・教皇、9月にインドネシア、PNG、東チモール、シンガポールを訪問

Pope Francis smiles at a weekly General Audience(2024.4.12 Vatican News   Devin Watkins)

   バチカン報道局が12日発表したところによると、教皇フランシスコは9月2日から13日にかけて、インドネシア、パプアニューギニア、東ティモール、シンガポールの4か国を訪問されることになった。

 教皇の4か国訪問は、各国の国家元首と教会当局の招待を受け入れる形で行われ、フランシスコとにとって43回目の外国訪問となる。

 9月2日にローマを発たれ、3日にインドネシアの首都ジャカルタに到着。同国には6日まで滞在される。6日から9日にかけては、パプアニューギニアの首都ポートモレスビーとバニモを訪問。次いで9日から11日まで東ティモールの首都ディリに、11日から13日までシンガポールを訪問される。

 教皇は今年1月、イタリアの新聞「ラ・スタンパ」のインタビューに答え、東ティモール、パプアニューギニア、インドネシアを訪問する意向を明らかにされていた。

  インドネシアはイスラム教徒が世界で最も多く、カトリック教徒は総人口の3.1パーセントに当たる800万人超。 パプアニューギニアでは総人口の約32パーセント、約200万人をカトリック教徒が占める。 東ティモールはカトリック教徒が総人口の約96パーセント、100万人を超えている。 シンガポールのカトリック教徒は総人口の約3パーセント、 39万5000 人。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年4月12日

【聖金曜日】「イエスよ、私の心に話しかけてください」-教皇の黙想と共にコロッセオで十字架の道行

(2024.3.30 バチカン放送)

 キリストの受難と死を記念する29日、「聖金曜日」の夜、教皇フランシスコによる黙想テキストと共に、ローマのコロッセオで十字架の道行が行われた。

 この日は強い風が吹く一日となったが、夕方、聖ペトロ大聖堂で「主の受難の儀式」をとり行なった教皇フランシスコは、聖土曜日の復活徹夜祭と復活の主日の行事に備えて健康状態を良好に保つために、夜はバチカンのサンタ・マルタ館から十字架の道行に参加された。教皇は、昨年の聖金曜日も、気温の低下のためにコロッセオには赴かず、バチカンから会場の参加者と心を合わせ十字架の道行を行われている。

 教皇の直接的な参加なしで行われた今年の十字架の道行だったが、コロッセオに集った信者らは教皇の存在を特別身近に感じることができたようだ。今年の十字架の道行の黙想テキストが、教皇フランシスコ自身によって記されたものだったからだ。

 聖金曜日のコロッセオでの十字架の道行には、黙想のためのテキストが用意され、年ごとに異なる執筆者らによって、多様なテーマ、視点を持ったテキストが書き下ろされてきた。来年2025年の聖年を前に、教皇は2024年をその霊的準備のための「祈りの年」と宣言されている。こうした背景のもと、教皇は祈りの豊かさを人々に再発見してもらうために、今年、十字架の道行の黙想テキストを自ら準備された。教皇フランシスコ著の十字架の道行の黙想テキストは、今回が初めてのものとなる。

 『十字架の道行をイエスと共に、祈りのうちに』と題されたこの黙想の導入で、教皇は「主イエスよ、あなたの十字架を見つめ、あなたが私たちのためにすべてを差し出されたことを知ります。私たちはこの時間をあなたに捧げます。ゲツセマネからカルワリオまで祈られたあなたのそばで、この時間を過ごしたいと思います。この祈りの年、私たちはあなたの祈りの歩みに一致します」とされた。

 そして、教皇はイエスの死刑宣告から、十字架上の死、埋葬まで、十字架の道行の14の過程(留)をイエスと共に歩みつつ、それぞれの場面を心の目で見つめ、イエスと内的対話を行いながら、問い、思いを述べ、自己を省み、祈りを投げかけている。

