【2024年5月の巻頭言】  「アド・リミナ」で司教たちは何を得たのか、果たされない「説明責任」

        

 

4月の日本の教会の祈りは、ご案内の通り、「日本の司教団アド・リミナ」だった。そこでは「日本の司教団がペトロの後継者との絆をさらに深め、よい牧者として日本の教会を導いていくことができますように」と祈るよう求めていた。

 

そして、アド・リミナ終了後のカトリック中央協議会ホームページでは「今年は、Covid-19の影響もあって、2015年以来の訪問でした。司教たちは、この機会を利用して、関係する教皇庁各省庁にも訪問し、日本での宣教司牧のため、情報交換などを行いました。 このアド・リミナが豊かな実りをもたらすよう、皆さん共にお祈りください」とあった。

 

9年ぶりのアド・リミナ。このように、繰り返し、信徒たちに祈りを求めているにもかかわらず、司教たちが教皇と、教皇庁各省庁の責任者と、どのような意見のやり取りがあり、どのような受け止めがされ、どのような成果を持ち帰ることが出来たのか、それをこれからの教会活動にどのように生かしていこうとしているのか。私たちの知りたいことは何一つ報告されていない。

これで、「豊かな祈りをもたらす」ように、共に祈ることができるのだろうか。

 

下世話な話かも知れないが、補佐司教も入れて17人もの司教団が、遠路ローマまで往復し、5泊滞在するのには相当額の経費がかかっただろうし、その全額は日本の信徒たちの献金からまかなわれたであろう。昨今の急激な円安でさらに経費は膨らんだであろう。全国の信徒たちに、繰り返し祈るよう求め、そのうえ経費まで負担させ… それだけ考えても、社会の一般常識では、その恩恵を受けた方々は、説明責任を果たす必要があると考えるが、教会ではそれが通用しない、いや、通用しなくて当然、と考えておられるのだろうか。

 

菊地・カトリック司教協議会会長の「週間大司教」や、中央協議会ホームページ、そしてバチカン放送日本語版の形ばかりの報道は「カトリック・あい」でも転載したが、閲覧件数を見ても、かなりの読者が関心をもって見ていた。しかし、肝心の中身は、音声なしの動画も含めて、皆無と言っていいほど。そして、いまだにそうだ。

 

菊地会長の「週間大司教」には、教皇からは「公式なスピーチはいらないから、じっくりと話を聞かせてください」と言われ、「それから1時間以上をかけて、日本の教会の様々な出来事について、司教たちが順番に教皇様に報告し、教皇様からもいくつかの質問があり、非常にリラックスした雰囲気の中で、共に分かち合う時間をとることができたと思います」とあり、「内容について記すことはできませんが」と念を押したうえで、「教皇様は日本の教会について、詳しく情報を事前に把握されており、具体的な質問がいくつもありました。あれだけ激務の中で、どうやって準備をされているのか、教皇様のその配慮に感銘いたしました」とある。

 

「内容について記すことはできません」というのは、教皇から、かん口令を出されたのだろうか。そうでないなら、一字一句でなくとも、教皇と司教たちとのやり取りの概要、あるいはポイントの説明がなければ、その場にいない信徒・聖職者は「感銘」のしようもないではないか。

 

シノドスの歩みも満足にリードできず、聖職者による男女信徒への性的虐待が相次いで訴えられていても適切に対処できないばかりか、無視あるいは隠蔽さえも耳に入り、長崎、仙台のように裁判所に訴えられて、損害賠償の命令まで受け、司祭の減少、高齢化の中で本来なら療養させるべき司祭に複数の教会を担当させざるを得ず、魅力を失った教会に若者の姿は減り、司祭志願者もなかなか出て来ない…という現状を率直に報告したのだろうか。

 

そのような報告がなされない限り、教皇やバチカンの幹部たちから適切な助言を得られるはずもないが。それとも、教皇は「日本の教会について、詳しく情報を事前に把握されていた」というから、そのような問題をわざわざ司教団側から説明する必要がなかったのか。いずれにしても、教皇からどのような示唆、助言があったのか、今後の教会のためにも、日本の全信徒、全聖職者と共有する必要があるだろう。

 

差し迫った課題として、司祭による性的虐待への対応がある。菊地・東京大司教、成井・新潟司教を輩出している修道会「神言会」に対して、原告被害者が損害賠償を求める裁判は、5月8日の午後2時から東京地裁第606法廷で第3回口頭弁論が行われる。被告側はこれまで代理人弁護士のみで、神言会の代表者は出廷していない。提訴されたことに不服があるなら、出廷して、堂々と反論をすればいいではないか。いや出廷は義務ではないか。

 

「カトリック・あい」には、ほかにも東京教区の複数の修道会がらみの聖職者による性的暴行被害の相談が2件、寄せられている。これまでのように、被害の訴えにまともに対応せず、無視、あるいは隠蔽の動きさえも聞こえる状態を放置しておけば、ドイツの教会で起きているような、まともな信徒の教会離れを加速する恐れもなしとしない。

 

9年ぶりのアド・リミナで司教たちは何を学び取ったのか、そして、それをもとに、このような問題も含め、これからの教会のために何をなそうと”決意”したのか。是非とも聞かせていただきたい。読者諸兄姉のご意見もお待ちしています。

 

 

*追記(5月25日加筆)*

以上を執筆後、西日本の友人司祭から、5月1日付けのカトリック大分教区報「こだま」534号のトップで、教区長の森山信三司教が「9年ぶりのアド・リミナ」というタイトルの記事を載せられたことを教えられた。部分的ではあるが、ご本人がどのように今回の訪問を受け止めたか、教皇やバチカン幹部の印象に残った言葉などが率直に報告されている。福岡教区も6月号の教区報で報告がされると聞いている。森山司教の報告は、「カトリック・あい」の「特集」欄に、大分教区の了解を得たうえで転載した。

本来であれば、司教協議会として、単なる”日程報告”ではなく、公式な報告として、日本の信者が目を通すことのできるような形で、具体的なやり取りをまとめ、参加した17司教の、森山司教のような報告も併せて、全国の司祭、信徒が”成果”を共有できるようにするのが、当然だろう。その司教協議会会長で、アドリミナの司教団団長を務めた菊地・東京大司教も、若干遅れて、インターネットのホーム・ページ「週間大司教」で「アドリミナを振り返って」の不定期連載を始め、5月25日現在、第六回まで続いている。5月25日から「カトリック・あい」では、シノドスの項目にまとめて掲載している。

内容はともかく、伝えよう、と言う誠意は見られるものの、見出しもなく、極めて読みにくい。しかも、「週間大司教」という、半ば非公式なページでの掲載であり、どれほどの信者が掲載に気が付いているのか、加えて、特に高齢の信徒は、インターネットのホームページを開くことも多くない。大司教がご自分でなく、アドリミナの広報担当を決めて、受け手の読者、信者に幅広く、分かりやすく共有する努力を司教団としてすべきではないだろうか。このままではせっかくの9年ぶり、多額の人的、物的負担のもとになされたアドリミナの成果を共有するには程遠い。

 

(「カトリック・あい」代表・南條俊二)

 

【読者から】

 

+5月号巻頭言、読ませていただきました。司教団、アドリミナ、本当に無駄ですね。彼らは自分たちが信徒をバカにしていることがわかっているのか?

 カトリックの良さはその霊性が修道会によって担われ、霊的で静謐な点にあるでしょうが、教会の中で誰も彼もが「従順」であるべし、「従順」であるはずということが重んじられたのも、修道会の影響です。それ自体は悪いものではありません。日本の幾人かの司教は修道会の人です。彼らも悪人ではない・・。ヒエラルキーを神の意思とすれば、従順は尊し、と、自然そうなります。神から教皇へ、そして司教へ、司祭へ、信徒へと。上から下へ、従え、従えと…。
 「時のしるし」とは時代による人類の進化の中で、見方が大きく変化するということでしょう。従順を暗に要求するヒエラルキーを叩いていかないと、カトリック教会は変わり得ないでしょう。少なくとも教会論に関して悪の根源はヒエラルキーにあると思います。東大の藤崎衞さん等の中世研究はもっと注目されていくのかもしれません。
 残念ながら最初のフランシスコ教皇の講演やシノドス文書にあった「逆さピラミッド」という語は、たぶんどの司教も真剣に受け止めたことも、司祭たちに語ったこともないでしょう。無理解か危機感のなさか…。教会の力、権力が神からのものでないことを強く訴えていかないと教会は改革できないでしょうね。ドイツの司教団はKMUに参加することで「信徒の声」「時のしるし」を聞こうと、シノドスの精神でやっています。でもこのままでは、あと10年すれば、西欧の教会も日本の教会も今の3分の1も信徒はいなくなるでしょう。(南の、ある司祭)

 

 

+巻頭言を拝読しました。全く同感です。説明責任を果たそうとしない点については予想通りという気もしています。司教さんたちは都合の悪い情報は、今までと同様に公表しないだろうと思うからで   す。公表しなくても、司祭・修道者・信徒たちは何も言わないだろうと高をくくっているのでしょう。

「従順」の名の下に、司教には誰も意見を言わない(言えない)風潮が教区全体に蔓延しています。これが教会の衰退の始まりであり、やがてカトリック教会全体が泥船として沈没するだろうと危惧します。アドリミナの報告を公表する勇気ある司教さんが出てくることを期待しています。その前に、共に歩むシノドス的教会を望む信者たちで、アドリミナに関する情報公開を求めることが必要だと思います。(西方の一信徒より)

 

 

+私は、毎月の巻頭言を楽しみにしている一人です。 9年ぶりのアド・リミナに補佐司教も入れて17人の旅の様子の動画を一度だけ拝見しました。「楽しい観光旅行?」が率直な感想でした。

 日本では信徒の二極化が益々進み教区の運営もままならない状態では?と、思うのは私たち信徒だけなのでしょうか。司教団の方々は、どのくらい信徒の状態をご存知なのでしょうか。教皇フランシスコよりも日本の状態を知らないようでは、バチカンに行った意味がないでしょう。
 私自身は、「大阪高松教区合併劇のシナリオが、現在の日本のカトリック教会の問題の実態を、そのまま物語っている」との結論に至っています。どこに真実があるのか、誰が嘘をついているのか、今も何もわからない。大阪高松が発表し続けた内容や日付は、その式典で読み上げられた内容と日付とは違っていたことは実に不思議なことです。司教団が取り決めた茶番劇だったのでしょうか?または、勝手に好きなように動いた聖職者がいたのでしょうか?彼(ら)はカトリック教会を守ったつもりでしょうか?(結局は、自分を守った?)
 世間で”正しい”と思われている組織ほど、『組織防衛』に長けている、それは宗教組織を見たら分かる、とさえ言われています。おまけに、カトリック教会には位階制度を利用する“隠蔽体質”も、ハラスメント問題から公けに知れ渡っています。
 既に教会を離れている信徒は大勢いますが、心ない聖職者が存在するカトリック教会が衰退していくのだけは見たくない。未来の教会のために正々堂々と意見を述べて教会を追われた信徒たちですから。(今の教会に疑問しかない一信徒)
2024年5月31日

・“シノドスの道”に思う ⑫ ドイツの視点から考える・その6「教会員調査に見る教会離れと 信者団体の批判」

 前回はドイツの福音主義教会が発表している教会員調査から「教会への信頼」の点だけを紹介しましたが、不十分でした。そこで、今回は、調査結果に対する二人の司教のうちの一人Dr.Tobias Kläden(司教協議会宣教司牧部門議長代理)の声明の概略を紹介します。冷静な分析で、これによって、カトリック教会の現状を、今まで以上に客観的に司教や司祭たちも認めざるを得なくなったと思われます。最後に、信徒団体「Wir sind Kirche(我々が教会)」の批判もご紹介します。

*宗教に関心を持つ人は全人口の半分以下

まずドイツ全体では、宗教に関心を持つ人は全人口の半分以下で、世俗的な傾向の人が全体の56%を占めています。宗教に関心を持つ人の中でもその過半数は宗教的な組織や団体から距離を置いています。幼児洗礼の時に入れた籍はそのままでも、ミサ等には参加せず、自分の考えによる宗教・信条を生きている人々が25%。実際に宗教的な組織や団体につながっている人は少数派になっています。

