・司教団のローマ訪問、教皇に謁見、そしてケルン教区訪問終了・・菊地大司教

2024年4月20日 (土) 菊地大司教の週間大司教 アドリミナも終わり、ケルンを経由して帰国

 9年ぶりのアドリミナの訪問は4月13日に無事終わりました。4月12日金曜日は、朝7時15分から聖ペトロ大聖堂の地下にある聖ペトロの墓所の前で、司教団全員でミサを捧げました。朝早いミサでしたが、ローマ在住のシスター方をはじめ、多数の方が参加してくださいました。ミサ後には司教団全員で聖ペトロの墓所の前に赴き、信仰宣言をいたしました。(教皇謁見の写真はヴァチカンニュースの著作物です)

 その後、しばらく聖ペトロ大聖堂内で、それぞれが、各所にある脇祭壇に歴代の教皇様が葬られていますので、そこで祈りを捧げた後、再び全員でスイス衛兵の「関所」をいくつか通過し、長大な階段を上りきって聖ダマソの中庭に出て、さらに国務省などもある教皇宮殿の歴史を感じさせる木造のエレベーターで上に上がり、教皇様との謁見に出かけました。

 教皇公邸管理室からメールで送付されてきた(いまはメールできます)招待状によれば、9時15分から教皇執務室(書斎)での謁見となっていましたが、我々の前のいくつかの予定が長引いているようで、結局、一時間待機した後に、教皇公邸の方々に呼ばれ、執務室の前で待機。

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 執務室の扉が開くと、そこに教皇様が立って待っておられ、前田枢機卿様から始まって順番に一人づつ中に入り、教皇様にご挨拶。(このあたりは、バチカンのニュースサービスにある写真アーカイブに、この日撮影されたすべての公式な写真が掲載されています。

 興味のある方は、バチカンのサイトからNews serviceを探され、そこにあるphoto archiveをクリックし、さらにその先にある教皇様の写真をクリックすると、月ごとのイベントリストに到達することが可能です。面倒ですね。このリンクをクリックすると、多分日本の司教団の最初のページに到達するはずです。)

 教皇様からは、「公式なスピーチはいらないから、じっくりと話を聞かせてください」との言葉があり、「必要であれば、そこに水もありますし、トイレもありますよ」とまで。準備していった司教協議会のスピーチは、ここでは読まずじまいでしたし、以前は必ずあった教皇様からのメッセージもありませんでした。

 しかしそれから1時間以上をかけて、日本の教会の様々な出来事について、司教たちが順番に教皇様に報告し、教皇様からもいくつかの質問があり、非常にリラックスした雰囲気の中で、共に分かち合う時間をとることができたと思います。内容について記すことはできませんが、教皇様は日本の教会について、詳しく情報を事前に把握されており、具体的な質問がいくつもありました。あれだけ激務の中で、どうやって準備をされているのか、教皇様のその配慮に感銘いたしました。

 謁見の終わりに教皇様から使徒的祝福をいただきました。この祝福は、私たち司教団を通じて、日本の教会すべてに向けられた祝福です。

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 この日は、福音宣教省のタグレ枢機卿様が、私たちの宿舎においでくださり、昼食を一緒にしてくださいました。数日前の水曜日に福音宣教省を訪問したときには、タグレ枢機卿様は海外出張からローマにちょうど戻られたところで、お会いすることができませんでした。それでも日本の司教たちと会いたいとのことで、ご自分で連絡してこられ、この日の昼食を一緒にすることになりました。いつもの笑顔で優しく語りかけるタグレ枢機卿でありました。

 さて翌日4月13日の土曜日に、私はローマからミュンヘン経由でケルンに飛び、ケルン教区を訪問して参りました。(ケルンの写真は、ケルン教区のホームページからの転載です)

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 これは、東京教区とケルン教区がパートナーシップ関係を結んで今年で70年を迎えることから、当初は巡礼団を組んで、ケルンに御礼に出かける予定でしたが、昨今の円安も影響し、航空運賃が円ベースで高騰しているために、十分な参加者を得ることができずに、巡礼はキャンセルとなってしまいました。

 しかし事前にケルン教区には、アドリミナ後の4月14日に私が出かけ、ケルン大聖堂で枢機卿様と共に感謝のミサを捧げたいと申し入れて、それを受けて準備が進んでいたこともあり、行かない訳にはいきません。一人で行くのも何ですから、司祭団を代表して、前司教総代理の稲川保明神父様と、若手司祭を代表して熊坂師の二人に同行していただきました。このお二人が、訪問の記録を東京教区ニュースに書かれると聞いていますので、詳細はそちらに譲ります。

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 4月13日の夕方、ウェルキ枢機卿様や、先般東京にも来られた司教総代理のアスマン師などと共に、夕食を一緒にし、その翌日はケルン大聖堂で10時のミサを一緒にしました。カテドラル参事会の司祭団や、大聖堂の聖歌隊も参加して、荘厳なミサを捧げていただきました。この模様は、こちらのリンクからドイツ語の記事ですが、写真を見ることができます。またfacebookですが、こちらのリンクからはビデオも見ることができます。

 またこの日曜の午後にはデュッセルドルフを訪問し、聖フランシスコ・ザビエル教会で、定期的に集まっている日本人会の皆さんと、日本語のミサを捧げました。イエスのカリタス会のシスター方の修道院が隣接しています。

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 さらに月曜日にはケルンとボンの間にあるケルンとボンの間にあるブリュールという町にある聖ウルスラ高校というカトリック学校を訪問しました。

 もともとはウルスラ会が経営していた学校でしたが、現在は教区の運営に代わっているとのこと。東京のカトリック学校とのパートナーシップ関係を期待している学校です。10年生の皆さんに、学校の紹介と、日本について色々と質問をいただきました。

 東京とケルンのパートナーシップは、二つの教区の関係にとどまってはいません。25周年を記念して始まったミャンマーの教会支援は、いまも続いていますし、今後も、東京とケルンと出来る限りの力を合わせ、ミャンマーの教会を支援し続けたいと思います。

 この二つの教区の関係を始められた当時のケルン大司教、フリングス枢機卿の言葉を、今一度心に刻みたいと思います。

 「あるからとか、余力があるから差し上げるのでは、福音の精神ではありません」

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2024年4月27日