(評論)21人の新枢機卿誕生:コンクラーベで誰が次期教皇を選ぶのか?

(2024.12.9  La Croix   Mikael Corre)

 12月7日に21人の枢機卿が新たに誕生したことにより、次期教皇選挙が開かれた場合の選挙権を持つ枢機卿の数は140人に増えた。うち国別で最も多いのはイタリアで、新任4人を合わせて17人。アフリカ全域の合計と同数になった。

 選挙権者の12%を占めるイタリア人の影響力は、25%を占めていた2013年の前回のコンクラーベに比べれば落ちてはいる。しかし、南半

Cardinals listen as Pope Francis delivers his homily during the Ordinary Public Consistory Dec. 7,

球に焦点を当てた教皇職の10年以上を経た今も、依然として欧州の枢機卿たちが過剰に代表している。

 12月7日時点で教皇選挙権を持つ枢機卿は140人であり、うち55人が欧州出身者で、システィーナ礼拝堂に集まる選挙人の39.3%を占める。だが、信者の数をみると、欧州は大きく減っており、2024年のカトリック教会統計(2022年の数字に基づく)によると、世界のカトリック信者13億人の20.6%を占めるに過ぎない。

 欧州の国別では、イタリア17人、スペイン6人に次いでフランスが5人で内訳は、ローマの最高裁判所長官ドミニク・マンベルティ枢機卿、ジャン=マルク・アヴリーヌ枢機卿(マルセイユ)、フィリップ・バルバリ枢機卿、フランソワ・ビスティロ枢機卿(アジャクシオ)、クリストフ・ピエール枢機卿(駐米教皇大使)。未成年に対する性的虐待疑惑に関与したとしてボルドー大司教を解任されたジャン=ピエール・リカード枢機卿は、9月25日に80歳となり、教皇選挙権を失った。

 欧州の過剰な”代表”は、主として米大陸とアフリカ大陸の”犠牲”の上に成り立っている。信者の数をみると、米大陸、つまりラテンアメリカ、米国、カナダの合計で、世界全体の5割弱、47.9%を占めているのに、選挙権を持つ枢機卿の数は、全体の3分の1にも満たない27.9%だ。アフリカ大陸では 2021年から2022年にかけて、受洗者が大幅に増え、信者の数が世界全体の約2割、19.6%を占めるようになったが、枢機卿の割合は選挙権を持つ枢機卿総数の12.1%にとどまっている。

 一方、アジア大陸でも、信者が増えているものの、世界の信者総数の11.1%を占めるに過ないが、80歳未満の枢機卿をみると25人おり、有権者の17.9%を占めている。 9月に教皇が歴代教皇で最長となる旅に出た先はアジアであり、この大陸の重要性の高まりを反映している。 オセアニアも信者のシェア0.8%に対して選挙権を持つ枢機卿は4%と過剰に評価されている。

 このように信者の割合と選挙権を持つ枢機卿の割合が均衡を欠いているのは、そればかりではない。ヨハネ・パウロ2世教皇が任命した選挙権を持つ枢機卿はわずか6人。ベネディクト16世教皇は24人である。これに対して、教皇フランシスコが自身の後継者を決定する選挙権を持つ枢機卿は12月7日現在で見ると総数の8割弱、78.6%を占めるに至っている。

 もっとも、イエズス会出身の教皇は、厳密な統計よりも他の採用基準を優先しようとしている可能性が高い。つまり、「グローバルで包括的な教会」という自身のビジョンを念頭に置いて今の枢機卿団を形成するに至っている、ということだ。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

(注:LA CROIX internationalは、1883年に創刊された世界的に権威のある独立系のカトリック日刊紙LA CROIXのオンライン版。急激に変化する世界と教会の動きを適切な報道と解説で追い続けていることに定評があります。「カトリック・あい」は翻訳・転載の許可を得て、逐次、掲載していきます。原文はhttps://international.la-croix.comでご覧になれます。
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2024年12月10日

(評論)刑事司法に関しての権力を放棄することは、教皇フランシスコにふさわしい行為だが(CRUX)

.(2024.11.3  Crux  Editor   John L. Allen Jr)

On criminal justice, renouncing power might actually make the papacy stronger

 (写真右は、バチカン法廷のジュゼッペ・ピニャトーネ裁判長=出典:バチカンメディア)

ローマ 発– 先週の5日、バチカン民事裁判所は、いわゆる「世紀の裁判」における2023年12月の判決のイタリア語で言う「motivazioni(動機)」をようやく開示した。この裁判は、バチカン国務省による4億ドルのロンドン不動産の悲惨な購入を巡るもので、ジョヴァンニ・アンジェロ・ベッチュウ枢機卿を含む9人の被告に有罪判決が下された。

 「motivazioni(動機)」は、事実と法律の両面から見た裁判所の判決の背景にある詳細な理由付けを意味する。ロンドン事件の複雑さを考えると、判決から11ヶ月近く経ってから、819ページにも及ぶ判決文が下されたことは驚くことではないかもしれない。

