・「新冷戦」を想起させるロシアと北朝鮮の動向が北東アジアの新たなリスクとして急浮上 ―日本の有識者388人が回答(言論NPO)

(2024.7.23 言論NPO)

言論NPOは、2024年9月3、4日開催の「アジア平和会議」を前に、「2024年の北東アジアの安全保障リスク」について、有識者を対象にアンケート調査を実施し、その上位10位を公表した。この調査は、言論NPOの活動に参加する有識者1000氏を対象に実施し、388氏から回答を得た。

 2024年の北東アジアの平和をめぐって、日本の有識者が最も懸念しているのは、「台湾海峡における偶発的事故」の40.7%(昨年27.4%)と「核保有国・北朝鮮の挑発的な行動」の38.9%だが、この地域に「日米韓と中ロ朝の間で、『新冷戦』を想起させる対立構造が生じ始めている」(32%)、「『包括的戦略パートナーシップ条約』に署名した露朝関係が軍事同盟の水準に上がったこと」(31.4%)の二つもそれぞれ3割を超え、関係強化が進む「ロシアと北朝鮮」の動向が北東アジアの新たなリスクとして急浮上してきていることが明らかとなった。

 さらに「韓国と北朝鮮の関係が悪化し、朝鮮半島に緊張が存在する」の20.9%を加えると、上位10位には朝鮮半島のリスクを意識する項目が4つを占めたことになる。

 これに「南シナ海における中国の行動によってフィリピンなど周辺国との間に緊張があること」が33%で続いている。

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 今回のアンケート調査では、他にも様々な項目について質問している。

 北東アジアで様々な安全保障リスクが複雑化・多様化する中で、有識者の50%と半数がこの地域は紛争や衝突が起こり得る切迫した状況にあると回答している。

2024年7月24日

・「バイデンの米大統領選撤退は、米国における「和解のカトリック」の終焉(CRUX)

(2024.7.23  Crux Staff)

ローマ 発– イタリアの神学者は、バイデン米大統領が大統領選から撤退したことは、事実上、米国における「和解のカトリック」の終焉し、教皇フランシスコの姿勢とは正反対の「ポピュリスト的かつ実質的に人種差別的な信仰」に取って代わられることを意味する、と見ている。

 神学者で、バチカンが後援する「ヨハネ・パウロ2世記念、結婚・家族科学のための神学研究所」の客員教授と務めるマルチェロ・ネリ氏は21日にニュースサイトSettimana Newsに掲載した評論で、「バイデンが次期大統領選挙の民主党候補を辞退したことは、第二バチカン公会議に触発され、多くの感動をあたえてきた米国の”カトリックの季節”の終わりを象徴するものだ」と述べた。

 また、「バイデンはカトリック教徒だが、米国の司教たちから本当の支持を受けたことはない」とも述べ、2021年1月6日の米国議会議事堂襲撃事件後の司教たちの「沈黙」は、今回のバイデンの立候補辞退に先行して、第二バチカン公会議によって始まった「長い民主主義の季節」の終わりを告げていた、とも指摘。

 「バイデン氏は、非個人主義的で非党派的な社会カトリックの最後のあがきを代表していた。国務執行の中で穏やかな調子とやり方に満ちており、最終的には一部の国民が人間生活と社会生活に対処する上で孤立してしまうような特定の主張に固執することなく、米国の社会構造の複雑さを維持し、支えることができた」と、その”功績”を振り返った。

 一方、共和党のトランプ大統領候補が、2019年にカトリックに改宗した社会保守派のJ・D・ヴァンス氏を副大統領候補としたことは、「新しいタイプの米国カトリックへの移行」を表しており、「バチカン(特に教皇フランシスコ)に象徴されるカトリックの疑念の原動力として自らを位置づける重荷と責任を、ヴァンスは引き受けることになる」と予想した。

 1942年生まれのバイデン氏は、1965年12月に第二バチカン公会議が閉幕した時、23歳で、カトリック教会に引き起こされた大変化を記憶している。だが、現在39歳のヴァンス氏にとって公会議は「教会の歴史」の一つの章だ。

 ネリ氏は、「この”非和解のカトリック信者”は、帝国主義者と同義、と言える… 教皇フランシスコの教皇職に抵抗する小集団に何百万ドルも支援し、普遍主義的なカトリック教会を、本部を米国に置く”世界的な巨大宗派”に変えるプロジェクトに従わせている」と批判。

 そして、「多くの表現において大衆主義的で、実質的に人種差別的だ」とし、「このような姿勢に、『福音の喜び』の余地はなく、あるのは、怒りと恨みだけだ。トランプを『米国を再び偉大にする救世主』と見なす米国民の一部によって巧みに操作されている」とも述べている。

 これまでのところ、このネリ氏のコメントは、バチカン内外からの、バイデン氏撤退に対する、数少ない実質的な反応の1つだ。

 ローマ時間の22日朝の時点で、バイデン撤退のニュースはまだバチカンの公式メディアで報道されていなかった。イタリア司教協議会の新聞「 Avvenire」は2つの記事を掲載し、1つはバイデン氏の撤退発表について、もう1つはカマル・ハリス副大統領が民主党の大統領候補となる可能性を扱っている。

2024年7月23日

・ウクライナ侵攻に反対のロシア正教の司祭「亡命先から”聖戦”続ける」(La Croix)

Russian Orthodox Archpriest Alexei Uminskï (Photo by Valeamicus / WIKIMEDIA/CC BY SA 4.0)
Russian Orthodox Archpriest Alexei Uminskï (Photo by Valeamicus / WIKIMEDIA/CC BY SA 4.0)

 (2024.7.5 La Croix   Malo Tresca) ロシア正教のモスクワ聖三位一体教会の主任を務めていたアレクセイ・ウミンスキー大司祭は「ウクライナとの戦いにおける聖なるロシアの勝利」の祈りをミサ中に唱えることを拒否したため、今年1月にモスクワ総主教区での司祭職を解任され、フランスに亡命した。

 現在は、パリのノートルダム・デュ・シーニュ・ロシア正教会で奉仕しているウミンスキー大司祭がLa Croixの独占会見に応じ、亡命生活、そしてクレムリン反対派への支援などについて語った。

 一問一答は以下の通り。

問: あなたは、ロシアのウクライナ軍事侵攻に公然と反対した数少ないロシア人司祭の一人です。そして、モスクワ総主教区は1月5日にあなたを職務から解任しました。これはどのように起こったのですか、そしてあなたはどう反応しましたか?

 

*「ロシアの勝利」の祈りを唱えるのを拒んだのが解任の理由

 

答 :私はモスクワ中心部のホフリの聖三位一体教区で30年近く奉仕していました。1月5日、モスクワ総主教庁の特別委員会が、「国内のすべての正教会の司祭が礼拝中に『ウクライナにおける聖なるロシアの勝利』の祈りを唱えているのに、どうしてあなたはそうしないかのか、と私に尋ねました。この委員会は、私が戦争に反対する理由を聞きたくありませんでした。そのわずか数時間後、私は、アンドレイ・トカチェフ大司祭が私の後任として教区長に就任することを知りました。ロシアの民族主義チャンネル『ツァーリ・グラード』の協力者で、ロシアで非常に人気のあるこの司祭は、モスクワ総主教庁とクレムリンを支持していることで知られています…私とはまったく正反対です!

 

*「モスクワに留まっていたら逮捕される」と警告された

 

 このことは、私と多くの教区民にとって本当にショックでした。私は後任にすべての持ち物を引き渡し、彼にとっての新しい教会、イコン、祭服、聖なる物を紹介しなければなりませんでした…この辛い決断の翌日は、正教会のクリスマスでした。私にとっては喪に服す日のように思われ、教会に行く気はなかった。妻と私はアパートに留まり、友人の司祭が家に来て典礼をし、聖体祭儀をしてくれました。出発前に、この友人は、「あなたに悪い知らせがある… 『モスクワに留まれば逮捕されるだろう』とまじめな人々から知らされた」と忠告してくれました。

 問: それであなたは、亡命を急ぎました。 その時、どのような内なるジレンマに直面しましたか?

 

 

*高齢の父を置いて、長い亡命の旅に

 

答: 私はロシアを離れたくありませんでした。特に、今年 89 歳になる父を残しては…。妻から、「でも、お父さまはあなたが海外で一人でいるのを知った方がいいか、それともモスクワにいて刑務所にいるのを知った方がいいのか、どちらです?」と問い詰められ、私は亡命を決めました。電話で脅迫も受けていたので、このままいては危険だと悟りました。それで、わずか 30 分で、小さなバッグに荷物を詰め、ジョージアに向けて出発したのです。

 長い旅が始まり、ジョージアから、イタリア、ベルギー、トルコ (ファナールでコンスタンチノープルのバルトロメオス総主教と会いました) を巡り、その後ベルギー、そして最後にフランスへと向かったのです。フランスでは、これまで (編集者注: コンスタンチノープル総主教区のフランス大都市に付属する教区で) 3 か月間奉仕してきました。

 

問: これらの試練を乗り越えるために、信仰はどのように役立ちましたか?

 

*「何も恐れるな」と言う詩編の言葉に出会い、”扉”が徐々に開かれた

 

答: 少し妙かも知れませんが、亡命することで、解放され、落ち着いた気分になりました… 生来、少し衝動的で短気な性格の私は、自分を批判したり、非難したりする人々に対して憎しみや怒りを感じなかったことに、我ながら驚きました。ジョージアに到着し、私は聖職禁止の身にもかかわらず、神、信仰、聖体拝領について語ることができると思っていました。キリスト教徒として、教会での典礼祭儀に出席を続けました。

 そして、イタリアのカトリック教会を訪問していた時に、ある”事件”が起こりました。回廊の片側への立ち入りを禁止する標識がありましたが、入り口の扉が半開きだったので、無理やり開けて入ろうとして、指を切りました。その扉の先は、礼拝堂に通じており、「何も恐れるな」という詩篇の一節が目立つように掲げられていました。私はそれを「良い兆し」と感じましたが、実際に、”閉ざされていた扉”が徐々に開かれ、パリのノートルダム・デュ・シーニュ教区での聖職の復活につながりました。私はここで非常に歓迎され、多くの教区民が礼拝に出席してくれています。

 

問: 今日、ロシア政府の方針を後ろ盾にして言説を過激化し続けているモスクワ総主教区の将来をどう見ていますか?また、ロシアの聖職者の間での(プーチン大統領やそれに組するロシア正教指導部などへの)反対勢力の状況はどうなっていますか?

 

*プーチンと強く結びついてモスクワ総主教区の将来は不明、でもロシアに残る司祭たちと連絡は欠かさない

 

答: 率直に言って、モスクワ総主教区はプーチン政権と非常に強く結びついており、これからどうなるのか、分かりません。私は、以前訪問していた政治犯に毎週月曜日に手紙を書き続けています。また、ウクライナ戦争というこの惨事を支持したくないロシアの司祭たちと連絡を取り続けています。彼らは約10人います。私たちはお互いに手紙を書き、私は彼らからニュースを受け取っています。週を追うごとに、状況は悪化しています… 中には、十分な説明もなく、単なる法令によって聖職を禁じられる人もいます。司祭たちへの制裁の手続きは迅速化され、教会の法廷に出廷することさえなくなりました。彼らは控訴する機会を奪われ、何もできない状況に置かれています。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

(注:LA CROIX internationalは、1883年に創刊された世界的に権威のある独立系のカトリック日刊紙LA CROIXのオンライン版。急激に変化する世界と教会の動きを適切な報道と解説で追い続けていることに定評があります。「カトリック・あい」は翻訳・転載の許可を得て、逐次、掲載していきます。原文はhttps://international.la-croix.comでご覧になれます。

LA CROIX international is the premier online Catholic daily providing unique quality content about topics that matter in the world such as politics, society, religion, culture, education and ethics. for post-Vatican II Catholics and those who are passionate about how the living Christian tradition engages, shapes and makes sense of the burning issues of the day in our rapidly changing world. Inspired by the reforming vision of the Second Vatican Council, LCI offers news, commentary and analysis on the Church in the World and the world of the Church. LA CROIX is Europe’s pre-eminent Catholic daily providing quality journalism on world events, politics, science, culture, technology, economy and much more. La CROIX which first appeared as a daily newspaper in 1883 is a highly respected and world leading, independent Catholic daily.

2024年7月6日

・日韓など東アジアは「世界で最も”宗教心”の薄い地域」の一つー米有力調査研究機関が調査報告

(Photo by Alan Wang / pexels.com)

(2024.6.18 La Croix   Malo Tresca)

    米国の有力調査研究機関Pew Research Centerが17日発表した世界の人々の宗教心に関する調査報告によると、香港、日本、韓国、台湾、ベトナムなど東アジアにおける人々の宗教離脱率は世界で最も高い部類に入っている。ただ、伝統的な信仰心は根強く残っている。調査は、対面インタビューがされたベトナムを除き、2023年6月から9月にかけて電話で実施された。

 報告は、「東アジアは世界で最も宗教色の薄い地域の1つであるようだ。東アジアの成人で毎日祈ったり、『宗教が人生において非常に重要だ』と答える人は比較的少ない」とし、香港、日本、韓国、台湾、ベトナムに住む東アジアの成人1万人を対象とした調査をもとに、この地域の人々の「宗教離脱率」が世界でも最も高い部類に入っている、とした。

 報告には、2008年から2023年の間に同様の調査が行われた他の国々との比較表が含まれている。それによると、宗教的伝統の中で育った香港人の37%と韓国人の35%は、現在では「どの宗教にも属していない」と答えている。一方で、ノルウェー人で同じ答えは30%、アメリカ人は20%、フランス人は13%、ブラジル人は5%となった。

 インド、トルコ、ナイジェリア、インドネシアでは、宗教的伝統の中で育った人が「後になって信仰を捨てた」という報告はなく、宗教離脱率はゼロ。これらの社会に先祖伝来の信仰と伝統的な儀式が根強く残っていることを浮き彫りにしている。

 そして、 「東アジアでも、台湾で27%、香港で61%が、『自分は無宗教だ』と答えているが、特定の宗教に属さない人々の間でも、半数以上が亡くなった先祖に供物を捧げており、10人に4人以上が神や目に見えない存在を信じ、4分の1以上が『山や川、木には精霊がいる』と答えている」と指摘している。

 日本では、回答者の70%が「過去12か月間に先祖を敬うため、または気遣うために食べ物、水、飲み物を捧げた」と答えた。ベトナムではそれより高く、86%だった。

 もう1つの注目すべき結果は、香港の成人の30%が慈悲の神”である観音に「祈ったり、敬意を表したりしている」としているのに対し、台湾では46%が「仏に祈ったり、敬意を表したりしている」と答えていることである。

 報告は、このような調査結果をもとに、「これらの社会における宗教を、人々が『宗教を持っている』と言うかどうかではなく、人々が『何を信じ、何をしているか」で測ると、この地域は、思われるよりも宗教的に活発だ」との判断を示している。

 また、「東アジアの宗教に関するデータを収集することには複雑な問題がある。学者たちがこの地域に『宗教』という概念を持ち込んだのは、わずか1世紀ほど前のことだ。『宗教』という単語の一般的な翻訳(中国語の宗教、日本語の宗教、韓国語の宗業など)は、キリスト教や新宗教運動など、『組織化された階層的な宗教形態を指す』と理解されることが多く、伝統的なアジアの精神性を指すものではない」とも指摘している。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

(注:LA CROIX internationalは、1883年に創刊された世界的に権威のある独立系のカトリック日刊紙LA CROIXのオンライン版。急激に変化する世界と教会の動きを適切な報道と解説で追い続けていることに定評があります。「カトリック・あい」は翻訳・転載の許可を得て、逐次、掲載していきます。原文はhttps://international.la-croix.comでご覧になれます。

