Pope Francis takes a selfie with young people at the “Hope Happening” event in Brussels (VATICAN MEDIA Divisione Foto)
(2024.9.28 Vatican News Deborah Castellano Lubov)
ベルギー訪問中の教皇フランシスコは28日夜、若者イベント”Hope Happening”にサプライズ参加され、「常に祈り、神が私たち全員に望んでいる子供のような無邪気さと喜びを再発見するように」と呼びかけられた。
教皇は同日夕にイエズス会士たちと懇談された後、首都ブリュッセルの万博会場に集まった6000人の若者たちと夜を過ごされた。
”Hope Happening”は、フランドル、ワロン、ブリュッセルの約40のキリスト教青年会が「世界青年の日」の精神にのっとり、ベルギー司教協議会の支援を受けて企画したもの。巡礼、信仰と精神性に関する創造的なワークショップ、本物の音楽祭、キング・ボードゥアン・スタジアムで一夜を過ごすことなどが含まれている。
ご訪問を思ってもいなかった若者たちの大歓声で迎えられた教皇は、若者たちの信仰を励まし、愛によって主が彼らを導いてくださるように願われた。そして、「若者は騒ぎ立てます!」とされ、「もしあなたが、このように(座るしぐさを真似する)している若者を退屈だと感じたら、その若者は青春を逃しているのです」と語られ、「祈りで心の中に主を留めながら、常に前進するように」と若者たちを励まされた。
「祈りを忘れないでください」と繰り返された教皇はまた、その目的が「自分たちを引き上げること」にない限り、「決して、他の人を見下してはなりません」とも忠告された。
教皇は使徒的祝福を与えて会場を去る前に、会場にいた新生児に目を止められ、「幼な子の無邪気さと純粋さの感覚を取り戻すように」と促され、「あそこにいるあの(新生児)が見えますか? あなたたち全員の中で最も偉大です。『最も偉大なのは、幼な子のようになる人だ』とイエスは私たちに言われています」と語られた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
(2024.9.28 Vatican News Lisa Zengarini)
ベルギー訪問中の教皇フランシスコは28日夕、創立600 周年を祝うルーヴァン・ カトリック大学を訪問、講堂で学生たちと会見され、「希望を持ち続け、より良い未来に向けて努力し、常に学問において真実を求めるように」と激励された。
フランソワーズ スメッツ学長ら大学の幹部に迎えられた教皇は、講堂でまず、学生たちから、”共通の家”を守ることに関する回勅「ラウダート・シ」について議論するために集まった教授、若手研究者、学生らの共同作業をまとめた書簡を渡された。現在の気候危機の哲学的および神学的根源、感情とコミットメントの役割、不平等の問題、女性の立場と冷静な態度、気候緊急事態に直面した団結という 5 つのテーマに焦点を当てている。
教皇はあいさつでまず、このような書簡で将来への懸念を共有してくれた学生たちに心から感謝し、正義と真実の探求を求める彼らの「情熱と希望」を称えられた。
そして、戦争、南半球の資源と人々の無差別な搾取、および欧州諸国による植民地支配を正当化した教会の責任など、書簡で提起されたいくつかの問題を取り上げ、「宗教を支配のために悪用することは、神のイメージを冒涜的に歪曲する行為です」と強く批判。「こうした悪に直面しても、希望を持ち続けるように。希望は、決して失望させることはありません」と述べられた。
また、書簡で提起された「キリスト教と環境の関係」について教皇は、培うべき三つの態度を指摘された。一つ目は、人類に託され、私たちを「主人ではなく、地球上の客人であり巡礼者」にしてくれた神の創造物への感謝であり、二つ目の態度は使命であり、将来の世代のために創造物を守り育てる義務を果たすこと。
教皇は「環境保護の努力が、強力な経済的利益の蔓延によって妨げられ続けていること」を嘆かれ、「私たちは”客人”であり、独裁者ではありません」とされたうえで、学生たちに「思想だけでなく世界の育成についても考えるように」と説かれた。「悪魔はポケットから入り込みます。市場が優先される限り、私たちの”共通の家”は苦しみ続けるでしょう」。
そして、培うべき三つ目の態度として、教皇は、「神と人類の両方に対する忠誠心」を挙げ、人間の生活の物理的、道徳的、文化的、社会的側面を尊重し、「あらゆる形態の抑圧と他者の拒絶に反対する総合的発展」に取り組むよう促され、教会は「これらの虐待を非難し、何よりも教会のメンバー、私たち一人ひとりが正義と真実に改心するよう尽力します」と語られた。