 既存のカトリック、プロテスタントといったキリスト教会に所属する人は全体の13%。しかも、そうしたカトリック信者で「私にとって宗教は意義がなく、どうでもよい」という人は39%いますから、この点からも教会を離れる可能性の人が多数いるということになります。

*キリスト教離れの傾向が強まっている

「何を信じているのか」との問いに、「唯一の神、すなわちイエス・キリストにおいて自らを表わした神を信じる」と答えた人は、全回答者(カトリック者が32%、福音主義者が29%)
のうちのわずか19%。29%は「”より高次の存在”、あるいは”ある霊的力”を信じる」としています。10年前の調査と比べて、宗教の中でキリスト教を支持する割合は減っています。

 実際に、教会離れも進んでいます。自分を「信心深い、教会に近い・親しい者」と思っているのは、カトリック信者のわずか4%、福音主義の信者のわずか6%でしかありません。カトリック者、福音主義者いずれも、約3分の1が批判的に教会に結び付いているか、教会から距離を置くかしています。

 カトリック、福音主義の信者のそれぞれ6割が、”本質的、基本的”に教会との繋がりを持っていません。ただ、「教会との結びつきの感情が時が経つうちに変わったか」との問に対しては、カトリック信者の約3分の2が「以前はもっと強く結ばれていた」と言っているのに対し、福音主義者は3分の1足らずが同じ答えをしています。

 

*カトリック教会への信頼度が劇的に落ちている

 カトリック、福音主義それぞれへの結びつきが弱まるに従って、教会に対する信頼も低下していますが、とくにカトリック教会に対する信頼の”侵食”は劇的です。前回も述べましたが、カトリック教会は世間からも、福音主義教会員からも、そしてカトリック教会員からも、あまり信頼されていません。カトリック教会員は、「カトリック教会よりも福音主義教会のほうが信頼できる」、さらに「教会よりも、公的機関の方が信頼できる」と考えています。カトリック教会への信頼度はさらに低くなる傾向にあります。

 

*教会離れを考える人が増加、主因は「スキャンダルへの対応」

 教会離れの傾向は強まっており、43%のカトリック教会員と37%の福音主義教会員は教会を離脱する考えを持っています。すでに、何度か教会を離れることを考えた、と答えています。離脱を考えていない信者は、カトリックで27%、福音主義で35%に過ぎません。

 離脱しようと考える理由は「教会の”対応”の仕方」に関係するものが最も多く、具体的には、教会関係のスキャンダル、性的な虐待と、隠ぺいがあります。「教会の無頓着、冷淡」「教会がなくても私はキリスト者でいることができる」「私は教会の態度表明に怒りを感じる」「教会の内部構造がヒエラルキー的すぎ、非民主的」「教会は女性の扱いが不平等」なども主な理由に挙げられています。

*離脱を思いとどまる理由としては

 少なくとも今は、教会離脱を決意していない(あるいは、いなかった)と答えた人に、今後も離脱を踏みとどまる条件を聞くと、カトリック信者の場合、「 どれほどの罪過を自ら背負っているかを、教会が明らかに認める」が82%、「 教会において男も女も同等の権利を持つ」が77%、「 教会が根本的に改革される」が72%となっています。教会の今後の取り組み、改革が、信者の教会離れを食い止める鍵となることを示しています。

 

*根本的な改革への要望

 調査結果は、教会に対して、まだ「期待」が存在しており、「改革」を求めていることを示しています。カトリック信者の96%、福音主義教会員の80%が「教会が『将来』を持ちたいなら、根本的に変わらなければならない」と述べています。「教会改革が正しい方向に向かっている」と受け止めている人は、福音主義教会員では78%いますが、カトリック信者では49%と半数割れです。

*具体的な要望

 教会に対して具体的に求めるのは、カトリック信者の場合、「社会的なアドバイス・助言の場所を運営すること」(全体の92%)、「避難民の受け入れに尽力すること」(79%)、「気候保護をもっと頑張ること」(76%)など。

 カトリック者の84%以上が「司祭任命のための決定権」を要求しています。「同性愛者のパートナーシップの祝福」(86%)、「教会の指導的人物の民主的な選挙」(7%)、「独身制の廃止」(95%)。「カリック教会と福音主義教会の共同作業」「宗派の個性の強調ではなく、協同」も、93%が求めています。

*信者団体「Wir sind Kirche(我々が教会)」の主張と怒り

「Wir sind Kirche(我々が教会)」は1995年に発足し、一般信徒、聖職者約1800万人の署名を得ている組織で、うち1500万人はローマ・カトリックを信仰告白。以前このコラムでも紹介した倫理神学者ゲルハルト・ヘーリンクやハンス・キュンク(いずれも故人)などもメンバーです。

 ドイツの司教協議会と信徒組織ZdKは、双方による「共同統治」を前提とした「シノドス委員会」を設置、さらに2026年に「シノドス評議会」を設立することを決議しました。しかし、「シノドスの道に思う⑨」で述べたように、バチカンから書簡で「シノドス委員会の規約を司教協議会全体として承認・批准するための投票を、行わないように」との”指示”を受け、司教協議会は、これに従って投票をしませんでした。これに「Wir sind Kirche(我々が教会)」が反発。3月1日に、司教団に対して「議事予定から投票を除けというのは、ローマからの誤ったメッセージだ。このような脅しに負けてはならない!」と声明を出しました。

*バチカンの矛盾-”ヒエラルキー(位階制)”と”シノダリティ(共働制)”のはざまで

 ”シノドスの道”を進める教皇フランシスコはこれまで、繰り返し「シノダリティ(共働制)と対話」を励す一方で、シノダリティを具体的に実行しようとするドイツの教会の取り組みを事実上、妨げ、バチカンの幹部たちは対話にも応じようとしない、これは無責任ではないのか、と「Wir sind Kirche(我々が教会)」は指摘しています。そして、このようなバチカンの姿勢が、「ドイツにおけるローマカトリック教会の評価を低下させており、昨年10月に公表されたドイツの教会員調査KMUの結果はその表れ」と断言、バチカン教理省の長官を実名で批判しています。

 「バチカンはドイツ司教団にシノドス委員会の投票を中止させたことで、ドイツ司教たちを困難な立場に陥れた。教会法の下では司教たちはローマに従う義務があるとしても、司教たちから信徒組織ZdKに助けを求めて進めてきたのに、そのドイツの全カトリック信徒を代表するZdKを裏切るような事態に至らせたのは解せない」と。

*バチカンの対話拒否は”シノドスの道”から外れていないか

 「Wir sind Kirche(我々が教会)」また、ドイツ司教団の”シノドスの道”をその中途で拒否し「シノドス委員会」への財政的支出を拒んだ4人の司教たち(ケルン、アイヒシュタット、パッサウ、レーゲンスブルクの4司教区)の姿勢は、ドイツの将来の教会の生育を阻むものとして有罪だと非難しています。この保守的な4人がいなければ、ドイツ司教団は一つにまとまっていたのに、彼ら
の存在がバチカンに「No」と言わせる口実を与えたから、としています。

 さらに、教皇大使であるエテロビック大司教にも非難の矛先を向け、「外交の仲介者としてではなく、”バチカンの犬”として振舞っているのであり、彼もまた対話を拒絶するバチカンと共に非難されるべきだ」とし、「これらは信頼の欠如であり、力を失ったバチカンの高位職の単なる恐れを示すものでしかない。教皇フランシスコは、バチカンの人々は地方教会に仕えるべきだ、と言っておられるが、それも空しい言葉に過ぎない。対話を拒絶するバチカンのやり方は、”うつろなシノダリティ”に過ぎない」と批判。

 「シノドス委員会」の次の会合は6月に行われるが、「それまでにバチカンとの交渉など、前向きな動きが必要。さもないと、シノダリティのすべての言葉は、うつろなものにとどまるだろう」と言明しています。

筆者はこのコラム「シノドスの道に思う⑥」で、ZdKの副議長でもある神学者Thomas Södingの言葉から5つのことを共に考えるべきだ、と述べました。それは①聖書②伝統③時のしるし④神の民の声⑤教導職と神学-です。③と④を真剣に受け止めない限り、”シノドスの道”は、「Wir sind Kirche(我々が教会)」が危惧するような”うつろなシノダリティ ”に終わってしまうでしょう。

注*教会員調査(KMU)については https://kmu.ekd.de、司教の声明は https://www.dbk.de 、「Wir sind Kirche(我々が教会)」についてはhttps://www.wir.sind.kirche.de 参照。

(西方の一司祭)

2024年5月31日

・Sr.阿部の「乃木坂の修道院から」①タイの山村から東京に戻って気付いたことは

 タイ国での宣教の任務を終え、東京・乃木坂の修道院に帰りました。日本での福音宣教再開です。

 早速、「お帰りなさい!長きに渡るタイでの宣教、お疲れさまでした。日本は宣教においても司牧においても、ある意味で『上級者コース』ですので、難しいことも多いでしょうが、聖霊の導きのもとで、シスターの新たなミッションのためにお祈りします」との言葉をいただき、新たな気持で日本での生活に臨んでいます。祈りの声援に支えられ、霊の激励ナビに信頼し導かれて励む覚悟です。

 30余年の空白を埋める順応の日々、結構、新鮮で、楽しんでいます。日曜日は出来るだけ教会巡りを、道順を覚え、複雑な交通網を少しでも自在に利用できるようにし、信徒との触れ合い、教会生活に親しむように努めています。

 整然とした東京とバンコクとの差は大きい。発展途上の若々しい意気込みと元気には負けますが、東京には緑の空間もここかしこにあり、「空気も、空も、澄んでいるなぁ」と感じます。それと諸外国からの人々、特に同じアジアの仲間の多さ、道案内を請うにも確かめてからでないと、何度も空振りです。どこも同じ都会の風景の中で、ほとんどスマホのお世話になりっぱなし。バンコクでの日々の車内の様子が、東京でも…何とも言えない気持ちです。

 日本に帰る前に、タイの山岳の村に日本の仲間とホームステイをしました。電波の届かない、ソーラー電気を使っている村で「スマホ、バイバイ」の生活。顔と顔を合わせ、しっかり見つめ合って全身で語り合う醍醐味に、都会での「心ここに在らず」の在り方、スマホ依存の生き方に気付く機会になりました。「この体験を生かし、解放された自由な生き方を工夫しよう」と皆で語り合って山を下りました。

 ある日、車内で、目の前に座っている4歳ぐらいの男の子が、スマホ夢中の母親に「ねぇねぇ」と話しかけている光景に出会いました。母親は、子供の手を振り払い、「邪魔しないで」という仕草を繰り返し、男の子は立ち上がり、歌いながら踊り始めたのです。それがとても可愛らしく、車中の客は皆んなニコニコ顔で子供に注目しました。それで、とうとう母親も、笑いながら子供に目を向けたのです。

 わが身を振り返って、自分も知らず知らずにスマホに頼り、肝心な事への集中力が弱くなってきている、と自戒しています。スマホをスマートに利用する知恵を身に着け、AI 時代にあっても、成熟した感性と温もりを魂に漲らせて生きたいと思います。

 

(阿部羊子=あべ・ようこ=聖パウロ女子修道会会員)

2024年5月6日

(読者からの投稿)「カトリック・あい」のタイトルの意味を知って衝撃を受けた

 友人の司祭から届いた「カトリック・あい」を読んで衝撃を受けての感想です。まず、タイトルの意味を知って「なるほど!」と心が震えました。これが第一の衝撃でした。日本の教会でこんなにも誠実に思いを巡らす人がいたことに驚いたわけです。

 ボクにはこの数行を読んだだけで、飛んで行って語り合いたい衝動にかられました。あえて繰り返させてください。「先ず主体性を持った私がいて、」。司祭主導の現実を思うと極めて刺激的な言葉です。司祭主導が必ずしも正解とは思えない現実がいくつも思い浮かぶからです。こうした本質的な発想ができることに感動したわけです。

