*「勝手な変更で無効となる秘跡が増えている」
教理省のヴィクトル・フェルナンデス長官は記者会見で、同文書を発出した理由について、「秘跡が無効であることを認めざるを得ない状況が増加しており、秘跡の内容を勝手に変えることで、洗礼や堅信の秘跡を受け直さなければならない人を見つける必要が生じ、少なくない数の信徒たちが動揺していることが、文書作成のきっかけとなった」と説明。
秘跡の典礼に変更を加えた例として、洗礼を授ける際、「私は、創造主の名において、あなたに洗礼を授けます」、あるいは「私は、父と母の名によって、あなたに洗礼を授けます」などを挙げ、司祭の中にも、「秘跡の誤った形で洗礼を受け、自身の司祭叙階やその時までに受けた秘跡が無効であることに気付き、苦悩している」例がある、と述べた。
また、教会の他の司牧活動の分野、創造性のための裁量が広く認められているのに対し、秘跡の司式においては「むしろ、意図的な変更がされている」と指摘した。
*「神の働きを保証する義務がある」
この文書は「緊密につながった儀式と言葉を通して、神はすべての人に対するご自身の救いの計画を啓示される」とする一方で、「典礼、特に秘跡の司式が、教会が定めた儀式に完全に忠実に行われている訳ではないことを認めざるを得ない」状況がある、とし、教会は典礼を通して「神の働きの最重要性を保証し、キリストの体の一致を守る義務がある… その典礼における行為は、特別聖なるものであるがゆえに、何ものにも似ることのない、唯一のものである」と強調している。
*秘跡における要素と形式
さらに、「秘跡の要素は、キリストがそれを通して働かれる人間の行為において成り立っている」とし、「秘跡を形作る要素の中には、物質的なもの(水、パン、ぶどう酒、油など)もあれば、特別な意味を雄弁に表す行為(十字のしるし、按手、水に沈める、口頭による承諾、塗油など)もある」と指摘。
秘跡の式文は「超越的な意味を与える言葉によって成り立ち、その言葉によって、物的要素が持つ通常の意味と、純粋に人的な行為の意味を変容させる」。そうしたことから、秘跡を構成する要素と式文は、「個人あるいは一共同体の意思によるものでは決してなく、またその意思によってはならない」と言明している。
*要素と式文は変えられない
そして、「あらゆる秘跡にとって、いかなる場合でも、その要素と式文を遵守することは、儀式の有効性のために常に要求される」ことを確認し、「要素と式文に対する独断的な変更は、秘跡の恵みが有効にほどこされたかどうかを危うくし、明らかな被害を信者にもたらす」と注意。「公式に発布された典礼書に書かれていることは、「一切付け加えたり、取り除いたり、変更することなく」、忠実に厳守されねばならない、と強調している。
(翻訳・バチカン放送日本語課、編集「カトリック・あい」)