・コプト教会が「同性愛者の祝福は受け入れられない」とカトリック教会との神学的対話を中断(Crux)

Pope Francis, right, arrives for his weekly general audience in St. Peter’s Square at The Vatican, with the leader of the Coptic Orthodox Church of Alexandria, Tawadros II, Wednesday, May 10, 2023. (Credit: Alessandra Tarantino/AP.)
(2024.3.9 Crux  Managing Editor  Charles Collins)

 東方教会の中で影響力持つエジプトのコプト教会が7日、「同性愛者への祝福」を認めるというバチカンの方針に対し、「あらゆる形態の同性愛関係」は許容できない、として、カトリック教会との間で続けてきた神学的対話を中断することを確認した。

 バチカンは昨年12月18日に教理省長官の名で“Fiducia Supplicans: On the Pastoral Meaning of Blessings」と題する文書を発表、「結婚に関する伝統的な教会の教義は変わらない」としつつ、「結婚とは程遠い状態のカップルが、教会での祈りに参加する場合」には、個人的な慎重さと知恵を発揮し、 司牧的かつ自然発生的な祝福をもって彼らを神に身を委ねたい」とした。

 この文書は、カトリック教会で大きな論争を巻き起こしており、一部の司教協議会は、「同性愛者のカップルを祝福すると思われるものはすべて拒否する」と言明している。

 7日に発表されたコプト教会の教会会議の声明で、「コプト教会は、あらゆる形態の同性愛関係を拒否する、という確固たる立場を確認する。同性愛関係は、聖書と、神が人間を男性と女性に創造した定めに違反するものであり、どのような祝福も、そのような関係は、罪に対する祝福であり、受け入れられない」と言明している。

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 教皇は1月26日に、「『司牧的かつ自然発生的な祝福』の意図は、さまざまな状況に置かれ、自分の道を前進するために、時には出発するために、助けを求めるすべての人々に対して、主と教会がどれほど親密であるかを具体的に示すことにある」とされ、「強調したいことの1つ目は、これらの祝福は、いかなる文脈や典礼的性格の外であっても、受け取るために道徳的な完全性を必要としない、ということ。 2つ目は、カップルが自発的に(祝福を)求めるために名乗り出たとき、祝福されるのは(同性結婚をした人々)ではなく、単に二人で祝福を求めた人たちだけだ、ということです」と説明されていた。

 だが、コプト教会による今回の動きにより、カトリック教会との関係が冷え込んだように見える。教皇フランシスコとコプト教会の首長であるタワドロス2世教皇は昨年5月10日に初めて会談し、この日を毎年恒例の「コプト教徒とカトリック教徒の友好の日」と定めた。その後、教皇フランシスコが、リビアでイスラム過激派によって斬首されたコプト正教会事務局の職員21人を殉教者として認め、カトリック教会と東方教会の間の最も重要な信仰一致運動の勝利とされ、バチカンのキリスト教一致推進省のブライアン・ファレル長官も「これは関係の新たな時代の始まりだ」と述べていた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年3月10日

・「教会は男女の『相補性』を見直す必要」-3月8日「国際女性の日」に向けた会議で女性たち(Crux)

(2024.3.6 Crux  Senior Correspondent  Elise Ann Allen)

 ローマ 発– 3月8日の国連「国際女性の日」を前にした6日、ローマのイエズス会本部会議場で「女性のリーダーシップ―より輝かしい未来に向けて」と題するパネル・ディカッションが行われ、出席者たちは、最近の女性の地位向上の世界各国の取り組みを称賛する一方、教会において女性が重要な地位に就くための機会を広げるためにさらなる努力が必要、と訴えた。

 また、教会の「相補性( complementarity)神学」、つまり「結婚、家庭生活、宗教的リーダーシップにおいて男性と女性は異なる相互補完的な役割と責任を負っている」という考え方を見直すよう求めた。

 相補性の概念は、カトリック教会が長年、女性司祭の禁止を擁護するために使われており、ヨハネ・パウロ二世教皇も、叙階された司祭職が男性の才能や才能により適している理由として補完性を頻繁に引用していた。

 出席したカトリックの女性神学者やリーダーたちは、補完性の再検討を求め、「一部の解釈は、男性的と女性的とされるものの間に分裂を生み出している」と述べた。

*バチカンでも、指導的立場の女性には特別な見方がされている

 またバチカン報道局のクリスティアーヌ・マレー副局長は、女性はバチカンに「新鮮で革新的な」視点をもたらしているものの、「女性がバチカンの指導的なポストに任命されると、その女性は『権力行使者』と定義づけられてしまう。男性はそうでないのに…」と嘆き、「まるで権力のオーラがあるように、です。与えられた仕事は『権力』ではなく、『奉仕』なのです」と指摘した。

 さらに、「礼儀正しさ、繊細さ、思いやり、共感などの特質は、常に女性らしさと結びついていますが、本質的に性別に結びついているわけではない。男性でも経験し、表現できる社会になっていることに注意せねばなりません」と語って、会場の喝さいを浴びた。

 Verbum Deiの会員で豪州カトリック大学のザビエル神学センター所長のメイブ・ヒーニー博士は、「女性のリーダーシップは神学的問題」とし、特に「相補性」に触れた。

 「特定の神学人類学は、男性と女性がもたらすものを過度に本質化しすぎており、役に立たず、実際の人間の経験を反映していない」と述べ、「これらの人類学的視点は通常、男性と女性の間の相補性に向いている。そして、相補性は、権威、リーダーシップ、知性に対して、愛、精神性、育成を『男性の貢献とは本質的に異なる女性の貢献』と言われることがあります」と指摘。

 そして、「私は『女性と男性の間に違いがない』と言っているのではありません。女性と男性の差を先鋭化したり本質化したりしないでほしい、とだけお願いしているのです」と語り、 この目的を達成するために、彼女はスイスの司祭であり神学者であるハンス・ウルス・フォン・バルタザール師の「使徒ペトロとマリアの原則」に言及して、次のように述べた。

 「この原則は、たとえ司祭叙階されていなくても、女性が教会で重要な役割を果たせることの理由を説明するために、教皇フランシスコが頻繁に引用されています。 バルタザール師は天才ですが、彼の著作には十分な抑制と均衡がなかった… 私見では、彼の相補性神学は不完全です。イエスの男性性と教会の女性性を過度に強調し、女性を『受容的で霊的』であり、男性のより『積極的で知的』な性質に対応し、時には応えるものとして示しているからです」と強調。「相補性が問題ではない。教会内で男女の役割が徹底的に対比される場合、特にそれが権力の役割に基づいて構築されている場、が問題です」。

*「叙階神学」は再検討する必要がある

 

 ヒーニー博士はまた、教会の叙階神学の再検討を求め、「現在の形では、叙階神学は…あらゆる分野での意思決定を叙階に結び付けているが、洗礼を受ける中で私たちは皆、キリストに紹介されている。それは誰もが果たすべき役割を持っていることを意味し、叙階された聖職が変わる可能性もあります」とし、「私は女性に司祭叙階を認めるべきだ、とは言いませんが、認めるべきでない、とも言いません。 それを私が問題にしているわけではない。統治と権力、そして聖職者職との間の結び目を解き、女性や一般信徒が教会における意思決定に大きな役割を果たせるようにするには、さまざまなレベルでのしっかりとした見直しが必要だ、と申し上げたいのです」と強調した。

 また、教皇フランシスコがフォン・バルタザールの「使徒ペトロとマリアの原則」に頻繁に言及されていることについて質問されたヒーニー博士は、「『シノダリティ(共働性)と協調的リーダーシップ』というテーマについての考察はまだ始まったばかりであり、教皇だけでなく、すべての教会指導者に対して、私たちは時々、多くを求めすぎることがあります… 教皇の口から出る言葉のすべてに権威あるわけではない。 私たちは皆、神学的に形成されており、教皇や司教も含めて、全員が神学的に形成されているものであることを常に認識しておく必要があります」と答えた。

 教皇の枢機卿顧問会議にこれまで2回参加し、教会における女性の役割などについて語り、女性問題に関して教皇の顧問立場にあるとされているスペイン人のシスター・リンダ・ポシエも「使徒ペトロとマリアの原則」について問題を提起。