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2024年6月18日

・菊地大司教の「アドリミナ振り返って」①~⑫完

アドリミナを振り返って①

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 4月8日から13日まで行われた日本の司教団の聖座定期訪問(アドリミナ訪問)が終わり、その後、そのままパートナーシップ70周年でケルンを訪問して帰国してから、司教と補佐司教不在の間にたまっていた様々な事柄に対処しているうちに、連休も終わってしまいました。

 遅くなりましたが、少しずつ、アドリミナについて振り返りたいと思います。

 すでに以前にも触れたように、このアドリミナ訪問は、日本の司教たちが勝手に決めて出かけていくようなものではなく、教会法の399条の1項に、教区司教は五年ごとに、教皇様に対して、自分に任せられている教区の状況を報告しなくてはならないと定められているから行われます。ただし、教皇様にお会いする必要があるので、その日程については、教皇様の予定が最優先され、訪問する司教団に選択の余地はありません。

 私にとって三回目となるアドリミナ訪問ですが、2007年は12月、2015年は3月でした。またアドリミナの方法についても、その内容はその時々で変更されます。日本の司教たちはすべて福音宣教省の管轄下にあり、司教省の管轄下にはありませんので、どのような形でアドリミナを行うのかは、福音宣教省の担当者が定めて、教皇庁大使館を通じて通知してきます。

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 前回のアドリミナ訪問で大きく変更されたのは、教皇様との個別の謁見がなくなり、司教団は全員で一度だけ、教皇様と会う形になりました。今回も教皇謁見に関しては、それを踏襲して全員で一度になりました。

 しかしながら、同時に行われるバチカンの省庁訪問については、以前は、司教団側で訪ねる省庁を定め、関係する司教だけが訪問するという形でありました。今回は福音宣教省の担当者が予定を定め、それに従って司教団全員で訪問するようにと変更となりました。

 ですから朝から、2時間ほどの刻みで、省庁訪問が入り、しかもバチカンの省庁は同じ場所にあるわけではなく、ローマ市内に点在している省庁もあり、移動に時間を費やします。特に現在は、来年の聖年に向けてローマ市内は工事だらけで、交通渋滞は以前異常に激しくなり、移動も楽ではありません。

 前回までは、省庁訪問とは、それぞれの省庁の責任者が、宣教地の司教たちに教示する時間とされて、ほとんどが、長官である枢機卿の講話で占められていました。若干、例えば典礼秘跡省などで、典礼書の翻訳の問題で具体的なやりとりになることがありましたが、それでも、ほとんどの時間が、宣教地の司教たちが教えられる場でありました。参加した過去二回のアドリミナを思い出すと、各省庁で教えの講話を受け、厳しく指導された記憶が残っています。過去の歴史的背景もあり、普段は手紙でしかやりとりのない地方の教会の司教が、指示を守って働いているのか、実際に対面して聖座が確かめる場でも会ったかと思います。

 教皇フランシスコになってから進められた省庁改革で、そのあたりが大きく変わりました。少なくともそのように実感させられました。

 教皇フランシスコは2022年3月19日に使徒憲章「PRAEDICATE EVANGELIUM 」を公布し、バチカンの省庁の刷新を始められました。同憲章の冒頭の序文には、「教会の宣教的回心は、キリストの愛の使命を反映するように刷新することを目的とする」と記され、教皇は「聖座の刷新は、教会の宣教的本姓に照らして進める」と強調しています。

 さらに教皇は、「交わり」へとすべての人を招くことが必要で、そのためにも「聖霊が教会に何を語っているかを知るために、すべての信徒、司教団、ローマの司教、そのすべてが互いに耳を傾けあい、すべてが真理の霊である聖霊に耳を傾けなくては成らない」と記しそれによってシノドス的な教会となることが重要だと指摘されています。

 その上で教皇フランシスコは、ローマ聖座の省庁は、まず教皇の宣教の使命を支える存在であり、同時に「交わり」の重要性を認識しながら、それぞれの司教の自由と責任を尊重し、さらにはそれぞれの司教の宣教の使命を支える存在となるよう改革すると明記しています。同時にそれぞれの地方教会(各教区)と司教協議会を支援することも、ローマの省庁の大切な役割であると記します。

 従って、今回のアドリミナ訪問で感じたのは、まさしくこの使徒憲章の精神に則って、各省庁がその立場を変えようと努力している姿勢でありました。バチカンの諸省庁は、宣教地の教会を教え導く立場から、シノドス的な教会として、互いに耳を傾けあう立場へと変わりつつあることでありました。

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 教皇フランシスコが、昨年10月に開催されたシノドスの第一会期にあたり、その前に行われた三日間の黙想会から始まって、第一会期すべてにわたって、バチカンの各省庁の長官や次官にも、すべからく出席するように命じたのもそのためだったと思います。

 国務長官のパロリン枢機卿でさえ、ガザでの問題が深刻化したときに多少席を外された程度で、期間中、すべてに出席され、霊における会話にも参加されていました。今回のアドリミナ訪問で感じた一番の変化は、教皇様のイニシアティブで、聖座の各省庁は、シノドス的な教会を具体的に生きようとしている姿であります。

 これまでの慣例に従って、各教区は、それぞれの教区の報告書を、昨年12月頃に教皇庁大使館を通じて提出しています。司教省と福音宣教省とで、それぞれこの報告書の項目が定められており、日本の教会は、福音宣教省の用意した項目に沿って報告書を用意しました。

 前回までは、とても細かい質問項目が並べられていたのですが、今回からは、項目は変わらないものの、内容は自由に書いて良いことになりました。統計的な数字に始まって、教区の組織や、委員会、小教区の活動などについての報告です。

 これまでは、この報告書に基づいて、各省庁が、これが足りない、ここはこうすべきだと指導するのが省庁訪問でしたが、今回は、この報告書はさておいて、まずはそれぞれの省庁が担当する事柄に関しての日本の教会の現状を聞かせてほしいというやり方に変わっていました。一応、かなり直前でしたが、訪問に出かける一ヶ月ほど前に大使館から、それぞれの省庁の訪問先では、まず日本側から数分のプレゼンをするようにとの指示があり、かなり慌てて用意をしました。私が司教協議会会長ですので、わたしと、それから事務局担当の大塚司教とで、かなり手分けをして報告書を作り、これは当日、訪問先の省庁で、まず英語で読み上げました。

(2024年5月 7日 記)

アドリミナを振り返って②

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(左の写真は、最高裁判所玄関)

 省庁訪問するときの使用言語の問題があります。通常、アジアの司教団は、どの国から来ても共通語グループは英語に分類されています。したがって、迎える省庁側も、訪問する日本の司教団も、事前に準備するレポートなどはすべて英語で準備します。

 とはいえ、日本の司教全員が英語を得意とするわけでもありません。書かれた英語の文章を読むのが得意でも、それと、聞いたり話したりする能力は別です。

 日本の司教協議会は、これまでローマに駐在する窓口として、カルメル会の和田神父様にお願いしてきました。和田神父様は、バチカン放送局などに長年勤められた方で、日本政府や皇室などの方々が教皇様を訪問するときにも、教皇庁側の通訳として立ち会うことがあるので、公式の写真などで教皇様の後ろに立っている和田神父様を見かけた方もおられることと思います。(下の写真。真ん中が通訳する和田神父様)

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 和田神父様はすでに定年を過ぎて延長しておられるので、司教団の窓口としての職務は、今回のアドリミナが最後の仕事になるのではないかと思います。和田神父様の通訳は日本語・イタリア語です。バチカンの省庁の業務上の共通語もイタリア語です。

 同時に、日本の司教団17名のうち、イタリア語が分かる方も少なくありませんが、英語と比較すると、英語の方が理解される度合いが高くなります。そこで、基本的に日本の司教団は日本語で話し、省庁側にはイタリア語で話していただいて、すべて和田神父様の通訳を間に挟むことを事前に申し合わせました。

 ちなみに教皇様は、英語は、こちらの言うことをほとんど理解しておられますが、話すことがあまり得意ではありません。国際カリタスの業務でお会いするときも、国際カリタス職員のスペイン語話者を通訳として同行させています。

 今回は、スケジュールの関係で和田神父様に同行いただけなかった未成年者保護委員会のときだけ、英語でやり取りをすることにして、私が臨時で通訳をしましたが、他は、ほぼイタリア語でのやり取りになりました。

 さて、すでに記しましたが、以前のアドリミナでの省庁訪問は、教えられる場でありました。訪問しているこちら側の発言は、ほとんど省庁側からの質問への答えくらいで、あとはひたすら長官などの枢機卿たちの「講話」に耳を傾けたり、省庁の担当者の「教え」を拝聴することで時間が過ぎていました。具体的なことを書くのは憚られますが、省庁訪問の場で、突然に日本の教会のために決められたことを告げられるこImg_20240409_101745864とさえありました。もちろん事前の相談はありません。既述の通り、それも少しずつ変わりつつあります。

 シノドス的な教会のあり方を目指した改革に加えてもう一つ大きな変化は、以前は省庁の担当者といえば、長官の枢機卿と次官の大司教、そしてその他の役職者もすべて司祭やモンセニョールで、裁判所のような雰囲気のところが大多数でしたが、今回は、様々な省庁で、信徒や特に女性の役職者が明らかに増え、それとともに、穏やかな雰囲気が強まっていたことです。

 例えば、総合人間開発省の次官は、シスターAlessandra Smerilli。(左の写真。総合人間開発省で。向かって左から二番目がシスターアレッサンドラ。三番目が長官のチェルニー枢機卿)

 奉献使徒的生活省の次官は、シスターSimona Brambilla、いのち・信徒・家庭省の次官補(Under Secretary)は、Linda GhisoniさんとGabriella Gambinoさん。(右の写真はいのち・信徒・家庭省。向かって右端がギソーニさん。左から二番目がガImg_20240409_090813679ンビーノさん。一人おいて長官のファレル枢機卿)

 シノドス事務局の次官補が、シスターNathalie Becquart。いまシノドスを進めるために重要な役割を果たしているシスターナタリーです。(左下の写真。シノドス事務局で。向かって一番右がシスターナタリー。その隣が長官のグレッグ枢機卿)まだまだ少ないものの主な女性の役職者です。

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 さらに広報省は長官が信徒の男性でPaolo Ruffiniさん。訪問で出かけたときに対応してくださるメンバーで、女性と信徒の割合が一番高かったのが広報省と未成年者保護委員会でした。(右下の写真は広報省で。向かって右から三人目がRuffini長官)

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その他にも、 今回は訪問の対象ではありませんでしたが、バチカン市国政庁の次官にシスターRaffaella Petriniもよく知られています。長いこと、福音宣教省でも働いておられたシスターです。

(2024年5月 8日 記)

アドリミナを振り返って③

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今の時期は円安ですし、そもそもヨーロッパのホテルはお安くはありませんし、バチカンの近くとなるとなおさらです。そこで、バチカンに近いところにある、かつてはバチカンで働く聖職者の宿舎として建てられた施設に、司教団全員で泊めてもらいました。

サンタンジェロ城(右の写真)の近くにあるこの聖職者の宿舎は、ホテルとまでは言わないものの、現在では空いている部屋を利用して、巡礼者や、私たちのように会議や訪問でバチカンを訪れるグループを、市内のホテルより比較的に安く泊める施設として運営されています。

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もともとバチカンで働く聖職者のための宿舎ですから、立派な聖堂がありミサを捧げることができますし、事前にお願いすれば、もちろんそれぞれ有料ですが、朝食だけでなく昼食や夕食を取ることもできます。

以前2015年のアドリミナでもこの施設に泊まったことがありますが、その当時に比べて、インターネットのつながりが格段に良くなっていたことだけは、大きな変化として気がつきましたし、昼食や夕食のお願いも部屋にあるQRコードを読み込んでスマホからできるようになっていました。(左の写真は宿舎の聖堂で朝ミサを司式する中野司教様)

 

各省訪問の一日目・・

さて、それでは省庁訪問ではどんな話がされたのでしょう。

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第一日目、月曜日の最初は、午前9時から、聖職者省へ出かけました。聖職者省の長官は、韓国出身のラザロ・ユ枢機卿様で、日本の司教の多くは、以前からの知り合いです。(右の写真、右がラザロ枢機卿様)

宣教地(日本のような)の司祭養成のための神学校は、いくつかの省庁の管轄下にあります。まず全体の設置や運営の許認可は福音宣教省です。そして、司祭の養成に関しては聖職者省が管轄します。さらに司祭の養成の知的側面に関しては文化教育省になります。全くもって、大変複雑です。

聖職者省では、神学院司教委員会の委員長である大塚司教様が、4月1日に始まった二つの神学院を統合した日本カトリック神学院について、説明をいたしました。その上で、それに伴う様々な規約の改正について、また、現在司教団が整備し、また実際に始めた、司祭の生涯養成のプログラムなどについても説明をしました。

聖職者省からは、特に司祭の生涯養成(神学院での初期養成からはじまり、叙階後の生涯にわたる養成まで)の重要さについて、お話があり、新しく開校した日本カトリック神学校の発展とさらなる召命の発掘についての期待が表明されました。

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続いて10時45分から、今度は文化教育省を訪れました。文化教育省の長官は、ホセ・メンドーサ枢機卿様。ポルトガルの出身です。(左の写真は司教たちと握手して回るメンドーサ枢機卿)

聖職者省に続いて、文化教育省でも神学院についての話題になりました。神学院は日本の法律上の学校ではありませんから、学位を取ることはできません。しかし神学院での初期養成の間に、日本で言えば学士にあたる教会上の資格を取得しておかないと、その先にどこかに留学することが難しくなります。また教会内のいくつかの役職のためには、教会上のそういった教育の資格を持っていることが必要になる場合もあります。

そこで、世界中の神学院では、特に自らが大学ではない神学院では、教皇庁立の神学部と提携関係を結び、その神学部から教会上のいわゆる学士などの資格を与えてもらうようにしています。東京カトリック神学院では、これまでローマにあるウルバノ大学と提携していましたが、新しい日本カトリック神学院となることで、この提携関係をあらためる必要があります。そのための具体的な情報交換が行われました。

さらに学校教育委員会の委員長である前田枢機卿様から、日本におけるカトリック学校の実情についての説明があり、司祭や修道者の減少に伴って、学校の現場から司祭修道者が見えなくなっている現実の中で、カトリックとしてのアイデンティティをどのように保っていくのかについて、意見の交換をしました。もちろんこれは長期的課題ですし、日本だけの問題ではなく、すでにかつてキリスト教国であった国でも今やカトリックとしてのアイデンティティをどのように保つかは大きな課題となっているというような内容でした。

また文化教育省からは、大阪万博について日本ではどのような取り組みがなされているのかについての質問がありました。前田枢機卿様から、大阪で取り組んでいる内容について説明をしましたが、すでに文化教育省が承知して進めていることがいくつかあることも確認されました。なお大阪万博への対応についても、バチカンの複数の省庁が関係しており、窓口は一つではないことが、私個人的には複雑な感じがいたしました。

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第一日目のお昼12時から、今度は国務省へ向かいました。同じ時間に奉献使徒的生活省も入ってしまっていたため、そちらには山野内司教様やアベイヤ司教様など数名が回りました。(右の写真は、国務省の会議室で、ギャラガー大司教の到着を待つ司教たち)

国務省は、他の省庁と違って、教皇宮殿の中にあるので、そこまでたどり着くのが容易ではありません。スイス衛兵によるいくつかのチェックポイントを通過して、やっと国務省へつながるエレベーターまでたどり着きます。もちろん事前に通知してあるので、スイス衛兵の手元には、誰が何時にどこへ行くのかがすべて記した一覧があり、その一覧を見てのパスです。

パロリン枢機卿は海外出張中で不在のため、国務次官のギャラガー大司教とお会いすることになりました。そのギャラガー大司教も、報道されているとおり、ヴェトナムを公式に訪問されるため、ローマを出発する直前でしたが、じっくりと時間をとってくださいました。ギャラガー大司教は国務省のNO.3で、外務局長となっていますが、いわゆる他の政府で言えば外務大臣です。