 「まわりに目を見開き」。「目を開き」と書いて本文に目をやって「見開き」となっていることに気が付いて慌てて修正しました。単に見るだけのだとぼんやり眺める雰囲気がありますが、「見開く」となると「ナンダコリャ!」と驚いて見つめる雰囲気です。「コラッ!」と肩をたたかれたようで思わずシャキッとなる感じです。

 「教会はイエス様が建てられた聖なるものだから、仰ぎ見ることこそ信者らしい」という雰囲気の中で育てられた自分としては、やはり刺激的です。ただ父親は、子供ほどの年の違う司祭たちへの辛口の評価を子どもたちの前でやっていたので、母親譲りの信仰の感性に浸された子供たちにしてみれば、「罪を犯している」感を免れませんでした。

 「神と人に出会い、」。そうなのだ、「やり手の司祭が、どれだけ信者を不幸にしているか」という嘆きの声は、あちこちで耳にしました。神様と出会っていれば当然、人とも出会えるはずなのに、と思います。そういう自分も大きい顔はできないのですが。乱暴な言い方でなんですが、あんまり祈っているようでもないのに、信者には大変評判がいい司祭は、たくさんいます。神様も「ワシが見えないのだから、まいいか」と片目をつぶって下さっているに違いない、と勝手に思っています。

 「愛でつながり、相ともに人生を歩む」。見事な結論!これに尽きるのだと思います。そのことなし、言葉で勝負しようと力を入れた従来の神学の正当性は揺るがないとしても、イエス様がお建てになった教会を堅固にすることが出来ないことは歴史が証明しています。

 飛躍しますが、かつて、「イエスはそんな教会を建てたのではない!」とルターが叫んだ時、「そうだな、少しやり過ぎたかも」と反省する声が教会側から上がっていたら、と悔やまれます。「いや、ワシらは間違っていない!」とばかりに対抗策を打ち出しことを、教会は検証する必要があるように思います。そうして、遅ればせながら、改めて和解の策を講じることが必要かと。

 そんな思いなのかどうか知る由もありませんが、教皇フランシスコの言動には、「教会は未熟でした。申し訳ありませんでした」と言葉にすることはなくても、そんな自戒の念を感じてなりません。

 随分前に「路傍の石が叫ぶ」という本の贈呈を受けたことがあります。「預言者の声だな」というのが率直な感想でした。今回の、「カトリック・あい」との出会いも同じ感想です。この度は「預言者集団」と言った方がいいかもしれません。神様は問題が起こると預言者を派遣されました。だから、ガタガタの教会を立て直すのに必要なのは、預言者の声に耳を傾けることだと思います。イエス様が建てたられた聖なる教会再建のために、頑張ってくださることを期待しています。

(pkenより)

2024年5月3日

・Chris Kyogetuの宗教と文学 ⑬エドガー・アラン・ポーの「アナベル・リー」と教会の「主の祈り」

It was many and many a year ago,

   In a kingdom by the sea,

That a maiden there lived whom you may know

   By the name of Annabel Lee;

And this maiden she lived with no other thought

  Than to love and be loved by me.

それはそれは昔のこと

 海際の王国に、

一人の乙女が住んでいた。

 その名はアナベル・リー。

彼女は、他に思いを馳せずに生きていた。

 私に愛し愛されるために。

(エドガー・アラン・ポー「アナベル・リー」より)

 この詩に出会ったのは幼い頃だったが、当時は意味は分かっていなかったのかもしれない。けれども、この「アナベル・リー」という響きが何故か好きだった。言語の壁は、経験と理解がなければ越えられないのかもしれないが、「音」は超えてくる。例えば、ルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」のジャバウオッキーは、作者の造語(かばん語)で作られているので、支離滅裂な詩ではあるが、音の音程でイメージがつくことと、主人公アリスは、「しかし、誰かが何かを殺した」とだけ、その無意味な詩からこれだけのことが見分けられることを示した。

 アナベル・リーで印象に残る言葉は、「美しい」、「海際の王国」、「天使」、「悪魔」、 「私の美しいアナベル・リー」。それが日本語であっても、単語一つ一つには「共感覚」があるので、それだけでも充分だったが、英語がわかるようになると、この詩は誰か男性の視点で、美しいアナベル・リーという少女が死んでしまったことが伝わるようになる。そして、もっと文学に傾倒するようになると、この詩情の背景を知るようになる。これは、作者のポーの最初の妻、ヴァージニアへの愛だと知ったのだ。

 それを聞くと、夭折したドイツの作家で詩人であったノヴァーリスを連想する。彼も、若くて最愛の女性を失ってしまったが、この世を生きるために死と和解をし、死者より生きている人を優先して生きるという、彼はフロイトのいう「悲哀の仕事」(Trauerarbeit)を行えなかった。私はずっとこのアナベル・リーはそういう詩だと疑わなかった。しかし、更に時が進み、知らずに済めばよかったのだが、この詩が作られた年には、他の女性に求婚して婚約し、不審死で生涯をポーは終えていたを知ると、単純に、ノヴァーリス的ではないと思ってしまって、心の整合性が取れなくなって、私の中では、あまり重要な詩ではなくなっていった。 ある雨の中に、私は、いつもの英語ミサに行った。傘をさして行ったのに、服も濡れて髪も濡れてしまった。ミサが始まる前に、ロザリオの祈りがあるが、水滴が髪を伝っていくので気を取られてしまったのか、「水」というものに無意識に誘われたのか、Kingdomというところで、「Kingdom by the sea」と口を滑らせて間違えてしまった。Kingdom by the sea-これはポーの詩だったのだ。でもこの偶然になる間違えで、私は気づくことができた。あの詩のkingdomとは、キリスト教のもので間違いないんだな、と気づいた。

 「thy kingdom come」-thyとは、youの古い言い方ではあるが、ラテン語では、adveniat regnum tuum.と、adveniatとは接続詞で「私」でも「あなた」でもなく、「一つ」の何かがやってくることの願望を表している。regumとは、dominion、sovereignty、に該当する「支配」や「主権」を意味する。これは、日本語の価値観に合わせて「無難」に言い表すとするのなら、私たちの住む世界を、主によって行き届くことを祈る箇所である。

 死後は、私たちはこの世から消えて、天の国(heaven)に行くイメージがあるが、生きている人にとっては、「come」と神がこちらに向くように祈るのである。ポーの詩のkingdom とは、海際の墓地のことであり、神の視線を求めた場所だということがわかったのである。

 エドガー・アランポーのアナベル・リーの詩には、他にもこの詩にインスピレーションを与えたアメリカの実話があるようで、その関連性については、ポーの死後、二日後に新聞社によって発表されている。それはどんな話だったのか「身分違いの恋をした、船乗りとお嬢さんは周りの反対から逃れるために、こっそり墓場で会っていた。

 お嬢さんは病気で死んでしまったが、船乗りは墓の場所を教えてもらえなかった。船乗りは彼女の墓石を探すために、いつも待ち合わせの墓場に通い続けた」ポーはこの二人にも追悼の意があったと残っているようだ。そもそも愛する人から離れたくないというのはどう言う感覚なのだろう、「私は抱きつく魂がなくてはかなわないと思った」と日本の作家、倉田百三は「愛と認識との出発」でそう残している。倉田はこれを書いた時、まだ20代だったが、詩人の愛し方をよく表していると思う。

 しかし、愛は愛だけあっても仕方がない。愛を実践するにも「感覚」が必要であり、感受性がいるのだ。 私は、いつしか「感受性」と「賜物」を同列に考えるようになった。愛は、対象が必ずあるものだが、感受性は、手に取り合うことも、確かめることもできないものだ。ただ、ひたすら胸の内にあるもので、「世俗」か「賜物」とするか、という分岐点がある。勿論、二つは分裂できないものであるが、よく一般的に好まれる回答として、感受性とは「自分だけの神聖」と言ってしまうのであれば、それは多くの矛盾を孕む。何故なら、必ず、ポーの詩のように、感受性が生きると言うことは「他者」を必要とするからであり、もしも他者が見向きもしなければ、藻屑と化するだろう。

 キリスト教、特にカトリックではカテキズムや、バルタザール神学含め、信仰とは「個人」の感受性や経験のみではなく、教会及び、社会や共同体と根付いていくことを目的としている。そういうことを言われると、多くの人が勘違いすることかもしれないが、それは個人の感受性が奪われることとは、本来は違う。私が問うとするのなら、無宗教は本当に個人の感受性を保証しているのか、と言う壁があった。

 無宗教の利点として、「教会」に関わらなくて良いということが挙げられる。そして特に自分の「賜物」を神に返すことを考えなくて良い、という点では「自由」である。それでも、たとえイエスがいなかったとしても、他者からの評価が必要なこと、社会に貢献すること、どのみちどんな作家も社会に見せなければならないのだから、「収用」に関しては、何が違うのだろうか。世俗の基準で収用されるだけか、もしくは魂が結果を残して、神に返す(収用)-expropriationの違いは、信仰にとっては大きいのだ。

 ポーの詩の、終盤を見てほしい。

For the moon never beams, without bringing me dreams

 Of the beautiful ANNABEL LEE;

And the stars never rise, but I feel the bright eyes

 Of the beautiful ANNABEL LEE;

And so, all the night-tide, I lie down by the side

 Of my darling — my darling — my life and my bride,

In her sepulchre there by the sea,

 In her tomb by the sounding sea.

月の満ち欠けと共に、私は夢を見る。

 美しいアナベル・リーを星の輝きと共に私は思い出す

美しいアナベル・リーを夜が更けるまで私は横たわる

 私の愛しい人のそばに海際の墓地に眠る 渚の墓の中のアナベル・リー

 この詩の終盤に見られる文法的特徴は、主にリフレインと押韻(rhyme scheme)がある。リフレインは「Of the beautiful ANNABEL LEE;」と「Of my darling — my darling — my life and my bride,」のようなフレーズの繰り返しを指し、この繰り返しは詩のリズムや感情を強調し、詩の印象を深めている。押韻によって「dreams」と「Lee」、「rise」と「eyes」、「side」と「bride」、「sea」と「sea」のように協調した音のリズムが作られており、聴覚的な響きや詩の韻律を強調しています。これらの文法的特徴は、ポーの詩の特色であり、詩に独特の響きと韻律を与えている。

 そこには、この詩の語り手が「アナベル・リー」の墓地と共に「夜明けまで」横たわるとあるが、「海際の王国」と共に、「side」側に「bride」そして花嫁として詩の世界から海の満ち引きのように押し寄せては遠のいていく。何故、海際の墓は、「王国」だったのか。それこそ祈りの言葉のように、神が来てくれる「王国」であるとしたかったのではないか。この詩は悲しみであり、死と同じ音程のようだが、愛と幸福に満ちている。

 詩の中の少女も、語り手の存在も曖昧なのは、両者とも具体的に誰なのかわからない反面、それは一つの愛が忘却していくことも現実的に表している。「魂に抱きついている」状態では、このような詩は書けないのだと思う。明確にもっと、愛した彼女を書くだろう。これはIt was many and many a year ago(それはそれは昔のこと)と心的距離を置いてから始まるので、彼自身の薄らいでいる記憶を表していると思っている。

 最初の妻、ヴァージニアは、知的障害があり幼い13歳だった。彼はカトリックへの賛歌も書いている。それだけの情報で信仰がどうだったのかは語ることはできないが、新しい女性を愛し、求婚した最中、自分がもうすぐ死ぬことを知っていたのか、知らなかったのか、彼は謎を多く残していくことになるが、それでも詩に残そうとしたことは、一つの神秘的な「収用」と言えるのかもしれない。

 何故、私たちは、人の愛を語るのだろうか、人の愛の詩を朗読するのだろうか、人の愛から、なぜ、連想するのだろうか。二人のことは二人で手を取り合うことが、愛の存在の一番の証明だろう。神の介入もなしに、二人だけの小世界で生きられることも確かに甘美に満ちている。けれども、肉体は永遠ではなく、「存在」というものや、心は意識によって薄らいで、消えていく。その現実に火を灯すのが、また感受性なのかもしれない。そしてそんな貴族でも貧しい人でも、愛した二人はいつしか「昔、昔の話」になる。もしも、消えていくことを実感する最中で、二人で「王国」で眠るとするのなら、それは神とともに永遠ではないだろうか。まるでそれが「少女」の願いだったようにさえ思える。

 文学という作り話の中には、小世界の魂がある。たとえカトリックであっても、私たちの祈りの言葉は繰り返しながら、残された魂の痕跡と共にするのだと思う。多くの人たちに、この詩は朗読されることによって、それは神のところへかえる祈りになったのかもしれない。

*注釈

*アナベル・リーは最初の妻、ヴァージニアがモデルという話もあるが、それが一番の有力候補ではあるが、ポーはいろんな女性を喪失する運命であったので、確かなことはわからないのだそうです。

*ロンドンでのコンテストのときに、船乗りと少女の話は新聞に掲載されたという話があったが、現在、確かな出典は見つかりませんでした。同じく、ヴァージニアに知的障害があったかどうかも聞いたが、確かな出典が見つかりませんでした。

*バルタザール神学は、キリストへの従順を「神の権威はイエスの主張の中に現れている」としている。 claim – poverty – expropriation – obedience of the cross 主張-清貧-「収用」-十字架への従順、というのが彼の神学の軸となっている。

*「タラントン」のたとえは、マタイ福音書25章14~29節に。

** エドガー・アラン・ポー作「アナベル・リー」の全文と、カトリック教会の「主の祈り」の旧英文は以下の通り。

【Annabel Lee】 by. Edger Allan Poe

It was many and many a year ago,

   In a kingdom by the sea,

That a maiden there lived whom you may know

   By the name of Annabel Lee;

And this maiden she lived with no other thought

   Than to love and be loved by me.