 教皇フランシスコは、この会議に送った書面メッセージで、「神の知恵の賜物」が「教会の、そして世界のすべての人の、これまで以上の献身として実を結ぶように祈ります。 女性と男性の平等かつ補完的な尊厳が一層大切にされますように」と述べられた。

*外交の世界でもgender biasesが依然存在する

 

 討議に参加したある国の大使は、「外交の世界でもgender biases (男女の役割について固定的な観念を持つこと、社会の女性に対する評価や扱いが差別的であることや社会的・経済的実態に関する女性に対する”神話”を指す)が見られる」と指摘し、具体的に、「外交官の男性は軍縮や安全保障の分野に割り当てられることが多いのに対し、女性にはよりソフトな問題や社会プロジェクトが与えられる傾向が強い」と説明した。

  キアラ・ポロ駐バチカン・豪州大使氏、「女性の指導的役割について”二重の基準”」が存在することを嘆き、「女性がトップに到達するために目立つ必要がある一方で、自信を持って指導力を発揮するやり方について”監視”されている」と指摘した。

 国際修道会総長連盟のシスター・パトリシア・マレー事務総長は、「女性修道者が教会内で、しばしば貧困、人身売買、移民などの問題の周縁部や最前線で役割を果たしていること」を強調。自身が所属する修道会の創設者の言葉を引用し、「女性には素晴らしいことができない、というような男性と女性の役割の違いはありません」と述べ、現在の教会では、女性の声がさまざまなやり方で伝えられており、その進展の具体例として、昨年10月のシノダリティ(共働性)がテーマの世界代表司教会議(シノドス)総会第一会期では、女性に初めて議決権が与えられるなど、女性の存在が大きくなったことを挙げた。

*シノドス総会では女性の叙階職、説教師、新機関の設立などが検討されているが…

 

 そして、総会第一期では「女性が助祭職に就くことや、女性が説教師となること、バチカンに新たな機関を創設することなどが検討」されているが、「すぐに決定できることではなく、時間がかかるでしょう」と述べ、今年10月のシノドス総会第二会期でも決定に至らない可能性を示した。

 シノドス事務局のシスター・ナタリー・ベカール次長も、教会を「非官僚的でより関係性の高い」教会にする、というシノドスの目標を強調し、女性の役割、女性が教会の指導者となる機会を増やしたいという願望は「時代のしるし」であり、「教会は、さらなる平等を求める女性たちの声に耳を傾けなければなりません。女性たちには教会の活動、特に意思決定のプロセスにもっと参加したい、という強い願望がある…  教会には多様な経験を持つ女性がたくさんいます」と述べた。

 また、女性としてバチカンで指導的地位で働いてきた自身の経験から、「教会は家族のようなものですが、あることにおいて他の人より優れている人もいる… 枢機卿や司教たちと協力して仕事をするという良い経験をしましたが、他の人たちと協力するのは文化、教育、背景の違いから、難しいこともあり、それは冒険でもあり、非常に豊かな経験でもありました」と語った。

 ベカール次長はCruxのインタビューで、女性の指導的立場への参加に関する議論が「過度に西洋的な視点に支配されているのではないか」という懸念について、「そのような誘惑はありますが、シノドス総会では、参加者皆の声を聞いています… 世界中から集まった参加者の意見は、『女性の役割をもっと認識してほしい』というものでした。 多くの女性が教会で指導的立場に就くこと、より多くの女性が教会運営に参加することを求める声が、参加者のどこからも上がりました」と説明。

*女性の参加の具体案で意見の違い… 多様性を考慮する必要

 そして、「意見の 違いは、『女性の参加が具体的にどうあるべきか』にあります。女性の助祭叙階を強く主張する人もいます。 このような要望は、西側諸国だけではなく、他の国々にもあるかもしれませんが、どこにもある、というわけではない… 世界共通のレベルで何を決定するかについては、多様性をすべて考慮する必要があります。 各国・各地域にそれぞれの教会文化があることを認識し、尊重しなければなりません。それは西洋人にとっても、そして欧米の私たちにとっても非常に重要です」と強調した。

  さらに、「シノドス総会は、さまざまな大陸からの多様な声をさらに聞くための場です。 私たちの教会も、私たちの世界と同様に多極化しています。そうした中で、世界では、気候変動、移民・難民、平和の探求など、すべての優先分野で、女性がすでに大きな役割を果たしている」と語った。

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載しています。
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2024年3月7日

・カンタラメッサ枢機卿の「四旬節の小さな黙想」⑤イエスは言われるー「ぜひあなたの家に泊まりたい」と

(2024.3.1 バチカン放送)

 教皇付き説教師カンタラメッサ枢機卿の「四旬節の小さな黙想」の第5回目は、「徴税人ザアカイ」のエピソード(ルカ福音書19章1-10節)で、イエスが木の上にいたザアカイに「急いで降りてきなさい。今日はぜひあなたの家に泊まりたい」という言葉を観想するよう勧めている。

 ルカ福音書19章に登場するザアカイは、徴税人の頭で、金持ちだった。エリコの町を通るイエスを一目見たい、と思ったが、群衆に遮られて見えなかったため、木に登った。その場所を通りかかったイエスは上を見上げ、「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日はぜひあなたの家に泊まりたい」と言われた。ザアカイは急いで降りて、喜んでイエスを迎え、財産の半分を貧しい人々に施す、と約束し、イエスは「今日、救いがこの家を訪れた」と言われた。

 第5回目の内容は次のとおり。

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 私たちが今日一日を共にする言葉、それは、イエスを見るためにいちじく桑の木の上に登ったザアカイにイエスがかけた言葉です。その木のそばを通ったイエスは、彼を見上げて言われました。叱るような口調ではなく、招く口調でした―「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日はぜひあなたの家に泊まりたい」。ザアカイ、私は言う、私の言葉を聞きなさい、ぜひあなたの家に泊まりたいのだ、と。

 この言葉は私たちにとっては、「あなたの生活に親密に関わりたい。群衆の間や、広場や、教会の中で会うだけでは十分でない」という意味。教皇フランシスコの使徒的勧告『福音の喜び』の冒頭の言葉を思い出させます―「私はすべてのキリスト者に、『どのような場、状況にあっても、今この瞬間、イエス・キリストとの人格的な出会いを新たにするように』と呼びかけたいと思います。少なくともイエスとの出会いを妨げないよう、日々努力することをお勧めします」(3項)。

 このようなキリストとの人格的な出会いとは、何によって成り立つのでしょうか。それは、何年も写真だけで知っていた人と実際に出会うようなものです。私たちの人との関係で起きることが、この違いを理解するのを助けてくれるでしょう。それは、ある人を「単に知っている状態」から、「深く愛する状態」に移る時です。

 あなたが若い男性、若い女性なら、これをよく理解できると思います。「深く愛すること」だけが、人生を本当に変えられるのです。それは自然の愛においても、精神の愛においてもです。そして、イエスは、決して失望させることのない愛の対象なのです。

(編集「カトリック・あい」)

2024年3月2日

・カンタラメッサ枢機卿の「四旬節の小さな黙想」④再びつまずいても、神と共に敵に立ち向かう

 教皇付き説教師カンタラメッサ枢機卿の「四旬節の小さな黙想」の第4回は、ヨハネ福音書の「姦淫の女とイエス」(8章1-11節)を取り上げた。

 姦淫の現場で捕らえられた女を真ん中に立たせたファリサイ派の人々が「こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています」と言い、イエスを試そうとした。イエスは「あなたがたの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と答えられた。

 これを聞いたものは、年長者から始まって、一人また一人と立ち去ってゆき、イエス独りと、真ん中にいた女が残った時、イエスは言われた。「女よ、あの人たちはどこにいるのか。誰もあなたを罪に定めなかったのか」。女が「主よ、誰も」と言うと、イエスは言われた。「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはいけない」。