 しかし、検察官と弁護人が具体的に何を不服として控訴しているのかが分からなかったため、控訴手続きが長らく凍結されていたことを考えると、この判決文の真の意義は、控訴手続きがようやく前進できるようになったことにある。

 しかし、この件に個人的に関わっていない人にとっては、おそらく「motivazioni」の最も興味深い部分は、冒頭近くにある。それは、バチカンにおいて司法は独立しておらず、したがってその判決は現代の適正手続きの基準を満たしていない、ということだ。

 バチカンにおいて司法の独立性を主張することは、控え目に言っても、かなり難しい。法的に、ローマ教皇はカトリック教会において最高の行政、立法、司法の権限を有しており、それは、三権分立など存在しないことを意味している。したがって、バチカン法廷が「独立」していると主張することは、「太陽が地球の周りを回っている」と主張するようなものだ。それでも、「motivazioni」は精いっぱいの努力をしている。

 「motivazioni」の対象となっている裁判は、教皇フランシスコが2020年3月に発布し、2023年4月に修正された自発教令を大前提としている。この自発教令は「裁判官は、至高なる教皇によって指名され、その職務の行使においては、法律にのみ従う」”とし、また、「裁判官は、法律で定められた権限に基づき、その範囲内で、公平性をもってその権限を行使する 」とも記されている。

 これらは”崇高な理想”であり、あらゆる観点から見て、バチカン法廷の裁判官、特に裁判長ジュゼッペ・ピニャトーネは、それを真剣に受け止めている。ピニャトーネ氏は、現在、40年前にシチリア島パレルモの検察官補佐としてマフィアの捜査を違法に打ち切ることに加担した疑いで調査を受けているにもかかわらず、一般的に非常に高い評価を得ているベテランのイタリア人法学者だ。

 第一に、教皇は裁判官を任命するだけでなく、彼らを解雇する権限も有している。2020年3月の自発教令には、「至高なる教皇は、証明された能力不足により職務を遂行できない裁判官を、一時的であっても職務から解くことができる」とも記載されている。

 はっきりさせておくと、「証明された無能力」に該当するかどうかを判断するのは教皇である。現代の教皇が、自らの意向に反する判決を下した裁判官を処罰するためにこの権限を行使した、という事例ははないが、教皇がそうできることは事実であり、それを構造的に妨げるものは何もない。

 例えば、米国と比べてみよう。大統領は連邦判事を任命することはできるが、解任することはできない。連邦判事の解任には、下院による弾劾と上院による有罪判決が必要だ。

 第二に、「motivazioni」も認めているように、バチカン市国の基本法では、訴訟がどのような段階にあろうとも、教皇が民事・刑事事件を自らが選んだ機関に再割り当てすることを決定できる、と規定されている。

 繰り返しになるが、「motivazioni」は、教皇がその権限を行使したことは一度もない、と指摘しているが、それでも、教皇にその権限がある、という事実は変わらない。バチカンの裁判官は、特に教皇が明確な意向を示しているような案件では、判決を下す際にそのことを念頭に置いているはずである。

 第三に、教皇はいつでも刑事訴訟に介入し、自由に規則を変更することができる。実際、教皇フランシスコはロンドンの事件でそうした。4つの再指令、すなわち「法令」を発行し、捜査段階において検察官に異例の広範な権限を与えた。

 真の三権分立制度においては、このような行政権の行動は、司法審査の対象となる。例えば、米国大統領が発令したさまざまな行政命令を考えてみよう。これらは長年にわたり、最高裁判所によって「違憲」として却下されてきた。

 しかし、「motivazioni」が指摘しているように、バチカン法典第1404条に明確な原則が定められているため、バチカンの裁判官にはそのような権限はない。同条はラテン語でPrima Sedes a nemine iudicatur(第一審は誰にも裁かれない)と記されている。

 結局のところ、関係者全員の善意にもかかわらず、状況の構造的な現実により、バチカンの刑事司法制度の「独立性」を主張する声に、中立的な立場の観察者が真剣に耳を傾けることは難しいということである。

 このような状況である必要があるのだろうか? 端的に言えば、答えは「ノー」である。

 神学上および教会論上、教皇は、カトリック教会における霊的な事柄、特に信仰と道徳に関する最高権威である。しかし、投資の失敗による刑事責任をめぐる紛争などの世俗的な事柄についても、教皇が絶対的な権力を行使しなければならない、という神学上の理由は存在しない。

 実際、教皇がそのような権力を行使すべきではない理由が数多くあり、行使しない方が望ましい。

 ほとんどの人は、1870年の教皇領の喪失とともに、教皇が世俗的な権威を失ったと考えている。実際、教皇はその後約60年間、その権威を失った。しかし、1929年のラテラノ条約により、教皇領は復活し、教皇は、より狭い管轄権ではあるが、再び絶対的な主権者となった。