 第一留 「イエス、死刑を宣告される」では、教皇は「イエスよ、命であるあなたが、死刑を宣告された。真理であるあなたが、偽りの裁判を受けている。なぜ、抗議しないのですか。なぜ声を上げ、あなたの正しさを説明しないのですか… イエスよ、決定的なこの瞬間に、あなたは話さず、沈黙する。それは、悪が強ければ強いほど、あなたの答えは徹底的だからです。あなたの答えは沈黙です。しかし、あなたの沈黙は豊かです。それは祈り、柔和さ、赦し、悪からの解放の道、苦しみを恵みに変える道。イエスよ、私はあなたをよく知らないことに気づきました。なぜなら、あなたの沈黙をよく知らないからです… イエスよ、あなたの沈黙は私を揺さぶります。それは私に、『祈りは唇を動かすことから生まれるのではなく、耳を傾けることを知る心から生まれるのだ』と教えてくれます。祈りとはあなたの御言葉に従順になること、あなたの現存を礼拝することだからです」とされ、「イエスよ、私の心に話しかけてください」と祈りを繰り返している。

 この夜、コロッセオ周辺には、およそ2万5千人の信者が集い、教皇の言葉に聞き入り、その黙想を共に味わいながら、十字架の道行を行った。最後に、ローマ教区教皇代理司教アンジェロ・デ・ドナーティス枢機卿による祈りをもって、聖金曜日のこの伝統行事は終了した。

(編集「カトリック・あい」)

2024年3月30日

【聖金曜日】イエスは「私のもとに来なさい。『私はある』だから」と言われるー主の受難と死の記念の儀式でカンタラメッサ枢機卿の説教

(2024.3.29 バチカン放送)

 29日、カトリック教会の典礼は「聖金曜日」を迎え、イエス・キリストの十字架上の死を記念。同日午後、教皇フランシスコは、バチカンの聖ペトロ大聖堂で、主の受難と死を記念する儀式を行われた。

 儀式の始めにあたり、教皇は祭壇前で長い沈黙の祈りを捧げられた。ことばの典礼では、「イザヤ書」(52章13節-53章12節)、「ヘブライ人への手紙」(4章14-16節; 5章7-9節)が信徒によってイタリア語とスペイン語で朗読され、「ヨハネ福音書」のイエスの受難と死(18章1-19節,42節)が3人の助祭によってラテン語で朗唱された。

 この後、教皇付説教師ラニエーレ・カンタラメッサ枢機卿の説教が行われた。

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 説教で、カンタラメッサ枢機卿は、「あなたがたは、人の子を上げたときに初めて、『私はある』ということ…が分かるだろう」(ヨハネ福音書8章28節)という、イエスがご自分の反対者らに言われた言葉に注目した。

 枢機卿は、「『私はある』という表現は、『出エジプト記』(3章14節)などで、神がご自身のことを『私はある』と呼びながら、その神性を現されたことを思い出させるもの」とする一方で、「人の子を『上げたとき』、つまり『十字架につけたとき』に神性が現れるということは、私たちの神に対する概念を覆す返すものです」と語った。

 イエスは、人間が神に対して抱く考えを完成させるためでなく、その考えを覆し、神の真の御顔を表すために来られた。このことをいち早く理解した聖パウロが「私たちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えます。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシャ人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです」(コリントの信徒への手紙1・1章23-24節)と記したとおりだ、と指摘。

 そして、「神は万能です。だとすれば、その『万能』とはどういうものなのでしょうか」と問いつつ、「御父はその真の顔を、弟子たちの前にひざまずいて彼らの足を洗う御子、十字架上の完全な無力さにもかかわらず愛し赦し続ける御子の中に表されたのです」と述べ、 「神の真の万能とは、カルワリオでの完全な無力さです。力とは、それを表すのはやさしいが、消すためには多くを要します。ご自分を隠し、『ご自分を無にする』(フィリピの信徒への手紙2章7節)無限の力です。神は、私たちの力への欲望を前に、意志的な無力を示されたのです」と説いた。

 枢機卿はまた、「いつも力を誇示したい私たちに、特にこの世の権力者たちに、このことは、何を教えているのでしょうか」と問いかけ、「奉仕することなど思いもつかず、ただ権力のための権力を考えている人たちがいます。それはイエスが『民の上に権力を振るう者が恩人と呼ばれている』(ルカ福音書22章25節)と指摘した者たちです。だが、イエスは、『私のもとに来なさい。なぜなら【私はある】、私は神である。私はあなたがたの万能に対する考えを捨てたが、私は万能-愛の万能-を持っている』と、十字架の上から私たちに呼びかけておられるのです」と語った。