 I was a child and she was a child,

   In this kingdom by the sea,

But we loved with a love that was more than love—

   I and my Annabel Lee—

With a love that the wingèd seraphs of Heaven

   Coveted her and me.

And this was the reason that, long ago,

   In this kingdom by the sea,

A wind blew out of a cloud, chilling

   My beautiful Annabel Lee;

So that her highborn kinsmen came

   And bore her away from me,

To shut her up in a sepulchre

   In this kingdom by the sea.

The angels, not half so happy in Heaven,

   Went envying her and me—

Yes!—that was the reason (as all men know,

   In this kingdom by the sea)

That the wind came out of the cloud by night,

   Chilling and killing my Annabel Lee.

But our love it was stronger by far than the love

   Of those who were older than we—

   Of many far wiser than we—

And neither the angels in Heaven above

   Nor the demons down under the sea

Can ever dissever my soul from the soul

   Of the beautiful Annabel Lee;

For the moon never beams, without bringing me dreams

   Of the beautiful Annabel Lee;

And the stars never rise, but I feel the bright eyes

   Of the beautiful Annabel Lee;

And so, all the night-tide, I lie down by the side

   Of my darling—my darling—my life and my bride,

   In her sepulchre there by the sea—

   In her tomb by the sounding sea.

【Our father in heaven(カトリック教会の主の祈り)】

Our Father, who art in heaven, hallowed be thy name.

Thy kingdom come, thy will be done, on earth, as it is in heaven.

Give us this day our daily bread

 and forgive us our trespasses as we forgive those who trespass against us;

   and lead us not into temptation, but deliver us from evil.

(Chris Kyogetu)

2024年4月30日

・カトリック精神を広める ⑥野外ミサが好きだ!

 一般の人が驚くのは、ミサ聖祭が行われている最中に、パン(白くて丸いホスチア)とぶどう酒(赤ワイン)が、キリストの血と肉に変化すること、ではないだろうか。これをカトリック教会では「聖変化」と呼んでいる。もちろん、実際にはそのような変化が起る訳ではないが、信者は、パンとぶどう酒が、キリストが十字架上で流された血と肉になったと精神的に考え、それを頂くことで、キリストの十字架上での救いの出来事に思いをはせ、キリストと一体化する、ということを味わう。

 毎日曜日、カトリック教会ではミサ聖祭が行われ、ホスチアを頂くのはこのような理由であろう。現在は、ぶどう酒は省略され、ミサの最中に頂くのはホスチアだけになっている。ただし、特別なミサの場合などに、バンとぶどう酒の両形態で行わることもある。

  聖パウロ女子修道会のHPによれば、ホスチアとは、「聖別用に用いられる円形の薄いパンのことで、「聖体」となるパンのことを言います。その語源は、ラテン語の“hostia”「いけにえの供え物」です。水と小麦粉だけで作られ、イースト菌が入っていない「種なしパン」で、聖別されてキリストの御体、つまりいけにえとなります。」と説明されている。一昔前までは、キリストが最後の晩餐の時、パンを割いて弟子達に分け与えたように、実際のパンを供していたのだが、それでは大量のパンが必要となるため、サレジオ会を創立した聖ドンボスコが現在の白くて丸いホスチアに変えたと聞いている。

 

   ミサで思い出すのは、筆者が子供の頃、よく野外ミサが行われていたことだ。またよく道路で行列を作って、祈ったり、聖歌を歌っていたものだった。当時は、日蓮宗の一団であろうか、太鼓を叩きながら南無妙法蓮華経と唱える僧たちの一団もよくみかけたものだ。

   野外ミサで特に思い出すのは、筆者が中学生の時に、千葉県の房総半島先端にある館山の臨海学校の一環で、離れ小島に渡って、キャンプを張った時に行われた野外ミサである。草を刈り、薮に分け入って、土の上にテーブルが置かれ、その上に、ミサに使うろうそく等が並べられ、神父様が東京から持参した司祭服に身を包み、30人程の生徒の眼前でミサを捧げたのだが、青空の下、まるで神様が今まさにここにおられるという雰囲気になった。これだから、野外ミサが好きなのだ。

 

    また、2019年11月、現フランシスコ教皇が1981年のヨハネ・パウロ2世以来、38年ぶり2度目の来日となった際に、長崎県営野球場にて約3万人が参列した野外ミサが、今も語り草になっている。当日、大雨が降っていたのが、ミサが始まった時には、うそのように晴れ渡り、青空の下、ミサが執り行われたのだ。参列した人は、奇跡のようだったと、今も興奮気味に語っている。

 

(横浜教区信徒 森川海守=ホームページ:https://www.morikawa12.com

2024年4月30日

・愛ある船旅への幻想曲 ㊴新学期が始まって…  

 新学期が始まって一か月が過ぎようとしている。駅で小さな体に大きなランドセルを背負った女の子を見るたびに、同じ制服を着ていた我が家の娘たちの、幼かった頃を思い出す…。この春、私は多くの若者を新天地に送り出した。明るく、生き生きとしたカレッジライフ、ワーキングライフを送ってほしい。

 「主の思いはとこしえに、その心の計らいは代々に立つ」(詩編33章11節)

 つい先日、私は膝を痛めて病院に行った。駐車場で大手製薬会社研究室勤務だった化学者の友達と会った。彼の質問に「膝や肩を痛めると分かりきっているのに、してしまった」と言うと「年がいったら、そのように馬鹿なことを平気でしてしまうんですねぇ」と、私より年上の彼の言葉は、全くの正論であり妙に気が楽になった。「先生に『痛くて死ぬ』と言います」と私。「そう言ったらいいよ。『死んだら痛みも分かりませんからね』と言ってくれるよ」と彼。

 そんな彼と私は以前、町内会長と女性部長として会議では喧々諤々とやり合い、当時は決していい関係ではなかった。彼は男性委員からの意見、私は女性委員からの意見を述べるわけだ。発表から男性が希望する行事は何であれ女性の助けが必要である。それなのに、発表内容に女性に敬意を払う表現がいつも欠けている。『言わずともこれは当然女性がすべきこと』と決めつけられては困るのである。ある時から、女性委員だけで会議の為にお茶の用意もしないことになり、男性委員と交代しながらのお茶当番になった。このことが腑に落ちない一部高齢男性の機嫌の悪さはあからさまだった。会長も内心困っていたに違いない。彼自身は、大学で講座を持ち、男女学生との交流もあった為、新しい感覚で町内会を運営したかったはずだ。

 当時、だいたいの高齢男性委員は、男尊女卑を当然の如く前提にする発言であった。だが、私たち女性部には様々な職種のベテラン公務員女性が多く、男女共同参画を中心的立場で推進し活動の支援をなさっている方もおられ、この会議中の男性からの女性蔑視と受け取れる発言、企画も気の毒だが一つひとつ丁寧に理由付けで却下された。このことは、次期女性部の活動に大きな変化をもたらし、男女平等への意識をはっきり証明できた、と思っている。

 とにかく、全ての住民が参加できる町内会活動でなければ意味がなく未来に繋がらないと私たちは思っていた。私たちの町内会は、世帯数600戸の会員を持つ大所帯である。私たちの時代は、女性部主催で様々な高齢者活動と秋の遠足を毎年開催してきたが、私たちが引退した数年後に女性部は廃部となった。これも時代の流れである。町内会が存続する為には過去にこだわらず新しい風を入れる事も必要だろう。

 また、私は『女性を政界に送ろう』の勉強会に、親しい若手の女性新聞記者さんからの誘いを受けて参加した事がある。会長はじめ前に並んでいる役員の高齢女性の方々の顔は存じていた。これより以前に、私はある政党の男性の県連会長から「勉強しなさい」と、その政党の勉強会資料一式を渡されていた。私自身は、政治家になる気などさらさらなかったが、「知識を得る為にはいいだろう」との軽い気持ちで受け取った。『女性を…』の会には、某大手新聞社の編集局長や現女性議員の講演など毎回40人くらいの会員が参加し、熱心に耳を傾けて勉強していた。

 その結果、政治家希望の一人がめでたく選挙に当選した。だが、一番喜ばねばならない会長の姿が、ある時から見えなくなった。原因は、夫が亡くなられ、彼女はそのショックから立ち直れない、という。私の気持ちは複雑だった。彼女の女性らしからぬ話しっぷりや「男性に負けてはならない。私たち女性が社会を変えていこう、エイエイオー…」との意気込みは、彼女を支える愛すべき夫が後ろにいたからだったのだ。ある意味安心したが、人間は、やはり男と女が互いに助け合って幸せに暮らさねば新しい試みを実現さすためのパワーも互いに持てず、良き未来をも想像できないのだな、と思った。

 「人が独りでいるのは良くない。彼にふさわしい助け手を造ろう」(創世記2章18節)

 地方のカトリック教会の会議しか私は知らないが、今まで私が経験してきた一般社会での会議とは随分距離を感じている。ベテラン信徒中心の会議は、全て教会に対して肯定的な意見で占められ、目新しい意見を言うと反対意見と受け取られ眉間にシワを寄せられる。いつも現状維持がお約束の議事録であり、司祭も信徒もそれでいいのである。教会共同体にとって幸福にミサに与り、集える場が“今”あることで信徒として安全なのである。これでは、教会のある扉は閉ざされたままとなり、爽やかな風さえも入らないのではないか、と。歳とともに変わっていくのが人間、と心得る、共同体にとって出来の悪い私の、要らぬ心配である。

 「あなたがたは、長らく教師をしていながら、神の言葉の初歩をもう一度誰かに教えてもらわねばならず、また、固い食物ではなく、乳を必要とする始末だからです。乳を飲んでいる者は皆、幼い子ですから、義の言葉を味わったことがありません。固い食物は、習慣によって善悪を見分ける感覚を鍛えられた、大人のためのものです」(ヘブライ人への手紙5章12~14節)

(西の憂うるパヴァーヌ)

2024年4月29日

・神様からの贈り物 ⑩「副作用で苦しんだ年月は、イエスの愛を強く体験する時間だった」

  幼い頃、初めて十字架を見た時の衝撃は忘れられない。磔にされたイエス様が苦しむ姿に、目を背けたくなった。「こんな怖いものを飾っているのはなぜ?」という恐怖と驚きが、私の小さな胸の中から消えなかった。しかし、今の私は、十字架を見ると、そこから目を離せなくなる。その変化が起きた理由を、ここに記す。