また、「自然を育成するのではなく、操作する」ことに対して警告され、そのようになり得るものとして、優生学、サイバネティック生命体、AI(人工知能)を挙げられた。
さらに教皇は、書簡で取り上げられた「教会と社会における女性の役割」を取り上げ、ジェンダー暴力や不正義、イデオロギー的偏見の問題について言及。救済の歴史における女性の重要な役割を思い起され、「教会と社会における女性の本質」について考察。「男性と女性の間にいかなる競争の観念があってもなりません」とされたうえで、「尊厳と共有された人間性に根ざした相互尊重と協力」を強調。
「教会では、男性と女性は最初から、愛し、愛されるように求められてきました… 女性を特徴づけるもの、真に女性的なものは、合意やイデオロギーによって規定されるものではありません。尊厳自体が紙に書かれた法律ではなく、私たちの心に書かれた独自の法律によって保証されるのと同じです」と説かれた。
教皇は、学生の学問形成についても語られ、教育と文化は、共同の努力が求められるものであり、共同体社会の一部であることを念頭に置きながら、独自の学習スタイルに従うようにと、学生たちに勧められた。
また、学生に自分の学びへの動機を振り返るように、より充実した人生を送ることを目標に勉強するように促され、「仕事が人生のすべてであってはなりません」と忠告。「私たちは働くために生きるべきではない。生きるために働くべきです」と強調され、「個人的な利益のためだけでなく、公共の利益のために勉学する」必要を説かれた。
最後に、教皇は学生たちに、「学びの中で常に真実を求め、それを証しするように…真実は私たちを自由にします。それを欠いては、学びは、権力の道具、他人を支配する方法になり、もはや奉仕ではなく支配になってしまいます」と語られた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
(2024.9.28 Vatican News Devin Watkins )
ベルギー訪問中の教皇フランシスコは現地時間28日午前、ケルケルベルクの聖心大聖堂で同国の司教、司祭、修道者、司牧関係者たちとお会いになり、「苦難に遭っても、『喜びと慈しみ』という福音の価値を体現するように促された。
あいさつで教皇は、「社会のあらゆる層に福音を宣べ伝える」という教会の使命に焦点を当てて離された。そして、まず福音宣教の道について、「西洋は今、信仰の危機を経験しています」とされたうえで、「教会は後手に回ることなく、この危機に遭って、自分たちを奮い立たせ、『聖霊の道』を再発見する機会として、歓迎せねばなりません。今の危機は、私たちが、皆が歓迎する社会の枠組みの中に位置づけられたキリスト教から、『少数派』のキリスト教、あるいはもっと適切な言い方をすれば、『証し』するキリスト教に移行したことを示しています」と語られた。
そして、「イエス・キリストを愛し、神の聖なる民と密接に歩み、多様性の中に調和を求めるように」と聖職者たちに呼びかける一方、「福音の喜びの姿勢」の重要性を指摘して、「それはつかの間の楽しみを超え、暗闇や苦痛の瞬間でさえ、私たちのキリスト教徒の生活を支えるために魂の奥深くに浸透します… 心の喜びは、福音によって燃え上がります。それは、私たちが旅路で孤独ではないこと、そして貧困、罪、苦悩の状況でさえ、神が近くにいることを知ること。から来るのです」と強調。
また教皇は、「忠実を守ることが難しく思えるとき、教会の司祭たちは、キリストの示す道がどこへ向かっているかを思い起し、キリストから力を得なければなりません」と述べられた。
さらに教皇は、「神は常に慈しみ深い」として、慈しむことの重要性を強調され、「父なる神は、たとえ私たちが重大な罪を犯したとしても、私たちから愛を取り去ることは、決してありません」とされたうえで、「世俗的な観点から見ると、神の広範な慈しみは不公平に思えるかも知れませんが、神の正義はそのような思いを超越し、すべての人に、過ちを正すように、と呼びかけているのです」と説かれた。
続けて教皇は、聖職者による性的虐待の危機が「ひどい苦しみと深い傷を引き起こし、信仰の道さえも損なわせている」と指摘。「被害者の苦しみを前にして私たちの心が固くならないように、沢山の慈しみを示すことが必要。そうすれば、被害者に私たちの親近感を感じてもらえ、できる限りの援助を差し伸べることができるのです」と強調された。