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 説教後、聖金曜日の盛式共同祈願が唱えられた。「十字架の崇敬」では、助祭が十字架を手に大聖堂後方から入場し、祭壇に向かって歩を進めながら、三度立ち止まり、十字架を高く顕示。「世の救い主、キリストがつけられた木の十字架を見よ」という招きに、会衆は十字架を見つめ、ひざまずいて崇敬を表した。十字架を迎えた教皇フランシスコは十字架上のイエス像に接吻され、その後、枢機卿や司教、信徒代表による崇敬が続いた。

 最後に、教皇は再び十字架を受け取り会衆に示され、聖体拝領式を経て、人々は沈黙のうちに解散した。

(編集「カトリック・あい」=聖書の引用は、「聖書協会・共同訳」を使用)

2024年3月30日

・聖週間の始まり「受難の主日」、バチカンで枝の祝別・行列とミサ

(2024 .3.24 バチカン放送)

 復活祭を控えた「聖週間」の初日、バチカンで「受難の主日」のミサが教皇フランシスコによって捧げられ、ミサ前には、教皇による枝の祝別と、参加者による宗教行列が行われた。

 「聖週間」の初日、「枝の主日」とも呼ばれる「受難の主日」には、子ろばに乗ってエルサレムに入城するイエスを大勢の群衆が服や木々の枝を敷いて迎えたエピソードにちなみ、棕梠(しゅろ)やオリーブの枝を掲げての宗教行列がミサの前に行われる。24日午前、バチカンでの「受難の主日」ミサに先立ち、教皇は、聖ペトロ大聖堂正面に設けられた祭壇の前から、人々が手にする枝を祈りと聖水による祝別をなさった。

 続いて、聖ペトロ広場のオベリスク前から、枝を掲げた聖職者、修道者、信徒らが列を作り、祭壇に向かって進んだ。棕梠の葉を編んだ伝統の「パルムレロ」はサンレモから、オリーブの枝はサルデーニャから寄贈された。

 ミサは、前半の「ことばの典礼」を教皇が、後半の「感謝の典礼」を東方教会省長官クラウディオ・グジェロッティ枢機卿が司式。福音朗読では、マルコ福音書から、イエスがピラトから尋問され、死刑の判決を受け、十字架につけられ、十字架上で亡くなるまでの場面(15,1-39)が朗読され、教皇をはじめ、人々はイエス・キリストの受難を深く観想した。

 ミサの終わりに、教皇はお告げの祈りを人々と唱えられ、エルサレムに謙遜で温和な王として入城されたイエス、慈しみと赦しの方であるイエスに心を開くよう呼びかけられた。

(「カトリック・あい」編集)

2024年3月26日

・「教皇は『降伏する形で停戦交渉をせよ』などとは言っておられない」-バチカン報道局長がウクライナ戦争で

(2024.3.10 Vatican News  Salvatore Cernuzio)

 教皇フランシスコがスイスの公共放送のインタビューに答えた中で、クライナに対し「白旗」を掲げて、降伏する形でロシアとの停戦交渉をするよう呼びかけたと、日本はじめ世界のマスコミの一部に誤解して伝えられている。これに対して、バチカンのマッテオ・ブルーニ報道局長が10日午後会見し、インタビューをした人が「白旗」という言葉を使って質問をしたのに答えただけで、教皇は「和平交渉は、決して『降伏』ではない」と明確に語っておられる、と強調した。

 報道局長によると、このインタビューでは、質問者が「ウクライナでは、降伏の勇気と白旗の勇気を求める人もいる。 しかし、これによってより強い政党が正当化されるだろうと言う人もいる。 どう思いますか?」と尋ねた。

