*【評論】原爆投下75周年、司教団のメッセージもない唯一の被爆国・日本の教会は?

(2020.8.5 カトリック・あい 南條俊二)

WEIRD. An 8” x 10” black-and-white photograph of the mushroom cloud from the dropping of the atomic bomb on Hiroshima, Japan, boldly signed by four Enola Gay crew members, Paul Tibbets, Pilot; Dutch Van Kirk / Navigator; Tom Ferebee / Bombadier; and Dick Nelson / Radio.

 「1945年8月6日午前8時14分、私は広島のイエズス会長束修練院の庭で政務日課を唱えていた…岩国から爆音が聞こえた。警戒警報も空襲警報もなく、だから飛行機を見ていた。突然、黄、紫、赤…太陽よりも明るい、丸い形のようなものが炸裂。爆発の音がない。破片も飛び込んで来ない。とっさに、地下に入る階段を飛び降りた。それから14秒くらい… 熱い空気が家屋を総なめにした」

 「裏山に登ったら,広島の全景が見えた。火の海だ。明るい8月の青空が、急に黒雲に覆われ、黒い雨が降り出した… ラウレス神父様と私は、広島から可部への道で、全身やけどの怪我人を救護所までリヤカーで何度も往復して運んだ… 夕方、幟町教会のラサール神父を救助するように、との指示を受け、市内に入った。ラサール神父を見つけ、3人の神父と私で担架に乗せて、真夜中の1時過ぎに修道院に戻った。翌7日朝、再び市内に入った。浅野泉邸(広島藩主浅野氏の別邸だった)の角を曲がった時、横転したバスがあり、裸の、ピンク色になった遺体が17人…ほとんどが子どもだった…」

 「原爆の脅威に対して、人類は全く鈍感で、のんきなのに驚かされる。誰がが間違ってボタンを押したら、広島の原爆の数千、数万倍の破壊力が、私たちを襲うかもしれないのに。そのような現状でも、原爆排斥の運動が全然広がっていない… この悲惨が繰り返されないように、是非、皆で祈ってほしい」

(「被爆者として世界に訴えたいこと」故クラウス・ルーメル元上智大学理事長=聖イグナチオ教会報2008年8・9月号=編集「カトリック・あい」)

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 1945年8月6日に広島、9日に長崎に原爆が投下されて、今年で75周年。だが、当事者である日本の司教団としての世界、日本、そして何よりも信徒に対するメッセージも、祈りの呼び掛けも、何もない。考えてみれば、このルーメル神父のように、自身も被爆し、それでもその日のうちに何度も現場に救援に行き、”地獄”を見た人は、現役の司教団の中には誰もいないのだろう… だからと言って、現地の教区に任せて済むことではないはずだ。

*米国のニュース・サイトのインタビューと大学のオンライン・イベントへの参加だけ?

 強いて言えば、司教団の代表である高見・長崎大司教が、米国司教協議会の財政支援を受けたカトリック・ニュースサイトCNSの質問に回答し、それを中央協議会のニュースサイトに「転載禁止」で転載したことと、これも米国のジョージタウン大学バークレイ宗教・平和・国際情勢研究センターが制作したオンライン・イベントに参加したことだが、失礼ながらその中身は大方がこれまでの繰り返しで、具体性も新味もなく、対外的な説得力もない。後者は、中央協議会ニュースで「広島・長崎原爆75周年カトリック平和祈念行事」と銘打って入るものの、いずれも米国側の企画に”便乗”させてもらったに過ぎない。

 新型コロナウイルスの世界的大感染で、日本のカトリック司教団は、教皇フランシスコが繰り返し訴える「識別力」ー今、何をすべきかを判断し、行動に表す力ーを失ってしまったのだろうか。昨年11月に訪日された教皇の広島、長崎でのメッセージを受け止め、当事者としてさらに具体的に前に進める努力はどうしたのだろうか。

 団結力を喪失して久しい司教団が、結束を取り戻す機会だったウイルス感染に対して一致した対応をいまだに示すことができていない。原爆75周年のこの機会に、今からでも、口先だけで「平和」を説くのではなく、日本の教会の代表であるはずの司教団が結束して、「識別」の力を込めた、説得力のあるメッセージと行動を示してもらいたい。

Bernard Hoffman via Getty Images原爆で破壊された浦上天主堂(1945年9月撮影)

*世界、アジア、日本の現在の危機的状況をどのように見、どうすべきか、結束した姿勢が見えない

 現在の多様で拡大を続ける世界、アジア、そして日本の危機ー新型コロナウイルス感染、中国政府・共産党による香港、新疆ウイグルでの人権弾圧、日本の領土侵犯、中国と北朝鮮の核軍拡、来年に迫った米露戦略核削減条約の期限、国内では長崎教区の聖職者の不祥事と”隠蔽”など)の最中に、7月半ばに久しぶり(!)に開かれた司教総会もインターネット会議に慣れていない司教が多かったこともあってか、一言の発言もない司教も少なくなかったといわれ、司教団としての新型ウイルス対応も含めて何ら新たなメッセージも、協調した行動もまとめるには、程遠いありさまだった、と聞く。

 しかも、説明責任の重要性が叫ばれる今の時代に、日本のカトリック教会の代表とされる司教たちが集まったこの会議の内容はもちろんのこと、会議があったことさえも公けにされていない。まともな信徒の支持も、日本社会の共感も得られるわけがないだろう。

 そして、広島・長崎への原爆投下75周年という歴史的な時に当たっても、日本の教会、司教団としてのまともなメッセージを出すことができなかった。まことに情けない、というほかない。

*日本の司教団とは対照的な米国司教団の対応ー「原爆投下75周年に祈りとミサで団結呼びかけ」

 日本の司教団と際立った対照を見せるのは、一方の当事者である米国の司教団だ。広島・長崎原爆投下から75年を前にして、7月13日に、全米カトリック司教協議会の国際正義と平和委員会が声明を発表し、全米のカトリック教徒と善意の人々に「8月9日の日曜日、個人的な祈りとミサで団結する」ように呼び掛けた。

 声明は「8月6日と9日は広島と長崎の原爆投下75周年を記念する日。戦争で核兵器が使用された最初の、そして最後となることを希望する日です」とし、「21世紀は、国家および非国家主体の地政学的な対立、兵器の高度化が進み、国際的な軍縮の取り決めが侵食され続けています。米国の司教団は、核軍縮の進展を求める切迫した呼びかけを、改めて行います」と言明。

 「米国の教会は、キリスト・イエスの救いの犠牲による神の賜物である、私たちの世界の平和への明確な呼びかけと謙虚な祈りを宣言します… 恐れと不信と紛争は、『平和と正義が永遠に君臨する』という信仰と祈りによる、私たちの共同の取り組みによって、取って代わられなければならない」と訴えた。

*米国を批判、注文を付けるが、日本はどうなのか

 これを日本の司教団の代表としてCNSのインタビューで語った高見大司教の言葉と比べれば、その差は歴然としている。中央協議会ニュースに7月29日付で掲載した内容によれば、大司教は「アメリカは、キリストの教える平和の真髄を正しく理解し、実践する必要があります」と言わずもがなの説教。

 「アメリカ国民のほとんどの人は、自分や家族のいのち、あるいは国を守る為には、武器が『是非必要である』と確信しているように思えます」と決めつけ、「武器の所有ではない方法で平和を作ることをぜひ模索してほしいです」と、何の具体策も示さずに”お願い”。

 「平和は、一人ひとりの心の問題とは言え、神への信仰、人間関係、社会環境、地球環境など、生活環境全体が、より充実したものになることが必要条件」と結んでいる。

 米国や米国民への批判や注文はしたものの、日本の教会としての世界やアジア、日本を巡る具体的な現状の把握もなく、具体的な平和への道筋も示さず、きれいごとの羅列だけで、何の説得力もない。当然ながら、米国司教団の先のメッセージは伝えたバチカン放送の英語版にも、日本語版にも(「CNSがいかなる形の転載も禁じている、と中央協議会ニュースが書いているからか)掲載されていない。

*日本の各教区の取り組みは…

 東京、広島、長崎の教区ホームページをみたところ、。広島教区は「平和の糸をつむぐⅡ~すべてのいのちを守るため~」というテーマで、5日午後からビデオ・メッセージによる基調講演、分科会、平和祈願ミサなどを世界平和記念聖堂で予定。ウイルス感染拡大防止のために、平和行事は規模を縮小し、一般の参加者は教区内に限定し、Youtubeなどで動画配信する一方、平和発信を強めるために、他教区を代表する枢機卿、大司教、司教たちの参加を求めている。

 東京教区は、今年度の平和旬間は、新型コロナウイルス感染症の拡大防止のために、講演会、平和巡礼ウォーク、祈りのリレー等の例年の行事は中止するが、「平和を願う」ミサは8日に非公開・動画配信の形でを菊地・大司教司式で行う予定だ。

 だが、長崎教区は、ホームページを見る限り、「広島・長崎原爆75周年カトリック平和祈念行事」として、先に述べたジョージタウン大学バークレイ宗教・平和・国際情勢研究センターが3日に行った高見大司教の発言も2分ほど放送されたオンライン・イベントの紹介だけしか案内がない。これは長崎教区が原爆投下75周年を迎えての「平和記念行事」とは、とてもいえまい。

【資料】

*原爆投下の米科学者、投下から60年ぶりに現地広島訪問・被爆者との対話

*米国・ジョージタウン大学バークレイ宗教・平和・国際情勢研究センター3日行った平和構築について考えるオンラインイベント(放送時間は全体で30分足らず、高見大司教の話は2分余り。締めくくりは、長崎純心女子高等学校の生徒による「千羽鶴」の合唱、日米二人の司教が平和のための祈りを唱えた)

2020年8月4日

・中国の人権問題に沈黙続ける教皇フランシスコに高まる世界の圧力(Crux)

(2020.8.1 Crux  SENIOR CORRESPONDENT Elise Ann Allen

Pressure on Francis increases over human rights in China

中国・湖北省のHuangtugang(黄土岗镇)のカトリック教会に翻る中国国旗 (2018年に撮影・Credit: Thomas Peter/Reuters via CNS.)