 教皇が新しいバチカン市国に対して絶対的な世俗的権力を振るったと、いう事実は、その権力をほとんど行使することのなかった歴代の教皇たちによって、ほとんど見えなくなっていた。しかし、フランシスコは、バチカンの刑事司法制度を実際に機能させたい、と考えている。これはまったく賞賛に値する目標であるが、同時に、近代的な適正手続きの概念に照らして、その制度をいかに信頼に足るものにするかという、長らく先延ばしにされてきた問題に直面することを意味する。

 言い換えれば、信仰に関わらない事柄については、真の三権分立を導入し、バチカンの民事司法の管理を自主的に放棄すれば、フランシスコ(あるいはどの教皇であっても)が真の説明責任を果たすのに役立つだろう。そうすることは、1970年にローマが新たに統一されたイタリアの軍勢に陥落してから100周年の記念日に、時の権力を失うことを「神の思し召し」と呼んだ聖パウロ6世の言葉の自然な集大成である、という意見もあるだろう。

 2018年にパウロ6世を列聖したフランシスコにとって、この点で故教皇の遺産を完成させることは、特にふさわしい動きであると思われる。

 このような改革が行われるまでは、多くの観察者が、「motivazioni」で提示されているような議論を、それがいかに巧妙に、あるいは誠実に表現されているとしても、受け入れがたいと感じるのは避けられないだろう。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2024年11月4日

(評論)教皇フランシスコは、女性の役割問題などで「リベラル」か「保守」か―”カトリックの尺度”を使うかどうかによる(Crux)

(2024.10.6 Crux  Editor John L. Allen Jr.)

 ローマ – 数日前、教皇フランシスコは皮肉にも、カトリック極右の最も猛烈な批判者たちが真っ先に支持するであろう発言をした。ベルギー訪問中に女性に対する自身の発言が批判されたことに対し、教皇は、その発言が「保守的」な考え方を反映している、という考えに憤慨した。

 「もしこれが女性たちにとって保守的に見えるなら、私はカルロ・ガルデル*だ」と教皇は有名なフランス系アルゼンチンタンゴミュージシャンの名を挙げた。これはアルゼンチン流の言い方で、教皇がその考えを「馬鹿げている」と表現したものだ。

 カトリックの最も熱心な保守派はほぼ間違いなく同意するだろう。彼らは長々と、そして深い熱意と確信をもって、「教皇は自分たちの仲間の一人ではない」と断言するだろう。

 (皮肉なことに、教皇は、同じ機中会見で、自分が「保守派」であるという考えに憤慨し、そこで再び中絶を「殺人」、中絶を行う医師を「ヒットマン」と定義した。これは、ほとんどの一般人にとっては「かなり保守的」と受け止められる言葉だが、これについては後ほど詳しく説明する。)

 例を挙げるのはほとんど不必要だが、この教皇に対する保守派の評価で最も称賛されている点として、離婚して民事婚をしたカトリック教徒に聖体拝領への慎重な扉を開いた2016年の使徒的勧告「愛の喜び」、そして最近では、同性婚の人々に祝福を与えることを認めるバチカン教理省の文書「Fiducia Supplicans」が挙げられる。これに、ほぼ全員が「左派」とみなされていた司教を高位に任命し、伝統的なラテン語ミサの聴衆を軽蔑しながら左派のポピュリスト運動を支持していることが加わった。

 では、教皇はどうして、自分が保守派だという考えを否定しなければならないという、一見奇妙な立場に立たされたのだろうか。簡単に言えば、それは「リベラル」と見なされる人物には「世俗版」と「カトリック版」があり、そのことが、メディアの論評や”井戸端会議”で常に混乱の種となっている、ということだ。

 典型的な世俗主義者にとって、「リベラル」とは、とりわけ、西洋で「文化戦争」と呼ばれるものに対して寛容な立場をとる人を意味する。世俗的な見方では、「リベラル」とは、中絶賛成派、同性婚支持を含むLGBTQ+賛成派、女性の聖職を禁じる宗教団体を「時代遅れで家父長的」と見なすなど、女性の権利賛成派である。

 これまで女性司祭の考えを支持してきたカトリック司教は何人かいたが、世界の司教全体のほんの一部に過ぎない。進歩主義に傾倒する高位聖職者のほとんどは、司祭職を男性の聖職として受け入れながら、聖職者主義と闘い、女性に力を与える他の方法を見つけることに力を注いでいる。

 言い換えれば、「リベラル」と「保守」という世俗的な対比は、カトリック教会の、少なくともその最上級階級においては機能しない。なぜなら、結局は区別がつかない区別は、愚かだからである。

 しかし、世俗的な方法ではなくカトリック的な方法で違いを数える限り、教会内で「リベラル」と「保守」の間には確かに意味のある区別がある。たとえば、リベラルな高位聖職者は、「教会が中絶問題に重点を置きすぎている」と主張し、中絶の法的禁止を求めて闘うよりも、「妊娠している女性や家族を支援する新しい方法を見つけることのほうが、資源のより建設的で思いやりのある使い方だ」と主張するかもしれない。