 これに対して、教皇は、「それは一つの解釈です。 しかし、私は、状況を見て、国民のことを考え、”白旗の勇気”を持って交渉する人が強いと信じています。 そして今日では、国際勢力の助けを得て交渉が可能となっている。 『交渉』という言葉は勇気の出る言葉です。『 自分が負けている、物事がうまくいっていない』を分かった時、交渉する勇気を持つことが必要です。 恥ずかしいと思うかも知れませんが、何人死んだら終わるのでしょうか? 時間内に交渉してください。 仲介してくれる国を探す。 たとえばウクライナ戦争では、調停を望む人がたくさんいます。 トルコは自らこれを申し出た。  事態が悪化する前に、恥ずかしがらずに交渉してください」と答えられた。

 報道局長は、「教皇は、ウクライナ戦争の(ロシアを含む)すべての当事者に対し、公正かつ永続的な平和を求めて外交的解決の条件を整えるよう呼び掛けたのであり… 『交渉は決して降伏を意味しない』という言葉は、ウクライナ戦争だけでなく、あらゆる戦争、紛争に対しても言及されている」と強調した。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年3月11日

・教皇、8日夕からローマ市内の教会で「主のための24時間」を主宰

File photo of Pope Francis confessing in St. Peter's BasilicaFile photo of Pope Francis confessing in St. Peter’s Basilica 

    復活祭の準備として、教皇フランシスコは8日の現地時間午後4時半から、ローマの聖ピオ5世教会で「主のための24時間」を主宰され、その中で信者たちと共同回心式をされる。

 四旬節の第4主日を前にして世界中の教区で毎年行われることになっているこの取り組みは、祈りと和解に捧げられ、 今年で11回目。ローマ人への手紙6章から引用した「新しい命に生きる」がテーマとなる。

 教皇を長官とするバチカンの福音宣教省は、イタリアをはじめ世界のすべての教区と小教区に対して、この時期に、祈りと赦しの時を持つよう奨励しており、その一環として、教皇ご自身もバチカンを出て、ローマ市内の教会で、「主のための24時間」を”先導”することにされた。

 この行事については、福音宣教省の英語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、ポーランド語、フランス語のウエブサイトからダウンロードできる。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

2024年3月6日

・9月29日「世界難民移住移動者の日」のテーマは「神はご自分の民と共に歩まれる」

(2024.2.22  バチカン放送)

 バチカンの総合人間開発省が22日、今年9月29日に記念されるカトリック教会の「第110回世界難民移住移動者の日」のテーマを「神はご自分の民と共に歩まれる」とする、と発表した。

 同省は声明で、今年のメッセージは、「旅する教会」という性格を強調しつつ、今日の「歩む教会」を象徴する「移民の兄弟姉妹たちに眼差しを向けたもの」になる、とし、次のように説明している。

 「教会の歩みは、『真の祖国』を目指して、あらゆる障害と脅威を乗り越えながら共に進む歩み。私たちはあらゆる道程において、『ご自分の民の一歩一歩を導き、守りながら、共に歩まれる神の現存』を認める必要があります… 同じ様に、私たちと共におられる神の存在を、『私たちの心の扉を叩き、出会いの機会を差し出す移民一人ひとり』の中に認めることが求められています」。

(編集「カトリック・あい」)

 

2024年2月23日

・福音宣教省が「祈りの年」のガイドブックを発行―ウエブサイトでも閲覧可能に

"Teach us to Pray": new booklet for the Year of Prayer from the Dicastery for Evangelization“Teach us to Pray”: new booklet for the Year of Prayer from the Dicastery for Evangelization 

 

2024年2月22日

・7月28日「祖父母と高齢者のための世界祈願日」テーマは「老いの日にも見放さないでください」

お年寄りと言葉を交わす教皇フランシスコお年寄りと言葉を交わす教皇フランシスコ  (ANSA)

(2024.2.16 バチカン放送)

 バチカンの信徒・家庭・いのち省は16日、教皇フランシスコが7月28日の「祖父母と高齢者のための世界祈願日」のテーマを「老いの日にも見放さないでください」(詩編71章9節)とされたことを発表した。