 ローマ発 –中国政府が香港の実質支配を強化し、新疆ウイグル自治区でのイスラム教徒弾圧のニュースを世界が耳にし続けている中で、教皇フランシスコがこの問題について語るのを避けていることに対して、国際社会の圧力が増している。

*米外交専門誌に掲載された記事「教皇は対中国でひどく誤っている」

 抑圧された人々の擁護者として世界でも際立った存在である人物の沈黙は、べネディクト・ロジャース氏が米国の有力外交専門誌「 Foreign Polic」に載せた記事の主題になった。彼は、Christian Solidarity Worldwide(キリスト教徒世界連帯)の東南アジア班のリーダーで、 Hong Kong Watch の創立者でもある。

 その記事で、彼は、自分は教皇フランシスコに共感を持ち、カトリックに改宗した信徒だが、「教皇が中国への対応でひどく間違っている」ことに当惑している、と語った。

*ユダヤ人組織の代表、イスラム教の英国の有力者、そしてボー枢機卿も…

 そして、今月初めに在英・中国大使あてに中国政府の新疆ウイグル自治区でのイスラム少数民族への扱いをナチのユダヤ人大量虐殺になぞらえる抗議の文書を送った、英国ユダヤ人代議員会のマリー・ファン・デル・ジル会長などなど高名な人々の声明を引用。

 その中で、ファン・デル・ジル会長は中国大使あての文書で、女性たちの不妊措置強制、強制収容所への収監など新疆ウイグル自治区で起きていると伝えられている事と、ナチが支配するドイツで起きたことの類似点を挙げた。英国のイスラム教徒のリーダーで、過激派に反対の立場をとるマージッド・ナワズ氏は、新疆ウイグル自治区でのイスラム教徒に対する中国政府の行為に抗議してハンガーストライキを行い、英国による対中国制裁を議題とするよう英国議会に求めている。

 また、アジア・カトリック司教協議会連盟会長のチャールズ・ボー枢機卿は先頃出した声明で「中国で、ウイグル人イスラム教徒が、現在の世界で最悪の残虐行為にさらされている。国際社会に、実情調査を強く求めたい」と訴えている。

*中国問題に限って沈黙する”人権を守る”教皇

 ロジャース氏は記事の中で、これまでのところ、イスラム教の代表者たちからウイグル人イスラム教が受けている残虐行為に対する非難は出されておらず、英国国教会のトップであるジャスティン・ウェルビー・カンタベリー大司教からも声明はないが、何よりもショックなのは、「抑圧されている人々のために率直に発言している教皇フランシスコが、この問題に沈黙していること」と述べた。

 教皇フランシスコは、これまで、ミャンマーで悲惨な状態に置かれているロヒンギアのイスラム教徒のために意思表示をしている。 2017年12月にミャンマーを訪問された際、同国の政府関係者など刺戟しないように「ロヒンギャ」という言葉を使うのを避けたが、隣国のバングラデシュに入国到着して間もなくロヒンギャ難民の代表たちに会い、「ロヒンギア」を口にされた。

 2015年には、20世紀初頭のトルコによるアルメニア人の大量虐殺の100周年を記念するミサで、教皇は「ジェノサイド」という言葉を使い、トルコ関係者を立腹させるのをためらわなかったーこの発言に反発したトルコ政府は、駐バチカン大使を一時召喚する措置を取った。 さらに、教皇はシリア、イエメン、ウクライナ、ナイジェリアでの紛争の早期終結を繰り返し訴え、先月、イスタンブールのアヤソフィア博物館をイスラム教のモスクに戻すトルコ政府のの決定に、強く遺憾の意を表明している。

*ウイグル人イスラム教徒、香港市民、そして中国の聖職者たち…

 だが、新疆ウイグル自治区でのウイグル人イスラム教徒に対する残虐行為、香港に対する国家安全維持法の施行、中国本土全域でのカトリック”地下教会”の司教、司祭などへの脅迫など、中国政府の動きに国際社会の注目が高まっているにもかかわらず、けていることにでの新しい安全保障法の強制、およびカトリック聖職者への嫌がらせが続いているにもかかわらず、教皇が沈黙を続けていることが、余計に目立つ。

 中国が国際社会から非難されているのはそれだけではない。最近になって、人身売買、特に近隣国や遠くアフリカからも結婚相手とする目的で女性を買い入れている、と強い批判されている。米国の国務省は、2020年の人身売買報告で、中国を南スーダン、北朝鮮、シリア、アフガニスタン、エリトリア、ニカラグア、ベネズエラ、ロシアなどと並んで最悪の国に分類した。。

*”結婚”目的の人身売買も問題になっている

 米国の人権監視団体「Human Rights Watch」が最近出した報告書 “Give Us a Baby and We’ll Let You Go: Trafficking of Kachin ‘Brides’ from Myanmar to China(我々に赤ん坊をくれれば、お前を解放する-ミャンマーから中国へのカチン族の『花嫁』の人身売買)”によると、2017年に少なくとも226人の女性がミャンマーから中国に人身売買され、ミャンマー政府、毎年、中国から戻ってくる約100〜200人の人身売買被害者の女性たちを助けている、という。 今年初め、カンボジア内務省は「2019年に国内から少なくとも112人の女性が中国に『花嫁』として売られた」と報告した。

  「Women’s Rights Without Frontiers」の創設者である 女性の権利活動家、レジー・リトルジョン氏は、こうした中国における性的奴隷に関する数字を「胸が張り裂けるようだ」と表現した。「男児選好と強制的な妊娠制限の致命的な組み合わせによって、女児は選択的に中絶され、捨てられ、医者から無視されています… その結果として生じる”結婚市場の崩壊”が、性的人身売買に目をつぶり、時にはそれを助長する中国政府の動きに繋がっています」。また、新疆ウイグル自治区でのウイグル人イスラム教徒に対する中国政府の行動を非難し、その残虐行為には「強制労働、強制中絶、強制不妊」が含まれている、と述べた。

*中国は暫定合意で、教皇の沈黙を“買った”

 ロジャース氏は記事中で、これらすべての問題に関する中国に対する教皇沈黙は「バチカンと中国政府の司教任命に関する2018年の暫定合意がもたらしたものだ」とし、同合意は来月の期限切れを前に延長交渉に入っているが、「それによって、中国は、教皇の沈黙を『買った』のだ」と言い切った。交渉が続いている間は、非難を公けにすることはありえないからだ。 多くのバチカン専門家は、暫定合意の結果、少しの変化もない-投獄されている聖職者は釈放されておらず、暫定合意が結ばれた後のこれまで二年の間にさらに何人かの聖職者が逮捕、あるいは拘禁されているーと指摘している。

*教会の指導者たちは今、「目覚める」時

 記事の中でロジャース氏は、「今や、教皇フランシスコやウェルビー・カンタベリー大司教などキリスト教のリーダーたちが「目覚め」、現在に至る自分たちの立場を見直す時だ」と訴えている。

 「リーダーたちは、自分たちの信仰の教え-人間の尊厳、自由、正義-を信じていることをはっきりと示す必要がある。それは、残忍な政権とのいかなる疑わしい取引よりも重要なことだ。彼らは”信じやすさ”を捨て、人間の命と尊厳については妥協しない、と言う必要がある」。そして、ヒトラーと対峙し、ナチの強制収容所で処刑されたプロテスタントの牧師、ディートリッヒ・ボンヘッファーのこのような言葉を引用した-「悪を前にした沈黙はそれ自体が悪だ… 話さないことは、話すこと、行動しないことは、行動することだ」。

 

 

2020年8月3日

・コロナ対応、戦狼外交、香港の国家安全維持法… 強権的に見える中国の行動をどう読むか(言論NPO)

(2020.7.31 言論NPO=https://www.genron-npo.net/)

 世界中でコロナの影響が続く中、米中対立は深刻化し、香港の問題や、東シナ海、南シナ海で隣国・中国の動きが激しくなってきています。言論NPOは7月20日、アジアでの活動を加速させている中国と日本は、今後どのように付き合っていくべきかをテーマに、神戸大学大学院経済学研究科教授の梶谷懐氏、立教大学法学部政治学科教授の倉田徹氏、東京大学公共政策大学院教授の高原明生氏の3氏と議論しました。

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 米中対立が激化する中、「極端な考え方に振れないことが重要」とする梶谷氏は、「コロナ対策にしろ、各国の歴史的、社会的背景も振り返りながら、これからの道を考えていくことが重要」とし、倉田氏は「米中対立が高まる中で、日本が米中の間で互いの真意を確かめ合いながら、香港や台湾、日本といった国や地域の民主的価値観を尊重するように中国に求め、平和を互いに維持すべき」と主張します。これに対して高原氏は、「中国との間では、この間続いてきた『競争』と『協調』が共存する矛盾した関係が今後も続いていくことを前提に、そこを生き抜く強さ、したたかさ、賢さを日本は持たなければならない」と日本に覚悟が問われていると語りました。

kudo.png 司会を務めた言論NPO代表の工藤泰志は、4月頃までは、コロナ対策で日本も中国も双方への人道援助に取り組み、それが世論改善につながっていたが、今は強権外交に日本が戸惑っていることを挙げ、「中国の外交は何が変わったのか」と、最近の中国の行動について3氏に疑問をぶつけました。

*中国の外交の先に、具体的なビジョンは描かれていない

takahara.png 高原氏は、米中間で言えば、トランプ大統領が武漢で発生したコロナ感染を『中国ウイルス』と呼び、中国外交部のスポークスマンは、『米軍が持ち込んだもの』と応酬するなど、3月の段階から激しくなっていったとし、その背景には中国の国内事情と関係があると指摘しました。具体的には、1月の段階でコロナ対策で初動の遅れがあり、2月にはコロナに警告を発していた医者が亡くなるなど、第一ラウンドでは、習近平政権は劣勢に立たされた。この事態を巻き返すため、第二ラウンドで武漢を封鎖する強い措置でウイルスを抑え込もうとしたと強調。そして内外に向けて、中国は、習近平の強いリーダーシップで立ち直った、と宣伝キャンペーンを行い、汚名を晴らさなければいけない、という面が強かったと語ります。ただし、こうした中国の対応は、『戦狼外交』と言われてしまうほど、やり方が悪く、中国の「米軍が持ち込んだ」との応酬に対して、中国の在米大使が否定する等、中国内部も一枚岩ではなかった、と付け加えました。

 続けて工藤が、「中国は攻めの動きに出ているのか、守りを固めているのか」と問いかけると高原氏は、それは様々な分野で異なるとした上で、安全保障関係について、中国は前々から計画されていることを東・南シナ海でも力を入れてやっており、最近、激しくやっているわけではなく、国力の増大にともなって外に出ていくのは、以前から続いている、と語ります。一方で、その先に「どういう世界にしたいか」、「こういう東アジア秩序にしよう」という具体的なビジョンは依然ないと語りました。

 工藤は、こうした中国の行動に中国国内の世論も変化しており、今は政府の統治行動への信頼はむしろ、高まっているように見えると指摘し、その原因を問いかけました。梶谷氏は、「武漢については、当初は政府への不信感があった」と述べるものの、中国の人たちすると、「いつ自分たちへ感染するのか」といった不安があり、政府が不安を解消する行動をとってくれると、信頼してついていこうとなる、と中国人の心理を語りました。その上で、中国政府がSARS(重症急性呼吸器症候群)の感染拡大時に功績をあげた医師・鍾南山氏を、コロナ感染対策のトップに呼び寄せる等対応し、中国人の不安を政府が解消したことが大きな変わり目となり世論がまとまったのではないか、と振り返りました。