ギャラガー大司教との面談では、まず私が司教協議会会長として、能登半島地震への国務長官を通じた教皇様のお見舞いへの御礼を伝え、2019年の教皇訪日の時に様々な尽力してくださった国務省の方々への御礼を伝え、さらに日本における移住者や難民の方々の現状と直面する困難についてお話しし、それに対する日本の教会の対応について説明し、さらに広島教区と長崎教区が中心となって進めている核兵器廃絶への運動について説明をしました。またそれぞれ関係する司教様方から、これらの話題について詳しく説明をいたしました。

ギャラガー大司教からは、特に核兵器禁止条約に国連の場で自ら署名し、バチカンが一番最初に批准した国の一つとなったことについてのお話があり、教皇様が核兵器の保有は倫理に反していると指摘されていることを繰り返され、司教団の核兵器廃絶への取り組みを進めるようにとの励ましがありました。

またギャラガー大司教からは、日本の憲法を巡る現在の政治と社会の情勢について、説明を求められました。

さらに、死刑廃止問題に関連して、特にえん罪によって死刑が執行されることへの懸念についての話となり、司教団からは袴田さんの再審についての状況を説明させていただきました。ギャラガー大司教からは、教皇様がカテキズムを書き直させて死刑廃止を強調されていることに触れて、一朝一夕で実現はできないだろうが、地道な運動が必要だという指摘がありました。

第一日目の午前中は、国務省のこの訪問で、おおよそ午後1時半頃に終了しました。この後午後に二つの訪問がありますが、それはまた後日。(この項、続きます)

(2024年5月10日 記)

アドリミナを振り返って④

 アドリミナ訪問第一日目、国務省の訪問が予想外に長くなったので、宿舎に戻って遅い昼食をとり、そのまま今度は午後3時半に諸宗教対話省へ出かけました。

 諸宗教対話省は、バチカンのサンピエトロ広場につながる大通りに面しているバチカンの省庁などが入るビルの一角にあり、ミゲル・アユソ・ギクソット枢機卿様が長官です。諸宗教対話の活動は、日本の教会も長年関わっており、京都の司教は中でも深い関わりがあるため、大塚司教様も長年にわたってこの省(以前は評議会)の委員を務めておられます。

 このたびは、所用のため枢機卿様は不在で、次官も海外に出張中ということで、NO.3のUnder Secretaryであるバタイルワ・クブヤ師が対応してくださいました。クブヤ師はコンゴ出身で、アジアで働いて経験をお持ちです。

 ここでは担当の大塚司教様から、毎年新年の神道へのメッセージやお花祭りでの仏教へのメッセージ、さらには、毎年の比叡山宗教サミットへのメッセージなど同省の関わりについて謝辞を述べ、その後、日本の司教協議会の諸宗教部門の行う啓発活動や諸宗教との関わりなどについて報告しました。さらに旧統一教会について注目される中で、いわゆる「宗教2世」の問題がクローズアップされていることなど、日本の現状を報告しました。同省でも、ミリンゴ大司教の件などがあったこともあり、この課題を注視しているので、引き続き現状を報告してほしい旨のお話がありました。

 また日本の司教たちからは、それぞれの教区での諸宗教との関わりについての現状が報告され、同省からは対話の重要性と、諸宗教者が、例えばアシジや比叡山のように、ともに集まって祈りを捧げることは素晴らしい証しになると、励ましがありました。また諸宗教の対話は、折衷主義を求めているのではなく、前の長官であった故トーラン枢機卿の言葉によれば、諸宗教対話は良い市民を生み出す源になる、なぜなら信教の自由という権利を促進するからだという趣旨の言葉もありました。

 また来年2025年は、第二バチカン公会議で「キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言(Nostra aetate)が1965年10月28日に発布されて60年の記念の年となるので、そこから学び直してさらに諸宗教対話を深めていってほしい、そのために同省は地域教会の司教たちに奉仕する用意があるとの言葉がありました。

 この日はこのあと、午後5時から、キリスト教一致推進省も入り、そこには前田枢機卿様、アベイヤ司教様、アンドレア司教様が出かけられ、長官であるクルト・コッホ枢機卿様から、40分ほど、バチカンのエキュメニズムの活動についてお話をいただきました。

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 これで一日目は終わりました。前回のアドリミナ(2015年)はスケジュールに余裕があったので、バチカン内の聖堂などをお借りして昼頃に日本語でミサを捧げることもできたのですが、今回はタイトなため、宿舎で捧げられている朝7時の定時ミサに参加することにして、ミサはバチカンで働くためにここに住んでいる共同体のミサですから、イタリア語で捧げられました。

 日本の司教団でもイタリア語でミサを捧げることのできる司教がいますので、その数名が滞在中のミサ司式を引き受けました。(上の写真は、省庁のあるビル内の象徴。長い階段。バチカンの建物は概ねどれも壮大で天井がかなり高いビルが多く、またその割に小さなエレベーターしかないため、省庁訪問は長い階段の上り降りが象徴です)

 まずは、アドリミナ訪問の第一日目に何があったのかの概要です。

(2024年5月24日)

アドリミナを振り返って⑤

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 アドリミナの二日目、4月9日の火曜日です。皆がイタリア語ができるわけではないので、朝7時の宿舎共同体のミサに参加するのではなく、別な時間に日本語でミサをしようと画策しました。

 前回までは、スケジュールに余裕があったので、日中にバチカンのどこかの聖堂などで、自分たちのミサを入れる余裕があったのですが、今回はスケジュールを福音宣教省が用意され、みっちりと詰まっていたため、残念ながら、別の時間にミサというわけにはいきませんでした。それでも、数名はイタリア語でミサを司式できる司教さんがいますので、この週は、お手伝いとして、宿舎共同体の朝7時のミサに参加して、日本の司教の誰かが司式させていただくことにしました。

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 二日目の訪問は、朝9時からいのち・信徒・家庭省から。前回2015年のアドリミナ後、2016年に信徒評議会と家庭評議会を統合してできた省で、米国出身のケヴィン・ファレル枢機卿が長官です。

 すでに最初のころの記事で触れましたが、次官は男性信徒、その次の局長(Under Secretary)がお二人の女性信徒です。(右の写真)

 ここでは、山野内司教様が、移住者が増加して教会のメンバーの大多数が外国籍信徒であるさいたま教区の事例を報告し、それにともなう結婚と家庭の抱えるさまざまな課題について報告されました。また中野司教様からは、特にプロライフなど生命を最優先にして守る活動についての日本における取組と課題の報告がありました。

 これに対していのち・信徒・家庭省からは、様々な立場からこういった課題に取り組んでいる多種多様なグループが教会内にある現実を踏まえ、教会内の対立ではなく耳を傾けあってともに歩むことが重要であるとの指摘や、その前日に教理省から発表された人間の尊厳に関する宣言「Dignitas Infinita」についての言及がありました。

 この文書の作成には同省も関わり、5年の時間をかけて出来上がったもので、いのちに対する重要な指摘があるのでよく目を通してほしい旨のお話がありました。また結婚については、教会法上の問題や国内法上の問題に立ち入ることは同省としてはできないが、しかし、結婚は単なる契約ではなく、実際には神からの召命であることを結婚しようとしている二人に理解してもらうための十分な準備コースが必要だと考えている、との指摘がありました。

 また2027年の韓国での世界青年大会への取り組みや、7月から日本では9月に移動した「祖父母と高齢者のための祈願日」への取り組みについても、同省から質問があり、それぞれの日本での取り組みやその可能性について意見を交換しました。

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 その後、10時20分に、総合人間開発省へ移動しました。いのち・信徒・家庭省と総合人間開発省は、トラステヴェレ地区にあるバチカンの飛び地、聖カリスト宮殿にあります。ちなみにここには国際カリタスの本部事務局もある、巨大な建物です。(左の写真、聖カリスト宮殿の中庭駐車場で)

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 総合人間開発省は、2017年に開発援助評議会(Cor Unum)、正義と平和評議会、難民移住移動者評議会、保健従事者評議会のすべての業務を引き継いで設立されました。

 現在の長官はマイケル・チェルニー枢機卿。カナダ出身の方です。次官はシスター・アレッサンドラ・スメリ、局長がモンセニョール・アントニー・エポ。シスター・アレッサンドラはサレジアンシスターで、モンセニョール・アントニーは国務省で長く働いてきたナイジェリア出身の方です。

 また特に難民問題担当の局長として、スカラブリーニ会のファビオ・バッジョ師も、長年こちらで働かれています。上の写真の向かって一番左がバッジョ師、一番右が、アントニー師。ちなみに国際カリタスは同省の管轄下にあるので、立場上、わたしはしばしばお会いしている方々です。

 同省ではまず、チェルニー枢機卿から総合人間開発という用語はいったい何を含んで、何を意味しているのかのお話がありました。キリストがもたらした豊かな命にすべての人が与ることができるように、経済的な発展だけではなく、十字架に根差した自己奉献による人間の発展を目指している。環境破壊、失業、搾取、人道的危機、貧困、人権の阻害、暴力、戦争などなど、人間の発展を妨げる要素を取り除くためのそれぞれの教区での取り組みを、同省では支援していきたい、という旨のお話でした。

 司教団からは、まずわたしが代表して概要以下のような報告をしました。

 司教協議会は社会の中にあって時のしるしをもみ取り教会の預言者的役割を果たすため、社会司教委員会を設置している。そこには難民移住移動者委員会、カリタスジャパン、正義と平和協議会、部落差別人権委員会、こどもと女性の権利擁護デスク、HIV/AIDSデスク、「ラウダート・シ」デスクが設けられ、それぞれの課題に取り組んでいる。今般、聖座ではこういった委員会が一つになったが、個別の課題への取り組みはどういう風に考えられ、また地域教会の諸委員会との関係はどうなっているのか知りたい。

 これに対して同省からは、日本の教会の様々な社会的課題への取り組みを評価する言葉と、同時にそれぞれの地域教会にはそれぞれユニークな社会的課題があるのだから、司教協議会の社会系諸委員会はバチカンの出先機関ではないので、バチカンのようにそれぞれの委員会を消滅させて同省のように一つにする必要はないこと、また以前と同じようにそれぞれの課題の担当者が同省にはおり、以前の諸評議会が取り組んできた課題には同省が全体として取り組んでいるので、問題があれば遠慮せずに同省に相談してほしい旨の回答がありました。

 また加えて那覇教区のウェイン司教様からは、沖縄の基地問題を取り上げて、外国軍隊が恒久的な基地を設けてほかの国の中に存在し続けていることの倫理性についての問いかけがあり、同省としても今後の検討課題とすることを承知してくださいました。

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 聖カリスト宮殿がどんなところか、二つ上の写真では分かりにくいので、同じ地点から反対側を撮影した写真が上です。アドリミナ期間中ではなく、先週の国際カリタスの会議の時の写真です。はっきりと映ってませんが某国の大統領夫人が、某省を訪問しに訪れた時の模様です。

アドリミナを振り返って

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 二日目、4月9日の午前中は、総合人間開発省を終えて、トラステヴェレ地区からジャニコロの丘を越えてバチカンまで戻り、12時半に教理省まで向かいました。 教理省の建物は、サンピエトロに向かって左手、シノドスや一般謁見の行われるパウロ六世ホールの手前にあり、入るためには司教団みんな揃ってスイス衛兵立っているゲートを通過しなくてはなりません。海外から来た司教団は入構許可証を持っていないので、事前に登録していないと通してはくれません。

 もちろん福音宣教省が手配をしてくださっているので、日本の司教団は訪問者リストに掲載されており、「全部で何人ですか」などと問われながら、ぞろぞろと左手の教理省に向かいました。Img_20240409_133843070_hdr さすがかつては異端審問などをした検邪聖省であったこともあり、歴史のある建物(通称サント・ウフィチオ)は、重々しい雰囲気でした。

 その重々しい雰囲気の建物の二階にある、さらに重々しい雰囲気の会議室に通されて、長官の登場を待つことに。長官は教皇様と同じアルゼンチン出身の神学者で、教皇様のいくつかの回勅などの原案作成者ともいわれているビクター・フェルナンデス枢機卿。 待つことしばしすると長官他が現れ、予定されていた通り、日本の司教団が用意したレポートを読み上げ始めると、もうレポートの内容は知っているから読まなくてもよい、との指示があり、それから、一時間近く、長官や次官からのお話をいただくことになりました。

 長官からは、信仰の伝達についての要点のお話のあと、ヨーロッパとは文化的背景の異なる日本における信仰の伝達について、教理省は興味をもって見ている、との話があり、どのようにキリストを伝えているのかについて質問がありました。

 司教団からは、日本の教会の現状を説明し、特にこの十数年は、東日本大震災後の復興支援への長期的な関わりの中で、具体的に目に見える形で信仰を証しする機会を得ていることを説明しました。またそういった活動を通じて、地域の共同体との交わりも深まっていることを説明しました。また社会福祉や教育を通じて、社会に深く浸透してきた背景についても説明しました。

 さらに、司教団からは事前に死刑廃止への取り組みに関連して、袴田さんのケースについても報告していましたが、長官からは死刑廃止への取り組みの重要さが改めて強調され、そのためにも前日発表された人間の尊厳についての宣言をよく研究してほしいとの言葉がありました。

 そして教理省が性虐待問題を担当していることもあり、それらについて手引書を作成している最中であるので、協力しながら、こういった問題に対処していきたいので、こまめに相談をしてほしいとの要請が、次官からありました。

 2時近くになって宿舎へ戻り、昼食をとった後、今度は夕方5時に、シノドス事務局へ出かけました。シノドス事務局は、サンピエトロにつながるコンチリアツィオーネ通りに面していますので、宿舎から歩いてすぐです。Img_20240409_170359144_20240524183201

 シノドス事務局では、長官(事務局長)のマリオ・グレック枢機卿、次官のシスター・ナタリー・ベカード、同じくルイス・サンマルティン大司教他が迎えてくださいました。 日本からはわたしが、シノドスへの取り組みと、特に3月に開催された日本におけるシノドスの集いについてパワーポイントを使って説明し、特にコロナ禍の中、教会で集まったり、大きな大会をすることができない状況であったことや、矢継ぎ早に送られてくる大量の文書の翻訳には時間がかかることなどを説明し、同時にシノドスの中心的な手法である霊における会話を、これから長い時間をかけてでも、じっくりと全国に広めていく計画であり、そのために特別チームを創設したこと、また日本での集いを行ったことで、すべての司教がこれを体験し、その重要さに目覚めたことなどを報告しました。Img_20240409_170402748

 シノドス事務局からは、各教区での体験を聞きたいとのリクエストもあり、それぞれの司教様が、ご自分の教区での体験をやご自分がシノドスのプロセスに感じていることなどを分かち合いました。

 事務局からは、これは一過性のイベントではなく長いプロセスであること、小教区の皆に参加してもらうことの大切さ、インターネットをもっと活用することの重要性についての指摘があり、また翻訳の困難さへの理解と、理論を学ぶことではなくて実践こそが重要であること、などが指摘されました。また長官からは、あらためてシノドスの道は民主主義ではなく、教会はあくまでも位階的組織であることを忘れてはならない。

 司教の権威なしにシノドスの道は存在しえないことが強調されました。また聖体祭儀において私たちは一致を体験するのだから、シノドスの道の中心にはエウカリスティアがあることを強調してほしいとの言葉があり、非常に和やかな雰囲気のうちに、訪問を終え、アドリミナの二日目は夜7時過ぎに終わりました。(2024年5月24日記)

 

アドリミナを振り返って⑦

 

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 アドリミナの振り返りの7回目、訪問時の三日目の出来事です。

 三日目となる4月10日(水)は、水曜日ですから、本来は一般謁見がある日です。これまた従来ですと、この日の午前中には予定を入れないで、アドリミナ訪問中の司教は一般謁見に参加していました。ここでも教皇様に直接個人的にご挨拶できる機会だからです。しかし今回は、すでに触れたように福音宣教省が予定を組んでくださったため、無慈悲にも、この日も朝8時半から、省庁訪問が組み込まれていました。

