☩教皇スペイン訪問・カナリア諸島2日目:「搾取している人々を解放し、奪ったものを返し、手遅れになる前に和解せよ」ー移民共生支援団体との面会で、悪徳業者に警告

(2026.6.12   Vatican News)

 スペイン訪問最終日となる現地時間12日の朝、教皇レオ14世は、カナリア諸島のテネリフェ島に到着され、ラス・ライセス・センターで移民の人々に会われたのに続けて、ラ・グナのクリスト広場で移民たちが現地社会と共生できるように努めている教会や市民の団体と面会された。

 あいさつで教皇は、移民に寄り添う団体の活動を称賛されたうえで、社会に対し、恐怖や無関心を乗り越えるよう呼びかけられ、移民たちとの共生を「尊厳と帰属意識を取り戻すための共通の責任」と位置づけ、「移民の人々の受け入れは緊急支援にとどまらず、尊厳、帰属意識、そして機会を取り戻すプロセスにならねばなりません」と強調。それに全く反する行為で利益を上げる人身売買業者たちは「神の裁きに直面する前に悔い改めるべきだ」と訴えられた。

*「壁のない都市」は重い課題を示唆している

 教皇はあいさつの冒頭で、ラ・ラグナについて「壁のない都市」という表現を耳にした、とされ、「このイメージは、重い課題を示唆しています。打ち破るのが最も難しい障壁は、必ずしも石でできているわけではない。私たちの態度や、恐怖、あるいは無関心の中に存在します」と語られた。

 カナリア諸島は近年、欧州連合(EU)で最も移民の往来が激しい国境地帯の一つとなっている。アフリカ北西岸から約100キロメートル沖に位置するこのスペイン領の島々は、セネガル、モーリタニア、マリ、ガンビアなどの国々を出発した移民や難民が最初に到達する欧州の領土となることが多い。

 そして、大西洋ルートは世界で最も危険な移民ルートの一つとされており、毎年何千人もの人々が、過密状態でしばしば航行に適さないボートで渡航を試みている。多くは数日あるいは数週間の航海を経て疲れ果てて到着するが、数え切れないほどの人々がその旅を完遂することなく命を落としている。

 このような現実をもとに教皇は、「これらの島々を取り囲む海は、私たちが必ずしも解釈の仕方を理解できない物語を運んでくる。それは苦痛と希望、そして探求の物語です」と述べられた。

 

*異なる視点で物事を見ることを学ぶ必要

 そのうえで教皇は、移民の人たちの現地社会との共生の問題を取り上げ、「共生には、異なる視点が必要です。点字や触覚によるコミュニケーションを考えてみましょう。人々は統計や行政上の分類ではなく、親密さと出会いを通じて、移民の生活を読み解くことを学ぶ必要があります」と指摘。

 「見ることはできても、真に認識できない人々がいる。彼らは顔を数字に変え、物語をファイルに変え、違いを距離に変えてしまう。これに対して、福音は忍耐、寄り添い、そして実践的な連帯に根ざした見方を教えています」と語られた。

 

*『援助』は傷に軟膏を塗り、『共生』は未来を再建する

 教皇はさらに、「『連帯』を、慈善活動や時折の寛大な行為に還元することはできません。「『歓迎』は扉を開き、『共生』は人がその敷居を跨ぐのを助けます。そして、『援助』は傷に軟膏を塗るものであり、『共生』は未来を再建するものです」と説かれた。

 そして、移民たちに「自らのアイデンティティを放棄」させるようなアプローチや、「地域社会が有意義な交流なしに分離して暮らす」ことを奨励するようなアプローチを退けられ、「『共生』は『互いに旅する』こと。そこで、新しく来た人たちが新しい故郷の言語、法律、習慣を学ぶ一方で、彼らを受け入れる側も、自らのアイデンティティを失うことなく視野を広げることを学ぶのです」と強調された。

 教皇は、移民たちに直接、語りかけ、「皆さん一人ひとりが、新しいコミュニティの生活に全面的に参加し、共通の善のために自らの才能や経験を捧げるように」と奨励された。

*移民問題を単なる政治的・行政的な問題に矮小化してはならない

 続けて教皇は、移民問題を単なる政治的・行政的な問題に矮小化する態度に異議を唱えられ、「私たちが語っているのは、何よりもまず、『神の御姿と似姿に造られた人々』についてであり、法的なカテゴリーや管理すべき問題についてではありません」と指摘。

 挨拶の前に聴かれた移民たちの証言の中から、ハリドとムバッケという二人の男性の証言を取り上げ、「島に到着する多くの人々が、安全だけでなく、人生を再建する可能性を求めています。彼らは、言葉ではなく、行動を通じて、『あなたの人生は無駄ではない。あなたの苦しみは無視されていない。あなたが渡ってきた海の水に、あなたの尊厳が洗い流されたわけではない』と彼らに告げる人たちを求めているのです」とされた。

 また、「彼らは、脆弱性によって恒久的に定義づけられるのではなく、働き、貢献し、参加する機会を求めているのです」と語られた。

 

 

*移民が目的地にたどり着いた後に経験する「第二の難破」を防ぐ

Pope Leo XIV during the meeting

 教皇はまた、移民が安全に到着した後に経験する「静かな難破」について語られた。「海を渡ろうとして命を落とす者も多いが、目的地にたどり着いた後に、孤立や搾取、排除に直面する人たちがいます。到着後に起こる『静かな難破』です。そうした人々には、発言権も、つながりも、仕事も、安心感もない状態に置かれています」と指摘。

「『共生』とは、その『第二の難破』を防ぐことを意味します」とされた教皇は、「緊急事態の段階を超えて移民に寄り添い、社会の中で安定した生活を築けるよう支援」する教区のカリタス、教会、移民事務所、地域団体の活動を称賛された。

 

 

*移民の苦難に乗じて、虐待、搾取した者たちは、その一人ひとりについて、神の前に立たねばならない

 続けて教皇は、移民たちの苦しみから利益を得る者たちの問題を取り上げ、「脆弱な人々の移動や虐待に関与する人身取引業者、搾取者、犯罪ネットワーク」に対し、「やめなさい。悔い改めなさい」と呼びかけ、「失われた命一つひとつ、欺かれた家族一つひとつ、隷属させられた身体一つひとつ、脅かされた女性一人ひとり、搾取された労働者一人ひとりについて、あなた方は神の正義の前に立たねばならない」と警告された。

 また、「危険な移住ルートを作り上げ、労働者を搾取し、女性を脅かし、絶望を利用して利益を得る者たち」を非難し、「苦しまされる兄弟姉妹たちの血と涙は、神に向かって叫び声を上げている」と強く批判され、「貧しい人々の弱さから搾り取った金は、平和も、名誉も、未来ももたらさない。搾取している人々を解放し、奪ったものを返還し、手遅れになる前に和解を求めねばならない」と促された。

キリスト教的な対応

 続いて教皇は、「共生」を「単なる社会事業として捉えてはなりません… 居住、言語、雇用、法的保護など実践的な支援に加え、移民たちは友情、証し、そして、寄り添いを提供できるキリスト教共同体と出会う必要があります。『受け入れる教会』は、『宣教する教会』でもあのです。福音は、押し付けることなく、常に良心の自由を尊重して、分かち合わねばなりません」と支援者たちに求められた。

 あいさつの最後に、教皇は、聖家族のエジプトへの逃避行を「人間の歴史を通じて、移民や難民にとって不変の象徴」とされ、「ナザレの聖家族は、あらゆる難民家族、あらゆる移民、そして故郷を離れざるを得なかったすべての人々にとって、永遠の模範であり、避難所であり続けるのです」と強調された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年6月13日

☩教皇スペイン訪問・カナリア諸島2日目:テネリフェ島で訪問最後のミサ「キリストの『愛の海』を発見できるように他者を助けよう!」

(2026.6.12 Vatican News   Augustine Asta – Tenerife)

  教皇レオ14世は現地時間12日昼、テネリフェ島のサンタ・クルス・デ・テネリフェ港で、6日に始まった今回のスペイ訪問の最後となるミサを捧げられ、「人は誰も”孤島”ではない」ことを強調された。

  ミサ中の説教で、教皇は参加した数万人の信者たちに、「人類の歴史の中心として、すべての人の喜び、希望、悲しみ、不安が共鳴する場所であるイエスの聖心を黙想するように」と促された。Pope Leo arrives for Mass

*物質主義、利益の追求に蝕まれた社会の”落とし穴”に注意

 

