米国がトランプ新政権下で道徳的・政治的混乱に直面する中で、カトリック教会の対応はますます厳しく精査されるようになっている。
教会の指導者たちはキリストの価値観を擁護しているのか、それとも分裂した社会を反映しているだけなのか?仮に米政府と国民の道徳的崩壊を目撃しているのだとしたら、カトリック教会は一体全体どうなっているのか?全米司教協議会が米国そのものと同様に深刻な分裂状態にあることは以前から知られていたが、政府と同様に機能不全に陥っているのだろうか?
新保守主義者の宗教的アジェンダは数十年にわたって拡大し続け、MAGA(アメリカを再び偉大に)運動と同様に、「イエスは白人であり、中流階級で、英語を話し、マクドナルドを食べていた」という幻想に基づいている。
カトリック教会と司教協議会における新保守主義者の状態は、共和党と民主党の政治的分裂を反映しているように見える。同様に、右派の道徳的破綻と左派の道徳的憤理(いきどおり)も反映している。
一方、米国の貧困層は、医療、住宅、教育への適切なアクセスを欠いている。同様に、トランプ政権による対外援助予算の大幅削減が米国国際開発庁(USAID)に影響を及ぼしたことで、この支援に頼っていた多くの人々が路頭に迷うことになった。
*どの司祭がバンス氏にカトリックの教えを伝え、洗礼を授けたのか?
教皇フランシスコが、トランプ政権の バンス米副大統領の「キリスト教の愛」への誤解を正そうとする書簡を発表したのは、時宜を得たものだった。このことは、ラテンアメリカ出身の世界の指導者の一人が、米国とその権力行使を恐れていないことを示している。また、洗礼を受けた兄弟の神学が誤っており、キリスト教の基本的な教義に対する理解のためにさらなる教理教育を必要としている場合には、それを正す用意があることも示している。
ここで疑問が生じる。バンス氏をカトリック教会に入らせたのは誰なのか、そして、自分がキリスト教徒であることとキリスト教徒になることの違いを学ぶように彼を導くべきなのは誰なのか?
教皇フランシスコの書簡は、政治の世界で、「キリスト教徒」であることと「カトリック教徒」であることの名目と実践の狭間で苦悩するルビオ米国務長官(もともとカトリック教徒だったルビオ家は、ラスベガス在住時に末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)の教会に通い、その洗礼を受けたが、1984年に家族全員が再びカトリックに戻っている)にとっても、生きた教訓となるだろう。真実を認め、それを公に認める勇気を持つ、という地雷原を歩むような交渉をする中で。おそらく、彼の魂を救うためには、彼が辞任する時が来たのかもしれない。
*バンス、ルビオ両氏とも、キリストの価値観を支持しないならいつでも教会から去れる
カトリック教徒であるバンスとルビオは、政党や個人的な思惑よりも、世界的な舞台でより大きな存在感を放っている。彼らは、国内の有権者や国際社会に対して、米国のカトリック教徒を『代表」しているのだ。キリスト教徒として、またカトリック教徒として、等しく語る必要がある。イエスの価値観を伝え、神の聖霊の賜物と実りを生きるのだ。そうでなければ、彼らの意思決定、声明、真理の理解を導く優先事項を公に宣言すべきである。
もしこの2人がキリストの価値観を支持したくないのであれば、神の「口から吐き出される」ことを避けるために洗礼の誓いを守る能力も意思もないのであれば、正式な手続きによって教会を去ることもできる。あるいは、5日から始まった四旬節の間に悔い改め、確固たる信念を持って、これまでの生き方とは異なる生き方を誓うこともできる。
*米国のカトリック司教団は歴史の正しい側に立てるのか?