 実はこの日の一般謁見では、日本聖書協会が、教皇様に聖書を献呈(こちらのリンク)することになっており、当初は私も立ち会う予定でした。献上する聖書は、聖書協会共同訳の大型の講壇用聖書です。日本ではすでにこういった大型本の装丁ができなくなっており、国内で販売しているものについてもオランダの専門家にお願いしていますが、教皇様への献呈聖書はその専門家による特別装丁です。その制作過程はビデオになっています。

 私がこれに関わる理由は、日本聖書協会の理事会には長年にわたりカトリック教会から司教が理事として参加させていただいており、現在私が理事として加わり、同時に聖書協会の副理事長を拝命しています。そこで今回のアドリミナに合わせて、日本聖書協会では総主事の具志堅師がローマに渡り、一般謁見の際に私と一緒に教皇様にこの聖書を献呈しようと計画しておりました。

 ところが司教たちはその日の朝から他の省庁訪問が入ってしまい、私も一般謁見に同行できなくなったため、急遽、聖書協会の評議員でもある司教協議会の川口事務局長に同行していただくことにして、教皇庁の担当部署にお願いの手紙を出しました。その結果、一般謁見の際に一番前の列に座って、教皇様と数分面談することを許す旨を記した入場券が届き、無事に聖書を献呈することができました。

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 ケースに入った聖書をお渡しするだけのつもりでしたが、教皇様が開いて手渡すように求められ、さらにじっくりと中まで目を通されたとのことです。後で触れますが、この週の金曜日に教皇様とお会いした際に、この聖書について尋ねたところ、聖書の翻訳は大切な仕事だから力を入れるようにとの言葉をいただきました。(左の写真は聖書協会プレスリリースから)

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 さて、この水曜日の省庁訪問は、朝8時半からの典礼秘跡省で始まりました。宿舎から、サンピエトロ広場の左手にある典礼秘跡省まで歩いて行く朝の道には、一般謁見に入るための人で、長大な列ができていました。(写真右は典礼秘跡省の入り口)

 典礼秘跡省は、長官がアーサー・ローチェ枢機卿。前回2015年の時には、同省の次官だった方です。

 典礼秘跡省では、典礼委員長の白浜司教様が、日本での典礼書の翻訳について、同省の迅速な対応への感謝とともに、進捗状況を報告し、新しく出版された日本語のミサ典書をローチェ枢機卿様に献呈しました。(下の写真)

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その後意見交換となりました。どれもお互いの考えを述べるのみで、この場で結論の出るような内容ではありませんが、例えば以下のような話題でした。

デジタルでの典礼書や時課の典礼(教会の祈り)の出版について、デジタルが良いのか印刷物が良いのかについての互いの考え。世界の多くの教区で司祭不在の教会が増える中で、集会祭儀と聖体拝領の関係についてどう考えるか。第二バチカン公会議が望んだ典礼刷新を、地域教会で具体的にどう実現していくのか。

 またこの中で、司教団が望んでいる「日本205福者殉教者」の名称を、殉教者の中に含まれている日本人で最初の司祭であるセバスチャン木村を筆頭にして、「セバスチャン木村と同志殉教者」に変更することに関して、意見を交換した結果、典礼秘跡省としては問題はないので、しかるべく関係省庁に諮ることで同意しました。

 前回や前々回のアドリミナの際には、典礼書の翻訳について今以上に絶大な権限を典礼秘跡省が与えられていたため、ラテン語原文から日本語への翻訳について、日本側の翻訳原案に対して訂正を求めてかなり細かImg_20240410_085046279-1い指摘を、それも厳しく受けたことを思うと、今回の訪問は、お互いの考えを十分に述べる機会として、まだまだこれから当面の間継続する典礼書などの日本語への翻訳作業に関して、明るい見通しを抱かせる面談となりました。

 典礼については、日本語への翻訳が常に重要な課題として存在しています。それぞれの地域の教会と、典礼秘跡省がしっかりと連携して作業を迅速に進めるためにも、このように関係者が定期的に出会い意見を交換することは不可欠であることを、改めて確認しました。メールや手紙のやり取りだけでは、物事はなかなか進みません。

 

アドリミナを振り返って⑧

 

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アドリミナの振り返りの続き、八回めです。アドリミナの週、三日目の午前中の続きです。(上の写真。福音宣教省玄関にあるヨハネ23世胸像)

 朝一番の典礼秘跡省に続いて、福音宣教省へ移動しました。教会的に日本の教会は宣教地ですので、日本の司教たちは、すべて司教省ではなくて福音宣教省の管轄下にあります。アジアで司教省が管轄している司教は、フィリピンの一部を除いた司教たちだけです。

 アドリミナの説明をしていて一番難しいのは、聖座を訪問しているのは、教皇からある一定の地域の裁治権を与えられている個々の司教であって、司教団の訪問というのはありません。

 ですから、アドリミナの訪問は、司教協議会として同じ日程で一緒に来るように言われていますが、基本的にはそれぞれの司教の訪問であって、司教団のアドリミナではありません。それぞれの司教が任されている宣教または司牧の地域について、自らの責任で報告するのが、アドリミナです。もちろん、個別の課題について話し合うために、司教団が、またはその代表が、聖座を訪問することはありますが、そういった司教団の活動と、アドリミナは異なっています。

 それぞれの教区司教(とその補佐)の報告訪問であって、便宜上、日程が一緒になっているものです。100名を超える司教がいる国などでは、いくつものグループに分かれてアドリミナ訪問をしますが、そういったケースでは、司教団の訪問ではないことが明確にわかるかと思います。

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 さて福音宣教省です。福音宣教省は現在、二か所に事務所を構えています。一か所はスペイン広場の近くに昔からある、いわゆるプロパガンダ・フィデと呼ばれる役所。ここは1622年の創設です。もう一か所は、以前は新福音化推進評議会と呼ばれていた部署。こちらは2010年の創設で、サンピエトロの近くにあります。これが数年前、2022年の省庁再編で一緒になり、現在の長官は教皇様ご自身です。古くからある部署を、初期宣教部門と呼び、責任者はタグレ枢機卿様。新しい部署を世界宣教部門と呼び、フィッジケラ大司教が責任者です。

 この日訪問したのは、福音宣教省の初期宣教部門で、こちらは日本における司教の選任から教会活動の様々な点、そして日本の司教たちにとってはバチカンのコンタクト窓口になる部署です。

 サンピエトロからスペイン広場まで、一方通行の複雑な経路を、タクシーに分乗して向かいました。

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 残念ながら、タグレ枢機卿様は、所要のため海外に出かけており、ちょうどこの時間にローマにもどってくるところとのことで、この日はお会いできず、次官のフォルトゥナートゥス・ヌワチュク大司教様が対応してくださいました。(右の写真、中央)。

 ナイジェリア出身のヌワチュク大司教様は、教皇大使やジュネーブの国連代表部などに努めた外交官出身ですが、非常に落ち着いた穏やかな笑顔の方で、快く日本の司教たちを迎え、話に耳を傾けてくださいました。

 福音宣教省初期宣教部門では、まず日本の司教を代表して、私から主に以下の諸点について、現状報告をさせていただきました。

 社会全体の少子高齢化は激しく進み、教会活動にも影響を及ぼし、特に召命の著しい減少の一つの大きな要因になっていること。日本の社会の現実が、いわば神不在の相対的な価値観に支配され、宗教は従来のままの在り方ではその存在意義を失ってしまうこと。

 その中で、大規模災害の被災地での長期的な復興支援活動は、愛の業の具体的な実践による福音の証しとして大きな意味を持っImg_20240410_102410946_hdr2ていること。大阪高松教区が創設されたが、この件を決め進められた福音宣教省の意図が、日本の教会に十分に伝わったとは言い難いこと。福岡と東京の二つの神学院を合併し、東京での一つの神学院としたこと。

 教会内の様々な新旧の運動体と、それにかかわるもろもろの課題について。

 これに対して次官からは、様々な課題について、福音宣教省としては、地域教会の神の民の善益を最優先にして、補完性の原理を守りながら、対話のうちに物事進めていきたいという決意が語られました。さらに、2018年にアジアのための神学院を同省が東京に設立しようと試み、それに伴って内外で混乱を招いたことへの謝罪の言葉がのべられました。

 また海外から日本に来られている多くの宣教師の働きに、感謝の言葉がのべられました。また同次官は、各教区からの報告書に目を通すと、日本に滞在する外国籍の方が増えている中で、教会も外国籍信徒の司牧に力を入れている様子がうかがわれ、そのことを高く評価したいと述べ、加えて、イエスご自身も聖家族とともに、エジプトで移民であったし、イスラエルの民もエジプトへ、またバビロンへと移り住んだ移民であったことを考えれば、移民や難民の方々のための司牧活動は、教会にとって重要だと力説されました。

 さらに教皇庁宣教事業への献金をはじめ、それぞれの教区がほかの国の教会を支援していることが報告書に記されているが、困難の中にあってもさらに困難を抱える兄弟姉妹に手を差し伸べてくださる日本の教会に、感謝したい。

 このあと、それぞれの教区の現状などに基づいて、友好的な雰囲気で情報交換が行われ、昼過ぎには福音宣教省初期宣教部門への訪問は終わりました。

 三日目の午前中は、これで終了です。なおタグレ枢機卿様は、金曜日の昼に司教たちの宿舎までおいでくださり、昼食をともにしながら、いろいろと情報交換をする機会を作ってくださいました。

 

アドリミナを振り返って⑨

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アドリミナの振り返りの第9回目、訪問の週の第三日目、4月10日(水)の午後です。

 三日目の午後は、福音宣教省から戻り、宿舎で昼食をとった後に、午後3時から、宿舎のすぐ近くにある広報省へ向かいました。広報省は、前田枢機卿様が、枢機卿としての役割である委員(メンバー)を務めておられます。長官はパオロ・ルフィーニ博士(下の写真、向かって右から4人目)。2018年に機構改革で広報局から広報省になった時から責任者を務めておられる信徒の方です。次官はアルゼンチン出身のルチオ・ルイス神父(右の写真、向かって一番右)。

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 同省の会議室へ向かうと、司教たちの反対側には、毎日の記者会見を取り仕切っているジャーナリストの女性など、信徒女性が大勢おられます。昨年10月に開催されたシノドスの時に、毎日午後に行われた記者会見を取り仕切っていた女性ジャーナリストも来ておられました。

 同省との面談は、まず委員である前田枢機卿様の報告から始まりました。

 前田枢機卿様は、2019年の教皇訪日を契機に日本の司教協議会にも広報担当司教が任命され、酒井司教がその任に当たっていること、今後、酒井司教を中心に、司教協議会の広報や出版を、デジタル化を中心に集約し充実させる方向で検討していること、そして大阪万博においてイタリア館のスペースを使いバチカンも出展することになっているので全世界に向けてバチカンからもよく広報してほしい、などを話されました。

 同省からは、万博についての広報を強化することへの前向きな回答があったほか、紙媒体からデジタル媒体に移行するとしても、教会の広報活動にとっては神の愛を伝えることが最優先なので、バチカンと地域教会との連携を深めて、広報を充実させたい旨の発言がありました。

 また現在様々な言語で発信するために、デジタルで容易にコミュニケーションを図ることができるので、バチカンと地域教会で連携協力して発信している事例がいくつかあるが、日本語でもそれは可能だろうか。教会のコミュニケーションは一部のプロのものではなく、洗礼を受けたすべての人が情報を発信するように招かれている。互いに助け合いながら、様々な方法で情報を発信していきたい。また情報発信こそが、福音宣教につながる。などの発言がありました。

 また若者たちを中心にデジタルのネットワークを築きたいと考えているので、プロジェクトチームから呼びかける際には、日本からも積極的な参加を促してほしいという要望もありました。

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広報省で情報交換ののち、今度は少し歩いて、全員ですぐ近くにあるバチカン放送局へ向かい(宿舎の裏側)、様々な言語での発信をしている現場を説明していただきました。放送局といっても、現在の主な発信源はインターネットです。

この日の省庁訪問は、この広報省とバチカン放送局への訪問で、夕方に終わりました。この日はこの後、ローマ在住の司祭やシスター方をお招きして、司教団と夕食を一緒にしていただきました。

あと残るは木曜日と、そして金曜日の教皇様との謁見です。

(2024年5月28日)

 

 

アドリミナを振り返って ⑩

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 2024年4月8日から13日まで行われた、日本の司教たちのアドリミナ聖座訪問の振り返り、その10回目です。あと残るのは木曜日と金曜日。(右の写真は、正面に見えるサンタ・マリア・マジョーレ聖堂に向かう道で)

 繰り返しになりますが、アドリミナの義務は個々の司教にあり、それぞれが裁治権を与えられている地域(教区)について報告する義務は個々の司教にあります。

 そのため、司教たちは数か月前に(今回は昨年末12月)、それぞれの教区の報告書(前回のアドリミナ以降の統計や行事や課題)を福音宣教省のガイドラインに沿って聖座に提出しており、それは福音宣教省から各省庁に配布され、各省庁はすでに個々の教区の事情を把握していることを前提として、省庁訪問は行われます。省庁訪問は既述の通り、こちらは日本語で話し通訳を入れて行う形になりますので、例えば二時間あったとしても実質は45分程度です。

 ですから、その場で、個々の事情を説明して細かく話し合い、何かを決めるようなことはなく、どうしても省庁側の教示をいただく形になってしまいます。今回は、これも既述ですが、教皇様の指示もあり、できる限り地域教会の現状に対して省庁側が耳を傾けて、省庁側も一緒に解決の道を探るような形に変わりつつあり、今後、その方向で定着していくことが期待されます。

 もっとも事前にそのようなレクチャーがあったわけではないので、以前のようなアドリミナの省庁訪問を想定して出かけて行ったこちらとしては、準備が異なっているので、対応が十分でなかったっことも多かったと思います。いずれにしろ、アドリミナの報告は、それぞれの個別の司教様方がそれぞれのアドリミナについて責任を持って語るものであって、私の振り返りも、東京の大司教としての振り返りです。

 さて訪問の四日目、4月11日木曜日は、朝8時半から福宣教省のもう一つの部署、すなわち以前の新福音化推進評議会であった、現在の世界宣教部門を訪問しました。こちらの事務所は、スペイン広場近くのプロパガンダ・フィデ宮殿ではなく、サンピエトロの近くにあります。

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 こちらの責任者は、リノ・フィッジケラ大司教様。ローマ教区の補佐司教からラテラン大学の院長や生命アカデミーの責任者を経て、2010年から新福音化推進評議会の議長、2022年6月から現在の福音宣教省世界宣教部門の責任者になられています。(左の写真、向かって右端がフィジケラ大司教)

 この部署は、2025年の聖年、大阪万博、世界青年大会(WYD)などを担当しています。日本からは前田枢機卿様が、大阪万博への取り組みや計画、そして福音宣教省への協力を要請されました。

 フィッジケラ大司教からは、すでにアドリミナ後にバチカンから記者発表されましたが、大阪万博のためにカラバッジョの絵をバチカン美術館から出展することや、そのほかの美術品も持っていく予定であること、さらにイタリア館内に設けられるバチカンのセクションは、そのテーマを「美は希望をもたらす」として、それに関するウェブサイトも現在準備中であることが告げられました。

 また激しい世俗化が進み、宗教的な無関心が広まっている伝統的キリスト教国にあって、どのように福音を告知するかは同省一番の課題であり、同時にデジタル世界に生まれ育った若者たちにどのように福音を伝えるのか、またAIの普及する中で倫理的な問題、特に生命倫理についてどのように取り組むのかを重要な課題としているという旨のお話がありました。

 さらに青年たちに向けてカテケージスを充実させる必要は、初聖体や堅信のためではなく、キリスト者としてのアイデンティティを確立し、共同体としての意識を確立するために、必要不可欠であること、そのためにもそれぞれの教区でカテキスタを養成することの重要を強調されました。