最後に、ベルギーの聖職者と修道士たちが「常に神の慈しみを人々示し、最も暗い時代に信仰の光を照らしてくれたこと」に感謝を述べ、「聖霊の助けがなければ、私たちキリスト教徒は何もできません」と付け加えられた。
*注:ベルギーの教会は、最近、自身の甥2人を含む未成年者への虐待を認めて辞任したロジャー・ヴァンゲルウェ元司教の悪名高い事件など、聖職者による性的虐待スキャンダルで、特に大きな打撃を受けている。教皇の発言にはそうした現実が背景にある。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)
(2024.9.27 Vatican News Devin Watkins)
教皇フランシスコは27日午後、ルーヴェン・カトリック大学を訪問され、欧州各国からきている教員たちと会見、「真実を執拗に追求し、知識の限界を広げるように」と促された。
同大学は今年、創立600周年を迎える。会見でのあいさつで教皇は、カトリック大学が学生に総合的な教育を提供し、現在を解釈し、将来を計画することを学ぶ必要性を強調され、「大学を文化やアイデアを生み出すものとみなすのは良いことですが、何よりも人類の進歩のために真実を追求する情熱を促進するものと見なすのは良いことです」と語られた。
教皇は、福音を文化にもたらすという使命において、カトリック大学は「知識の境界を広げ」、「人生を理解し、人生について語る批判的な空間」を作らなければならないと述べた。
また、「現代社会は真実の探求を拒否し、探求への情熱を失い、快適さだけを求め、結局すべてを平等で相対的なものにしているようです」とされ、「この見方は、知的疲労をもたらし、私たちを自分自身に閉じ込める。同様に、何も疑問視しない、簡単で楽で快適な『信仰』に惹かれる危険性もあります」と忠告。 教皇はさらに、「克服しなければならない別の種類の境界は、すべてを物質的で目に見えるものに還元する『魂のない合理主義』に関係しています」とされ、「このようにして、私たちは驚嘆の感覚、驚嘆する能力を失ってしまう。その感覚とは、私たちに、なぜ私は生きているのか?私の人生の意味は何か?といった根本的な疑問に答える、その隠された真実を発見するために、私たちを駆り立てる力です」と指摘。
そして、歴代誌の「ヤベツ」という男の物語(歴代誌上4:10)を引用されて、教員たちに「自分の境界を広げる」ための神の恵みを祈るよう促された。「自分の限界を知ることが、私たちを前進させ、今日の世界への開かれた窓であり続けるよう促すのです」と強調された。
教皇はまた、より良い家と真実を求める難民を歓迎したルーヴェン・カトリック大学を称賛され、「私たちに必要なのは、境界を広げ、『宗派主義』や、他人より自分を高く評価することを避ける文化です… 良き『パン種』として私たちの世界に浸透し、人類の共通の利益に貢献する文化が必要です」と説かれた。
あいさつの最後に、「弱者を気遣う思いやりのある包括的な文化を築くために協力するように」と求められ、「この炎を燃やし続け、境界を広げましょう! 真実を絶えず探求しなさい。そして、知的無気力に陥らないように熱意を弱めないようにしなさい」と促された。
(2024.9.27 Vatican Newes Christopher Wells)
ベルギー訪問中の教皇フランシスコは現地時間27日午前、首都ブリュッセルのラーケン城を訪れ、フィリップ国王を表敬され、アレクサンダー・ドゥ=クロー首相と会談された後、ベルギーの政治・経済・文化・宗教、市民社会など各界代表、同国駐在外交団など約300名と会見された。あいさつの中で教皇は、ベルギーが欧州の中心に位置し、平和の架け橋となり得ることを強調されるとともに、欧州はじめ世界中で続けている聖職者による性的虐待問題を取り上げ、「教会の恥」と非難された。
あいさつの冒頭、教皇はベルギーを、「大陸とイギリス諸島、ゲルマン語圏とフランス語圏、南ヨーロッパと北ヨーロッパの架け橋… 国土が小さいにもかかわらず、調和を広げ、争いを鎮める架け橋です」と称えられた。
そのうえで、「欧州はベルギーを必要としています。それは人々や文化、大聖堂や大学の歴史を思い起こさせるためであり、戦争、植民地主義、搾取の暗い時代を思い起こさせるためでもあります… そして、それは人々の間で平和と友愛の道を歩み続けるためなのです」と強調。「平和と調和は、一度で得られるものではないが、細心の注意と忍耐をもって絶え間なく遂行しなければならない義務と使命です」と語られた。
*教会が果たすべき使命は… 児童虐待問題対応へ確固たる決意を