  「人は誰も”孤島”ではありません… キリスト教徒の生活とは、他者へと、そして神へと向かう絶え間ない『出エジプト』なのです」と強調された教皇は、「慌ただしさ、物質主義、そして利益の追求に蝕まれた社会の”落とし穴”に気を付けましょう。その様な落とし穴は、個人を『不毛な躍動』の中に閉じ込めてしまう恐れがあります」と信者たちに忠告された。

 そして、観光業に大きく依存するこの地域の人々に求められるのは、「地元住民と観光客の両方に、単なる商業よりも、簡素さ、感謝、そして人間関係の価値を再発見するように。命を与えるときに、命が生まれるのです」と説かれた。

 続けて教皇は、ミサで読まれた福音書を取り上げ、「神の計画において疎外された人々が占める特別な位置」を強調され、「神の啓示は、世が取るに足らない、あるいは無力だと見なす人々にこそ、しばしば現れます」と指摘。ご自身の使徒的勧告『Dilexi Te』を引用する形で、「貧しい人々は単なる慈善の受け手ではなく、教会そのものを福音化し得る知恵の担い手なのです」と語られた。

 

*移民たちに、物質的な援助だけでなく、兄弟愛を示して

 カナリア諸島は、大西洋を渡る移民にとって重要な中継地点だが危険も多い。教皇は、人身売買業者による搾取など、移民が直面する過酷な現実を認め、信者たちに対して、「単なる物質的な援助だけでなく、真の兄弟愛を示すように」と求められた。そして、地域社会に対し、「新しく来る人たちとの出会いによって、自らを変容させるように。安楽と個人主義に囚われがちな社会にとって、貧しい人々や移民の人々の経験こそが知恵の源です」と促された。

 

*神は愛、すべての人に特別の配慮を払うように

 

 説教の締めくくりに、教皇はカナリア諸島の人々の歓迎と兄弟愛の精神に感謝されるとともに、ヨハネの手紙一を引用し「若者、弱い立場にある人々、富める人も貧しい人も、地元の人も訪問者も、すべての人に特別な配慮を払うように。神は愛です」と強調。

 信者たちに対して、「キリストの御心にある『愛の海』を発見できるよう他者を助け、『神や兄弟姉妹との出会いの場から排除された』と、誰も感じることのないよう努めるように」と促された。

 そして、ミサの最後に、教皇は、ご自分のマドリード、バルセロナ、モンセラート、そしてカナリア諸島への訪問を準備してくれた人々に、「神と、私を迎え入れ、数え切れないほどの方法で助けてくださった」ことを深く感謝。

 「私を取り巻いてくださった大きな愛に深く心を動かされ、また、教会への信仰と愛の証し、すなわちスペインの偉大なカトリックの心の表れに慰められて、私はローマへ帰ります」と別れを告げられた。。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
2026年6月13日

・教皇スペイン訪問終了、特別機故障でスペイン国王が専用機提供、3時間遅れで帰国

スペイン訪問終了後、国王専用機の前でフェリペ6世国王の見送りを受ける教皇レオ14世 2026年6月12日 テネリフェ・ノルテ空港スペイン訪問終了後、国王専用機の前でフェリペ6世国王の見送りを受ける教皇レオ14世 2026年6月12日 テネリフェ・ノルテ空港  (@Vatican Media)

  教皇レオ14世は、6月12日、カナリア諸島・テネリフェ島のサンタ・クルス・デ・テネリフェでの公式行事をもって、一週間にわたるスペイン司牧訪問を終えられ、スペイン国王専用機で帰国の途につかれた。教皇の帰国便として用意されていた特別機が故障で予定の運行ができなくなり、国王の好意で専用機が提供された。

Pope Leo XIV departs from Spain in King Felipe’s aircraft  (ANSA)

 教皇は、ご自身として第4回目となる海外司牧訪問(イタリアを除く)として、6月6日からスペインを訪問。 この間、教皇は、首都マドリードの王宮や下院議事堂での会見やスピーチ、またバルセロナでは建築家アントニ・ガウディの帰天から100年の日に合わせ、サグラダ・ファミリア聖堂の「イエス・キリストの塔」の完成を祝うミサと塔の祝別を行われた。

Pope Leo XIV departs from Spain in King Felipe's aircraft

 スペイン訪問後半、教皇は、移民問題に直面するカナリア諸島のラス・パルマス・デ・グラン・カナリアとサンタ・クルス・デ・テネリフェを訪問。移民や、移民受け入れに関わる人々との出会いを通し、すべての人間が持つ尊厳への関心を喚起された。

 教皇は、12日昼のサンタ・クルス・デ・テネリフェでミサを捧げられた後、テネリフェ・ノルテ空港での送別式に臨まれた。国王フェリペ6世の見送りを受けた後、ローマへの帰国便として用意されたイベリア航空のエアバス A320 機に搭乗されたが、故障で出発ができなくなり、国王に付き添われ、空港のラウンジに戻られた。

 国王の好意で国王専用機が提供されることになり、パロリン国務長官ら側近と共に同機に搭乗され、予定より約3時間遅れの午後6時過ぎにテネリフェ・ノルテ空港を発ち、イタリア時間同日午後11時過ぎ、ローマ・チャンピーノ空港に到着された。

 バチカン広報局によると、当初、特別機で教皇と共にローマに戻る予定だった随行のバチカン関係者や記者団は、別便で帰国した。このため、海外訪問から帰国の際に教皇が行われる恒例の機中会見はできなくなった。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年6月13日

☩教皇スペイン訪問・カナリア諸島初日:移民と支援団体との面会ー「人間の尊厳にパスポートはない」

(2026.6.11 Vatican News   Linda Bordoni)

 グラン・カナリア島で、11日朝の移民や彼らを救助・支援する団体との会合において、教皇レオ14世は、世界が彼らの苦しみに対して無関心になってはならないと訴え、合法的かつ安全な移住ルートの確保を呼びかけた。また、人身売買や搾取を非難し、「人間の尊厳にパスポートはなく、国境を越えたからといってその価値が失われることはない」と強調した。

 欧州における移民問題の最も痛切な象徴の一つとなった、グラン・カナリア島南岸の港町アルギネギンの埠頭に立ち、教皇レオ14世は木曜日、思いやり、責任、連帯を求める緊急の訴えを発し、「人間の尊厳にパスポートはなく、国境を越えてもその価値を失うことはない」と強調した。

 スペインへの使徒的訪問6日目、教皇は、世界で最も危険な移民ルートのひとつで、移民を救助し、受け入れ、支援する団体や移民たちと面会した。Pope Leo XIV at the meeting with migrants and those who rescue and accompany them in Las Palmas de Gran Canaria

 集会は、いわゆる「恥の港」で行われた。2020年、新型コロナウイルスのパンデミックが拡大する中、ここには数日のうちに数千人の移民が到着していた。西アフリカの貧困、紛争、搾取から逃れる多くの人々にとって、カナリア諸島はヨーロッパへの最も近い玄関口であり、過密状態の木造船で大西洋を横断する危険な旅を経て到達する場所だ。

 港と大西洋を背景に、教皇レオは、海上救助隊員、カリタスのボランティア、人身売買の生存者、そして長年の苦難の末に人生を再建した移民起業家らの証言に耳を傾けた。

*福音は具体化する

 

 マタイによる福音書25章の箇所について考察し、教皇は、アルギネギンのような場所で神の言葉が肉となるのだと述べた。そこへ人々は「ほとんどすべてのものを奪われながらも、尊厳だけは決して失わずに」到着するのだ。

 「ここで福音は、私たちを傍観者という安楽な立場から引き離し、到着した兄弟姉妹を私たちの前に置く」と教皇は語った。「砂漠や夜、海を耐え抜いた後、恐怖や飢え、暴力に苛まれながら上陸する人々の中に、キリストを見出したかどうかを問いかけてくるのだ」

 ペトロの後継者として身につける「漁師の指輪」の象徴性を想起し、教皇レオは、ペトロに対し「人の漁師」となるよう呼びかけたキリストの言葉を振り返った。 「ここでは、人々が海から救出され、水の中から息絶えた遺体が引き揚げられる」と彼は語った。「このため、ペトロの後継者はこれらの埠頭を無視することはできない。教会はこれらの海を無視することはできない」。

*海には、「怪物」がいる

 聖書のイメージを引用し、教皇は海を、危険と混沌が希望と共存する場所として描写した。

 「今日でさえ、これらの海には怪物が潜んでいる」と教皇は警告し、「絶望から利益を得るマフィア、女性や子供を奴隷にする人身売買業者、そして無関心によって貧しい人々が搾取や忘却に飲み込まれるのを許す者たち」に言及した。