 リベラルな司教は、同性結婚を擁護するのではなく、同性婚の祝福を支持し、カトリック右派の批判者から「Fiducia Supplicans」を守ろうとするかもしれない。女性司祭の叙階を推進するのではなく、女性を権力の座に就かせる他の方法を探すかもし​​れない。

 より広い意味では、リベラルなカトリック司教は、教義の発展という考えを受け入れ、「教会が関連性を保つためには、ある程度、状況に適応しなければならない」と信じている人である。一方、保守派は、適応よりも保存に重点を置き、「関連性が忠実さに取って代わった場合、それが信仰を弱める処方箋になること」を懸念する人である。

 言い換えれば、「左」と「右」の理解は、結局のところ、中心をどこに置くかによって決まる。世俗文化では中心は主に特定の瞬間の世論によって定義されるが、カトリックでは中心は教理問答によって定義され、その教えをどのように解釈し適用するかが議論されるのだ。

 世俗メディアの同僚に私が説明しようとしているのは、次のような質問にいつも電話してくることに対してだ―「フランシスコはリベラル派だと思っていたのですが…では、x はどうなっているのですか?」。私の通常の答えは、「ええ、確かにリベラル派です。米国や欧州でなく、カトリックについて話している限りは…」。

「カトリックについて話す能力」は、教会に関する多くのことを正しく理解するための鍵だ… 教皇も当てはまる。そして、それが真実でなければ、私はカルロ・ガルデルです。

  *カルロス・ガルデル(Carlos Gardel, 1890年12月11日? – 1935年6月24日)=不世出のタンゴの名手として知られるアルゼンチンの歌手・俳優。45歳と若く、人気の絶頂期に飛行機事故で亡くなったことと相まって、現在もなお、アルゼンチンの国民的英雄としての名声を不動のものにしている。

 

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2024年10月7日

【教皇、ルクセンブルク・ベルギー訪問】「司教、司祭、一般人を問わず、虐待した者を裁くように」-ブリュッセルでの主日のミサで

 

 

 

*司教たちは虐待を隠ぺいするな、虐待被害者は勇気をもって訴え出てほしい

 また教皇は事前に準備された説教の内容を離れて、27日にブリュッセルで、聖職者による性的虐待を受けた人々と出会ったことについて語られ、「虐待の被害者としての彼らの苦しみを聞きました」とされたうえで、「繰り返しますが、教会にはすべての人のための場所があります… 虐待の余地はなく、虐待を隠す余地もありません。私はすべての人にお願いします。虐待を隠さないでください。司教たちにお願いします。虐待を隠さないでください。虐待した者を非難し、虐待というこの病気から回復できるよう助けてください」と司教はじめ教会関係者に強く要請。

 

 

 

*移民・難民の苦悩の叫びを進んで受け止めよう

 

 

 

2024年9月29日

【教皇、ルクセンブルク・ベルギー訪問】「喜び、分かち合う愛の力は、あらゆる困難より強い」ブリュッセルの小教区で難民や貧しい人々と朝食

ベルギー訪問中、教会で人々と朝食を共にする教皇フランシスコ 2024年9月28日 ブリュッセル首都圏地域サン=ジルベルギー訪問中、教会で人々と朝食を共にする教皇フランシスコ 2024年9月28日 ブリュッセル首都圏地域サン=ジル

(2024.9.28 バチカン放送)

 ベルギー訪問中の教皇フランシスコは、ブリュッセル首都圏地域サン=ジルの小教区で、難民や貧しい人々と朝食を共にされた。当初予定になかったこの訪問は、サクレ・クール大聖堂でのカトリック教会関係者との集いの前に行われた。

 早朝、教皇が訪れたのは、ブリュッセル首都圏地域の基礎自治体の一つ、サン=ジルにあるサン=ジル教会では、毎朝、聖堂内の本廊にテーブルを設け、ベルギー人、外国人を問わず、恵まれない人々に「朝のコーヒー」を提供している。
 また、同教会の共同体は、仕事を持たない人々に職業訓練としてビール製造を教えている。製造されたビールは、教会の慈善事業の予算を補うために販売されている。
 教皇は、アフリカや、東ヨーロッパ、また地元など、出身も様々な9人とテーブルを囲み、一人ひとりの話に耳を傾けながら、コーヒーとクロワッサンだけのシンプルな、しかし特別な朝食を体験された。そして、「朝食に招待してくださって、ありがとうございます。友人たちと一日を始めることは素晴らしいことです。これがサン=ジル教会で味わう雰囲気です」と挨拶された。
 また、1本のビールを手渡された教皇は、「ここで愛が交わりと創造性を生み続けるのを見て幸せに思います。皆さんはビールまで発案されました。とても美味しそうなビールです。(飲んだ感想を)あとでお知らせしましょう」と話された。
 「互いに相手を愛をもって見ることは、皆を助けることになります。愛は心を温める火です」、「喜びと分かち合いの愛の力は、あらゆる困難より強いものです」と教皇は語りつつ、この朝食のひと時に改めてお礼を述べられた。(編集「カトリック・あい」)