 枢機卿は、「これからは、もう罪を犯してはいけない」というイエスの言葉を通し、自分の心をよく見つめるように勧め、次のように語った。

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 今日、受け止めたいイエスの言葉は、「姦通の女」を訴えていた者たちが立ち去った後で、イエスが女に向けた言葉です。「女よ、あの人たちはどこにいるのか。誰もあなたを罪に定めなかったのか」「主よ、誰も」「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはいけない」。

 「これからは、もう罪を犯してはいけない」-私たちも皆、よく自分を問いただせば、犯しがちな、たくさんの罪の隣に、他とは異なる形の罪があることに気づくでしょう。それは、「密かに執着し、告解はしても、本気で止める意志の無い罪」のことです。

 聖アウグスティヌスは、『告白』の中で官能の罪との戦いについて記しています。それは彼が「私に貞潔と節制をお与えください」と神に祈っていた時のことです。しかし、それに対し一つのささやきが「主よ、すぐにではなく」と付け加えるのでした。

 しまいには、自分に対して叫ぶ時がやってきます。「なぜ明日なのか?」明日という言葉は、ラテン語でcrasと言います。「なぜcras(明日)というのか。なぜ今ではないのか?」自由を味わうためには、「もうたくさんだ!」と叫びさえすれば十分なはずです。

 では具体的にどうしたらいいのでしょうか。ただちに神の御前に出て、話しかけるのです。「主よ、あなたは私の弱さをよくご存知です。ですから、あなたの恵みだけを頼りに申し上げます。今後、あの満足、あの放縦、あの友人関係、あの怨恨、あの財政上のごまかし、等々、私が自覚し、あなたもご存知のあの罪はもう、たくさんです。あなたの赦しの秘跡に与りに参ります」

 あなたはまた罪に陥るかもしれません。私たちも再びつまずくかもしれません。しかし、神のために、何かが変わりました。あなたの自由は神を味方につけたのです。今や、あなたは神と共に同じ敵に立ち向かうのです。罪の隷属から解放され、神と自分自身と平和のうちに生きることが、いかに、ずっと素晴らしいかが分かるようになるでしょう。

(編集「カトリック・あい」=聖書の引用は「聖書協会・共同訳)に改めています)

2024年2月27日

・「教皇の数知れぬ訴えは聴き入れられていない…」ロシアのクライナ侵略2年(Vatican News )

ウクライナ・ミコライウの墓地 2022年3月ウクライナ・ミコライウの墓地 2022年3月  (ANSA)

(2024.2.24 Vatican News  Andrea Tornielli)

 ウクライナにおける2年間の戦争、爆撃と苦難の後、攻撃を止め、公正な和平交渉の席に着くために、これ以上何が起こる必要があるのだろうか。

 ここ数か月の聖地から届いた恐ろしいニュース、そして、今はロシアの反体制派、ナワリヌイ氏の死が、ウクライナからの戦争のニュースをトップ記事から押しやったとしても、私たちは今日、ウクライナのことを思い出したい。

 私たちは、この戦争を目撃した人々、憎しみの論理に屈しない人々、24か月にわたる爆撃に心が折れた人々の苦しみを和らげるために祈り、行動し続ける人々の声を届け、数字に語らせながら、ウクライナのことを伝えてきた。なぜなら、今やしばしば世間の注目から遠い所で起きている残酷な現実が、この戦争の不条理な非道を物語っているからである。

 数キロメートルの領土を征服するために、何万人もの人命が犠牲になり、若者をはじめとする何万もの人々が負傷し、障害を負い、ウクライナの町全体が破壊され、何百万もの避難民が国外で生活し、無数の地雷が罪なき人々の未来の生活を脅かそうとしている…。攻撃を止め、公正な和平交渉の席に着くためには、もうこれ以上何が起こる必要があるだろうか?

 「苦しむウクライナ」への関心を喚起するための教皇フランシスコの数知れぬ訴えは、聴き入れられず、もはや戦争と暴力が紛争解決の手段であるかのような様相である。将来の戦争を見据えた軍拡競争は今や現実となり、これすら避けがたいものとして容認されている。

 幼稚園や学校の建設や、効率的な医療システムへの出資、飢餓との闘い、地球の保護を目的とするエコロジー的移行の促進などのためには決して捻出できない資金が、軍備となると常に準備されている。外交は交戦のサイレンの前で沈黙しているように見える。平和、交渉、停戦、対話などの言葉は、疑いの目で見られる。ヨーロッパは、それぞれのリーダーが個々の主人公を演じる以外に、多くの気力を持っていなかった。

 今ほど、戦争の論理に屈しないことが必要とされている時はない。教皇が疲れを知らず祈り続けるように、平和の賜物を神に絶えず祈り求めなければならない。降り積もる憎しみの灰の下に、希望の熾火が燃えていることに気づかなくてはならない。

 問題に立ち向かい、平和に賭け、人類の未来を担うことができる、預言的かつ創造的で自由な、新しいリーダーシップが必要である。私たちを自滅に導く「軍閥」の「兄弟殺し」の論理に屈しない人々の声を、力強く断固として聞かせる、すべての人の責任ある努力が必要とされている。

(翻訳「バチカン放送」、編集「カトリック・あい」)

2024年2月25日

・カンタラメッサ枢機卿の「四旬節の小さな黙想」③「『繋がり』は、信仰によって得られる」

(2024.2.23 バチカン放送)

 Vatican News が企画した、教皇付き説教師カンタラメッサ枢機卿の「四旬節の小さな黙想」の第3回は以下の通り。

 枢機卿はこの回で、イエスが死んだラザロを生き返らせるエピソードの中で、ラザロの姉妹マルタに言った「信じるか」(ヨハネ福音書11章26節)を観想すべき言葉として取り上げた。

 マルタと姉妹マリアの兄弟ラザロは病気で死に、イエスが彼らの所に来た時には、すでに墓に葬られて4日もたっていた。イエスは「あなたの兄弟は復活する」とマルタに言い、「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者は誰も、決して死ぬことはない。このことを信じるか」と尋ねられた( ヨハネ福音書11章17-27節)。

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 今日、かみしめる言葉は、イエスがラザロの姉妹に向けて、死んだ兄弟の墓の前で言った「信じるか」という問いかけです。

 あなたがカテキズムで覚えたことや、「信徒信条」で繰り返し唱えていることを、すべて一瞬脇に置いてください。そして、あなたと神しかいない、秘密の場所に入ってください。そして、自分に尋ねてみてください。「私は信じているか」「私は本当に信じたことがあるのか。誰かや、普遍の教会を介してだけでなく、自ら信じたことがあるのか」と。

 聖パウロは、「人は心で信じ、口で公に言い表す」と記しています( ローマの信徒への手紙10章10節)。私の信仰告白は、心の奥底から来ているでしょうか。信仰は新しい地平を開きます。それは、「自分は何者なのか。どこから来て、どこへ行くのか」という、人間の最も重要な問いに、唯一誠実な回答を与えることができるものです。

 ITの時代、それは私たちにこれまでにない信仰のイメージを見せてくれます。それはインターネット接続のイメージです。Googleのページを開けば、あなたはもう、繋がっています。仮想空間の世界があなたの前に開きます。

 これと似たようなことが、信仰によって得られます。回線も要らなければ、コストもゼロです。短い祈りで、心の単純な動きで、机の上にあるキリストの御絵を見つめるだけで、あなたはもう、繋がっているのです。繋がるのは、仮想空間の世界ではありません。現実の世界です。それは唯一、真に現実のものです。なぜなら永遠だからです。それは神の世界です。

 試してみてください。私が言うことが本当であるかが分かるでしょう。

(編集「カトリック・あい」)

2024年2月25日

・カンタラメッサ枢機卿の「四旬節の小さな黙想」②「私たちに必要な、ただ一つのことは」

(2024.2.22 バチカン放送)

 教皇付き説教師カンタラメッサ枢機卿の「四旬節の小さな黙想」の2回目、「マルタとマリアの家に迎えられた時のイエスの言葉」は次の通り。

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 イエスを家に迎えたマルタは、もてなすためにせわしく立ち働きますが、妹マリアはイエスの足元もとに座って、話に聞き入ります。マルタがイエスに、「マリアに手伝うように言ってください」と頼むと、イエスは「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけです。マリアは良い方を選びました。それを取り上げてはなりません」(ルカ福音書10章42-43節)とお答えになりました。