 また2025年の聖年にかかわる様々な企画の説明もあり、とくにそれぞれの教区でも巡礼教会を設けることやゆるしの秘跡を提供することの大切さを強調され、それに伴い「いつくしみの特別聖年」の時に設けられた「いつくしみの宣教師」を日本の教会でも取り入れることを検討してはどうかという問いかけがありました。

 その後、それぞれの教区から、福音宣教の現実について、情報交換となり、大阪の万博会場でのフィッジケラ大司教との再会を願いながら、訪問は終了しました。

 この後、10時からは、すぐ近くにある列聖省の訪問です。

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 列聖省は、聖人や殉教者の認定をするための部署で、長官はマルチェロ・セメラロ枢機卿(上の写真の真ん中)。イタリアのアルバーノの司教と同時に教皇様の枢機卿会の秘書をしておられましたが、2020年から同省の長官になられています。日本の教会にとっても高山右近やペトロ岐部と187殉教者など、近年多くの福者の認定作業をしていただき、現在はその殉教者の列聖を進めていますので、頻繁にやり取りのある省庁の一つでもあります。

 日本からは列聖委員会を担当する大塚司教様から、現在の列福列聖運動の進捗状況などについて報告がありました。

 福者ユスト高山右近、福者ペトロ岐部と187殉教者、日本205福者殉教者(これについては先日典礼秘跡省で内諾を受けたように、今後手続きを踏んでセバスチャン木村司祭と204殉教者に変更する)の列聖運動を進めていること、広島教区の津和野の証し人、チマッチ神父様、北原怜子さん、永井隆夫妻、などの列福運動が、それぞれの教区や修道会、グループによって進められていること、さらに元和の大殉教400年にあたり、各地でミサなど行事を行ったことが報告されました。

 同省からは、伝統的な命をささげた殉教者に加えて、生涯のすべてをささげて福音を証しした人たちも殉教者として認める方向に進んでいること、そういった信仰の証人のリストを更新中であり、聖年にはそれに関する行事をローマ・コロセオで行いたい、また現代の殉教者、すなわち直接信仰を捨てることを強要されたのでなくても、愛と真理の証しの中でいのちを失った方々も、殉教者として十分に注目していきたい、といった旨のお話があり、また加えて、誰かを聖人にしたいので運動するというのは間違いで、聖人かどうかがその人物が天国に入った証明でもない。それは神が決めることであって、教会にとって重要なのは、その人物が多くの人の信仰生活の模範であるかどうかである、との指摘もありました。

 その後、それぞれの教区などで取り組んでいる顕彰活動や列福列聖運動についての分かち合いとなりました。

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 列聖省での訪問を終了後、タクシーに分乗して、ローマ市内にある教皇庁未成年保護委員会に向かいました。この日の12時半から、同委員会のメンバーと意見交換となりました。

 私自身は、国際カリタスの総裁として各国のカリタス関連の未成年者への加害問題への対応の関連で、前任の次官の司祭とは以前から連絡がありましたが、この3月に次官が交代となり、新しい次官にはこの日初めてお会いすることに。

 2013年末に同委員会が設立されてから責任者はボストンのオマリー枢機卿様で、もちろんボストンにお住まいですから、今回の面談にはお出でになっていません。この3月15日に次官に任命されたばかりのルイス・マニュエル・アリ・エレラ司教様はコロンビアのボゴタの補佐司教を務めておられた方です。集まってくださった委員の方々は世界各地域から任命され来られた方々で、大多数が女性です。(委員の方々のプライバシーのため、写真はありません)

 次官からは、教皇様の省庁改革によって現在のような常設委員会として設置されたこと、主な目的は、地域教会がこの課題に真摯に取り組むように助力すること、実際にケースがあった場合に教区や修道会から報告を受ける窓口となること、それを毎年、教皇様に報告することだとの説明がありました。

 日本からはこれまでの事例についてすでに報告書を送っているので、まず私から対応する中での様々な課題について分かち合いました。特に強調させていただいたのは、教区司教と修道会上長の教会法上の立場による連携の難しさと、ほかの言語圏では共通で設けられている研修施設を日本単独でどのように設置できるかの課題です。

 教区司教にとっては、教区司祭の問題を直接取り扱うことは当然として、修道会や宣教会の会員の問題に勝手に入り込むことはできません。結局、修道会や宣教会からの対応と報告を、司教は待つしかないのが現状です。教会の制度上、修道会と教区は並立する同等の立場であるためです。信徒の方々や外部の方々からは、「同じカトリック教会なのだからどうして司教が直接取り扱わないのか」という批判を頂戴しますが、今の教会の制度では、それはできません。そのため、教区司教は時に、対応の難しさに困惑することすらあります。

 これについて同委員会からは、「同じような意見が世界各国の司教から届いており、同委員会では現在、司教協議会とその国の修道会の上長協議会、そして同委員会との三者で事前に協定を結び、被害を受けた方の善益を一番に尊重して迅速に対応できるように制度を整えようとしている」との回答がありました。今後、日本でも、同委員会と連携と取りながら、「教区司教と修道会上長協議会と同委員会の協定を結ぶように、内容を含め検討してほしい」との要望がありました。

 また、「被害者と加害者にどう対応するかの問題だけでなく、そもそも加害者が生まれない教会を生み出すことが重要で、そのための霊的、医療的、精神的ケアをどのような形で進めるのか検討するのも、同委員会の重要な役割である」との説明があり、そのためにも、「司祭養成と司祭の生涯養成のなかで、セクシャリティの問題を含め、自らを知るための養成を充実させるなど、抜本的な見直しが、世界中で不可欠である」との指摘も委員の方からありました。

 なお、聖職者による性的加害に対応する部署は、未成年が被害者の場合はこの委員会が窓口ですが、それ以外の方が被害者の場合は、教理省が窓口になっており、「窓口が二つあってその二つの性格が異なっているのも、地方の司教からはわかりにくいこと」ことも、同委員会には伝えました。

Img_20240411_144214676_20240529142501 未成年者保護委員会の訪問を終え、宿舎に戻り昼食後、午後3時に、大塚司教様、中村大司教様、そして私と、三つの管区を代表して、ローマ市内にある使徒座署名院(最高裁判所)に向かいました。同時間に、前田枢機卿様はアンドレア司教様を伴って、バチカン美術館に向かい、大阪万博への協力を依頼しに行かれました。

(右の写真は、使徒座署名院の玄関に立つ大塚司教様)

 使徒座署名院では、大塚司教様から、日本の三教会管区に設置されている教会裁判所での活動について報告がされ、これに対して、特に結婚問題についての裁判がほとんどである日本の教会に、法的な対応のアドバイスをいただきました。

 また、「裁判に関わる有資格者も高齢化しているので、司祭や修道者でなくとも、信徒の男性でも女性でも、基本的な神学の学位を持っている人を教会法の資格取得のために留学させるように」との強い勧めをいただきました。

 確かに今回のアドリミナの省庁訪問でも、女性信徒の役職者の中には、教会法の修士号や博士号を取得されている方もおられ、さらにいくつかの国の教区裁判所では、男女の信徒で教会法有資格者が裁判の実務にあたっている例もあることから、日本の教会でも差し迫った検討課題です。

 これで木曜日の予定は終わり、明日金曜は、いよいよ教皇様との謁見です。

アドリミナを振り返って ⑪教皇が謁見で話されたこと

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 アドリミナの振り返りも終わりに近づきました。4月8日月曜日から始まり、公式行事としては12日の金曜日の教皇謁見までの5日間、その翌日には13日土曜日朝の聖パウロ教会でのミサまでの一週間の訪問でした。

 金曜日の朝です。福音宣教省の担当者から、必須となっている聖ペトロの墓前でのミサを、教皇謁見の前にするべきだと指導され(これまでは他の日に設定していました)、教皇謁見は司教正装の黒のスータンが不可欠ですから、早朝一番で皆黒のスータンに着替え、宿舎のロビーに集まりました。

 早朝、朝6時過ぎです。そこから歩いてサンピエトロ大聖堂まで。サンピエトロ大聖堂での朝のミサは7時15分に設定されていますので、参加してくださるローマ在住の方々の姿も、大聖堂前の広場には見受けられます。サンピエトロ大聖堂が光輝く、素晴らしい天気の朝でした。

 大聖堂でミサをするためには、まず左手の香部屋へ行かなくては成りませんが、この香部屋自体が日本の小教区教会くらいの大きさがあります。ここに至るまで二カ所の検問を通過。香部屋棟の二階の奥まったところにある別室に、事前にお願いしてあった日本の司教さんたちの人数分の赤の祭服が用意してあります。

 一体この大聖堂香部屋には、何枚の祭服があるのでしょう。シノドスの時などにも、何百枚もの同じ祭服が用意されているのを見ましたから(そういうときは、大聖堂の一部を仕切って臨時の香部屋にします)、ものすごい数の祭服をキープしているものと思います。

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 ここで着替えて、大聖堂に出ると、すでに観光客が聖堂内に。そのまま地下への階段へと進み、大聖堂地下の教皇墓所にあるペトロの墓所(大聖堂の教皇祭壇の真下)前の祭壇で、ミサを捧げました。(右の写真、大聖堂の教皇祭壇の前です。現在その天蓋を修復工事中)

 ミサ終了後、そのまま地下墓所の前方に進み出て、司教たち全員でペトロの墓前に立ち、信仰宣言を行い、使徒の後継者としての使命に忠実に生きる決意を新たにしました。

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 さて、ここからです。今の時代ですから、教皇謁見の招待状(これがないと教皇宮殿に入れてくれない)はメールに添付で送られてきますが、それによると、午前9時15分に教皇執務室(書斎)に来るようにと書いてあります(左の写真がその一部)。

 ミサが終わったのが8時過ぎ。ここから宿舎に戻って朝食では間に合わなくなるので、このまま大聖堂内を見学し、8時45分にピエタ像前に集合、そのまま大聖堂入り口を横に移動して、いくつかの関門を通過して、教皇宮殿へ向かうことにしました。

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 長い階段を上り、屋上庭園・中庭的な聖ダマソ広場に出て、広場を横切り、教皇宮殿や国務省に行くエレベーター前に到着。ここでいったん、警備が上に確認する間に待たされ、その後、エレベーターに分乗して教皇宮殿へ。(左の写真、聖ダマソ広場で成井司教様と)

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 到着すると、待ち構えていたスイス衛兵から「予定が長引いているのと、急な賓客が入ったので、しばらく待ってほしい」とのことで、枢機卿会などを行うための広間で待機することに。

 待つこと一時間、午前10時過ぎに、やっと執務室の前の前の部屋に呼ばれ、ここで教皇様の秘書官から、執務室の中に入ったら何があるか、どう行動するかの説明をいただきました。入り口で教皇様が待っておられ、挨拶をするときに公式な写真を撮影されます。

 それからしばらくして、執務室へ入るように呼ばれ、前田枢機卿様を先頭に、一人づつ順番に入室し、そこに立って待っておられる教皇様に挨拶をしながら、部屋の一番奥に設えられた会見の場に向かいます。二番目に入室した私は、東京教区のメディア司牧の成果を収めたDVDを差し上げ、さらに水曜日の一般謁見での聖書の献呈について感想を伺いました。すでに記したように、聖書の翻訳事業の重要性を改めて確認する言葉を頂戴しました。

 ここから先は、冒頭での写真撮影以外、訪問している司教たちと、通訳の和田神父様、そして同席する司教協議会の川口事務局長と教皇様だけになります。教皇様の椅子には仕掛けがあって、あるところにボタンがついていて、それを押すと、待機していた関係者が入室してきます。終わりの合図です。それが押されるまでは、訪問している司教たちと教皇様だけの時間となり、公式な記録も残されません。(ですから、以下の記録は非公式なメモに基づいた、私的な報告です)

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 以前は、冒頭で、読むか配布するかは別にして、教皇様のメッセージがあり、それに対して司教協議会会長が答礼のメッセージを読み上げていました。触れたように教皇様との謁見それ自体は公式な記録を残さないので、外に発表する際には、その教皇メッセージを元にすることになっていました。

 前回2015年の時も、教皇様は読まれませんでしたが、文章が公表されたので、それを元にして謁見内容を公表していました。ところが今回は、冒頭から教皇様がぐいぐい押してきます。「私のメッセージはないから。そちらも公式なメッセージはいらない。十分な時間をとって、日本の教会について話してほしい。必要ならそこに水もあるし、トイレはその後ろにあるから。じゃ、会長、司会して」とおっしゃるのです。これには面食らいました。こちらも、報告を用意していたのですが、すべて吹き飛びました。

 そこで、用意していた報告の項目に沿って、それぞれの関係する司教様に振って話してもらうことを思いつき、まず2019年の訪日への感謝の言葉から始めました。それに対して、教皇様は、ご自分が若い頃に日本に行きたかった話や、後に管区長時代に会員をアルゼンチンから日本に派遣した話などに触れ、日本訪問が良い記憶として残っていることを話されました。

 以下、概ね次のように話を進めました。

 まず、能登半島での地震発生時のお見舞いへの感謝を述べ、松浦司教様から復興の現状について説明していただきました。

 さらに日本の教会に「ラウダート・シ」デスクを設置し、エコロジーの課題に積極的に取り組むべく体制を整備していることを説明し、具体的に成井司教様から説明していただきました。

 続いて、訪日の際に、長崎と広島での核兵器廃絶と平和への誓いの言葉に感謝申し上げ、これに関して、シアトルやサンタフェの大司教たちと、広島、長崎の大司教たちが中心になって、核兵器廃絶の運動を進めていることを報告し、白浜司教様と中村司教様に具体的な説明をお願いしました。

 教皇様は、「核兵器を使うことだけでなくその保有自体が倫理に反している」と、改めて強調されました。

 さらに、日本におけるシノドスへの取り組みについて、私から説明しました。特に「今回のシノドスの期間が感染症の真っ最中であったために、なかなか具体的な取り組みが難しかったが、長期的な視点からこれからも慌てずに取り組んでいくこと」を伝えました。そして、高山右近など殉教者の列聖運動を進めていることに触れ、大塚司教様に具体的な取り組みについての説明をお願いしました。興味深げに列聖運動について話を聞かれていた教皇様は「さらに進めるように」と励ましの言葉を述べられた後、教皇様特有のジョークで、「話を早く進めようとして、賄賂を使っちゃだめですよ」と一言。このジョークで場が和みました。

 ここで教皇様から、日本における召命と司祭養成についての問いかけがあり、神学院常任委員長である大塚司教様から、二つの神学院が一つになった経緯や、養成のプログラムなどについて、具体的に説明していただきました。

 教皇様は、「それで、一体、神学生は何人くらいいるのですか」と問いかけられ、「大体20名以上は常におります」と答えたところ、教皇様は、「そんなにたくさんいるのか」と、驚いて見せ、「イタリアでは、もっと神学生が少ない神学校もある」と、これまた教皇様特有のユーモアたっぷりに話され、司祭養成の重要性を語られました。

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 これ以外に、大阪万博に対する教皇庁の協力へのお願い、日本語版ミサ典書が予想よりも早く認可されたことに対するお礼、世界青年大会(WYD)での経験の分かち合い、外国籍信徒が増えていることに伴う日本の教会の課題についての分かち合い、修道者召命の減少の課題などを日本の司教からお話ししました。

 那覇のウェイン司教様は、沖縄の米軍基地に関する報告をされ、その中で、外国の軍隊が他国に基地を常設することの倫理性に関する問いかけをされました。教皇様からは、その問題はこれまで注目されたことがなかったが、確かに大きな課題であるので、これから検討するに値するとの答えがありました。