 しかし教皇は、信仰が恐怖によって麻痺してはならないと強調した。 「もしキリストが海に静まれと命じるなら、教会は海に放り出された人々について沈黙を保つことはできない」と教皇は語った。

*統計ではなく、一人ひとりの顔だ

 この集会の印象的な場面の一つは、海上で2万人以上を救助してきた海上救助隊の隊長、ティト・ビジャルメアの証言だった。

 彼は、10代と思われる息子と一緒に旅をしていた女性を救助した時のことを振り返った。救助船に無事乗り込むと、彼女は子供の帽子とジャケットを脱がせ、その少年の耳に金のイヤリングをはめた。「 「実は女の子だった」と彼は語り、二人が共に涙を流した様子を思い出した。

 教皇は自らの体験を語った人々に感謝し、救助隊員、カリタスのボランティア、そして教区共同体の活動を称賛した。彼らの証言こそが、「移民が『単なる一人』や、単なるカテゴリー、あるいは統計上の数字ではなくなっていく」ことを示していると述べた。

 「そうして初めて、あの小さな女の子が私たちの娘であり得ること、そしてそれらの顔が私たちの家族の一員となり得ることを理解できるのだ」と彼は語った。

 また、教皇はマリア・レイエス・アレマン・クルス氏の証言にも言及した。彼女は移民危機の最中に教区の活動を統括し、他者を支えることはしばしば、一足の靴、一枚のコート、一杯のコーヒー、あるいは単にその場に寄り添うといった、ささやかな仕草から始まることに気づいたと語った。

 「慈悲は小さな仕草から始まる」と教皇は述べた。「目的はすべてを解決することではなく、すべてを神の手に委ね、人々が苦しむ場所に寄り添うことだ。」

*人身取引の被害者へのメッセージ

 特に胸を打つ証言の一つは、性的搾取を目的とした人身取引の被害者であるナイジェリア人女性、ブレッシングの話だった。安全上の理由から、彼女の証言は代理によって読み上げられた。

 彼女は、貧困ゆえに他に選択肢がなく故郷を離れ、強制的な儀式を受けさせられ、恐ろしい状況下で海を渡り、最終的に売春を強要されたと語った。

 教皇レオは彼女に直接語りかけ、慰めと肯定の言葉をかけた。「他者があなたの体に値段をつけたとしても、神はあなたの計り知れない価値を認めることを決してやめていないことを知ってほしい」と彼は言った。

 「もし他者があなたを物のように扱うとしても、教会は今日、あなたにこう伝えたい。あなたは娘であり、姉妹であり、祝福そのものなのだ」

 教皇は人身売買の被害者に対し、彼らが受けた暴力にもかかわらず、その尊厳は損なわれていないと保証した。「あなたの人生は神に属しており、神はあなたから奪うことのできない尊厳を与えてくださった」と彼は繰り返した。

 

*欧州と世界の政府、国際機関に訴える

 

 すべての移民の尊厳の前に頭を垂れると断言し、レオ14世教皇は彼らに直接語りかけた。「君たちは単なる数字や書類ではない。家族や家を後にした人間なのだ。君たちには、誰も軽んじる権利のない夢がある」。

 同時に、絶望につけ込む人身取引業者や犯罪組織に対して警告を発し、彼らの偽りの約束を「セイレーンの歌」や「死の産業」と呼んだ。

 さらに、政府や国際機関に向けた呼びかけを広げ、責任は共有されなければならないと主張した。移住の悲劇は、出身国に対し平和、正義、発展のための条件を整えるよう、通過国に対し犯罪組織から脆弱な人々を守るよう、そしてヨーロッパに対し「地中海や大西洋が名もなき墓場となること」に慣れてはならないよう、それぞれに課題を突きつけていると続けた。

 「到着者の管理や統計の発表、国境の強化、あるいは死者が発生した後の嘆きだけでは不十分だ」と彼は断言した。

 「到着するすべての船は、移民たちと共に一つの問いを運んでくる」と教皇レオは強調し、こう問いを投げかけた。「これほど多くの兄弟姉妹が、命を求めて死の危険を冒さなければならないとしたら、我々は一体どのような世界を築いてきたのか?」

*移住しない権利もある

 教皇レオはまた、移民政策は人間の尊厳の尊重に根ざしていなければならないと強調し、合法的かつ安全な経路の確保、人身取引被害者への効果的な保護、密輸業者に対する国際協力、そして有意義な受け入れ・統合のプロセスを求めた。

 避難を求める権利を再確認しつつ、教皇レオ14世は、しばしば見過ごされがちなもう一つの権利、すなわち「逃亡を強いられない権利」についても言及した。「移住せざるを得ない状況に置かれない権利もある」と彼は述べ、飢餓、戦争、迫害、汚職、環境破壊から解放され、自国に留まる権利について語った。

*「私たちの人間性には何が残っているのか?」

 面会は、Media)海を渡ろうとして命を落とした人々を追悼する献花と黙祷をもって締めくくられた。その後、教皇は近くの「海の守護聖人」であるカルメル山の聖母の聖堂で、移民のボートの木材で作られた十字架に祝福を与えた。

 出発に先立ち、教皇は水辺に集まったボランティアや移民たちに挨拶を送り、その警告の言葉が港全体、そしてその先へと響き渡った―「今日、この海辺で、ここにたどり着く一人ひとりが、私たちに問いかけている。『私たちの人間性には何が残っているのか』と。(…)遅かれ早かれ、私たちが命を守ったのか、それとも無関心に屈したのかが明らかになるだろう」。erence.”

2026年6月12日

☩教皇スペイン訪問・カナリア諸島2日目:テネリフェ島の移民たちと面会「私は、皆さんの顔を見つめながら、皆さんの心を思う」

Pope Leo XIV meeting with migrants and listening to their testimonies in Tenerife
(2026.6.12 Vatican News   Deborah Castellano Lubov)

 スペイン訪問中の教皇レオ14世は12日、カナリア諸島のカナリア島からテネリフェ島に移され、同日朝、移民受け入れの「ラス・ライセス・センター」で移民たちと面会された。そして、彼らを心と祈りに抱いていることを伝え、「いかなる”嵐”も、あなたがたからキリストの臨在を感じることを奪うことがないように」と祈られた。

 教皇は、移民の出席者たちの証言に耳を傾けた後、ご自分が彼ら、すべての移民のそばにいることを確認された。そして、12日が「イエスの聖心の大祝日」であることに注意を向け、「キリスト教徒にとってイエスの心は、すべての人類に対する神の慈悲深く無限の愛を象徴しています」と説かれた。

 「このように、私たちが共に集い、互いを見つめ合い、そして何よりも、どこから来たかに関係なく、神の愛には国境がなく、区別もなく、すべての人に与えられ、私たちを一致へと導いてくださることを認識できることは、まさに神の摂理によるものです」と強調。

*イエスはあなた方を理解しておられる

 教皇はさらに、彼らが体験している困難に思いを馳せ、「皆さんの顔を見つめ、皆さんの物語に耳を傾ける時、私は皆さんの心についても思いを馳せます… 数多くの困難によって傷つけられながらも、他者の開かれた、寛大で慈悲深い心から受けた愛によって慰められている心です」とされ、「キリストの心は、愛ゆえに苦しみ、貫かれた… 同時に、その痛みを和らげてくれた思いやりのある人々によって慰められていました」と述べられた。

 また教皇は、異国の町から来た、異なる宗教を持つ見知らぬ人が、傷つき虐待された男に憐れみを示した「善きサマリア人のたとえ」を引用し、「愛の普遍性」を強調。

 「他者の傷を癒やし、苦しむ人々に慈愛を示すよう促す神の愛に動かされ、聖ペトロ兄弟と聖アンチエタのヨセフが、福音宣教のためにカナリア諸島からアメリカへと船出し、新たな宣教の地平を切り拓いたことを思い起され、「彼らもまた、信仰、希望、愛を最大の財産として携え、未知の世界へと踏み出した移民でした」と指摘。

 「そうした見知らぬ土地において、聖なる移民と宣教師たちは、自分たちが持っているものを分かち合いながら、同時に自分たちに差し出された新たな賜物も受け入れたのです」と語られた。

*人間性の宝を分かち合い、旅路をより人間的なものしよう

 そして教皇は「私もまた、あなたがたがこれらの島々に持ち込んだ、人間性の宝、夢、そして文化を分かち合い、また、差し出されるものを受け入れる心を開くよう、あなたがたに呼びかけます… こうした交流は、責任を持って行われねばならない。私たちが『愛の文明』という遺産を残したいと願う未来の世代を、見据える必要があります」と説かれた。「そして、移住は、民族間の出会いと相互の豊かさを生み出す機会となることで、重要な役割を果たすことができる」と述べられた。