 今回の黙想のテーマは、イエスが言われた「必要なことはただ一つだけです」という言葉です。福音書に記されたイエスの言葉はとても「濃度」が高い。一滴、一滴を味わうものです。そして、今日の一滴は、イエスが、あれこれとせわしく働くマルタにかけた言葉―「マルタ、マルタ…  必要なことはただ一つだけ」です。

 この言葉は今、私たち一人ひとりに向けられています-「必要なことはただ一つだけ」。

 もし、あなたがこのただ一つのことを持っているなら、たとえ他に何も持っていなくても、すべてを持っていることになります。もし、あなたがそれを持っていないなら、たとえ全世界を持っていても、何も持っていないことになるのです。

 この「だた一つの必要なこと」とは、何でしょう。19世紀の偉大な哲学者で信仰の人、セーレン・キェルケゴールに語ってもらいましょう。

 「人は、人生の無駄遣いについてよく話す。しかし、無駄に費やされたのは、人生の喜びや心配事に惑わされて、神が存在し、その人、まさにその人自身が神の御前に立っていることに、決して気づかない男(そして「女性」を私が加えます) の人生だけである(キェルケゴール『死に至る病』)」。

 「ただ一つの必要なこと」とは、何でしょうか。イエスはそれについて、二つのたとえ話をもって語られました-そのためにすべてを売り払う価値のある隠された宝」、そして「すべての真珠を売り払ってでも得る価値のある貴重な真珠」です。( マタイ福音書13章44-46節)。

 必要なことはただ一つ、それは「神の御国」、すなわち「神」なのです。

(編集「カトリック・あい」)

2024年2月23日

・カンタラメッサ枢機卿の四旬節の”小さな黙想”①「私は人生に何を求めているのだろうか」

(2024.2.21 バチカン放送)

 復活祭に備える悔い改めの時、四旬節が始まり、教皇フランシスコはじめ、ローマ在住の枢機卿、教皇庁諸機関の責任者たちが18日午後から23日午後にかけて、個人的な形で黙想期間を過ごしている。

 この機会に、Vatican Newsは、教皇付き説教師ラニエーレ・カンタラメッサ枢機卿に、ビデオを通した数分間の黙想を依頼した。6回にわたって行われる小さな黙想で、枢機卿は毎回、イエスの言葉を一つ示し、それを一日中、心の中で思いめぐらすように、と勧めている。

 第一回目の黙想で、カンタラメッサ枢機卿は、イエスが最初の弟子たちとの出会いの場面で言われた、「何を求めているのか」(ヨハネ福音書1章38節)という言葉を取り上げた。

 第1回目の内容は次のとおり。

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  私は、6日にわたって、皆さんと共に毎回、1分程度の黙想を分かち合って欲しいと求められ。1分間で話せる、ほんのわずかな言葉で、一日を、そして全生涯を満たすことができるもの、それはイエスの口から出た言葉です。

 毎回、それを一つずつ提示しますから、その言葉を一日中、いわば魂のチューインガムのように、どうかよく「噛みしめて」くださるようにお願いします。

 さっそく今日噛みしめる言葉にまいりましょう。それは、イエスが、ご自分の後ろに従って来る洗礼者ヨハネの二人の弟子たちに向けて尋ねた、「何を求めているのか」という言葉です。

 その後の展開を思い出してください。弟子たちが「先生、どこに泊まっておられるのですか」と尋ねると、イエスは「来なさい、そうすれば分かる」と答えられました。

 ここで重要なのは、「何を求めているのか」というイエスの問いかけです。これを聞いておられる兄弟姉妹の皆さんも、「私は人生に何を求めているのだろうか」と自問したことが、これまでに一度はあるでしょう。

 すぐに答えが見つからないなら、私が助け舟を出しましょう。あなたが求めているものは皆が求めているもの、それは「幸福」です。フロイトより先に、聖アウグスティヌスはそれを理解しました。「皆が、幸せになりたいと言っていました」。

 フロイトと異なり、アウグスティヌスはこの普遍的な衝動に理由を与えました。アウグスティヌスは『告白』の冒頭で、神に言います。「あなたは、私たちをあなたのために作られました。私たちの心は、あなたの中で憩うまで、安らぎを得ることはありません」と。

 兄弟姉妹の皆さん、まさにここに、あなたの多くの悲しみや不安の説明があることを考えてみてください―自分は、「神」という生きた水に満たされた泉の代わりに、ひび割れた水槽の中に水を探してはいなかっただろうか。

(編集「カトリック・あい」)

2024年2月22日

・枢機卿や司教たち21人がプラハで”秘密会議”、ジェンダー問題など話し合い

(2024.2.8  La Croix  Loup Besmond de Senneville )

   La Croixはこのほど、昨年9月にアメリカの保守系シンクタンクがチェコの首都プラハで主催した会議に、9人の枢機卿を含む21人のカトリック司教が出席したことを確認した。

 プラハの中心部の5つ星ホテル「The Mozart Hotel」の会議場で開かれた「ジェンダーイデオロギー、科学、神の啓示の性質」をテーマとする”秘密会議”は、教皇フランシスコの高齢と健康問題の増大から、カトリック教会の統治の終わりが近づいているという思いが高まっている中で行われた。

  出席者のうち、枢機卿9人の中には、ヴィルヒリオ・ド・カルモ・ダ・シルバ(東ティモール)、オズワルド・グラシアス(インド)、ウィリアム・ゴー(シンガポール)、パトリック・ドロザリオ(バングラデシュ)などアジアの教会指導者が目立ち、欧州からは、ウィレム・エイク(オランダ)、アンジェロ・バグニャスコ(イタリア)、ドミニク・ドゥカ(チェコ共和国)の3枢機卿。枢機卿以外にも、サルバトーレ・コルディレオーネ大司教(米サンフランシスコ)を含む多くのアフリカ系および米国系の高位聖職者が出席した。

 出席者たちの多くは、その後ローマへ向かい、バチカンで10月に一か月かけて開かれたシノダリティ(共働性)をテーマとする世界代表司教会議(シノドス)総会に参加した。

 早晩、フランシスコの後継者を選出するために召集される、選挙権を持つ枢機卿たちは、互いのことをあまりよく知らない。130人のうち、ローマに住んでいるのは25人だけだ。 他の枢機卿たち世界中に散在しており、皆が集まってカトリック教会とその統治の将来について考える機会はほとんどない。

 そうした中でプラハで枢機卿など主だった高位聖職者が集まった”秘密会議”については、昨年9月29日にアブジャ(ナイジェリア)のイグナティウス・カイガマ大司教が自身のフェイスブックにこの会合について投稿したにもかかわらず、これまでほとんど秘密にされてきた。この会議のことは、開催費用を全額負担した主催者の米保守系シンクタンク「Austin Institute for the Study of Family and Culture」のウェブサイトにも掲載されていない。

 会議に呼ばれた講演者として判明している中で特に注目に値するのは、属人区「Opus dei」の会員でハーバード大学の教授、ロバート・ガールで、「ジェンダーイデオロギーと受肉:人類学的異端の治癒」と題した講演を行った。

 その前の日には、ユトレヒトのアイク枢機卿による「レズビアンのアイデンティティとジェンダー研究から神の妻、母、娘への旅」と題する講演があった。講演で枢機卿は、「『ジェンダー理論』は、家族とキリスト教信仰の宣言に対する脅威」と警告したという。

 Austin Institute for the Study of Family and Cultureがこのような会議を主催するのはこれが初めてではない。2022年末にも会議を主催し、出席したオーストラリアの故ジョージ・ペル枢機卿は、未成年性的虐待の容疑で投獄され、その後無罪釈放となった経験を語り、フランシスコの路線を厳しく批判した。

 亡くなった後もペル枢機卿の信奉者はおり、プロテスタントの牧師からカトリック司祭となった、新自由主義のアクトン研究所の創立者、ロバート・シリコ神父は、プラハの会議で「ペル枢機卿の神学的遺産」をテーマに講演した。