*中国経済の最大の課題は雇用問題

 さらに梶谷氏は、コロナ禍での中国の経済対策について、事業者の資金繰りが厳しいための貸付資金の提供など、供給サイドの対策については非常に迅速であった一方で、個別に生活資金を給付したり、休業補償はせず財政的には抑制的だった、と欧米や日本との対策の違いを指摘しました。そして、この理由として、財政赤字が膨らむことへの警戒があるといいます。

 また、雇用については中国の特性として、農民が零細飲食店で働いたり、屋台を開業したりするなど、職を失っても、食いつないでいく手段が一種の社会のバッファ(緩衝)となっている点を強調。その上で、そういう人たちのことも忘れていない、というメッセージを出すために、5月の全人代で李克強首相が「社会の安定が大事だ」「屋台経済で食いつないでいこう」というメッセージを盛んに出していると語りました。

 但し、日本と同様に、サービス業、飲食業、旅行業が不振に陥っており、農村から出てきた底辺の農工民の農民の失業者は、3月ぐらいは7000万~8000万人に達しており、直近では5000万人と言われているものの、臨時工などの数は反映されておらず、実態との乖離があるとも指摘しました。

 さらに、中国経済の状況について梶谷氏は、むしろ封じ込めが功を奏し、工場が稼働する等V字回復の状況を見せていることからも、最大の課題は国内の雇用だと指摘し、対応を間違えると非常にまずいという認識が中国側にあるとの見方を示しました。

*突然の「香港国家安全法」–香港の民主化と外国の介入に、焦りがあった中国

 香港問題については、中国が問題に深く介入すれば、国際社会に飛び火するのはわかっているのに、それでも中国が踏み切ったのは、なぜか、工藤が問いかけます。

 これに対して、全人代の前日5月21日に、「国家安全法」が議題になる、と聞いた時「本当にやるのか」と驚いたと言うのは倉田氏です。続けて倉田氏は、「国家安全条例」は、香港基本法の地方法規として香港が規定し、香港内部でやるのが本筋だと指摘しつつ、昨年から始まったデモによる破壊行為が長く続き、過激化していくにもかかわらず、デモはいっこうに収まらず、これが相当のダメージになった、と語ります。その背景には、昨年11月の区議会選挙では民主派が85%もの議席を獲得したこと、さらにアメリカで香港人権・民主主義法が成立したことで、民主派の伸長と、米国など外国の介入を抑えなければ、と焦りがあって法律の制定に至ったのではないか、と分析しました。

 さらに倉田氏は、基本的には北京の対応はリアクティブとしつつ、香港の状況が想定外の方向に行ったために対応せざるを得なかった、との見方を示します。それが香港の状況を脅威視するにまで発展した背景には、中国共産党がこれまで針小棒大に脅威を語ってきたことがある、と話しました。

 例えば、2003年に香港独自の選挙法制度を認めてくれ、と香港の民主化が論争になった時、中国の法学者は『それでは香港独立と同じではないか、これは革命である』と反論しており、中国では本来、民主主義国家では比較的自由にできるはずの変化も、国家の安全に直結してしまう、と語ります。倉田氏は、これは「安全保障のジレンマ」と同じ構造にあるとし、脅威を取り除こうとする構造が攻撃的に見えてしまっており、その結果、米国も、西側もメンバーの一つである香港社会が中国共産党に取られる、と危機感を持って見られる構造を自ら招いている、との懸念を示しました。

*社会の近代化が進めば進むほど、政治と社会の在り方にズレが生じ、 党の一党支配に無理が出てくる

 倉田氏の話を受けて工藤は、米中両国がお互いの不安や「危険だ」という感情を増幅してしまっており、最終的にとんでもない方向に向かってしまう可能性がある、と危機感を示しました。その上で工藤は高原氏に、台湾問題について全人代の政府活動報告で例年存在した「平和的」が削除されたものの、その後の記者会見で李克強首相が口頭で「平和統一」と発言して修正を図ったり、香港問題についても、中国政府内でもまとまって徹底的に介入するといった形が見えず、今後、揺り戻しがあるのか、と問いかけます。

 これに対して高原氏は、「支配の正当性のない政権が、いつかひっくり返されるのではないか、というカラー革命の恐れに取りつかれている」と強調し、「共産党指導部の不安」が根底にあると指摘しました。その上で、習近平指導部になって、党の支配強化、一元的な強化をやればやるほど、香港の連邦制のような存在は認められなくなるとしつつ、そもそも習近平氏が誕生した背景には、「社会の近代化が進めば進むほど、政治、社会のあり方はズレ」があり、構造的に共産党が習近平氏を生むメカニズムがあったと語りました。

 米中対立の行方は非常に不透明であり、この地域が不安定化する可能性が高い

 次に工藤は、米中関係は当初「戦略的競争」と言われていたものの、今では互いに敵国とみているのではないか、という声まで出ているとした上で、今後、米中対立はアジアや世界にどのような影響を与えるのか、問いかけました。

 高原氏は、安全保障の面では戦争に近い状況であり、テクノロジーの分野でも安全保障と経済にまたがる領域で競争がかなり激しくなっているとしながらも、経済を含めて米中両陣営が完全にデカップリングして対峙する可能性は、現時点では低いのではないかと語りました。加えて、コロナウイルスに対するワクチンができるまでは、どの国の国民も不安を抱え、かつ経済的な打撃も受けており、人々は情緒的になりやすい時期であり、何とかこの時期を平和に乗り切ることが重要であり、日本は米中の狭間で、平和維持に向けて全力で取り組む必要があると指摘しました。

 倉田氏は、過去40年、50年にわたり米中は平和共存しようという方向性であったものが、大きく変わる転換点の可能性がある、と強調。その上で、デカップリングであれ、ブロック化であれ、新冷戦の方向に進んでしまうのではないか、という嫌な予感がある、と今後の見通しを語りました。さらに、今後、香港で示したような強硬な手段で中国政府が成功したとなると、台湾や尖閣諸島、さらには外交面でも強硬に出ようと北京が考える可能性もあり、東アジア全体にとっての不安定化にも懸念を示しました。

 

*あらゆる手段を動員して、平和を維持することが日本の役割

 最後に司会の工藤は、今後、日本は、中国に対してどのように対応していけばいいのか、3氏に尋ねました。

 梶谷氏は、現状を過渡期であるとした上で、中国をどう見ていくのか、何を新しい軸にすべきか、見出せていない、と語ります。ただ、極端な考え方に振れないことが重要であり、コロナ対策にしろ、各国の歴史的、社会的背景も振り返りながら、これからの道を考えていくことが重要だ、と話します。

 「中国には、日本への期待もある」と話すのは倉田氏です。欧米に比べて、中国の日本への批判は抑制的であり、日本は対話の余地があるのであれば、このチャンスを生かすことが重要だと指摘します。米中対立が高まる中で、日本が米中の間で互いの真意を確かめ合いながら、香港や台湾、日本といった国や地域の民主的価値観を尊重するように中国に求め、平和を互いに維持していくという、これまで日本が力を入れてこなかった分野に対応していく必要がると語りました。

 高原氏は、「感情論に傾かないこと」と強調しました。日本にとって大事なことは、対米関係の安定、そして対中関係の安定、そのどちらも非常に重要であり、これまでも、中国との間では、『競争』と『協調』が共存しているような、矛盾した関係が続いていたが、今後も続いていくことを前提に、そこを生き抜く強さ、したたかさ、賢さを日本は持たなければならない、と指摘しました。同時に、あらゆる手段を動員して、何とか平和を維持していくことが日本にとっては重要だと語りました。

 議論を終え、司会者の工藤は、結局、日本は、隣国である中国と共存していく、少なくとも一緒に、このアジアを考えていかないといけない立ち位置にある、とした上で、それを一歩進めて、世界的な課題に関しても、本当の意味で議論できる関係を築き、中国と本音レベルで互いに問題を共有し、乗り越えられる関係作りに努力する意志を示し、議論を締めくくりました。

2020年8月2日

・(解説)意図しようとしまいと、バチカンの指導書は、新型ウイルスで苦しむ小教区の青写真だ(Crux)

( 2020.7.26 Crux SENIOR CONTRIBUTOR Father Jeffrey F. Kirby)

Accidentally or not, Vatican offers parish blueprint in coronavirus era

In this Sunday, June 7, 2020, file photo, a hundred faithful sit while minding social distancing, listening to Los Angeles Archbishop Jose H. Gomez celebrate Mass at Cathedral of Our Lady of the Angels, the first Mass held in English at the site since the re-opening of churches, in downtown Los Angeles. (Credit: Damian Dovarganes/AP.)

Commentary

 新型コロナウイルスの世界的大流行が続いているが、感染拡大を抑え、その打撃を減殺するための継続的な取り組みも様々に行われている。政治、経済、文化、教育など、あらゆる分野の指導者たちは、これまで経験したことのない、想像もしていなかった事態に対処することが求められている。もちろん、宗教も例外ではない。そうした中で、現在のウイルス大感染の危機的状況とは直接関係はないが、バチカンが先週、教会の司牧者たちの意思決定にとって、意外で予想していなかった手引きとなる文書を発出した。

 聖職者省が発行者の「The pastoral conversion of the Parish community in the service of the evangelizing mission of the Church(教会の福音宣教的使命に奉仕する小教区の司牧的回心)」というタイトル付きの指導書は、現代の小教区における司牧のあり方を示し、いつくかの従来からの見方の質を高め、そして、福音宣教の使命を帯びた小教区を育み、成長させるための、いくつかの実践的な指針やアイデアを提供している。

 指導書はこのように書いているー「識別によって、時代のしるしを読み、信徒たちの求めるもの、歴史的な変化に対応するように、小教区は呼ばれている。イエス・キリストの弟子であり、福音を宣教する者として、洗礼を受けた人々の召命の再発見を促す新たな活力が求められている」。

 そうだ。洗礼を受けた人々を目覚めさせるこのような呼びかけは、欠かすことができない。小教区が以前の姿を本当に取り戻し、再建しようとしているなら、”全員集合”して総力を挙げる必要がある。教会の活動の部分を構成する小教区のメンバーたちは、神の国をもたらす活動に直接関与していかねばならない。

 洗礼を受けた人たちの中に、博愛主義者はいない。篤志家もいない。そして働き手の中に、ただ「父に気に入られるようなことをしたい」だけの人がいるべきではない。洗礼を受けた人は、主イエスに呼ばれ、選ばれ、派遣されている。小教区での活動は、イエスの弟子としてのものであり、現在の私たちの世界で主の働きを続けることだ。それは、人を怖気づかせるものであり、洗礼を受けた全ての人が、それぞれの才能、職業、そして鍛錬をもって、嵐を乗り切ることを求められるものである。