 また教皇は、「ある意味では、私たち皆が移民です。それは、私たちは皆、天の故郷へと向かう巡礼者だからです」と語られ、「皆がそれぞれの方法で貢献し、その旅路をより人間的なものにするように」と促された。

 政府関係者、様々な機関、そして善意ある多くの人々に対して、「あなたがたの協力によって、具体的な人道支援が可能となり、多くの人々に希望を取り戻させ、尊厳を与えている」と感謝された。

 

*主の中にしっかりと根を下ろし続けるように

 教皇は、受け入れセンターの名称「ラス・ライセス(根)」が自身の関心を引いた、とされ、故フランシスコ教皇が「あなたがたと共にありたいと切に願っていた」ことを想起しつつ、故教皇が「私たちの起源を覚え、団結し、主に信頼することの重要性」を強調するために、「根」のイメージを用いることを好んでおられた、と語られた。さらに、故教皇が使徒的勧告『キリストは生きておられる』の中で、主に信頼を置く者は「水のほとりに植えられた木のように、その根を小川へと伸ばす。暑さが来ても恐れることはなく、その葉は緑のままである」と記しておられたことを指摘された。

 そして、「あなたがたが主の中にしっかりと根を下ろし続け、いかなる嵐も、あなた方を強め、命を与える主の御前から追い払うことがないように」と祈された。

 挨拶の最後に教皇は、「親愛なる友よ、私はあなた方を心の中に抱き、祈りの中であなた方を覚えています」とされ、神が彼らと彼らの家族、そして彼らに善を行うすべての人々を祝福し、「移住者の慰め」である聖母マリアが、その母なる庇護をもって常に彼らに寄り添い、助けてくださるように、祈りを捧げられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年6月12日

☩教皇スペイン訪問・カナリア諸島初日:グラン・カナリア・スタジアムで数万人ミサー「『愛の鼓動する心』を聴くために必要な沈黙を欠いていないか」耳を傾けよ」

(2026.6.11  Vatican News   Joseph Tulloch)

    スペイン訪問中の教皇レオ14世は11日午前、カナリア諸島のグラン・カナリア島に着かれ、移民支援団体との面会、司教や司祭など聖職者たちとの面会の後、同日夕、グラン・カナリア・スタジアムで数万人参加のミサを捧げられ、「愛、苦しみ、そして謙虚さ」について語られるとともに、「大げさで、至る所に存在し、落ち着きのない『私』の叫び」に対して警告、島へたどり着こうとして命を落とした移民たちを偲ばれた。

 アフリカ西海岸のすぐ沖にあるスペイン領の島、グラン・カナリアは、欧州で新たな生活を求めようとする移民にとって主要な到着地となっている。説教で教皇は、「この地が証しする苦しみ」を偲びたいと述べ、聴衆に対し、「海で命を落とした兄弟姉妹」のために共に祈るよう呼びかけられた。

*援助は、困窮する人の霊的、知的、そして身体的な成長を促す努力につながるべき

 教皇は説教の冒頭、このミサの第一朗読、『申命記』の一節について考察された。そこでは、イスラエル人に対する神の「無条件の」愛が描かれている。教皇は「この愛こそが、私たちの存在全体に浸透するものであり、魂のための炎、精神のための光、平和、自由への抗いがたい衝動… そして心の苦しみです」と指摘。「私たち自身の愛することへの召命は、この無条件の神の愛に根ざしています」と語られた。

 続いて教皇は、ヨハネの第一の手紙から取られた、その日の第二朗読について考察された。教皇は、「使徒ヨハネの言葉には、『母の慈しみをもって苦しむ人々を受け入れるように』とのメッセージが込められています」とされたうえで、「だが、私たちの慈しみは、物質的な援助にとどまるべきではない。困っている人々の霊的、知的、そして身体的な成長を促す努力へとつながるべきです」と説かれた。

*多くの人が「落ち着きのない『私』の喧騒に幻惑されている」

 この日のミサは、イエスの聖なる御心の祝日の前夜祭にあたっていた。説教の締めくくりとして、教皇は、キリストの御心の特質の一つである「謙遜」について考察され、「今の多くに人たちは、大げさで、至る所に存在し、落ち着きのない『私』の喧騒に眩惑され、自らの内にある… 隠された、『愛の鼓動する心』を聴くために必要な沈黙を欠いています」と、ミサに参加した信者たちに警告。

 そして、「イエスは、私たちに解決策を示しおられます… 私たちを分断する傲慢の台座から降り、私たちを結びつける謙遜さの中で自分自身を見なければなりません」と諭された。

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年6月12日

☩教皇スペイン訪問:カナリア諸島初日「連帯と希望を持って、弱者に奉仕することで、信仰における一致を保て」司教、司祭ら聖職者たちに

(2026.6.11  Vatican News)

 スペイン訪問中のレオ14世は現地時間11日朝、バルセロナから空路、スペイン領のカナリア諸島に向かわれ、ラス・パルマスの聖アンナ大聖堂で、司教、司祭、助祭、修道者、神学生、および司牧従事者とお会いになり、「十字架を受け入れ、聖体祭儀を一層深め、連帯と希望をもって最も弱い立場にある人々に奉仕することで、信仰において一致を保つように」と呼びかけられた。

 カナリア諸島は、西アフリカから渡航する移民にとって欧州への主要な玄関口の一つとなっており、現地の教会共同体は移民たちに対する人道支援や司牧支援において重要な役割を果たしている。

 教皇は、大聖堂の集まった聖職者たちが「生きた教会」の証しをしていることに感謝され、「あなたがたは、現代の人々、とりわけ貧しい人々や苦しむ人々の喜びと希望、悲しみと苦悩を反映する教会です」と讃えられた。

 そして、「私は、信仰における父であり兄弟として、この島々を訪れました」とされ、教皇就任当初に述べた言葉を繰り返す形で、「あなたがたと共に、私はキリスト者であり、あなた方のために、私は司教なのです」と語られた。

 教皇は続けて、この日のミサで朗読された「エフェソの信徒への手紙」を取り上げ、「教会内の様々な賜物や奉仕を認め、それらを用いて一致を築くことの重要性」を強調。「主の招きは今日、私たちの心に新たに応え、私たちの召命と使命、すなわち『礎石』であるキリストに根ざして、共に教会を築き上げることを確かなものにしてくれます」と述べられた。

 また信徒たちに対して、「善きものを土台とし、違いを調和させ、すべての人のために共に働くように」と促された。

 

*「愛の文明」を築く「賢明な建築家」になるために不可欠な二つのこと

 

教皇はさらに、自身が「愛の文明」と呼ぶものを築く上で「賢明な建築家」になろうとするキリスト教徒にとって不可欠な二つの態度について語られた。

 一つは、「キリストの十字架を受け入れること」。カナリア諸島を取り囲む海を例に挙げ、「海は、故郷や帰属感を想起させる一方で、挑戦、距離、不確実性を象徴することもあります」と指摘。聖アウグスティヌスの言葉を引用して、「人類は真の故郷を渇望しているが、そこにたどり着くためには『この世の海』を渡らねばなりません… 私たちに道を示すために、私たちが向かいたいと切望していたお方が、自らおいでになった。キリストの十字架を担わなければ、この世の海を渡ることは誰にもできない」と説かれた。

教皇レオは、聖人たちがキリストを信頼して人生の困難に立ち向かう方法の模範を示していると述べた。「人生の嵐に直面したとき、彼らはイエスを自分の舟に招き入れる術を知っていた。彼らはイエスを信頼し、十字架を受け入れ、それによって不確実性と恐怖の波を鎮めたのだ」と彼は説明した。

 そしてもう一つは、「聖体祭儀への霊性を育むこと」。教皇は、昇天祭の祝典中に「聖体の前に花びらを撒く」という、この地で古くから続く伝統に言及され、「これは、キリストこそがキリスト教生活の中心であることを思い起こさせます」と語られた。

 そして、「私たちの巡礼の旅の目標は、キリストとの出会い。キリストこそがキリスト教生活の中心であり、私たちはキリストの前にひざまずいて崇敬の念を表し、キリストの周りに集まって一つの体を形成するのです」とされ、第二バチカン公会議の『教会憲章(Lumen Gentium)』を引用し、「ミサ聖祭への参加が教会の結束を強め、信者たちをより深い交わりの感覚へと導く必要があります。聖体祭儀への霊性を育むということは、『愛における教会の結束の霊性』をより深く掘り下げることを意味するのです」と強調された。

 