 さらに教皇様からは、現在進めている「シノドスの道の歩み」についてのお話がありました。「今進めていることは何か新しいことを思いついたのではなくて、第二バチカン公会議が目指してこれまで60年以上も続けてきた神の民のあり方を実現しようとしていることである、新しい教会を作ろうとしているのではなく、聖霊に導かれている教会のあり方を見いだそうとしている。シノドス性はイデオロギーではない。民主主義でもない。皆が一つに成って教会を作りあげていることが大切です」という旨のお話でした。

 最後に、教皇様から、「喜びを失わないように。ユーモアの感覚も失わないように。喜びに満ちていないキリスト者は悲しいキリスト者だと言われる。私のために祈ってください。私も皆さんのために祈ります。どうか前進を続けて下さい」との言葉があり、教皇様はボタンを押されました。

 最後に全員で教皇様を囲んで写真を撮影し、それぞれ教皇様にお別れを述べ、執務室を後にしました。

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 この日は、朝から食事をしていないのは当然として水も飲んでいなかったので(さすがに教皇執務室で、水を飲めません)、そして教皇様と出会う緊張もあり、この週で一番気疲れした午前中でした。

 宿舎に戻り、急遽この日の昼食に同席してくださることになった福音宣教省のタグレ枢機卿様を迎えました。

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 タグレ枢機卿様からは、食事の終わりに、概要次のような挨拶がありました。

 「福音宣教省は宣教地の司教のボスではない。司教を助けるためにある。宣教地での喜びや成果、苦労や問題を、福音宣教省と分かち合ってほしい。またそういった課題にどのように取り組んでいるかも、教えてほしい。先日ヨーロッパのある司教たちとあったが、彼らは自分の国で今やカトリックは少数派になりつつあるので、福音宣教について教えてもらわないといけないと言っていた。日本の司教たちは、すでにマイノリティーとしてそのことを知っているのだから、これからは世界の教会に向けて体験を教える立場になってほしい」

アドリミナを振り返って ⑫まとめ

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アドリミナの振り返りの最終回です。

 前回、2015年3月のアドリミナが終わった後に記した「司教の日記」には、「アドリミナのスタイルが大きく変わり、地方教会に命令するバチカンから、補完性の原理を尊重し、地方教会を助けるバチカンに変わろうとしている雰囲気を感じた」と、私は記しました。

 今回はそれがさらに進んだと思います。教皇様の省庁改革の意図は浸透しつつあり、各省庁は、宣教地の教区を管轄する上部組織ではなく、地域教会を支援する組織体に変わってきています。それはバチカンの諸官庁の性格が、教会を治めるところから、教皇様の牧者としての務めを支える組織に変わりつつあるからで、一人ひとりの司教は教皇様から直接一定の地域を任されているのですから、教皇様を支える組織は、教皇様から任命された地域教会の牧者を同じように支える組織となるのは必然です。

 そうなると、現在でもその位置づけが曖昧な「司教協議会」の意味づけが今後どのように変化していくのかが、注目されます。

 現在の「司教協議会」というのは、その国の全国のカトリック教会を統轄する機関ではありません。つまり、それぞれの教区や教区司教の、上部機関ではありません。日本に15ある教区は、その他の世界中の教区と同じく、一つ一つが独立していて、教皇様に直接つながっています。ですから現行の制度では、司教協議会の会長は教区司教の上司ではありません。

 どちらかというと、司教協議会は独立した司教たちの相互扶助組織です。同じ国や文化圏の中で共通する課題(典礼書の翻訳や国家法や行政機関との関わり)に対処するための組織です。仮に教皇様が、バチカンの諸官庁がローマ司教の使徒としての働きを支え、普遍教会への共通の課題に対処するサービス機関と位置づけようとしているのであれば、教区司教たちとその地域の司教協議会との関係も同じようにしていくのかもしれません。

 シノドス的な教会のあり方を教皇様が推し進めているのは、まさしく、下部組織があって上部組織がそれを管轄するような、この世の普通の組織としての教会ではなく、キリストを中心とした神の民としての教会を目指しておられるのですから、当然の流れです。

 これまでのようなピラミッド的な組織として、上から下へ向かって管理する教会ではなく、キリストを中心として皆で聖霊の導きを識別する教会を目指すというイメージを、教皇様は実現されようとしているのは明白ですが、具体的にそれをどのような形で作り上げていくのかは、昨年10月に開かれたシノドス第一会期に参加して体感したことも相まって、まだ明確にそのイメージが固まり浸透してはおらず、ですから改革が進んでいるというバチカンの省庁でも、単に、耳を傾ける優しさが前面に出てしまっているだけと感じてしまいました。

 その次にどう発展させていくのかの道筋は、まだ、皆が模索中であることを肌で感じました。教会は変わろうとしていますが、どう変わろうとしているのかのイメージを、描き切れていないし、ですから教会全体で共有することもできていません。しばらくの間、試行錯誤が続くものと思います。

 教会の伝統として、定期的に司教たちが聖座を訪れることには、確かに巡礼として、司教個人の霊的な発展のためには意味があると思います。しかし実務的には、徐々にその意味を失っているのではないでしょうか。ある地域の司教が全員そろってローマに一週間以上滞在することの持つ意義が、時代の変化とともに変わってきているようにも感じます。確かに各省庁の責任者を個人的に知っていることには意味がありますが、必ずしも司教全員が出かけていって時間と場所を共有することが必要不可欠かどうかには疑問が残ります。

 実務的な課題は、今やメールで、とまでは言いませんが、オンライン会議でも済ませることができます。実際に集まることの意義は確かにあるので、すべてを否定するつもりはありませんが、もう少し効率化を図ることはできるようにも思います。とはいえ、私たちを教区司教として任命してくださっている教皇様に定期的に会い、報告をし、アドバイスをいただくことは、教会の歴史を振り返っても実務的にも霊的にも必要であるとは思いますので、何らかの形で、例えば全員で省庁訪問を繰り返すことなどは廃して(実務的なことは個別の機会にして)、教皇様と出会うことを中心とした信徒や司祭修道者の方々と一緒の巡礼と位置づけても良いのかもしれません。

 言葉の問題もありますし、時間の制約もありますから、今回のアドリミナで、具体的に聖座が地域教会に何を求めているのかの優先事項は明確にはなりませんでした。ただ教皇様が求めているシノドス的な教会共同体のあり方が、これから長期にわたっての最優先事項であることは肌で感じました。

 したがって今回のアドリミナの一番の収穫は、神の民としてともに耳を傾けあい、支え合いながら、ともに聖霊の導きを識別する教会共同体を実現するために、様々な視点から、長期的に継続して取り組まなくては成らないことを自覚した点にあります。それは同時に、教会が現実社会の中で抱える様々な課題に、牧者である教区の司教が責任を持って、共同体全体がその課題から目を背けることなく、積極的に関わるような共同責任を果たす共同体となるように、数多ある課題を乗り越えて実現していくことでもあります。教会は、一人教皇様のものでもなく、司教のものでも聖職者のものでもありません。教会はキリストの体です。私たち一人ひとりは、その体の部分として一致しているはずです。

 アドリミナの期間中に、司教のためにお祈りくださった皆さん、教皇様のためにお祈りくださった皆さん、ありがとうございます。これからも互いに祈り合うことで支え合い、互いに耳を傾け合いながら、聖霊の導きに信頼しつつ、一緒に歩んで参りましょう。

(完)

 

 

 

 

(編集「カトリック・あい」)

2024年5月25日

・9年ぶりの「アド・リミナ」ー森山・大分司教の報告

(2024.5.16 カトリック・あい)

 日本の司教団は4月8日から13日にかけて、ローマを訪問し、教皇フランシスコとの会見などを行った。その内容について、いまだに司教団としてまとめた具体的な報告書は出ていないが、その中で、大分教区の森山信三・司教が5月1日付けの教区報「こだま」に掲載した報告が、かなり踏み込んだ経緯と感想がのべられているので、大分教区の了解を得て、以下に全文を転載する。

・・・・・・・・・・・

 

9年ぶりのアド・リミナ

 

 全世界の司教たちは、原則5年ごとにしてペトロとパウロの墓所のあるローマを巡礼し、自分の司教区について教皇に報告することになっている。コロナ禍により延期となったため、今回は9年ぶりのアド・リミナとなった。

 日本の司教団は、それぞれの教区からローマ入りして、4月8日から13日まで、聖職者省をはじめ国務省など、10以上のバチカン内の各省を訪問した。

 以前は、自分が担当する任務の省庁だけを訪問していたが、バチカンの組織再編などもあり、全司教で各省を訪問することとなった。そのため、各省庁のトップである枢機卿や担当者との会合が、ほぼ午前中から夕方まで続くという、かなり過蜜なスケジュールであった。

 会合の中で世界的な課題として印象に残ったことは、コロナの世界的感染により教会離れが加速したこと、またグローバリゼーションに伴う個人主義あるいは他者に対する無関心などで会った。

 特に欧米では、子供が生まれても洗礼を授けない、信仰教育をしない、あるいは教会で挙式する人も極端に減少しているが、教会離れ、宗教離れが加速しているのは日本と同様だ、と感じた。

 現代の教会は、このようなチャレンジを受けているが、同時に、福音宣教省の副長官は次のように指摘した。

 「かつてキリスト教国(であった国)では、神が否定されているのではなく、神が知られていないのです。人々には神へのあこがれはある。今の時代に人々を呼び覚ます方法を考えねばなりません。方法として、音楽や芸術や美なども福音を伝える良い手段になります」。

 つまり、現代の人々は積極的に神を否定しているのではなく、知らされていない。神を探求することを止めたわけではないので、あらゆる手段を通して、人々を真理へと導くべきだ、と語ったのが印象的だった。

 12日は、聖ペトロ大聖堂の地下に眠る聖ペトロのそばでミサを捧げ、信仰宣言を唱えた後、教皇謁見の間に場を移した。教皇は、やさしい微笑で司教団を歓迎され、まず最初に「コーヒーは後ろにあります。トイレに行きたい方はおられませんか。私たちは人間ですから」と話されたのに驚いた。

 謁見は、司教たちの自由な発言に対して、教皇が丁寧に答えられる、というスタイルで一時間程度なされた。その中で、来年開催予定の大阪万博にバチカン所蔵の絵画などを出展する計画があることが話題になり、教皇が「『善』は人の心の中にありますが、『美』は人々を遠くまで連れて行ってくれます」と語られた時、先の福音宣教省の副長官が言われたことと繋がり、福音の準備として大切である、という言葉に感銘を受けた。

 また、現在進んでいる”シノドスの道”について「何か特別のことのように言われていますが、そうではありません。教会は第二バチカン公会議からこれまで60年の間、それについて考えてきたのです。シノドスをイデオロギーとして、例えば、教会の民主化運動としてとらえることは、正しくない。重要なのは、聖職者が自分の役務を適切、かつ謙虚に果たしながら、司教、司祭、修道者、信徒が一つになって、教会を作っていくことです」と語られた。

 そして、シノドスの主役である聖霊に耳を傾け、信徒だけでなく、教会の外の人々にも耳を傾け、「共に歩む教会」を目指す必要を強調された。

 教皇は謁見の最後に、「一つ申し上げたいことがあります… 喜びを失わないように。ユーモアの感覚も失わないで。ユーモアはキリスト者として生きることを助けてくれます。喜びに満たされていないキリスト者は悲しい。私のために祈ってください」と結ばれた。

 最終日は、「城壁外の聖パウロ大聖堂」と呼ばれる、ローマ郊外の大聖堂でミサを捧げた。この聖堂の創建は4世紀に遡るが、19世紀後半に火災に遭い、大半を焼失したが、ピオ9世教皇の時に見事に再建された壮大な建築である。初代教皇のペトロから現在の教皇フランシスコに至るまで、全ての教皇のモザイクと名前が刻まれていることでも知られている。

 司教一同は、教会の礎を築いた聖ペトロと聖パウロの眠るそばでそれぞれの教区のために祈り、自分たちに委ねられた務めを再確認し、その務めを忠実に果たすことが出来るよう、聖人の取り次ぎを願った。

 一週間のバチカン訪問であったが、これまでの人生の中で最も密度の濃い恵みの時をいただいたことを神に感謝し、帰途に就いた。

 

 (カトリック大分教区長・森山信三司教)

 

 

2024年5月16日

・司教団のローマ訪問、教皇に謁見、そしてケルン教区訪問終了・・菊地大司教

2024年4月20日 (土) 菊地大司教の週間大司教 アドリミナも終わり、ケルンを経由して帰国

 9年ぶりのアドリミナの訪問は4月13日に無事終わりました。4月12日金曜日は、朝7時15分から聖ペトロ大聖堂の地下にある聖ペトロの墓所の前で、司教団全員でミサを捧げました。朝早いミサでしたが、ローマ在住のシスター方をはじめ、多数の方が参加してくださいました。ミサ後には司教団全員で聖ペトロの墓所の前に赴き、信仰宣言をいたしました。(教皇謁見の写真はヴァチカンニュースの著作物です)

 その後、しばらく聖ペトロ大聖堂内で、それぞれが、各所にある脇祭壇に歴代の教皇様が葬られていますので、そこで祈りを捧げた後、再び全員でスイス衛兵の「関所」をいくつか通過し、長大な階段を上りきって聖ダマソの中庭に出て、さらに国務省などもある教皇宮殿の歴史を感じさせる木造のエレベーターで上に上がり、教皇様との謁見に出かけました。

 教皇公邸管理室からメールで送付されてきた(いまはメールできます)招待状によれば、9時15分から教皇執務室(書斎)での謁見となっていましたが、我々の前のいくつかの予定が長引いているようで、結局、一時間待機した後に、教皇公邸の方々に呼ばれ、執務室の前で待機。

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 執務室の扉が開くと、そこに教皇様が立って待っておられ、前田枢機卿様から始まって順番に一人づつ中に入り、教皇様にご挨拶。(このあたりは、バチカンのニュースサービスにある写真アーカイブに、この日撮影されたすべての公式な写真が掲載されています。

 興味のある方は、バチカンのサイトからNews serviceを探され、そこにあるphoto archiveをクリックし、さらにその先にある教皇様の写真をクリックすると、月ごとのイベントリストに到達することが可能です。面倒ですね。このリンクをクリックすると、多分日本の司教団の最初のページに到達するはずです。)

 教皇様からは、「公式なスピーチはいらないから、じっくりと話を聞かせてください」との言葉があり、「必要であれば、そこに水もありますし、トイレもありますよ」とまで。準備していった司教協議会のスピーチは、ここでは読まずじまいでしたし、以前は必ずあった教皇様からのメッセージもありませんでした。

 しかしそれから1時間以上をかけて、日本の教会の様々な出来事について、司教たちが順番に教皇様に報告し、教皇様からもいくつかの質問があり、非常にリラックスした雰囲気の中で、共に分かち合う時間をとることができたと思います。内容について記すことはできませんが、教皇様は日本の教会について、詳しく情報を事前に把握されており、具体的な質問がいくつもありました。あれだけ激務の中で、どうやって準備をされているのか、教皇様のその配慮に感銘いたしました。

 謁見の終わりに教皇様から使徒的祝福をいただきました。この祝福は、私たち司教団を通じて、日本の教会すべてに向けられた祝福です。

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 この日は、福音宣教省のタグレ枢機卿様が、私たちの宿舎においでくださり、昼食を一緒にしてくださいました。数日前の水曜日に福音宣教省を訪問したときには、タグレ枢機卿様は海外出張からローマにちょうど戻られたところで、お会いすることができませんでした。それでも日本の司教たちと会いたいとのことで、ご自分で連絡してこられ、この日の昼食を一緒にすることになりました。いつもの笑顔で優しく語りかけるタグレ枢機卿でありました。

 さて翌日4月13日の土曜日に、私はローマからミュンヘン経由でケルンに飛び、ケルン教区を訪問して参りました。(ケルンの写真は、ケルン教区のホームページからの転載です)

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 これは、東京教区とケルン教区がパートナーシップ関係を結んで今年で70年を迎えることから、当初は巡礼団を組んで、ケルンに御礼に出かける予定でしたが、昨今の円安も影響し、航空運賃が円ベースで高騰しているために、十分な参加者を得ることができずに、巡礼はキャンセルとなってしまいました。