 そのような努力を助ける手立てとして、Wordon Fire Institute(https://wordonfire.institute/)は、スティーブン・ブリバント氏による新型コロナウイルス時代のカトリシズムのあり方についての著作を無料でダウンロードできるようにしている。感染症の蔓延への教会の対応の歴史を説明し、現在の状況に置かれた信徒たちに励ましと希望を与えようとしている。主イエスの弟子として誠実に生き、奉仕したいと考える、意欲のある信徒たち、それにコロナ禍で小教区を導こうとするチームにとって、貴重なツールだ。

 聖職者省の指導書の後半には、このように書かかれているー「小教区は、神の言葉を述べ、洗礼盤で神の新たな子供たちの誕生させるために、聖霊によって集められた共同体だ。小教区は司牧者によって組み立てられ、主の受難、死と復活の記念を祝い、慈しみの信仰を証しする」。

 信徒たちが、世界における自分たちの使命に気付くのにつれて、その使命が本当に何なのか(あるいはそうでないのか)について教えられ、形作られる必要が出てきた。小教区の司牧チームは、全ての信徒がイエス・キリストにおいて与えられた栄光の豊かさに集中するための、証し、指導、機会を提供する努力を、常にしなければならない。

 その助けとして、テレサ・トメオ氏は「コロナウイルスの征服:信仰はどのようにして不安を和らげることができるか」という題名のすばらしい書物を著わした。この本は、私たちが洗礼で授かった信仰を十分に生きることの意味に、霊的な覆いをかけるものだ。そしてまた、キリストの弟子にとって、現在の戦いに耐え、勢いを取り戻すための手段と方法を追い求めている小教区の司牧チームにとって、有効な道具を提供する。

 指導書はさらに、「共同の期待」を繰り返し、このように強調するー「心の広さをもって羊たちに進んで奉仕する司牧者は、共同体の1人ひとりが責任を自覚し、多様な方向と連帯の精神を持って、教会が必要としているものの手当てに直接関与するよう、信徒たちを導かねばならない」と。

 教会は羊飼いたちだけで構成されているのではない。羊飼いは自分一人で働くべきではない。そして今、これまで以上に、福音の働きと活力は、皆で分かち合わねばならない。いかなる司牧者も、いかに才能に恵まれていようとも、決断が必要なことを全て知っているわけではない。

 だから、聖霊が働かれ、共同体のメンバーを呼び集め、必要な手段と資源を提供し、そして、共同体の司牧者を、才能と賜物をもつ仲間の信徒たちを識別し、確認し、聴き、信頼して任せ、助ける、委任し、支援する能力をもって、力づける。このようにして、新型ウイルスの世界的大感染の中で、司牧者と信徒たちは協力し合い、福音宣教の使命を達成するのだ。

 こうした努力の助けとして、Our Sunday Visitorは「A Pastoral Guide to Opening Your Parish(あなたの小教区を開く司牧案内)」というタイトルの小冊子を発行した。司牧チームが現在の絶え間なく変化する状況の中で、小教区の活動を円滑に進めるための実用的なアイデアを提供している。

 バチカンの小教区についてのこの指導書は、このようなやり方、そしてその他のやり方で、今日的な小教区を作り上げ、支援することに多くの努力にを結集するための、タイムリーで補完的な助けとなる。おそらくは、今のこの時期に発表することを意図していなかったにもかかわらず、この指導書は、新型コロナ感染で苦闘する小教区がいかにかじ取りをし、盛況を取り戻すかについての、とても重要な青写真を提供するものとなるだろう。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載しています。

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2020年7月27日

・コロナ禍で半年過ぎた2020年、バチカンの今年は終わったのか?(LaCroix)

At the halfway point of 2020, is the year already over for the Vatican?

(Photo courtesy vaticanum.com)

(2020(.7.17 La Croix Vatican city Robert Mickens

*今年は教皇にとって歴史に残る年になるはずだったが…

 「ローマ司教としての教皇フランシスコの時代の歴史が後に書かれた時、西暦2020年は『フランシスコの教皇職で最も重要な年と記録される可能性の高い年になる」と。少なくとも今年の1月には、私はそう思っていた。

 だが、突然、新型コロナウイルスの世界的大感染が起こり、先行きが全く分からなくなっている… 今年の初めにはそうではなかったのだ。

 今年が、実際に(教皇フランシスコの)最後(注:の年)になるのではないかと考える人も、中にはいる。

 教皇の最近のいくつかの決断ー枢機卿団の代表だった力のあるイタリア人、アンジェロ・ソダノ枢機卿を代表のポストから降ろし、フィリピンのルイス・アントニオ・タグレ枢機卿をバチカンで最有力のポストの一つである福音宣教省長官の座に就けたことーは、後任教皇の選挙の準備を始めている印だ、という見方だ。

 83歳のイエズス会士である教皇は今年、2つの主要な文書を公布しようとしており、おそらく他にもいくつかの文書を出すことになるだろう。彼はこれからも世界中を旅し続けるだろうし、前任者が訪問を希望しながら、入国を拒まれた場所にも行こうとするだろう。そして、次期教皇を選ぶ、栄誉ある赤い帽子をかぶった人々の集団(注:枢機卿団)に、新たに何人かを指名するのは間違いない。

 このようにして今年を見ると、ほぼ確実に、極めて重要な年になる、ということだ。どのように見ても、まさにそうなのだ!

*「アマゾニアのために泣かないで…」

  新型コロナウイルスの世界的大感染が、教皇をバチカンの中に閉じ込める前に、本人が成し遂げた唯一の主要な仕事は今年2月の、昨年のアマゾン地域シノドス(地域代表司教会議)を受けた使徒的勧告Querida Amazonia(親愛なるアマゾン)の公布だった。だが、十分な基礎固めが出来なかったさまざまな理由のために、その内容は、多くの人々を失望させた。

 前任者が入ることを拒否された場所への訪問は、保留にすることもできる。教皇は現時点で、あるいは近い将来も、どこかに出かける予定はない。

 大感染がもたらした事態はどれほど深刻なのか?バチカンの枢機卿と大司教がイタリアの国境を越えて他の欧州地域に出かけようとするのは、今、大ニュースになる。実際は1か月以上前の6月3日から出来るようになったことだが…。

 新枢機卿たちの任命に関しては、教皇が枢機卿がはめる指輪を15個注文したという話があるが、いつ実際に任命するのか、はっきりしない。それは教皇の判断することなので、次期教皇を選ぶ権利を持つ枢機卿団に誰を新しく加えるのか、予測するのは困難だ。

*「マッカリク報告」はどうしたのか?

 また、枢機卿団の元のメンバー、セオドア・マカリックに対する徹底的な調査報告も、それほど些細な問題ではない。これについて、バチカンの駐米大使だったカルロ・マリア・ビガーニ大司教が、マカリックの性的な違法行為に目をつぶっていたとして、教皇に辞任を迫るという事態も起きている。

 この調査報告は、どうしたのか?バチカンは速やかに公表すると約束していたのだが、いまだに公表されない。公表の遅れは、マカリックの性的虐待行為が事実であり、それを認めれば、教皇フランシスコの直前の教皇、以前の教皇時代のバチカン幹部官僚たちも、そうした行為を見過ごしていたことで、フランシスコよりも重い責任が生じることになる、という問題と関わりがあるようだ。

 教皇フランシスコは確かに、兄をなくしたばかりの、高齢で弱った前任者ベネディクト16世をさらに困惑させるような報告を公表することを望まないだろう。

*活動中断が生んだ異様な状況の中で何が起きる?

 バチカンで奇妙な時が起きている。欧州で互いの国への旅行が認められるようになって1か月以上経った今でも、バチカンでは観光客や巡礼者がほとんど見られない。

 サンピエトロ広場の周辺の店のほとんどは閉鎖されたままだ。地域全体が、放棄され、空っぽになったような感じがする。このことは、部分的な教会の典礼行事の再開に感じる「動きの止まったままの動画」でいっそう強調される。

 私たちは今、異様な時の中にいる。

 長い間の全面封鎖状態が終わり、少しづつ活動が再開したが、バチカンには、もどかしさと疲労が感じられる。そして、将来についての不透明感がただよっている。

 教皇フランシスコは7月を”自宅待機”の休暇に当てている。活動が制約された状態が続く中で、教皇が2020年の後半に向けて、何を準備しているのか、私たちには思いを巡らすことしかできない。

 彼にはいつも、皆がいちばん予想していないタイミングで、大きな決断をする、あるいは大ニュースを打ち出す、という稀有な能力を発揮して来た。

 その日も時間も、私たちには分からない。だから、”警戒態勢”を取っていなければならないのだ。

 

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

(注:LA CROIX internationalは、1883年に創刊された世界的に権威のある独立系のカトリック日刊紙LA CROIXのオンライン版。急激に変化する世界と教会の動きを適切な報道と解説で追い続けていることに定評があります。「カトリック・あい」は翻訳・転載の許可を得て、逐次、掲載していきます。原文はhttps://international.la-croix.comでご覧になれます。

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2020年7月20日

・「東トルキスタンにおける民族大虐殺」-ウイグル族弾圧を告発する新報告書発刊(BW)

Campaign for Uyghurs, chaired by Ms. Rushan Abbas, offers evidence of the criminal policies of the CCP, and calls for an international trial.

(2020.7.13 BitterWinter by Marco Respinti)

 民族的、宗教的あるいは文化的に特定の民族を一掃するために計画された犯罪行為を、何と呼ぶのか-ナチスのユダヤ人に対する犯罪行為を告発する際に、ポーランドの法律家、ラファエル・レムキン(1900‐1959)が使った造語”Genocide(大量虐殺)”がそれだ。道徳的、法律的、そして哲学的な重みさえもつ言葉だ。

(注:レムキンは1939年、ドイツ軍に侵略を受けたポーランドを脱出、スウェーデンを経て米国に渡り、1944年にカーネギー国際平和財団から『Axis Rule in Occupied Europe(占領下のヨーロッパにおける枢軸国の統治)』を出版。同書のなかで、「国民的集団の絶滅を目指し、当該集団にとって必要不可欠な生活基盤の破壊を目的とする様々な行動を統括する計画」を指す言葉として”Genocide”という新しい言葉を造語した)

 Genocideは残念ながら、世界史の中で何度も起きた行為である。特定の民族全体を抹殺しようと、可能な限り体系的、科学的に計画が立てられ、実行されるー私たちは「民主主義の時代」に生きていると言われているにもかかわらず、現代でも起きている。

  フランスの歴史家、レイナルド・セシェールは、人類の歴史上はじめての大量虐殺に関する最も優れた専門家の1人だ。その研究は、フランス革命の最中に、同国中西部ヴァンデのカトリック教徒が組織的に絶滅させられた戦い。彼は「大虐殺」の概念について詳しく説明し、さらに”Memorycide(記憶虐殺)”という言葉を創ったー大量虐殺される人間集団の記憶までも破壊し、歴史からその記録、痕跡を消し去ることだ。