2024年9月29日

【教皇、ルクセンブルク・ベルギー訪問】☩「騒げ、祈れ、そして幼な子の無邪気さと純粋さの感覚を取り戻すように」6000人の若者に向けて

Pope Francis takes a selfie with young people at the “Hope Happening” event in Brussels  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)
2024年9月29日

【教皇、ルクセンブルク・ベルギー訪問】☩「学びの中に常に真実を求めよ、権力の道具にしてはならない」ルーヴァン・ カトリック大学の学生たちに

(2024.9.28 Vatican News  Lisa Zengarini)

 ベルギー訪問中の教皇フランシスコは28日夕、創立600 周年を祝うルーヴァン・ カトリック大学を訪問、講堂で学生たちと会見され、「希望を持ち続け、より良い未来に向けて努力し、常に学問において真実を求めるように」と激励された。

 フランソワーズ スメッツ学長ら大学の幹部に迎えられた教皇は、講堂でまず、学生たちから、”共通の家”を守ることに関する回勅「ラウダート・シ」について議論するために集まった教授、若手研究者、学生らの共同作業をまとめた書簡を渡された。現在の気候危機の哲学的および神学的根源、感情とコミットメントの役割、不平等の問題、女性の立場と冷静な態度、気候緊急事態に直面した団結という 5 つのテーマに焦点を当てている。

 教皇はあいさつでまず、このような書簡で将来への懸念を共有してくれた学生たちに心から感謝し、正義と真実の探求を求める彼らの「情熱と希望」を称えられた。

 そして、戦争、南半球の資源と人々の無差別な搾取、および欧州諸国による植民地支配を正当化した教会の責任など、書簡で提起されたいくつかの問題を取り上げ、「宗教を支配のために悪用することは、神のイメージを冒涜的に歪曲する行為です」と強く批判。「こうした悪に直面しても、希望を持ち続けるように。希望は、決して失望させることはありません」と述べられた。

 また、書簡で提起された「キリスト教と環境の関係」について教皇は、培うべき三つの態度を指摘された。一つ目は、人類に託され、私たちを「主人ではなく、地球上の客人であり巡礼者」にしてくれた神の創造物への感謝であり、二つ目の態度は使命であり、将来の世代のために創造物を守り育てる義務を果たすこと。

 教皇は「環境保護の努力が、強力な経済的利益の蔓延によって妨げられ続けていること」を嘆かれ、「私たちは”客人”であり、独裁者ではありません」とされたうえで、学生たちに「思想だけでなく世界の育成についても考えるように」と説かれた。「悪魔はポケットから入り込みます。市場が優先される限り、私たちの”共通の家”は苦しみ続けるでしょう」。

 そして、培うべき三つ目の態度として、教皇は、「神と人類の両方に対する忠誠心」を挙げ、人間の生活の物理的、道徳的、文化的、社会的側面を尊重し、「あらゆる形態の抑圧と他者の拒絶に反対する総合的発展」に取り組むよう促され、教会は「これらの虐待を非難し、何よりも教会のメンバー、私たち一人ひとりが正義と真実に改心するよう尽力します」と語られた。

 また、「自然を育成するのではなく、操作する」ことに対して警告され、そのようになり得るものとして、優生学、サイバネティック生命体、AI(人工知能)を挙げられた。

さらに教皇は、書簡で取り上げられた「教会と社会における女性の役割」を取り上げ、ジェンダー暴力や不正義、イデオロギー的偏見の問題について言及。救済の歴史における女性の重要な役割を思い起され、「教会と社会における女性の本質」について考察。「男性と女性の間にいかなる競争の観念があってもなりません」とされたうえで、「尊厳と共有された人間性に根ざした相互尊重と協力」を強調。

「教会では、男性と女性は最初から、愛し、愛されるように求められてきました… 女性を特徴づけるもの、真に女性的なものは、合意やイデオロギーによって規定されるものではありません。尊厳自体が紙に書かれた法律ではなく、私たちの心に書かれた独自の法律によって保証されるのと同じです」と説かれた。

 

教皇は、学生の学問形成についても語られ、教育と文化は、共同の努力が求められるものであり、共同体社会の一部であることを念頭に置きながら、独自の学習スタイルに従うようにと、学生たちに勧められた。

また、学生に自分の学びへの動機を振り返るように、より充実した人生を送ることを目標に勉強するように促され、「仕事が人生のすべてであってはなりません」と忠告。「私たちは働くために生きるべきではない。生きるために働くべきです」と強調され、「個人的な利益のためだけでなく、公共の利益のために勉学する」必要を説かれた。

最後に、教皇は学生たちに、「学びの中で常に真実を求め、それを証しするように…真実は私たちを自由にします。それを欠いては、学びは、権力の道具、他人を支配する方法になり、もはや奉仕ではなく支配になってしまいます」と語られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2024年9月29日

【教皇、ルクセンブルク・ベルギー訪問】☩「性的虐待が被害者にひどい苦しみと深い傷をもたらしている。そうした中でも、喜びと慈しみで司牧の使命を満たせ」ベルギーの聖職者たちとの会見で