 しかし事前にケルン教区には、アドリミナ後の4月14日に私が出かけ、ケルン大聖堂で枢機卿様と共に感謝のミサを捧げたいと申し入れて、それを受けて準備が進んでいたこともあり、行かない訳にはいきません。一人で行くのも何ですから、司祭団を代表して、前司教総代理の稲川保明神父様と、若手司祭を代表して熊坂師の二人に同行していただきました。このお二人が、訪問の記録を東京教区ニュースに書かれると聞いていますので、詳細はそちらに譲ります。

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 4月13日の夕方、ウェルキ枢機卿様や、先般東京にも来られた司教総代理のアスマン師などと共に、夕食を一緒にし、その翌日はケルン大聖堂で10時のミサを一緒にしました。カテドラル参事会の司祭団や、大聖堂の聖歌隊も参加して、荘厳なミサを捧げていただきました。この模様は、こちらのリンクからドイツ語の記事ですが、写真を見ることができます。またfacebookですが、こちらのリンクからはビデオも見ることができます。

 またこの日曜の午後にはデュッセルドルフを訪問し、聖フランシスコ・ザビエル教会で、定期的に集まっている日本人会の皆さんと、日本語のミサを捧げました。イエスのカリタス会のシスター方の修道院が隣接しています。

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 さらに月曜日にはケルンとボンの間にあるケルンとボンの間にあるブリュールという町にある聖ウルスラ高校というカトリック学校を訪問しました。

 もともとはウルスラ会が経営していた学校でしたが、現在は教区の運営に代わっているとのこと。東京のカトリック学校とのパートナーシップ関係を期待している学校です。10年生の皆さんに、学校の紹介と、日本について色々と質問をいただきました。

 東京とケルンのパートナーシップは、二つの教区の関係にとどまってはいません。25周年を記念して始まったミャンマーの教会支援は、いまも続いていますし、今後も、東京とケルンと出来る限りの力を合わせ、ミャンマーの教会を支援し続けたいと思います。

 この二つの教区の関係を始められた当時のケルン大司教、フリングス枢機卿の言葉を、今一度心に刻みたいと思います。

 「あるからとか、余力があるから差し上げるのでは、福音の精神ではありません」

2024年4月27日

・日本司教団との教皇会見は12日午前中の4つの謁見の一つ、バチカン側からも”リスト”の発表のみ

(2024.4.13 カトリック・あい)

 バチカン広報が12日夕(日本時間13日未明)に発表した教皇フランシスコが同日午前になさった個別謁見のリストによると、まず、ドミニカ共和国駐在教皇大使の ピエルジョルジョ・ベルトルディ大司教、次いで、欧州民主主義・人口委員会のドゥブラフカ・シュイカ副委員長、Papal Foundation(教皇基金)の役員たち、そして最後に「アド・リミナで訪問した日本の司教たち」となっている。

 日本の司教団の教皇との会見はバチカン放送日本語版のみが報道し、Vatican Newsには報道されておらず、教皇が日本の司教たちに何をお話になったのかなども伝えられていない。会見時間が通訳の時間を除けば、司教たちとのやり取りは長くて30分程度だったとみられ、この発表の仕方を見ても、儀礼的」なものにとどまった、とみていいようだ。

 

2024年4月13日

・教皇フランシスコが、ローマ定期訪問の日本司教団と会見

 司教団は同日早朝、バチカンの聖ペトロ大聖堂の地下聖堂で、共同司式によるミサをローマ在住の日本人カトリック共同体と共に捧げた後、バチカン宮殿で教皇との出会いが行われた。

 教皇は日本の司教たち一人ひとりを温かく歓迎され、およそ1時間にわたって、自由な雰囲気の中でお話しになり、祝福を与えられた。

 司教団は8日にローマ到着後、バチカンの福音宣教省、教理省、人間開発省など主な省や、シノドス事務局、「未成年者・弱い立場の成人保護のための委員会」などを訪問、日本のカトリック教会の現状などを報告するとともに、各省、機関から具体的な取り組みなどについて説明を受けた。

13日午前、日本の司教団はローマの城壁外の聖パウロ大聖堂(サン・パウロ・フォーリ・レ・ムーラ)を巡礼し、使徒聖パウロの墓前でミサを捧げ、バチカン定期訪問は、ほぼ終了することになる。 

 アド・リミナ(ad limina )とよばれるこの定期訪問では、「使徒たちの墓所へ」を意味するその言葉のとおり、初代教会を支え、宣教に尽くし、ローマで殉教した2人の使徒、聖ペトロと聖パウロの墓参りが行われる。

**********

 今回のバチカン定期訪問には、日本の全15教区から、以下17名の司教が参加した。※()内は司教叙階年

 前田万葉枢機卿・大阪高松大司教区・大司教(2011)/菊地功大司教・東京大司教区(2004)/中村倫明大司教・長崎大司教区(2019)/松浦悟郎司教・名古屋教区(1999) /大塚喜直司教・京都教区(1997)/ 梅村昌弘司教・横浜教区(1999)/ 勝谷太治司教・札幌教区(2013) / 白浜満司教・広島教区(2016) /ウェイン・バーント司教・那覇教区(2018) /ヨゼフ・アベイヤ司教・福岡教区(2018) / マリオ山野内倫昭司教・さいたま教区(2018) /中野裕明司教・鹿児島教区(2018) / 成井大介司教・新潟教区(2020) /  エドガル・ガクタン司教・仙台教区(2022) /森山信三司教・大分教区(2022) /酒井俊弘司教・大阪高松大司教区・補佐司教(2018) / アンドレア・レンボ司教・東京大司教区・補佐司教(2023)

(編集「カトリック・あい」)

 

2024年4月13日

・菊地・司教協議会会長から司教団ローマ訪問の中間報告

2024年4月12日 (金)アドリミナのために司教団はローマにいます

 今週、日本の司教団は全員で、ローマに滞在しています。といっても司教さんたちが一緒に旅行をしたくなったので団体旅行に出かけたとか言うわけではありません。

 教会法の399条の1項に、教区司教は五年ごとに、教皇様に対して、自分に任せられている教区の状況を報告しなくてはならないと定められているからで、その報告をいつするか、どのようにするのかは、聖座が決めると定められています。

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 私にとっては2007年、2015年に続いて、三回目のアドリミナです。今回から、聖座から指示された「どのように」の部分が、大きく変わりました。現状の司教の総数では、5年ごとの訪問は不可能となり、いまは、今回が9年ぶりであるように、7年から9年くらいのインターバルになっています。

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 以前は、日本の教会を管轄している福音宣教省と、教皇様との謁見へは、司教団全員で出かけましたが、今回からは、調整役となる福音宣教省の担当者が定めたスケジュールに従って、ほぼすべての省庁を、司教団全員で訪問することとされました。以前の時は、福音宣教省や教皇謁見以外では、それぞれの司教が担当している委員会などに対応する役所を、それぞれ訪問していました。ですから一人一人の司教がすべての省庁を訪問することはなく、スケジュールには余裕がありました。

  しかし今回は、朝8時半頃から始まって昼の1時過ぎまで、そして午後も3時くらいから6時くらいまで、ほぼ毎日、いくつもの省庁を、全員で訪問しなくてはなりません。ドレスコードもあります。省庁訪問はローマンカラーにダークスーツ。教皇謁見は司教正装です。おじさんたちばかりが黒ずくめの団体で、ぞろぞろ移動して2024adlimina06いる姿は、特にバチカンを訪れる観光客の中にあって、目立ちます。移動するのも、宿も食事も全員一緒です。

 それぞれの省庁に割り当てられた時間は、大体1時間半ほど。すべてがサンピエトロの周囲にあるのではなく、いくつかの省庁は、ローマ市内の飛び地にもあります。2025年の聖年に向けて、ローマ市内は道路やら何やらの工事中で、どこへ行っても大渋滞。移動も簡単ではありません。(なお掲載している省庁の写真は、訪問した省庁のほんの一部だけです)

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 そのそれぞれの省庁の一時間半ほどで何を話すのか。当然通訳が入りますので(省庁側はイタリア語、こちらは日本語で、相互に通訳が入ります)、実際に使える時間は半分です。まずは省庁側が、自分たちの紹介や、この数年の間に(前回のアドリミナ以降)行った通達や指示などについて説明をし、その後それに対して日本の司教団からの現状の報告を行い、最後にいくつか質問をいただいて、それに答えて、それでほぼ時間は終わります。ですので、何かテーマを決めて、話し合いをするということではありません。基本的に互いの活動の報告をして、聖座側の質問に答えているという状況です。特にこの数年は、教皇様の指示による省庁の再編成が進んでいて、前回のアドリミナの時には存在していなかった省庁や(総合的人間開発省など)、合併で役割が変更になった部署もあります。ですから、その役割について初めて聞くようなこともありました。毎日いろいろと新しいことを学んでいます。そして日本の現状も伝えることができているかと思います。

 もちろん、いくつかの省庁では、日本の司教団から、様々な課題について、対応を質問されたりもしますが、基本的には情報交換です。またいくつかの省庁では、この数2024adlimina08年間に世界中の教区に出した指示を、日本では具体的にどのように生かしているのか、様々に尋ねられたりもします。

  使徒の後継者である司教にとっては、偉大な使徒である聖ペトロと聖パウロの、それぞれの墓所である大聖堂を巡礼訪問し、ミサを捧げることは重要なアドリミナの行事です。また教皇様にお会いして、日本の教会の状況を報告することも大切です。

 今回のアドリミナでは、明日、金曜日の午前中に教皇様とお会いして、2015年以来の日本の教会の現状を報告することになっています。

  今回省庁を訪問して感じていることは、やはりローマから見るとはるか極東にある日本の教会の現状はよく伝わっていないと感じることと、同時に、教皇様の省庁改革によって、それまでの教えてやる、指導してやる、という雰囲気は、少々和らぎ(少々です)、聖座の省庁は、それぞれの教区の手助けのために、宣教活動の支援のためにあるのだということが強調されたことでしょうか。特に、前回2015年と比較しても、いくつかの省庁では信徒の専門家や女性の役職者が見られるようになり、いくつかの部署を除いて、柔軟な雰囲気が広まりつつあると感じさせられます。

  明日の教皇様と司教団の謁見、そして聖ペトロの墓所でのミサ、さらに土曜朝の聖パウロの墓所でのミサで、今回の訪問は終了です。それぞれのバチカンの省庁の皆さんから、日本の教会のみなさん一人一人の宣教活動への貢献と協力に感謝の言葉あることをお伝えします。

(菊地・日本カトリック司教協議会会長・東京大司教)

2024年4月12日

・日本の司教団のバチカン定期訪問始まる

(2024.4.8 バチカン放送)

日本の司教団は、教皇庁への定期訪問のためローマを訪れている。
日本のカトリック司教団の「アド・リミナ」(教皇庁定期訪問)が、4月8日(月)より始まった。

アド・リミナ(ad limina )とは、アド・リミナ・アポストロールム(Ad limina apostolorum)の略で、「使徒たち(聖ペトロと聖パウロ)の墓所へ」を意味する。この言葉は本来、ローマにおける使徒たちの墓を訪れるすべての信者たちの巡礼を指していたが、同時に、すべての司教が行うべき定期ローマ訪問を指すようになった。

全世界の司教がそれぞれ順番にバチカンを訪れ、教皇と出会い、地域の教会の状況や問題について報告するこの定期訪問は、基本的に5年に1度行われる。しかし、この間隔は実際には一つの目安であり、必ずしも5年ごとに行われるとは限らない。

ちなみに、今世紀に入ってからこれまでに、日本司教団のバチカンへの定期訪問は、2001年3月(当時の教皇:ヨハネ・パウロ2世)、2007年12月(当時の教皇:ベネディクト16世)、2015年3月(現教皇:フランシスコ)に行われている。

今回の日本の司教団の教皇庁訪問は、新型コロナウイルスによるパンデミックの影響もあり、実に9年ぶりとなった。

14日(日)までのローマ滞在で、司教らは、教皇フランシスコへの謁見と、使徒聖ペトロ、聖パウロのそれぞれの墓前でのミサを中心に、教皇庁の各省や諸機関の訪問等を行う。

2024年4月9日

・「私は、ベネディクト16世の選出を阻止するために使われた」-教皇フランシスコが新刊本のインタビューで2005年教皇選挙の舞台裏明かす(Crux)

(2024.4.2  CRUX  Senior Correspondent   Elise Ann Allen

Pope Francis says he was used to try to block Benedict’s election in 2005

 ローマ-教皇フランシスコは、スペイン人記者が教皇とのインタビューをまとめた「The Successor」と題する3日発行の本の中で、2005年のベネディクト16世が選ばれた教皇選挙(コンクラーベ)についての質問に答え、自身が彼の選出を阻止する”策略”に利用されそうになったが、それに抵抗し、彼に投票し、4回目の投票で選出されたことを明らかにした。

 2005年の教皇選挙は、同年4月2日にヨハネ・パウロ2世教皇がなくなったのを受けて、4月18日から19日にかけて行われた。

 この教皇選挙でベネディクト16世が選ばれた経過について「The Successor」の章は、教皇フランシスコ(当時のホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿)が、教皇選挙が終わった夜、食事に出かけたローマのアルゼンチン料理店のオーナーと友人になった経緯から始まる。

    食事を共にした司祭が、終わったばかりの教皇選挙で「ベルゴリオが教皇に選ばれそうになった」と”冗談”を言ったのをきっかけに、オーナーと友人として付き合うようになったのだが、教皇は、「あの教皇選挙で、周知の事実ですが、私は利用されたのです」と、この本の中で語った。

 選挙に参加した枢機卿たちは、選挙で起きたことについて秘密を守ることを宣誓するが、フランシスコは「教皇にはそれを語る権利があります」としたうえで、自分へ投票する動きが始まり、ある時点で、投票権を持つ115人の枢機卿のうち40人が自分を支持したことを明らかにした。

 そして、この40票は「(教皇ベネディクト16世となる)ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿の教皇選出を阻止するのに十分でした。もし私への支持が続いていたら、彼は教皇選出に必要な3分の2の得票に達しなかったでしょうから」と教皇は説明した。

 「私はそのために利用されたわけですが、彼らはその背後で、すでに別の枢機卿を教皇候補として提案することを考えていました。具体的な候補者を誰にするか、その時点で彼らの中で合意には至らなかったが、公表寸前まで来ていました」と語った。

 そして、このような動きが、教皇選挙二日目の19日朝、第2回か第3回の投票を見て、何が起こっているかに気づいたベルゴリオは、コロンビアのダリオ・カストリヨン枢機卿(2018年逝去)のそばに行き、「 私の立候補について冗談を言わないでください。私は今まさに、『そのようなことは受け入れられません』と言おうとするところなんです。 私のことは放っておいてください」と告げた。

 そして、このことがあった後、「ラッツィンガー枢機卿が教皇に選ばれたのです。私自身も彼に投票しました。当時、教皇になることができるのは、彼一人だけでしたから」と述べ、その理由を「前任者のヨハネ・パウロ2世が非常に活動的で、外国訪問にも精力的なダイナミックな教皇で、その『革命的』な教皇職が27年続いた後、教会は、健全なバランスを保つ、過渡期の教皇を求めていたのです」と説明した。

 「もし、私のように問題を起こす人間が教皇に選ばれたら、教皇として何もできなかったでしょう。 当時は、そのようなことは不可能。ベネディクト16世は教会が求める『新しいスタイル』にぴったりでした。彼の教皇職は、バチカン内部で多くの抵抗に遭い、容易なことではありませんでしたが」と付け加えた。

 また、インタビュアーの「ベネディクトの選出に関して聖霊が何を語ったか」との問いに、フランシスコは、「聖霊のメッセージは明白でした―『ここは私が仕切る。 策を弄する余地はない』です」と答えた。