*希望を持って未来を見据えよう

 講話の最後に教皇は、カナリア諸島におけるキリスト教の歴史を形作ってきた多くの聖なる男女の証しから力を得るよう、現地の教会に促された。

 またすべての信者に対し、「信仰、希望、愛」において一致し続けるよう求められ、聖ヨハネ・パウロ二世の言葉を引用して、この三つの徳を「私たちの霊的生活の空に昇り、私たちを神へと導く三つの星」と表現され。

 そして、カナリア諸島の教会を「ステラ・マリス(海の星)」の称号を持つ聖母マリアに委ね、カトリック信者に対し、「自信を持って使命を全うし続けるように。現代の課題に直面する中で、一致と忠実さを保つための恵みを聖霊に祈るように」と求められた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2026年6月12日

☩スペイン:教皇、モンセラートの聖母に祈りを捧げる

(2026.6.11 Vatican News)

スペインを訪れている教皇レオ14世は、バルセロナ近郊モンセラートのサンタ・マリア・モンセラート修道院でロザリオの祈りをとり行われた。

 教皇レオ14世は、6月10日(水)、バルセロナ近郊モンセラートのサンタ・マリア・モンセラート修道院を訪問された。

 ベネディクト会の共同体が置かれている同修道院は、バルセロナからおよそ40 km、標高720mのモンセラート山の岩に沿うように建っている。

 伝承によれば、880年、羊飼いの子どもたちが、山の上が光るのを見た。彼らが洞窟の中で羊を世話していると、その中に聖母子像を発見した。それを知った司教は、聖母子像をマンレザに運ぼうとした。ところが像は「とても重くなった」。司教はこれを聖母がここに留まりたいと望んでおられるしるしと理解し、この地に巡礼聖堂を建てるように命じたという。

 今日、巡礼聖堂に見られる聖母像は、12世紀頃のロマネスク様式の木彫の像である。

 教皇はサン・フェリウ・デ・ロブレガット教区の司教や、修道院長、そして大勢の子どもたちや巡礼者らに迎えられ、修道院の建物の一部や前庭を横切り、奥の巡礼聖堂へと向かわれた。

 聖堂に入られた教皇は、聖体の礼拝堂で祈られた後、「ラ・モレネータ」と呼ばれるモンセラートの黒い聖母子像を安置した本廊で、司教たちや、ベネディクト会士、そして巡礼者らと、ロザリオの祈りを唱えられた。

 レオ14世はロザリオの祈りの後の言葉で、「モンセラートの聖母のもとで、その母としての執り成しに完全に信頼し、教皇の務めと、正義と平和を求めて叫ぶ世界における教会の使命を委ねることができうれしく思う」と述べられた。

 教皇は、ペルーのトルヒーリョにある「モンセラートの聖母教会」で主任司祭を務めた日々を懐かしく思い起こされ、「『ラ・モレネータ』はいつも共に歩んでくださいました」と話された。

 教皇は、「この人(イエス)が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」(ヨハネ2,5)というマリアの招きを受け入れるようにと皆に願われた。

 「マリアがガリラヤのカナで言ったこの言葉には、真のキリスト教的生活の指針が含まれている」と教皇は述べ、「聖母はわたしたちをキリストへと導き、その声に耳を傾け、その言葉に従い、キリストによって変えられることを教えてくれる」と話された。

 教皇は、イエスが望まれることは明確であると述べつつ、「互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である」(ヨハネ15,17)というその言葉を示された。

 「イエスはわたしたちに、いつくしみ、和解、真理、柔和の道を示されると同時に、わたしたちの言葉や態度にひそむ暴力、すなわち、人を辱める批判や、破壊をもたらす非難、分断する攻撃性などを明るみに出される」と教皇は述べられた。

 「マリアが腕に抱く幼子イエスは鎧を身につけておられない。武装せず、武装を解く、その愛の力によってわたしたちを救うために、やがて裸で十字架にかかり、自らを御父に完全に捧げられるのは、このイエスなのである」と述べた教皇は、「使徒聖パウロが励ますように、神の武具だけを身につけることができるよう、マリアに向かって目を上げ、助けを祈り求めよう」と招かれた。

 集いの最後に、教皇は巡礼聖堂の内陣上部に階段で上がり、そこに安置されたモンセラートの聖母子像の前で祈りを捧げられた。

 この後、教皇は修道院の窓辺から、外の広場に集った大勢の巡礼者らに感謝を述べ、祝福をおくられた。

 続いて、教皇は修道院内でベネディクト会の共同体とお会いになり、昼食を共にされた。

(編集「カトリック・あい」)

2026年6月12日

☩スペイン:教皇、バルセロナ近郊の刑務所訪問

(2026.6.11 Vatican News)

教皇レオ14世は、スペイン・バルセロナ近郊の刑務所を訪問された。

 教皇レオ14世は、スペイン訪問5日目、6月10日(水)、バルセロナ近郊の刑務所を訪れた。

 教皇が向かわれたのは、バルセロナからおよそ40kmのサン・エステベ・セスロビレスにある、カタルーニャ州の刑務所「Brians 1」。1991年、男子刑務所として創設され、1993年、女子刑務所が同じ敷地内に新設された。

 教皇と受刑者、刑務所職員、ボランティアたちとの出会いは、文化・教育・職業訓練・スポーツなどに活用されるスペース内にある会議室で行われた。

 教皇は、受刑者たちの歌に迎えられ、刑務所所長の挨拶をはじめ、バルセロナ大司教区で刑務所司牧を担う修道司祭の体験、そして服役中の2人の受刑者のそれぞれのストーリーに耳を傾けられた。

 受刑者たちに向けた言葉で、教皇は、「神に望まれ、創造され、愛された」というただそれだけの理由のために、一人ひとりが「価値ある存在」である、と強調。

 どのような状況も、神の眼差しをわたしたちから遠ざけることはないと話された。

 神はいかなる時もわたしたちに寄り添い、そのいつくしみの愛は、わたしたちが行ったあらゆる善行、悪行よりも常に大きいという真理を思い出すことは、大きななぐさめである、と教皇は語られた。

 自分を卑下したり、これ以上進む価値はないと感じる時、多くの人々を通して、絶えずあなたにご自身の愛と寄り添いを示し続けてくださる御方へと「目を上げて」て欲しいと、と励まされた。

 人生の過ちはその人のアイデンティティーを決定づけることはない、と話す教皇は、聖アウグスティヌスも著作『告白』の中で言うように、神の恵みに信頼し、神に導かれ、自身を変容していただくならば、過去は未来を断罪せず、むしろわたしたちの決断や選択を変える機会を与えてくれることに気づくだろう、と述べられた。

 「神に心を開き、その御顔を求め、その愛に導かれるように」、「わたしたちを希望へと招き、素晴らしい地平を見せてくださる神にしっかりとつかまるように」と教皇は呼びかけられた。

 この集いでは、受刑者から飾り皿や、絵、手芸品が、教皇からは聖母子画が贈られた。

(編集「カトリック・あい」)

2026年6月12日

☩サグラダファミリア「イエス・キリストの塔」の完成祝う教皇ミサ

(2026.6.10 Vatican News)

Celebration at the Basilica of the Sagrada Família   (@Vatican Media)

スペイン・カタルーニャ出身の建築家、尊者アントニ・ガウディの帰天から100年目を迎えた2026年6月10日、ガウディの代表作、サグラダ・ファミリア聖堂の最も高い塔、「イエス・キリストの塔」の完成を祝うミサが、教皇レオ14世によってとり行われた。

 スペインを司牧訪問中の教皇レオ14世は、6月10日(水)、バルセロナのサグラダ・ファミリア聖堂で、「イエス・キリストの塔」の完成を祝うミサを捧げられた。

 この日は、カタルーニャ生まれで、「神の建築家」と呼ばれる、尊者アントニ・ガウディ(1852.6.25-1826.6.10)の帰天からちょうど100年目を迎えた。

 ガウディが手がけた代表作、着工以来140年以上にわたり建設が続いているサグラダ・ファミリア聖堂の、18の塔の中で、172.5メートルと最も高く、中心的な意味を持つ塔、「イエス・キリストの塔」が頂部の十字架の取り付けと共にこのたび完成。

 ガウディの帰天から100年の日に合わせ、この塔の完成を祝い、神に感謝を捧げるミサと、その祝別の儀式が、教皇レオ14世によってとり行われた。

 教皇がミサの説教で「この夜は、バルセロナの街全体、またスペイン、特にカタルーニャの人々にとっての祝祭です」と述べたように、バルセロナ市内には多くの人々が繰り出し、教皇が特別車「パパモービル」で大司教館からサグラダ・ファミリアへと向かう道のりは、熱心に歓迎する人々の波が途切れることなく続いた。