(2024.9.28 Vatican News  Devin Watkins

 ベルギー訪問中の教皇フランシスコは現地時間28日午前、ケルケルベルクの聖心大聖堂で同国の司教、司祭、修道者、司牧関係者たちとお会いになり、「苦難に遭っても、『喜びと慈しみ』という福音の価値を体現するように促された。

 あいさつで教皇は、「社会のあらゆる層に福音を宣べ伝える」という教会の使命に焦点を当てて離された。そして、まず福音宣教の道について、「西洋は今、信仰の危機を経験しています」とされたうえで、「教会は後手に回ることなく、この危機に遭って、自分たちを奮い立たせ、『聖霊の道』を再発見する機会として、歓迎せねばなりません。今の危機は、私たちが、皆が歓迎する社会の枠組みの中に位置づけられたキリスト教から、『少数派』のキリスト教、あるいはもっと適切な言い方をすれば、『証し』するキリスト教に移行したことを示しています」と語られた。

 そして、「イエス・キリストを愛し、神の聖なる民と密接に歩み、多様性の中に調和を求めるように」と聖職者たちに呼びかける一方、「福音の喜びの姿勢」の重要性を指摘して、「それはつかの間の楽しみを超え、暗闇や苦痛の瞬間でさえ、私たちのキリスト教徒の生活を支えるために魂の奥深くに浸透します… 心の喜びは、福音によって燃え上がります。それは、私たちが旅路で孤独ではないこと、そして貧困、罪、苦悩の状況でさえ、神が近くにいることを知ること。から来るのです」と強調。

 また教皇は、「忠実を守ることが難しく思えるとき、教会の司祭たちは、キリストの示す道がどこへ向かっているかを思い起し、キリストから力を得なければなりません」と述べられた。

 さらに教皇は、「神は常に慈しみ深い」として、慈しむことの重要性を強調され、「父なる神は、たとえ私たちが重大な罪を犯したとしても、私たちから愛を取り去ることは、決してありません」とされたうえで、「世俗的な観点から見ると、神の広範な慈しみは不公平に思えるかも知れませんが、神の正義はそのような思いを超越し、すべての人に、過ちを正すように、と呼びかけているのです」と説かれた。

 続けて教皇は、聖職者による性的虐待の危機が「ひどい苦しみと深い傷を引き起こし、信仰の道さえも損なわせている」と指摘。「被害者の苦しみを前にして私たちの心が固くならないように、沢山の慈しみを示すことが必要。そうすれば、被害者に私たちの親近感を感じてもらえ、できる限りの援助を差し伸べることができるのです」と強調された。

 最後に、ベルギーの聖職者と修道士たちが「常に神の慈しみを人々示し、最も暗い時代に信仰の光を照らしてくれたこと」に感謝を述べ、「聖霊の助けがなければ、私たちキリスト教徒は何もできません」と付け加えられた。

 *注:ベルギーの教会は、最近、自身の甥2人を含む未成年者への虐待を認めて辞任したロジャー・ヴァンゲルウェ元司教の悪名高い事件など、聖職者による性的虐待スキャンダルで、特に大きな打撃を受けている。教皇の発言にはそうした現実が背景にある。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

2024年9月28日

【教皇、ルクセンブルク・ベルギー訪問】☩「聖職者の児童性的虐待は、私たちの恥、屈辱。教会は赦しを請わねばならない」ベルギーの各界代表に

Pope Francis says the Church must ask for forgiveness for the abuse of minorsPope Francis says the Church must ask for forgiveness for the abuse of minors  (Vatican Media)

2024年9月28日

【教皇、ルクセンブルク・ベルギー訪問】「真実を追求し、知識の限界を広げよう」ルーヴェン・カトリック大学の教員たちに

(2024.9.27 Vatican News   Devin Watkins)

 教皇フランシスコは27日午後、ルーヴェン・カトリック大学を訪問され、欧州各国からきている教員たちと会見、「真実を執拗に追求し、知識の限界を広げるように」と促された。

 同大学は今年、創立600周年を迎える。会見でのあいさつで教皇は、カトリック大学が学生に総合的な教育を提供し、現在を解釈し、将来を計画することを学ぶ必要性を強調され、「大学を文化やアイデアを生み出すものとみなすのは良いことですが、何よりも人類の進歩のために真実を追求する情熱を促進するものと見なすのは良いことです」と語られた。

 教皇は、福音を文化にもたらすという使命において、カトリック大学は「知識の境界を広げ」、「人生を理解し、人生について語る批判的な空間」を作らなければならないと述べた。