 2013年に歴史的な教皇職辞任で世界に衝撃を与えたベネディクト16世は、特に伝統的なラテン語のミサ、司祭の独身制、教会の道徳神学のさまざまな側面の問題をめぐって、教皇フランシスコの”イデオロギー的な敵対者”として風刺されることが多かった。

 フランシスコ自身は、こうした見方に繰り返し反論し、「自分は彼と良好な関係を築いており、バチカンにおいてアドバイスをいただける『賢いおじいさん』だった」と言明しているが、フランシスコはベネディクトの教皇職退任後に広がった”教皇並立”の見方を快く思わず、ベネディクトが2022年12月31日に亡くなるまで、さまざまな方法で彼のを口を封じしようとした、とも言われている。そして、フランシスコは、2023年1月5日にベネディクト16世の葬儀ミサを司式し、前任者の葬儀を主宰した史上初の教皇となった。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載しています。
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2024年4月5日

・コプト教会が「同性愛者の祝福は受け入れられない」とカトリック教会との神学的対話を中断(Crux)

Pope Francis, right, arrives for his weekly general audience in St. Peter’s Square at The Vatican, with the leader of the Coptic Orthodox Church of Alexandria, Tawadros II, Wednesday, May 10, 2023. (Credit: Alessandra Tarantino/AP.)
(2024.3.9 Crux  Managing Editor  Charles Collins)

 東方教会の中で影響力持つエジプトのコプト教会が7日、「同性愛者への祝福」を認めるというバチカンの方針に対し、「あらゆる形態の同性愛関係」は許容できない、として、カトリック教会との間で続けてきた神学的対話を中断することを確認した。

 バチカンは昨年12月18日に教理省長官の名で“Fiducia Supplicans: On the Pastoral Meaning of Blessings」と題する文書を発表、「結婚に関する伝統的な教会の教義は変わらない」としつつ、「結婚とは程遠い状態のカップルが、教会での祈りに参加する場合」には、個人的な慎重さと知恵を発揮し、 司牧的かつ自然発生的な祝福をもって彼らを神に身を委ねたい」とした。

 この文書は、カトリック教会で大きな論争を巻き起こしており、一部の司教協議会は、「同性愛者のカップルを祝福すると思われるものはすべて拒否する」と言明している。

 7日に発表されたコプト教会の教会会議の声明で、「コプト教会は、あらゆる形態の同性愛関係を拒否する、という確固たる立場を確認する。同性愛関係は、聖書と、神が人間を男性と女性に創造した定めに違反するものであり、どのような祝福も、そのような関係は、罪に対する祝福であり、受け入れられない」と言明している。

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 教皇は1月26日に、「『司牧的かつ自然発生的な祝福』の意図は、さまざまな状況に置かれ、自分の道を前進するために、時には出発するために、助けを求めるすべての人々に対して、主と教会がどれほど親密であるかを具体的に示すことにある」とされ、「強調したいことの1つ目は、これらの祝福は、いかなる文脈や典礼的性格の外であっても、受け取るために道徳的な完全性を必要としない、ということ。 2つ目は、カップルが自発的に(祝福を)求めるために名乗り出たとき、祝福されるのは(同性結婚をした人々)ではなく、単に二人で祝福を求めた人たちだけだ、ということです」と説明されていた。

 だが、コプト教会による今回の動きにより、カトリック教会との関係が冷え込んだように見える。教皇フランシスコとコプト教会の首長であるタワドロス2世教皇は昨年5月10日に初めて会談し、この日を毎年恒例の「コプト教徒とカトリック教徒の友好の日」と定めた。その後、教皇フランシスコが、リビアでイスラム過激派によって斬首されたコプト正教会事務局の職員21人を殉教者として認め、カトリック教会と東方教会の間の最も重要な信仰一致運動の勝利とされ、バチカンのキリスト教一致推進省のブライアン・ファレル長官も「これは関係の新たな時代の始まりだ」と述べていた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年3月10日

・「教会は男女の『相補性』を見直す必要」-3月8日「国際女性の日」に向けた会議で女性たち(Crux)

(2024.3.6 Crux  Senior Correspondent  Elise Ann Allen)

 ローマ 発– 3月8日の国連「国際女性の日」を前にした6日、ローマのイエズス会本部会議場で「女性のリーダーシップ―より輝かしい未来に向けて」と題するパネル・ディカッションが行われ、出席者たちは、最近の女性の地位向上の世界各国の取り組みを称賛する一方、教会において女性が重要な地位に就くための機会を広げるためにさらなる努力が必要、と訴えた。

 また、教会の「相補性( complementarity)神学」、つまり「結婚、家庭生活、宗教的リーダーシップにおいて男性と女性は異なる相互補完的な役割と責任を負っている」という考え方を見直すよう求めた。

 相補性の概念は、カトリック教会が長年、女性司祭の禁止を擁護するために使われており、ヨハネ・パウロ二世教皇も、叙階された司祭職が男性の才能や才能により適している理由として補完性を頻繁に引用していた。

 出席したカトリックの女性神学者やリーダーたちは、補完性の再検討を求め、「一部の解釈は、男性的と女性的とされるものの間に分裂を生み出している」と述べた。

*バチカンでも、指導的立場の女性には特別な見方がされている

 またバチカン報道局のクリスティアーヌ・マレー副局長は、女性はバチカンに「新鮮で革新的な」視点をもたらしているものの、「女性がバチカンの指導的なポストに任命されると、その女性は『権力行使者』と定義づけられてしまう。男性はそうでないのに…」と嘆き、「まるで権力のオーラがあるように、です。与えられた仕事は『権力』ではなく、『奉仕』なのです」と指摘した。

 さらに、「礼儀正しさ、繊細さ、思いやり、共感などの特質は、常に女性らしさと結びついていますが、本質的に性別に結びついているわけではない。男性でも経験し、表現できる社会になっていることに注意せねばなりません」と語って、会場の喝さいを浴びた。

 Verbum Deiの会員で豪州カトリック大学のザビエル神学センター所長のメイブ・ヒーニー博士は、「女性のリーダーシップは神学的問題」とし、特に「相補性」に触れた。

 「特定の神学人類学は、男性と女性がもたらすものを過度に本質化しすぎており、役に立たず、実際の人間の経験を反映していない」と述べ、「これらの人類学的視点は通常、男性と女性の間の相補性に向いている。そして、相補性は、権威、リーダーシップ、知性に対して、愛、精神性、育成を『男性の貢献とは本質的に異なる女性の貢献』と言われることがあります」と指摘。

 そして、「私は『女性と男性の間に違いがない』と言っているのではありません。女性と男性の差を先鋭化したり本質化したりしないでほしい、とだけお願いしているのです」と語り、 この目的を達成するために、彼女はスイスの司祭であり神学者であるハンス・ウルス・フォン・バルタザール師の「使徒ペトロとマリアの原則」に言及して、次のように述べた。

 「この原則は、たとえ司祭叙階されていなくても、女性が教会で重要な役割を果たせることの理由を説明するために、教皇フランシスコが頻繁に引用されています。 バルタザール師は天才ですが、彼の著作には十分な抑制と均衡がなかった… 私見では、彼の相補性神学は不完全です。イエスの男性性と教会の女性性を過度に強調し、女性を『受容的で霊的』であり、男性のより『積極的で知的』な性質に対応し、時には応えるものとして示しているからです」と強調。「相補性が問題ではない。教会内で男女の役割が徹底的に対比される場合、特にそれが権力の役割に基づいて構築されている場、が問題です」。

*「叙階神学」は再検討する必要がある

 

 ヒーニー博士はまた、教会の叙階神学の再検討を求め、「現在の形では、叙階神学は…あらゆる分野での意思決定を叙階に結び付けているが、洗礼を受ける中で私たちは皆、キリストに紹介されている。それは誰もが果たすべき役割を持っていることを意味し、叙階された聖職が変わる可能性もあります」とし、「私は女性に司祭叙階を認めるべきだ、とは言いませんが、認めるべきでない、とも言いません。 それを私が問題にしているわけではない。統治と権力、そして聖職者職との間の結び目を解き、女性や一般信徒が教会における意思決定に大きな役割を果たせるようにするには、さまざまなレベルでのしっかりとした見直しが必要だ、と申し上げたいのです」と強調した。

 また、教皇フランシスコがフォン・バルタザールの「使徒ペトロとマリアの原則」に頻繁に言及されていることについて質問されたヒーニー博士は、「『シノダリティ(共働性)と協調的リーダーシップ』というテーマについての考察はまだ始まったばかりであり、教皇だけでなく、すべての教会指導者に対して、私たちは時々、多くを求めすぎることがあります… 教皇の口から出る言葉のすべてに権威あるわけではない。 私たちは皆、神学的に形成されており、教皇や司教も含めて、全員が神学的に形成されているものであることを常に認識しておく必要があります」と答えた。

 教皇の枢機卿顧問会議にこれまで2回参加し、教会における女性の役割などについて語り、女性問題に関して教皇の顧問立場にあるとされているスペイン人のシスター・リンダ・ポシエも「使徒ペトロとマリアの原則」について問題を提起。

 教皇フランシスコは、この会議に送った書面メッセージで、「神の知恵の賜物」が「教会の、そして世界のすべての人の、これまで以上の献身として実を結ぶように祈ります。 女性と男性の平等かつ補完的な尊厳が一層大切にされますように」と述べられた。

*外交の世界でもgender biasesが依然存在する

 

 討議に参加したある国の大使は、「外交の世界でもgender biases (男女の役割について固定的な観念を持つこと、社会の女性に対する評価や扱いが差別的であることや社会的・経済的実態に関する女性に対する”神話”を指す)が見られる」と指摘し、具体的に、「外交官の男性は軍縮や安全保障の分野に割り当てられることが多いのに対し、女性にはよりソフトな問題や社会プロジェクトが与えられる傾向が強い」と説明した。

  キアラ・ポロ駐バチカン・豪州大使氏、「女性の指導的役割について”二重の基準”」が存在することを嘆き、「女性がトップに到達するために目立つ必要がある一方で、自信を持って指導力を発揮するやり方について”監視”されている」と指摘した。

 国際修道会総長連盟のシスター・パトリシア・マレー事務総長は、「女性修道者が教会内で、しばしば貧困、人身売買、移民などの問題の周縁部や最前線で役割を果たしていること」を強調。自身が所属する修道会の創設者の言葉を引用し、「女性には素晴らしいことができない、というような男性と女性の役割の違いはありません」と述べ、現在の教会では、女性の声がさまざまなやり方で伝えられており、その進展の具体例として、昨年10月のシノダリティ(共働性)がテーマの世界代表司教会議(シノドス)総会第一会期では、女性に初めて議決権が与えられるなど、女性の存在が大きくなったことを挙げた。

*シノドス総会では女性の叙階職、説教師、新機関の設立などが検討されているが…

 

 そして、総会第一期では「女性が助祭職に就くことや、女性が説教師となること、バチカンに新たな機関を創設することなどが検討」されているが、「すぐに決定できることではなく、時間がかかるでしょう」と述べ、今年10月のシノドス総会第二会期でも決定に至らない可能性を示した。

 シノドス事務局のシスター・ナタリー・ベカール次長も、教会を「非官僚的でより関係性の高い」教会にする、というシノドスの目標を強調し、女性の役割、女性が教会の指導者となる機会を増やしたいという願望は「時代のしるし」であり、「教会は、さらなる平等を求める女性たちの声に耳を傾けなければなりません。女性たちには教会の活動、特に意思決定のプロセスにもっと参加したい、という強い願望がある…  教会には多様な経験を持つ女性がたくさんいます」と述べた。

 また、女性としてバチカンで指導的地位で働いてきた自身の経験から、「教会は家族のようなものですが、あることにおいて他の人より優れている人もいる… 枢機卿や司教たちと協力して仕事をするという良い経験をしましたが、他の人たちと協力するのは文化、教育、背景の違いから、難しいこともあり、それは冒険でもあり、非常に豊かな経験でもありました」と語った。

 ベカール次長はCruxのインタビューで、女性の指導的立場への参加に関する議論が「過度に西洋的な視点に支配されているのではないか」という懸念について、「そのような誘惑はありますが、シノドス総会では、参加者皆の声を聞いています… 世界中から集まった参加者の意見は、『女性の役割をもっと認識してほしい』というものでした。 多くの女性が教会で指導的立場に就くこと、より多くの女性が教会運営に参加することを求める声が、参加者のどこからも上がりました」と説明。

*女性の参加の具体案で意見の違い… 多様性を考慮する必要

 そして、「意見の 違いは、『女性の参加が具体的にどうあるべきか』にあります。女性の助祭叙階を強く主張する人もいます。 このような要望は、西側諸国だけではなく、他の国々にもあるかもしれませんが、どこにもある、というわけではない… 世界共通のレベルで何を決定するかについては、多様性をすべて考慮する必要があります。 各国・各地域にそれぞれの教会文化があることを認識し、尊重しなければなりません。それは西洋人にとっても、そして欧米の私たちにとっても非常に重要です」と強調した。

  さらに、「シノドス総会は、さまざまな大陸からの多様な声をさらに聞くための場です。 私たちの教会も、私たちの世界と同様に多極化しています。そうした中で、世界では、気候変動、移民・難民、平和の探求など、すべての優先分野で、女性がすでに大きな役割を果たしている」と語った。

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2024年3月7日

・カンタラメッサ枢機卿の「四旬節の小さな黙想」⑤イエスは言われるー「ぜひあなたの家に泊まりたい」と

(2024.3.1 バチカン放送)

 教皇付き説教師カンタラメッサ枢機卿の「四旬節の小さな黙想」の第5回目は、「徴税人ザアカイ」のエピソード(ルカ福音書19章1-10節)で、イエスが木の上にいたザアカイに「急いで降りてきなさい。今日はぜひあなたの家に泊まりたい」という言葉を観想するよう勧めている。

 ルカ福音書19章に登場するザアカイは、徴税人の頭で、金持ちだった。エリコの町を通るイエスを一目見たい、と思ったが、群衆に遮られて見えなかったため、木に登った。その場所を通りかかったイエスは上を見上げ、「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日はぜひあなたの家に泊まりたい」と言われた。ザアカイは急いで降りて、喜んでイエスを迎え、財産の半分を貧しい人々に施す、と約束し、イエスは「今日、救いがこの家を訪れた」と言われた。

 第5回目の内容は次のとおり。

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 私たちが今日一日を共にする言葉、それは、イエスを見るためにいちじく桑の木の上に登ったザアカイにイエスがかけた言葉です。その木のそばを通ったイエスは、彼を見上げて言われました。叱るような口調ではなく、招く口調でした―「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日はぜひあなたの家に泊まりたい」。ザアカイ、私は言う、私の言葉を聞きなさい、ぜひあなたの家に泊まりたいのだ、と。

 この言葉は私たちにとっては、「あなたの生活に親密に関わりたい。群衆の間や、広場や、教会の中で会うだけでは十分でない」という意味。教皇フランシスコの使徒的勧告『福音の喜び』の冒頭の言葉を思い出させます―「私はすべてのキリスト者に、『どのような場、状況にあっても、今この瞬間、イエス・キリストとの人格的な出会いを新たにするように』と呼びかけたいと思います。少なくともイエスとの出会いを妨げないよう、日々努力することをお勧めします」(3項)。

 このようなキリストとの人格的な出会いとは、何によって成り立つのでしょうか。それは、何年も写真だけで知っていた人と実際に出会うようなものです。私たちの人との関係で起きることが、この違いを理解するのを助けてくれるでしょう。それは、ある人を「単に知っている状態」から、「深く愛する状態」に移る時です。

 あなたが若い男性、若い女性なら、これをよく理解できると思います。「深く愛すること」だけが、人生を本当に変えられるのです。それは自然の愛においても、精神の愛においてもです。そして、イエスは、決して失望させることのない愛の対象なのです。

(編集「カトリック・あい」)

2024年3月2日