 サグラダ・ファミリアに到着された教皇は、スペイン国王フェリペ6世とレティシア王妃に迎えられた。教皇は国王夫妻と共に、「イエス・キリストの塔」の頂上の十字架の形や素材、それがもたらす効果について、視覚障害者の少女が模型に触れながら生き生きと語る説明に耳を傾けられた。

 続いて、教皇はサグラダ・ファミリアのクリプタ(地下聖堂)にあるアントニ・ガウディの墓前で祈りを捧げられた。

 サグラダ・ファミリアの本廊でとり行われたミサは、自然の形を源泉とする生命力あふれる意匠、ステンドグラスから注がれる光、そして合唱隊の透き通った歌声により、いっそう荘厳で神秘的なものとなった。

 教皇はミサをスペイン語で、また一部をカタルーニャ語で行われた。

 教皇はミサの説教で、主の愛と御業に感謝しながら、特にこのまれに見るバシリカのために主を称えられた。

 サグラダ・ファミリアは単なるモニュメントを超えるものと述べた教皇は、今日いまだ建設中であるこの聖堂は、キリスト者の人生とは常なる歩み、神によって完成に導かれる計画であることを思い出させると話された。

 「わたしたちは未完の作品の中にではなく、建設中の神殿の中に住んでいる」、と教皇は語り、「その不完全さは欠陥ではなく、望みを抱いていることの証しである」と説かれた。

 「悪の脅威を前に、主はいつもわたしたちと共に、わたしたちのためにいてくださる。人となられたイエスは、わたしたちにとって、恵みと、赦し、救い、新しいいのちの源泉であるインマヌエルとなられた」と教皇は強調。

 「イエスを信じながら戦争はできない。イエスを信じながら無実の人々を殺すことはできない。イエスを信じながら苦しむ人、泣く人、貧しさから逃れようとする人を見捨てることはできない」と述べられた。

 「イエス・キリストの塔に感嘆しつつ、目を上げて、神の真理とわたしたちの真理を示してくださる唯一の方、キリストを見つめよう」と教皇は招かれた。

 ミサに次いで、イエス・キリストの塔の完成式が行われた。

 聖堂の外に出られた教皇は、祈りを唱えられた後、聖水の散水をもって、イエス・キリストの塔を祝別された。

 この後、夜空にそびえるサグラダ・ファミリアを背景に、子どもたちの美しい合唱、鼓動のように点滅するろうそく、聖堂の内外にあふれる色とりどりの光、ドローンショーによって描かれるガウディの肖像などを調和させた幻想的な光景が演出され、最後に尖塔の頂上までを照らし出す壮大な花火が打ち上げられた。

(編集「カトリック・あい」)

2026年6月11日

☩教皇バルセロナ初日:祈りの徹夜祭で若者たちにー「私たちは”無限”のために造られている」

(2026.6.9   Vatican News)

  スペイン訪問中の教皇レオ14世は9日夜、バルセロナのルイス・コンパニス・オリンピックスタジアムで行われた若者との祈りの集いで、参加者たちに「自らの内なる渇きを受け入れ、苦しみや精神疾患の中でも神の臨在を信じ、赦しを一時的な行為ではなく、癒しと和解への段階的な旅路として捉えるように」と呼びかけれらた。

 この集いで、教皇は、参加した若者たちからの、回心、メンタルヘルス、苦しみ、暴力、そして赦しに触れた3つの証言に応えた。Pope Leo shakes hands with the recently baptised man who gave his testimony

 成功と承認を追い求めてもなお感じた空虚さについて語った、洗礼を受けたばかりの若者フェランに対し、教皇は、「そのような不安は恐れるべきものではなく、受け入れるべきもの。私たちは無限のために造られているのです。だからこそ、あらゆる有限な地平、あらゆる一歩、あらゆる達成は―私たちを満足させつつも―同時に私たちを前進させ、探し続けるよう招かれる」と答えられた。

 そして教皇は、自身が「利益と成果への偶像崇拝」や「自己イメージの崇拝」と呼ぶものに対して警告を発せられ、それらを「良心を麻痺させ、ある種の社会像に順応させるために設計された麻酔薬」と指摘されたうえで、「絶え間ない気晴らしの文化の中で、若者たちに沈黙と内面性を育むように。内面を見つめなさい。生活のペースや外部からの誘惑に圧倒されないように努めなさい。沈黙の瞬間を大切にし、例えば毎日数分間立ち止まって福音書を読み、神と語り合うようにしなさい」と勧められた。

闇の中の神

 

2番目の証言は、カルミナという若い女性からで、彼女はうつ病との闘いや過去の自殺未遂について率直に語った。闇が絶対的であるように思える時、神はどこにいるのかと問いかけ、彼女は人生における「二度目のチャンス」を受けたと述べた。

その勇気を讃えながら、教皇は、自らを先進的だと考える社会において、「精神の健康がますます脅かされています。これは、人々を健全なバランスを損なうような圧力や期待、緊張にさらす、ある種の『進歩』という概念に、根本的な欠陥があることを示す兆候です」と語られた。

そして、キリストの受難について考察され、「イエス自身が経験した苦悩、見捨てられ、そして苦しみ」について言及。「神の御子は、人類のすべての苦悩、孤独、そして苦しみを、自らの肉体に引き受けられた。あの暗黒の時間、十字架上で死の床にあったとき、イエスは私たちの痛みを分かち合い、憐れみ深い神の御姿を私たちに示されたのです」と指摘。

教皇は、「苦しみによって神が不在であるかのように思えてしまうことがある」と認めつつも、「十字架は異なる物語を語っています。イエスの十字架は、神が私たちを見捨てないこと、神が私たちのそばにいて、痛みと極度の孤独の瞬間に私たちと共に十字架にかかっていることを告げているのです」と強調。

同時に、教皇はキリスト教徒に対し、「苦しみについて単純化した説明をすること」に注意するよう促され、「私たちは痛みを精神論的に解釈し、表面的に『神の御心』や神の不可解な計画のせいにしてはならない。神は苦しみを望んでおられない。神は私たちと共にその苦しみを背負ってくださるのです」と語られた。

旅としての赦しPope Leo hugs the young woman who gave her testimony

 

3番目、最後の証言は、セシリアという名の若い女性から寄せられた。彼女は、家庭内暴力、依存症、そして家族との離別によって彩られた幼少期を振り返った。カトリックのケアセンターで受けた支援を通じて信仰を見出した彼女は、「母親を殺害しようとした父親をどう赦せばよいか、そしてどうすれば神と和解できるのか」と問いかけた。

教皇レオはまず、彼女がしばしば自問していた「神はどこにおられたのか」という問いに向き合われ、「私たちの責任に委ねられたことを、神のせいにすることはできない。神が天上から自動的に私たちの必要に応えてくださったり、奇跡的に悪の発生を防いでくださったりすると想像してはなりません」とされたうえで、「暴力的な状況は、社会が自らを省みるきっかけとなるべきです。もし暴力があり、もし利己主義が蔓延し、もし家族間の愛さえ憎しみに変わるなら、私たちは社会の仕組み、個人主義の文化、そして暴力の誘惑について問わなければならない―しかし、神についてではありません」と忠告。

赦しについて、教皇は「単一の行為ではなく、段階的なプロセスです。私たちは、内なる傷を癒やす悪に対する強力な治療薬である『赦し』を、一つのプロセスや旅路の一部として捉えることを学ばなければなりません」と語られた。

深く傷ついた人々にとって赦しがどれほど困難であるかを認めつつ、彼は、赦しはしばしば、人間の心の傷ついた部分を癒やすよう神に祈ることから始まるのだと強調した。「私たちは小さな一歩を踏み出し、赦しへと進んでいく」と彼は述べた。「過去との和解は段階的なものだ」。

また教皇は、特に暴力が振るわれた場合、赦しとは必ずしも以前の関係を修復することを意味するわけではないと明確にした。「その人に対して心を開いた態度を保ち、あらゆる形の憎しみや復讐を拒絶し、可能な限り関係を修復するよう努め、そしておそらくその人のために祈ることはできる」と彼は述べた。

講話と質疑応答の締めくくりとして、教皇は、辛い記憶を抱える人々に希望を失わないよう励まされ、「神が憎しみをゆっくりと慈悲と憐れみへと変えてくださることを信じます」と語られた。