 さらに、最近の学者たちは”Cultural geocide(文化大虐殺)”の概念も導入するようになっている。身体的抹殺にとどまらず、文化をも抹殺する行為を意味する。

 そして、これが、今まさに中国・新疆ウイグル自治区で起きていること。主にイスラム教徒のウイグル人やその他のトルコ系少数民族が住むこの地域を、彼らは「東トルキスタン」とも呼ぶのを好む。まさにこの理由から、法律家の中には、中国が、関連の条約を批准していなくても、中国共産党政権を国際刑事裁判所に引き出すことができるし、出来るだけ早く、そうすべきだ、と考えている。

 この問題に関する新しい報告書が出された。タイトルは「東トルキスタンにおける大虐殺」で、出版したのはルーシャン・アッバス女史が会長を務めるCampaign for Uyghurs’本部・米ワシントン)だ。報告書には、BitterWinterが最近報道を続けているこの地域における実情がまとめられている。

 民族全体を抹殺しようとする中国共産党の行動は、新型コロナウイルスの世界的大感染によっても止まることはなかった。新疆ウイグル自治区のイスラム教徒は、あらゆる方法で脅迫を受けて続けている。違法な逮捕・拘留、宗教的、文化的差別、さらには宗教的戒律で禁じられている豚肉を食べ、アルコールを飲むよう強制されるなどの屈辱を受け、そして家の内部をウイグルの伝統的装飾を外させられる。少しでも抵抗すれば、”教育キャンプ”に送られ、恐ろしい思想改造に遭う…

 報告書に重点的に書かれているのはウイグル族の女性たちの運命だ。ウイグル族の人々と生活を共にすることで 日常生活を管理下に置くのを狙いに、特別に訓練を受けた中国共産党の党員100万人がこの地域に送り込まれた。

 この”作戦”は中国共産党が”二重血縁計画”(ウイグル族の各家庭に実際の血縁者と中国共産党が持ち込んだ”血縁者”が共存する、という意味)と命名したもので、ウイグル族の少女、女性が共産党のスパイとベッドを共にする義務を意味する場合もある。その”結果”予測するのは難しいことではない。

 中国共産党が選んだ漢民族の男とウイグル族女性の強制された結婚という”災難”も日常化しており、さらなる苦痛をもたらしている。Campaign for Uyghursが非難しているように、これはウイグル族女性に対する性的暴行以外の何ものでもない。

 報告書の最も重要な部分は、「大量虐殺」の法的概念に関する序論と、中国共産党による大量虐殺の意図が明確に示されているいくつかの章だ。具体例として挙げられているのは、家庭崩壊を狙った行為ー強制収容所に送られた親や親類の子供たちを強制的に家から連れ出して”再教育”する、新生児が生まれないようにする女性に対する不妊手術や妊婦への流産措置などだ。

 「こうした犯罪は、国際委員会によって提訴されねばなず、犯罪者は国際司法裁判所で裁かれねばならない」と報告書は結論付けている。そうでなければ、ウイグル族の指導者だったイサ・ユスフ・アルプテキン(1901–1995)が警告したように、「私の民族は破壊の危険から逃れることができないなら、滅びてしまう」だろう。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2020年7月14日

 ・新使徒憲章公布へ、バチカン改革と主要枢機卿ポストの交替が目前に(LaCroix)

(2020.7.10 La Croix Vatican City Robert Mickens)

A reformed Roman Curia and a new batch of cardinals

これは恐らく、現在のバチカンの最も野心的なプロジェクトだ。カトリック教会の中心にあるバチカン、その官僚機構のメンタリティと構造を真に改革しようする試みだ。

 フランシスコは2013年3月に教皇に選出されてちょうど一か月後、「枢機卿顧問会議(G9)」を設けた。当初、世界各地から教皇が選んだ9人で構成され、世界のカトリック教会の統治で教皇を補佐する役割を与えられた。そして、現在のバチカンの体制を規定している使徒憲章Pastor Bonus』に代わる新使徒憲章によって、バチカンを抜本改革する計画を策定するという具体的な使命も与えられている。

 『Pastor Bonus』に代わる新使徒憲章『Praedicate Evangelium』の草案は1年以上前に完成しているが、教皇は世界各国の司教協議会、特定の修道会の総長たち、そして何人かの神学者たちから、追加の提案を受けることを希望された。そして、それを受ける形で、今年の2月22日の 聖ペトロの 使徒座の祝日、遅くとも6月末の聖ペトロ・聖パウロの祝日までに最終文書が発表される、ということが、今年の年初には言われていた。

 

(教皇ヨハネ・パウロ二世は、1988年6月28日付の使徒憲章『Pastor Bonusパストール・ ボヌス』で、 ローマ教皇庁の改組を発表した。この一覧表は、その後の多少の改組も加え、作成した ものである。 教皇庁は、国務省、省、裁判所、評議会、事務局、諸機関からなっている)

 

*バチカン改革の新使徒憲章は既に教皇の署名を終えている

 だが、新型コロナウイルスの世界的大感染の影響を受けて、現在メンバーが6人となった枢機卿顧問会議は、2月の第33回会合以後、開催予定の中止を余儀なくされ、発表のスケジュールが大幅に狂っている。

 だが、バチカンの情報筋によると、新使徒憲章『Praedicate Evangelium』は完成し、教皇フランシスコが既に署名を終え、主要言語への翻訳作業に入っている。翻訳が完成すれば、新使徒憲章は正式に公開される、という。

 ローマは今、夏の間ただ中にある。通常であれば、バチカンの主要文書の発表や重要なイベントを始める時期ではないが、しかし、新使徒憲章の決定、発表は通常の教皇の”業務”ではない。そして、新使徒憲章がいつ発表されようと、それは歴史的なものとなり、影響は多岐にわたると予想される。

 新使徒憲章が実施に移されて、最初の私たちが目にするのは、バチカン幹部の大規模な人事異動だろう。新使徒憲章が定める項目を完全に実行するには何か月、あるいは何年もかかるとみられ、教皇は、その実行を見届けるために、信頼のおける人材を見つけねばならない。

 

*バチカン”閣僚”の20人以上が変わる?

 間もなく、バチカンを拠点に活動する枢機卿20人以上が司教定年=現職の閣僚ポストからの退職の年令=を迎える。このため、あたらな指導者たちの任命が必要となる。

・司教省長官

 まず、教皇フランシスコは、司教省の長官、マルク・ウエレット枢機卿の後任を決めねばならない。ラッツインガ―(前教皇ベネディクト16世)の弟子であるウエレット枢機卿はこの極めて重要なポストに10年いるが、6月8日に76歳の誕生日を迎え、75歳の定年を超えた。

 彼の長官退任は、将来の教皇選挙の候補となる可能性が大幅に低くなる、ということだ。第二バチカン公会議の後の時代、司教が75歳になった時点、あるいはその後まもなくの時点で退任するのが普通のことになった。そして、教皇に選出された全員が、選挙の時点で、司教のポストにあった。

・典礼秘跡省、東方教会省、教育省の長官

 次に、典礼秘跡省の長官を務めているロバート・サラ枢機卿も6月15日で75歳になった。聖ヨハネ・パウロ2世は2001年に、当時あまり目立つ存在ではなかったサラをバチカンに呼び、福音宣教省の次官に任命した。そして、後任教皇のベネディクト16世は2010年に彼を枢機卿にしたことで、バチカン内部の保守派、伝統主義者の重要人物の一人になっていた。

 東方教会省長官のレオナルド・サンドリ枢機卿も76歳で、交替期を迎えている。彼は聖ヨハネ・パウロ2世の治世における重要人物として2007年から現職を務めてきた。ただ、最近、枢機卿団の副団長に選ばれたので、長官を退任しても、バチカンに留まることになるだろう。

 教育省長官も交替するだろう。現長官のジュゼッペ・ベルサルディ枢機卿は今月末に77歳になる。彼はイタリア北部の教区で司教を5年務めた後、前教皇ベネディクト16世の時代にバチカンに来た。

・聖職者省長官、列聖省次官

 また、フランシスコの教皇就任以来、聖職者省の長官を務めてきたベニアミノ・ステラ枢機卿も交替が求められている。イタリアのべ根と地方出身で、南米での豊富な勤務経験を持つベテラン外交官の彼は来月8月に79歳になる。同じ聖職者省の次官、ジョエル・メルシェ大司教も交替となる可能性がある。年初に75歳になっているからだ。

 列聖省の次官、マルチェッロ・バルトルッチ大司教も、10年以上現在のポストにあり、このほど76歳となったため、教皇フランシスコが彼の辞表を受理すると予想される。

 以前、新次官に前教皇ベネディクト16世の個人秘書、ゲオルグ・ゲンズヴァイン大司教を就けると噂されたが、それは教皇が大司教の教皇公邸管理部室長の役職を解く前のことだ。役職を解かれたのは、既婚司祭の実現に反対するサラ枢機卿が出版しバチカン内外に物議をかもしている本の共著者そして、ベネディクト16世が名前を出したことに、ゲンズヴァイン大司教が関わっていることと関係があるようだ。

・バチカン市国の管理者たち、内赦院長

 バチカン市国の管理者たちにも、新たな高位聖職者を選ぶ必要がある。現在の行政庁長官のジュゼッペ・ベルテッロ枢機卿は2011年からこの職に就いており、あと3か月で78歳の誕生日を迎える。総務局長を2013年から務めている大司教フェルナンド・ヴェルジェス・アルザガ大司教も定年だ。2人とも交替となる。

 前教皇ベネディクト16世の最も古い盟友の1人、内赦院長のマウロ・ピアチェンツァ枢機卿も、職務から解放される。枢機卿は、保守派の故ジュゼッペ・シリ枢機卿の薫陶を受けたジェノバ出身だ。フランシスコは2013年の教皇就任直後に、当時、聖職者省の長官だった彼を、通常の5年任期のまだ3年しか務めていなかったにもかかわらず、事実更迭し、現在の職に就けていた。

 

・文化評議会議長、聖ペトロ大聖堂首席司祭

 新使徒憲章が公表された段階で、定年に達するか、定年を過ぎているバチカンの高位役職者で交替するか、あるいは単に退任する者の中には、他に、文化評議会議長のジャンフランコ・ラバージ枢機卿が含まれる。2007年にミラノからバチカンの現職に就いた、この人気の高いイタリア人聖書学者は10月に77歳になる。

 また、2005年に聖ヨハネ・パウロ2世が亡くなるわずか2か月前に聖ぺトロ大聖堂の主席司祭になったイタリア人アンジェロ・コマストリ枢機卿も今年9月に76歳になる。

 

・キリスト教一致推進評議会次官、司教評議会議長の去就も注目

 キリスト教一致推進評議会の次官として2002年から卓越した仕事をしたブライアン・ファレル司教も、すでに76歳だ。教皇がバチカンの全面刷新を考えているなら、彼の辞表を受理するだろう。

 また、司教評議会議長のクルト・コッホ枢機卿はまだ70歳だが、ドイツ語を話すこのスイス人高位聖職者は2010年からこの職を続けている。彼が他のポストに移るか、早期引退するのかも、注目点だ。

*去就が不明の枢機卿も

 すでに定年に達していて、去就がはっきりしない枢機卿が何人かいる。

 四大バシリカの一つ、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の主任司祭、スラニスラウ・リュウコ枢機卿は、7月4日に75歳になった。

 聖ヨハネ・パウロ二世と同郷のポーランド、クラクフ出身で、彼から1987年に司祭に叙階され、彼の手でローマ入りした、いわゆる「ポーランドマフィア」の1人。ローマでは、現在は信徒・家庭・いのちの部署に統合された信徒評議会で、2003年から2016年まで議長を務めた。

 ヨハネ・パウロ二世が好みとした新教会運動の承認にの責任を持つ評議会だったが、それが無くなって、今のポストをあてがわれた。儀礼的な役職からの引退は、従来は異例と考えられたが、教皇フランシスコはこれまでの教皇とは違う。

・教皇の信任熱いラダリア教理省長官は?