 また、「現代社会は真実の探求を拒否し、探求への情熱を失い、快適さだけを求め、結局すべてを平等で相対的なものにしているようです」とされ、「この見方は、知的疲労をもたらし、私たちを自分自身に閉じ込める。同様に、何も疑問視しない、簡単で楽で快適な『信仰』に惹かれる危険性もあります」と忠告。 教皇はさらに、「克服しなければならない別の種類の境界は、すべてを物質的で目に見えるものに還元する『魂のない合理主義』に関係しています」とされ、「このようにして、私たちは驚嘆の感覚、驚嘆する能力を失ってしまう。その感覚とは、私たちに、なぜ私は生きているのか?私の人生の意味は何か?といった根本的な疑問に答える、その隠された真実を発見するために、私たちを駆り立てる力です」と指摘。

 そして、歴代誌の「ヤベツ」という男の物語(歴代誌上4:10)を引用されて、教員たちに「自分の境界を広げる」ための神の恵みを祈るよう促された。「自分の限界を知ることが、私たちを前進させ、今日の世界への開かれた窓であり続けるよう促すのです」と強調された。

 教皇はまた、より良い家と真実を求める難民を歓迎したルーヴェン・カトリック大学を称賛され、「私たちに必要なのは、境界を広げ、『宗派主義』や、他人より自分を高く評価することを避ける文化です… 良き『パン種』として私たちの世界に浸透し、人類の共通の利益に貢献する文化が必要です」と説かれた。

 あいさつの最後に、「弱者を気遣う思いやりのある包括的な文化を築くために協力するように」と求められ、「この炎を燃やし続け、境界を広げましょう! 真実を絶えず探求しなさい。そして、知的無気力に陥らないように熱意を弱めないようにしなさい」と促された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年9月28日

【教皇、ルクセンブルク・ベルギー訪問】教皇、聖職者による性的虐待被害者17人と面談、「深い恥辱感」、そして告白の勇気に感謝

Pope Francis in BelgiumPope Francis in Belgium  (Vatican Media)

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年9月28日

【教皇、ルクセンブルク・ベルギー訪問】☩「欧州は、平和の橋を架けるためにベルギーを必要としている」ベルギーの各界代表へ

(2024.9.27 Vatican Newes  Christopher Wells)

 ベルギー訪問中の教皇フランシスコは現地時間27日午前、首都ブリュッセルのラーケン城を訪れ、フィリップ国王を表敬され、アレクサンダー・ドゥ=クロー首相と会談された後、ベルギーの政治・経済・文化・宗教、市民社会など各界代表、同国駐在外交団など約300名と会見された。あいさつの中で教皇は、ベルギーが欧州の中心に位置し、平和の架け橋となり得ることを強調されるとともに、欧州はじめ世界中で続けている聖職者による性的虐待問題を取り上げ、「教会の恥」と非難された。

 あいさつの冒頭、教皇はベルギーを、「大陸とイギリス諸島、ゲルマン語圏とフランス語圏、南ヨーロッパと北ヨーロッパの架け橋… 国土が小さいにもかかわらず、調和を広げ、争いを鎮める架け橋です」と称えられた。

 そのうえで、「欧州はベルギーを必要としています。それは人々や文化、大聖堂や大学の歴史を思い起こさせるためであり、戦争、植民地主義、搾取の暗い時代を思い起こさせるためでもあります… そして、それは人々の間で平和と友愛の道を歩み続けるためなのです」と強調。「平和と調和は、一度で得られるものではないが、細心の注意と忍耐をもって絶え間なく遂行しなければならない義務と使命です」と語られた。

 

 

*教会が果たすべき使命は… 児童虐待問題対応へ確固たる決意を

 

 教皇は、特に教会の役割についても言及され、「軽薄な熱意や暗い悲観主義ではなく、神に愛された人類は虚無に陥る運命ではなく、『永遠に善と平和に招かれている』という確信を持って、すべての人が課題や困難に立ち向かうのを助けるのが、教会の果たすべき使命」と強調。

 教会が使命を遂行するにあたって、「教会員の脆弱性と欠点」、そして歴史を通じて現れる「痛ましい反証」を認識せねばならないことを率直に認められたうえで、特に「教会にとって災いとなっている児童(などへの性的)虐待の悲劇的な問題」を取り上げ、「傷ついた人々に耳を傾け、寄り添い、世界中で予防プログラムを実施する」ことで、この問題に取り組む教会の確固たる決意を強調された。

 教皇はまた、20世紀中頃に広まっていた「強制養子縁組」の慣行を指摘され、その慣行は善意から行われることが多かったことを認めつつ、歴史を通じて起きた様々な悪行に関して、「たとえ文化が福音から得た価値観を巧みに利用し、苦しみや排除を引き起こす偽りの結論を導き出しているとしても、教会が常に自らの中に明快な判断を持ち、支配的な文化に決して従わない強さを見出すように」と願い、祈られた。

 

 

*各国指導者は、ベルギーの歴史から平和のために働くことを学んで

 

 あいさつの終わりに教皇はまず、「各国の指導者がベルギーとその歴史を見て、そこから学ぶことができるように」、また「政治指導者たちが平和のために働き、戦争の危険、不名誉、不条理を避ける方法を知るように」と祈られた。