  高校2年の半ば、抑うつ状態になり、医師の勧めで服薬することになった。「これでかなりうつ状態はよくなりますよ」という言葉を信じていた。

  しかし、飲み始めた翌日、体に異変が起きた。昼休みに、吐き気と強いめまいが起き、その後ひどい眠気に襲われた。心配したクラスメイトに支えられ、なんとか保健室までたどり着いたが、放課後になってもベッドから動けなかった。それが、副作用との闘いの始まりだった。 副作用は多岐にわたった。手が震えて字が書けず、マーカーをまっすぐ引くことができなくなった。私のノートは、服薬開始を機に、ミミズのような文字だらけになってしまった。集中力を失い、趣味の読書も楽しめなくなった。

  一番辛かったのは、眠気やだるさだった。それは、23時に床についても、翌日の午後1時頃にならないと起き上がれないほどだった。まるで、麻酔をかけられて目覚めることができないような感覚だった。しかし「この薬を飲まないと、病気はひどくなる」と繰り返し説得され、耐え続けた。

  ところが、その17年後、私が受けた診断は間違っていたことが判明した。飲んでいた薬も間違っていた。涙が出ないくらいショックだった。「私の体はどうなってしまうのだろう? 今まで耐え続けた年月は何だったのだろう?」と、やり場のない不安と怒りでいっぱいだった。

  誤診が判明して7年、新しく信頼できる主治医と出会い、主治医と二人三脚で、服薬をやめる方向で治療している。けれども、精神科の薬を減らしたり、やめたりする時には、覚醒剤をやめる時のように、禁断症状が必ず出る。今度は禁断症状との闘いが始まった。「飲んでも地獄、やめても地獄-これが薬なんだ」と、身をもって知った。でも、ひとつの薬が抜けるごとに、心身の不調は減り、体が軽くなった。本来の自分に戻っていった。

  この苦しみを通して、十字架の印象が180度変わった。今は見上げる度に、ほっとする。イエスさまから「あなたの苦しみを知っているよ」と言われている気持ちになるからだ。入りすぎていた力が抜ける瞬間だ。

 副作用で辛かった年月のことを、今、私は、イエス様の愛を強く体験するための時間だった、と思っている。きっと今も語りかけてくださっているはずだ。その声に耳を傾ける準備を常にしていたい。

(東京教区信徒・三品麻衣)

2024年4月29日

・“シノドスの道”に思う⑪ シノドスをドイツの視点から考える(5)カトリックと福音主義教会の会員調査から 

 カトリック人口わずか42万人の日本では、カトリック新聞の紙媒体での廃刊、福岡の大神学院の閉校、と縮小傾向にあります。シノドスは「共に歩む」で、具体的には「共に考える」「共に決定する」ことが実践されるべきですが、今回のシノドスの第一段階で、わずかの教区が一般信徒に質問票を配って意見を聞いたくらいで、その後、動きはほとんど見られない。そもそも信徒固有の組織も団体もないので、仕方がないとも言えます。失望しか信徒に与えないとすれば、若い人たちを招くことはできないでしょう。

 ドイツのキリスト教会の信徒数は、現在、カトリックが約2093万人、福音主義(ルタ ー派と改革派)が約1920万人で二大勢力をなし、他に自由教会(バプテスト、メソジスト)や正教会など、そしてイスラム教、ユダヤ教、仏教等の他の宗教の信徒もいます。

 福音主義教会は1972年から10年毎に教会会員調査(KMU)を行なってきましたが、2022年の第6回調査(10月14日~12月22日)から、カトリック教会も参加するようになりました。この調査は、宗教や教会に対して信徒がどう関わっているか、考えているかを「信徒自身の発言」から現実の教会の状態を知るために、約30名の社会科学、教会司牧その他の専門家が質問紙(総計592の質問)を作成し、5282人の回答者(ドイツ国民全体の意見を代表するような比例代表的な人数にしてある)を得て、約10か月かけて分析したものです。

 カトリックの司教たちも、その信頼性を認めています。昨年11月、ドイツ司教協議会は、今回のKMUの結果に関して二人の司教がそれぞれ声明を発表し、今年2月の司教協議会総会でもKMUは議題の一つになりました。その内容については次回触れるとして、以下、調査団による結論で最も重要な点「教会への信頼」だけを抜粋します。

 

 

*カトリック信徒の4分の3が「教会を去ろう」と考えている

 
 教会に対する信頼がなければ、社会の中で機能しません。教会員や無宗派の人々は教会への信頼をどう考えているのでしょうか。回答のポイントは次のようなものです。

 ①プロテスタント教会員の3分の2、カトリック教会員の4分の3が「教会を去ろう」とする傾向にある②改革によって脱会を止められる可能性があるので、実際に教会を去るかどうかは、教会の対応にかかっている③プロテスタントの信徒は、主に「宗教と教会への無関心」から教会を去ることを決めている④カトリックの信徒は、主に「怒りと憤怒」から教会を去っている⑤どの宗教にも所属せずに育った人は、これからの人生でもそのままでいることになるだろう。

 では、ドイツではどの制度・組織に最も信頼を置いているのでしょうか?この問いに対しの答えは、①プロテスタント教会員は連邦政府よりも自分たちの教会に大きな信頼を置いている②カトリック教会員は自分たちの教会よりもプロテスタント教会のほうに信頼を置いている③無宗派の人々は、カトリック教会に対してと同じくどの組織をも信頼していない―でした。

 

 

*カトリック教会への国民の信頼は、7段階評価でわずかに「2.3」

 

 信頼する、しないの程度は、1「全く評価しない」から7「最も高く評価する」まで7段階評価で、大学への信頼は、国民全体もプロテスタント教会員もカトリック教会員も無宗派の人々も、ほ
ぼ「5」の評価。連邦政府への信頼は、どのグループも「4」の評価になっています。

 福音主義教会への信頼は、国民全体では「3.3」の評価、プロテスタント教会員は「4.3」、カトリック教会員は「3.7」の評価、無宗派の人々は「2.7」の評価でした。

 ではカトリック教会への信頼は、国民全体では「2.3」、プロテスタント教会員は「2.4」、カトリック教会員自身は「3.3」、無宗派の人々は「1.8」と、どの集団も低い評価になっています。カトリック教会員自身が「カトリック教会よりもプロテスタント教会のほうが信頼できる」と考えており、カトリック教会員以外の人々からもカトリック教会の信頼性は低い評価を受けています。要するに、カトリック教会が他教会よりも、一段と信頼の危機にあることを示している、と言っていいでしょう。

 

 

*教会への愛着・結びつきはカトリックの7割が感じている

 

 また、「信頼」に関して、「教会への愛着・結びつきの程度」を聞いたところ、プロテスタント教会員の67%、カトリック教会員の57%が「幾らか、あるいは多少、自分は教会に繋がっている」と答えましたが、「強く繋がっている」はプロテスタントは8%、カトリックは7%にとどまりました。なお、4人に一人の教会員が「自分をキリスト者とは思っていない」と答えています。

 次に「教会を去ろうとする意志」については、プロテスタント教会員の65%、カトリック教会員に至っては73%が「去ることを考えている」と答えました。

 プロテスタントの信徒は「宗教と教会の話題への無関心」ゆえに教会を去っており、カトリックの人は「怒りと失望」ゆえに去る決断をしていますが、適切な手段を講じるなら、それを防げないわけではないようです。「教会が過去の過ちと怠り、罪過をきちんと認めるなら、考え直す用意がある」と77%が答えており、「根本的な改革がなされるなら、教会に残るだろう」と66%が答えているのです。

 

 

*教会改革はカトリックでは賛否相半ば

 

 福音主義教会員の大部分は自分の教会の改革を支持していますが、他方のカトリック教会は明らかに分極化の傾向を示しています。全カトリック教会員の約半数、49%は「教会改革は正しい」(全面支持が7%、「どちらかと言えば賛成」が42%)と考えていますが、ほぼ同数が「改革には問題がある」と批判的。伝統派と改革派に分極化しているようです。

 どの教会についても「改革への期待」は大きい。プロテスタント教会員の4分の3以上は「現在進められている改革は正しい方向に進んでいる」、カトリック教会員の半数も「近年の改革は正しい方向に進んでいる」と受け止め、プロテスタントもカトリックも教会が社会の貧しい人々や困窮者との関わりを持つことに期待しています。

 また、プロテスタントとカトリックの75%が「教会は宗教問題だけを扱うべきでない、『社会的なネットワーク』にならねばならない、と考え、宗派を超えてエキュメニカルな方向で教会間の協力が必要としている点も共通しています。教会の指導者が民主的に選ばれるべきであること、司祭の結婚を認めるべきことなどでも同様です。

 以上、調査結果と彼ら自身による分析・解釈の一点だけを紹介しました。ドイツの教会は、根本的な改革をしない限り、人々の信頼を取り戻すことはできないでしょう。ローマに忠実であるだけでは教会員の脱会傾向は続くものと思われます。冒頭で述べた二人の司教が、「Erosionstendenz(侵食傾向)という言葉を使っているのも、誇張とは言えません。

 注*教会員調査(KMU)については https://kmu.ekd.de、2023年11月の二人の司教の声明は https://www.dbk.de で読むことが出来ます。     
 

 (西方の一司祭)

2024年4月29日

・平戸・生月巡礼ー殉教、そして200年以上信仰を保ち続けた潜伏キリシタンの現場を見た

 4月9日から12日にかけて、大学の後輩であるE女史が企画した平戸・生月巡礼に、一昨年秋までローマの教皇庁立グレゴリアン大学で教会法学部長を務め、現在は上智大学神学部の教授をされている菅原裕二神父の同行を得て、夫婦で参加させていただいた。

 平戸・生月は、個人的には「長崎・天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の中で巡礼をし残した唯一の地域で、以前から訪れたいと思っていたところだった。16世紀半ば、我が国にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルがこの地で布教を始めた当時の領主、松浦氏の親戚が受洗したこともあり、多くの領民がキリシタンとなった、

 だが、豊臣秀吉の宣教師追放令に呼応した松浦氏が弾圧政策に転じ、親戚で重臣のキリシタン、籠手田氏に一族がまとめて長崎に追放、信徒たちは支柱を失い、厳しい取り締まりで多くの信徒が殉教。1613年の慶長の禁教令で宣教師が全て国外追放となった後も、再び潜入して平戸・生月で布教したイエズス会士、カミロ・コンスタンツォ神父もその一人で、海峡を隔てて平戸城を望む火刑場跡が焼罪史跡公園として残されている。

 平戸での殉教は1645年をもって終わりを告げ、キリシタンたちは表向きは仏教徒に改宗し、隠れて信仰を守り続けるようになった。その形は、集落、地域ごとに少しづつ異なったものになっていったが、平戸独特なのが「納戸神信仰」。座敷には神棚や仏壇を置き、監視の目を欺きながら、目立たない奥の納戸に、キリストやマリア、聖人などを描いた掛け軸や聖具を飾り、200年にわたってひそかに信仰を守ったのだった。ただ、明治時代になって禁教令が解かれた後、集落や地域によって、カトリックに戻った「潜伏キリシタン」と、戻らずに、そのままの信仰様式を続けた「隠れキリシタン」に分かれたのも、平戸・生月に特徴的と思われる。

 今回の巡礼では、平戸・生月には16の教会(うち8つが巡回教会)のうち、6つを回り、そのような興味深い歴史の現場を体験して回った。

 4月9日発、長崎から小型バスで2時間半、宿舎の民宿・グラスハウスに。夜、菅原神父が、栄光学園中学校の入学式ミサを終えて大船から飛行機、電車を乗り継いで、合流。

 10日、平戸生まれ、平戸育ちの信徒の高田さんのガイドで、まず平戸ザビエル記念教会で信徒会長と信徒の奉仕のご婦人方。奉仕のシスターとともにミサ。ミサ後に、手作りの餡入り万頭とコーヒーをごちそうになる。

 平戸で最初の教会跡、ザビエルが逗留した松浦藩の重臣で信徒の木村氏の住まい跡(キリスト教受け至れたが後に弾圧側に回った藩主・松浦氏がすべてを打ちこわし、抹消)、イギリス人三浦按針終焉の地、再建されたオランダ商館などを経て、平戸城では二本植えられた平戸二段桜の一段目が満開、二段目もつぼみが開く直前。昼食後、明治に建てられた平戸で一番古い宝亀教会へ。(写真左上は、平戸ザビエル記念教会でミサを捧げる菅原神父、右は巡礼参加者たち)