 プラハ会議の出席者たちの多くは、LaCroixの電話取材に応じなかったが、Austin Institute for the Study of Family and Cultureのマーク・レグネラス所長はメールでのやり取りで、同研究所がこのイベントを主催したことを認め、 「広範な人々を招き、自由な議論の機会となった」と述べたうえ、「要するに、”知的な隠れ家”です」と付け加えた。 だが、同研究所が3日間の会議(および「研修」)の費用をどこから調達したのか、高位聖職者の誰を招待するかをどのように決めたのか、などの問いには答えなかった。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

(注:LA CROIX internationalは、1883年に創刊された世界的に権威のある独立系のカトリック日刊紙LA CROIXのオンライン版。急激に変化する世界と教会の動きを適切な報道と解説で追い続けていることに定評があります。「カトリック・あい」は翻訳・転載の許可を得て、逐次、掲載していきます。原文はhttps://international.la-croix.com(有料)でご覧になれます。
LA CROIX international is the premier online Catholic daily providing unique quality content about topics that matter in the world such as politics, society, religion, culture, education and ethics. for post-Vatican II Catholics and those who are passionate about how the living Christian tradition engages, shapes and makes sense of the burning issues of the day in our rapidly changing world. Inspired by the reforming vision of the Second Vatican Council, LCI offers news, commentary and analysis on the Church in the World and the world of the Church. LA CROIX is Europe’s pre-eminent Catholic daily providing quality journalism on world events, politics, science, culture, technology, economy and much more. La CROIX which first appeared as a daily newspaper in 1883 is a highly respected and world leading, independent Catholic daily.

 

 

 

2024年2月13日

・次期教皇の選挙権を持つ枢機卿たちは、皆が”同じ群れ”ではない(LaCroix)

(2024.2.10 La Croix  Robert Mickens)

 教皇フランシスコが任命した枢機卿が全員、教皇の教会改革のビジョンを完全に共有しているわけではない。したがって、彼の後継者が誰になるのかを予測するのは困難だ。

 「Birds of a feather flock together(同じ羽の鳥たちは群れを成す)」という英国の古い諺があるが、カトリック教会の枢機卿たちにそれが当てはまるだろうか?教皇フランシスコから”赤い帽子”を受け取った全員が、彼と同じ方向に進んでいるだろうか?

 最近起きた出来事は、教皇フランシスコが任命した枢機卿全員が、いわゆる”Francis bishops(フランシスコ司教たち)」、つまり彼の熱狂的な支持者である高位聖職者ではないことを、改めて印象付けた。

 バチカン教理省が昨年12月に発表した祝福の司牧的意味に関する宣言「Fiducia supplicans」で、同性愛カップルに祝福を与えることを条件付きで認めると読める方向を打ち出したが、アフリカを中心に多くの司教や枢機卿から、極めて否定的な反応が出されたのだ。

*枢機卿顧問会議のメンバーから、教皇の改革路線に反旗

 この宣言に対する否定的な反応の主役となったのは、キンシャサ(コンゴ民主共和国)のフリドリン・アンボンゴ・ベスング枢機卿で、教皇フランシスコから赤い帽子を授けられただけでなく、教皇の枢機卿顧問会議(C9)を構成する9人のうちの1人でもある

 64歳のカプチン・フランシスコ会士は、フランシスコが教皇に選ばれた2013年当時、コンゴ民主共和国の47の教区の中で最も小さい教区の司教だった。ヨハネ・パウロ2世教皇によって司教に叙階されて9年経っており、そのまま司教定年まで務めると思われていたが、教皇フランシスコは2016年に西部のムバンダカ=ミコロ教区の大司教に昇進させ、その15か月後、同国最大のキンシャサ大司教区の共同大司教に抜擢。8か月後に単独の大司教となり、さらに1年足らず、2019年10月に枢機卿に任命され、昨年3月に枢機卿顧問会議のメンバーとなった。

 アンボンゴ枢機卿はアフリカ・マダガスカルの司教協議会連盟(SECAM)の会長でもあり、会長としての立場から、昨年1月、アフリカ地域の全司教に対して、「アフリカ大陸では同性愛者に祝福はしない」ことを強い調子で宣言する声明を出した。

 教皇は、このアンボンゴ枢機卿の声明以降も、教会が同性愛者やその他の「障害」や「不規則な結合」をしている人々をもっと進んで受け入れるよう強く訴えてきている。

 他の教会改革関連の問題で、アンボンゴ枢機卿がどこまで教皇の路線に反対しているのか、一つ一つ検証してはいないが、重要なのは、「100%は同意していない」ということだ。

*次の教皇選挙で現教皇任命の枢機卿が圧倒的多数を占めるが…

 教皇フランシスコが任命したC9の他のメンバーはどうだろう?何人が本当に”フランシスコ司教”なのか? 特定の問題、あるいは教皇が教会を導こうとしている方向について、彼と根本的に意見が相違する枢機卿がどれだけいるだろうか? これは次期教皇を選ぶ際に重要な問題となって来る。

 教皇選挙権を持つ枢機卿の圧倒的多数はフランシスコが教皇になってから選ばれた人たちだ。だから、枢機卿たちが、フランシスコの路線を引き継ぐ人物を新教皇に選ぶのはほぼ確実、との見方も成り立つ。

 2月12日現在で、教皇選挙権を持つ80歳未満の枢機卿は130人。そのうち、フランシスコによる任命が95人、ベネディクト16世による任命が27人、ヨハネ・パウロ2世による任命が8人だ。枢機卿の中には高齢者も多いので、世界代表司教会議(シノドス)総会第二会期が始まる10月10日までに、9人が選挙権を失い、フランシスコ任命が91人、ベネディクト任命24人、ヨハネ・パウロ2世任命はわずか6人となる。

 選挙権を失う9人の中には、フランシスコの主要”同盟者”でC9メンバーの米国のショーン・オマリー枢機卿(6月29日に80歳)も含まれる。 フランシスコが枢機卿にしたパナマのルイス・ラクンザ枢機卿(同2月24日)。 ベネズエラのバルタザール・ポラス枢機卿(同10月10日)もそうだ。C9のもう一人の主要メンバー、インドのオズワルド・グラシアス枢機卿も12月24日には80歳を迎える。つまり、それまでにフランシスコが新たに枢機卿を任命しないなら、教皇選挙権を持つ枢機卿についてパウロ6世教皇が定めた120人の”上限定員”に戻る、という訳だ。

 

 

*ヨハネ・パウロ二世教皇の影は今も…

 

 そうした中で、ヨハネ・パウロ2世が任命した教皇選挙権を持つ枢機卿6人が、数は少ないながら、次の教皇選挙で決定的な役割を果たす可能性がある。6人のうち、オーストリアのクリストフ・シェーンボルン枢機卿は、教皇フランシスコの重要な”同盟者”だが、2025年1月下旬には80歳になる。既に司教を引退したボスニアのヴィンコ・プルジッチ枢機卿も78歳だが、他の4人はまだ75歳以下だ。

 フランスのフィリップ・バルバラン枢機卿(73)は、性的虐待事件への対応が不十分だったとして、約4年前にリヨン大司教の職を辞任したこともあり、教皇選挙に大きな影響力を持つとは思われない。 昨年4月に74歳でザグレブ大司教を退任したクロアチアのヨシップ・ボザニッチ枢機卿も同様である。

 だが、残る2人は、教皇選挙権を持つ枢機卿たちが(教皇としての適性を)詳しく調べようとする対象となるだろう。 どちらかが、新教皇の”妥協候補”として浮上する可能性がある。

 その2人は、ハンガリーのペテル・エルデ枢機卿とガーナのピーター・タークソン枢機卿だ。前者は、伝統主義者の中央ヨーロッパ人、後者は穏健なアフリカ人。

 エルデはまだ71歳で、エステルゴム・ブダペスト教区の大司教を21年以上、欧州司教協議会連盟(CCEE)の会長を2016年まで10年務め、教会法弁護士であり、穏健派から保守派までバチカンの当局者多くと強いつながりを持っている。教皇フランシスコの路線とは、全く異なる方向に舵を切りながらも、公の場で彼を批判しないように注意してきた。 昨年1月に”保守派の代表”と目されてきたジョージ・ペル枢機卿の一周忌のミサがローマで行われた際は、ミサを司式する予定をキャンセルしたが、それより前、ペル枢機卿の死後に発表された記事で、教皇を厳しく批判する姿勢を見せていた。