夜から光へ

 若者たちとの対話の後、レオ教皇はニコデモの人物像を中心に説教をされ、すべての人が人生の不確実性の中で意味、真実、愛を求めて「夜の巡礼者」である、と述べられた。

 「私たちは愛を乞う者であり、真に飢え渇いている」と教皇は語った。「私たちは、私たちを支え、鼓舞し、人生の神秘を理解する助けとなる、より深い意味を求めている」。

 続いて教皇は、すべての人間が人生においても信仰においても、闇や混乱、疑いの瞬間を経験するという現実について考察され、「こうした瞬間を失敗の兆候と見なすのではなく、集まった人々に、それらを再生の機会として捉えるように」と呼びかけられた。

 「ニコデモは、私たちの人生、信仰の旅路、そして私たちが生きる歴史に付きまとうこうした『夜』こそが、祝福の時であり、再生の場であり、常に新しい命を産み出す胎内であることを教えてくれる」と説かれた。

 教皇はさらに、闇は人々が被っている仮面をはぎ取り、本質を露わにし、神が変容をもたらすことのできる、彼が「空虚な空間」と呼ぶものを生み出すと指摘。「夜が生み出す『空虚な空間』は、たとえそれが苦しみや不満、幻滅や不信仰という形をとっていたとしても、新しい命を受け入れ、変わり、新たにされる機会となり得るのです」と強調された。

 続いて、イエスとニコデモの出会いを描いた福音書の記述に言及し、教皇は、神が人類に裁きをもって近づくのではなく、救い、回復させたいという願いをもって近づくのだと強調した。「このため、私たちもまた、『夜』を裁いてはならない。それは、私たち自身の人生における夜であれ、教会における夜であれ、あるいは周囲の社会における夜であれ、すべてに当てはまる」と述べられた。

 現代のスペインに目を向けた教皇は、信者たちに、「貧困、社会的分断、文化の変化といった社会が直面する課題について率直に省察し、共にどのような未来を築きたいのか自問するように」と呼びかけ、「そうすれば、この国はすべての人を受け入れる場所となり、一人ひとりの尊厳が尊重され、誰もがありのままの姿で愛される場所となるでしょう」と語られた。

 説教の締めくくりに、教皇は会場に集まった人々や遠くから参加しているすべての人に対し、「福音の光が彼らを『闇から光へ』と導いてくれることを確信し、心を開き、信頼を持って神を探し求め続けるように」と励まされ、「神は、何一つ失われることを望んでおられない。今この瞬間も、神は私たちに永遠の命を与え、終わりのない幸福へと導こうと望んでおられるのです」と訴えられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2026年6月10日

☩教皇バルセロナ初日:「分断され、個人主義が進む現代社会で『殉教者』となれ」—正午の祈りの説教で信者たちに

(2026.6.9  Vatican News) 

 スペイン訪問中の教皇レオ14世は9日昼、空路、マドリードからバルセロナに移動され、聖十字架・聖エウラリア大聖堂で正午の祈りを捧げられ、参加した司教、司祭、修道者、信徒たちに「一致の証人であり預言者」となるよう呼びかけられた。

Pope Leo reads his homily to those gathered in the cathedral
Pope Leo reads his homily to those gathered in the cathedral   (@Vatican Media)

 バルセロナの空港からそのまま大聖堂に向かわれた教皇は、司教、参事会員、教区関係者、修道者、神学生、大聖堂職員、ボランティア、そして大勢の若者を含む歓喜に沸く群衆によって迎えられた。そして、聖体前での黙祷の時間を過ごすため側礼拝堂に入られた後、聖歌隊が開会の賛美歌を歌う中、中央身廊へと進まれた。

 正午の祈りに先立つ説教はスペイン語とカタルーニャ語を交えて行われ、その中で教皇は、参加者たちに「花嫁」と「体」という二つのイメージについて黙想するよう招かれた。

 そして、教会は第一に「最愛の花嫁」であり、「豊かな賜物、カリスマ、そして個人的な物語に満ちたバルセロナのカトリック共同体は、その証しです」とされ、「神は、あなたがたがここにいることを望まれたのです。なぜなら、神はあなたがた一人ひとりと、あなたがたが共にいる姿の中に、唯一無二の神聖な美しさと善を見出し、愛しておられるからです。 神は、今日、バルセロナにある聖徒の交わりを代表する者として、あなた方を選ばれたのです」と説かれた。

 さらに、教会が「神に先立ち、神から発する愛の行為の果実」であることを強調され、「これは、教会が何よりもまず、謙虚で感謝の心を持ち、神に愛されることを許すことによって成長することを意味すします。なぜなら、神に愛されることを許す者だけが、他者と共に愛の業を築くことができるからです」と語られた。

 続いて、第二のイメージである「体」について考察され、「私たちは皆、キリストと一つの体。強い肢体もあれば、弱い肢体もあります」とされたうえで、「教会の構成員の中には、目に見える形で、外の世界に明らかになる役割を果たしている人がいる一方で、隠れた存在として、内側から働き、時には誰にも気づかれることなく、休むことなく不可欠な役割を果たしている人もいます」と述べられた。

 そして、このような多様性の中で、一致を最優先するよう促され、「私たちは一致しているからこそ強く、同じ御霊に動かされているからこそ一致しているのです」と強調。戦争や分裂に引き裂かれた世界、そしてますます分断され、個人主義が進む現代社会で、教皇はキリスト教徒に対し、「殉教者」となるよう促された。「それは、犠牲や放棄を払うことになっても、一致、受け入れ、調和、そして平和の『証人』であり『預言者』となることです」。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2026年6月10日

☩教皇マドリード訪問4日目:「キリスト教徒は世界に『無私の精神という酵母』をもたらすように」—ボランティアたちとの集い

(2026.6.9 Vatican News   Devin Watkins)

 スペイン訪問中のレオ14世教皇は9日朝、マドリードのIFEMA第3パビリオンで、今回の訪問の準備に加わったボランティアたちと面会され、「世界に『無私の精神という酵母』をもたらすように」と励まされた。

 あいさつで教皇は、彼らの奉仕に対し心からの感謝を述べ、「あなたがたの努力は、主、教会、そして教皇への愛からなされたもの』と語られ、ボランティア募集の呼びかけに即座に応じ、必要人数をはるかに上回る人々が時間を捧げてくれたことを強調された。多くの人々が仕事を休んで参加し、また数か月にわたりフルタイムで献身し、教皇の来訪に備えた。

 教皇は、「皆さんは一人ひとりが、心、手、アイデア、才能、そして笑顔を捧げ、できる限りのことをしてくれました。神が、神だけがご存じの方法で、皆さんに報いてくださいますように!」と述べられ、世界中のキリスト教徒に対しても、「『無私の精神という酵母』を世界に広めましょう」と呼びかけられた。

 そして教皇は、イエスの「パン種」のたとえ話を引用し、「ボランティアたちの寛大さは、キリスト教徒が他者への配慮をもって『社会』という生地を膨らませる方法を知っていることを示しています… 無私の精神は、社会の人間的、倫理的、そして霊的な側面を成長させるパン種のようなものであり、『神の都』を特徴づける要素です」とされ、「自己利益と利益追求に満ちた今の世界で、キリスト教徒は、たとえ見返りを期待できない人々のために善を行うことになろうとも、人間としての総合的な発展につながるような考え方と生き方を実践しなければなりません。イエスは、パン種のように『天の御国』をこの世にもたらし、ご自身の犠牲と聖霊の炎によって、病める人類を癒してくださるのです」と説かれた。

 さらに、「ご自身の死と復活の後、イエスは同じ聖霊の力によって弟子たちを遣わし、この世において愛と正義と平和の御国のしるしであり、その道具となるよう命じられました… キリスト教徒は説教を通じて、しかしとりわけ福音にかなった生き方を通じて、神の国を広めるのです」と述べられた。

 また、ボランティアたちの寛大さに改めて感謝された教皇は、「神の愛に満ちた彼らの働きが、マドリードを神の国に近づける助けとなりました」と讃え、「すべては神の恵みによります! ここに秘密があります。太陽や星々を動かす神の愛は、『主イエス』に出会った人々の心をも動かすのです。それは、主ご自身が『与えることは受けることよりも幸いだ』と言われたからです」と諭された。

 最後に、教皇は、ご自身の訪問の準備にあたってくれたボランティアたちに対し、「この数日間での経験を、謙虚さ、揺るぎない信仰、そして奉仕における寛大さをもって、日々の生活の中に広めていくように」と励まされた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2026年6月9日

☩教皇マドリード3日目:「急激に変化する都市の心に語りかける『希望の交響曲』となれ」-大司教区共同体の集いで信者たちに

(2026.6.8 Vatican News   Linda Bordoni)