 次いで、明治の長崎県を中心にした教会建築で名をはせた鉄川与助の最後のレンガ作り聖堂、田平教会、大正4年から3年の歳月をかけて、信者達の手によって建設されたロマネスク様式の荘厳な赤レンガ造り。色鮮やかなステンドグラスは、絵画を思わせる美しさ。フランス製で信徒の家にあったものという。教会の傍らには歴代の信者が眠る墓地がある。

 出迎えてくださった主任司祭の中村神父は、昨年着任し、老朽化した聖堂の抜本修繕か課題に。教会グッズの販売など、修繕費確保に努力されているが、教区が詐欺まがいの資金運用に手を出して失った2億5千万円の教会維持・補修の資金があれば‥と考えてしまう。韓国から毎週のように巡礼団が訪れており、この日も30人ほどがバスでやってきた。日本の30倍とされる韓国の信徒の信仰への熱意に圧倒されそうになる。

 このあと、平戸城と海峡を挟んで建てられた、キリシタン弾圧初期に火刑に処せられたイエズス会士、コンスタンチン神父を記念する焼罪の碑に。

 11日、平戸大橋を渡り、生月の山野教会。信徒11戸、23人の巡回教会。弾圧当時、近くに取り締まりの藩の番所があり、ザビエルから洗礼を受けた信徒もいたというが、厳しい取り締まりや村八分に遭った信徒は激減。明治になって最初にカトリックに復帰したが、小教区として独立したのは1917年。信徒が少ない中で司祭を出している。

 再び平戸に戻り、紐差教会は、町中にある昭和初期のコンクリート作りを代表する聖堂。明治になってキリスト教の布教が認められてから、和歌山から捕鯨のために移住してきた人たちが定住し、洗礼を受けた。ピーク時の信徒は1500人。今も信徒1000人の平戸で最多の信徒がいる。信徒たちは明るく、前向きなのが特徴という。小さいながらパイプオルガンもあるが、残念ながら防犯のために、聖堂の入り口までしか入れず。「昔は幼稚園もありミサ時間以外も訪問者に対応するシスターもいたが、今はいなくなって、本来なら信徒が主体的にそうした役割を担うべきだが、遠慮する風土変わらない」と現地の方の言葉。

 春日集落は、世界歴史遺産にもなっている。隠れキリシタンの家を一部移築して再現した資料館には、集会に使われた部屋、神棚と仏檀を並べて拝む形にしつつ、奥の納戸の中には、聖母の絵の賭け軸が飾ってある。隠れキリシタンたちが苦心して信仰を続けの様子が分かる。この地を布教したアルメイダ神父のイエズス会本部あて書簡には「小高い丘に教会が建っている」とあるが、後の調べで、教会ではなく、墓だったことが判明。残念ながら集落のキリシタンは、明治になってもカトリック信徒に戻らず、そのままの行事を続けてきたという。今でも信徒はこの集落にはおらず、隠れキリシタンも高齢化で跡を継ぐ人はいなくなっている、という。(写真左下は、潜伏キリシタンの部屋の様子。右に神棚と仏壇、左奥の納戸の壁に聖母マリアの絵の賭け軸が)

 木ケ津教会は小さい聖堂に、永井博士自筆の十字架の道行きが掛けられている。長崎の浦上教会に信徒が出向いた際、譲ってもらったもの、と言うが、痛みが激しく、黄色だった十字架は脱色している。浦上教会は返還を求めているが、応じていない、という。貴重な作品なので、博物館に寄贈して保存措置をしてもらい、レプリカを掛けるようにしたらいい、との声もあるようだ。(写真右が、永井博士の描かれた十字架の道行き)

 昼食後、生月大橋を渡り、生月島へ。島の館へ、隠れキリシタンの旧家を移築したもの。そして山田教会。宝亀教会に次いでこの地域で二番目に古い。大正元年に着工。潜伏キリシタンは明治になってカトリックに戻った。

 再び生月大橋を通り、平戸本島に戻り、生月の対岸にある山野教会。現在18世帯。文字通り山の上の開拓地の教会。長崎の外海から移ってきた人々。潜伏キリシタンになったが、明治に禁教令が解けた後、カトリックに戻った。(春日集落の隠れキリシタンとは対照的に)信徒たちは明るいのだという。

 12日、朝食後、四日間お世話になった宿を発ち、長崎空港へ。昼過ぎの便で東京への帰途に就いた。

・・・・・・・・

 現地での実質2日間という短い巡礼だったが、収穫はあった。その最大のものは、フランシスコ・ザビエルによってキリストの教えが伝えられた後、キリシタン弾圧の中で殉教の時期よりも長く、明治に入り禁教令が解かれるまで200年以上も、宣教師を欠いたまま、信徒たちだけで”面従腹背”で創造主への信仰を保ち続けた人々がいた、という、その現場を体験したことだ。

 その保ち方は集落や地域によって異なり、信徒たちだけで長い間受け継いでいくうちに”変質”を余儀なくされ、禁教令が解かれても、集落ごとカトリックに戻らない、いわゆる「隠れキリシタン」も少なくなかったこと。そして、今やそれを受け継ぐ人もわずかになり消え去ろうとしている現実も。その一方で、明治になって、和歌山から多くの鯨捕りの漁業者たちが移り住み、洗礼を受けた,禁教令時代の経験をもたない信徒が中心になってできた教会が、かえって今も活気がある多様性にも心がひかれた。

 またカトリック教会も、平戸最大の信徒をもつ教会が、平日に訪れる人を迎えていたシスターなど奉仕者が減って、祭具などの盗難の懸念から聖堂の入り口だけで中に入れないようにするのを余儀なくされている一方で、国内からよりも、韓国から毎週のように多くの巡礼団を受け入れながら、老朽し抜本的な改築の時を迎えているが、改築資金の確保に苦労する教会の姿も目の当たりにした。

 さらに、信徒、聖職者の高齢化、減少という日本の教会の問題が、キリスト教の歴史と伝統のあるこの地域でも深刻化しており、共通の課題となっていることも実感した。

 

(2024年4月18日「カトリック・あい」南條俊二記)

2024年4月18日

・Sr.阿部のバンコク通信(88)タイの教会には、いつも「共同の赦しの秘跡」がある

   大祝日に備えて、タイ国の教会ではいつも、共同の赦しの秘跡があります。「いいなぁ」と感じるタイの教会の典礼のひとつです。ご聖体の秘跡と赦しの秘跡は、カトリック信徒の生活を元気に生き生きとさせくれる恵みの秘跡だと常日ごろ思っています。共に与かることで『兄弟姉妹の皆さんに告白します』の回心の言葉が具体的になり、親しみを感じる機会です。 私たちが所属するバンコクの聖ミカエル教会では少なくても年に4回、大祝日や聖ミカエルの祝日の前に行われます。

 苦手な秘跡に特別な親しみを持つようになったのは、訪問宣教でルーテル教会の牧師さんと出会い、秘跡の凄みに気づいた時からです。「人の魂の救いのために、確実な神からの赦しを与える秘跡、自分には一番肝心なこの権能がありません」と。身近な秘跡を蔑ろにしている私、はっとしました。
それからは足繁く秘跡に近づき、恵みを受けるようになりました。いつも神と他者、自分との関わりに癒しと安らぎを取り戻してくれる大きな恵みの秘蹟、悶々混沌、不安怒り、問題と困難、迷いからの救いとなっています。

 タイでは年に一、二度、日本人の神父様が来られてミサと赦しの秘跡が受けられます。「恵みをいただける機会だから」と、ミサに参加された方に赦しの秘跡を受けるように勧めることがありましたが、ある時、「強制しないでください」と言われ、それからは黙って祈る事にしました。その後、秘跡に近づき、大きな恵みに感動し、他人にも勧めているではありませんか。本当にうれしかったです。

 そう言えば、第二バチカン公会議が閉幕して間もなく、イタリアのナポリで女子パウロ会教理センター主催(典礼憲章の解説実践)のカテケージスセミナーがありました。扇状の大会場はまさに「聖堂」と化し、ステージ、横通路、後部、踊り場に司祭が立ち、共同の赦しの秘蹟が始まりました。最前列にいた私が、ステージ前の司祭の所へ進もうとした時、会衆を向いて立っておられ司祭同士が近寄って告白し始めたのにはびっくり、本当に感動しました。その時の忘れ難い光景は、当時の参加者全員の心に刻まれていると思います。

 タイの教会ではミサ前後に司祭が告解場にいてくださるので、秘跡を受けやすいですし、タイの信徒はごく親しく頻繁に受けています。多分仏教文化にも罪の赦しを受ける、平素の習慣があるからだと思います。神様に”秘跡の法廷”で「ごめんなさい」をすると、本当に心身が癒されます。
これからも、聖霊に導かれて謙虚に温順に生きるために赦しの秘跡に与かり、主の福音を豊かに宣べ伝えて行きたいと思います。教会共同体の刷新の秘訣も、ここにあるかも知れませんね。

(阿部羊子=あべ・ようこ=バンコク在住、聖パウロ女子修道会会員)

2024年4月18日

・ガブリエルの信仰見聞思 ㊱T.S.エリオットの『四つの四重奏』を再び”聴く”

 四旬節が過ぎ、復活節の到来とともに、なぜかT.S.エリオット(英国の詩人、1948年ノーベル文学賞受賞、1965年76歳没)の代表作の一つである『四つの四重奏 The Four Quartets』が頭をよぎり、再びそのページをめくりました。

 『四つの四重奏』はT.S.エリオットが51歳の1943年に刊行され、7年間に亘って書かれた「バーント・ノートン Burnt Norton」(1936年発表)、「イースト・コーカー East Coker」(1940年)、「ドライ・サルビッジズ The Dry Salvages」(1941年)、「リトル・ギディング LittleGidding」(1942年)という、作者ゆかりの地名をそれぞれ題名とした4編の相互に関連した長編詩で構成されています。エリオットの最高傑作とも評されるこの作品は単なる長編詩集ではなく、それぞれの詩は、「時」の本質、贖い、人生の意義と神様の秘儀に関しての熟考と探求をしています。

 キリスト教の象徴性と神秘主義への言及が濃厚なこの作品は、エリオット自身の聖公会への改宗(「(私の)宗教はアングロ・カトリック」と自分の立場を宣言していた)の道標でもあると言われるものの、そのテーマは普遍的に共鳴し、人間の体験を形作る意味の探求に触れています。

*エリオットとの出会い

 エリオットの『四つの四重奏』に初めて出会ったのは、通っていたカトリック系中学校の図書館の静かな片隅でした。15歳の私にとって、エリオットの抽象的なテーマや複雑な表現は難しく理解し辛いものでしたが、その同時に彼の書かれた詩は神秘的な質に何とも言えない惹きつけられるものを感じました。そして文学の先生に指導をお願いしたところ、先生は私の突然の熱意に、驚きながら喜んでくださったことを今でも覚えています。

 その後の長年にわたり、さらに2回ほども読み返したことがありますが、最後に読んでから十数年も経った今、復活節の始まりの光の中で再びエリオットの「四重奏」を聴き返すと、一種の霊的巡礼の旅に出るような気分になり、作品のより深い層を鑑賞するための新たなレンズを与えてくれました。「現代の宗教文学・瞑想詩の一秀作」 とも評されるこの作品を評論する資格もその意図も私にはありませんが、エリオットの四重奏にある、心に響き、考えさせられる数多いフレーズの中から、ほんの幾つかを引いて、簡単に分かち合いたいと思います。

*過去、現在、未来の絡み合い

 エリオットは最初の詩「バーント・ノートン Burnt Norton」でこう書き始めました。

「Time present and time past 現在の時も過去の時も Are both perhaps present in time future、おそらく未来の時の中に存在し、And time future contained in time past. また未来の時は過去の時に含まれる」

 この冒頭の一節は、内省と黙想の本質を捉えているのではないかと思います。「時」の絡み合い、折り重なり合う性質と、その中で私たちの存在を思いこさせます。四旬節の後、復活節の始まりに、これらの言葉を熟考していると、過去の罪の悔い改めと、復活節が象徴するキリストの御復活による刷新、そして過去、現在、未来が「今」という瞬間に収束すること、また、私たちの霊的な旅の連続体について、奥深く語ってくれています。何より、私たちの生活の中に神様の恵みが永遠に存在し続けることも思い起こさせてくれます。