 重要ポストの役職定年を過ぎているもう1人の枢機卿は、教理省長官のルイス・ラダリア枢機卿だ。スペイン人イエズス会士は今年4月に76歳になったが、ポストに就いてまだ3年だ。教皇フランシスコは彼を信頼しているようだが、教理省について予定される改革実行のための適任者とする自信があるだろうか?

 サルバトーレ・フィジケッラ大司教の運命もまだはっきりしない。69歳のイタリア人神学者は、2010年に前教皇ベネディクト16世が新福音化推進評議会を新設して以来、議長を務めてきたが、教皇フランシスコは現在、 同評議会の廃止、福音宣教省への機能統合を進めている。しかも、教皇は福音宣教省の長官に63歳のフィリピン人アントニオ・タグレ枢機卿を任命したばかりだ。

*経済評議会の枢機卿8人のうち5,6人も退任予想

 経済評議会を構成する8人の枢機卿のうち、5人ないし6人が退任すると予想されている。年齢が75を超えており、教区の大司教としての職務を終えているからだ。退任が予想される中には、間もなく81歳になる前香港司教・ 湯漢枢機卿も含まれている。他に退任が予想されるのはは、元ローマ司教代理で80歳のアゴスチノ・ヴァリーニ枢機卿、79歳で間もなく引退する南アフリカ・ダーバンのウィルフリッド・ネイピア大司教、78歳の元メキシコ・シティ大司教のノルベルト・リベラ・カレラ、76歳の元リマ大司教のファン・ルイス・チプリアーニ、75歳の元フランス・ボルドー大司教のジャン・ピエール・リカール枢機卿だ。

 米国のガルベストン-ヒューストン大司教で71歳のダニエル・ディナルド枢機卿は、経済評議会の座長で66歳のミュンヘン大司教、ラインハルト・マルクス枢機卿とともに同評議会に残る可能性がある。

*枢機卿顧問団に大司教、司教からの大抜擢も?

 そして当然のことながら、バチカン改革で教皇フランシスコを補佐する枢機卿顧問団も欠員を補充せねばならないが、対象者はまだ枢機卿になっていない者も含まれる可能性がある。そして、誰もが想像しなかったよりも早く、”赤い帽子””を手に入れているかもしれない。

 そのような予想の根拠は、近く開かれるであろう枢機卿会議に備えて15個の指輪を発注したことにある。これもまた、非常に珍しいことだ。(注:新型コロナウイルスの世界的大感染の中で)教会に行く信徒たちが”社会的距離”を保ち、マスクをしなければならない、とされている今であれば、なおさらだ。

 だが、教会法に、”赤帽子のセレモニー”が入念に準備された特別な催しでなければならない、という定めがあるわけではない。

 誰も予想しないような、小さな地味な舞台で、新たな枢機卿を一度のまとめて任命することがあるのか?ーそれは尋常ではないが、ありうることだ。教皇フランシスコの手に負えないことではない。

 

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

(注:LA CROIX internationalは、1883年に創刊された世界的に権威のある独立系のカトリック日刊紙LA CROIXのオンライン版。急激に変化する世界と教会の動きを適切な報道と解説で追い続けていることに定評があります。「カトリック・あい」は翻訳・転載の許可を得て、逐次、掲載していきます。原文はhttps://international.la-croix.comでご覧になれます。

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2020年7月13日

・教皇が日曜正午の祈りの説教原稿から「香港」を削除した理由は…(Crux)

(2020.7.7 Crux  Editor John L. Allen Jr.)

 ROME –バチカン担当の記者たちは、完全に報道できないニュースを手にして欲求不満を感じている。それは、一つには報道の倫理に縛られているためであり、一つには、自分たち自身、本当に何が起きているのか知らないためだ。そうした”真空状態”は、左右のイデオロギーの肉ひき器を作動させ、完全な情報を逃すリスクを冒させている。

 具体的に説明しよう。

 

*事前配布の説教の予定原稿は「香港問題」に言及していた

 7月5日の日曜、教皇フランシスコは正午の祈りで説教をいつも通りすることになっていた。教皇は、説教の最後に、時々の国際情勢に関係する一つか二つのコメントをされることがよくある。そしてバチカン担当の記者たちには、記事執筆の準備ができるように、事前に説教の予定原稿が「解禁時間厳守」で報道官から配られる。

 つまり、説教で教皇が実際にお話しになる前に、そうした教皇のコメントを記事にできないルールになっている。だから、事前発表の予定原稿に書かれていたコメントでも、教皇が実際にお話しにならなかったら、そのコメントはなかったことになるのだ。それでも、教皇は普通は、あらかじめ用意された原稿の内容と大きく異なる話はされない。1つか2つ言葉を入れたり、何らかの理由で一行とばして話されることが時々あるだけだ。

 ところが、5日の正午の祈りの説教はそうではなかった。予定原稿に書かれていた「香港」に関するかなりの量の文章が、”省略”されてしまったのだ。事前に予定原稿をもらえる条件を守らねばならないから、省略された内容を報道することはできない。

 ただ言えるのは、いくつかのイタリアのニュースサイトが、解禁の条件を付けられず、説教の予定原稿の内容や、「香港」への言及がなぜ省略されたのかについてのコメントを流した、ということだ。

*「中国政府・共産党との和解の動き」の一環?

 そうしたコメントを見ると、かねてから教皇に批判的な立場の記者や評論家は、説教の予定原稿から「香港」の部分を外したのは、二年前にバチカンが中国と司教任命に関して暫定合意し、中国当局に国内の司教任命に当たっての指名権を渡したことに始まる「中国と共産党指導部との和解の動き」の一環、と論評している。

 一方で、教皇を支持することで知られる評論家や記者は、「香港」の省略は、「中国との対話」の意思表明であり、「巧みな外交的、地政学的直観」がなせる技だ、と評価する。

 長年にわたるバチカン・ウオッチャーで、保守的とされているマルコ・トサティ氏は、挑発的な問いかけをする-「教皇にさるぐつわを嵌めるために、北京はどんな紐を使っているのか?」と。

 さらにクリスティアーノ氏は、「教皇は、良い判断をされました… 香港にいる誰もが実際には反抗できない権力を持った政治体制に打ち込む対立のくさびとして、この問題を使わずに、香港と全中国の人々を実際に助けようとする、教皇の努力の一環です」と強調した。

 長い間バチカンで記者をしてきたサルバトーレ・イッツォ氏が創設したニュース・メディアFaro di Romaも、肯定派だ。その社説は、「今は中国を批判するのにいい時だ、と考えない教皇を批判するには努力が要ります… 世間知らずの人に信じられるようにするテニックはいつも同じー来る日も来る日も、同じナンセンスを繰り返すだけで十分」と書いている。

*当事者の説明なければ、憶測が乱れるだけ…

・中国の諸問題とバチカンの諸問題。この二つの極めて異なった権力がどのように関係を進めていくか、が問題だ。

・そうだとすれば、5日の日曜正午の祈りの説教で教皇が香港問題に言及しないという判断をしたことが、記者の関心を引いたのは、道理にかなっている。

・香港問題になぜ言及しなかったのか、私たちには分からない。不安感にさいなまれたのかも知れないし、大きな戦略の一環だったかも知れない。本当に説得力のある動機から生じたのかも知れないし、単純にバチカン内部の意思疎通の欠如によるものかも知れない。あるいは、まったく別の理由があった可能性もある。いずれにしても、主要な当事者たちから説明を受けるまで、私たちは、人々の個人的に偏った見解を反映することの多い臆測の中に置いておかれることになる。

 そして、記者たちの疑問は、再びここに戻るー「なぜ、教皇はそのこと(注:香港問題)を言わなかったのか?」。

 この問いは、中国あるいは教皇フランシスコの指導力、あるいはその他をめぐる広範な議論の中に組み込まれるに一定の場を占めることになるかどうかも分からない。だが、これからの日々、記者たちがどれだけだけ努力しても、党派的な運動と見なされてしまうのではないか、という残念ながら理解できる不安から仕事をする意欲を失うことのないように、と希望する人はいるのだ。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載しています。

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2020年7月8日

・第二バチカン公会議55周年-まかれた種は木となり、花を咲かせ…

(「天の国は、からし種に似ている…どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作る…」(マタイ福音書13章31,32節)=南條俊二撮影)

(2020.7.2 VaticanNews  Sergio Centofanti=バチカン広報局副局長)

 「偉大な恵み」「教会生活のための真の預言」「新たな聖霊降臨」…これらは、教皇ヨハネ・パウロ2世と教皇ベネディクト16世が、第二バチカン公会議に対して用いた表現の一部だ。

 公会議でまかれた種が木になり、聖霊の働きを通して、実を結び続けている… 今年の12月8日、第二バチカン公会議の閉幕55周年を迎える。教会共同体において今、新たな議論が起きており、そのいくつかは公会議の成果から離れ、あるいは、その成果の重要性を低めようとしているーつまり、改めて第二バチカン公会議とその成果について改めて振り返る重大な時期を迎えているのだ。

 

*新たな聖霊降臨

 第二バチカン公会議について、教皇フランシスコは「新たな聖霊降臨」というインパクトのある表現をしている。

 教皇は、この公会議に、ヨゼフ・フリングス枢機卿を補佐する専門家、そして神学専門家として参加した”生き証人”。その教皇が2013年2月のローマの司祭たちとの集まりで、当時を振り返り、 「すべてが新たにされ、新たな聖霊降臨、教会の新たな時代の到来を、私たちは望んでいました」と述べられた。

 続けて、「(注:第二バチカン公会議に出席した人々の間には)教会の当時の姿について、前に進んでいない、との思いがありました。教会は衰退しており、未来の先駆けというよりも、過去の遺物のように思われました」としたうえで、「公会議で、このような姿が改められ変わることを、教会が再び、明日のための力、今日のための力になることを希望していました」と語られた。