 75歳のタークソン枢機卿は現在、バチカンの科学アカデミーと社会科学アカデミーの総裁を務めている。 ローマで教育を受けた聖書学者で、ガーナのケープコースト教区の大司教を務めた後、ベネディクト16世にバチカンの正義と平和協議会の会長に任命され、同協議会がバチカンの機構改革で再編統合されて出来た「総合人間開発省」の初代長官を5年余り務めた。一昨年1月に73歳で長官職を解かれている。

 ともあれ、世界のカトリック教会の枢機卿たちは、すでに”ポスト・フランシスコ”に向けた用意を始めている。 バチカンの”観測者”たちは双眼鏡を手に、鳥たちがどの方向に飛ぼうとしているのか、を注意深く観察することになるだろう。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

(注:LA CROIX internationalは、1883年に創刊された世界的に権威のある独立系のカトリック日刊紙LA CROIXのオンライン版。急激に変化する世界と教会の動きを適切な報道と解説で追い続けていることに定評があります。「カトリック・あい」は翻訳・転載の許可を得て、逐次、掲載していきます。原文はhttps://international.la-croix.com(有料)でご覧になれます。
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2024年2月13日

・4世紀の石棺側面装飾の女性像が示す、教会における女性たちの権威

(2024.2.9 Vatican News   Christine Schenk CSJ)

  今日私たちが知っているように、宗教生活は瞑想的なものと活動的なものの両方で、2000 年にわたって進化してきた。 3 世紀後半から 5 世紀初頭の石棺の側面装飾に描かれた初期キリスト教徒の女性に関する考古学的な研究を紹介する。

・・・・・・・・・・・・・・・

 教会の歴史のほとんどは、男性が書いた文献記録に依っているため、初期キリスト教徒の女性に関する信頼できる歴史データを発見するのが困難な場合がある。

 キリスト教の歴史を理解する手段として書物に大きく依存しており、 Dr. Janet Tullochが 2004 年に発表した論文で述べているように、フレスコ画、絵画、石棺の側面装飾など「視覚的遺物」から得られる情報は、最近まで、美術史家や考古学者に任されていた。

 初期教会では多くの女性の支援者(マグダラのマリア、ポイべ、リディア、パウラ、オリンピアスなど)が男性の宣教者たちを経済的に援助していたとされてきたが、文献資料では彼女たちの存在はほとんど認識することができない。

キリスト教の歴史の最初の 4 世紀の間 、信者たちは、聖パウロのテモテへの手紙にある「女は静かに、あくまでも従順に学ぶべきです。女が教えたり、男の上に立ったりするのを、私は許しません」(2章11‐12節)を繰り返すことで、女性の権威を抑えることを正当化してきた。

 だが、3 世紀後半から 5 世紀初頭のキリスト教の葬儀芸術には、教えたり説教したりする女性が描かれるようになった。 キリスト教徒と異教徒のローマ人の両方にとって、石棺は単に「死体を納める器」ではなく、「様々な思いを込めた記念碑」。故人の人となりを表現し、価値観と美徳を記念するものだった。

そして、 このような石棺を納めた高価な墓所を建てることができるのは裕福な人だけであり、自分がどのように記憶されたいかを事前に準備することは、本人が取るべき重要な手続きだった。 巻物、カプサ(巻物を入れるかご)、またはコーデックス(本)を手にする姿は、故人の学識、地位、富を示すものだった。

Deceased woman holds a scroll and is flanked by “apostles” who attend to her respectfully. 350 CE. Photo © Vatican Museums: Pio Cristiano Museum, inv. 31512. All rights reserved.

右の写真の石棺の側面装飾の像で分かるように、故人の女性は巻物を持っており、その両脇には敬意を持って彼女に付き従う「使徒」がいる( 西暦350年のもの。バチカン美術館)

  キリスト教徒の女性も男性も、地位、権威、学識、宗教的献身を持つ人物として記念され、理想化されていたのだ。故人の肖像が巻物やカプサなどを持っている場合、それはヘブライ語やキリスト教の聖書について学んでいることを示すものでもあった。

 私は 3 世紀から 5 世紀初頭の石棺と断片の 2119 枚の画像と記述子を3 年にわたって分析した。それには公開されているキリスト教徒の石棺の画像すべてが含まれており、分析の結果、初期キリスト教徒の女性の多くが教会共同体で地位があり、影響力や権威をもつ人物として記念されていたことが明らかになった。

 非常に重要な発見の 1 つは、キリスト教徒の女性の単独葬式肖像が男性の 3 倍だったということだ。そして、多くの石棺の側面装飾の肖像を見ると、故人の女性は周りを聖書に書かれた場面で囲まれ、両手で祈りの仕草をし、巻物や写本を持っている。

 左の写真のように、 故人は巻物の束を足元に置き、「使徒」の像を向かい合わせにして祈りの姿勢をとっている。 (アルル美術館)Detail of Marcia Romania Celsa from Arles, France. Deceased is in an orans prayer posture with a scroll bundle at her feet and in-facing “apostle” figures. (Muse de l’Arles Antique Sarcophage de Marcia Romania Celsa, © R. Bénali, L. Roux.)

  これらは、4 世紀の女性が「静かにせよ」という”忠告”に耳を貸さなかった、という痛切な証拠だ。こうした女性たちの石棺の側面装飾の像が多く見られるということは、聖書の知識と教える権威をもつ”新しい”女性が出現したことを示している。

  もう一つの重要な発見は、女性の肖像の両側におそらく宗教的権威を証明するために「使徒」(多くの場合ペテロとパウロ)が描かれていることだ。

*考古学的記録が私たちに伝えていること

 初期のキリスト教徒の石棺側面装飾の肖像は、女性のキリスト教徒の中に、学識があり、敬虔で、裕福な人がいたことを示している。 女性単独で埋葬された石棺の数から判断すると、そのような女性信者は、独身女性または未亡人であり、未亡人と処女の初期の共同体を思い起させる。

 彼女たちの肖像の多くが聖書の場面の真っ只中に巻物を持ち、あるいは説教を祈りをしている仕草で描かれていることから、彼女たちは聖書に精通しており、神の救いの力を信じる女性として、またイエスの生涯と癒しの奇跡についての教師として表現されることを望んでいた、と推測できる。

 彼女たちの共同体は、故人を福音を宣べ伝え、教える権威を持った学識ある人物として理想化した、ということは言えるだろう。マルセラ、パウラ、メラニア・テ・エルダー、プロバなど、後のローマの「教会の母」たちが、聖書を愛し、聖書について学ぶよう促したこれら初期教会の女性を賞賛したことは、もっともだと言えよう。

 「教会の母たち」に関する文献情報は考古学的発見と一致しており、ベネディクト十六世教皇を含む現代の聖書学者が以前に理論づけていたこと、つまり「初期教会における女性の影響力は、一般に認識されているよりもかなり大きいものだった」ということを裏付けている。

 繰り返すが、初期教会に関係する文献情報では男性が(主役とされていることが)圧倒的に多いが、石棺の側面装飾などにある肖像などの調査・分析結果は、教会共同体において実質的な権威を行使していたとして記憶されている女性が圧倒的に多かったことを示している。

 これからも分かるように、私たちの「教会の母親」の周りに集まった女性たちは、初期教会の女性の信仰共同体の公正社となって行ったのだ。

 *Christine Schenk CSJは米国生まれの修道女で初期キリスト教会の研究者、著作家。3世紀から5世紀初頭の

Cover of Crispina and Her Sisters: Women and Authority in Early Christianity

石棺とその断片に関して実施した3年間の研究のより詳細な報告は「 Crispina and Her Sisters: Women and Authority in Early Christianity (クリスピーナとその姉妹たち:初期キリスト教における女性と権威)」(Fortress Press, 2017)にまとめられている。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