 カトリック教会の「祖父母と高齢者のための世界祈願日」は、教会暦でイエスの祖父母、聖ヨアキムと聖アンナの日(7月26日)に近い、7月の4番目の日曜日に定められており、今年は7月28日。

 教皇が、詩編71章から選ばれたテーマ「老いの日にも見放さないでください」は、多くの高齢者がしばしば切り捨ての文化の犠牲となり、いかに孤独を味わっているかを強調するもの。一人の年配者が、神との友情の物語を回想しながら、神に寄り頼み、祈りを捧げている姿を描いている。

 同祈願日は、祖父母や高齢者のカリスマ、お年寄りたちの教会生活への貢献を活かしつつ、「人が独りでいるのは良くない」(創世記2章18節)という聖書の言葉を自覚し、すべての教会共同体の、世代間の絆を築き、孤独と闘うための取り組みを促すことを願っている。

(編集「カトリック・あい」)

2024年2月18日

・教皇、枢機卿顧問会議(C9)に英国国教会の主教含む女性3人を招き「女性の役割」議論

Pope Francis presides at a Council of Cardinals Meeting in the Vatican  (Vatican Media)
(2024.1.6 Crux)
 教会関係者からは、女性たち、特にウェルズ主教の参加は、カトリックの最高位レベルでの「シノダリティ(共働性)」を実践し、教会の、より包括的であらゆる声を歓迎する取り組みにおける大きな進歩を示すもの、と評価する声が出る一方、「女性助祭を認め、司祭職への女性叙階を求める声に賛同する行為」と警戒する向きもある。
 ウェルズ主教は、同じ 英国国教会の司祭と結婚し、2人の子供を持つ。英国国教会事務局の次長に就任するまでケンブリッジ大学で神学を教え、数冊の本を執筆し、社会における女性の指導的役割について定期的に発言。教皇フランシスコも出席した 2022年のカザフスタンでの宗教間サミットでは、男性が大多数を占める参加者を前に女性の扱いの現状に不満を述べ、「男女平等は神の計画の一部です」と主張している。
 ディ・ベラルディーノ女史は聖書と舞踏のかかわりについての専門家で、舞踏を通して神への賛美と崇拝を表現することに力を注ぎ、「身体と舞踏の神学」に関する著作やさまざまなワークショップへの参加を勧めている。最近、主への賛美の舞踏の精神性を説明する本「Dancing Mercy」を出版した。
 同じくイタリア人のシスター・ポシェは昨年12月の前回C9にも呼ばれているが、スペインの雑誌『ヴィダ・ヌエバ』のインタビューで、カトリック教会における女性の問題は「複雑」であり、「単純化に陥ることなく」対処しなければならない、とし、 「女性は常に教会で最も活発な立場にありますが、教会には、多かれ少なかれ攻撃的な形の男らしさ、あるいは聖職者主義が依然として存在する。”シノドスの道”はこうした教会の姿勢を正すのに役立ちます」と語っている。
  昨年10月のシノダリティ(共働性)に関する世界代表司教会議(シノドス)総会第一会期の会合では、女性の助祭、司祭叙階の是非や教会一般における女性の役割などの話題が議論され、争点の一つとなった。信徒、聖職者、修道者は同様にこのテーマに取り組みたいと考えていたが、統一的なアプローチやビジョンで一致するには至らなかった。  議論は今年10月の第二会期の会合でも続けられ、再び女性の役割が主要テーマの一つとなる可能性が高い。

 

 

2024年2月9日

・「秘跡の有効性を確保するため、公式の式文と構成要素を変えてはならない」教理省が言明

(2024.2.3 Vatican News)
 バチカンの教理省が3日、教理文書「Gestis verbisque(行為と言葉)」を発出。典礼儀式において「秘跡」の有効性を確保するため、「儀式で使われる式文と有形の要素を変えてはならず、変えるなら、秘跡そのものは有効ではなく、秘跡は存在しなかったことになる」と強調した。

 

*「勝手な変更で無効となる秘跡が増えている」

 教理省のヴィクトル・フェルナンデス長官は記者会見で、同文書を発出した理由について、「秘跡が無効であることを認めざるを得ない状況が増加しており、秘跡の内容を勝手に変えることで、洗礼や堅信の秘跡を受け直さなければならない人を見つける必要が生じ、少なくない数の信徒たちが動揺していることが、文書作成のきっかけとなった」と説明。

