(2026.6.12 Vatican News)
スペイン訪問最終日となる現地時間12日の朝、教皇レオ14世は、カナリア諸島のテネリフェ島に到着され、ラス・ライセス・センターで移民の人々に会われたのに続けて、ラ・グナのクリスト広場で移民たちが現地社会と共生できるように努めている教会や市民の団体と面会された。
あいさつで教皇は、移民に寄り添う団体の活動を称賛されたうえで、社会に対し、恐怖や無関心を乗り越えるよう呼びかけられ、移民たちとの共生を「尊厳と帰属意識を取り戻すための共通の責任」と位置づけ、「移民の人々の受け入れは緊急支援にとどまらず、尊厳、帰属意識、そして機会を取り戻すプロセスにならねばなりません」と強調。それに全く反する行為で利益を上げる人身売買業者たちは「神の裁きに直面する前に悔い改めるべきだ」と訴えられた。
*「壁のない都市」は重い課題を示唆している
教皇はあいさつの冒頭で、ラ・ラグナについて「壁のない都市」という表現を耳にした、とされ、「このイメージは、重い課題を示唆しています。打ち破るのが最も難しい障壁は、必ずしも石でできているわけではない。私たちの態度や、恐怖、あるいは無関心の中に存在します」と語られた。
カナリア諸島は近年、欧州連合(EU)で最も移民の往来が激しい国境地帯の一つとなっている。アフリカ北西岸から約100キロメートル沖に位置するこのスペイン領の島々は、セネガル、モーリタニア、マリ、ガンビアなどの国々を出発した移民や難民が最初に到達する欧州の領土となることが多い。
そして、大西洋ルートは世界で最も危険な移民ルートの一つとされており、毎年何千人もの人々が、過密状態でしばしば航行に適さないボートで渡航を試みている。多くは数日あるいは数週間の航海を経て疲れ果てて到着するが、数え切れないほどの人々がその旅を完遂することなく命を落としている。
このような現実をもとに教皇は、「これらの島々を取り囲む海は、私たちが必ずしも解釈の仕方を理解できない物語を運んでくる。それは苦痛と希望、そして探求の物語です」と述べられた。
*異なる視点で物事を見ることを学ぶ必要
そのうえで教皇は、移民の人たちの現地社会との共生の問題を取り上げ、「共生には、異なる視点が必要です。点字や触覚によるコミュニケーションを考えてみましょう。人々は統計や行政上の分類ではなく、親密さと出会いを通じて、移民の生活を読み解くことを学ぶ必要があります」と指摘。
「見ることはできても、真に認識できない人々がいる。彼らは顔を数字に変え、物語をファイルに変え、違いを距離に変えてしまう。これに対して、福音は忍耐、寄り添い、そして実践的な連帯に根ざした見方を教えています」と語られた。
*『援助』は傷に軟膏を塗り、『共生』は未来を再建する

教皇はさらに、「『連帯』を、慈善活動や時折の寛大な行為に還元することはできません。「『歓迎』は扉を開き、『共生』は人がその敷居を跨ぐのを助けます。そして、『援助』は傷に軟膏を塗るものであり、『共生』は未来を再建するものです」と説かれた。
そして、移民たちに「自らのアイデンティティを放棄」させるようなアプローチや、「地域社会が有意義な交流なしに分離して暮らす」ことを奨励するようなアプローチを退けられ、「『共生』は『互いに旅する』こと。そこで、新しく来た人たちが新しい故郷の言語、法律、習慣を学ぶ一方で、彼らを受け入れる側も、自らのアイデンティティを失うことなく視野を広げることを学ぶのです」と強調された。
教皇は、移民たちに直接、語りかけ、「皆さん一人ひとりが、新しいコミュニティの生活に全面的に参加し、共通の善のために自らの才能や経験を捧げるように」と奨励された。
*移民問題を単なる政治的・行政的な問題に矮小化してはならない
続けて教皇は、移民問題を単なる政治的・行政的な問題に矮小化する態度に異議を唱えられ、「私たちが語っているのは、何よりもまず、『神の御姿と似姿に造られた人々』についてであり、法的なカテゴリーや管理すべき問題についてではありません」と指摘。
挨拶の前に聴かれた移民たちの証言の中から、ハリドとムバッケという二人の男性の証言を取り上げ、「島に到着する多くの人々が、安全だけでなく、人生を再建する可能性を求めています。彼らは、言葉ではなく、行動を通じて、『あなたの人生は無駄ではない。あなたの苦しみは無視されていない。あなたが渡ってきた海の水に、あなたの尊厳が洗い流されたわけではない』と彼らに告げる人たちを求めているのです」とされた。
また、「彼らは、脆弱性によって恒久的に定義づけられるのではなく、働き、貢献し、参加する機会を求めているのです」と語られた。
*移民が目的地にたどり着いた後に経験する「第二の難破」を防ぐ
教皇はまた、移民が安全に到着した後に経験する「静かな難破」について語られた。「海を渡ろうとして命を落とす者も多いが、目的地にたどり着いた後に、孤立や搾取、排除に直面する人たちがいます。到着後に起こる『静かな難破』です。そうした人々には、発言権も、つながりも、仕事も、安心感もない状態に置かれています」と指摘。
「『共生』とは、その『第二の難破』を防ぐことを意味します」とされた教皇は、「緊急事態の段階を超えて移民に寄り添い、社会の中で安定した生活を築けるよう支援」する教区のカリタス、教会、移民事務所、地域団体の活動を称賛された。
*移民の苦難に乗じて、虐待、搾取した者たちは、その一人ひとりについて、神の前に立たねばならない
続けて教皇は、移民たちの苦しみから利益を得る者たちの問題を取り上げ、「脆弱な人々の移動や虐待に関与する人身取引業者、搾取者、犯罪ネットワーク」に対し、「やめなさい。悔い改めなさい」と呼びかけ、「失われた命一つひとつ、欺かれた家族一つひとつ、隷属させられた身体一つひとつ、脅かされた女性一人ひとり、搾取された労働者一人ひとりについて、あなた方は神の正義の前に立たねばならない」と警告された。
また、「危険な移住ルートを作り上げ、労働者を搾取し、女性を脅かし、絶望を利用して利益を得る者たち」を非難し、「苦しまされる兄弟姉妹たちの血と涙は、神に向かって叫び声を上げている」と強く批判され、「貧しい人々の弱さから搾り取った金は、平和も、名誉も、未来ももたらさない。搾取している人々を解放し、奪ったものを返還し、手遅れになる前に和解を求めねばならない」と促された。
キリスト教的な対応
続いて教皇は、「共生」を「単なる社会事業として捉えてはなりません… 居住、言語、雇用、法的保護など実践的な支援に加え、移民たちは友情、証し、そして、寄り添いを提供できるキリスト教共同体と出会う必要があります。『受け入れる教会』は、『宣教する教会』でもあのです。福音は、押し付けることなく、常に良心の自由を尊重して、分かち合わねばなりません」と支援者たちに求められた。
あいさつの最後に、教皇は、聖家族のエジプトへの逃避行を「人間の歴史を通じて、移民や難民にとって不変の象徴」とされ、「ナザレの聖家族は、あらゆる難民家族、あらゆる移民、そして故郷を離れざるを得なかったすべての人々にとって、永遠の模範であり、避難所であり続けるのです」と強調された。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)






そして、「私は、信仰における父であり兄弟として、この島々を訪れました」とされ、教皇就任当初に述べた言葉を繰り返す形で、「あなたがたと共に、私はキリスト者であり、あなた方のために、私は司教なのです」と語られた。