*初めと終わりについての探求

 第2編の「イースト・コーカー East Coker」では、エリオットは「初めと終わり」、「生と死」のテーマについて熟考し、詩の最初と最後のそれぞれの一節にこう書いています。

 「In my beginning is my end… 我が初めこそ我が終わり… In my end is my beginning. 我が終わりこそ我が初め」

 これらの言葉は、悔い改めと回心の過程を通じて、神様、すなわち私たちの原点に立ち戻る、という四旬節のテーマに共鳴し、私たち自身の死すべき運命と、主イエス・キリストの御復活を通じて永遠の命への希望とその新たな始まりを、思い巡らさせてくれます。

 また、聖アウグスチヌスがその名著である『告白』の第1巻の冒頭に書いた「主よ、あなたが我々をお造りになりました。ゆえに我々の心は、あなたの内に憩うまで休まらない」をも思い出させてくれます。

*試練や艱難の中で神様の御臨在を見出すこと

 「ドライ・サルビッジズ The Dry Salvages」は、人間の様々な苦しみとその中での意味の探求というテーマに共鳴しています。

 「The river is within us, the sea is all about us; 川は私たちの中にあり、海は私たちの周り全体を囲む… The sea has many voices,  海には多くの声があり、Many gods and many voices. 多くの神々と多くの声がある」

 私にとって「川」はヨルダン川と主イエスの洗礼、そして主と同じように洗礼を授かった私たちに対して、「私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ福音書28章20節)と主が言われた御言葉を思い出させてくれます。エリオットは「海」を「時」の比喩として用い、私たちがこの「時」の中で生き、様々な遭遇や苦しみや体験など、人生の予測不可能性と不確実性に直面していますが、そんな中でも主が常に私たちと共におられることを示唆してくれます。

 「We had the experience but missed the meaning,.. 私たちは経験をしたが、その意味を取り逃してしまった、… And approach to the meaning restores the experience その意味に近寄れば、その経験をIn a different form, beyond any meaning 私たちが幸福に与えるどんな意味をも超えた形で We can assign to happiness… 取り戻せるのに…」

 エリオットのこれら言葉は、信仰が穏やかな庭園を散歩することよりも、嵐の中を旅するように感じられた時を思い出させてくれます。それは、人生の試練や艱難の中で神様の御臨在を見出すための闘いを反映しており、私たちの最も激動の時代においてさえ、神様の恵みの永続する御臨在についての熟考を促してくれます。

 ちなみに、この作品は 1941 年、ロンドン大空襲の最中に書かれ、空襲は現地で講義をしていたエリオットの身を脅かす出来事でした。

*元の出発点に到着し、その場所を初めて知る

 最後に、エリオットの「四重奏」の第4編である 「リトル・ギディング Little Gidding」 は、霊的真理、救い、神様との究極の交わりを追求する上での浄化、過去と現在の統一というテーマを語っています。エリオットは詩の最後の部にはこのように語ります。

 「We shall not cease from exploration 我々は探求を止めない And the end of all of our exploring そしてすべての探求の終わりは Will be to arrive where we started 元の出発点に到着し And know the place for the first time… その場所を初めて知る… 」

 復活祭の約束を踏まえて読むと、この箇所は私たちの信仰の旅について多くのことを語っていると思います。それは、私たちの信仰の核心に戻る四旬節の旅、信仰に対する新たな理解、そして復活節を祝う感謝の時を映し出しています。また、信仰と理解のレンズを通して、見慣れたものを新たに「観る」という、私たちの変容と原点回帰の継続的な霊的旅でもあります。

・・・・
エリオットの『四つの四重奏』を再び「聴く」ことは、旧友と再会することに似ている気がします。そこでは、新たな気づきや洞察があり、不変の真理を再認識することができます。豊かなテーマと絶妙な詩的表現を持つエリオットのこの傑作は、信仰の旅路と、私たちの人生における神様の恵みの永遠の存在を奥深く思い巡らすヒントを与えてくれます。

(注:詩の引用は英語原文のまま、日本語訳は筆者による)

(ガブリエル・ギデオン=シンガポールで生まれ育ち、現在日本に住むカトリック信徒)

2024年4月15日

・Chris kyogetuの宗教と文学 ⑫小泉八雲の「和解」という奇談から

 When did you come back to Kyōto? How did you find your way here to me, through all those black rooms?(いつ京都へお帰りになりまして? あんな暗い部屋を通って、どうしてこのわたしのところへ、お出でなさいましたの?)小泉八雲「和解」(Shadowーthe reconciliation) 訳:田代三千稔

 小泉八雲こと、ラフカディオ・ハーンの左目を失明については、色んな記録があるようだ。回転ブランコでロープが目に当たった、もしくはクリケットのせいだった、という話がある。

 ただ、はっきりしていることは、彼は父親を若く失い、カトリック学校にも馴染めず、常に俯いて失明した左目を隠しているということだった。彼の書いた話にこんな話がある。

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 ある若侍は、主君の没落によって貧乏になった。その時に嫁にもらった女は美人で優しかったが、彼はもっと家柄の立派な女性と結婚して、出世したいと思うようになってしまった。それで妻を捨てて新しい嫁を貰って、念願の地位に辿り着いたが、思い返すのは京都にいた前の妻のことばかりだった。何年も時が過ぎ、主君である国守の任期が満ちたので、この男は、また自分勝手に新しい嫁さえも捨て、前の妻に会いにいくために京都に行った。前の妻の家は人が住んでいるとは思えないほど荒れ果てていたが、妻が気に入っていた部屋にたどり着いたら、あかりが灯っていて妻は縫い物をしていた。

 「いつ京都へお帰りになりまして? あんな暗い部屋を通って、どうしてこのわたしのところへ、お出でなさいましたの?」と女は昔の思い出と変わらない美しさのまま、自分を捨てた男を出迎えた。

 男は、今までの自分の過ちを認め、女に許してもらうように懇願した。女は、一切怒る様子も見せず、男が出て行った理由が「貧乏」だったことや、一緒にいてくれた時間が仕合わせだったと男をすぐに受け入れた。男は、もう彼女と以外は一緒にならないと決めて、床に横になった。

 一晩中、男と女は語り合って満足をしたのか眠ってしまった。朝になり、男が目を覚ますと広がるのは、荒れている廃墟でしかなかった。一緒に隣で寝ていると思っていた女は、悲しいことに朽ち果てていた亡骸になっていた。

 男は、近所の人に他人のふりをして妻の家がどうなったのかを尋ねたら、その人は言った。

 「もとは、数年まえに都を去ったお侍の、奥方のものでした。そのお侍は、出かけるまえに、ほかの女をめとるため、その奥方を離別したのです。それで、奥方はたいそう苦にされ、そのため病気になりました。京都には身寄りの人もなく、世話してくれる者もありませんでした。そして、その年の秋-九月十日に亡くなられました…」

・・・・・・・

 妻の死はこの世の無常を表している。批評家の小林秀雄は「思い出が、僕等を一種の動物である事から救うからだ」と書き記したが、この若侍も、出世のために妻を捨てるなど、自己中心的であるが、それゆえに苦しみ、美しい思い出を懐かしみ、また取り返せると思ったが、妻はとっくの昔に朽ち果てた死骸となったことによって、無常を知ったのである。世には自戒の機会を与えられず死んでいく人もいるのだから、知ることができた、というのは無常と対照的となってしまうが、キリスト教でいえば恩寵とも言えるのかもしれない。

 仏教にある逸話がある。ブッダはヴェーサーリーに入ると、生命の急速な衰えを自覚した。それでも彼は、弟子や人々が望むならば、神通力によって寿命を超えてでも生きぬこうと考えていた。もっと長く、人のために尽くして生きていこうとアーナンダに伝えた。しかし、アーナンダはなんだか上の空のようだった。彼はブッダの真意を汲み取ることができなかった。どうやら、アーナンダに「悪魔」がとりついていて、アーナンダの心は悪魔によって惑わされていたのだ。 ブッダは、アーナンダの態度をみて、三ヶ月後に入滅しよう、と決意してしまう。

 物語の若侍が自分の利益のために最愛の妻を捨て去る選択をしてしまったように、アーナンダも自分勝手であり続けたために、ブッダの本意を理解しようしなかった。それは無常への理解を妨げる、私利私欲的なものなのだ。小泉八雲の左目の失明は、欠落や喪失を意味し、同時に物事の常に変動する本質を思い起こす。彼はきっと、最初の妻が生きていた「瞬間」を大切にしなければならなかったことを残したかったのかもしれない。人は大切なものを失ってから気付き、責任を忘れがちである。そして他者への裏切りがどれほどのものか覚悟しておかなければならない。

 ただ、私がこの話を選んだのは、この妻が「妖」(あやかし)というのか、そうまでしても夫を待っていたところである。八雲の「怪談・奇談」に出てくる妖は、悪霊になってしまった話もある。この妻は、ゲーテの「ファウスト」のグレートヒェンや、シェークスピアの「ハムレット」のオフィーリアのような悲劇的な運命を持ち合わせ、精神的に追い詰められながらも、献身的だった。

 旧約聖書で主がサムエルに「人は目に映るところを見るが、私は心を見る」(サムエル記上16:7)と言ったように、真の美しさと永遠の愛は魂の中に存在するというのは本当なのかもしれない。 妖となった存在は「時間」というものに美化されることも、毒されることもなく、温存された状態で、自分を捨てた男とこの世に留まったまま「和解」をした。妖という影は、侍にとっての無常を気づかせるために存在していた。愛というのは理屈でないものも含んでいる。他人から見れば、この妖は哀れだと思うのかもしれない。愛は良くも悪い方にも動いてしまうが、それは愛とは静止することができないということだろう。だからこそ、愛は魂にとって重要なものを担って常に方向を探している。

 嫉妬に、執着、それは色々あるが、それでも愛は単に利益だけで動かないものでもあるからこそ、人間の目では見落としてしまうところにも、恩寵を運ぶことがあるのかもしれない。

 これは私にとって美しい、愛だと思った。(Chris kyogetu)

2024年3月31日

・“シノドスの道”に思う➉ シノドスをドイツの視点から考える(その4)

 前回、ドイツ司教協議会と信徒組織ZdKが共同で進めてきたドイツ固有の「シノドスの道」での決定がそのままではバチカンに容認されなかったため、シノドス評議会の設立は難しくなったこと、バチカンの主張は、叙階の秘跡によって「統治の権能」を持っている司教が一元的かつ最終的に教会の統治の権限を持っているので、一般信徒をそこに平等に加えることはできない、共同統治は不可であるとのバチカンの主張について若干考察しました。

 いずれにせよ、司教協議会はバチカンによる世界シノドスに合わせながら、ドイツ固有のシノドスを進めていこうとしています。今回は、ドイツ司教協議会春季総会最終日、2月22日付けドイツ司教協議会のプレスリリースから、 協議会議長ベッティングによる「報告書」の言葉を順に追っていきます。司教たちがどこに重点を置いているかが、垣間見えると思うからです。

*総会のシノドス関連のテーマは・・

 総会の議題の中でシノドスに関しては、「シノダルな教会その一:世界シノドス」、「シノダルな教会その二:ドイツの教会のシノドスの道」と2回に分けて議論されました。まず世界シノドスに関して検討されたテーマは3つ。①(司教の)統治の全権をどう取り扱うか。責任重大なかつ構造的に確認・保証されるような取り扱いrückgebundene Umgangをすること。②教会において権力をさらに分散すること。⓷役務担当者は説明責任を実践すべきこと。

*『総括文書』における司教・・

 昨年10月の世界代表司教会議(シノドス)第16回通常総会第1会期の『総括文書』Nr.12(シノダルな教会における司教のあり方について)、Nr.18(参加の構造について)から引用がなされています。昨年11月のこのコラムで筆者はNr.12を取り上げましたが、それはシノダルな教会になるか否かは司教にかかっているからでした。先ほど司教の「統治の全権」とあったように、総括文書においても、すべては司教にかかっているのです。