 秘跡の典礼に変更を加えた例として、洗礼を授ける際、「私は、創造主の名において、あなたに洗礼を授けます」、あるいは「私は、父と母の名によって、あなたに洗礼を授けます」などを挙げ、司祭の中にも、「秘跡の誤った形で洗礼を受け、自身の司祭叙階やその時までに受けた秘跡が無効であることに気付き、苦悩している」例がある、と述べた。

 また、教会の他の司牧活動の分野、創造性のための裁量が広く認められているのに対し、秘跡の司式においては「むしろ、意図的な変更がされている」と指摘した。

 

 

*「神の働きを保証する義務がある」

  この文書は「緊密につながった儀式と言葉を通して、神はすべての人に対するご自身の救いの計画を啓示される」とする一方で、「典礼、特に秘跡の司式が、教会が定めた儀式に完全に忠実に行われている訳ではないことを認めざるを得ない」状況がある、とし、教会は典礼を通して「神の働きの最重要性を保証し、キリストの体の一致を守る義務がある… その典礼における行為は、特別聖なるものであるがゆえに、何ものにも似ることのない、唯一のものである」と強調している。

 

 

*秘跡における要素と形式

 さらに、「秘跡の要素は、キリストがそれを通して働かれる人間の行為において成り立っている」とし、「秘跡を形作る要素の中には、物質的なもの(水、パン、ぶどう酒、油など)もあれば、特別な意味を雄弁に表す行為(十字のしるし、按手、水に沈める、口頭による承諾、塗油など)もある」と指摘。

 秘跡の式文は「超越的な意味を与える言葉によって成り立ち、その言葉によって、物的要素が持つ通常の意味と、純粋に人的な行為の意味を変容させる」。そうしたことから、秘跡を構成する要素と式文は、「個人あるいは一共同体の意思によるものでは決してなく、またその意思によってはならない」と言明している。

 

 

*要素と式文は変えられない

  そして、「あらゆる秘跡にとって、いかなる場合でも、その要素と式文を遵守することは、儀式の有効性のために常に要求される」ことを確認し、「要素と式文に対する独断的な変更は、秘跡の恵みが有効にほどこされたかどうかを危うくし、明らかな被害を信者にもたらす」と注意。「公式に発布された典礼書に書かれていることは、「一切付け加えたり、取り除いたり、変更することなく」、忠実に厳守されねばならない、と強調している。

(翻訳・バチカン放送日本語課、編集「カトリック・あい」)

2024年2月5日

・バチカン図書館で、日本での宣教の歴史まとめた論文集発表会

(2024.1.28 バチカン放送)
 バチカン図書館で24日、日本における福音宣教の歴史、宣教師や殉教者の研究をまとめた論文集の発表会が開かれた。イタリア・ルッカで開催された日本の福音宣教史めぐる会議の記録・論文集を紹介 2024年1月24日 バチカン図書館

 論文集は、昨年年5月にイタリア中部トスカーナ州・ルッカで開催された国際会議の成果をまとめ、記録したもの。ルッカ教区は、2023年、地元出身で、日本で殉教した宣教師、福者アンジェロ・オルスッチ神父(1573-1622)の殉教から400年と、生誕から450年を記念し、「Thesaurum Fidei(信仰の宝)、日本の殉教宣教者と潜伏キリシタン、300年のキリストへの英雄的忠実」と題した、日本におけるキリスト教宣教の歴史を振り返るプロジェクトを立ち上げた。

 福者アンジェロ・オルスッチ神父は、トスカーナ・ルッカの貴族の家系に生まれ、若くしてドミニコ会に入会。宣教師を志し、メキシコ、フィリピンで活動後、1618年8月にキリシタン弾圧の日本に渡り、布教活動を始めて間もなく長崎で捕らえられ、大村の牢に入れられた。1622年9月10日、他の司祭、修道士、信者たちと共に長崎・西坂の丘で殉教。1867年、教皇ピオ9世が日本205福者殉教者(江戸時代初期の日本における205人の殉教者)の一人として列福された。