 スペイン訪問3日目の8日夜、教皇レオ14世は、マドリードのサンティアゴ・ベルナベウ・スタジアムでの大司教区共同体との集いで、約8万人の信者たちに、教区共同体の人々からの証言を引用しながら、洗礼、シノダリティ、そして福音宣教について語られ、「急激に変化する都市の心に語りかけることのできる『希望の交響曲』となるように」と呼びかけられた。

 教皇の挨拶に先立ち、教区共同体の代表者たちが、マドリードの教会の多様な現実を反映したそれぞれの証しの努力を語った。発言者には、教区の活動に携わる信徒、司牧評議会のメンバー、教区司祭、教会で受け入れと支援を受けた移民家族、そして最近洗礼を受けた若者が含まれていた。信仰、奉仕、見極め、受け入れ、回心に関する彼らの物語は、現代の都市社会における教会の交わり、福音宣教、そして宣教の召命について教皇が語った考察の、生きた背景となった。

 

*教会は「ポリフォニー*の芸術」を学ぶ共同体、違いを消し去らず、調和へと導く

 信者たちの証言をお聴きになった教皇は、この夜を「信仰の偉大な賛歌」と表現され、教会生活を理解する一つの方法として「歌と調和」のイメージを提示したマドリード大司教ホセ・コボ・カノ枢機卿に感謝されたうえで、「数字やデータ、事実だけでは共同体を築くには不十分です… 私たちの心が歌わねばなりません」とされ、音楽の象徴性を引き合いに出し、教会を「ポリフォニー*の芸術」を学ぶ共同体とし、「それは、違いを消し去るのではなく、それらを調和へと導く統一性です」と語られた。

*注*複数の独立した旋律(声部)が、それぞれ主役として対等に絡み合いながら進行する音楽の形式

 

 

*慣れ親しんだ輪の中に閉じこもろうせず、「都市の中心」に踏み出せ

 また教皇は、集い参加者が証言で述べた「洗礼の変革力」を取り上げ、「信仰は個人の人生だけでなく、賜物や才能の捉え方さえも変えます… かつては私的な賜物であったものが、共通善への奉仕に向けられるようになるのです」と語られた。

 さらに、Pope Leo XIV at the Bernabéu Stadium in Madrid多様性と交わりの関係について考察され、先に出された回勅「Magnifica Humanitas」を引用する形でエルサレムの城壁再建で共同体を一つにまとめた聖書の登場人物ネヘミヤを取り上げ、「今日のキリスト教徒もまた、傾聴、対話、そしてsinodality(共働性)を通して、『違い』を資源に変えるように求められています』と指摘。

 「この課題は、多様な文化、伝統、経験が交差するマドリードのような大都市において特に差し迫ったもの。大都市は、福音宣教にとって独自の機会を提供する一方で、教会に新たな問いを突きつけている」と語られ、信者たちに対して、「慣れ親しんだ輪の中に閉じこもろうとする誘惑に抵抗し、新たな文化的物語や社会的現実が形作られつつある『都市の中心』へと踏み出すように」と促された。

 さらに、「都市の中心に到達するために、真理は交響曲のようなものであり、常に私たちを超越している、という意識を育まねばなりません」と注意された。

*たとえ一握りの「親切」でも、多くの人々の恐れを乗り越える力となる

 この文脈において、教皇は、「親切さ」をキリスト教の証しの不可欠な側面として強調。「断片化、不確実性、孤独に彩られることが多い社会で、人々が真の人間的な出会いから切り離されてしまえば、福Pope Leo XIV at the Bernabéu Stadium in Madrid音宣教が効果を失う危険性がある」とされたうえで、「マドリードの豊かな多様性は、神の憐れみが例外なくすべての人を包み込んでいることを示している。教会の使命は、イエス・キリストに現された『命の充満』への普遍的な招きを可視化することにあります」と説かれた。

 そして、移民の家族が語った「教会に受け入れられた経験」を取り上げ、多くの人々が偏見や失望によって形作られた恐れを抱えてキリスト教共同体へと近づいてくることに言及。「たとえそれがほんの一握りの人々から発せられるものであっても、『親切』によって、多くの人々が恐れを乗り越えられる」と強調された。

 

 

*教区や教区司牧評議会が単なる”行政機構”に矮小化されないように

 

 教皇はまた、教区および教区司牧評議会の役割の重要さを指摘され、「単なる”行政機構”に矮小化すること」への警戒を促され、「これらは、共同の識別を行う特権的な場。信徒たちが共に聖霊の声を聞き、主が現代の課題にどう応えるよう教会に呼びかけているかを発見していく場なのです」と説かれた。

 そして、参加した司祭たちに対して、「あなたがたの司牧活動における刷新と慰めの源として、共同決定による識別の実践を受け入れるように。共同体が福音の光に照らして、社会の変化、文化の発展、そして地域の現実を解釈できるよう助けるように」と促された。

 あいさつの最後に教皇は、改めて参加者たちの証言を振り返り、「教区共同体の皆さんが分かち合った物語は、信仰と寛大さに満ちた生きた教会を明らかにしています」と讃えられ、集いの参加者全員に、「教会を見よ!(…)福音の音楽を見よ!… すべての人にとって、開かれた聖書のような存在であるように。神の言葉が、あなた方の顔と人生の中に現れるように。愛こそが、すべての人を安らぎを感じさせる言葉なのです」と呼びかけられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

2026年6月9日

☩教皇マドリード3日目:「人々を分断する壁を取り払い、平和の建設者となろう」-アルムデナ聖母大聖堂での祈りの集いで

(2026.6.8 Vatican News )

 スペイン訪問3日目の8日夕、教皇レオ14世は、マドリードのアルムデナ聖母大聖堂で行われた祈りの集いで、信者たちに対し、「人々を分断する壁を取り払い、交わり、調和、平和、そして和解の建設者となるように」と呼びかけられた。

 教皇は、マドリード大司教区の守護聖母への祈りと崇敬の意を表すため、アルムデナ聖母大聖堂を訪れた。同大聖堂には、アルムデナの聖母の尊い像が安置されている。聖母への崇敬は数世紀にわたり受け継がれており、スペインの首都の歴史と霊的生活に深く根ざしている。

*”母と民”の再開が実現したのは、まさに壁が崩れたから

 教皇は、迫害の時代にマドリードの古代城塞の壁の中に聖母マリアの像が隠され、後に壁の一部が崩れた際に無傷で再発見されたという伝統的な伝承について語られ、「母と民の再会が実現したのは、まさに壁が崩れたからでした。この出来事は、神の摂理によるもの、それはキリストが御母を通じて、今日もなお信者たちに歩むべき道を示し続けています」と語られた。

*新しく、永続的なものを築くために、壁を壊す覚悟が必要

 さらに教皇は、「壁の崩壊は当初、混乱を招くこともあるが、それは同時に新たな可能性を切り開き、再生の条件を生み出すことにもなります」とされた。そして、現代社会に目を向け、「人々を保護するどころか分断し、隔て、孤立させる多くの壁が依然として存在しています。人々は、避けたい状況と向き合うことを恐れるあまり、そうした障壁を維持したり、単に無視したりすることを好むことが多い」と指摘されたうえで、アルムデナの聖母のメッセージとは、「新しく、素晴らしく、永続的なものを築くためには、壁を取り壊す覚悟が必要だ、ということです。そうすることで、目の前の困難を越えて先を見据え、共に前進するために必要な空間が生まれるのです」と強調された。

 続いて教皇は、信者たちに対し、「信仰、愛、希望の証しを揺るぎなく保つように。父なる神の愛に満ちた計画を深く見つめるために信仰を、兄弟姉妹の一つの家族として生きるために愛を、そして世の中で使命を全うし続けるために希望を、それぞれ堅持するように」と促された。

 そして「主が民と共に歩み、善のためになされるあらゆる努力を受け入れてくださることを確信して、キリスト教徒は分裂ではなく交わりに特徴づけられた社会に貢献するよう召されているのです」と説かれた。

*信者たちがキリストと教会への愛において強められるよう、聖母マリアの取り次ぎを願う

 あいさつの締めくくりとして、教皇は「マグニフィカトの聖母」とされるアルムデナの聖母の模範と取り次ぎを求め、信者たちがキリストと教会への愛において強められるよう祈り、 「このようにして、私たちは絆を築き、交わり、兄弟愛、調和という普遍的な言葉を回復する手助けができるのです」と語られた。そして最後に、信者たちを聖母マリアの母なる慈しみに委ね、彼らを「平和と和解の建設者」となるよう助けてくださるよう祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2026年6月9日