教皇は、特に教会の役割についても言及され、「軽薄な熱意や暗い悲観主義ではなく、神に愛された人類は虚無に陥る運命ではなく、『永遠に善と平和に招かれている』という確信を持って、すべての人が課題や困難に立ち向かうのを助けるのが、教会の果たすべき使命」と強調。
教会が使命を遂行するにあたって、「教会員の脆弱性と欠点」、そして歴史を通じて現れる「痛ましい反証」を認識せねばならないことを率直に認められたうえで、特に「教会にとって災いとなっている児童(などへの性的)虐待の悲劇的な問題」を取り上げ、「傷ついた人々に耳を傾け、寄り添い、世界中で予防プログラムを実施する」ことで、この問題に取り組む教会の確固たる決意を強調された。
教皇はまた、20世紀中頃に広まっていた「強制養子縁組」の慣行を指摘され、その慣行は善意から行われることが多かったことを認めつつ、歴史を通じて起きた様々な悪行に関して、「たとえ文化が福音から得た価値観を巧みに利用し、苦しみや排除を引き起こす偽りの結論を導き出しているとしても、教会が常に自らの中に明快な判断を持ち、支配的な文化に決して従わない強さを見出すように」と願い、祈られた。
*各国指導者は、ベルギーの歴史から平和のために働くことを学んで
あいさつの終わりに教皇はまず、「各国の指導者がベルギーとその歴史を見て、そこから学ぶことができるように」、また「政治指導者たちが平和のために働き、戦争の危険、不名誉、不条理を避ける方法を知るように」と祈られた。
そして、訪問のテーマとされている「En route, avec Esperance」を思い起され、希望を意味する「Esperance」が大文字になっているのは、「希望が二の次ではなく、私たちの心に宿る神からの贈り物であることを示すためです」と説かれ、「皆さんとベルギーに住むすべての人々への願いを、皆さんに残したい… 皆さんが常に聖霊からのこの贈り物を求め、それを歓迎して、人生と歴史の道を希望とともに歩んでいけますように」と願われて、あいさつを締めくくられた。
(2024.9.26 バチカン放送)
26日朝ルクセンブルクに入られた教皇フランシスコは同日午後、ノートルダム大聖堂で同国のカトリック共同体とお会いになった。
出会いには、ルクセンブルク大司教のジャン・クロード・オロリッシュ枢機卿をはじめ、聖職者、修道者、信者たちなど様々な人々が参加。アンリ大公とマリア・テレサ大公妃も出席された。
初めにオロリッシュ枢機卿が、極めて世俗化した現代社会を生きる教会の苦しみと困難、希望や使命を語り、次いで、一人の若者と、教区の司牧委員会の副議長を務める女性信者、言語別コミュニティの代表者で移民の共同体に携わる修道女らが、自らの体験を語った。アッシジの聖フランシスコの生涯からインスピレーションを得たダンスが、若者たちによって披露された。
教皇はあいさつで、この出会いは、ルクセンブルクの保護者、「苦しむ人々の慰め手なるマリア」への400年の信心を記念する「聖母年」の開幕と重なっていることを指摘。「慰め」というキーワードと、今回のルクセンブルク訪問のテーマ「仕えるために」を挙げながら、「仕えること、慰めることは、イエスが私たちにくださった愛の二つの基本要素なのです」と強調され、「この二つは、イエスが私たちに託された使命であると同時に、私たちが招かれている、いっぱいの喜びへの唯一の道でもあります」と説かれた。
そして、「助けと受け入れを求めるすべての人々に開かれた『奉仕』する教会」、「世俗的社会に負けず、挑戦に対して変わることのない価値観を忠実に保ち、新たな『福音宣教』の道を見出す教会」、そして「『喜び』に満ちた信仰を持つ教会」という教会のビジョンを示されながら、ルクセンブルクのカトリック共同体を激励された。
教皇あいさつの後、ルクセンブルクの「聖母年」の開幕の祈りが唱えられ、金の薔薇が聖母に捧げられた。
ルクセンブルクへの一日の訪問を終えた教皇は、同日夜、空港での送別式を経て、次の訪問国ベルギーへと向かわれた。
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ルクセンブルクの人口は約65.4万人(2023年現在)で、宗教を信じている人の割合は、カトリック41.5%、プロテスタント5%、イスラム教2%で、全人口の4割がカトリック信者だ。教区はルクセンブルク大司教区一つで、275の小教区を持つ。また司教座聖堂であるノートルダム大聖堂は、イエズス会士ジャン・ドゥ・ブロークが設計し、1621年に献堂された。後期ゴシック様式にルネッサンスやバロック等の要素が加えられた独特なスタイルを持つ。1935年から1938年にかけて増築工事、さらに1962年から63年の間に内陣の改築が行われている。
(編集「カトリック・あい」)