 ルッカ教区の企画では、殉教400年および生誕450年を迎えた福者オルスッチ神父の生涯・霊性と共に、主にキリスト教伝来から禁教時代にかけての日本のキリスト教史・福音宣教史を、展覧会と国際会議という2つのイベントを通して回顧した。

 展覧会は、昨年5月にルッカ市内の聖クリストフォロ教会、国立図書館、国立文書館、ルッカ教区歴史資料館の4カ所で開かれ、日本の宣教殉教者、潜伏キリシタンの様子を伝える貴重な史料の紹介や、日本のキリスト教史をわかりやすくまとめたパネル展示などがされた。

 同じ月に開かれた国際会議は、「日本での福音宣教の始まり」「日本における宣教師と殉教者」「福者アンジェロ・オルスッチ」「欧州に伝えられた日本の殉教者」「潜伏キリシタン」などをテーマに、イタリアはもとより、日本やアメリカなどからの研究者が参加し、2日間にわたり発表された。

このルッカで始められた企画事業「Thesaurum Fidei」は、現在ローマに会場を移して続けられ、展覧会は、1月18日まで、ローマの教皇庁立ウルバニアン大学で開催。さらに、2月19日から教皇庁立グレゴリアン大学でも開かれる予定だ。

 24日のルッカでの国際会議の内容を記録した論文集の発表会には、バチカン図書館のサローネ・システィーノで行われ、出席した千葉明・駐バチカン日本国特命全権大使は挨拶で「プロジェクトThesaurum Fideiが焦点を当てる時代は、痛ましいと同時に、心をとらえる時代。特に地理的・文化的にかけ離れた二国間の関係の歴史の開始となったという意味で重要な時期です。現在その関係は、正義と平和と対話の名のもとに、友情と協力によって強く結ばれるに至っています」と語った。

 続いて、バチカン図書館前図書館長チェーザレ・パシーニ師、福音宣教省歴史文書館館長フラヴィオ・ベッルウオミニ師、パヴィア大学のオリンピア・ニリオ教授らによって、ルッカでの国際会議の成果であるこの論文集を紹介し、日本の潜伏キリシタンとその殉教の歴史、厳しい迫害の様子、キリストに倣う者として苦しみと死をも完全に受け入れる人々の強い信仰の態度などを改めて振り返った。

(編集「カトリック・あい」)

2024年1月29日

・バチカン控訴院が、イタリア人神父を未成年性的行為で懲役2年6か月の逆転有罪に

(2024.1.24   Vatican News)

 バチカン控訴院が24日、イタリア・コモ出身のガブリエレ・マルティネッリ神父(31)に、バチカンの聖ピオ神学校の学生だった2008年8月9日から2009年3月19日までに犯した未成年者に対する性的行為の罪で懲役2年6か月、罰金1000ユーロの判決を下した。

  マルティネッリ神父は、「L.G.」という名の元神学生から出された告訴状をもとに起訴され、一審では、本人が16歳未満だった2008年8月2日までに犯した事実については処罰の対象とされず、告訴した元神学生に対する強姦と猥褻行為の罪について7か月の懲役刑が宣告されていた。

  この判決を、バチカンの検察官、ロベルト・ザノッティ氏とマルティネッリ神父の代理人弁護士ローラ・スグロ氏の双方が不服として控訴し、ほぼ1年にわたる二審での審理の末、2021年10月6日に、証拠不十分で、すべて無罪の判決を受けていた。

 聖ピオ神学校の元学長エンリコ・ラディチェ神父は性的行為の幇助と教唆の罪で告発されていたが、証拠不十分で無罪となった。

2024年1月26日

・教皇、駐日教皇大使にエスカランテ・モリーナ大司教を任命

(2024.1.25  バチカン放送)
 教皇フランシスコは、昨年9月から空席になっていた駐日教皇大使に1月25日付けで、フランシスコ・エスカランテ・モリーナ大司教を任命された。フランシスコ・エスカランテ・モリーナ大司教