 さて、引用箇所の一つは「この役務は、統治が共同責任においてなされ、宣教・告知が敬虔な神の民に聴くことによってなされ、謙虚さと回心を通して聖化と典礼的祝いがなされる時、シノダルな姿で
現実化する(Nr.12.b)」。すなわち、統治が共同責任によって、宣教が聴くことによって、聖化と典礼的祝いが謙虚さと回心によって、この3点が実践されるなら、司教の統治はシノダルなものになるだろうというのです。

宣教や典礼はさておき、「統治が共同責任によって」なされるのがシノダルである、というのが重要ですが、では司教の全権を、誰が、どのように「共同で」行使するのかは、まだ明らかではありませんし、十分な試みもされていないでしょう。

*ヒエラルキーとシノダリティ

 以上に続けてベッティング司教は「世界シノドスの重要なテーマの一つであり、また次回の審議のため重要なテーマは、ヒエラルキー的に作られている教会の役務とシノダリティの相互性の問題である」と述べています。ヒエラルキーとシノダリティの関係をどう考えるか、です。2015年のフランシスコ教皇によるシノドス設立50周年記念講演で「教会の構成的要素としてのシノダリティは、ヒエラルキー的奉仕自体を理解するための最も適切な解釈の枠組みをわれわれに提供している。聖ヨハネ・クリソストムが言っているように教会とシノドスは同義語である・・」とありました。

 従って、少なくともシノダルなやり方でヒエラルキーは運営されなければならないことは確定していると言えますが、一般信徒との共同統治ができないとすると、どの程度までの共同ができるのか、極めて曖昧になりそうです。第2会期の審議の大きなテーマでしょう。

*司教と共同責任のありかた

 もう一つ引用されているのは「司教は<すべての、ある人々の、一人の>間の循環を促進することで、地方教会のシノダルなプロセスを主導し活性化するという重要な役割を持っている。すなわち、この司教職(「一人の」)は「すべての」信者の参加を、直接的に識別プロセスと意思決定プロセスに携わる「ある人々」の貢献によって、促進するのである。司教が理解するシノダルな観点の確信と、彼が権威を行使する際のスタイルは、司祭、助祭、一般信徒、修道者・修道女がシノダルなプロセスにどのように参加するかに決定的に影響する。全員のために司教はシノダリティの模範となるように召されている」(Nr.12c)。先ほど出ていた統治の「共同責任」を司教がどのように捉え現実化していくのか、第2会期でどこまで議論がされるか、一つの焦点となります。

*共同責任の担い手はシノダルな諸委員会

 続けてベッティング司教は「核心において、世界シノドスの考えは、ドイツの<シノドスの道>の基本文書『権力と教会における権力の分散—宣教の任務における共同参加、共同参与—』の観点と一致している。司教の統治はシノダルな諸委員会での信頼でき、構造的に確認・保証される作業Rückbindungを必要とする。このことは司教の最終責任に矛盾するものではなく、司教の全責任の存立に必須の重要な部分である。」と述べています。

 これは重要な言明です。以下に説明していきます。

 初めに述べた3つのテーマのうち、最初のものは「司教の統治全権の取り扱いについて<責任重大な、構造的に確認・保証されるような取り扱い>をすること」でした。そして「シノダルな諸委員会における信頼でき、構造的に確認・保証される作業を必要とする」と言います。つまり司教の<共同責任>の担い手は「シノダルな諸委員会」であると。

 バチカンの総括文書(Nr.12.b)の「共同責任」の担い手は「シノダルな諸委員会」であるというのがドイツ司教たちの考えです。重い責任を負い、構造的組織的に確認しながら、司教のすることの是非を判断・保証しながら統治の任を分け持つ。あえて敷衍すれば、司教の働きを絶えず監視しながら同行すること。司教が何かを考えたり決めたりするとき、諸委員会もその側にあって同じ問題を考え、 助言し、決定への承認もする。そのためには司教と「シノダルな諸委員会」は信頼関係を持ち、互いに見える距離を保ちながら司教の行為を確認・保証していくということでしょうか。

*カウンターパートとしてのシノダルな諸委員会

 ちなみに、2022年2月3日のシノドス集会で決議された基本文書『権力と教会における権力の分散—宣教の任務における共同参加、共同参与—』の中に、「教区レベルで司教にとってのカウンターパート(対応するもの、相補的なもの)を組織し、彼らがどう働くかを決めるシノダルな構造が必要である」とあります。統治者が司教一人だと君主制になりますが、そうではなく司教と対になるような、司教に相対する存在、カウンターパートが存在すれば、もっと民主的になります。

 先に述べた「シノダルな諸委員会」を設けることがカウンターパートとなり「シノダルな構造」ができるでしょう。そして彼らが司教の働きを監視しつつ、それを是認するなら、司教は確信を持って自分の権威を行使できるようになるでしょう。

 次に2つ目の「権力分散」について。一例として虐待問題の取り扱いに関して総括文書は、多くの司教は父親の役割と裁判官の役割の両方を受け持つのは難しいので、裁判官の任務を別の機関に委ねるべきとしている(Nr.12.i)。同様に、関係所管庁間での<チェックアンドバランス>の原理、<コントロール・調整・協働のメカニズム>が、権力分散のため必要である、とドイツ司教たちは言っています。

 3つ目、役務の担当者の説明責任について。総括文書で「参加する組織体・団体は・・・共同体に対して説明責任の文化を実践するように勧めます」(Nr.18i)。教会を透明な組織・構造にして、説明責任も持たせないと、もはや人々は納得しないということでしょう。

 以上、3つのテーマは第1の「司教全権が共同責任で」という点が具体化できれば、第2「権力分散」、第3「説明責任」もクリアできそうに思います。

 次にドイツのシノドスの道を今後どう進めていくかに関しては、これまで司教たちとZdKで進めてきたイニシアティブをさらに発展させること、そして「教会法の条件に合致したシノドス評議会を準備すること」が決議されたことを特に述べておきたいと思います。「シノドス評議会」設立を諦めたわけではありません!なお6月に司教とZdKの、シノドス委員会(代表者会議)開催予定です。

*秋のシノドス総会第二会期に向けた作業

 ところで、1月23日付け司教協議会のプレス報道で、協議会の常任委員会は、世界シノドス第二会期に向けた今後の準備として、各教区に、以下のような質問に対して最大5ページの「省察報告書」(司教協議会事務局による)を3月31日までに提出するよう求めています。シノダルで宣教的な教会になるため、どうすれば教区レベルで神の民全員が連携して「異なった共同責任」を強化できるか、またどうすれば地方教会の諸関係を創造的に形作っていけるか、そのためには教会の全構成員の共同責任を中心に置いて地方教会は具体的な変換が求められているが・・・。

 「異なった」とは様々な次元や側面での奉仕・職務があるという意味です。その後、それらについて4月に常任委員会で司教たちによって話し合いがなされ、8ページの要約が作られ、5月15日までにローマに提出されることになっています。バチカンが第二会期の準備文書を用意するためです。

 最後に、シノダリティを進める上で「共同責任」をどのように捉えるかが、大きな問題となることが、ドイツの例で理解されると思います。
:ドイツ司教協議会www.dbk.de

 (西方の一司祭)

2024年3月31日

・愛ある船旅への幻想曲 ㊳今は亡き司教の、信徒に対する真摯な姿勢を思いやる

 主の御復活おめでとうございます。

 今年もイエスと共に新しい旅に出掛ける日、一人旅もいいだろうが、旅の感動を分かち合う気心の知れた相手が居る方がもっといいに違いない。。

 4月、満開の桜を楽しんでいるのは外国人観光客だけではないだろう。毎年、桜の名所へと花見に出かけることが年中行事の一つとなっている日本人も多い。

 この『桜』、J-POPでは、出会いよりも別れの場面に使われることが多いようだ。満開の桜が、儚く散って行くさまを感慨深く綴られ、「また、会えるよね」と、再会を願い「また会える」雰囲気を最後のフレーズが醸し出す。“歌は世に連れ、世は歌に連れ”の如く、歌と世は影響しあっている。だからこそ、「思い出の歌」として歌い継がれ、人はその当時を懐かしむことができるのだろう。そして、女性へのイメージが暗く差別的だった昔の歌詞から、ありのままの女の子の日常が段々と綴られてきた1970年代の歌を男性聖職者、教会トップ集団には特に思い出して欲しいものだ。

 先日、私は未信者の大学教授から、「昔の教会の聖堂内陣の様子を詳しく知りたい」との依頼を受けた。その当時の担当宣教会や信徒家族に問い合わせたが、今のところ参考になる写真や資料が全くない。当時の司祭や信者が居ない現状は当然だが、誰にも『初期の教会の姿』が伝えられてないことは残念である。

 私自身、『戦争で焼けた教会』との認識しかなかったが、その時代に思いを馳せた司祭の教会建立、国を離れなければならなかった外国人信徒の深い信仰そして自由な発想が取り入れられた聖堂内陣の姿があったことが今、未信者の手によって明らかになろうとしている。担当する宣教会が次々変わってきたことが歴史を辿るデメリットになっている事を知った。

 カトリック教会は、過去の振り返りも未来の姿も思い描かず、その時々の受け身の姿勢だけで満足している信者たちの旅が続いているように感じる。「信徒が教会の問題についてあれこれ言ってはならない。それがカトリックや。意見するならプロテスタントや」と、信徒をコントロールする聖職者達がいる教会では、今も続く“シノドスへの旅”にも信徒は意見を言ってはならないことになる。各ハラスメント問題も然りである。何よりも、ハラスメント相談窓口担当者と司教が問題聖職者をかばい、他教区に転任させる、というありえない筋書きさえある。転任先に正直な説明などしてないこと、これはれっきとした“隠蔽”とご存知か。

 聖香油のミサでは、司祭叙階の振り返りと、「司祭も信徒と共に歩まねばならない」という教会共同体へのあり方などを司教は再度、確認するはずだが、私が今回初めてミサに与った教区の司教が熱弁されたのは、「健康状態が悪くなるのは“悪霊”の働きであり、その悪霊を追い出す為に『油』が必要」との話であった。このような理解が、この教区のスタンスなのか。それなら、「教会で今一番『油』が必要なのは誰なのか」と、是非ともうかがいたい。

 ある亡くなられた司教様は、シノドスについての私の質問にも真摯に答えてくださり、ヒントもいただいた。それを元に私たち二十数名は真面目に分かち合った。後日、そのまとめをお伝えした時も、司教様は謙遜の言葉で礼を述べられ、力付けてくださった。その司教様の言葉を、私は身近な若者達に伝えている。

 一人でもまともな司教が居られたこと、その司教が持つ「カトリック『教会』の正しい姿」を、未来の教会へ旅する若者たちに微力ながらも伝えていくことが、今の私にできることと思っている。信徒を思う教会作りのために貢献されたこの司教様は聖職者から受けた痛みも大変大きかっただろう、と立場は違えども思い知る今年の私の『聖なる過越の3日間』の始まりであった。

 追記として、3月のコラムで紹介した女子高生の政治分野でのジェンダー平等についての発表後に男性教員が質問した内容を、女性記者が後日、記事にした。「女性が増えて男性が減るデメリットをどう解消するのか」「むやみに女性を増やすと質が悪くなるという反論が出るが、能力を担保する方法は」と女子生徒に質問したと言うのだ。

 根拠のないデメリットや能力の有無を持ち出すことこそ、性差別だろう。教育現場の男性教員の質の改善こそ、早急に必要な事を感じさせた新聞記事であった。

 内心ジェンダーの話題を快く思っていない一部男性(指導者?)たちの存在を知る中、ある男子高校生の卒業式の答辞に感動した。歴史ある高校に誇りを持ち、若者としての気概を感じさせる内容からは、良き環境で高校生活を送ったことを、うかがい知ることができた。まともな人が育つ為の人間環境は大事である。

 ある男子高校生の卒業式答辞から一部抜粋。

 「僕達が一生かけて取り組む問題集には、別冊の解答、解説なんて付いていません。解説されてたまるものか。解答なんてあるはずもない、だけれども、あるいは、だからこそ、その問題を直視し、従うべき、逆らうべき風を判断せねばなりません」。

(西の憂うるパヴァーヌ)

2024年3月31日