 そして、訪問のテーマとされている「En route, avec Esperance」を思い起され、希望を意味する「Esperance」が大文字になっているのは、「希望が二の次ではなく、私たちの心に宿る神からの贈り物であることを示すためです」と説かれ、「皆さんとベルギーに住むすべての人々への願いを、皆さんに残したい… 皆さんが常に聖霊からのこの贈り物を求め、それを歓迎して、人生と歴史の道を希望とともに歩んでいけますように」と願われて、あいさつを締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

2024年9月27日

【教皇、ルクセンブルク・ベルギー訪問】ベルギーの首都ブリュッセルに到着、国王ご夫妻が出迎え

教皇フランシスコ、ベルギー到着、国王夫妻と共に歓迎式 2024年9月26日 ブリュッセル、メルスブローク空軍基地教皇フランシスコ、ベルギー到着、国王夫妻と共に歓迎式 2024年9月26日 ブリュッセル、メルスブローク空軍基地

 26日、ルクセンブルクでの一日の訪問行事を終えられた教皇フランシスコは、同日夜、ベルギーの首都ブリュッセルに到着された。

 これに先立って教皇は、同日午後、ルクセンブルクのカテドラルで同国のカトリック共同体との出会いの後、フィンデル空港でアンリ大公、マリア・テレサ大公妃、フリーデン首相らの見送りを受け、特別機で次の訪問国ベルギーへ向かわれた。

 特別機は、同日夜、ブリュッセル郊外メルスブローク空軍基地に到着。雨の中、フィリップ国王とマティルド王妃に迎えられ、共に歓迎式に臨まれた。27日はラーケン城にフィリップ国王を表敬訪問されるほか、ベルギー各界代表との会見や、ルーヴェン・カトリック大学での大学教員らとの出会いなどを予定されている。

(編集「カトリック・あい」)

2024年9月27日

【教皇、ルクセンブルク・ベルギー訪問】 「『仕えること』と『慰めること』はイエスがくださった愛の二つの要素」ルクセンブルクの教会共同体に

(2024.9.26 バチカン放送)

 26日朝ルクセンブルクに入られた教皇フランシスコは同日午後、ノートルダム大聖堂で同国のカトリック共同体とお会いになった。

 出会いには、ルクセンブルク大司教のジャン・クロード・オロリッシュ枢機卿をはじめ、聖職者、修道者、信者たちなど様々な人々が参加。アンリ大公とマリア・テレサ大公妃も出席された。

 初めにオロリッシュ枢機卿が、極めて世俗化した現代社会を生きる教会の苦しみと困難、希望や使命を語り、次いで、一人の若者と、教区の司牧委員会の副議長を務める女性信者、言語別コミュニティの代表者で移民の共同体に携わる修道女らが、自らの体験を語った。アッシジの聖フランシスコの生涯からインスピレーションを得たダンスが、若者たちによって披露された。

 教皇はあいさつで、この出会いは、ルクセンブルクの保護者、「苦しむ人々の慰め手なるマリア」への400年の信心を記念する「聖母年」の開幕と重なっていることを指摘。「慰め」というキーワードと、今回のルクセンブルク訪問のテーマ「仕えるために」を挙げながら、「仕えること、慰めることは、イエスが私たちにくださった愛の二つの基本要素なのです」と強調され、「この二つは、イエスが私たちに託された使命であると同時に、私たちが招かれている、いっぱいの喜びへの唯一の道でもあります」と説かれた。

 そして、「助けと受け入れを求めるすべての人々に開かれた『奉仕』する教会」、「世俗的社会に負けず、挑戦に対して変わることのない価値観を忠実に保ち、新たな『福音宣教』の道を見出す教会」、そして「『喜び』に満ちた信仰を持つ教会」という教会のビジョンを示されながら、ルクセンブルクのカトリック共同体を激励された。

 教皇あいさつの後、ルクセンブルクの「聖母年」の開幕の祈りが唱えられ、金の薔薇が聖母に捧げられた。

 ルクセンブルクへの一日の訪問を終えた教皇は、同日夜、空港での送別式を経て、次の訪問国ベルギーへと向かわれた。

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 ルクセンブルクの人口は約65.4万人(2023年現在)で、宗教を信じている人の割合は、カトリック41.5%、プロテスタント5%、イスラム教2%で、全人口の4割がカトリック信者だ。教区はルクセンブルク大司教区一つで、275の小教区を持つ。また司教座聖堂であるノートルダム大聖堂は、イエズス会士ジャン・ドゥ・ブロークが設計し、1621年に献堂された。後期ゴシック様式にルネッサンスやバロック等の要素が加えられた独特なスタイルを持つ。1935年から1938年にかけて増築工事、さらに1962年から63年の間に内陣の改築が行われている。

(編集「カトリック・あい」)

2024年9月27日

【教皇、ルクセンブルク・ベルギー訪問】「ルクセンブルクは平和のための協力のモデルになることができる」各界代表、外交団に

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Pope addressing civil authorities in LuxembourgPope addressing civil authorities in Luxembourg  (Vatican Media)

 

2024年9月26日