 さらに教皇は、2012年10月10日の一般謁見で聖ヨハネ・パウロ二世が語った言葉を引用し、第二バチカン公会議を「20世紀に教会に授けられた偉大な賜物」と定義した。この公会議に「始まった新たな世紀において、私たちの進むべき方向を知る羅針盤を見出します(ヨハネ・パウロ二世の使徒的書簡Novo millennio ineunte,(新千年期の初めに=2001年1月6日発出)57項参照)」と。そして、言明されたー「公会議の『真の原動力』は聖霊。『新たな教会』ではなく『教会の新たな時代』を創るための、『新たな聖霊降臨』と言えるのです」。

*前教皇が語る二つの解釈学-「断裂」と「継続の中の刷新」

 公会議が明確に示したのは、世代から次の世代へと伝えられてきた教義の真の発展は、聖霊に導かれ、共に歩む人々によって実現されるということだった。 それは、2005年12月22日の前教皇ベネディクト16世の教皇庁職員に対する講演の核心になっている。

 講演で前教皇は、二つの解釈学ー「断裂の解釈学」と「継続の中の刷新の解釈学」ーについて語られた。に 前教皇はまず、「適正な解釈」とは、教会を「時とともに向上し、発展するが、常に同じであり続ける主体、旅する神の民の一つの主体」と見なすこと、としたうえで、「忠誠とダイナミズムの統合」について語り、「忠誠は動きにあり、静止してはいない。同じ道に沿って進む旅。芽を出し、木に育ち、枝を広げ、花を咲かせ、実をつけるようになる種。生きている植物のように一方で枝を伸ばし、もう一方で切られることのない根を張る…」と。

 

*カトリック教会の歴史における継続と非継続

 だが、カトリック教会には過去にいくつかの劇的な変化が起きている。「継続における刷新」について、どうやって説得力のある説明ができるだろうか。

 使徒ペトロを例にとって説明できるだろうーペトロが初めて異邦人たちに洗礼を授けた時、聖霊の賜物が彼らに注がれたが、それに先立って、彼は一緒にいたユダヤ人の信者たちに「神は人を分け隔てなさらない… どの民族の人であっても、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです」(使徒言行録10章34-35節)と語った。彼らは(注:割礼を受けていない異邦人に洗礼を授けた)ペトロを非難したが、彼の言葉を聞いて人々は静まり、「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」と言って、神を崇めた…(使徒言行録11章18節)。

 私たちに何をすべきかを示され、私たちを動かし、私たちを前に進めるのは、聖霊だ。 2000年の歴史で、教会には多くの解釈の変化があったー洗礼を受けていない人々の救済に関する教義、心理の名の下に振るわれる暴力、女性と一般信徒に関する問題、信仰と科学の関係、聖書の解釈、カトリック以外のキリスト教徒、ユダヤ教徒、そして他宗教の信徒との関係、信教の自由、公民の領域と宗教者の領域の区別、などだ。

 ベネディクト16世は先の講演で、このことについて言及し、特定の問題について「事実上の非継続が明らかになっている」と述べた。たとえば、一定の継続性を証明する哲学的、神学的、あるいは歴史的な文脈をもとにした説明を考慮せずに言えば、ある時点、でカトリック信者でない人々に信教の自由は許されず、後になって許された。だから、実際には(注:「継続」とは)非常に異なる対応があったのだ。

*公会議が取り戻した教会の歴史的財産

 ベネディクト16世は語っているー「私たちは、以前よりも実際的に理解することを学ぶ必要」があり、それには「寛容な心」が求められ、「認識することを学ぶ必要があった」。…聖霊降臨の後でさえ、なお新しいことを学ばねばならなかったペトロのように、「本当に私は気づきます」… 私たちは自分のポケットに真実を持たず、物としての真実を”所有”していない。むしろ「真実に属している」と言っていい。それ以上に、キリスト教の真実は”概念”ではなく、語り続けられる”生ける神”なのだ。

 また、信教の自由に関する公会議の宣言に言及して、ベネディクト16世は次のように述べている-「第二バチカン公会議は、宗教の自由に関する宣言をもって、近代国家に不可欠な原則を認識し、手中にすることで、教会の最も根底にある歴史的財産を取り戻しました。そうすることで、教会は、いつの時代も、イエスご自身の教え、そして”殉教者の教会”と完全に一致していることを認識するのです」。

 さらに、「第二バチカン公会議…は、いくつかの歴史的決定を見直し、あるいは修正さえしましたが、この明らかな非継続の中で、教会の最も本質的な性質と真の独自性を守り、深めました。教会は、公会議の前も後も同じ教会、唯一の、聖なる、普遍的で使徒的な、旅する教会です」と前教皇は付け加えた。

*霊的な継続性

 こうして、継続性は単に論理的、合理的、あるいは歴史的な視点から語られるものでないことを、もっとよく知ることができる。ずっとよく、である。それは唯一の神の民が、聖霊の導きに従って、共に歩むという、「霊的な継続性」だ。

 「断裂の解釈学」は、破裂の解釈学は、教会共同体から離れ、急に止まったり、先に進み過ぎたりして結束を破る人々によって支持されている。前教皇は二つの極論について、2012年10月の「信仰の年」の初めに当たってのミサの説教で、「時代錯誤の懐古趣味」と「先走り過ぎ」という言葉で表現している。このような人々はダイナミックな忠誠を求める聖霊に耳を傾けず、自分自身の考えに従い、古いものに、あるいは新しいものに、ひたすらしがみつき、天の国の使徒たちがするような、新旧の合わせ方も知ることがない。

 

*教皇フランシスコの新しさ

 偉大な教皇たちの後に、教皇フランシスコが”現場”に着いた。彼は前任者たちの足跡をたどっている。それは”成長する種子”。教会は前に進む。

 前任者のベネディクト16世始め多くのペトロの後継者が体験したように、彼についても多くの歪曲され、あるいは嘘のニュースが流された。だが、教義と教会の掟、秘跡、命を守ることと家族、教育に関する原則ーこれらのどれも変わることがない。神学的で枢要な徳目も、あるいは七つの大罪も変わらない。

 教皇フランシスコの継続性の新しさをよりよく理解し、歪曲や虚偽を乗り越えるためには、彼が出した使徒的勧告「Evangelii gaudium(福音の喜び)」を読む必要がある。

 勧告は次のように始まるー「福音の喜びは、イエスに出会う人々の心と生活全体を満たします。イエスの差し出す救いを受け入れる人は、罪と悲しみ、内面的なむなしさと孤独から解放されるのです。喜びは、常にイエス・キリストとともに生み出され、新たにされます」。一番最初に来るのは、私たちの救い主、イエスと出会う喜びなのだ。

 

*親密さと愛情のこもった”歓迎”のスタイル

   教皇フランシスコは、私たちに、「福音が本来持っている新鮮さを取り戻し、それをすべての人に伝えること」を勧めておられる。本質的なもの-神と隣人の愛-に集中し、「数多くの教義をばらばらに伝えることに憑りつかれた」ような信仰宣言のやり方を避けるように、私たちに願われる。そして、「この基本的な核心で、輝き出るのは、亡くなられ、死者の中から蘇られたイエス・キリストにおいて宣明された神の救いの愛の素晴らしさ、なのです」と語られる。

 そして、この第一の宣言を「何回も繰り返す」ことを求められるー「イエス・キリストはあなたを愛しておられます。あなたを救うために命を捧げられました。そして今、彼はあなたの傍にいて、あなたを教え導き、力づけ、自由にしてくださいます」。

 また、私たちの行動様式として、「親近感、対話への用意、忍耐、温かさ、そして偏向した判断をしない歓迎の態度」を求められる。フランシスコが重視するのは、「他の人の聖域の前でサンダルを脱ぐように教える「共に歩むためのコツ」であり、「キリスト教徒の人生で癒し、自由にし、成長を促す、思いやりの眼差し」をもって、他の人々を見ることだ。

*聖体拝領は”完璧な人への報酬”ではない、”弱い人への栄養剤”だ

 教皇フランシスコはまた、開かれた教会を望んでおられるー「いかなる理由でも秘跡の扉を閉じるべきではありません」。そして、聖体拝領は「秘跡を満たすものではありますが、完璧な人への報酬”ではありません。”弱い人への強力な薬、栄養剤”です」。こうした確信は、忍耐と大胆さをもって考えることが私たちに求められる、という司牧的な結論だ。

 「私たちはしばしば、その賜物の世話役ではなく、裁定者として行動するが、教会は高速道路の料金所ではない。教会は父の家であり、どの人、問題を抱えている人にも場所が用意されているのです」。それで、使徒的勧告「Amoris laetitia (家庭における愛の喜び)」では、識別の手法をとるように、違法な状態で暮らす人々に秘跡への参加を、ケースバーケースで考えるように提示している。それは、人間の救済とイエスの慈悲を願うことで、人々を仲間に入れ、共に歩むための第一歩だ。

 道徳的に許されない不貞行為をした女性に起きるように、規範は冷酷非情なものになることがある。現代の問題の中には、2000年前のユダヤで律法学者とファリサイ派の人々がイエスに問いかけた言葉を思い起こさせるものがあるー「先生、この女は姦淫をしている時に捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか」(ヨハネ福音書8章4-5節)。イエスがどう答えたか、私たちは皆、知っている。

 

*聖ヨハネ・パウロ二世教皇「公会議は実を結ぶ」

 教皇フランシスコは打にバチカン公会議の道をたどり続ける以上のことはしていない。聖霊が語り続けるから、霊的な継続性が保たれているのだ。

 「(注:第二バチカン公会議を招集された)ヨハネ23世が植えられた”小さな種”は…は成長して、今や主のブドウ畑に、威厳のある強大な枝を広げる樹木となりました」と聖ヨハネ・パウロ2世は2000年2月に語っている。

 「そして、すでの多くの実がなっており、今後、何年かの間にさらに多くの実がなるでしょう。新たな季節が私たちの前に始まっています… 第二バチカン公会議は、教会の活動のための本当に預言的なメッセージとなりました。今始まったばかりの第三の千年期に、何年も続くことでしょう」。

 

*聖ヨハネ23世教皇「教会は慈しみの香油を好む」

 それは今日も昨日と同じだ。 1962年10月11日に第二バチカン公会議を招集した聖ヨハネ23世教皇は、このように語られている。

 「私たちを妨げる特定の意見を耳にすることが時々あります。それは、賞賛すべき信仰への熱意によって火を付けられたにもかかわらず、出来事を評価する際に十分な慎重さと判断を欠いている人々が表明する意見です。彼らは、世界で今起きていることに苦難と災害しか見ることができません。私たちがいる現代は、過去の時代と比べて決定的に悪くなっている、と繰り返し言います」

