウロ6世ホールで3000人の人たちと昼食を共にする予定だ。教区の信徒たちも昼食の提供に参加することになっており、「共同体としてともに祈り、日曜の食事をともにすることは、私たちを初期のキリスト教徒共同体に立ち返らせる経験となります」と教皇がメッセージに書かれている。また、この日から一週間にわたってピオ12世広場では、貧しい人々のために無料で健康診断サービスも提供され、教皇庁の健康管理部門とローマの各大学の医療専門家が協力することになっている。

 教皇はメッセージで、「貧困の大きな世界」を前にして、協力が何よりも重要であり、効果的で、連携した対応が欠かせない、と強調、「信仰ではなく、人間的な連帯によって動かされる、教会外の活動体との協力が、私たちだけではできないことを可能にしてくれます」と述べ、貧しい人たちを助けるために働く宗教的な組織と、そうでない組織の間の対話を提唱、「貧しい人たちへの奉仕で、私たちが最終的に必要なことは一番を目指す闘いです」「貧しい人たちは指導者を必要としません。必要なのはなされた善をどのように隠し、忘れるかを知る心です。真の指導者は主であり、貧しい人たちなのです」と強調された。

 このメッセージは、三つの言葉で象徴されている。第一に、自分自身を脇において「聞くこと」だ。教皇は「貧しい人たちを助ける時に、自分本位になる」恐れがあることを指摘し、「多くの活動が、貧しい人たちの叫びを本当に理解することなく、自分たちの功績や必要によってされているのではないかと、心配することがよくあります」「こうした活動の仕方は、人々の対応を混乱させ、『利他的なジェスチャーが自分自身を傷つけずに、事足りる』と信じるような幻想を作り出します」と警告している。

 第二は「答えること」。教皇は、神だけが「正義を回復し、尊厳をもって生きることを新たに始めるのを助けることができる」としながら、「世界貧しい人々の日」が、たとえ小さくとも、現状に変化をもたらす機会を提供することが可能、と訴え、「この記念日が、どのような形の、どのような土地の貧しい人たちに対しても、自分たちの叫びが聞かれないまま終わる、と考えることのないようにする、世界に広がる教会全体の『小さな答え』となるように」と期待を述べている。

 そして、最後に「解放する」。これは「具体的で、感じることにできる近さ」を通してのみ、行うことができる」と教皇はされている。しばしば、と教皇は言われた-「貧しい人たちは非難の声を浴び、黙れ、動くな、と言われることがあります」。この「貧しい人びとの恐怖症」は、福音のメッセージとまったく対照的だ、とし、聖職者と一般信徒たちに対して、「この世界の日を新たな福音宣教の特別な機会として活用し、貧しい人々から、福音のすばらしさを日々見つけ出すように助けをいただく日にするように」と強く促している。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

 

 

2018年6月15日

◎教皇連続講話「十戒」①「私たち、特に若者の人生における最大の危険は『平凡』と『小心』」

(2018.6.13 バチカン放送)

 教皇フランシスコは13日、バチカンでの水曜恒例の一般謁見を行われた。謁見中のカテケーシス(教会の教えの解説)で、先週までの「堅信の秘跡」に続いて、新たに「十戒」をテーマにした考察を始められた。

 まず、教皇はマルコ福音書の「金持ちの男」のエピソード(10章17-21節)を取り上げられた。―ある金持ちの青年がイエスに走り寄り、ひざまずき、「永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」と尋ねる。イエスが「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬え」という掟を示されると、彼は「そういうことは子供の時から守ってきました」と答えた。イエスは「あなたに欠けているものが一つある」と言われ、「行って、持っているものを売り払い、貧しい人に施す」ように勧められると、多くの財産をもつこの男は悲しみながら去っていった―。

 教皇は、この青年が発した「永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいのか」という問いは「満ち満ちた永遠の命を望む全ての人にとっての挑戦」とされたうえで、「どれほど多くの若者たちが『真に生きる』ことを求めながらも、はかないことにとらわれ、道を誤ってしまうことでしょう」と問いかけ、「私たち、特に若者たちにとって、人生における最大の危険は、(様々な課題に)適応しようとする心の乏しさにあります-『柔和』と『謙遜』ではなく、『mediocrity(平凡)』と『 pusillanimity(小心)』にあるのです」と強調された。

 そして、福者ピエール・ジョルジョ・フラッサーティの「適当に生きるのではなく、生きなくてはならない」という言葉を思い起こしつつ、「今日の若者たちには、健全な意味での『安定を求めない心』『真の人生に飢えた心』が必要」と述べられた。

 また、イエスは出会ったこの若者に「あなたは掟を知っているはずだ」として、十戒の一部を示されたが、そうした基本的な掟を示しながら、「この若者に欠けているものに、たどり着こうとされました」と指摘され、「実際、『持っているものを売り払い、貧しい人に施し、自分に従うように』とのイエスの言葉は、『貧しさへの招き』ではなく、むしろ『真の豊かさへの招き』だったのです」と説明された。

 さらに、「ある人が『本物とコピー品のどちらかを選びなさい』と言われたら、偽物の方を選ぶでしょうか」と問われ、「イエスは代用品を決してお与えにはなりません。お与えになるのは、真のいのち、真の愛です」と話された。そして、イエスは、ご自分が来たのは「律法や預言者を廃止するためでなく、完成するためである」(マタイ福音書5章17節)と言っておられるように、「私たちもまた『自分に欠けているもの』から出発し、『普通の人生を特別なもの』とするために、揺さぶりをかけなくてはなりません」と強調された。

 最後に教皇は、このカテケーシスを通して、「私たちはイエスと手を取り合いながら、モーセの石版をキリスト者として受け取り、古く叡智に満ちた一つ一つの掟を再発見したい」と話された。

(バチカン公式発表文をもとに「カトリック・あい」が編集)

2018年6月14日 | カテゴリー :