 エスカランテ・モリーナ大司教は、1965年1月29日、ベネズエラのラ・グリタで生まれの58歳。1989年に叙階、教会法を修め、1998年に聖座外交団に入り、スーダン、ガーナ、マルタ、ニカラグア、日本、スロベニアの教皇大使館に勤務したあと、コンゴ共和国、ガボンで教皇大使を務め、2021年から駐ハイチ教皇大使を務めている。

(編集「カトリック・あい」)

2024年1月26日

・一連の祈りの冊子発行とともに、教皇が「祈りの学校」を開設ー「祈りの年」で福音宣教省長官が会見

Pope Francis holds his hands in prayer at a weekly General AudiencePope Francis holds his hands in prayer at a weekly General Audience  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

 その一方で、副長官は、祈りの年は「特別な取り組みが行われる年ではなく、祈りの価値とキリスト教生活における毎日の祈りの必要性を再発見する機会」であり、「現在のデジタル文化の時代に、祈りが効果的で実りあるものとなるように、祈り方、そして人々に祈りを教える方法を発見する機会」と説明。

 「現代において霊性を深める必要が明確になっている。いつも十字架のしるしをする人から日々の聖体祭儀に参加する人まで、さまざまな人がおり、祈り方も、素早い祈りから、落ち着かない祈り、痛みの涙で満たされた祈り、そして瞑想的な祈りまで多岐にわたります」と指摘。「祈りはあらかじめ確立されたパターンでとらえることはできません。それは、私たちの信仰を特徴づける親密で排他的な、信者と神ご自身との個人的な関係の現れだからです」と述べた。

 また副長官は、 祈り年は、「主との関係を育む方法として、真の精神的な休息の瞬間を提供するもの。祈りは、日々のストレスから守るオアシス、そこで祈りは、キリスト教徒の信仰、希望、慈愛の生活の栄養」であり、それを助けるために、福音宣教省は、個々の信者や共同体が使うことのできる、一連の資料を準備してきた、と説明。

 一連の資料に先立って、副長官はまず、教皇が2020年5月6日から2021年6月16日にかけてなさった水曜の一般謁見での38回の連続講話の再読を勧めた。

 そして、福音宣教省が準備している一連の資料について、ベル次官が「Notes on Prayer」という共通のタイトルで8冊のシリーズの出版、配布を計画しており、23日にその第一冊として、前バチカン市国総代理のアンジェロ・コマストリ枢機卿執筆の”Praying Today. A Challenge to Be Overcome”がバチカン出版から発行。「リジューの聖テレジア、アッシジの聖フランシスコ、カルカッタのマザー・テレサなど、祈りの実りを証しした人物に焦点を当てることで、祈りの必要性と、『異なる視線と異なる心』を持つための教えを思い起させるものとなっている」という。

 この冊子に続く発行予定は、Gianfranco Ravasi” Praying with the Psalms ”(2月)、 Juan López Vergara” The Prayer of Jesus” (同2月)、 Paul Murray” OP, Praying with Saints and Sinners” (3月)、 Antonio Pitta” Parables on Prayer” (3月)、 Carthusian Monks” The Church in Prayer” (3月)、 Catherine Aubin” The Prayer of Mary and the Saints” (4月)、 Ugo Vanni” The Prayer Jesus Taught Us: The ‘Our Father’” (4月)となっている。

 これら8つの冊子の発行に合わせて、福音宣教省は、教会共同体、家庭、司祭、修道院、若者向けに、さまざまな祈りの助けとなる材料を準備する計画だ。

 

 また副長官は、教皇ご自身が年内に「祈りの学校」を設立されること明らかにし、その役割として、「共に祈り、様々な祈りの形―感謝から執り成し、感想から慰め、崇敬から嘆願まで―をより良く理解するための、特定の人々の集団との出会いの一連の機会となるだろう」と説明。

 最後に、教皇の次の言葉を引用して、会見を締めくくった。「司教、司祭、助祭、そしてカテキスタは、今の困難な時に『2025年の聖年が響き渡らせる希望の宣言の中心に、祈りを置く適切な方法』を見つけるに違いないと確信している」。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2024年1月24日