 「人が彼らの態度をみれば『歴史-人生の偉大な教師-は彼らに何も教えていない』と思うでしょう。彼らは、以前の公会議の時には、教義、道徳、そして教会の正当な自由に関する限り、すべてそうであった、と想像しているように見えます。このような終末の預言者たち-いつも、さらに酷い災害の発生を予想し、世の終わりがすぐに来るかのように言う人々-に同意せねばならないかのように、私たちは感じてしまいます」。

 そして、教義的ないくつもの誤りについて、こう指摘されているー「教会はいつも、このような誤りに反対し、あらん限りの厳しさで非難することもしばしばでした。しかし今日、キリストの花嫁である教会は、厳しさの力よりも慈しみの香油を好みます。現代に必要とされていることは、あからさまに非難するよりも、教義の主旨をもっと十分に説明することで、最もよく達成される、と信じているのです」。

*聖パウロ六世教皇「教会のために」

 第二バチカン公会議が閉幕した1965年12月8日、聖パウロ6世は、全世界に向けて、このように確信を持って語られた。

 「カトリック教会にとって、誰もよそ者でなく、排除されず、はるか遠くの存在ではありません… 私たちの世界中に向けて挨拶は、あなた方-私たちを知らない方々、私たちを理解していない方々、私たちを便利な、必要な、あるいは友好的な存在と見なさない方々-のところに届きます。また、おそらく自分は良いことをしていると思っているが、私たちと反対の立場を取っている方々にも、届きます。偽りがなく、控えめだが、希望に満ちた挨拶、そして信じてください-この挨拶は、尊敬と愛に満ちているのです。ご覧ください。これが私たちの挨拶です」

 「この挨拶が、私たちの心の中の神の慈しみの新たな火花、公会議がまとめ、慈しみによって刺激を受けた原則、教義、提案を燃え立たせる火花、となりますように、教会と世界に、思想、活動、行動、道徳的な力の刷新、そして希望と喜びを、生みますように-それが、この公会議のまさに目指したことだったのです」。

*困難な現代に必要な「善い言葉」

 現在、カトリック教会が紛争や分裂の影響を特に受けている中で、聖パウロの当時のキリスト教共同体への勧告を思い起こすことは有益だ。

 パウロはガラティアの信徒たちに「律法全体が『隣人を自分のように愛しなさい』という一句において全うされている」と述べ、「私は言います。霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません」と言明した(ガラテヤの信徒への手紙5章14-16節)。

 さらに、エフェソの信徒たちは、こう述べている。

 「悪い言葉を一切、口にしてはなりません。口にするなら、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるために必要な善い言葉を語りなさい。神の聖霊を悲しませてはなりません… 恨み、憤り、怒り、わめき、冒瀆はすべて、一切の悪意と共に捨て去りなさい。互いに親切で憐れみ深い者となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに許し合いなさい」(エフェソの信徒への手紙4章29-32節)。

 私たちが、言い逃れをせず、この言葉を実践しようとしたら、何が起こるだろうか?

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二=文中の聖書の引用の日本語訳は「聖書協会・共同訳」を使用)

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 【第二バチカン公会議】

 公会議は、全世界の司教が教会の最高指導者として集まり、信仰とキリスト教っ生活について規範となる議決をするカトリック教会の最高会議。教皇が召集、主宰し、会議の決定を承認する形をとる。第1回は325年のニカイア公会議で、第二バチカン公会議は21回目。20世紀に開かれた最初で最後の公会議。

 「現代世界に開かれた教会」を切望する聖ヨハネ23世教皇によって1962年10月11日に招集され、途中で後を継いだ聖パウロ6世によって会議が続けられた後、1965年12月8日に閉幕した。典礼憲章、教会憲章、現代世界憲章など16の文書を制定し、その後の教会の方向を定めた。

 だが、会議参加者の多くが世を去り、現在の世界の教会関係者、信徒、司祭、さらには司教の間にもその記憶が薄らぐ中で、公会議以前の教会を懐かしむ”抵抗勢力”も増え、改めて第二バチカン公会議の精神と制定された憲章など文書を学びなおし、現代の教会に適用する努力が求められている。(「カトリック・あい」)

2020年7月6日

・新疆ウイグルの人口増加率が異常な落ち込み-中国共産党の過酷な産児制限で(BW)

 中国の新疆ウイグル自治区のイスラム教徒に対する人間の尊厳を踏みにじる中国共産党の”犯罪リスト”に、「大量不妊化」が新たに加えられることになりそうだ。

 中国・新疆ウイグル自治区の”再教育キャンプ”の研究で知られるドイツの人類学者、エイドリアン・ツェンツ教授が Jamestown Foundationが出版した研究報告書の中で明らかにしたところによると、中国政府がウエブサイトで公表しているデータをもとに分析した結果、2013/14年から2019年のわずか5年の間に新彊ウイグル自治区の人口の増加率は10㌫前後から3㌫に急落。中でも、ウイグル人イスラム教徒が多く住む南部のホータン、カシュガルでは15パーセント前後から2パーセント以下まで落ち込むとみられる。

 ウイグル人イスラム教徒の女性たちが不妊手術やIUD(子宮内避妊器具)の装着など、過酷な産児制限を強制され、これが出生率の急激な落ち込みとなって表れているとみられる、という。

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 (新彊ウイグル自治区、特に南部で人口増加率が劇的に落ちている=出典:Adrian Zenz / The Jamestown Foundation)

 これは、中国政府・共産党が40年にわたって続けてきた「一人っ子政策」の結果である全国平均の増加率5パーセントをも大幅に下回る数字だ。

 2005年から政策が緩和され、この地域では2人ないし3人の出産が認められたが、2016年から中国政府・共産党によるウイグル人イスラム教徒への弾圧が強まり、「職業訓練キャンプ」という名の強制収容・思想改造所が設けられるに至って、人口増加率は低下傾向となっていた。

 だが、最近の急激な人口増加率の落ち込みは、「キャンプへの収容」だけでは、その理由を説明できず、ツェンツ教授がさらにデータを丹念に分析し、情報収集に努めたところ、2019年にタクラマカン砂漠の最南端にあるゴマとホータンの都市で、膨大な数のウイグル人女性を不妊にするための巨大なプログラムが実施されていたことを突き止めた。この時期のこの地域での不妊手術は全国平均の何と143倍と、異常ともいえる高さになっており、人口増加率の急減に繋がっていることが分かった。

 (10万人当たり不妊手術者数の全中国平均と新疆ウイグル自治区の比較=出典⊡同上)

 また、出産年齢のすべての既婚女性の14から34パーセントは1年以内に不妊手術を受け、原則として3人以上の子供を持つ女性には不妊手術の対象となる。地方当局は、中央政府の計画実施命令をしっかりと守る義務を課せられており、「命令に従わなければ、自分たちが困ったことになるのを知っていた」という。

 (ホータンとピシャンでの不妊手術は中国の他地域の148倍に=出典:同上)

 現地当局が課せられた目標は、対象女性の80㌫が不妊手術かIUDの装着を受け入れることで、3か月おきにチェックしさらに1か月おきに妊娠の有無をチェックする。「狙いは、新疆ウイグル自治区の人口増加を抑えることにある」とツェンツ教授は結論付けている。

 こうした措置は、習近平国家主席のウイグル人に対する基本計画に基ずくものだ。2019年11月にChina Cablesが特報した、100万人以上のウイグル人イスラム教徒の収容所への収監、”再教育”は生活習慣にまで及び、産児制限に違反した者の処罰も。

 新型コロナウイルス感染拡大が止まるか止まらないかの3月に中国国内の工場操業が再開され、数万人とみられるウイグル人イスラム教徒が収容所から全土の工場に送り込まれた。そして、習近平が進める貧困撲滅の旗のもとに、「漢民族のご主人様」のために働かされている。

 そして、親たちが工場で働かされている間、子供たちは”介護”され、文字通り”揺り籠から墓場”まで監視下に置かれ、監視の行き届かない村は町が急激に減っている。

 このツェンツの報告書は、国際社会が人権弾圧を進める中国政府・共産党に反省を求めるため、ウイグル人自身のか弱い声を助ける呼びかけだ。

 国外追放されたウイグル人たちの一部が2020年4月からツイッターを使った「#Can you聞こえますか?」運動を始めた。現地の親族や友人に関する情報を集め、発信している。これまで豊かで幸せな暮らしをしていた親族が突然、姿を消した、という告発ドキュメントも流している。

 こうした新疆ウイグル自治区における人権弾圧について、極めて多くの途上国は、中国対する多額の債務などで、あるいは”気前”のいい援助を駆使した外交の前に、口をつぐんでいるが、人権にうるさいはずの欧州諸国も、経済的恩恵をうけていることから、発言に消極的だ。WHOは言うに及ばず、国際機関に多くの”人材”を送り込み、中国に都合のいいように動かそうとしている。

 今回の新型コロナウイルスの世界的大感染では、中国・武漢から感染が始まったにもかかわらず、WHOなどを使って、国内での感染拡大の公表と対策を遅らせ、世界にウイルスをまき散らした責任をうやむやにするどころか、中国を危機克服のモデルとして売り出し、途上国にマスクなどを大量に届けるなど、”危機”を”チャンス”に変えようとしてきた。

 だが、そうした裏で、中国政府・共産党が進めているウイグル人イスラム教徒に対する不妊手術の強制などによる人口削減計画が、今回の報告書で、データを持って裏付けられた。

 Bitter Winter の取材に対して、イスタンブール在住のウイグル人難民の女性は 「報告書で明らかにされた分析結果は、新疆ウイグル自治区で起きている”大量虐殺”を裏付けています」と語った。 「中国政府は私たちと私たちの文化を殲滅することを決めているのです」。別のウイグル人難民の女性は「妊娠した時、すでに3人の子供がいました… でも中絶はしたくない。自宅と離れた村の親せきの家で出産し、自宅に赤ちゃんを連れて戻った時、当局に『妹の赤ん坊だ』と主張しましたが、認められませんでした」。結局、その娘は当局に取り上げられ、共産党の孤児院に入れられてしまった、という。

 新疆ウイグル自治区南部でBitter Winterがインタビューした人々から、中国共産党がとった酷い措置が次々を明らかにされた。地域の診療所では妊娠チェックが頻繁に行われ、人々は、強制的な中絶による”静かな大量虐殺”とともに暮らしてきた。

 そうした中で、4人目の子供を妻が妊娠した時、妊娠中絶の手術をすることができなかったある医師は、子供が当局から見つかるのを恐れながら日々を送っている、と語った。子供たちと一緒にいる時に、警察の監視の手が伸びると、恐怖で凍り付く、という。診療所が閉鎖され、子供たちが連れ去られ、「再教育」のためにキャンプに送られる… 国際社会が、今、新疆ウイグル自治区で起きていることをもっと知ってほしい、とここから望んでいる。

 

2020年6月30日