2024年2月11日

・修道者が減少、性的虐待など醜聞相次ぐ中で、世界の男女修道会代表がバチカンで会合(CRUX)

(2024.2.1 Crux Senior Correspondent  Elise Ann Allen)

Religious converge on Vatican amid falling numbers, growing scandalsローマ 発– 1日から4日まで、世界60か国以上から男女修道会の代表300人強がバチカンに集まり、カトリック教会が来年に予定する「聖年」の準備会合を開いている。

 「平和への道を歩む希望の巡礼者たち」をテーマにした修道者たちための聖年の行事は、2025年10月8日から9日まで開かれる予定だ。
 その準備のための今回の会合は、第一日目の1日は「希望を信じる」をテーマに、バチカン奉献・使徒的生活会省のジョアン・ブラズ・デ・アビズ長官やシノドス事務局のジャコモ・コスタ顧問、総合人間開発省のアレッサンドラ・スメリ次官などから話を聞き、2日は「慈善活動における成長」をテーマに、教皇フランシスコとミサを捧げる前に、ワークショップに参加。
 3日は「信仰の力で歩む」ことに捧げられた巡礼が行われ、いくつかのローマの主要な大聖堂に立ち寄り、平和への特別な祈りで終わる。最終日の4日は、「希望への証し」をテーマに、ミサと、昨年12月に奉献・使徒的生活会省の次官に就任したシスター、シモーナ・ブランビッラによる講演で閉幕する。
 「『従順の誓い』は修道士たちから始まりました。修道院長に対する従順です。 上長は神の代理でしたから、上長に従うことは神に従うことになります… 初期教会の修道士たちは、砂漠に行って非常に過酷な生活を送ろうとしたので、自分の意志や欲望を無にすることが、聖なる者となる方法だと考え、『聖なる道』を生み出し、『精神性』を生み出しました。 神に従うことにおいて、自分自身の”能力”を危険である、とみなすのです」。

 そして、「このような考え方は、イエズス会の創始者、ロヨラの聖イグナチオによって強められました。彼は修道生活を始める前は軍人であり(その経験をもとに)、共同体の一員として『何があっても従わなければならない』という『盲目的な服従』を説きました」とし、「この従順の理解には問題があります。多くの修道者、特に修道女にとって、上司は神の声であり続け、『上司は私に命令し、屈辱を与えているが、彼らがそうしているのは、それが正義だからだ』と受け止めているのです」と指摘した。

  「神の意志、神の計画に疑問を抱くつもりはありません。問題は、イエスの『従順』は常に父に対してであり、私たちに求められている『従順』も人間ではなく『神に対する従順』(だということが誤解されている)こと。宗教上の指導者、修道会の上長は、善良な者である場合にのみ神を代表すると言えるのです」と語った。

 さらに、「私は、『従順』は、もっと『協力的』なものであるべきだと考えています。修道者たちは、上長から受けた指示について疑問がある場合、自由にそのことを表明できるようにすべきです」と強調。 

 「そうすることが、混乱を招くかもしれないし、議論も増えるでしょうが、それが人間社会であり、家族なのです。 物事は話し合って、最後までやり遂げるべきです… 『従順』とは「自分の意志や考えを、上長の指示に服従させることではあり得ない」としたうえで、Figueroa氏は「教会や、修道会の上長が権限を行使する別の方法が見つからない限り、行使することが非常に難しくなるでしょう。 私たちは教会や修道会で上長が権威を行使するための新しいモデルを作ることが必要になっている」と訴えている。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載しています。Crux is dedicated to smart, wired and independent reporting on the Vatican and worldwide Catholic Church. That kind of reporting doesn’t come cheap, and we need your support. You can help Crux by giving a small amount monthly, or with a onetime gift. Please remember, Crux is a for-profit organization, so contributions are not tax-deductible.
2024年2月2日

・キリスト教一致祈祷週間に、教皇フランシスコと聖公会のカンタベリー大主教が27か国の代表参加のサミット

(2024.1.19  By La Croix International staff )

     キリスト教一致祈祷週間の1月22日から29日にかけ、ローマとカンタベリーで教皇フランシスコと聖公会のウェルビー・カンタベリー大主教が主宰する「Growing Togetherサミット」が開かれ、27カ国から50人以上の聖公会の主教とカトリック教会の司教が参加する。

 参加者たちはそれぞれの聖跡を訪問し、キリスト教一致のための意見交換を行い、福音宣教において共に成長する方法について熟考する。教皇が聖ペトロ大聖堂地下の 使徒パウロの墓のそばで行われる参加者たちへの委嘱式は、聖公会とカトリック教徒の間の絆を象徴し、さらなるキリスト教一致への対話を促進する重要な瞬間となることが期待される。

  教皇とカンタベリー大司教は、司教、主教たちに、キリスト教一致の証人として二人一組での派遣を委嘱する。 聖ペトロ大聖堂では、大聖堂を巡礼し、聖公会による夕べの礼拝に出席する。バルトロメオ教会を訪問し、カンタベリー大主教が聖公会の祈りと説教をし、さらに西暦 597 年に教皇グレゴリウスが初代カンタベリー大主教の英国派遣を決めた聖グレゴリオ・ アル チェリオ教会を訪問する。

  1月25日は、バチカンで教皇フランシスコとウェルビー大主教による晩祷で、キリスト教一致祈祷週間を締めくくるとともに、カトリック、聖公会それぞれの司教、主教たちの強い兄弟愛を確認し合う。

 キリスト教一致祈祷週間は、1908 年にフランシスコ会の修道士によって始められ、 教皇ピオ10世(在位:1903年8月4日 – 1914年8月20日)が祝福を与え、教皇ベネディクト15世が1916年に世界的な行事とした。 第二バチカン公会議以来、この式典は世界教会評議会(スイス の ジュネーヴ に本部を置き、120か国以上から、カトリック、プロテスタントなど340を超えるキリスト教各派が参加)とバチカンのキリスト教一致推進省が共同で主催している。

Read more at: https://international.la-croix.com/news/religion/pope-francis-archbishop-of-canterbury-to-commission-bishops-for-unified-mission/19041

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2024年1月20日

・福音派原理主義の牧師が、グアダルーペの聖母像を粉砕、崇敬するメキシコの人々に衝撃

(2024.1.19 La Croix  By Eliott Nail )

 1月上旬のことだ。メキシコで宣教師を務める米国福音派プロテスタントのケビン・T・ウィン牧師が、集まった人々が拍手を送る中、斧を手に取り、グアダルーペの聖母像を粉々に打ち砕いた。 現場の動画はソーシャルメディアで急速に拡散し、カトリック教徒が多くを占めるメキシコで最も愛されている方の像に対する残忍な扱いに、オンライン上で多くの人々に強い怒りを引き起こしている。Facing the Evangelical onslaught in Mexico, bastion of the Virgin of Guadalupe

 この行為の実行者は原理主義バプテストの牧師で、この40年間、多くの人々を自分の教えに改宗させようと、メキシコのさまざまな地域で説教を続けている。 彼は自身のウェブサイトで、自分は何千人もの人々をカトリックから「救った」と誇らしげに主張し、一部の福音派の信徒たちが抱いている拡大主義的願望を体現している。そして、その願望を満たすことは、特に多くのメキシコ人から尊敬を受けているグアダルーペの聖母によって妨げられている、というのが、聖母像破壊の動機だ。 

 グアダルーペの聖母はメキシコのカトリックの中心人物であり、国とその首都の守護者だ。ピオ12世教皇は彼女に「米大陸の妃」の称号を与えた。 メキシコシティ郊外にあるグアダルーペの聖母大聖堂には、その像が置かれ、バチカンの聖ペトロ大聖堂に次いで世界で 2 番目に訪問者数が多いカトリックの宗教施設となっている。

 グアダルーペの聖母への崇敬は、スペインによるメキシコ植民地時代にまでさかのぼる。 メキシコの美術史研究者キャロライン・ペレー氏は、「16世紀以来、スペインはこの聖母像をもとにメキシコの植民地化を進めていった。スペイン人は現地の人々と同じ言語を話さなかったので、聖母像が共通言語のようなものになった」と語る。