同様に、米国のカトリック司教団も、今、展開しているドラマにおける自分たちの立場を考え、ドラマが終わった時に、司教団として、また個人として「歴史の正しい側」に立つために何が必要か、を考える必要がある。
私が彼らに対して抱いている懸念は、20世紀にチリ、スペイン、イタリア、クロアチア、ハンガリー、ドイツ、ロシアのファシスト政権に加担したカトリックの高位聖職者たちと同様に、彼らもまた「行動が遅すぎた」「行動があまりにも不十分だった」「共犯者だった」などと非難されるのではないか、ということだ。非難されたのは、自己の利益と経済的な安定を守るために行動したからだった。
米国の司教たちは、展開するドラマにおける自分たちの立場を考慮し、この出来事が終わった後、会議や個人として『歴史の正しい側』と見なされるために何が必要かを考える必要がある。」
右派ファシズムへのバンスの支持は、先月開かれたミュンヘン安全保障会議での演説や、ドイツの極右政党の政治指導者との会談(この政党は、ドイツ国籍を持つ者も含め、非ドイツ系住民の国外追放を望んでいる)から見て、疑いの余地はない。
バンスの霊的指導者であり司教である人物は、今どこにいるのだろうか? 司教たちは、女性の選択の権利に関する立場についてバイデン大統領を厳しく追及したように、なぜバンスを厳しく追及しないのだろうか? ダブルスタンダード(相手によって価値判断や基準を変えるご都合主義)ではないか?
右派カトリック信者によるトランプ米大統領の神格化について、私たちは「新しい使徒的刷新」の浸透を目にしている。この運動は、神(ユダヤ・キリスト教の神であり、イスラム教やヒンドゥー教の神ではない)がこの人物を、世界に救いをもたらす預言者として選んだと主張している。この見解によると、トランプ氏は新しい救世主であり、バンス氏とルビオ氏は、リンゼイ・グラハム上院議員らとともに、その”使徒”だ。
「新しい使徒的刷新」では、トランプ大統領に反対する者は米国政府と「アメリカ国民」に反対していることになる、としている。カナダ人、メキシコ人、コロンビア人などは、彼らは含まれない。
トランプ氏を取り巻く神聖な使命を、就任式のようなグロテスクなキリスト教の表現によって正当化することは偶像崇拝である。司教、神学者、どこにいるのか?
分裂した米国カトリック教会は、その政治的責任に直面しなければならない。ミサに集まり、聖体拝領を受ける前に、司教も司祭も含めて信者たちは自らの良心を究明しなければならない。「飢えた人から食べ物を奪い、ホームレスを路上に追いやり、未亡人や子供、孤児から経済的支援を奪った場合、私はどのような権利で聖体拝領を受けるのか?」「もしあなたがこれらすべてを行ったのであれば、主の体と血を受けるにふさわしいのか、それとも、自らの非難を飲み食いしているのか?」と。
*分裂した米国のカトリック教会は、その責任と向き合わねばならない
「当時はそれでよかったが、今は違う」「私たちは自国を守らなければならない」「彼らはただ乗りしている」というような反抗的な意見を耳にする時、イエスが説教を説いたのは、マンハッタンのアッパー・ウェストサイドの快適なアパートや、ボンダイビーチのアイスクリームカフェではなかったことを思い出してほしい。
イエスは、ローマ帝国の占領下にあったパレスチナで、キリスト教徒の倫理的な生き方の道徳的基盤を説いた。そこは、権威主義的な軍事大国が自由を弾圧し、宗教指導者を操っていた場所だった。これらの指導者たちは、エジプトで苦難を経験し、真の預言者に導かれて約束の地に導かれた先祖の伝統を守ることよりも、敬虔さを外見で示すことのほうに関心があった。
過激化した「キリスト教徒」は、一般的に「イエスを物語から排除した、偽りのキリスト教」を説いている。このような敵対的な文化の中で、山上の垂訓を説き、実践することは危険を伴う。しかし、洗礼の水を受ける時、私たちは皆、その危険を承知の上でそうするのだ。
(J. P. Graylandは、ヴュルツブルク大学(ドイツ)の典礼学部の講師である。パーマストン・ノース(ニュージーランド)のカトリック教区の司祭であり、最新の著書に『カトリック教徒。世俗的文脈における祈り、信仰、多様性』(Te Hepara Pai, 2020)がある)
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二=聖書の邦訳は「聖書協会・共同訳」による)
(注:LA CROIX internationalは、1883年に創刊された世界的に権威のある独立系のカトリック日刊紙LA CROIXのオンライン版。急激に変化する世界と教会の動きを適切な報道と解説で追い続けていることに定評があります。「カトリック・あい」は翻訳・転載の許可を得て、逐次、掲載していきます。原文はhttps://international.la-croix.comでご覧になれます。
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