  この聖母像はもともとカトリック教会の福音宣教を目的としたものだったが、やがて政治的な側面を帯び、 1810 年には国の独立と統一の象徴の 1 つになった。 「グアダルーペの聖母万歳!」 と、反乱の英雄の一人である司祭ミゲル・イダルゴは叫び、 今日でも、オブラドール大統領が、聖母を「メキシコ人の第一の象徴」であると宣言している。

  「グアダルーペの聖母は、植民者と原住民の混合を表しています。非常に異質で不平等な国にとって不可欠な象徴。その像を大衆の面前で破壊するウィン牧師の行為は”イメージ戦争”を始めようとする願望を体現しています」とペレー氏は述べた。

 「 ウィン牧師の行動はメキシコに転換点をもたらした。グアダルーペの聖母』には敵対しない、という暗黙の了解を打ち壊す行為だ」と人類学者でメキシコ宗教現象研究者ネットワーク(RIFREM)の共同創設者、レネ・デ・ラ・トーレ氏は強調。さらに、「グアダルーペの聖母像の破壊は、米国に本部を置く原理主義バプテスト教会の牧師の攻撃的な説教スタイルにおけるメディア露出戦略の一環。大多数の福音派の牧師や信徒にとって、偶像崇拝は排除すべきもの。悪魔は偶像崇拝の中に隠れている、その悪魔に対して『霊的戦争を仕掛ける』という考えを持っているのです」と語った。

 メキシコのソーシャルメディアや主流メディアはこの行為に強く反応したが、その衝撃は1995年にブラジルで起きた同様の事件ほど大きくはない、との見方もある。

  ブラジルの守護聖人であるアパレシーダの聖母像が、 Universal Church of the Kingdom of Godの会員である福音派牧師によって襲撃された事件は、 生中継され、「国中に大きな衝撃をもたらした」と、メキシコとラテンアメリカの現代カトリックに詳しい社会学者ロベルト・ブランカルト氏は言う。中南米では、近年、福音派プロテスタント教会が急増しており、 ブラジルでは現在、福音派の信徒が全人口の30%を超えている。

 そうした中で、メキシコは「福音派の増加が最も少ない」国の一つだ、とトーレ氏は言う。 RIFREMが2016年に実施した調査によると、福音派とその他のカトリック以外のキリスト教徒の総人口に占める割合はわずか8.5%で、カトリック教徒は78%で、その後も目に見えるような増加はない、という。

  政治の分野では、2006 年に新ペンテコステ派の牧師によって設立された連帯会議党 (PES) が、選挙で の得票が4% を超えたことはなく、2021年以降、国会に議席を持っていない。大統領は2018年にPESと同盟を結んだが、これは福音派プロテスタントの運動を奨励する狙いよりも、むしろ”宗教的ポピュリズム”の一形態だ、と専門家は指摘する。

  最新の調査によると、メキシコ人の79.8%がグアダルーペの聖母を崇敬しており、 これは同国のカトリック教徒の総人口に占める割合より3ポイント高い。

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(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

(注:LA CROIX internationalは、1883年に創刊された世界的に権威のある独立系のカトリック日刊紙LA CROIXのオンライン版。急激に変化する世界と教会の動きを適切な報道と解説で追い続けていることに定評があります。

  LA CROIX international is the premier online Catholic daily providing unique quality content about topics that matter in the world such as politics, society, religion, culture, education and ethics. for post-Vatican II Catholics and those who are passionate about how the living Christian tradition engages, shapes and makes sense of the burning issues of the day in our rapidly changing world. Inspired by the reforming vision of the Second Vatican Council, LCI offers news, commentary and analysis on the Church in the World and the world of the Church. LA CROIX is Europe’s pre-eminent Catholic daily providing quality journalism on world events, politics, science, culture, technology, economy and much more. La CROIX which first appeared as a daily newspaper in 1883 is a highly respected and world leading, independent Catholic daily.

 

2024年1月20日

(評論)キリストに付き従う人々の間にどれほど多くの不一致があるのだろう?ーキリスト教一致祈願週間に(LaCroix)

(2024.1.19 La Croix  By Arnaud Alibert AA (in Paris) )

 世界のさまざまな教会や教会共同体は、1月18日から25日をキリスト教一致祈願週間と定めている。

 この8日間の行事は、フランスのカトリック司祭で神学者のポール・クチュリエ(1881-1953)から大きな影響を受けたもので、イエスが地上での生涯の終わりに、父なる神に願われた「父よ、あなたが私の内におられ、私があなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください」(ヨハネ福音書 17章21節)という祈りに基づいている。キリスト教の教会関係者だけでなくすべての人々の一致を促進することを目的としているのだ。 

 イエスは弟子たちのためだけでなく、おそらく全人類のためにこれを求められた。だが、今日の団結の呼びかけは、苦悩と痛みの中にあり、 悲劇的な法則が働いているように見える。その法則というのは、個人であれ、集団であれ、国家であれ、主と距離を置くことで、自分の存立基盤を他者とは異なるものとして主張したい、という欲求。「自分は他人とは違う」ことを強調しながら、「自分らしく」あろうとすることだ。

  現在の世界的な混乱と激しいナショナリズムの高まりを深堀せず、単純にEuropean Union(欧州連合)について見てみよう。 それは「Union」と呼ばれるが、この用語に異議を唱える政治的命題が、この大陸でどれだけあるのだろうか?

 不信感、あるいは被害妄想さえ増大しているように見えるフランス社会はどうか。 社会学者のジェローム・フルケは、フランスを「archipelago(群島)」、つまり「自己認識に基づいたさまざまなコミュニティが断片化した国」と表現している。

 たとえ一致の原則がEUやフランスより強く維持されているとしても、教会にも脆弱性がある。 たとえば、同性愛者を含む”不規則な状況”にあるカップルの祝福に関する昨年12月のバチカンの声明をめぐって噴出しているカトリックの司教たちの間の論争だ。 

 アフリカ・マダガスカル司教協議会連盟(SECAM)は1月11日の声明で、「アフリカ大陸のすべての教会指導者が声を合わせてそのような祝福を拒否している」と主張した。ところが、そのわずか数日後、SECAMのメンバーである北アフリカ地域司教協議会(CERNA)は全く逆、 このような祝福を支持する声明を発表した。

 同様の不協和音が欧州大陸にも蔓延している。 たとえば、フランスのカトリック司教たちは、関係者を困惑させる”共通の公式”を打ち出した。不規則な状況”にあるカップルの「個人」に祝福を与えることには反対しないが、「カップルそのもの」を祝福することについては沈黙する、というものだ。

  確かに、これは主にキリスト教一致運動への精神的な支援を目的としたキリスト教一致祈願週間とはほとんど関係が無いかも知れない。だが、これは、教会の完全な一致が「単なる目標」ではないことを示す証拠だ。 それはまた、すべてのキリスト教共同体が共通の利益のために世界に示さなければならない預言的なしるしでもある。

 「父よ、すべての人を一つにしてください」

(Arnaud Alibertは、 Augustinians of the Assumptionに所属する司祭で、La Croixの宗教担当編集者)

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(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

(注:LA CROIX internationalは、1883年に創刊された世界的に権威のある独立系のカトリック日刊紙LA CROIXのオンライン版。急激に変化する世界と教会の動きを適切な報道と解説で追い続けていることに定評があります。

  LA CROIX international is the premier online Catholic daily providing unique quality content about topics that matter in the world such as politics, society, religion, culture, education and ethics. for post-Vatican II Catholics and those who are passionate about how the living Christian tradition engages, shapes and makes sense of the burning issues of the day in our rapidly changing world. Inspired by the reforming vision of the Second Vatican Council, LCI offers news, commentary and analysis on the Church in the World and the world of the Church. LA CROIX is Europe’s pre-eminent Catholic daily providing quality journalism on world events, politics, science, culture, technology, economy and much more. La CROIX which first appeared as a daily newspaper in 1883 is a highly respected and world leading, independent Catholic daily.

2024年1月20日